« ホーム »

自分を取り戻すために(2)

まわりの出来事や他人の行動にとらわれない自分、それを取り戻すためには、自己完結することがどうしても必要です。

自己完結とは、つまり他のものに左右されずに、 自分の主体的な選択だけで決定できるということです。



前回はこのように、自己完結ということを書きましたが、ではなぜ自己完結しないといけないのかということを、そうでないとどうなるのかという面からみてみましょう。

自己完結できないと何が起こるでしょうか。

まず対人関係で言えば、まわりの人が何と思うだろうかが気になります。

他の人があなたの考えを受け入れるかどうかが、あなたの幸福を左右してしまうのです。
せっかく自分ではうまくいっていると思っていても、誰かの一言でその平和な世界はもろくも崩れてしまいます。

あるいは、直接的な被害はなくても、「なぜもっと自分のことに関心を持ってくれないのだろう」と思い始めると、世界はあなたの期待通りに動かないと不満を感じ始めるのです。

また、自分に直接影響はなくても、「あの人のやり方は良くない」と「私」が思うとき、あの人は変わらなければならないのであり、あなたが何とかしなければいけない存在になってしまいます。
その人がそのままであるのが許せない、そう言って自分の力だけではコントロール出来ないことを、自分が変えたいという無理なことを始めてしまいます。

泣いている女の子


次に、まわりの出来事や運・不運という言葉を考えてみましょう。

私たちは、「まわりの世界は、自分の希望とは関係なく起きてくるものだ」ということを半分は信じていますが、残りの半分では「自分の期待が事態を変えていくはずだ」というようにも、どこかで信じているのです。

それが証拠に、私たちはまわりで起きてくることを、なんとなく人格を持った存在のように扱っています。

「これだけ不運が続いたのだから、これからはいいことが起きてくれなくては困る。」
「こんなにいいことばかり続いていると、なにか不吉なことが起きるのではないかと心配になる。」
「こんなに頑張ったのに、その仕打ちはないだろう!」

運・不運という言葉自体が、起きてくることをどこか人格化して扱っている感じを受けます。
心情的にはわかりますが、いくら嘆いてもそれが効果をもたらすとは思えません。
ほどほどにして、起きてくることを受け入れる方向に切り替える必要があるのです。

また、「自分の信念が現実を変えてくれる」と信じる考え方が根強くあります。
この考え方は、まわりに左右されずに生きようとするという点では、望ましい面も持っています。

自分で出来ることを実行した上で、結果を期待するのですから自分への信頼感も育てられるでしょう。
しかし、批判的な言い方をするなら、その根底にあるのは「自分の希望どおりにものごとが起きるべきである」という子どもっぽい期待なのです。
残念ながら、期待しようがしまいが、起こることは起きていきます。

あまりにも信念にこだわって生きていこうとするのは、運命に対するストーカー行為のようなものです。
「信じるものは救われる」というのは、「期待すればかなう」ということとは全く異なるものです。
前者は仏教的な意味合いで、起きてくることを受け入れる姿勢があるのに対して、後者は現実の方が自分の希望に従うべきだという考えにつながっていくのです。
東洋的な受容する姿勢と、西洋的な自然を従わせ征服するという発想の違いのようなものです。

平等とは、自分の期待に左右されない見方です。
まわりの出来事に対しても、最後は平等に見ていくしかありません。
「期待」に「現実」が従うべきだと思ってはなりません。

夢見る女性


期待したとおりにものごとが進まないのを「不運」だとか「悲劇」だと言ってしまうと、とんでもなく悪いことが起きているように思えますが、安心してください。

それは単に、あなたの「期待」と「現実」の間にギャップがあるということに過ぎないのですから。
平等に考えるなら、「期待」と「現実」はもともと、一致することもあれば、しないこともあるのです。

一致しない場合は、「現実」が変わらないのなら、「期待」の方を変えるだけのことです。
とんでもない不幸のように思う必要などないのです。
いままでの、「その期待をいだいていた自分」が、自分のすべてだと勘違いしてしまったから、自分のすべてへの脅威のように感じるだけなのです。
現実を受け入れて、そこから何が出来るか考えなおしてみようと考える自分も、もともと存在しているですから、それを思い出してみることです。

最後に前回のように、具体的なフレーズをいくつか取り上げてみましょう。

・将来の準備はこれで充分だろうか?
それよりも、そんなふうに思い悩むことは必要なの?

・なぜあの人はあんな行動をとるのだろう?
人の行動を気にしている自分の正体を知りましょう。
実はあの人の問題ではなくて、自分の問題なんだとして捉えてみましょう。

・なぜいつも犠牲になるのは私なんだ!
犠牲になったと思っている「私」とは誰?
「私」の期待通りでなかったから、私が犠牲者だと感じているだけではないですか。
それとも、自分から「犠牲者」になろうする傾向があったりしませんか?

