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間違っていると認めることの恐れ

私たちは、間違ってることは認めて自分を向上させようというスローガンは持っていますが、実際には間違っていると認めることの恐れから逃れられずにいるようです。

実際のところ、ふと気づくと間違ったことを言ったのではないかと、しきりに気にして自分を発見するでしょう。
間違ったことをいって、まわりにばかにされたり信頼を失うことへの恐れから、ちょっとした間違いでもできれば隠してしまおうとします。
あるいは、それは自分の考えじゃないよと後でいいわけできるように、曖昧な言い方で防御をはかったりしてしまうのです。

要するに、間違いを認めて訂正してみせるという能力を発揮できる状態にないといってもいいでしょう。
しかし、これは自分を変えることを難しくしている一番の原因かもしれません。

失敗を認めたりしたら、能力がないと思われて仕事の評価にも関わってくると恐れているかも知れませんが、それで自分の失敗を隠したりするのは、かなり検討違いのことをやっていることになります。

まずひとつは、自分が親だとしてこどもが失敗して嘘をいって隠そうとしている場面を思い浮かべてください。
親から見れば、こどもが嘘をついてることなどすぐにわかります。
そんなとき、親であるあなたがこどもを評価するとしたら、どんなときでしょうか。

嘘をつく子ども

それは、「上手な嘘をつけたね!」ということではないですよね(笑)。
むしろ、正直に本当のことを認めて、謝るべきことは謝ると言う態度がとれたときに評価するのではないですか。

これは大人になったからといってなかなか改まることではありません。

たとえば、部下に重要な失敗を隠されることほど、上司の困ることはないでしょう。
そのまま被害が大きくなってから調べてみたら、部下がある時点で失敗を知られたくなくて、揉み消そうとしたのが原因だったとわかる。
こういうことが上司にしてみれば、いちばん困るわけです。

だからと言うわけではないですが、自分の間違いを正直に認めて訂正できる能力を示す人は、なかなかいないだけに、かえって評価される場合が多いでしょう。
上司にしたって、自分も失敗を隠したこともあるでしょうから、正直な行動がとれる部下をみて信頼できる人間だと評価するに違いありません。

もちろんこのことは、日常的な場面でも言えることですが、そうとわかっても失敗を認めたくないという心理には根深いものがあります。

さて、話を次に進めると、このような失敗を認めないことが、わたしたちがいつまでたっても成長できず、おびえながら生きていくはめになる原因なのです。

まず、失敗を認めて訂正できれば、同じ失敗を繰り返すことがなくなります。
いつまでたっても、同じ失敗を繰り返す人は、いまだに自分が正しいと言い張っている人なのです。

次に、失敗を隠す行為は、その嘘をばれないようにしなければならないという問題を抱えています。
小さな嘘でも、ひとつ認めようとしなかったために、つぎつぎと破綻がないようにごまかしを続けなければならなくなります。

エイプリルフール


正直に、素直に反応したいと思っても、隠しているものがあると、ついうっかりぼろを出してしまわないかと気になるので、ぎこちない反応を続けることになってしまうのです。

こんな小さな、秘密の積み重ねは、間違いを訂正する自分を磨くよりも、表面的に「自分は正しいことをこんなにやってるよ!」とアピールする方が楽だということを発見して、そちらの努力で罪悪感をまぎらわそうとしてしまうのです。

ですから、自己啓発と称して、自分が痛みをあまり感じないようなことを探し求めて努力しているふりをし、実はひとつ間違いを認める方がよほど自分を解放してくれることに気づかなくなってしまいます。

今日も自己改造に向けていいことをした、といって自分を慰めますが、それではちっとも自分のおびえは消え去らないのです。

やるべきことは、いままでのやり方が間違っていたと認めて、痛みは伴いますがいい加減自分の嘘から自己を解放することなのです。

いくら自分を大きく見せても、自分がそんな人間ではないことは、自分がよく知っていますから、自分自身を騙すことはできません。

そして、特になにかできるわけではなくても、正直さを見せられる人に出会うと、なにかほっとした感じになれると共に、相手を尊敬したくなるでしょう。
そのような人には、自分も救ってくれるような力を感じてしまいます。

このことが理解できたら、自分を大きく見せたり、正しい人間だと証明するような無駄な努力はやめて、自分の失敗を認めてそれをこれ以上繰り返さない人間になりたいと思うようになります。

そして、そのようなやり方が自分のおびえを消し去り、こころから安心できる自分を取り戻す働きを促進してくれます。

それでも、反射的に自分をよく見せようとする反応が顔をだすこともあるでしょうが、安心をもたらすか、不安を感じるかという自分のセンサーを働かせて、どちらに向かうかを決めていけば、本心から自分のやっていることは間違いのない道を進んでいるのだと確信できるようになってくるでしょう。

理解するだけで、外側の状況はなにも変わらなくても世界は違って見えてきます。
自分の嘘がひとつ消えれば、自分を騙そうとする人がいるようにみえることも、ひとつ減ります。
実際に、自分のまわりからそのような人がいなくなってくるのを感じるでしょう。

逆に見れば、自分のまわりの人間が信じられなくなっている自分に気がついたら、自分がいまどういうことをやっているかを振り返ってみればいいのです。
なにかを隠したり、証明したがっている自分がそこに見えませんか?


