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恐れからの自由Ⅱ

私たちの心理的な恐れは、ほとんどが社会的な存在としての自分を守ろうとするところから来ているようです。

世間的な体面を守るため、そのために成果を上げることで自分の価値を証明しようと必死になります。

あるいは、特定の人に対して自分への好意をなくさないかと心配で、そのためには自分自身であることも、簡単に犠牲にするかもしれません。

それとも、自分のアイデンティティを何かの思想や宗教やグルに委ねようとするかもしれません。
いざというときには、逃げ帰る場所を確保して、その安全をバックに生きていれば大丈夫と思うのでしょう。

しかしそれが何であろうと、依存する対象であることには変わりありません。
特定の人への依存を断ち切れても、かわりに依存する何かを確保しただけかもしれません。

そして、依存がある限り、恐怖はつきまといます。
恐れは、いまの幸せな状態が壊れることを思った瞬間に、よみがえってくるからです。

そういうものだからと、受け入れるのが最初のステップにはなるでしょう。
そして、その段階にとどまることが満足であれば、それを否定する権利は誰にもありません。

緊張と弛緩のように、幸せと恐怖はセットになるものです。
空腹を感じなければ、満腹感を味わう楽しみもありません。
片方だけ望まなければ、大きく間違うことはないでしょう。

しかし、少なくとも社会に振り回されて、その恐怖から自分自身であることを放棄してしまうこと。
これが、余りにもバカバカしいと感じるなら、そのあたりのバランスを見直してみることは、社会的な生き物である人間ならではの問いかけではないでしょうか。

社会的な地位や、財産や、仕事の成果や、他の人との望ましい関係を維持することなどによって、いまの自分の存在価値を量ろうとすることが、私たちの現状だと思います。

しかしどんな価値観を持とうと、目の前の成果に気をそらしていようと、やはり誰かにひとこと、あなたは大事な人だと言ってもらうことが、私たちの幸せや安心感を大きく左右します。

誰も何も言葉をかけてくれないこと、自分のことなど誰も気にかけていないと感じることが、何よりも怖いわけです。

ですから、そのことを突き詰めれば、「あなたはそのままで大丈夫です。いまのあなたのままで無条件に大切な存在なんですよ」と言ってもらうことを望んでいるのです。

どんなあなたに付属する評価よりも、あなたの存在自体を肯定してくれる言葉を望んでいるのです。

では、その究極の言葉を自分自身に向けては言えないものでしょうか?

それができれば、本当の意味でそれがふに落ちれば、あなたは今のように他者からの評価を求めて奔走しなくても良くなるかもしれません。

あるいは誰かに対して、無条件に先程の言葉を言ってあげられる存在にもなれるでしょう。

他の人に言ってあげることは容易でも、自分に対する疑いがあるうちは、本当には伝わらないかもしれないからです。

遊ぶ女の子たち


しかし、それは依存する対象を抱えたままではできません。
何かあったら、逃げ込める安全地帯を確保したままでは、無条件の信頼は得られないでしょう。
どこまで行っても、表面的で言葉で唱えているだけに終わってしまうでしょう。

本当に無条件に自分を受け入れられるものかどうか、それに挑戦して見るには、あらゆる逃げ道を捨て去る決心とエネルギーが必要です。

ですが、それはやってみる価値のあることです。
きっとそれは究極の求めるものであるはずだからです。

そして無条件ということは、つまり恐れを生み出す原因についても、何もそこにはなくなるということです。
それこそが本当に意味での恐怖からの自由になるでしょう。

いろんな柵(しがらみ)を身に付けて大人になる前の、何も知らない赤ん坊が、何も教えられなくても生きようとする力とは何なのでしょうか。

そういうものがなければ、まわりの大人は、親は、教師や医師はなにもしてやることはできません。

もしそういうものがあるなら、社会や思考に一切とらわれない状態での、無条件の自己肯定があるはずだと思えないでしょうか。

結局は、無条件に自分にイエスを言えることを、あなたは望んでいるのではないですか。

抽象的な話をしてきましたが、今この場で、もう少し具体的なことを考えましょう。

たった今、あなたがどんな状況にあろうと、どれだけ差し迫ったことがあろうと、今はこれをしてみたいと何かを宣言して、全てを放り出してそれに取り組めるでしょうか。

そして、それができたとき、あなたは自分のエネルギーを感じないでしょうか。
何も怖いものなどないと思えるほどのパワーを感じないでしょうか。

あなたの思考は、すぐにそれができない理由を、山のように持ち出してきます。
それをやってはいけないと言い出す人たちの顔が、どんどん目の前に現れてきます。

それでも、そのかすかな根拠の自分の望みを、自分は今選択すると宣言できるでしょうか。

その小さな宣言が、あなたの無条件の肯定に向けての第一歩になるかもしれません。

無条件とは、どんな理屈も必要ありません、どんなに不合理でも、どんなに他人の受けが悪くても関係ありません。

ただ「わたし」が望むというそれだけが拠り所です。

どんなに安全に見える誘いも断って、自分の望みにかけてみる気はあるでしょうか。

かつてどこかで、誰かがゴーサインを出してくれないかと願ったことはないでしょうか。そうすれば自分は踏み出せるのにと。
それをいま自分でやってみるということです。


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