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自分を説明しようと思わないこと2

あなたは朝眠りから覚めるとまず何を考えるでしょうか。

たとえば、いま自分がどこにいるかを思い出そうとします。
自宅で寝ていて朝になって目が覚めたんだとか、今日は旅行に来ていて、いまは旅先の宿にいたんだと思い出すといった具合ですね。

また、そのあとには、いま自分はひとりでいるのか、まわりに誰かいるのかを確認し、他の人がいるとわかると、急いで対人的な場面での自分というものを作り直そうとするかもしれません。

しかし、おそらくそんなことよりも先に、「私は誰であるか」を思い出し作り上げようとしているはずなのです。

「私は誰であるか」なんて、記憶喪失でもなければ、わかっているのは当たり前だと思うかも知れません。

しかし、記憶が障害を受ければ自分が誰であるかがわからなくなるということは、「私は○○である」ということは別に自明なことではなくて、その都度自分とは誰かを思いだし構成し直しているんだとも考えられます。

このようにして確認し直している「私」という存在は、自分が生まれてから現在に至るまで経験してきたことで作り上げてきた「自分」という存在です。
それは、自他共に認める自分という「人格」であり、「私とは誰か」に答えようとする「自我」という存在です。

2つの感情


そしてこのように考えてみれば、もしかするといまの私という「人格」とは全然別の自分が作られていたかもしれないといったことも考えられるわけです。
たとえば、生まれてすぐに他の家庭環境で育てられていたら、今の自分とはかなり違った自分になっていたかも知れません。
つまり、作り上げられてきた自分という「人格」は、1つの可能性として出来上がった自分に過ぎないわけで、唯一絶対の自分などではないのです。

そして、このような作られた「人格」というものがあるのなら、それとは別に「本質」的な自分というものがあるのではないかと考えてもいいわけですね。

それは、今のような「自分」に作り上げられていくのと並行して存在してきた加工されない「本質」の自分というものです。

普通私たちが「私とはどういう人間か」を考える時に思い浮かべるのは、「人格」の方の自分なわけです。
そしてその自分は「作られてきた自分だ」などとは考えずに、これこそが私自身だと信じて疑わないものでしょう。

なぜなら、自分というものを毎回確認し、再構成し直しているのがこの「人格」の方の自分だからです。
毎朝目が覚めて、今日も昨日と同じ「私」の存在を信じられるのは、この再確認を行っているからではないでしょうか。

さてタイトルの「自分を説明しようと思わないこと」という話に入りますが、前回の話にもあったように、自分を説明しなければいけないと思うことは、この自分という「人格」を維持しようとする行為だとも言えます。

他の人に対して、「私とはこういう人間です」と見せ、説明している自分がそこにあるわけです。
あるいは、自分自身でも「これが私という人間なんだ」と言い聞かせ、その確信を強めている自分というものがあるわけです。

そうすると、実は昨日までの自分と違う自分を発見することは、自分という「人格」からすれば、あまり受け入れたくない都合の悪いことになってきますよね。

つまり、そんな自分は私ではないと否定し排除しないと、今までの一貫してきた人格を維持することが出来ないかもしれないからです。

自分自身を混乱させるような「自分」は受け入れたくないし、あるいは他の人に対して今まで「自分はこういう人間だ」と示してきたことに、ほころびを生じさせたくないわけなのです。

そのために、私たちは「自分を説明しなければ」という思いにつきまとわれ続けます。

私は「昨日と同じ一貫した人間ですよ」と証明したくなるのです。

感情の変化


このこと自体は、別に問題があるとは言えませんし、社会的に見れば、一貫しない人格では都合の悪いことも生じてくるでしょう。

しかしその一方で、先程の「人格」とは別の「本質」的な自分というものと合わせて考えて見るとどうなるでしょうか。
現在作りあげられてきて維持しようとしている「私」という「人格」は、「本質」の自分というものからすると、ずれていたり、無理をして作り上げている部分がないとはいえないでしょう。
いまの「人格」に作り上げるために都合が悪い自分は存在を無視されてきているかもしれないわけです。

そのような両者で一致しない自分が存在した場合、「人格」こそが本物の私だと主張する自我は、矛盾する自分の存在を無視したり抑圧してしまいます。
今の自分こそが本物だから、それと矛盾するような自分は自分だと認めたくないという抵抗から、何とか排除しようとしてしまうわけです。

