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花は生きるということを教えてくれます

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花は、
明日のことには関心がありません。
計画もありません。
死について悩むこともありません。
それに、美しく香ろうと努力もしません。
花は生きるということを教えてくれます、
生きるということの何たるかを。
~Wu Hsin

The flower is not
Concerned about tomorrow.
It doesn’t plan.
It doesn’t worry about death;
Nor does it make effort to
Smell beautifully.
The flower teaches being,
Being what one is.
- Wu Hsin

生きることを、難しく考えたり、こうあらねばと身構えることはない。
あなたはただあなたであればいいのです。

そして、なにかうまい生き方を考え出す必要もありません。

人々からしばしば、彼らの人生を変換するための最も効果的な手法は何かと尋ねられる。
私は少し照れくさいが、長年の研究と実験の結果から、これが最良の答えであると言わざるをえない。ーそれは、「ほんの少し優しくすること」
~オルダス・ハクスリー

People often ask me what is the most effective technique for transforming their life. It is a little embarrassing that after years and years of research and experimentation, I have to say that the best answer is - just be a little kinder.
- Aldous Huxley



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私たちはそれを受け入れるまでは、何も変更することはできません

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私たちはそれを受け入れるまでは、何も変更することはできません。
非難することでは、それが押しつけてくるものから、解放されないのです。
~カール・ユング

We cannot change anything until we accept it. 
Condemnation does not liberate, it oppresses.
- Carl Jung

起きてくることに対して、ただ今の認識とずれているからという理由だけで、抵抗するのを止めましょう。あるがままを一旦受け入れられたとき、それをどう変えることができるかも見えてきます。

まずは、起きたこと、それを受け入れましょう、そのまま、ありのままに。
そのとき、ようやくそのままでいいことも、あるいは変える選択をとる必要があるかも理解できるのです。

ただ反射的に抵抗するだけでは、それはいつまでもつきまとって、あなたを苦しめることになるでしょう。


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どうしてわたしたちは、思考活動におぼれてしまうんでしょうか?

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問い:どうしてわたしたちは、思考活動におぼれてしまうんでしょうか?

答え:思考力によって、自分のアイデンティティを確立しているからです。別の言い方をすると、「頭の良し悪し」を、自分の存在価値を測る尺度にしている、ということです。頭を使うのをやめた瞬間、自分は生きている意味がなくなると、かたくなに思いこんでいるのです。
 大人になるにしたがって、わたしたちは、個人的及び社会的環境に基づいて、「わたしは誰か」、というイメージを形成していきます。この「にせの自分」は、またの名を「エゴ」と言います。エゴは、思考活動があることで、その存在が成り立っています。エゴは、たえず考えることによってのみ、生きられるのです。エゴという言葉は、人によって解釈はまちまちですが、わたしが本書で使う場合には、自分でも気づかないあいだに、思考を自分と同一視することでつくられる、「にせの自分」を意味しています。

エックハルト・トール The Power of NOW


「頭を使うのをやめた瞬間、自分は生きている意味がなくなると、かたくなに思いこんでいるのです。」

言い換えれば、私たちは思考している自分があってこそ、わたしでいられるし、それが私自身というものなのだと信じているのです。

もちろん社会で生きていれば、あなたは誰で、どんな人であるのか説明を求められるかもしれません。それによって社会的な存在である自分と言うものの定義を作り出し、たとえ聞かれていなくても、自分自身を説明できるようにしようと思っていくようになります。

最初は他人への説明のためであったとしても、それがだんだん自分自身そのものだと思い込み、さらには、それ以外の自分が存在することなど、思い起こすこともできなくなるかもしれません。

出来上がったエゴは、強力です。本来のあなた、言葉で説明できないような自分など、その存在を押しやられて、あなたはエゴに支配されてしまいます。

しかしエゴに無条件に従っていれば、やがて無理が生じたり、あなたは自分がわからなくなってしまうこともあるでしょう。

奥に押しやられていた、言葉にもならないような自分の存在は、外に出たいと悲鳴を上げているかもしれません。
そんなとき、あなたは、本当の自分であると感じられる時間を過ごすことができなくなります。

いまここにいる、エゴではない本当の自分を、実はみんな追い求めているのです。
役割ばかり演じていては、あなたは窒息してしまうのです。



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私は人生については何も知らない。私が人生です。~ムージ

ビデオ鑑賞


そのような恵みがあるのは、私は決して分けられないものだからです。
私は不可分なものであり、無尽蔵なのです。
この偉大な世界は、私の目の前に神が置いてくれた巨大な鏡であり、
私は彼の顔を見る喜びを味わうでしょう。
私は人生については何も知らない。私が人生です。
私は何もしなかった。
私はただいるのです。
~ ムージ

Such blessedness, for I am never separated.
I am the indivisible one, the inexhaustible.
This great world is just a mighty mirror
that God puts in front of me
that I may taste the joy of seeing His face.
I know nothing about life. I am life.
I have done nothing.
I just am.
- Mooji


私たちは通常、社会とのかかわりこそが自分だと思っています。

巨大な鏡を見て、自分もその中で関わっている存在であり、
私が何をしたとか、その結果に喜んだり、悲しんだり、怒ったりしながら、
それによって、私というものを認識しているのです。

しかし、私は何もしていません。
鏡の中世界は、それ自体で動いていきます。
その中で起こることが起こり、私が何かをしているという映像もそこに見えます。
しかし、私自身は何もしていません。
私がそこで起こっていること、その世界そのものです。

私はただ、それを見ながら存在しているのです。
私の意志で何をしたか、実はそれも鏡の中の映像の一部なのです。
私を喜ばせたり、怒らせたり、悲しませているのも、その映像の中の出来事なのです。
それを眺めながら、私はただ存在しています。



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仕事を楽しみましょう!?その生きた付き合い方

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仕事の気の重さを軽くする方法を教えましょう。
まずは、こんな話から始めましょう。

あなたはお腹いっぱい美味しいものを食べた。
「もう食べられないや!」このままこの幸せが続くような気になる。
しかし、実際にはそれは続かない。一日も経てば、またお腹が空いてくる。
あんなにいっぱい食べたのに!と思っても、もうこれで今後食べなくてもいい、というわけにはいかないのです。

生きている私達は、常に変化しているということを忘れてはならないのです。
ところがこれと対照的に、ものは変化を免れる。
たとえば、自分が買ってきて部屋に配置した、家具や電化製品はそのままそこにいてくれる。
ものは、劣化したり故障したりすることはあっても、生きているものと比べれば変化しないままでいてくれる。

だから、あなたは1日でお腹が空いてしまう肉体よりも、いつまでも変わらない持ち物で自分の周りを埋めつくそうとします。
物を集めてコレクションし、それを眺めてこんなにいっぱいあると思い安心する。
肉体はあてにならない、物は裏切らずに一定の状態のままいてくれる。
変わらないものにしがみつきたくなる。

では仕事というものはどうなんだろう?
仕事はいろんな要素の組み合わせです。そこには変わらない仕組みも多くあります。
「どうだ!私はこれだけのことをやり遂げた。」といって成果を誇りたくなる。
やがて、ものをコレクションするのと同じように、仕事も成果を集めるものにしてしまいたくなる。
変化しない物と同じように、変化しない成果物もいろいろあるせいで、仕事もものと同じように扱いたくなる。

しかし、仕事には「あなた」が関わっている。変化し続けるあなた自身が、いつでもそこに関わっているわけです。対象になる仕事は変化していなくても、それをやっているあなたの方は絶えず変化しています。
あんなに楽しい仕事だと思ったのに、これで私の将来は安泰だと思えたのに、いつのまにか色あせてつまらない仕事になってしまうかもしれない。

それに仕事には、あなたが関わるだけでは済まない面があります。そこにはいろいろな他の人が関わってくるからです。社会情勢や流行といったものが、あなたの仕事の価値や評価に影響を与えます。
その時は実に有望な仕事だったのに、状況が変わっていつのまにか誰も求めてくれないものに変わってしまうかもしれません。

ですから、仕事はものとは違って半分は生き物だということを認識することです。

あなたは仕事を固定したものにしてしまいたくなる。
計算できる予測がつくものとして扱いたくなる。
生きて変化するものではなく、私の計画通りに成長してくれ、予測可能になる成果物だと思いたくなるのです。
ですから、あなたは計画を立て、仕事の青写真を作り、プロジェクトを組んで、それらが予定通りに進んでくれることを期待します。

こうして、だんだんあなたは仕事が半分生き物だということを忘れてしまいます。
そこに関わる変化する要素などないかのように思い出す。
計画を立てた時の「私」はいつまでもそのままでいてくれると思ってしまいます。

だからすぐに苦しくなってくる。
思った通りに計画は達成できない。これができたら次はこれと予定していたのに、早くも前提にするはずの成果が現れないことに気がつく。なんとか迂回ルートを考えて先に進めようとするけれど、今度はだんだん不安になってきます。

本当に私はこれを達成できるんだろうか?私にそんな才能があるんだろうか?これが出来上がっったら他の人はそれを評価してくれるんだろうか?そもそもこんなものに価値があるんだろうか?私は役に立たないようなものを創ろうとしているんではないだろうか?
こんどは、あなたという変化する生き物が、揺れ動き出したわけです。

さて、ここからが本題です。

仕事を予測可能で変化しないものだと思わないことです。
それは生き物だ。だから毎日何かを食べないとやっていけないのと同じように、たえず新しい視点から仕事を考えるようにしましょう。

計画をたてること自体は悪くない。行き当たりばったりでやるよりずっといでしょう。
しかし、それは単なる計画だということを忘れないこと。

毎日新たに、その相手を生きたものとして扱ってあげましょう。
また、相手も生き物ならあなた自身も生きている。
昨日はあんなに大事に扱ったのに、今日は興味を持てないかもしれない。
だからといって「こんなことではいけない!」といって自分を責めないことです。

自分も仕事も同じように変化する存在であることを認めてあげましょう。
変化するもの同士、くっついたり離れたりして付き合っていきましょう。
計画にとらわれないこと。

大局から対象を見ましょう。
あなたのやりたいことの本質を見失わないことです。
プランなど壊れても対して影響はないのです。
計画通りに行かなくて当たり前だと思っていましょう。
今日は全く違ったやり方で、対象に関わってみましょう。

