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どちらも正しい

ここに、どちらが正しいかといがみ合っているふたりに聞かれた賢人が、どのように答えたかという話があります。
もしかすると、似たような話を、どこかで聞かれたことがあるかもしれません。
こんな話です。

ふたりの男が表で何かについて言い争っています。

賢人は家の中でその言い争いを聞いていたのですが、そのうちふたりのうちのひとりが怒って立ち去ってしまったようです。

残ったひとりは、怒りが治まらない様子でしたが、やがて賢人の家に気づいて訪ねてきます。

賢人に「今の争いを聞かれましたね、どちらが正しかったか教えて下さい」と言います。
「わたしは、きちんとあの男に理由を説明して見せたのです。
どう考えても、私の考えには間違いはありませんが、あの男はわかろうともせずに、自分の非を認めないのです。」

けんか夫婦1


この「私の考えには間違いはありません」、「わかろうともせずに、自分の非を認めないのです」という部分が、口論が起きたときに必ず出てくる典型的な言い回しですね。
この言い方が登場すると解決は難しく成るのですが、それはともかく、話を続けましょう。

賢人は、男に「それはあなたが正しい」と言い切ります。
男は、理解されたことに喜んで帰って行きました。

しばらくすると、今度は先に帰ってしまった方の男がやってきて、同じことを賢人に尋ねます。
自分の立場がいかに理にかなっているか、相手がいかに理解がないかを訴えるのです。

それを聞いた賢人は、こちらも同じように「それはあなたが正しい」と言い切ります。
男は、理解されたことに喜んで帰って行きました。

さて、一体どういうことなのでしょうか?

「どちらも正しいなどということはない」と思われるでしょうか。
たしかに、これが裁判の場であったら、大岡裁きでもなければどちらも正しいでは済まないのかもしれません。
ですから「どちらも正しいなどということはない」と言う考えもまた、正しいのです。

しかし、「正しさ」というのは、どういう観点から見るかで変わってしまうものです。
ふたりの男の、それぞれの立場から見れば、それぞれが正しいのです。

そもそも違う立場から主張し合うから争いになるのであって、どちらが正しいかを判断した所で、お互いの考えが変わることは望めないのが、こういった口論の典型的な結末だと言えるでしょう。

そこでは、どんなに理論的に正しさを主張し合った所で、お互いが自分の主張を収めると言うことはほとんど望めないのです。

それは、私たちが一度「私の正しさ」を言い出すと、それはもはや客観的な正しさだけではなくなり、私の自我を守らなければならないものに変化してしまうからです。

ですから、両者とも相手の主張を冷静に聞ける自分を持っていたとしても、そのような正しさよりも自分の立場を守ることの方が優先事項になってしまいます。

問題は事実関係を離れて、お互いの自我を守るための争いに変化してしまうため、どれだけ客観的な論争をしたとしても、どちらが勝ってもしこりが残ってしまうのです。

このような人間性を理解するなら、「話せばわかる」ということが成立する状況かどうかを判断して、ダメだとわかったらすぐに争いを中止するのが賢明だと言うことになりますね。

では賢人は、なぜどちらに対しても、「それはあなたが正しい」と言い切ったのでしょうか。
それは、先程述べたように、お互いの立場に立てばどちらも完全に正しいからです。

それぞれの相手が話すことを偏見を持たずに聞いてみれば、どちらも彼の立場に立てば正しいことを言っているものです。
そして、自分の正しさを守りたいという欲求は、自分の身体を傷つけないように守ろうとするのと同じように必要なことでもあるのです。

つまり、このような口論は、やるだけムダであると言う結論になるわけです。
このような状況になってしまえば、正しさの証明は何の解決にも導かないのです。

賢者はこの事をふまえた上で、どちらが正しいかと聞かれたから、あなたが正しいと答えたのです。
それは、事実をねじ曲げたわけでもないし、自分の考える正しさを抑圧したわけでもありません。

口論は何も解決に導かないことを理解して、それぞれの立場の正しさを一歩離れた位置から見ることが出来たからこそ、両者の間違いを指摘するような無駄なことをやめて、「あなたは間違ってはいないよ」と答えるわけです。

その口論から離れて、お互いが頭を冷やせば、そこで始めて本当の解決の可能性も見えて来るでしょう。
だから、さっさと矛を収めてしまうのが第一なのです。

喧嘩する親子


自分の意見を冷静に主張できることと、口論の場で自我の主張を収めないこととは、意味が全然違います。
ところが、発端は冷静な意見交換であっても、どこで後者の自我のぶつかり合いになるかは、なかなか予測出来ませんし、厳密に言えば区別するのは難しいものでしょう。

口論になってしまった後で、自分の方から意見を引っ込めるのはなかなか難しいものです。
自分の方が正しいと思い続けながら、自分が引くことは人間性から言ってほとんど不可能に近いのです。

しかし、口論しているときの自分がどんな状態になってしまうかを離れて見られるように訓練してみれば、必要なのは「私の正しさ」ではなくて、事態を好転させることにあると割り切ることも出来る様になってきます。

またそれが出来る様になれば、ものごとには多様な見方が存在することを認めるのも容易になってきます。
自分でも、そのいろいろな観点に自分をおいてみることが出来る様になるからです。

そういった意味では、素直であることや、ありのままであることは、決して単純なだけでは出来ないものだと言うことになるかも知れませんね。
多様な観点に自分をおいてみるためには、天性の率直さだけではなく、経験を積むことも必要でしょう。

「正しさ」や「信念」などという言葉にとらわれていては、このような多様さを受け取る余裕が持てません。
「ふところの深さ」を持つには、邪魔なもので場所をふさいでいてはダメだと言うことですね。

「徳」という言葉にはなにか説教じみたものを感じがちですが、そうではなく人間性の理解だという観点から見てみるなら、抵抗なく何をすればいいのかも見えて来るものではないでしょうか。

誰しもいったん「私の正しさ」を主張し出すと、事実はどこかに置き忘れられてしまうもの、その前にそこから離れて自分を見ることが出来るかどうかがポイントですね。


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どちらも正しい

“ものごとには多様な見方が存在する”

まさに、なのでしょうね。物事には多種多様の、無限の
側面があるのでしょうね

どちらも正しい、どれも正しい、矛盾も正しい
のでしょうね

人それぞれ、それが腑に落ちるタイミングがあるような
気がします

ありがとうございます

Re: どちらも正しい

> “ものごとには多様な見方が存在する”
>
> まさに、なのでしょうね。物事には多種多様の、無限の
> 側面があるのでしょうね
>
> どちらも正しい、どれも正しい、矛盾も正しい
> のでしょうね
>
> 人それぞれ、それが腑に落ちるタイミングがあるような
> 気がします
>
> ありがとうございます

口論した後の虚しさを十分知っていながら、刺激を求めてしまう人間性というもの
を理解する必要がありそうですね。
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