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親しい関係ほど気をつけたい思い込み

「家族だからわかり合えるはず」という言葉を口にしたりしますが、そこにどれほどの根拠があるのかは疑わしいところです。

「家族」とか「夫婦」とかという言葉で関係を名付けたところで、お互いに何かが変わるわけではないのですが、そこでは言葉によって期待感がつくられるという違いがあります。

しかし期待したことと実際の間には、残念ながらギャップがあるものです。

期待とはそうあって欲しいという願いですが、現実はそれとは別に独立して存在するのです。

自分に関してでさえ期待は実際と違いがあるのですから、他の人への期待を現実だと思うのはかなり無理があると思った方がいいでしょう。

つまり「相手のことをわかっている」と思うのは、かなり無謀な行為であるということです。

そこには、しっかりした根拠があるわけでなく、家族だからわかるはずという期待によって作られた幻想があるわけです。

いや、うちの家族はそんなことはない、以心伝心で何でも伝わると言われるかも知れませんが、それは相手の期待を学習して一方が相手に合わせていることがほとんどだと思った方がいいでしょう。

こういう言い方をすると身も蓋もない思われるかもしれません。

しかし、期待ばかりしているうちに、いつか現実とのギャップに直面させられて呆然となり、あげくの果てに相手を騙していたと罵ることになるよりは、現実をありのままに知る方が健全で長続きする関係が築けるはずです。

何かを期待することよりも、期待できないことを知っている方がよほど役に立ちます。
そんな中で期待していなかったことをしてもらえた時には、予想外のうれしさもあるでしょう。

期待することよりも、できない期待から相手との関係を悪化させる方がよほど問題を作り出すものです。

「私があなたに期待する」時、その背景には何があるのでしょう。

期待と一口に言っても、その背景にはこんなことが隠れているものです。

・あなたがこういう人であって欲しい(私の願望)
・あなたはこういう人であるべきだ(私の信念)
・あなたがこうでないと私は耐えられない(私の恐れ)


最初の「私の願望」でとどまっていて、「私」もそれを承知している場合には、それが大きな問題を起こすことはないでしょうが、後の項目になるほどトラブルの可能性は高まりやっかいなものになっていきます。

私の期待と他の人がそれに応えられるかということには、非常に距離があると思った方がいいのです。

それに相手はあなたの自分でも気づいていないかもしれない期待を、相手は理解していると思う方が無理があります。

仏陀イメージ


ところで、お釈迦様とその弟子の間での逸話「拈華微笑(ねんげみしょう)」というのをご存じでしょうか。

ある日、お釈迦様は弟子達と山の上に集まっていました。

お釈迦様は法を説いていたとき、弟子達に向かって金色の花をかざし、それをひねって見せます。

お釈迦様は何も言わずただそうしただけで、その後も無言のままです。

弟子達は顔を見合わせ、何を教えられているのだろうと考え込みます。

そんな中で、弟子のひとりの摩訶迦葉(まかかしょう)だけがその意味を悟りました。

そして、彼は黙ってお釈迦様を見てほほえみました。

お釈迦様は、摩訶迦葉、おまえだけはわかったようだなと思って、彼に黙ってほほえみ返しました。

※「拈華」は花をひねるという意味です。

何がふたりの間で伝わったのかは難しいはなしですが、修行中の弟子達にとっても、無言で相手の思いを読み取ることは難しいのです。

お釈迦様も当然、みんながわかることは期待していなかったでしょう。
そんな中で、ひとりでもそれが伝わったのがうれしかったはずです。

このように、以心伝心など言葉を使うのは簡単ですが、実際に相手に伝わるということは至難の業です。

日常生活で、手軽にこのようなウルトラCができると思うことの方が無理があるのです。

「期待してはいけない」というと、希望がない話に聞こえます。

しかし、自分の思いでさえ、本当には自分でもわかっていないことが多いことを充分に認識できれば、無理な期待を相手に抱かないことはむしろあたりまえだと思うようになるでしょう。

作られた期待で相手を見ないおかげで、相手の「いまここ」でしか起こらないであろう変化を見逃さない余裕も出てきます。

それから、「私はあなたが何をしようとしているかわかっていますよ」というのは、考えて見れば非常に失礼なことではないでしょうか。

たとえ相手が子どもであろうと、「あんたはこうするに決まっているんだから」と言われたら気分はよくないでしょう。

もちろん子どもが自分で考えようとする機会や気力を奪ってしまうことにもつながります。

「私にはわかっている」というのはあなたの側の論理でしかないのです。

「実際に相手に聞いてみないとわからない」と本当に思っているときには、相手のことを自分の期待で歪めてしまうことも防げます。

不機嫌・怒る


ここでもう一度、自分の側に焦点を当ててみましょう。

「あなたはこうでないと私は耐えられない(私の恐れ)」

こんな恐れなどないと否定せずに(もちろん本当になければないでいいのですが)、それに取り組んでみれば、思わぬ発見があるかもしれません。

「あなたがこうしてくれないから私は苦しんでいる」という表向きの訴えの原因は、この私の側の恐れに起因している可能性が高いのです。

その場合、問題は相手ではなく自分の中にある現実はこうあるべきだという思いや、そうでないと大変なことが起こるという恐れにあるのです。

厳しくてもそれに取り組まない限り、相手が悪いという投射を続けるしかなくなってしまいます。

そして期待を通り越して、恐れにまでなっているとすれば、相手が思った通りにならないときの怒りの感情は、より強烈なものになっていくのです。

相手は自分がどうしようとこちらの決めることだと思っているのに対して、恐れにもとづいた相手への期待を持っている側は、許されない重大な裏切りだと受け取ります。

その結果、お互いに相手の考えが想像もつかない不可解なものになってしまうのです。

ですから、最初の方で「相手のことをわかっている」と思うのは、かなり無謀な行為であると言ったのはそれほど誇張した言い方でもないのです。

お互いをわかり合えていることが理想だと思ってしまうと、できない期待をしてわざわざ存在しなかったトラブルを作り出すことにもなります。

このような理想で作り上げた関係は、実は幻想でしかないわけですが、相手が期待に応えてくれない時に、幻想を壊したくない思いがある一方で、現実は受け入れられないという葛藤に苦しめられることになります。

期待しないことを前提にすれば、相手がそれに応えてくれない時の苦しさも味わいませんし、お互いが相手の期待でなく自分の本心からの行動を取ることが普通になります。

また、今回はちょっと相手に期待したいなと思ったことがあっても、力まないで相手に伝えることが出来るでしょう。

無言のうちに相手に期待するのは、相手にとっても自分にとっても重苦しい関係です。

無言でまだこの期待を満たしてくれない相手に不満をいだき、それが重なれば何も言わないうちに突然不満を爆発させるというおかしなことが起きてしまいます。

テレビドラマを見て、うちはこんな関係になれていないなどと幻想を持つとろくなことはありません。
ドラマは、いざとなれば作家さんの筆次第で、強引に理想の結末を作り上げられるわけですからね。

あらかじめ自分で思い描いた期待で相手を見ないでも平気になれば、そのときこそ本当の意味で相手に自分の期待を伝えることも出来ます。

いつも先に自分の期待で埋まっている姿勢から相手を見ているのでは、相手が期待に応えてくれてやっととんとんなのですから、生まれるのは期待はずれの失望ばかりになることも不思議ではないのです。


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何かを期待することよりも、期待できないことを知っている方が
よほど役に立ちます


分かるような気がいたします

期待とは、不安と裏腹の関係かもしれません


ありがとうございます
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