計画通りに運んでいないと心配するから苦しくなるのです。
変化するもの同士、淡い付き合いでいましょう。
もしかしたら、もう別れましょうと思うかもしれない。
それはそれで、素晴らしいこと。
お互いに新しい出会いが待っているでしょう。


今日はどんなやり方で関わろうかと思いながら、変化を楽しみましょう。
計画など時には放り出してしまいましょう。

誰もあなたを強制などしていないことを忘れないこと。
あなたを「こんなこともできないの?」と言っていじめるのは、いつでもあなた自身だということ。
誰かがそう言っているわけではないのです。

何も自分をいじめるようなやり方で仕事をすることはない。
あなたが満足できることが、先にあることを忘れないことです。
だれもあなたの計画が失敗したかどうか見張っている人はいない。
気軽に取り組みましょう。
できたら出来ただけで満足しましょう。実際そうでしかないのですから。

無理をすべき時を間違えないことです。
絶えず無理を感じるのはやり方が間違っています。
苦しむのが好きなら仕方ありませんが、わざわざ苦しいやり方を採用することはないのだと思い起こしましょう。

楽しんでやらないと。
なんのためにやっているのかわからなくなります。
どうするかを決めるのはあなた次第です。
誰かが仕事は苦しいものと言っても、あなたは信じないでいましょう。
どうせやるなら楽しんでやろうと、それに徹底しましょう。
そう思えば、そういうやり方があることに気づくようになるでしょう。



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戦うのをやめて他の道を探そう!(ノートより)

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  スズメがフェンスの向こう側に行きたくて、ひょこひょこ通り道を探している、
やがて、上を見上げて飛び立ち、フェンスの上を乗り越えてしまう。

私達は、目の前の道探しに没頭しだすと、どこかに抜け道があるはずだと思って夢中になってしまいます。
「ここでやめてたまるか!」と思いだすのは、黄色信号。
意地になって探しだすと、視野が狭まって、他の選択肢が見えなくなってしまいます。

世の中にはなんでもすぐに諦めてしまう人もいるので、一概には言えませんが、しかしハマりだしたと思ったら早めに手を引くのがたいていは最上の策です。

このやり方をあきらめてしまったら、ほかに何か見えてこないだろうか?と問いなおしてみるわけです。
プログラムの開発をやっている時、頻繁にバグが発生する部分が見つかったら、思い切ってそのモジュールを最初から作りなおしたほうが早いことも多いものです。

今やるべきことは、原因探しなのか?それよりも先に進む時なのか?
どちらが優先されるかを考えて行動しましょう。

何でもこの順番でやらないと気が済まない、とか言い出したら聞かない人は、その人にとっても、まわりの人にとっても厄介の種を作り出してしまいます。

「あの人が間違いを認めるまで、私は絶対自分から折れない」と思うのが癖になっていると、簡単に自分が譲ることができる時まで、ひとこと言いたくなる。

こんな単純な関係の癖が、いつも自分を悩ませる根本原因になっているのに、本人はなかなか気が付かない。
問題は、困った人がいることである以前に、困った私にあることに気づけば、その人は自由になれるでしょう。

もともと自由にとっては、そもそもそんな問題自体が発生しないまま、何気なく過ぎていくのです。
そんなことよりも、もっと楽しいことを見つけようと思い、新しい世界に飛び込んで行けます。

この問題に、いったいどれだけ時間を使っているだろうか?
戦うべきか?
それとも上を乗り越えようか?

あなたがちょっと大人になれば済むことです。
それを考えてみましょう。




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自分から制限を作り出しているのです?私にも受取る資格があるんだ!(ノートより)

夢の生活

私達は、自分で自分をいじめるようなことをよくやっているのですが、気がつかれたことはあるでしょうか?

そういった人間性の奇妙な振る舞いについてはよく知られているところですが、そういうこともありそうだとは思っても、では具体的に自分が何をやっているかには、なかなか気づくことができません。

なぜ難しいかというと、ひとつの理由は、そういった行動が社会的、文化的に溶け込んでいて、自分ではこれが社会の常識だからという理由で、そういった自分いじめを受け入れてしまっているからです。

つまり、『私がこういう行動をとるのは〜という理由があるからです。ですから、私の行動はこれで正しいのです。』と言い聞かせているのです。

それが正しいと信じ込んでいますから、まさかそれが自分をいじめる行動になっているとは思いもしないのです。
たとえ、その行動で自分が苦しくなってきても、「人間はそうあるべきなのだから、多少苦しくても我慢しないとならない。」というように理由をつけて納得しようとします。

理屈では正しいことをしていると信じていますから、「なんでこんなに苦しいんだろう?」と時々嘆きながらも、「でもこれで正しい、我慢も大切なんだ」と言い聞かせます。

どうにも歯止めが効かなくなってくると、それでも正しさを疑おうとは思わないので、悲鳴を上げている自分がとうとう壊れてしまいます。
その結果、病気になったり、失敗してそれ以上仕事ができなくなるような事態を創りだすという、非常手段に出てしまうわけです。

このような無理な信念を打破するのは、簡単なことではありません。
そのようなことは、考えるだけでも、たちまち否定する自分が現れてくるでしょう。
それこそ、反社会的であったり、ひとでなしになるような気分になってしまうのでしょう。

しかし、「それでも私は、そこから抜け出るんだ!」と決心がついたら、とにかく大胆になり、常識になってしまっている自分の信念を破壊しましょう。

具体的には『私がこういう行動をとるのは~という理由があるからです。ですから、私の行動はこれで正しいのです。』に反論するのです。

そのような「理由」とはそう思い込まされてきただけです。
私にもそれを拒絶する権利があるし、そんなことに縛られないで、自由に自分のほんとうの思いを受けいれて、自分の取り分を主張してもいいのだと宣言しましょう。

そのような束縛を信じなければ、本当はもっともっとやりたいことが、自由にできるのだと気がつくことです。
私はそんな能力がないから、まだ資格が無いから、それを受け取るような価値のある人間ではないから・・・、といった自分から作り出している束縛に気づきましょう。

そして何よりも、だれかが制限しているのではなく、自分が自分を制限しているだけだと気づくことです。

あなたは、徐々にそのような束縛を、心身ともに染み込まされてきたのです。
少しずつ埋め込まれた規則が、やがて考えることもしなくなるほどあなたを変えてしまっているのです。

象使いは、子象のうちから足を縛り付けて、自分はこれ以上動けないんだということを象に叩き込みます。
その結果、やがて鎖をはずされて自由に動けるようになっても、象は縛られていた場所から離れなくなっていくのです。

あなたがどれだけのことを自分に許すか、どれだけ自分でできる範囲を認められるかで、これから先にできることが決まっていくでしょう。

信じられた分だけ、あなたは自由になり、自分を制限することをしなくなります。
なんだ、いままで自分でやらなかっただけで、こんなにいっぱいできることがあるんだ!

そういった発見がもたらすことは、想像もつかない世界にあなたを連れて行ってくれるでしょう。

象使いはもういないのです。鎖はもう外れています。

今の自分を超えられた分だけ、あなたは鎖から開放されます。
逆に想像もできないことは、どれだけ努力しようとできません。
そもそもやろうという思いつき自体が現れてこないからです。

必要なのは、努力ではなくて、大胆な発想や思い込みを捨て去る勇気だけです。

人生はすばらしい。
大切なのは勇気だ。想像力だ。

チャールズ・チャップリン


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あなたは本当に人を非難する必要性を感じるだろうか?

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 このメカニズムを他人の中に見るのはいかに簡単なことか!でもそれを自分の中に見ることが果たしてできるだろうか?そこが肝心なところだ。あなたが身代わりにしているのは誰だろうか?あなたが密かに自分の中で拒絶していて、他人の中にあるのを拒絶しているものは何だろうか?弱さだろうか?失敗だろうか?恐怖だろうか?同性愛だろうか?暴力だろうか?世の中に対して自分という存在のイメージを掲げるために、あなたの中にあることを認めていない思考や感情は何だろうか?


 他の人間の存在を本質的には自分自身だと見るとき、意図的に人を傷つけて本当に満足感が得られるのだろうか? あなたがもう自分の偽りのイメージ(本当の自分という存在を捉えることなど毛頭できないと知っている、というイメージ)を守ろうとしないとき、もう他の人間がそのイメージの脅威になると見ていないとき、あなたは本当に人を非難する必要性を感じるだろうか?あなたの目の前にいる人をもう恐れていないとき、暴力が本当に必要だろうか?