しかしそのような抑圧は、時としてあなたに本来の自分を取り戻したいという要求から、さまざまな形を取って訴えかけてくるでしょう。

押さえつけられたことへの抵抗は、あなたに何か居心地が悪い思いをさせたり、本当の自分でない感じをもたらすかもしれません。
あるいは、あまり存在を否定された自分を放置すれば、少しずつ鬱を感じだしている自分を発見するかもしれません。

私という「人格」の方だけを優先して、隠された「本質」の自分を排除してしまわないことです。

ですから、今の自分こそが唯一の自分だというように、あまり信じ込まない方がいいかもしれません。
「これこそが私です」と一貫した自分を見せようとしないことです。
「一貫していよう」とか「説明出来る自分でいよう」と思ってしまうと、柔軟さを無くしてしまうのです。

「自分を説明」できないといけないと思わないこと。
そうすれば、もっと気軽に今の自分から外れた自分を受け入れることが楽になってくるものです。

あなたが、いま何となく束縛された感じを持っているようなら、「こんな私だっているんだよ」と気軽に受け入れることを試して見たらいかがでしょうか。

今までの自分からすると「説明できない」自分だけれど、「これも私の一部なんだよ」と認めてあげることですね。

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受け入れる

今日も考えさせられるテーマでした。

「こんな私だっているんだよ」と気軽に受け入れること

そうですよね。色々な自分がいて良いのだと思います。
それを受け入れると自分がもっともっと大好きになり
色々な可能性が広がるんだと思います。

こんにちは(^^)

私は”自己紹介”というものが苦手なんですよね~。
事実だけなら、もちろんすんなり言えますが、自分の人格をうまく表現することができないんです…。
たぶん心の中で、自分の人格を公言すると、その通りの自分でいなくてはならないと思っているからでしょうね。
今日のお話を読んで、納得し、ちょっと心が軽くなりました(^^)
自分の人格を公言するのは、ひかえるようにします^^

Re: 受け入れる

> 今日も考えさせられるテーマでした。
>
> 「こんな私だっているんだよ」と気軽に受け入れること
>
> そうですよね。色々な自分がいて良いのだと思います。
> それを受け入れると自分がもっともっと大好きになり
> 色々な可能性が広がるんだと思います。

良いとか悪いとか判断にかけずに、自分を受け入れないと、
必然的にその時の価値基準で自分を規定してしまうことになってしまいます。
少なくとも今までは、表に出そうとしていなかった自分がいるわけですから。


Re: こんにちは(^^)

> 私は”自己紹介”というものが苦手なんですよね~。
> 事実だけなら、もちろんすんなり言えますが、自分の人格をうまく表現することができないんです…。
> たぶん心の中で、自分の人格を公言すると、その通りの自分でいなくてはならないと思っているからでしょうね。
> 今日のお話を読んで、納得し、ちょっと心が軽くなりました(^^)
> 自分の人格を公言するのは、ひかえるようにします^^

自己紹介が苦手な人というのは、幾つか原因があると思います。
例えば両親が「私ってこういう人間なの」というように気軽に表現しない人だったとすると、子どももモデルになる人がいないので、同じように自分を説明するのが苦手かもしれません。
あるいは、自分を正直に見せることを受け入れ安い家庭環境ではなかったとか、人に受け入れてもらえる自分を出さないといけないという気持ちが強いと気軽に見せられなかったりします。

しかし、そんなことをあれこれ気にしているより、今の自分に焦点を当てましょう。社会的な望ましさにとらわれないで、そこにいる自分の存在を正直に認めることが大切ではないかと思います。
自分で受け入れることを許した「自分」は、自然と他の人に対しても表現できるようになるでしょうから。



面白く読ませていただきました!
考えたことのない視点です。

しなやかに柔軟に生きたい!
と常々思っていますけど、本質の自分ってどんな人格なんでしょうね
考えてもわからなさそうな感じがまた面白いです

Re:こちくんさん

> 面白く読ませていただきました!
> 考えたことのない視点です。
>
> しなやかに柔軟に生きたい!
> と常々思っていますけど、本質の自分ってどんな人格なんでしょうね
> 考えてもわからなさそうな感じがまた面白いです

人格を取り除いたときに現れるのが本質の自分なのでしょうね。
単純に引き算で考えれば、人格を取り除くと自分がいなくなってしまいそうですが、
自分だと言い聞かせている思考をやめたときに残るものと考えればなにか見えてきそうですね。
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