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言葉にとらわれることの危険性

悩む男女


言葉は私たちを元気づけます。

そうかと思えば、ある言葉を聞いた途端に不安や怖れが襲ってきたりもします。

それくらい言葉はそれを使う私たち人間に、強力な影響を持つものです。

ですから、その扱いを誤らないということは、一般に思われている以上に大事なことです。

本題に入る前に、少し言葉とそのまわりの考え方を示しておきます。

まず、言葉というのは過去の経験から生まれたものであるということ。
言葉は道具に過ぎないこと。
言葉自体が力を持つわけではなく、言葉が自分の役に立つかどうかは、それを使う人次第であること。
経験から離れ、ひとり歩きする言葉には特に要注意であること。

私たち人間が言葉を使うようになったのは、どういういきさつからでしょうか。

たとえば、誰かがあるものを食べて、なにかこう幸せな気分になったとします。
そして「おいしい」という音を発声したのです。

それまでは、曖昧なままだったこの経験ですが、「おいしい」という音や、その口を動かす動作などと、その時の感情を結びつけることで、「おいしい」という感情表現を獲得したのです。

これ以来、おいしい食べ物を食べたとき、この経験は「おいしい」だと思い出します。そして過去の経験を再体験するのかも知れません。

「ことばにならないけれど、。。。」という、経験を表現する言葉が見つからないもどかしさを感じることがあります。
そして言葉で表現できたときの、ほっとしたようなカタルシスや満足感。

言葉で表現できることは、このような快感があるので、それだけにその言葉に頼りたくなる面があります。

しかし、言葉はあくまで過去の経験を表現することで出来上がったものです。
そして私たちが実際に生きるのは、今この瞬間だけなのです。

過去は記憶と言葉の中にだけあります。
未来は、言葉として存在するだけです。

過去の経験では有用だったけれど、今はもう当てはまらなくなった経験というものがあります。

私たちが、今この瞬間に生きていることを忘れてしまうと、過去の経験を封じ込めた言葉を握りしめて、強引に今もそれが有効であると証明しようとしてしまいます。

その結果何が起こるいかと言えば、何度も何度も同じ失敗を繰り返してしまうという経験なのです。

言葉にとらわれないで、いま目の前のことを本気で見るようにすれば、そんな同じ間違いはしなかったはずなのにです。

さて、そのことに深入りする前に、言葉が道具であり、使いようによっては強力な働きをする例を考えて見ましょう。

それは、言葉はそれが成り立つ前提の管理の下で使えば、間違いなく有効だということです。

たとえば、コンピュータのプログラム言語というものがあります。

コンピュータの命令は、突き詰めればONかOFFの世界、2進法で表される世界なのです。

しかし、1と0の数字の並びでプログラムを書けと言われても人間には出来ません。
そこで考え出されたのが、FORTRANやC言語といった高級言語です。
※高級言語の高級とは機械語よりもより人間が理解しやすい表現だという意味です。

これらの言語は、普段私たちが使う言語(実際には英単語)に近いキーワードを使ってプログラムが書けます。
そして、その特別なキーワードは厳密に管理されていますから、1つの言葉は正確に1つの事を表現し、曖昧さがありません。

ですから、たとえ私が、別の単語の方が好きだからと言って書き換えてしまえば、プログラムは全く動かなくなるか、間違った動きをして暴走してしまうかも知れません。

このように、その有用さは管理された環境の元でだけ有効という条件があって役に立つものであり、その前提がある限り非常に有効に働いてくれるのです。

言葉には、いつまでもこの制限がつきまとう事を忘れてはなりません。

ところが、私たちが普段使う言葉は、どうでしょう。

非常に曖昧な言葉が多いのです。

具体的な物の名前なら、同じ言語を話す人の間では一致し問題はないかも知れませんが、それも抽象度が増すにつれて、前提は崩れていきます。

心の状態を表すような表現は、さらに微妙です。

誰かが最初にある言葉でそれを表現します。
最初に表現した人は、自分の経験に基づいてそれを素直に表現したかも知れません。
しかし、その時点でも、すでに言葉にあてはめたことで、そのまわりに渦巻いていた多くの曖昧な情報は切り捨てられてしまうと思った方がいいでしょう。

たとえば、「自分が他人からして欲しいと思う事を、他の人にもしてあげましょう」という黄金律があります。

どなたもこれは正しいことだと感じるでしょう。

しかし、それが正しいと言えるには、やはり前提は存在しているのです。

たとえば、ある人が自分でやらずに人に頼るくせがついて、何でも人に頼もうとしている状態だとすれば、あえて私は手助けしないで自分でやるように指導した方がいいかもしれません。

人の代わりになにかをやってあげることは、言葉で言うほど正しくもなく、単純ではないのです。

このようにすべての場合に当てはまる言葉などない、と考えておいた方が無難なのです。

「努力することはいつでも正しい」
「いつでも笑顔を忘れない」
「なにごともポジティブに考えよう」

こんな当たり前のように正しいと思っている言葉も、すべての場合にあてはめようとしたとき不具合は起こりうるのです。

ましてや、これが私の信条だからと、何が起きようと信念を貫くというのは、立派に見えてもあまり現実的とは言えないことも多いものです。

厳しい表現をすれば、現状認識を拒否しているだけだからです。

信念が強すぎる人というのは、時として付き合って行くには骨が折れます。
そういう人は、自分が迷惑を掛けていることに気がつきません。

さて、話を変えて言葉を握りしめることの危険な面をもう一つ考えたいと思います。

言葉の多くの部分は論理で成り立っています。

ここに「AであればBである」という論理があります。

たとえば「人間であれば動物である」といったことです。
これは、Aが成り立つとき、Bも必ず成り立つということです。

「猫であれば動物である」「犬であれば動物である」という表現も同様になり立ちます。

しかし、これを逆にするとおかしなことになるのです。
「動物であれば人間である」「動物であれば猫である」といってしまうとダメですね。
動物だからといって、特定の動物だけを指すことは出来ません。

