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富士は日本一の山/社会構成主義

今回は「現実は社会的に構成される」「言葉は世界をつくる」などの主張が特徴である「社会構成主義(social constructionism)」という考え方を紹介したいと思います。

ところでタイトルの富士山は特別な意味があるわけではないのですが、後ほど例として使っているものです。

さて、社会構成主義の発想は、人は自分を取り巻く世界や現実をありのままに捉えて、理解するものであるとする見方を否定する。人は自分の持つ認識の枠組みや知識を使って世界を理解し、自分なりの意味を生成するのである。しかも、経験を通して取得した知識や認識の枠組みは、社会が歴史的、文化的に相対的なものであることから、同じ事象や現象も、時代や地域によって意味が異なってくるとの考えに立つことになる。(Akiyama 2頁)



そして社会構成主義では、「外在化」、「客体化」、「内在化」という三つのプロセスについて考えます。

外在化とは人が外的世界に作り上げた人間の一つの内的世界のことである。すなわち、社会規範や制度は、そもそも人の価値観が外的世界に投影されたものであり、それは人が自身の行動のために安定した環境を整える所作であり、その複合体が社会である。つまり、社会は人間による産物と見なすのである。例えば、一つの個人の着想を書物やストーリーにすることにより、それは他者に触れる社会的領域に入ることになり「外在化」することになる。
このように外在化された現実の複合体である社会は客観的なものとして具体化する。これが客体化である。本来人間が作りだしたものが、「当然なものとして」、「容易には変えられないものとして」存在するようになる。また、当然のものとして、その社会に存在する人は客体化されたものと接触し、経験することになる。この端的な例が言語という制度である。われわれはそれを自然の世界と同様に当然のものとして経験する。すなわち、社会は客観的事実として経験させられるのである。さらに、人は客体化した現実を自分の内的世界に取り入れる内在化が生起する。すなわち、人は所与の言語制度に従って思考し、感情を持つ存在となるのである。つまり、言語制度と言う外在的で客観的なものに規定されることにより、人の存在は成り立つのである。この三つの契機を辿るプロセスを通して「社会は人間の産物であり」、「社会は客観的事実であり」、「人間は社会の産物である」ことが論証されている。
このことは、われわれ人間の主観的世界は常に客観的世界に影響されており、それなしに主観的世界は存在しないことをことを示す。同時に、客観的世界は、われわれの主観的世界によって支えられ、それなしには成りたち得ないことをことを示している。両者に明確な分節点は存在せず、双方が互いに参照しあい浸透し合う関係にあることが分かってくる。(Akiyama 2?3頁)



この3つのプロセスについて、もう少し分かりやすいように「富士山」という山を例にして書いてみます。実施の富士山がどのようにして名付けられたり、その言葉が定着していったのかは存じませんが、ここで例に上げているのは、全くのフィクションですのでご了承下さい。

富士山1


まず「外在化」と言うプロセス。
私たちが、富士山と呼ばれている山を見て、例えば美しいと感じたり、形が綺麗だ、どの山よりも高く見えるなどなど、感じたことを表現します。
やがて、この山を「富士山」と名付けようということになります。
このような、複数の人間による1つの山への主観が「外在化」されます。

その後「富士山」にまつわるさまざまな情報が加わっていき、そのうち富士山を見たことのない人や、見えない地域に住んでいる人にも「富士山」という山が日本に存在することが知られ、定着していきます。
「富士山」は日本一高い山であるとか、その姿が美しいと感じる人が多いこと、その姿を詠ったり、絵を描いたり、写真に撮ったりする人も多いことなどから、富士山に関するさまざまな情報が一般化し、客観的な事実として「客体化」するわけです。

しかし、ある程度の共通の認識は持つものの、「富士山」に対する主観的な認識は、人によって当然異なってきます。
「私はそれほど綺麗だと思わない」「見たことないから何とも思わない」「ゴミの山で世界遺産に登録出来なかった山だ」「富士山を世界遺産にしよう」「富士山もまた噴火するんだろうか、怖い」「富士登山はいい思い出になった」などなど。
このように「富士山」という言葉は個人による主観に基づいて自分の中に取り込む「内在化」が行われいきます。
一度は主観から「外在化」したものは、「内在化」によって再び主観的世界に戻されますが、それらは途中の「客体化」を経由したものであり、別々個人の主観から主観への受け渡しであるわけです。

このように私たちが、3つのプロセス経て、世界を理解し、自分なりのとらえ方を作り上げていると言う考え方、主観的世界は常に客観的世界に影響されていることや、逆に客観的世界も主観的世界に支えられて存在するという見方は、私には非常に興味深い「内在化」をもたらしました。
読者の皆さんはどのように思われたでしょうか。

こんなことを考えて何が面白いのか、と思われる方もいらっしゃるでしょうから、もう少し続けてみます。

ところで「富士山」を取り上げましたが、あまり主観的な影響が強くなく、単純化されたものとして例に挙げてみたものですが、だからといって「富士山」を「社会構成主義」から考えて見てもそれほど面白いとは言えません。

むしろもっと主観的世界と客観的世界の理解の仕方が大きな意味を持つ内容において、その意義は大きいのではないかと思います。

たとえば、私たちは身近な人について、この人はこういうタイプ人であると判断したりします。
その時に使われる「客体化」された世界(言葉)とは、どれほど客観性や普遍性を持つものだろうか、ということをよく考えなければなりません。

それらは「社会構成主義」が主張するように、その時の社会に影響されたものでしかないわけです。

魔女


たとえば、かつては「魔女狩り」というものが行われました。
「魔術」を使える「魔女」の存在が信じられ、「魔女」だと思われた人間が糾弾され裁判を受け、処刑されたりしたわけです。

現代においては「魔女」を信じる人はほとんどいないでしょうが、「魔女狩り」という言葉は象徴的に今も使われたりします。
「外在化」され、「客体化」された言葉が、客観的な事実とは異なっても、それを受け入れる社会に生きていれば、それは真実と見なされ大いに影響を受けることになるわけです。

現代において「魔女」は信じられなくなったとはいえ、後世になれば、現在信じられている人間に対する評価も「魔女」の様なとんでもない偏見に満ちたものと見なされる時代が来るかもしれないのです。

一方で「内在化」という過程でも別の問題が考えられます。
個人の主観は、「客体化」された言葉であっても、自分の都合のいいように解釈して使用することになります。
たとえば、自分が気に入らない人間には、より批判的な表現である言葉をあてはめようとするかも知れません。
いったん、そのようなレッテルを貼り付ければ、その人に対する主観はより批判的な評価に傾いていくことでしょう。
それは、言葉を客観的な事実だと勘違いしているほど、及ぼす影響は大きなものとなります。

「外在化」の過程における偏り、「内在化」の過程に入り込む偏見、そして「客体化」された言葉とはどれほどの客観性、普遍性を持つものであるのか。
こういったことを考えて見るには、この「社会構成主義」が主張する3つのプロセスの考え方は非常に整理しやすい視点を与えてくれるように思えるのです。


「参考」
社会構成主義とナラティヴアプローチ ?ソーシャルワークの視点から?
(Social Constructionism and Narrative Approach : From Social Work Perspective)
秋山薊二( Akiyama Keiji )

http://home.kanto-gakuin.ac.jp/~akiyak2/narrative.pdf



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