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なぜか

なぜだかわかりませんが、うちの嫁とけんかするとき、嫁の言い分があからさまに矛盾している(うそっぽい)ものなんですね。そこで矛盾しているところを突っつくと、また新たな矛盾した嘘っぽいものを出してくる。これを何回か繰り返すと、ようやく本心を見せるんですが、これ本人が意識してやっているとは思えないんですよ。

他にも子供の教育面で、叱る時、理不尽な叱り方をするので、私が止めに入るのですが、後でちゃんと話を聞くと納得の行く意思がわかるんです。

私は嘘をつくことが苦手なタイプなのでよくわかりませんが、こういう本人が意識せずに嘘をついてしまうタイプもあるんですかね?

Re: なぜか

> なぜだかわかりませんが、うちの嫁とけんかするとき、嫁の言い分があからさまに矛盾している(うそっぽい)ものなんですね。そこで矛盾しているところを突っつくと、また新たな矛盾した嘘っぽいものを出してくる。これを何回か繰り返すと、ようやく本心を見せるんですが、これ本人が意識してやっているとは思えないんですよ。
>
> 他にも子供の教育面で、叱る時、理不尽な叱り方をするので、私が止めに入るのですが、後でちゃんと話を聞くと納得の行く意思がわかるんです。
>
> 私は嘘をつくことが苦手なタイプなのでよくわかりませんが、こういう本人が意識せずに嘘をついてしまうタイプもあるんですかね?

意識しているのと無意識とは、言葉にすると別物になりますが、実際それほど明確に分けられるものではないでしょう。習慣になってしまったことは、ほとんど無意識に屋っていつというのはよくあることですね。
例えばパソコンの操作でも、いちいち今キーを押しているとかマウスを操作しているなどと意識しません。
嘘をつくのも、ほとんど無意識に、いつもの馴染みのある話し方に流れてしまうと言った方が近い場合もあるでしょう。

話は変わりますが、今回書かれている内容を見ると、「嘘をついているかどうか」と言う観点からアプローチしても本質は見えないような気がします。
まず、ピコットの宿主さんが奥さんの言い方に嘘があると感じた時点で、交流の仕方にある流れが出来上がってしまいます。
「嘘を言っている」この言葉に反応して、相手の話し方に問題を感じ始めます。
「最後にやっぱり嘘だったじゃないか」と言いたがっている自分がいるかも知れません。
このような構えのようなものをとっさに持ってしまうと、表面的な話の内容とは別に、裏側の交流というものが発生してしまうのです。
話の内容がどういう結論になったかどうかとは別に、「またうそをついている」自分が嘘を軽く扱わない人であればなおさら、「嘘は良くない」という思い出相手を見てしまいます。
「これを何回か繰り返すと、ようやく本心を見せる」といういつものパターンが見られるのなら、交流分析で言うゲームの交流が行われている可能性が高いでしょう。

これはどちらがいい悪いの問題ではなく、人は誰しも自分の演じやすい役割を持っていて、その立場から交流を行いやすいと言うことです。
問題は、裏で行われた交流が最後にお互いに悪影響を与えてしまうようなことが起こりがちであるという点ですね。
表面的には、言葉の上では合意に達した。しかし、「なぜか」スッキリしないと感じるのは、このようなことが絡んでいるのかもしれないのです。

ホワイトライ

愛から生ずる嘘もありそうですね


ありがとうございます

Paoさん

こんにちは(^^)

「私は間違っていないわよ」という態度よりも
「間違っちゃった、ごめんなさい」という態度の方が、愛嬌があって、
可愛いですよね^^
間違ったことによって、正しい事を知るのも大切かな~、と思います。

特に、子供を育てていて思うことは、間違ったということを、
安心して告白できる相手でもありたいという事ですね~。

Re: ホワイトライ

> 愛から生ずる嘘もありそうですね
>
>
> ありがとうございます
>
> Paoさん

「愛から生ずる嘘」
なかなか難しい概念ですね

Re: こんにちは(^^)

> 「私は間違っていないわよ」という態度よりも
> 「間違っちゃった、ごめんなさい」という態度の方が、愛嬌があって、
> 可愛いですよね^^
> 間違ったことによって、正しい事を知るのも大切かな~、と思います。
>
> 特に、子供を育てていて思うことは、間違ったということを、
> 安心して告白できる相手でもありたいという事ですね~。

「安心して告白できる相手」であることは非常に大事ですね。
というよりも、子どもがそうなれるかどうかの、
ほとんどがそこにかかっているような気がします。

画像のおにぎりを前にした子どもは告白するんでしょうか(笑)。
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