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目的がないと人は動かない?/衝動を見直す

何かの目標を達成するには、その目標に向けて自分の行動を集中させることが効果的です。
目標に向けて自分のエネルギーを集中させれば、行き当たりばったりに行動するよりも効果的であるのは当然でしょう。
そして、私たちは目標に到達すれば、自分の望みはかなえられるだろうと信じているのです。

しかしこのような効率を第一に組み立てた行動計画は、その多くは見落とされたままになっているさまざまな弊害をもたらしているように思います。

私たちをふだん行動に駆り立てる日常的な要求は、そのほとんどが目的にかなったことを対象とするものです。
意識しやすい目的にかなったものだけが前面に押し出され、そこに時折登場する欲求や衝動は、適当に治まってくれとでもいうように軽く扱われてしまいます。
こうして、私たちはいつも目的にかなった行動のみを行っているように錯覚するのです。

自分らしさや個性を大事にしようとスローガンを掲げても、目的という強力な支配者の元では、妥協して既製品の個性を採用し納得しているしかありません。
個性的であろうと言いながら、実際には外部の情報を求め、雑誌やマスコミやネットの情報に踊らされている実体が何よりもそれを物語っているでしょう。

ところで、目的が前面に打ち出されているとき、私たちが決まって反射的に感じるのは、「急げ」「早くしろ」という命令です。
目的とそのための計画が登場すれば、必然的にいつまでに仕上げるかという期限が設けられます。
期限こそは、私たちに「急げ」と命令する張本人ではないでしょうか。

そして「急げ」という命令は、何事も急いで達成した方が人よりも先んじられるという筋書きと結びついていきます。
自由に考えて生きようと思っても、何をやるにも急いでやろうという意識が入り込んできますから、それになじまない考えや行動は気がつかないうちに見捨てられていくのです。
たとえば、急いで瞑想しようとか、インスタント禅とか、言葉自体に矛盾を抱えていませんか。

要するに目的を持って自分をそれに向けて駆り立てる結果、世界を限定して狭めてしまうのです。
私たちを構成している、目的を持たない衝動といったものは、そこからは抜け落ちてしまうのです。

急いで出勤


目的にかなった効率的な機械のような人間を作り出すには、計算できない欲求はうまくコントロールして手なずけようとすることになります。

ところで、衝動的な行動をコントロールする方法の一つとして、「HALTを避けよう」と言うことが言われます。
「HALT」というのは、Hunger(空腹)、Anger(怒り)、Loneliness(寂しさ)、Tiredness(疲れ)の頭文字をとったものです。
そしてHALTを避けるとは、ここに上げたような欲求、衝動に注意して、それが強くなっている状態に気づいたら、早めにそれらを緩和しておこうと考えます。
そうすれば、HALTの欲求があるときよりも、衝動的な行為に走ってしまうのを防止しやすくなるというものです。
この考え方は、衝動買いだとか飲酒要求などの依存的な行為に対して、それの予防効果があるということで取り上げられる方法の一つです。

たとえば、何かを衝動的に欲しくなって、高い買い物なのに早く決めてしまいたいと思ったとき、「今おなかがすいてないだろうか?」と問いかけてみるのです。
そしてもしそうなら、まずは腹ごしらえをしてから、もう一度考え直してみる。
そうすると空腹なままの時よりも、一時の衝動から後悔するような行動をとってしまうのをより防止しやすくなるというのです。

空腹時の食べたいと欲求が、直接関係のない買い物の欲求にも影響を与える可能性があるということでしょう。
あるいは、寂しさから気を紛らわすために、これを買うことで何とか緩和できるのではないかと考えるかもしれません。
誰かと喧嘩して、その怒りを静めるための衝動買いというのも聞いたことがあるでしょう。

言われてみれば、効果がありそうですし、こういった知識も適切に使用すれば有用なものだと思います。

過食症


しかし、その一方で安易に衝動を手なずけるやり方は、目的に従って効率的に行動できる人間を作り出す側の考え方であるということも知っておく必要があります。

「空腹」を感じるときというのは、身体が食物を要求してもおかしくないような、なにも食べていない時間を経過した状態であれば純粋な欲求であると言えます。
しかし、それ以外にも他の欲求が満たされないことの代償で空腹を感じ、何かを食べることで満たされない欲求を誤魔化そうとしていることもあるわけです。いわゆるやけ食い、やけ酒といったものですね。