~ジェフ・フォスター

これらのことを、今までの自分をまっさらにして、考えてみよう。
あなたが今までそんなことを考えたことがなかったとしたら、まさにコペルニクス的転回がそこに待っているだろう。

あなたは誰かの脅威のために怖れることはない。
あなたが作り出さなければ、そんな脅威は存在しない。
脅威が何もないと知ったら、あなたはどう感じるのだろうか?
あなたは、そんなことを考えたこともなかった。
だって、脅威はそこら中にあるのは明らかだ! まずは自分をどう守るかを考えなければ。そうやって、あなたは、幻想の脅威に対処するのに躍起になって、いまここでなにをしたいのか、どう感じたいのかを考える余裕さえ持てないでいたのだ。

もし不可避のことがあるとしても、あなたには何も準備はできない。
そんなことができる人も、どこにも存在しない。
それよりも、いまこのときを、ありのままに味わうことを思い出さねばならない。

あなたは、恐怖に打ち負かされる人ではなく、今ここを十二分に生きることが、唯一のあなたの姿なのだ。何歳になろうと、それがあなたの生きる姿なのだ。
誰にも従う必要はないし、あなたの幻想に怯える必要もない。
なるべき姿もない。なるべきに生きるのではなく、ただ今を存分に生きるのがあなたの本当の姿なのだ。

それ以外のあり方は、すべてあなたをやがて後悔させることになるのだ。
なんで存分に生きてこなかったのか? なんでお仕着せの目的のために無駄なことをしてきたのか? なんでやりたくもないことで時間を費やしてきたのか? なんで本当にやりたかったことを犠牲にしてきたのか? なんで「べき」という言葉にだまされてきたのか? なんで自分を生きてこなかったのか? だれがそうさせてきたのか~もちろん自分以外にはいないのだ。




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なんでも批判したい人といつも自分の落ち度を感じてしまう人

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まず攻撃する側から見てみましょう。

誰しもその人特有の他の人に対する構えということに偏りを持っています。

よく取り上げる分かりやすい構えとしては、「迫害者」「救助者」「被害者」という3つの役割があります。

迫害者の役割を取りやすい人は、普段から世の中に不満を抱えていて、何かきっかけがあれば相手を攻撃してやり込めてしまいたいと待ち構えています。

たとえば世間話をする機会があったら、社会に対する批判を口にしてみれば、すぐに反応して自分の考えをまくし立ててくる人がいます。

「こんな世の中だから、不満を言いたくもなるだろう」とその人は言うでしょうが、だからみんなもそう思っているに違いないと思ってしまう人は「迫害者」の立場を取りやすいだろうと想像できます。

さてこの「迫害者」の傾向がある人は、ネット上のいろんな意見を見ていて、自分の考えと違う意見や、批判したくなる意見にばかり注意を向けやすいと言えるでしょう。

「迫害者」の傾向が高じてしまうと、SNSなどを見る目的の第一は、批判する標的を探すことになってしまいます。本人はそんなつもりでなくても、自分の考えに挑戦されたと感じれば、その一文にとらわれ、のめり込んでしまいます。

「自分と考えが違う人の意見は、野放しにしてはいけない」とか「相手を問いただして、考えを変えさせないといけない」とまで思ってしまう人もいるでしょう。

その人にとっては、間違った(と自分が信じる)考えの人を批判し、間違っていましたとその人を反省させ、考えを変えさせることが正しいことであり、自分の使命だと考えるのです。

ですから、たまたまあなたが発した意見が「迫害者」の目にとまり、意見が違っていたりすると、あなたがどういう人であろうと関係なく批判してくるでしょう。

突然知らない人から「何でいきなりそんなに批判されないといけないの?」と思うような事態も起こり得るわけです。

残念ながらそれを確実に避けるような手段はないでしょう。

SNSなどに参加しないとか、自分の意見は述べずに当たり障りのないことしか書かないとかいった消極的な対応策しかありません。

しかしそれではせっかくのプラス面もなくなってしまうわけですから、逃げないで続けて、どうしても出会った場合は、事故にあったと思って被害を最小限に留めるしかないでしょう。

その場合でも、上記のようなあなた自身とは関係ないところで、誰であろうと批判しないではいられない人がいることを知っていれば、気が楽になります。

決して個人的に受け取って、自分を批判したり落ち込んでしまわないことです。

わかっていても、あからさまに批判されるのは気分が悪いし、痛手を受けますが、反撃して自分が「迫害者」に転じてしまっては、別の問題を作り出すことにもつながります。

相手が誰であろうと、その人は批判するのだからと割り切って、自分までゲームに参加してしまうのを絶対に阻止しましょう。

あなたが反撃しないでいれば、相手はあなたに興味を失って他へ移っていくでしょう。


さて今度は受け手の側から見てみましょう。

ここで被害を受けやすいのは、先ほどの3つの役割の中の「被害者」を演じやすい人です。

「被害者」を演じるとは言っても、実際にはその人は演技しているつもりなどなく、本気で自分を責めたり落ち込んだりすることになります。

だれでもその時々でコンディションは違っています。
気力がみなぎっていれば、少々のことなど受け流してしまいますが、落ち込み気味の時にはちょっとした言葉がグサッと自分に突き刺さってくるように感じたりします。

客観的に考えれば「私だけが悪いわけではない」と思っていても、やはり批判じみた言葉を見ると「自分に何か落ち度があるのだろう」と思ってしまいます。

そのような時に、たまたま先ほどの「迫害者」に出会ってしまえば、とんでもないことが起こってしまったと思って考え込んでしまうでしょう。

やっぱり自分にはこういうことをやる資格はないんだとか、極端なことを考えてやめてしまいたくなったりするのです。

ですが、そこで起きたことは、いろんな組み合わせがある中の最悪の組み合わせが起きたという、一つの出来事に過ぎません。

決してあなたが「いつも」そうであるわけでもないし、あなたの意見に価値がないとか、才能がないとか、他の人を傷つけてしまったとか客観性のない極端な結論を出さないことです。

あなたが白と言えば、それに賛同する人が100人いる一方で、それを批判する人も100人いるのが一般的だと考えておけば間違いないでしょう。

自分自身を振り返ってみても、以前は絶対白だと言っていたことが、今は「黒に違いない、白だという人はみんな信じられない」というように、考えを正反対に変えてしまっている、そんなことがあったりしませんか。

反対意見があるのは当たり前のことだし、たとえ反対の考えを持っていても、相手の価値をそれと結びつけるかどうかは別のことです。

この点は意見が違うけれど、でもあの人の言うことはおおむね信じられると思えるという人だっているでしょう。

テンションが低いときには、ちょっとした批判の気配が大きく見えてしまい、相手を迫害者に見立ててしまいがちなのです。

ここでもやはり「個人的に受け取らない」ということを思いだしてみましょう。
ほとんどの場合、相手はあなたを個人的に責めているわけではないのですから。

個人的に受け取って、自分を批判したり落ち込んでしまっても、相手はそんなことは気にも掛けていないかも知れません。

そのような時には、相手が悪いかどうかは置いておいて、自分が被害を大きくしないことだけを考えましょう。

あなたが被害を大きくさえしなければ、実際には何も起きていないのと同じなのですから。


ここでは、もう一つの「救助者」のことは触れませんでしたが、ゲームの役割としての「救助者」とは、単純に救ってくれたり援護してくれる人ではなく、その役割を演じることで自分の立ち位置を演じたい人なのです。

また、これら3つの役割は、突然きり替わってしまうこともあります。
「迫害者」は突然「被害者」に切り替わり、「被害者」は「迫害者」を演じだします。
「救助者」にずっと助けてくれる人だと信じていた「被害者」は、突然「迫害者」に立場を変えてしまった「救助者」を見ることになるかもしれません。

何にしても、役割を演じているうちは、本当の自分を取り戻すことができないのです。




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自分自身を定義することを放棄しましょう

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「自分自身を定義することを放棄しましょう ― 自分自身に対しても、あるいは、他人に対しても。 そうすれば、あなたは死にません。 あなたは生き返ります。 そして、他人があなたを定義しようとすることに関心を持たないでください。 あなたを定義しようとするとき、彼らは自分自身を制限しているのです、それは彼ら自身の問題なのです。 あなたが人々と交流するときはいつでも、機能的な存在や役割のためにそこにいるのではなく、意識的な存在の場としてそこにいてください。 あなたは持っているものを失うことはできます、しかし、あなたは自分自身である何かを失うことはできません。」
~ エックハルト・トール

"Give up defining yourself - to yourself or to others. You won't die. You will come to life. And don't be concerned with how others define you. When they define you, they are limiting themselves, so it's their problem. Whenever you interact with people, don't be there primarily as a function or a role, but as the field of conscious Presence. You can only lose something that you have, but you cannot lose something that you are."
 - Eckhart Tolle

自分の存在を、社会的な役割として決めてしまわないでください。
同様に、他人に対しても決めつけないでください。

あなたが、何かの役割を果たす存在として、自分の存在意義を見出してしまえば、あなたは本来の自分自身を見誤ってしまうでしょう。

また、他人からもそういった決めつけを拒絶しましょう。もちろん自分から他人に役割を決めてしまうのも止めましょう。
他人を縛ることは、自分自身を縛ることと同じだからです。

あなたが、自分を縛ることなく、いつもオープンに自分の存在を意識してそれを維持するなら、あなたは、あなた自身として生きることができるのです。
定義されたり、したりした存在として自分を演じる限り、あなたはいつのまにか自分を見失って操り人形同然に、ただ日々をこなすだけになってしまうのです。

あなたがどんなに熱心に演じようとも、それはあなた自身ではないのです。
「こんなに頑張っているのに、・・・」だけど、それなのに、あなたは自分が本当には自分自身だと思えない、と心の奥底では感じているのです。

勝手に社会の常識にとらわれて、役に立つ存在になろうとしないでいます。
あなたの存在そのものが、存在するだけで、それが故に、誰かの役に立っているのです。

それを忘れないでください、いつまでも。
誰かに役に立ったと喜ばれたからといって、じゃあ、もっと自分でないものになろうなどと、錯覚に陥らないように。

何も繕わず、装おうとしない、あなたの存在そのものが、いつも誰かの役にたっていることを忘れないで下さい。

あなたはあなたでいるだけで、それが故に貴重な存在なのです。何ものかにならなくてもいい、あなたのままでいてください。それで、あなたは生き返ります。

おいで!おいで、きみが誰であろうとも!
たとえ君が、自らの誓いを千回破ったとしてもおいで、何度でもやっておいで!
~ルーミー



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怖れの使い方~ルーミー

ロバk2026921280


石臼を挽くロバは
胡麻の種子から油を絞ろうとしているわけじゃない
ただ叩かれる痛みから逃げようとしているだけです
同じ理由で雄牛は人の望むところに重い荷物を運ぶのです
そして小売商人が額に汗して働くのは公共社会のためなどじゃない
怖れに動かされているだけです

怖れから逃げようとする それによって文明が進む
神は怖れを人間文明の牽引力にしたのです
怖れのために 箱舟の側にいながら
わたしたちは乗船しようとしないのです 追われるように仕事を続けるのです
嘗て大洪水に葬られた無数の人たちがいた 多くの箱舟があり 何人ものノアがいたのです
そして無事に安息地に着いた人々もいました

