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激しい感情に対処するには

怒りなどの激しい感情というのは、突然発生して自分の手に負えないと思うときがあります。
しかし、感情というものの本質を見極めていけば、いつまでも訳のわからない怪物のように怖がることも少なくなっていくでしょう。

感情についての誤解というか、大雑把すぎる考え方として、「感情は発散すれば消えてなくなるから、どんどん出していけばいい。」というものがあります。

この考え方は、時には正しく見えたりもしますが、全然当てはまらないように思えるときもあります。
それは、自然な感情と、自分で繰り返し作り出している感情を区別しないで、一緒に考えてしまうために起こる誤解ではないかと思われます。

例えば、誰かに怒りを感じたとします。
自然な発生の感情だけであれば、ひとしきり怒りの感情を表出してしまえばおさまってくるものです。

しかし、それがいつまでも続くのは、おさまりそうになると、またその怒りの原因や、相手のことを思い出して怒りを再び発生させるようなことを繰り返しているわけです。
たとえば「これだけでは怒りがおさまらない」というような言葉を漏らしているときは、そのようなことをやっているのではないでしょうか。

ですから、このような怒りの扱い方をしているならば、感情は発散させてしまえば消えてしまうという見解は成り立たなくなるのです。

一方、おさまってくれば、これで感情を終わりにしようと思えるようなときには、中途半端に押さえずに表現してしまえば完結してしまうということも成り立つわけです。

たとえば、幼い子供が危険な真似をしたら、思いっきりしかることがあるでしょう。そうしないと、子供は自分で危険を理解できないからです。
そのような場合には、たとえ激しい感情でしかりつけたとしても、役目が終わればもうこれくらいでいいだろう、終わりにしようと考えることが自然にできるでしょう。

叱られる1


このように、感情は自然におさまることを邪魔しなければ、やがて消えていくのが自然なように思えます。

海の波もいくら大きくても、打ち寄ることで消えてしまいます。
その1回分のエネルギーが消費されたからです。
そして、波は実体あったり、あとに形が残るようなものではありません。
海の水の一時的な形態にすぎないわけですし、どの水とどの水が波を作っていたと決められるようなものではないわけです。
瞬間瞬間で、変化する実体のないものが波と名付けられたものの本質なのです。

感情というのも、この波と同じように考えられます。
別に怒りの感情の素になる実体があるわけではなく、そのときの状況や自分の思考、情緒などがいろいろ絡まって、作り出された一時的な「空性」なのです。

そして、自分でその感情を繰り返して呼び起こすようなことをしなければ、エネルギーを放出して収まる波と同じように静かになるのが本来の姿だと言えます。

しかし、そうはいっても一気に襲ってくる感情の波は、巨大で強力で自分のコントロールなどしばらく効きそうにないと思うときもあります。

そのような経験をするために、感情とは制御などできないものと諦めている人や、感情に影響されるのも人間らしくていいじゃないかと考える人もいるでしょう。

ですが、激しい感情が、他者を傷つけたり、不満で自分に正常な判断を出来なくしてしまうことも多いわけで、やはりこの場合も単純に「感情」という言葉で一括りにしてしまうのは、荒っぽすぎる判断でしょう。

波


まず感情とは、先程のたとえのように波のようなものであって、一時的な症状であり、それが人を傷つけてしまうのは、その時の思考を深刻な苦悩にいたるまで維持し続けるためであると考えます。

また、一時的には制御できないまま怒りなどの状態に入ってしまうにしても、このような感情の本質を知っていくにつれて、いつまでも感情に流される必要もないことが分かってきます。

感情を否定も肯定もせずに、その感情が発生する前の段階の自分を取り戻せるなら、瞬間的には無理でも感情をこれ以上は必要ないというところで静かにしてしまうこともできるようになってくるでしょう。

波は、そのエネルギーを消費してしまえば収まります。
感情も、自然に発生したエネルギーを消費してしまえば、そこで終わるはずのものであって、それがいつまでも続くのは、その後の自分の思考(つまりエゴの働き)が原因であると考えられるでしょう。

