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努力とあるがまま

努力するというのは、欲求を抑える方向に向かうことです。
しかし努力さえすれば欲求はコントロールできるのだと信じようとしますが、実際にはそれはうまくいかないことが多くないでしょうか。

欲求を自分で抑えられると信じられるようになるには、少なくとも1度はその欲求を満たすという経験を積んでいなければならないでしょう。
欲求というのは、充分にそれを満たすことができれば、しばらくその欲求は治まってしまうものです。
そして欲求が満たされるとどういう状態なるのかを経験して、自分で知っている状態になれるわけです。

その欲求を充分に満たした経験がない状態では、いくらそれをコントロールしようと思っても手がかりがありません。
まずは欲求を満たすとどういう状態になれるのかを経験し、身体でその状態を知っておかないといけないわけです。

ですから、経験がないままいくら努力しているつもりになっても、それを自分で制御することは難しいのです。

ところが、私たちは言葉で自分の努力目標を立てて自分をコントロールしようとします。
そこでは言葉が先行して決めてしまうために、自分で充分経験したことのないことまで、同じように制御できると思い込んでしまうのです。
充分な満足を経験したことがないまま、努力だけでその状態に到達しようというのは、知らない土地を地図なしで彷徨うようなものです。

過食1


例えば、過食してしまうので、何とか食べるのを抑えてダイエットしようと考えたとします。

しかし多くの場合、過食してしまう人の食べ方は、一気に流し込むように食べてしまったり、あるいは何か他の事をしながら寂しいからといって惰性で口に運んでいたり、食事そのものに充実感を感じていないことが多いのです。

このような食べ方では、その時々で充分に食事を取ったという充実感を味わってはいないでしょう。
ですから、いくら食べても食事に対する満足感がないため、量的には沢山食べていても欲求の方は不満足なままで残ってしまうということが起きてしまうのです。

このような状態で、ダイエットだと言って無理矢理食べる量を減らそうとしても、欲求を満足させられない状態をさらにひどくすることになってしまうわけですから、どうしても長くは続かないということになってしまうのです。

むしろ充分に味わって食べることや、いまものを食べているという意識をしっかり持ってそれを実感するような食事を取るようにしてみれば、だらだらと食べたいという欲求が残ってしまうことがなくなるでしょう。
そうすれば、必要以上に食べてしまうことがなくなるので、結果として身体の要求しているのに見合った食事で治まるように自然になってきます。

食事習慣


このことは、心理的な欲求に関しても同じようなことが考えられます。
自分で経験したこともない自分を思い描いても、一足飛びでそんな自分に変われるわけではありません。
少なくとも、そこに至までの過程で、途中の段階の変化した自分を経験してこそ、次の段階の自分を思い描くことが出来るのです。

さて、これらのことを踏まえて、タイトルである「努力」と「あるがまま」について考えて見たいと思います。

あるがままの自分でいられたら素晴らしいだろうと考えたとします。
方法があるのなら、努力してみようと考えます。

しかし先程も書いたように、努力することは欲求を抑えようとする方向に動くことです。
「あるがまま」とはこういうことだと思い描いてそれに合わせようと努力するのは、自然な欲求を無理に制御してしまうことになるわけです。

それは言葉の意味からしても、ちっともあるがままではありません。
むしろ正反対の「考えるまま」であろうとしていることなのです。

ところが「あるがまま」であるときには、欲求を妨げないで自然な調和を取り戻す方向に向かっているはずだといえます。
言葉や思考で妨げないで、その時の欲求に自分が一体化するとでも言うのでしょうか。

しかしそのような状態は、すぐに中断されます。
たとえば今自分のやっていることを意識した途端に、「これでいいのだろうか」とか「もっとあるべき方向がないだろうか」といった思考が介在してくるためです。

我を忘れてしまうことは、いつも「私」がコントロールしているつもりの自我にとっては、存在を脅かされる不安を感じるわけです。
自分が制御していない空白を作らないために、すぐに自我の思考が入り込んでくるため、「ありのまま」の状態は分断された空白にしか存在できないことになってしまうのです。

何も考えないで、「いまここ」にのめり込んで一体化していられるのは、最初はわずかな時間に過ぎないかもしれません。

しかし、たしかにそのような状態が存在することを知っておけば、先程の食事の場合と同じように充分に対象と一体化した状態を作ることが容易になってきます。

一方で準備された行動ばかりで機械的に動き回ることを避けると共に、もう一方で対象と一体になれる時間を増やしてみようと試みてみるのです。

瞑想する顔


そうすると努力を意識していないときに、ふっとそのような状態に入り込めるようになります。
準備された行動で次から次へと目標を渡り歩かないとき、いつものようにすでに知っている、どこかうんざりした世界に帰り着くのを防げるかもしれません。
私とあなたの境界も忘れて存在するとき、全く新しい経験が得られるかもしれません。

私たちは変わりたいと口で入っても、実際には知っている昨日までの決着に行き着かないと不安になるのです。
そのために、予測出来る道から外れてしまわないように、常にそれを見張っている思考が登場します。

たとえ気づかないうちに思考に邪魔されない経験をして、素晴らしいと感じても、それが見知らぬ経験だからと言う理由で、なかなか本当に自分に起きたことだと信じられないのです。
しかし見知らぬ経験だからこそ、過去から切り離された純粋な経験であったことを物語っています。

あるいは、その経験を再現するにはどうすればいいか方法を探ろうとしますが、その知ろうとする行為自体が再びその経験を手垢にまみれた知っている経験にすり替えてしまうのです。
再現方法を考える事自体、過去の手順を繰り返そうとすることだからです。

思考が作り出す作り出された繰り返しは、多くの場合解決しないままの問題パターンを繰り返すことになります。
その裏側には恐れが潜んでいて、それから逃れるためには問題を解決しないのがわかっていながらも、知っているやり方を繰り返そうとするのです。

「あるがまま」の状態にあるときには、この思考のパターンからは切り離されています。
またそれは、その時その場で、完結するはたらきだと言えます。
昨日と同じ問題を残したままになることはなく、新たな問題を作り出すこともありません。

思考が作り出すパターンはいつまでも完結できないで終わるため、それを何度も繰り返さないといけなくなるのですが、「あるがまま」の状態を経験することはそれに終止符を打つ体験をもたらすのです。

またいつものパターンだとわかりながら、満足を感じられないようすは、前述の本物でない惰性による食事のようなものです。
満足を味わえるまで不要な繰り返しを続けなければならないのです。

少し具体的な例でお話しした方がいいのでしょうが、長くなってきたので、それは次回に譲ることにします。
そこでは、あるがままの状態から生まれる真性な交流と、作られた交流パターンの違いについて書いてみたいと思います。


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こんにちは(^^)

ダイエットのお話のところ、すごくわかりやすいですね^^
体重を落とそうと思って、むりに食事量を減らしても、良い結果がでませんよね。
それよりも、きちんと美味しく食事をしていた方が、心身ともに充実できるような気がします。
日常生活についても同じなんですね~。
努力を意識していない時に、新しい経験ができること、たしかにあります^^

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Re: こんにちは(^^)

> ダイエットのお話のところ、すごくわかりやすいですね^^
> 体重を落とそうと思って、むりに食事量を減らしても、良い結果がでませんよね。
> それよりも、きちんと美味しく食事をしていた方が、心身ともに充実できるような気がします。
> 日常生活についても同じなんですね~。
> 努力を意識していない時に、新しい経験ができること、たしかにあります^^

急いで食べると早くおなかがすくとか、ゆっくり食べると早く満腹感があるとか
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