仲間になるなら安息地にいる人たちがいい
他の人たちは仲間のように見えてもシャーベットをなめるロバのように
結局 きみの中身を喰い尽くしてしまうから気をつけた方がいい
彼らから離れて 自分の素直さに戻るのです
きみを迎えてくれる心地よい葦の揺りかごへ戻るのです
そこは怖れるものは何もないきみの蘇生の場です
それでも怖れはきみを現実の世界に引き戻すでしょう
怖れなしに人は決して生きることができないからです
あの勇敢なイエスでさえ*ゲッセマネでためらったように

~エハン・デラヴィ スーフィーの賢者 ルーミー”その友”に出会う旅


*ゲッセマネ(wikipedia)
イエスは悲しみもだえて、ゲツセマネの園で十字架刑を受けることの苦悩を祈る。十字架での死を「杯」と呼んで、できれば回避したいと祈りながら、神の御旨を求めている。イエスは弟子たちに目を覚ましているように言う。しかし、弟子たちは悲しみのあまり眠っており、イエスから叱責された。
三度祈った後にイエスは決心して、自ら逮捕されるために進んでいった。



あなたも自分の中の怖れに気づかなければならない。
だが、あなたの怖れは、自分にも他人にも知られないように、強い信念という鎧で覆われているのだ。
手放してはならないと、強くしがみついている信念の裏にこそ、怖れが隠れている。

うまく社会に適応するためにと、様々な戦略を練ることは、怖れを覆い隠すためのものであることが多いのだ。
自分の怖れを認める勇気を持たなくてはならない。逃げようとすれば、怖れは一瞬消え去ったようにみえるが、いつまでもあなたにつきまとったままになる。
認めないで隠したままの怖れは、知らないうちに大きくなり、認めるのが一層怖くなって、見るのも嫌になってしまうだろう。

あなたが何かの怖れの兆候を感じてしまうと、突然むきになって抵抗する抗弁を始めてしまうだろう。それが、逆にあなたに隠された怖れの存在を教えてくれるのだ。怖れ続けるか、認めるか、そこが分岐点となる。


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素直に受け入れれば完結する~ごまかしやすり替えが荷物を背負い込ませる

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変容がなければ成長しない

「しまった!やってしまった。」そう思ったとき、私たちの取る態度は2通りあるでしょう。

たいていは、今の自分を何とか守ろうとします。
要するに仕方がなかったんだという理由を探し求めて、今までの自分を弁護しようとするのです。

もう一つの道は、その失敗を試練と受け止めて、今までの自分から変容するきっかけにするというやり方です。

複雑に見える人間の心理も、突き詰めて考えればこういった小さな選択の繰り返しに過ぎないのです。

さっさと負けを認めて、次々起こってくる新しい出来事を受け止めることに、エネルギーを使おうと決めれば、無駄などうどう巡りで貴重な時間を潰さなくても済むでしょう。

無駄などうどう巡りとは、こういうことです。

とげがささっちゃった!
ライナス:
 イテッ!
ライナス:
 とげがささっちゃった!
ルーシー:
 どうかしたの?
ライナス:
 指にとげがささっちゃった...
ルーシー:
 あらそう!それは何かの罰があたったのよ!
ルーシー:
 最近どんな悪いことしたの?
ライナス:
 悪いことなんて何もしてないよ!
ルーシー:
 とげがささってるんでしょ?
 それが不幸の兆候なのよ。そうでしょ?
 悪いコだったから罰せられて不幸になるのよ!
チャーリー・ブラウン:
 ちょっと待ってよ...
ルーシー:
 あんたに何がわかるのチャーリー・ブラウン?
 これは兆候よ!ハッキリとした天罰の兆候なのよ!
 ライナスはとっても悪いことをしたんだわ。
 それで彼は不幸な目にあうのよ!
ルーシー:
 私、こういうことはよく知ってるのよ!
 私は何でも...
ライナス:
 あっ、抜けた!
 とげがたった今抜けちゃったよ!
ライナス:
 かくて今日の神学の講義は終わりね。


とげが刺さったらその痛みを感じ、
とげが抜けたら素直に喜ぶとき、
そこには説明はいらないのです。
参考
いいことから始めよう―スヌーピーと仲間たちからの生きるヒント
エイブラハム・J. ツワルスキー 新潮社 / 1995-02

ルーシーは何とかこのとげが刺さったという出来事で、今の自分を権威づけたり役に立つ存在として自分を見せようとします。

しかし、「あっ、抜けた!」という一言で、もろくもその企みは崩れ去り、何も言えなくなってしまいます。

ライナスは幸い「とげ」を大事にしようとは考えていません。

ただとげが刺さったという出来事が起こり、やがてそれが抜けて事件?は何事もなかったように過ぎ去っていきます。

とげが刺さって大さわぎを続け、同情を求めたり、「悪いコだったから罰せられる」ゲームに参加することもできます。

しかしライナスはとげは抜いてしまえばそれで終わり、そんなことよりも他の楽しいことに出会うことを選んだわけです。

ルーシーは起きたことに必要以上に意味を持たせて、時間をストップし、その中に生きようとしたのです。

今自分が持っている才能を発揮するのは重要なことです。
ルーシーがとげの抜き方を教えようとしたのなら、それは有用なことであり、とげを終わりにして変容へ向かう成長の可能性があります。

しかしルーシーの言葉は、もっともらしく見えても、いまの自分にとどまり変化を受け入れない巧妙な罠になりかねません。

ルーシーの「神学講義」にどれほどの意味があるのかはわかりませんが、未来を保証する予言に生きるのは、常に現実を先取りして失敗を怖がりながら生きることに繋がります。

それは同時に依存する対象を持ち続けると言うことです。
つまり、誰かを、何かを信じてしがみつく必要があるのです。

それを外れてしまうことを怖れ、そのような気配を感じると、そんな自分は無視して否認しなければなりません。

「お先真っ暗」という言葉がありますが、先は誰にも見えないものです。

先のことを明るく見せかけようとする工作が、変容を拒否し、いまのありのままの自分すら受け入れられなくしてしまいます。

無理やり明るく見せかけなくても、暗くても明るくても、未来は未知のものだと受け入れてしまえば、新しい挑戦でしかないのです。

未来を予言したいのは、今の自分で押し通したいからであり、逆に今の自分にしがみつくことが、未来を予測可能にするしかないという悪循環に陥っているのです。

そもそも、自分の言ったことは二度と訂正できない生き方なんて、窮屈で仕方ないでしょう。

とげがささったら、とりあえず抜くことに集中して、それを終わらせてしまいましょう。





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「これを知らないと生きていけません。取り残されますよ!」という脅し

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毎日繰り返されるCM、最初はそんなもの必要ないよ!と自身を持っていっていたことが、何かの機会に自身を失ったりしたとき、そういった繰り返しの説得は、無視していると危険かもしれないという恐れを生み出すかもしれません。

「自分は必要なことは自分で考えている、情報に振り回されてなどいない。」
そう言い切れる人がどれだけいるでしょうか?
自分で考えていると言っても、考える材料はいつのまにか外に頼っているわけですから、誰が考えたことかは怪しいものです。

情報を遮断し、いままでの流れをストップして、リセットまでは行かなくても自分を振り返る時間をもっと持つべきなのです。

外から与えられた「これを知らないと生きていけません。取り残されますよ!」という脅しに乗って、恐れから行動していないかをチェックする必要があります。

毎日送られてくる情報に、じわじわと作られてしまった自分を増殖させてしまうのをストップしなければなりません。

たったいま自分が気にしていることは何でしょうか?

それはもとをたどってみても自分から出てきたものでしょうか?

それともどこかで誰かに教えられたことを信じたからでしょうか?

別に瞑想などという大げさなことを考えなくてもいいから、外の情報を遮断して(自分が取り込まないと思うだけで充分です)、過去や未来に左右されずに「いまここ」での自分を取り戻してみることです。

そこには、外から仕入れてきたお仕着せの楽しみもなければ、しつこく脅かしてくる強迫的な訴えもありません。

何が見えて来るかの保証はありませんが、自分を縛り付けるくだらない雑多なガラクタも綺麗に消してしまえるのです。

自分は最近、何の気がかりもない時間を一瞬でも持てているだろうかと振り返って見ましょう。つまり無防備でいられる自分を少しでも過ごせているでしょうか。

そうしないと、いくら仕事を忘れようと旅行に出かけても、取り戻すべき自分が何だったのかが、だんだんわからなくなってしまいます。

これで準備はすべて整ったと思って振り返れば、まわりにあるのはすべて誰かに押しつけられたものばかり。

自分が選んだものなど何もないことに、ようやく気づく。
そんなことにならないようにです。



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落し穴

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聡明さなどは見せかけにすぎない
それによって自分を地上に縛りつけようとしているにすぎない
その間にあなたの一部はふわり地上を離れ
突風にのって上空に飛翔することもあるのだから

型どおりの知識 当たりまえの常識に注意しなければいけない
それは人間本来のものじゃない 私たちの上に居座る亡霊にすぎない
そこに寄り掛かっている限り安心だという思い込みが落し穴
そこに安住してしまうのは魂に死ねというようなものです

もっと儲けようとか
もっと快適な生活をしようとか
あなたが教えられてきたことを鵜呑みにしてはいけない
いちど自分の頭で疑い 誠実に悩まなければいけない
その上で無視する勇気も持たなくてはいけない

権力者だからとか
賞賛してくれる人だからとか
見返りを求めるいじましい気持ちなどは忘れ
自分が持っているものをほんとうに貧しい人に
それを必要としている人にまるごとあげてしまいなさい

無難な生き方などやめてしまいなさい
怖いような場所でも平気で生活しなさい
悪名高くなることは名誉なのだと考えなさい
先がわからない道だからこそ その道を行くのでしょう!