それから、感情は無理やり抑えつけてしまっても、エネルギーが逃げないまま心の奥にとどまってしまうでしょう。
上で述べた意味での感情を制御するとは、抑えつけるのではなく、むしろ自然な発生と終了を妨げずに完了させるということです。
無理やり感情を抑えつけたのでは、例えば怒りを押さえてしまうことで、他の喜びや楽しい感情までも抑えつけてしまうといったことが起こります。
なぜならこのやり方は、どんな感情にしろ鈍感になることで、表現されてしまうのを抑えようとするからです。
つまり、どんな感情も不完全にしか表現しなくなるという、感情の鈍麻を起こしてしまうのです。

もし、あなたの親が怒鳴り散らす人だったとしたら、あなたもまた、そのような感情表現を自分の中に取り込んでいる可能性が高いわけです。
自分は、親と違ってそんなことはしないと思っていても、気がつくとそのような状態になっている自分に気づくことになります。
その場合は、それを否定しようという悪あがきはやめて、自分にはそのような感情の出し方があることを認めてしまうことです。

その起源がなんであれ、その感情表現はもはや自分の一部です。
それを否定するのは、自分自身を否定することにつながります。

認めるのを拒むのではなく、素直に認めて、その上で自分で制御しようと考えればいいのです。
それが始まった瞬間は、自分で気づけなかったり、しばらくは自分のコントロールできない時間があるかもしれません。
しかし、それでも自分の感情をありのままに観察し、苦悩を産み出してしまうようなエゴの思考に結びつけてしまわないように気をつけていけば、徐々に激しい感情であっても自分でコントロールすることができるようになってきます。
そのような感情の本質についての理解を深めて、自分で感情に責任を持とうと決意すれば、それは少しずつでも訓練次第でどんどん自分でコントロール可能なものになってくるでしょう。

そして、発生から消滅までが自然な流れで完結するよう、余計な思考をそこに入りこませないようにすることです。
また嫌な感情を繰り返し呼び起こすような思考習慣がないかどうか、ふだんから注意しておくことです。
嫌な感情を繰り返すのは、エゴの言い分に自分が従ってしまうからです。

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こんにちは(^^)

無理やり怒りの感情をおさえると、喜びや嬉しさの感情もおさえつけてしまうんですね~。
そんな鈍感な人にはなりたくないかも…。
怒りを素直にみとめて、その上で制御ですか。
むずかしそうですが、心がけます。
他人に対して頭にくることは、ほとんどありませんが、子供に対してイラっとくること、ありますね~…^^

Re: こんにちは(^^)

> 無理やり怒りの感情をおさえると、喜びや嬉しさの感情もおさえつけてしまうんですね~。
> そんな鈍感な人にはなりたくないかも…。
> 怒りを素直にみとめて、その上で制御ですか。
> むずかしそうですが、心がけます。
> 他人に対して頭にくることは、ほとんどありませんが、子供に対してイラっとくること、ありますね~…^^

子どもはおもいっきり叱ったとしても、その後のフォローを忘れなければ大丈夫だと思いますね。

また、まるっきり叱られないで育った子どもは、規制されることを経験していないので、
社会に出てから戸惑ってしまい、仮面で自分を隠してしまうことにもなりかねません。
適度な規制を家庭でも経験しておくことは必要ですね。

そのためにも、自分がどれだけ感情的になっていたかを、後からでもいいから認識出来るように
しておくことは必要でしょうね。
すぐにカーとなるような人でも、それを自分で分かっている人なら付き合いようがありますが、
自分が怒ってなんかいないと否定するような人は、ちょっとどう付き合っていいものかわからなくなります。




感情を観る

感情を制御するとは、抑えつけるのではなく、むしろ
自然な発生と終了を妨げずに完了させる

そうですね。抑えつけるとなかなかうまくいきませんよね
出てくる感情を、後ろに回って観てあげるといいような気がします
ラグビーのモールのように(嬉笑)

ありがとうございます

Re: 感情を観る

> 感情を制御するとは、抑えつけるのではなく、むしろ
> 自然な発生と終了を妨げずに完了させる
>
> そうですね。抑えつけるとなかなかうまくいきませんよね
> 出てくる感情を、後ろに回って観てあげるといいような気がします
> ラグビーのモールのように(嬉笑)
>
> ありがとうございます

ラグビーのモールというのはよく知らないのですが、感情というのは、
そのピークの状態では自分が感情そのものになっているといった状態ですが、
それはそんなに長く続くものではないでしょう。

ふと離れて見られる自分に気づいたとき、それを完結する方向に持っていくか、
ふたたび燃え上がらせるのかを決めているのは、思考そのものであることに気づいてくるでしょう。


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