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「判断」を捨てれば新しい救いが見えて来る

自分の「判断」を捨てるとはどういうことでしょうか。

私たちは意識してか、無意識のうちにかはともかく、まわりで起きていることについて、何が起きているかを判断して、それこそが現実であり間違いのない事実だと信じています。

そこでは、自分の判断によって見ている現実と、実際の現実の間に隔たりがある可能性が見失われてしまいます。
中には、半分くらい信じていて、もしかしたら自分の判断がずれているかもしれないと感じつつ行動していることもあるでしょう。

偏りが生じやすいのは、その対象が自分にとって重要な意味を持つ場合です。
自分にとって、より重要であるほど、そこで下した判断は間違っていないと信じたくなりますから、他の可能性を指摘されても、なかなか自分の判断を手放すことが難しくなってしまいます。

逆に言えば、自分にとってはどちらでもいいようなことについては、気軽に考えていますから「たとえそれが間違っていてもかまわないや」と思えるので、それを修正することになったとしても別に抵抗を感じません。

虫眼鏡探偵


自分の判断を強く握りしめてしまうときに問題なのは、それは確かに「自分は正しい」という感じを与えてくれるのですが、その反面それ以外の可能性を見ようとしなくなり、前進しなくなってしまうということにあります。

そんなときは、今の自分の判断こそが正しいと信じたいわけですから、他の可能性があることは知りたくないし、教わる必要もないと思ってしまうのです。

しかし、もしその判断を抱えていて、正直なところは行き詰まりを感じていたり、停滞していると感じるなら、思い切って自分の判断を手放してしまうことを考えて見たらどうでしょう。

実はどんなに正しい判断であろうと、ものごとは常に変化するわけですから、いつまでも正しくあることは期待できないのです。
昨日までの常識が、今日は間違いになる可能性もあるわけです。

ですから、むしろ「判断」というのは、軽く握っているぐらいの方がいいわけで、いつでも捨ててもいいくらいの気持ちでいれば、それにはまり込んでしまうこともなくなります。

意見を交わすビジネスマン

「判断」も、それが「信念」にまで発展すると、もっと扱うのが大変になってきます。

「今はこう思うけど、間違っていたらそれなりに別の解決も見えて来るだろうし、新しい見方を手に入れる事が出来るかもしれない。どっちでもかまわないよ。」くらいに思えたら柔軟性に富んでいると思いませんか。

じつは、「信念」とか「判断」というものは、捨ててしまった方がさっぱりして、気持ちがいいものです。

「信念」や「判断」という言葉から想像する顔の表情はどんなものですか?
きっと、硬い顔、怖い顔、力んだ顔が思い浮かぶのではないでしょうか。
それからもわかるように、手放せば自分を縛り付けている鎖をふりほどくような開放感を感じるものではないでしょうか。

そして、それを手放すことを怖がっているのが、何かを探ってみれば、自分を解放するための新しい発見もみつかるでしょう。

「なぜ、それを捨てられないのだろう?」と自分に問いかけてみましょう。
きっと実りのある問いかけになると思います。

今日は1つの判断を捨ててみましょう。


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こんにちは(^^)

すごく納得できるお話です。
自分が真剣に物事を決めるときに、ほかの人に相談をすると意外な展開がみえたりしますね~。
自分の考えに色んな案もプラスされて、膨らみのある充実した内容になることが、よくあります。
色んな可能性のためにも、まわりの意見を聞くということも必要かな、と思います。

Re: こんにちは(^^)

> すごく納得できるお話です。
> 自分が真剣に物事を決めるときに、ほかの人に相談をすると意外な展開がみえたりしますね~。
> 自分の考えに色んな案もプラスされて、膨らみのある充実した内容になることが、よくあります。
> 色んな可能性のためにも、まわりの意見を聞くということも必要かな、と思います。

偽霊能力者カルロス(人は信じたいものを信じる) http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-323.html
の話を思い出しましたが、
「つまり「信じたい」という密かな欲求があるとき、刺激的な情報に対して、人は容易に冷静さをなくして信じたいものを信じてしまうのです。」
「私の判断」にあまりこだわらないようにしたいものです。

おつかれさまです!!
風呂に入る前に
応援ぽちです。

本当にそうですね

「つまり「信じたい」という密かな欲求があるとき、刺激的な情報に対して、人は容易に冷静さをなくして信じたいものを信じてしまうのです。」

本当にそうですね。

ありのままの現実と自分のそうであってほしい願望をごちゃまぜにしない、という事ですよね。

願望は願望として(自分なりにそれに沿う努力をし)、

変えられない現実はそれが厳しく受け入れがたい現実でもそのまま受け入れる心の強さ、

が大切なのかもしれませんね。
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