ふう! 私は私を叱っているんです
すぐに用心深く生きようとする私自身をね
そんな生き方をしていたら腐ってしまうからね
私が狂ってしまうからね 私が狂ってしまうからね

~エハン・デラヴイ 「ルーミー・その友に出会う旅」






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あなたを悩ませたり妨害したりするものは、沈黙と同じくらい役立ちます。

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あなたを悩ませたり妨害したりするものは、沈黙と同じくらい役立ちます。
どうやって?
あなたの内側の抵抗を落とすことによって、
それをそのままにすることによって、
この受け入れは、内的な平和である静けさの領域にあなたを連れて行きます。
~ エックハルト・トール

 Anything that bothers or disturbs you can be as helpful as silence. How? By dropping your inner resistance, by allowing it to be as it is, this acceptance also takes you into that realm of inner peace that is stillness.
- eckhart tolle

あなたを悩ませるたり、邪魔すると感じるものは、あなたを試しているかのようです。

あなたが、それに抵抗しなければ、起きることをそのまま受け入れるなら、それはあなたを煩わせる力を失い、ただ起こっては通り過ぎていくだけです。

あなたは、それにはもともと力などなかったことにようやく気が付きます。
あなたは、「この場合悩まなくては」、「これは抵抗しなくては」、と思いこむように慣らされてきただけです。

そんなものに、力はないこと、あなたは怖がる必要などないことを、自分で身をもって経験してください。恐怖とは、逃げようとするときにだけ存在できるのです。

受け入れ、そのまま通り過ぎさせれば、あなたは平和を乱されることもなく、じっとしていられることに気づくでしょう。

真の平和には、もともと条件などないのです。
クリアしなければならない条件は、いつも何かしようとすれば立ち現れるものだ、と思い込まされてきただけなのです。

あなたは無条件で平和で静かなままいられることを、信じられなくなっていただけなのです。
ただ無条件に見送ればいいだけです。


平穏もまた同じです。あなたがそれにしがみつこうとさえしなければ、そのまま続きます。




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黄金の花の秘密

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「黄金の花の秘密」と呼ばれる中国の哲学的な著作には、「有為によって無為に至るとき、ものごとは会得される」と書かれている。何のためにでもなくただ存在しつづける社会というのは、無益な行為に対して何の規制も設けない社会だ。つまり、生き延びることを直接の目的とせず、現在なされていることに満足し、必ずしも未来の報酬を期待していない行為に対して、何の規制も設けないのである。だが、間接的に、意図せずとも、そのような行為は生き延びることに役立つようになる。なぜならそれは、生に意味を与えるからだーーーただし、そのことすら意識せずにやればの話だが。仕事にそなえるための骨休みや気晴らしとして遊ぶことは、遊びではない。そして、仕事もまた、遊びの形にならないかぎり充分りっぱにはなされないのである。

~アラン・ワッツ 「タブーの書」

あなたは何かをやろうと思って始めるが、そのうち、行為は無意識になされるようになってくる。何かのためにやっているという最初の目的は、次第に忘れられて、ただそれをやっている自分とその対象がそこにあるだけになる。

しかし、途中であなたが、「いまやっている部分は、必ずしも必要ではない、遊んでいるだけだ」というように考え出すと、あなたは「もっと効率的で、目的に沿ったものだけにしぼらなければ・・・」などと余計な「考え」に引きづられ、支配されるようになると、やっていることは、いつもの義務感に縛られた面白くもない行為に変わってしまうだろう。

「無為」でいつづけることは、このように「学習」を受け続けてきた我々には、時にとんでもなくむづかしいことに思えてしまう。
あなたは、教えられてきたから、それから逸脱することは良くないと思い込んでいるため、無意識に行為に没頭していることに気づくと、たちまち「もとに戻らなければ!」という声に支配権を奪われてしまうのだ。

だが、そんな支配を要求してくる人など、あなたが受け入れない限り存在しない。
「実際にそういう人がいるから、しかたなくやってしまうのだ!」などという反論を聞かないようにしよう。そんな事実はないのだから。

そう、誰もそんな人はいないのだ。あなたは誰にも支配されないでもやっていけるのだから。




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「私は私である」という気持ちにとどまり、他の惹きつようとするものに力が漏れないように・・・

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単に「私は私である」という気持ちにとどまり、他の惹きつようとするものに力が漏れないように注意深く見ていてください。静寂と平和は自然にあなたのもとにやって来るでしょう。
~ ムージ(letgoness経由)

Simply abide in this feeling 'I am', watch it carefully so as to not lose power leaking out into other attractions. Stillness and peace will naturally come to you.
- Mooji
(via letgoness)

私たちはそれでなくても、ずっと今まで、自分が何であるかをまわりから教えられ、押し付けられて自分を作ってきたのです。

いつの間にか、それらがもともとの自分であったと勘違いしているものも多いでしょう。

本来の「私」、それはとても具体的でもなく、言葉で説明できるようなものではないかもしれないし、あるいはそんなものが実際にあるのだろうかという気になるかもしれません。

しかし、本当に「私」と感じられるものが、予想もつかないものであったとしても、そこに踏みとどまれば、それらはあなたに唯一静寂と平和をもたらせてくれるでしょう。

借り物の自分は、どこまでいっても私自身にはならないのです。それがどんなに、私本来の姿だと言い聞かせたとしてもです。









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自分でやっているわけでなく、どういうわけかそれがおのずと起こっているような感じがあり・・・

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 この新しい自己感覚が生まれたとき、それは気分を浮き立たせると同時に、少々まごつかせもする。ちょうど、泳ぎや自転車に乗ることをはじめてつかんだときのようなものだ。自分でやっているわけでなく、どういうわけかそれがおのずと起こっているような感じがあり。それを取り逃してしまうのではないかと不安になる。実際、無理にしがみつこうとすれば失ってしまうだろう。昔ながらの感覚とじかに対比してしまうと、自分が木の葉と風の両方であることに気づくまでは、そこには風に吹かれる木の葉のような、ある種の受け身の感覚がある。あなたの皮膚の外側の世界というのは、ちょうど内側の世界であるあなたと同じものなのだ。つまり、両者は不可分のものとしてともに動くのだが、外側の世界が内側の世界よりはるかに広大なので、最初はちょっと対処のしようがないように思えてしまう。それでもあなたは間もなく、自分が、以前のように働いたり決定を下したりといった通常の活動をつづけられること、ただし、何となく妨げが減っていることに気づく。もはやあなたの身体は、エゴが生命を与えて引きずりまわすような骸ではない。大地が自分を支えている感じがあるし、丘に登ればそれが自分をもちあげてくれる感じがある。空気は自らあなたの肺を出入りし、自分が見たり聴いたりするより、光や音のほうからおのずとあなたのところにやって来る。風が吹き、水が流れるように、眼は見、耳は聞く。すべての空間があなたの心となる。時は川のようにあなたを運んでいくが、けっして現在を逸脱することはない。流れれば流れるほど、時はとどまり、もはや時と競うことも時を止めることも必要ではない。

~アラン・ワッツ「タブーの書」

あなたが力むのをやめて、努力しようとするのを諦めたとき、自然はあなたと一体になる。あなたの努力をやめた時、自然はあなたを新しい正解に連れていき、あなたと一体になるのだ。

あなたはそんな都合のいいことが起こるはずはないと思うだろう。なにしろ、あなたは自分が努力しなければ、世界から取り残されていくという恐怖の思い込みでいっぱいになっているのだから。

努力を放棄することなどとんでもないことだ、今までの自分の頑張りはなんのためだったのだ・・・、あなたが否定したくなる理由は、そこら中にあふれている。

しかし、いわゆる抵抗を諦めたことは、通常殆どの人が経験していない。
努力を放棄しろなどと、馬鹿げた意見に誰が騙されるか!あなたの今まで築いてきたものが無駄だったなどと、誰が信じるか!
こうあなたは信じたいのだ。
だって、今までの努力を放棄できるわけがないと。

だがあなたは、いままで一度もそんなことは信じられなかったし、なにかの落とし穴に決まっていると、あなたの人生の結論を確認せずにはいられない。

今まで自分がバカなことに乗せられてなどと誰が信じられるか、と思ってしまうだろう。

それが、今までも、これからも、そこから抜け出せない99%確実な信念なのだ。

だが、1%にかける時、あなたは自分を取り戻す。
あなたのまわりは、誰も信じてくれなくても、あなたはやっとそれを思い出すのだ。
何も怖くはない、そのままでいるほうがよほど怖かったことに、やっと気づくのだ。

何のために自分はこんなことに、一生懸命になっていたのか、やっと、ようやく、はじめて、あるいは再び改めて、気づくことになる。

今は悪魔の囁きに聞こえる、この呼びかけに、あえて踏み出す勇気のある人にあなたはなれるだろうか?
その時初めて、あなたのまわりの隣人が、いかに悪魔の囁きに満ちていたかに気がつくことになる。もちろん、その人達は、そのことに自分でも気づいていない、まず、ほとんど、間違いなく。その人達も、せっかくの食料を捨てるようなものなのだから。せっかくありついた収入源を捨て去ろうとする人はいないものだから。





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残念なことに、あなたがなにか新しいものを見るたびごとに、あなたは既知の情報や知識や記憶をそこに持ち込んでしまうのです

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 この知識と信念という二つのものが、私たちの生活の中で異常なほど強力な役割を果たしていることを観察することは、とても興味深いことです。膨大な知識のある人や博識家を私たちは大変尊敬しますが、それがどのような意味をもっているかあなたはお分かりでしょうか。もしあなたが、あなたの想像を投影したものではない、何か新しいものを発見したり体験したいと思うなら、精神は自由でなければなりません。精神はその新しい何かを見ることができなければなりません。しかし残念なことに、あなたがなにか新しいものを見るたびごとに、あなたは既知の情報や知識や記憶をそこに持ち込んでしまうのです。そしてその当然の結果としてあなたは、過去の古いものをではない全く新しいものを、見たり受け入れたりすることができなくなるのです。
 
  どうかこの問題をすぐ、日常のありふれた事柄に置き換えて考えないようにしてください。たとえば、もし私がどのようにして私の家へ帰るのか分からなければ、私は途方に暮れてしまうでしょう。またもし機械の操作を知らなければ、私はほとんど役に立たない人間になってしまうことでしょう。しかし今私が申し上げようとしていることと、こうした問題は全く別のことなのです。私たちはそういうことをここでお話しているのではありません。
 
  私たちはここで、安全、つまり何かになろうとする心理的な欲望の手段として使われている知識を、問題にしているのです。それでは、あなたは知識を持つことによって、何を得ることができるのでしょうか。それは、知識の権威、知識の重み、自分が重要だという意識、威厳、活力に満ちているという感情などではないでしょうか。事実、「私は知っている」とか「存在する」とか「存在しない」と言う人は、明らかに思考を停止してしまって、欲望の全体的な作用や働きを追求することを止めてしまっているのです。

~J.クリシュナムーティ 「自我の終焉」




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私は何が起こるかについて気にしないので、何も問題はありません。

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私は何が起こるかについて気にしないので、何も問題はありません。
私は失敗するか成功するかについて気にしません。
私は誰からもあるいは人生からも何も要求しないので、何も問題ありません。
あなたにこれが理解できるでしょうか?
~ジッドゥ・クリシュナムルティ

I've no problem because I don't mind what happens.
I don't mind if I fail or succeed.
I have no problem, because I don't demand anything from anybody or from life.
I wonder if you understand this.
- Jiddu Krishnamurti
(via abiding-in-peace)

あなたは、時には「そんなこと気にするのはやめた!」と叫びたくなる。
しかし、そういうときのあなたの本当の望みとは、「あなたは期待するようにものごとが起きてほしかった、しかしいまやその望みは消えかけてしまっている」と言いたいのだ。

しかし、そんななげやりな、あるいは絶望的な状況のためにだけ、「気にしない」という言葉が用意されているわけではないだろう。

あなたは本気で、「何が起ころうが気にしない」と言い切れるだろうか?
そして、そう言い切ったところで、あなたが怖がっていることなど何も起こらないことを理解できるだろうか?