「寂しさ」を感じるといっても、実際にまわりに誰もいないのか、それとも人の中にいながら自分の存在を認めてもらえないと感じているのか、いろいろな状況が考えられます。

「怒り」は具体的な対象のある怒りなのか、正体のつかめない怒りなのか、「疲れ」は実際に活動しすぎた結果の疲れなのか、心理的な疲れなのか、やりたいことがやれないための疲れなのか、などなど、衝動、欲求といっても一つの言葉で表現しきれるものではありません。

そしてその衝動をとりあえず治めてしまおうとして、安易に欲求を満たすことは、その時は治まったように見えても根っこは相変わらず残り続けるということも考えられます。
欲求を軽く扱って、はっきりした目的にかなった行動だけを行う自分がすべてであると思い込んでいると、いつかそのしっぺ返しをくらうことになるのです。

効率的で目的にかなった行動ばかりに入り込んでしまうと、たしかに目の前には達成された結果が並んでくるでしょう。しかしその一方で、目の前の成果にもかかわらず、何か満たされていない気持ちがちっとも解消されないということも起こってしまうのです。

ここで間違えないようにしたいのは、まだ充分満たされない感じがあるからといって、それを何とかするためにさらに自分を目的にそった効率的な人間に鍛え上げようとしてしまうことです。
その方向の努力は、いくらやってもむなしい結果に終わるでしょう。

確かに目に見える形で成果が現れる合目的的な行動は取り組みやすいのですが、本当の欲求が満たされていないのであれば、それらの行動で努力した気になろうとしても、やればやるほどむなしい気持ちが増してくるのです。
そしてこんなに努力しているのに何で報われないんだろう、何がいけないんだろうと嘆きたくなるのです。

探す1


いつも外の世界に合わせていては、自分の居場所がどこにあるのか見失ってしまいます。
そのとき感じるのが「退屈」という感覚です。
何をやっても外に合わせるのが基準になっているから、自分の楽しみは何もないのです。

人まねをせずに自分でやってみることです。
みんなと同じことをしようと、ただそれだけのためにいかに無理をしているかを振り返って見れば、退屈しても仕方のないことをやっている自分が見えて来るでしょう。

誰ともうまく合わせて、好かれていたいと思う時、あなたは退屈の原因を作り出します。
そして、そのような行動を見ている他人は、この人も自分と同じ退屈な人だなと感じるのです。

「退屈で死にそう」という表現がありますが、実際いつも退屈を感じている人の方が死亡率が高いと言う話もあるようです。
ですが、それ以前に「退屈」というのは自分自身を殺しているから満足しない自分がいるわけです。
すでに死んでいるわけですから、それを生き返らせるには、何でもかんでも人に合わせようとしないで、自分で考えたり、自分の感じ方こそが重要であると思ってそこに価値を見いだすことです。

目標志向が自分を退屈にしている原因だとわかったら、時にはそれをぶちこわすような馬鹿なことをやってみることです。創造的で生き生きとした自分を取り戻すためには、人の評価を無視して馬鹿なことに飛び込んでみる必要があります。

馬鹿なことをやるのを恐れる理由が、人に何を言われるかわからないという恐れから来ているのであれば、馬鹿でないことをやっていても人は充分にあなたの悪口を言っているものだと認識し直した方がいいでしょう。
むしろ、自分でも馬鹿なことをするのを怖がっている人は、表面ではなんと言ってようと、馬鹿をやらかす人をひそかに尊敬しあこがれているものです。

外の世界との関係性は適度なときに断ち切れるようにしておくことです。
いつもいつもつながっていたのでは、自分の世界は無くなってしまいます。
目的など忘れて自分だけの世界に入り込む時間を持つことです。
馬鹿な衝動を顧みようとしない外の世界を離れて、自分の世界でそれをじっくり吟味してみれば、きっと隠されたあなた自身が見つかるでしょう。
心配しなくても自分からいくら断ち切ろうとしていても、外の世界は否応なくあなたの世界に割り込んできます。

それでも負けずに、自分の世界は崩されないように守っていきましょう。
毎日一定の時間は自分だけのために取っておきましょう。
その時間には、何も目的も計画も持ち込まないこと。
そんな反目的的行動が、あなたを退屈や空しさから救い出してくれるはずです。
そしてくれぐれも、「そんな時間を持つことの目的」などと考えださないように注意しましょう。


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