・これで正しいのだろうか?
正しさを気にする自分の根底にあるのは恐れです。
本当はなにを怖がっているのか、自分と話しあってみましょう。
別にあなたの正しさを証明して見せなくても、そのままで人は受け入れてくれますよ。

・あの人のように自分も他人から認められたい
本当に「人の評価が自分の幸せを左右する」世界で生きたいと思っているのですか?
それは「他人が認めてくれない時には、自分は苦しむべきだ」と自分で言い聞かせているようなものです。
自分でやるべきことはやっていると実感していれば、他の人の評価などそれほど気にならなくなるものです。




気に入っていただけたらワンクリック ⇒  人気ブログランキングへ


[関連記事]
問題は100%かかわることで消滅する
神を信じよ。だがラクダをつなぐのを忘れるな。









関連記事

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







コメントの投稿

非公開コメント

自分の中で

“自分の主体的な選択だけで決定できる”

素敵な向き合い方ですね

すべて自分の選択で、起きていること
なのでしょうね
つきつめれば、宇宙≒自分なのでしょうね

ありがとうございます

No title

はじめてコメントいたします。

自分でやるべきことをやっていると実感すること
自分軸をもっていくことなんですね。
評価が気になること・・・・確かにあります。

大きな気付きです!
ありがとうございます。

どうぞ素晴らしい一年をお迎えくださいませ

Re: 鹿嶋あや さま

> はじめてコメントいたします。
>
> 自分でやるべきことをやっていると実感すること
> 自分軸をもっていくことなんですね。
> 評価が気になること・・・・確かにあります。
>
> 大きな気付きです!
> ありがとうございます。
>
> どうぞ素晴らしい一年をお迎えくださいませ

自分を喜ばせてくれるのも、他人ですが、引きづられてしまえば
ほとんどの悩みの原因を生み出すもとにもなります。

おっしゃるように、できるだけ自分の軸を、
ぶれないように保つ必要がありますね。

Re: 自分の中で

> “自分の主体的な選択だけで決定できる”
>
> 素敵な向き合い方ですね
>
> すべて自分の選択で、起きていること
> なのでしょうね
> つきつめれば、宇宙≒自分なのでしょうね
>
> ありがとうございます

他の人の影響で動かされるとき、人はその他人本来の役割を
果たせなくなってしまうように思います。

人の目を気にするようになったことで、かえって他の人へ与えられる自分らしさが
発揮できなくなるという、皮肉な結果になってしまうのではないでしょうか.

人生の波を知ること

認められるときもあれば、認められないときもある。
波のように寄せては返す・・・。

でも、波が高いときと低いときを少しでも知ることができれば、
もっと客観的に自分を見れますよね。
辛いときは、あぁ辛い時期なんだし・・・って(苦笑)。

東洋史観で見れるんですけど、せっかくだからとっつきやすいのを・・・。
http://www.birthday-energy.co.jp/

運命2011という本が出てますので、オススメです。

しかし、東洋の思想は知れば知るほど奥深い。
私たちはこんなすごい世界で生きているんですね。
sidetitle最新記事sidetitle
《最近7日間の人気順位》
~ランキング全体をみる~
~ランキング全体をみる~

sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle全記事表示リンクsidetitle
過去の記事はこちらから↓

全ての記事を表示する

sidetitleブログ紹介sidetitle
☆~新刊⌒☆
☆ちゃん見るシリーズ☆


好評発売中


アルファポリス
第2回エッセイ・ブログ大賞
特別賞『タオに生きる』 pao
WebコンテンツPickUP!タオに生きる
【 エッセイ・日記・blog > blog 】
老子の教えに学ぶ
老子のいう「タオに生きる」ということはどういうことなのか。さまざまなアプローチから、自らの考えや学んだこと、思ったことが綴られています。心をやすめ、身体をやすめ、穏やかで落ち着いた生活をしたい……そう願う人たちにとって、ヒントに溢れたブログです。


ez-HTML





PRR
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカレンダーsidetitle
02 | 2017/03 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
sidetitleにほんブログ村sidetitle
sidetitleスポンサード リンクsidetitle
sidetitleアクセス情報sidetitle
sidetitleジャンル・ランキングsidetitle
[ジャンルランキング]
心と身体
43位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
スピリチュアル
14位
アクセスランキングを見る>>

sidetitle検索フォームsidetitle


もう一つの「タオに生きる」カテゴリー別
Screen Shot_30p ※徐々に更新しています
タオに生きる(人間関係)
タオに生きる(アドバイタ関連)
タオに生きる(YouTube#1)
タオに生きる(YouTube#2)


[上位タグ20]
感情、莊子、思考、怒り、罪悪感、老子、いまここ、人間関係、バイロン・ケイティ、交流分析、タオ、エックハルト・トール、ありのまま、許す、YouTube、老荘思想のコラム連載、不安、過去、無為、OSHO

sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleアクセスランキングsidetitle
訪問いただいているサイト
(週間 木曜日リセット)
※こちらでタイトルを入れさせてもらっていますが、出したくないとか変更したいという方はご連絡下さい。

sidetitleカテゴリsidetitle
カテゴリーを追加し整理しました。 バイロン・ケイティ、エックハルト・トール、ガンガジ、ムージ、OSHO
sidetitleQRコードsidetitle
QRコード
FX