さきほど、「なげやり」という言葉を用いたけれど、否定的な意味でなく、起こってくることに逆らわないでいることを受け入れられるだろうか?

もちろんそれは、人生を投げ出すことではなくて、真に人生を味わうためにそうするということである。

一般に人生を投げやりに生きるとは、目的を持ち、自分の意志で人生を切り開くことを諦めてしまっているという意味に使われる。

しかし、目的とか意志といったものが、本当に自分で見いだせたり、客観的な存在としてありうると言えるのだろうか?
それらは、ある程度のところで思索を止めて、これこそすべての前提になると決めつけたものから出来上がっているに過ぎない。

その自己欺瞞は、大多数の世間の意見が同意しているからという理由で、不本意ながら作り上げてきたものにほかならない。
何にせよ、これは自分が選んだことだと言いたいのだ。何も目的がないことなど耐えられないと思い込まされてきたのだ。

あなたは誰かに作られ、教え込まれてきたことに従わなくても、十分に真の人生を生きていけることを思い出さなくてはならない。
それができれば、問題は消え去るのだ。

あなたの恐れる習慣を断ち切って、あなた自身の手で信じ込むのをやめるだけで、それは現実に見えてくるだろう。幻想は、本当には存在しなかったのだ。




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あなたはそれを乗り越えるまえに、苦しむことに対して’YES’を言うことが必要なのです。

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自我は『私は苦しむ必要はありません』と言います、そして、その考えはあなたをますます苦しませるのです。
それは真実の歪曲です、真実は常に逆説的なのです。
真実は、あなたはそれを乗り越えるまえに、苦しむことに対して'YES'を言うことが必要なのです。
~ エックハルト・トール

The ego says, 'I shouldn't have to suffer,' and that thought makes you suffer so much more.
It is a distortion of the truth, which is always paradoxical.
The truth is that you need to say yes to suffering before you can transcend it"
- Eckhart Tolle


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期待することよりも、期待できないことを知っている方がよほど役に立ちます

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何かを期待することよりも、期待できないことを知っている方がよほど役に立ちます。
そんな中で期待していなかったことをしてもらえた時には、予想外のうれしさもあるでしょう。

期待することよりも、できない期待から相手との関係を悪化させる方がよほど問題を作り出すものです。

「私があなたに期待する」時、その背景には何があるのでしょう。

期待と一口に言っても、その背景にはこんなことが隠れているものです。

・あなたがこういう人であって欲しい(私の願望)
・あなたはこういう人であるべきだ(私の信念)
・あなたがこうでないと私は耐えられない(私の恐れ)

最初の「私の願望」でとどまっていて、「私」もそれを承知している場合には、それが大きな問題を起こすことはないでしょうが、後の項目になるほどトラブルの可能性は高まりやっかいなものになっていきます。

私の期待と他の人がそれに応えられるかということには、非常に距離があると思った方がいいのです。

それに相手はあなたの自分でも気づいていないかもしれない期待を、相手は理解していると思う方が無理があります。

「期待してはいけない」というと、希望がない話に聞こえます。

しかし、自分の思いでさえ、本当には自分でもわかっていないことが多いことを充分に認識できれば、無理な期待を相手に抱かないことはむしろあたりまえだと思うようになるでしょう。

作られた期待で相手を見ないおかげで、相手の「いまここ」でしか起こらないであろう変化を見逃さない余裕も出てきます。

それから、「私はあなたが何をしようとしているかわかっていますよ」というのは、考えて見れば非常に失礼なことではないでしょうか。

たとえ相手が子どもであろうと、「あんたはこうするに決まっているんだから」と言われたら気分はよくないでしょう。

もちろん子どもが自分で考えようとする機会や気力を奪ってしまうことにもつながります。

「私にはわかっている」というのはあなたの側の論理でしかないのです。

「実際に相手に聞いてみないとわからない」と本当に思っているときには、相手のことを自分の期待で歪めてしまうことも防げます。

ここでもう一度、自分の側に焦点を当ててみましょう。

「あなたはこうでないと私は耐えられない(私の恐れ)」

こんな恐れなどないと否定せずに(もちろん本当になければないでいいのですが)、それに取り組んでみれば、思わぬ発見があるかもしれません。

「あなたがこうしてくれないから私は苦しんでいる」という表向きの訴えの原因は、この私の側の恐れに起因している可能性が高いのです。

その場合、問題は相手ではなく自分の中にある現実はこうあるべきだという思いや、そうでないと大変なことが起こるという恐れにあるのです。

厳しくてもそれに取り組まない限り、相手が悪いという投射を続けるしかなくなってしまいます。

そして期待を通り越して、恐れにまでなっているとすれば、相手が思った通りにならないときの怒りの感情は、より強烈なものになっていくのです。

相手は自分がどうしようとこちらの決めることだと思っているのに対して、恐れにもとづいた相手への期待を持っている側は、許されない重大な裏切りだと受け取ります。

その結果、お互いに相手の考えが想像もつかない不可解なものになってしまうのです。

ですから、最初の方で「相手のことをわかっている」と思うのは、かなり無謀な行為であると言ったのはそれほど誇張した言い方でもないのです。

お互いをわかり合えていることが理想だと思ってしまうと、できない期待をしてわざわざ存在しなかったトラブルを作り出すことにもなります。

このような理想で作り上げた関係は、実は幻想でしかないわけですが、相手が期待に応えてくれない時に、幻想を壊したくない思いがある一方で、現実は受け入れられないという葛藤に苦しめられることになります。

期待しないことを前提にすれば、相手がそれに応えてくれない時の苦しさも味わいませんし、お互いが相手の期待でなく自分の本心からの行動を取ることが普通になります。

また、今回はちょっと相手に期待したいなと思ったことがあっても、力まないで相手に伝えることが出来るでしょう。

無言のうちに相手に期待するのは、相手にとっても自分にとっても重苦しい関係です。

無言でまだこの期待を満たしてくれない相手に不満をいだき、それが重なれば何も言わないうちに突然不満を爆発させるというおかしなことが起きてしまいます。

テレビドラマを見て、うちはこんな関係になれていないなどと幻想を持つとろくなことはありません。
ドラマは、いざとなれば作家さんの筆次第で、強引に理想の結末を作り上げられるわけですからね。

あらかじめ自分で思い描いた期待で相手を見ないでも平気になれば、そのときこそ本当の意味で相手に自分の期待を伝えることも出来ます。

いつも先に自分の期待で埋まっている姿勢から相手を見ているのでは、相手が期待に応えてくれてやっととんとんなのですから、生まれるのは期待はずれの失望ばかりになることも不思議ではないのです。




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現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

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「私」を通してものごとを見ている時、私たちは夢の中で生きている。

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「私」を通してものごとを見ている時、私たちは夢の中で生きている。
「私」を対象としてものごとを見ている時、私たちは目覚めている。
~ムージ

When we look with the 'I' we dream.
When we look for the 'I' we awaken.
- Mooji (via aspiritualwarrior)


私たちは、私が見て、私が考えて、私が感じて、私の意志で行動している、と信じ込んでいる。
それ以外に「私」という存在などありえないかのように。

しかし、この長年作り上げてきた「私」という存在のイメージ、あるいは人間とはそういうものだと教え込まれてきた「私」という存在のイメージ、これが本当だとどうして言い切れるのだろう。

この「私」すら作り上げられたイメージにすぎないとしたら、そのイメージを外から眺めて、私が抱え込んできたイメージに過ぎないことに気がつけば、・・・
あなたは今まで、そのイメージを自分だと思ったために、反応し、様々な感情に反射的に突き動かされていただけだとしたら、・・・

あなたは、怒る必要はなく、赤面する必要もなく、傷ついたり、悲しんだり、あるいは喜ぶことすら借り物の「私」の反応であったとしたら、・・・

それらに反応してしまわずに、あとに残るものはなにかを臆さず突き止めてみたら、あなたはあなたはあなたのカラダにも、イメージにも束縛されずにそこに相変わらず存在しているものが見えてくる。

これは、あなたが使う道具を変えて見るようなつもりで、安易に結果を求めないでほしい。あなたの考えの中に存在してきたものとは別種の何かを見つけなければならない。
思考方法を変えると言うたぐいのものではない。それはおそらく思考や言葉の枠組みには納まらない何かである。「そう、それだよ!」と誰かに教わるものでもない。

かりものによって、いかに今まで苦しめられたり、あるいは喜ばされたりしてきたか、それらをすべて疑ってみよう。かりものには、その底の浅さが見えてくるだろう。
あなたは、こんな時に怒ったり、悲しんだり、歓喜すべきだと教えこまれてこなかっただろうか?あなたは時に、ロボットのように反応させられている自分を外側から見てこなかっただろうか?


