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人間は人生から問われている存在である

『夜と霧』などで有名な精神科医のヴィクトール・フランクルは、このように述べています。


「人間が人生の意味は何かと問う前に、人生のほうが人間に対し問いを発してきている。だから人間は、本当は、生きる意味を問い求める必要などないのである。人間は、人生から問われている存在である。人間は、生きる意味を求めて問いを発するのではなく、人生からの問いに答えなくてはならない。そしてその答えは、それぞれの人生からの具体的な問いかけに対する具体的な答えでなくてはならない」

人生の意義 - Wikipedia ヴィクトール・フランクルの見解



「人生の意味は何かと問う前に、人生のほうが人間に対し問いを発してきている」のだと言います。

私たちが「人生の意味は何か」と問いかけるのは、自分が日頃やっていることに対して、これでいいのだろうか、こんなことをやっていて意味があるのだろうかと疑問を持った時でしょう。

そしてそれは、何か自分の知らない意味が、どこかに隠されているのではないかと思っているからなのでしょう。

しかし、それではただ好奇心からそんな問いを発するかといえば、そうではないような気がします。
そこには、問いを発したくなるような今の生活への不満や、不安があり、それを何とかしたいという要求が生まれたからではないでしょうか。

考えるウサギ


かつて日本の戦後の高度経済成長期においては、国民も国も一体となって成長することを目指していました。
個人の願いは国の成長とも利益が一致し、努力し生産性を上げることが社会のためでもあり、個人の利益でもあったわけです。
そのような時代には、私たちは「人生の意味は何か」と問いかけたくなることは少なかったのかもしれません。

しかし、高度経済成長が終わり、外側に目標がいつもあった時代が変化すると、私たちは働くばかりの戦士ではなく個人の生活を重視するようになってきます。
社会のためと言うよりも、自己実現ということに重点を移そうとしました。

ところが、自己実現とは何かと考えたとき、「私のやりたいこととは何か」がわからなくなってきます。
外側に何か具体的な目標があった時代と違って、今は欲しいものはすぐに手に入る時代です。
何かものを手に入れるということを目標にするのは、現代でも同じでしょうが、かつてほどそれは大きな動機にはならなくなってきています。

「自分の人生は自分で選択する」と宣言したものの、やりたいこととは何なのか、なりたいものとは何なのかが見えなくなっている時代なのです。

そんな中で、フランクルは「人間は人生から問われている存在である」それに答えるのが私たちの役目だと180度方向転換した見方を訴えます。


ところで、「私のやりたいことは何なのか」が答えられないのは、元々そんなものは存在しないからだと考えることも出来ます。

そもそも「私の○○」とはどこから生まれてきたのでしょうか。

私たちは、生まれたときから「私」を知っているように思ってしまいますが、「私」が他の人やまわりの存在とは別の存在であると知ったのは、生まれてからしばらく経ってからなのです。

そして、「私」と他の存在を区別するようになってから後、「私の○○」という言葉で表現される私の所有や、私の属性が生まれてくるのです。

それらは、自分が生まれてから、後付で意味を持たせたものであり、その多くは自分の育った環境や社会の影響を受けた偏ったものであるはずです。

ひとりひとりが、その偏り方は異なっているし「私の○○」で表されるものは、ほとんどが私が「それ故に私であると」感じられるようなものではありません。

別に私でなくてもそれを所有したり、行ったりできる人はいるわけで、私だけにできること、私にしかできないことというのは、そんな借り物の「私」をいくら探してもなかなか見つかっては来ないのです。

たまたま今所有しているものや、今の自分の欲しがるものをいくら寄せ集めても、これこそが「私」の存在であると言えるものなど見つかるものでしょうか。

そこで視点を変えて見れば、今の「私」のほとんどは、後からどこかから借りてきたイメージに過ぎず、本来の私といえるものは、それ以前の自分の存在の中に最初から持っているものであると考えることも出来ます。

動物と果実

そもそも私が「私」を知る以前の存在だったときに、自分を生かしていたものとは何であるのかということです。
「自分がどう生きるべきか」その答えを知らなければ生きていけないかのように考えるのではなく、それ以前に自分を生かしてくれているものの存在があったと考えることも出来るわけです。

そんな「生」のはたらき、「生」の発現というものがあると考えるなら、それらを動かしている何かがあるのだろうと感じられます。
また人間だけが生きているのではなく、自然の中の存在の一つとして私たちも生きているのであり、それらを動かしている共通の働きというものがあるのではないかと思えてくるのです。

そんな「共通の働き」「生」の働きかけに対して君はどう答えるのか?
それが、フランクルのいう「人間は人生から問われている存在である」ということなのではないでしょうか。

その問いに答えるには、どこかで身につけた「私」にこだわっていたのでは無理でしょう。
そんな「私」という名前にとらわれない何かを見ようとしなければなりません。

名前をつけても、それにとらわれすぎないことです。
名前をつけるだけならいいのですが、それが単なる名前を超えて実存するものに見えて来ると、新しい災いが発生するのです。

始めて制して名有り
名も亦た既に有れば
夫れ亦た将に止まるを知らんとす
止るを知れば殆うからざる所以なり

一度名前がつくと他の物との区別が生じます。
それを推し進めると、やがて差別や偏見を生み出し、いろんなやっかいな問題を発生させます。
だから名前にこだわりすぎるのは程ほどにしなければならない。
程ほどにしておけばやっかいなことが生じる心配が無いのです。

老死道徳経 第三十二章



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人生に問われる存在っていう見方は面白いですね!
名前から区別が生まれるのもなんとなくわかった気がします。

ぼやーんとして、なんと言えばいいかがわからないけど・・・

No title

ナガエルです。

いつも楽しく読んでいます。

人生は山あり谷ありですね。
険しい山ほど苦しいですが
登り切ったときには達成感が違います。

登山は一歩間違えると死です。
遭難しないように準備を怠ってはなりませんね。

人生は終わってみないとわかりませんが・・・
私の人生を楽しくしてくれる存在が子供たちです。

今のところお金には縁がない人生ですが
楽しい人生にしたいですね。




Re:こちくんさん

> 人生に問われる存在っていう見方は面白いですね!
> 名前から区別が生まれるのもなんとなくわかった気がします。
>
> ぼやーんとして、なんと言えばいいかがわからないけど・・・

はっきりした目標に一直線というのも、いいように見えますがどこか無理が生じるのではないかと思います。
目標がまずありきの人は、そういった発想にはならないでしょうが。

Re: ナガエル さん

> ナガエルです。
>
> いつも楽しく読んでいます。
>
> 人生は山あり谷ありですね。
> 険しい山ほど苦しいですが
> 登り切ったときには達成感が違います。
>
> 登山は一歩間違えると死です。
> 遭難しないように準備を怠ってはなりませんね。
>
> 人生は終わってみないとわかりませんが・・・
> 私の人生を楽しくしてくれる存在が子供たちです。
>
> 今のところお金には縁がない人生ですが
> 楽しい人生にしたいですね。

登り切ったときの達成感を味わうための挑戦と見るのも一つですが、
いま問いかけられているのが何かを考えるのもいいかもしれません。
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