ところで、これが人間の心などもっと抽象的なことを表現する言葉になると、その曖昧さから容易にこのような逆転を混同してしまうことがあります。

たとえば、「笑っている人は幸せである」。
これは断定とまで行かなくても、多くの場合真実を表しています。

しかし、これを逆にすると「幸せな人は笑っているものである」とか、さらにバリエーションを加えると、「君は笑わないから幸せになれないんだ。人はいつでも笑っていないといけない。」といった極端な話にもなりかねないのです。

これは、笑い話ではなく、私たちのまわりには、そこら中に飛び交っている現実にあるロジックのすり替えや混乱です。

前提と結果のすり替えや、どんな場合にも当てはまるという拡大解釈がこのような混乱を引き起こすのです。

実は人間の心理には重大な弱点があります。

自分が普段から信じたいと思っている事は、容易に信じてしまうということです。
それが正しいと言いきるような人が現れると、待ってましたとばかり飛びついてしまいます。

そこにいくら論理の飛躍やごまかしがあっても、「あなたは私の期待に応えてくれた。だから信じましょう!」と思ってしまうのです。

ですから、先ほどのような論理の飛躍があっても、それが自分が信じたい内容であれば、驚くほど容易に信じてしまいます。

たとえば「これを知ればあなたは幸せになれます」「これを実行すれば、あなたは成功間違いなしです」という言葉に抵抗できなくなるのです。

もし自分がいま現状に満足していない、不満だらけの状態にいたらなおさらですね。
そのためにも、言葉にたやすく反応してしまう自分を原点に引き戻すことを忘れないことです。

そして、特定の言葉をお守り代わりにしないことです。
気持ちはわかりますが、いつまでもお守りではいられないし、その弊害も大きいと言うことを思い出しましょう。

さて、長くなったので、話をもどして、現実にどう対処すればいいのかを考えたいと思います。

まず「言葉は過去のもの」ということを忘れないことです。

それがどんな偉い人の言葉でも、いまここでの自分の現実に100%当てはまるわけではないということ。

そして、過去にどれだけそれが役に立ったとしても、今度も役立つとは限らないということを忘れないことです。

いま目の前の現実は、初めて起こっている経験だと思って対処することが、それを防ぎます。

そして、いつも新鮮に現実を見られるようになるのです。
毎日起こることがつまらないのは、言葉の世界に生きているからです。

確かに、過去においてうまくいったルールは魅力的で、不安を押さえてくれるかも知れませんが、出来るかぎり今起きていることを、真っさらな目で見ることが、今を生きるということだと思います。

実際、今起きていることに、本来なら自分は不満など感じていないのかもしれません。
しかし過去の言葉をもて遊んでいるから、今ありもしない余計な不満を持ってしまうということもあるのです。

それから特定の言葉を抱え込んだり、ひとり歩きさせないことです。

手垢にまみれるほど親しんで来た言葉ほど、自分を創ってきた収穫であり、いとおしい物かも知れません。

しかし、それでもその言葉が最初に実際の現実に触れていたときのことを思い出し、言葉を抱えるようになった前の状態に戻ることは必要です。

なぜその言葉を自分のものにしたくなったのか、常にそこに立ち戻ってみることです。
そして、現状に合わなくなったら、その言葉を手放してみる勇気が必要です。

言葉というのは、非常に強力です。
時として、言葉を批判されたことで、人を恨み攻撃してしまうのです。

その時、その言葉は、自分自身の自我の一部になっていて、言葉を批判されたことが自分の人格を否定されたことに思えてしまうのです。

別の言い方をすれば、言葉自体が現実だと同一化しているのです。
しかし言葉は地図であり、現地ではないのです。

特定の言葉で自分を失ってしまうようなら、まだまだ言葉にとらわれているのです。

それだけ、本来の自分から、たった一言で一瞬で飛んでいってしまう爆弾を抱えているということです。
言葉にとらわれて暴走した結果は、後悔しか残りません。

思考に生きるとき、起きてくるのは、安全なようでいて、またこれかといううんざりする同じ繰り返しです。
それを打ち破るためにも、言葉にとらわれている自分に気づくことです。

効率がいいからと、この言葉で生き続けることが、やがて行きづまりと新鮮さを感じない空しさに繋がっていくのです。

言葉はたかが道具です。しかし時にそれは「人の生き死に」にさえ力を持つ侮れない存在なのです。
いつでも手放して、言葉以前の状態に戻ること、それが言葉にとらわれないということです。


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言葉は私たちを元気づけます。そうかと思えば、ある言葉を聞いた途端に不安や怖れが襲ってきたりもします。それくらい言葉はそれを使う私たち人間に、強力な影響を持つもの

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