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恐れはあなた自身が主張しているのです。あなたは本当にそのアイデンティティを手放す準備ができていますか?

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奇妙に聞こえるかもしれませんが、あなたは本当に恐怖から解放されようとはしていません。自由を解放するためにあなたは多くのことを話すかもしれませんが、それはあなたがプレイしている単なるゲームです。恐れはあなた自身が主張しているのです。あなたは本当にそのアイデンティティを手放す準備ができていますか? - U.G.クリシュナムルティ



As strange as it sounds, you really don’t want to be free from fear. You might talk a lot about freeing your self, but that is just a game you play. Fear is your identity asserting itself. Are you really ready to give up that identity?
—  U. G. Krishnamurti



これはJ.クリシュナムルティ―とは別のクリシュナムルティ―の言葉です。
彼については、以下に参考記事を添えます。
シンプル道の日々 <http://simple-dou.asablo.jp/blog/>


もう一人のクリシュナムルティ―U.G.クリシュナムルティ ― 2014年11月23日 15時25分26秒
ラメッシの教えについて書いてきたついでに、本日は、マハラジ、ラメッシと並んで、もう一人、私が好きなインドの賢者(賢者という呼称は、彼にはふさわしくないが)、U.G.クリシュナムルティ(U.G.Krishnamurti 1918 - 2007)について書いてみよう。名前が似ているので、有名なほうのJ.クリシュナムルティとよく間違えられるが、まったく別人である――ただし、二人には浅からぬ縁がある。

名前だけは1970年代から知っていたU.G.クリシュナムルティの本を、私が初めて読んだのは90年代の中頃(たぶん)だ。海外の書店の店頭で本を見つけ、本のカバーの彼の顔写真を見たときの私の最初の反応は、「ワオー、超ハンサム!」というもの(笑)だった。たぶん、60代か70代の頃の写真で、その端正な顔立ちは映画俳優としても通るほどだ。

だいたいの彼の生い立ち、略歴は――南インドの、神智学系の教えを信仰する由緒ある家庭に生まれ、子供の頃から瞑想その他、厳格な宗教教育を受ける。二十代で結婚し、四人の子供の父親となり、世界各国を講演してまわり、それと平行して、独自に探求するようになり、ラマナ・マハルシを訪問したり、J.クリシュナムルティと親しく付き合うようになる。何年間かJ.クリシュナムルティのところへ通ったが、J.クリシュナムルティが、「あなたはそれを自分自身で知ることはできない」  と言ったことで、J.クリシュナムルティに疑問をもち、二人の関係は終わる。具体的には二人の間に下記のような会話があったことが記されている。

"You have no way of knowing it for yourself". Finish – that was the end of our relationship, you see – "If I have no way of knowing it, you have no way of communicating it. What the hell are we doing?
「あなたはそれを自分自身では知ることができない」。それで終わりだった―それは私たちの関係の終わりだった―「もし私が自分自身でそれを知ることができないなら、あなただって、それを伝えることはできないわけです。だったら、私たちは一体何をやっているのでしょうか?」

三十代の後半、彼は家族と仕事を捨て、ヨーロッパを放浪、ほとんどホームレスになったところで、ある女性と出会い、彼女と暮らし始める。50歳頃いわゆる覚醒体験(彼自身はその経験を「災難」と呼んでいる)があったということになっている。

晩年はスーツケース一つで、一カ所に定住せず、気ままに世界を放浪し(日本にも来たことがあるらしい)、行く先々で人々がやって来るので、仕方なく話す羽目になり、最後は2007年、イタリアで亡くなる。

以上の話は次のサイトに詳しく出ている。http://en.wikipedia.org/wiki/U._G._Krishnamurti
 
私が、ハンサムな顔立ちの次に彼の本を読み始めて驚いたことは、彼が本当にものすごくイヤそうにしゃべっていることだ――イヤイヤ仕方なくしゃべっている、その雰囲気が全面に本に出ている。彼のため息が聞こえてくるほどである。彼はしゃべりたくないのに、彼が行く先々に人々が質問をもってやって来るので、仕方なくしゃべり、誰かがそれを録音し、記録して、本が生まれたというわけだ――彼は自分の本を作って売る人たちに対して、こう言ったそうである。「教えを広めるためではなく、金儲けのために売りなさい」
 
なぜ彼はしゃべりたくないのか―その理由は、彼の言葉によれば、「私には何のメッセージも教えもないし、他人の体験や言葉を聞いてもまったく役立たないし、そもそもそれを伝えることはできない」。

それともう一つ、彼がグルという立場を嫌悪する理由は、インドの伝統的霊性とインド文化への彼の嫌悪感から来ている。その嫌悪感の激しさから想像するに、彼が子供の頃に受けた宗教教育がある種のトラウマになっているような感じだ。

私は彼の本に影響を受けたとまでは言えないが、興味深く読んたことは確かだ。霊性についてより、どちらかといえば、文化や宗教、社会、人類、人間一般に対する鋭い洞察のほうが、私にとっては面白かった。

彼のすべての本の最初には、必ず次の言葉が入っている。

「私の教え、もしあなた方がその言葉を使いたければだが、それには著作権がない。あなたは、私の許可や他の誰の許可もなく、自由にそれを再生産し、配布し、解釈し、誤解釈し、ゆがめ、歪曲し、自分が好きなことを何でもやっていいし、自分が著者だと主張したってかまわない」。

ということで、翻訳も勝手にやってよいらしく、彼の本を日本語へ翻訳しているサイトを見かけたことがあるので、ご興味ある方はネットで検索してみてください。
 
「イベント」

 *2014年11月29日(土曜日)午後「私とは本当に何かを見る会」(東京)
  http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/99_blank014.html

*2014年11月30日(日曜日)午後
「ラメッシの教えと、非二元探求で起りうる問題について考える会」(東京)
http://www.simple-dou.com/CCP042.html

[お知らせ]
「意識は語る――ラメッシ・バルセカールとの対話」 (ラメッシ・バルセカール著 ナチュラルスピリット)

2014年12月下旬発売予定。目次等は下記のサイトに掲載してあります。

http://www.simple-dou.com/CCP043.html





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人々に陰口を言われていても気にしないでください

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「人々に陰口を言われていても気にしないでください。 彼らは、自分自身の襟を正そうとする代わりに、あなたを身代わりにして誤ちを見つけているいる人々なのですから。」
~詠み人知らず

"Don't worry about what people say behind your back. They are the people who are finding faults in your life instead of fixing their own." - Unknown Author

前回のジェフ・フォスターの言葉を逆から見ればこういうことになります。

こういうときは、誰かの言葉に踊らされないで、自分自身を信頼していてください。

あなたは、誰かに評価されたり、けなされたりするためにいるわけではないのです。
そんなことを頼りに生きていれば、どうなってしまうか、あなたは十分に知っているはずです。しかし、それでもあなたは時として忘れ、動揺してしまうのです。

相手はあなたのことなど何も知らずに言っているだけかもしれません。
匿名のブログのコメントなども、まるで自分を守るために語っているような人が多いものです。
相手を否定してやり込めておかなくては、自分自身の信念がぐらついてしまうからですが、そんなことをしたくなるようなら、あなたも自分をもっと柔軟にし、本当の自分を信頼しなくてはなりません。

なぜ相手の言葉で自分がぐらついたのか、それを否定しないで素直に見直してみましょう。ぐらついたのは、その抱えている信念が本当には自分のものではなく、武装していないとと怯えてしまう自分が無理やり身につけたものだからです。

相手の皮肉にも、十分理があると思えば、あなたは喜んでそれを受け入れましょう。
それが自由にできる自分になることを目標にしましょう。




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私はあなたの中にある不完全さを打ち砕きたい。なぜなら・・・

バイバイ、またね

  私たちの中にある自分が悪と見なすすべて、浮かんでは沈んでいくことを深く許されていない体験の波すべて、自己イメージの脅威となる波すべてを、私たちは世界の向こう側にいる、いわゆる敵に投影する。敵を痛めつけ、一掃しようとするとき、私たちは密かに自分自身の中の悪を一掃しようとしている。他者の中の不純を壊滅させようとするとき、本当は自分自身の純粋さを追い求めている。他者の中の闇を粉砕しようとするとき、密かに光を追い求めている。「私はあなたの中にある不完全さを打ち砕きたい。なぜなら私は、自分の中にある不完全さを密かに打ち砕いて完全になりたいから」

ジェフ・フォスター 「THE DEEPEST ACCEPTANCE」

つまり、あなたが誰かの特性をひどく嫌っていたり、あってもいないのにその特性を見せつけられたような気になるのは、相手ではなくあなたの中にその特性がうごめいているためなのかもしれない。

あなたの内部から、その衝動が外に出ようとするが、あなたはむきになってその衝動は自分からのものではないと、自分を納得させようとしているのだ。

そんなひどいものが、自分の中にあるはずがない、そんなものを持っているのは、あのいまいましい人間だけなのだ。なんとかわからせてやらないと・・・。

あなたは、本当は自分のその衝動を認め、自分を欺いていることを表に出したいのだが、それはひどく恐ろしいいことだと感じて、打ち消して閉じ込めてしまいたい。

そのために、あなたはどんなに無駄なエネルギーを費やしているだろう。

本当は、認めて自分のものにしてしまえば、それは波となって海に消えていくだけなのに。
しかし怖いのだ。
だが本当は、認めないことが怖さを作り出しているだけなのだ。
やってしまえば、あなたはいまいましい人間を作り出す必要もなくなり、あなた自身の恐怖も消しさることができる。

あなたはもっと拡がることができる、人間関係も一つ楽になるのだ。

恨みを許し消し去ることも、同様に楽にできるようになるのだ。



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断ることが、新しい本当の出会いの機会を見つけるチャンスを生み出します

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世の中にはどうやって接すればいいのかわからない人がいるものです。
もちろん最初は、相手のことがわからず、自分の先入観や枠組みに入れてしまう癖が影響している場合もありますが、いくら頑張っても、相手は打ち解けず、むしろ自分を見せるほどあげ足をとられるような気になってきます。

たとえば敵対的な人たち、こうした人たちは相手が誰であっても攻撃的になるようです。

しかしそのような人たちが攻撃を続けるのは、相手に弱さを見つけたときであり、相手がそれに反応してくるときだということを知っておく必要があります。

相手は最初はあなたの反応にかかわらず、一方的に攻撃しようとします。
しかし誰か特定の人を狙っているのではないので、あなたが自分にそのような原因があるからだと悩むことはありません。

またその人は、誰かを攻撃することで満足を得られるわけではなく、どうにもならなくてそのような形で自分を表現するしかなかったのです。

したがってあなたの方は、相手のいいなりになる必要はありません。

攻撃相手であるあなたが自分に弱みがあることを認めて反応すると、相手の狙い通りになってしまいます。

 しかし、あなたが自分にはそのような攻撃を受けるいわれはないと思って平然としていれば、相手は攻撃目標を見失っておとなしくなります。

攻撃する人は、自分が攻撃する側の役割を演じることで相手との関わりを持とうとしていますが、相手が犠牲者の役割を受け入れないでいると手応えを失って、それ以上どうしていいのかわからなくなります。

相手が思っているとおりに反抗してくれば、そこを狙って攻撃しようと待ち構えていたのですが、それをかわされてしまえば、もはやひとりでゲームを演じることは出来なくなるわけです。

あなたが攻撃的な人の役割に反応すればするほど、相手のゲームは白熱していき、彼のエゴは増大していきます。

ひとしきり相手を攻撃し尽くして疲れ果てるか、相手が降参するまでこれが続きます。
 
しかし攻撃側にとっても、そのあとの状態というのは、またやってしまったという惨めな気持ちを感じて終わってしまうのです。

本当は自分を受け入れてほしいと思っているのですが、素直に受け入れることができず、たとえ相手を機嫌悪くさせても、反応してくれる相手がほしいのです。
これが、その人が長年に渡って身につけてきた、偽物の交流方法なのです。
ただ単に無視されるよりは、その方が自分を慰めてくれるように感じます。

嫌がられることのほうが、無視されるよりはましなのです。

どちらのためにもならないゲームには、例えその時は相手が不満そうでも、こちらは断固として関わらないのがお互いの利益になります。

たいていの人は非難され攻撃されてしまうと、何かしら自分に非があるのではという気になってしまうものですが、それが攻撃的な人が誰かれかまわず標的にしようとする理由でもあります。

言われのないことには、断固犠牲者にはならないという姿勢を崩さないことです。

そうすれば、あとでかかわらなければよかったと後悔することもなくなります。
あなたの方の、たとえ被害を受けても、無視されるよりましだという渇望に頼ることもなくなります。
本当の交流は、駆け引きではないことに気づけるようになるのです。

断ることが、新しい本当の出会いの機会を見つけるチャンスを生み出します。



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よそ者と私

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アウトソーシング(外部委託)ということが一時期はやりのように叫ばれたが、その成果は上がったのだろうか?

自分でできないことでも、外部に委託してやってもらえば、そしてそれを積み重ねたら、自分は何も出来なくても、あらゆる最強の武器を備えた人になれる。
そんな考えも生まれてきそうだし、実際もっともらしくも聞こえるが、やはり自分の中にないものは、うまく使いこなすことは出来ないように思う。

たとえば、あなたが何かの専門家だとする。そして、明らかに中身を知らないと思われる人がやってきて、言葉だけは立派にテクニカルな用語を並べ立て(私だって知っているのだよ)、「君たちは言われたことだけをやって成果さえ上げてくれればそれでいいのだ」と言われたとしたら。

短期間なら、それでもいいかもしれないが、とてもこの人のもとで仕事を続けたいという気にはならないだろう。

アウトソーシングばかりで築きあげた構築物は、しょせん根無し草をかき集めたものに過ぎず、背骨が通っていないのだ。

たとえ、自分が得意でなくても、それを自分も体験してみることは必要だ。
いい結果が出せるかどうかは問題ではない。自分も、その世界に触れてみることが意味があると思うのだ。

ひとりの人間のこころの中の世界についても、それは同じだろう。
自分が、いままであちこちで拾い集めてきた概念を、よそ者のまま、分かった気になって振り回していては、あなたはやがてちっとも自分自身を生きてはいないことに思い至ることになる。

知らないうちに、あなた本来の自分は、よそ者に侵食され、覆い隠されてしまうからだ。
成果があげられることなど、ほんの一時的なことにすぎないが、そのために入り込んだよそ者は、あなた自身の存在を見失わせてしまうかもしれないのだ。

よそ者は、つまり、まだあなた自身のものになっていないものは、あなたには使いこなせない。
それらは、あなたの世界にとって、存在していないものと同じだ。
それらを右から左に動かしたところで、あなたの外の世界でなにかが起きているのと同じなのだ。

自分を生きてこなかった年月は、むなしい。取り返せない。しかし、すべてはいまここにあるし、いつまでも変わり続けるのだ。地に足をつけて自分を生きてみたいものだ。




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考えが浮かんできたら、ただそれがどこから来たかについて突き止めてください。~パパジ

私がニャンコ先生だ

「静かになるためにプロセスは存在しません。

あなたの心を邪魔するのにはプロセスを必要としますが、
静かなままでいるためにプロセスは存在しません。
サットサン(真実を求める人々の集まり)にとどまって、静かなままでいてください
常に、あなた自身による自身に対する愛を持っていてください。
どのような試みや努力によってもそれに勝つことはありません。
単に静かなままでいてください。 考えが浮かんできたら、
ただそれがどこから来たかについて突き止めてください。」
~パパジ

"There is no process to become silent.
To disturb your mind you need process,
but to stay silent there is no process.
Stay in satsang, stay quiet,
always have love with your own Self.
You are not to win it by any attempt or effort.
Simply stay quiet. If any thought rises,
simply find out where it came from."
- Papaji


あなたがいつも関わっているのは、プロセスです。
それを解決しようとして、思考を使い別のプロセスを生み出し、いつまでもプロセスから逃れられなくなったまま、解決を探しているのでしょう。

静かに止まったままでいることなど、考えもしません。
それは放棄で、いけないことだと信じ込んでいるからです。

解決できないと、あなたは考えろ、考えろと自分を急き立てます。
まわりの人からも、そう呼びかけられていると信じ込んでいます。
そうしないでいると、あなたは逃避していることになると怖がっているのです。それは社会から見放されるのと同じような恐怖を生み出すのです。

しかし、あなたは静かなままでいることもできるし、そうしていても何も問題は起きては来ないことに気がつくでしょう。
さらには、そこにしか、抜け道はないことにも気づくでしょう。

あなたは、怠けてはいけないと、プロセスを起動しないでいられない勤勉な人なのでしょう。しかしその勤勉さは、社会から見放されてしまうという恐怖の反動です。恐れからもたらされる行動は、決してそれから逃れる道を教えてはくれません。恐れはそれがどこから来たのかを突き止め、その存在を容認し、あえてそのままでいようとするしか抜け道は無いのです。




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私はこれこそ確かだといえるものを何か知っているのだろうか?

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この1つの問いかけに答えてみてください、
「私はこれこそ確かだといえるものを何か知っているのだろうか?」
これは非常に強力です。

あなたがこの問いかけを深く考え始めるなら、実際にあなたの世界は破壊されます。自分だと思ってきた感覚を、意味すると思ってきた全体を破壊します。あなたが自分自身について知っていると思ってきたものすべて、あなたが世界について知っていると思っていたものすべて、前提としてきたもの、信念や意見、それらは、あなたが教えられたか、真実であると告られてきたものです。これらの誤った認識に気づくまで、意識は夢の状態の中の囚人で居続けるでしょう。

~アジャシャンティ(oceanandwave経由)
    

This one question,
“What do I know for certain?”
is tremendously powerful.

When you look deeply into this question, it actually destroys your world. It destroys your whole sense of self, and it’s meant to. You come to see that everything you think you know about yourself, everything you think you know about the world, is based on assumptions, beliefs and opinions ~ things you believe because you were taught or told that they were true. Until we start to see these false perceptions for what they really are, consciousness will be imprisoned within the dream state.
-Adyashanti (via oceanandwave)


あなたはテレビのドラマを見て、うん、そうだ、世界はこんなところなんだと再認識したり、そういうところだと信じていたと思います。

「これは違うんじゃないか?」と思ったことも、それもまた他で教えられてきたことに基いているのです。

一体、あなた自身が見つけたと思える真実はあるのでしょうか?
深く掘り下げるほど、それらの根拠など、どこから来たのかわからなくなってしまいます。

いや、これは絶対だと言い張りたいことがあるとしたら、あなたはそれ以上掘り下げることを途中で拒否してしまったのかもしれません。

執着したくなる考えほど、あなたを意固地にさせ、考えることを拒否させます。
利益をもたらすと考えていることは、逃してなるものかとしがみつきます。

拒絶したくなる考え、執着したくなる考えほど、あなたを縛り付け、結果的に自由を奪っているのです。

あなたを知らない世界に放り出させるような考えは、怖くて見るのも嫌になるのです。

何かにしがみつかなくなるほど、あなたは自由になり、楽になり、怖さが消え去るのを感じられるでしょう。
その怖さとは、あなたが逃げようとするほど、あなたをがんじがらめにしてきたものだったのです。

「逃げる必要はない!」、こう言い切れる時ほど、あなたが自由で、楽になるときはないのです。

怖さはしがみつきが作り出します。逃げ道を作っておこうとするときに、その余地が作られるのです。

皮肉にも、あなたは楽になりたいばかりに、逃げ道をせっせと築き上げてしまいました。
守りのための万里の長城が、あなたを動けなくしてしまったのです。あなたを囚われの身にしてしまったのです。

誰かに言われたことに対して、思わず守りの体制を作りそうになる時を、見逃さずに観察してください。あるいは、むきになって相手を罵倒する誰かの中に潜む、恐れを見つけてください。そこに、恐怖のもとが存在しているのです。

あなたが怖がらなくなる時、怖がらせる人もいなくなります。そのもとを、あなたが手放したからです。




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