« ホーム »

自灯明・法灯明

お釈迦様が死の直前に弟子のアーナンダに残したといわれるのが、後に「自灯明・法灯明」と呼ばれる言葉でした。

自分が死んだ後に、弟子達が何を頼りにしていけばいいかということを言っている言葉です。

「自灯明」とは、自分自身を拠り所にして、それを灯明として闇を照らしなさいということであり、「法灯明」の方は、お釈迦様が教えた真理を拠り所にして灯明にしなさいという意味です。

ここで「法灯明」ではなく「自灯明」が先に来ていることが、どちらを優先すべきであるかを表していると言われます。

お釈迦様は、彼が説いた法ばかりを頼らないで、まず自分自身を拠り所にしなさいといいたいわけです。

「法」を頼りにすることは、外部の決まりごとに従えということです。

弟子達が、そのように法に従うことにのみ忠実になってしまって、法の奴隷になってしまうことを心配しての配慮であるということでしょう。

仏陀イメージ


外部に基準を持たずに自分自身を信頼せよという考えは、東洋の哲学や宗教の特徴なのかも知れません。

老子は、全く違った観点から「道(タオ)」を説いています。

老子の場合は、人が作った法というのをもっと手厳しく否定しています。
そんなものに頼ることが、タオから外れるのだという言い方をします。

ですから、老荘思想にはもちろん「法」というものはありません。
あるのは、老子の言葉と「タオとの調和」ということぐらいです。

人は自分から何かをしようとせずに、タオと調和するように無為でありなさいというわけですから、命令や務めというものはありません。

タオを信じたら救いがありますとも言わないし、従わないと罰が当たりますとも言いません。

これとは対照的なのは、律法に忠実に従って特定の神を信じれば救われるとする、西洋の契約による宗教です。

他の神を信じることを禁じたり、律法を犯さないこと、破れば罰を受けると脅す神様です。

こちらは、言ってみれば「法灯明」のみを打ち出しているわけです。

もっともユダヤ教徒であるキリストが現れて、律法からの解放を説くようになってからは少し様変わりしていきますが、このあたりの話はこれぐらいにして「自灯明」に戻りたいと思います。

寝そべる


自分を拠り所にしなさいと言われると、法に従えとうるさく言われないわけだから楽じゃないか、といえるかというとそういうわけでもありません。

実は自分で判断しなさいといわれるのは、それほど簡単ではないのです。

外側には自信を持った教えというものが沢山存在します。

それに頼らずに自分で考えなさいと言われても、外部の自信ありげな教えは魅力的に映りますし、それに比べて自分の考えの方はなかなか自信が持てないのです。

これに従えば結果は保証しますといわれると、それならば自分で考えずに誰かを信じていた方が楽じゃないかと、ついつい頼りたくなるわけです。

そういった傾向は、宗教に限ったことではなく、最近になってどんどん進んでいるような気がしてなりません。

現代社会では情報は捌き切れないほど豊富に利用出来ますから、これがだめなら次の情報といった感じで、しがみつくものには事欠かない時代です。

誰かに付いて行きますと言って「法灯明」で生きていけば何とかなるんじゃないか。
そんな風に考えてしまうのも無理ないところもあるのでしょう。

しかし、問題はそれで人は幸せを感じられるかと言うことです。

外部に依存することが日に日に不満を蓄積していくのを感じないでしょうか。

なんで自分の好きなようにしないんだと、不満をもらす自分がそこにはいないでしょうか。

依存すればするほど、個性は失われていき、自分に対する信頼が欠如していきます。

まるでずっと親の監視つきで、宿題でもやらされているようなものです。

そんな状態では、なんとかここから抜け出したいという子どもの欲求が、麻痺して無抵抗になってしまわないよう祈るのみです。

鎖から解放


なんとかこのような、がんじがらめの状態から解放する事を考えていかないと、自分では常に目的をもって行動しているつもりでいても、結局どこにも行き着けない状態に陥ってしまいます。

外に依存していると、不満を感じる対象も外にあると思いがちです。

社会が悪いのだから仕方がない、自分はこんなに頑張っているのにといって愚痴をこぼしているしか能のない人間になってしまいます。

いかに不安に思えても、自分に頼ることを諦めるべきではありません。

権威など見せかけです、そんなものを信じないで自分が主導権を握るようにしましょう。
人の人生を生きるのはごめんだと宣言しましょう。

シンプルに考えれば、「好きでもないことばかりしている」ならさっさと抜け出せばいいと気がつくはずです。

人に意見を聞かれても、自分がわからないと思うことなら「わかりません」と答えましょう。

わかったフリをして、無理やり納得してもいない考えを自分の意見にしてしまうから、自分の中で葛藤が起きてしまうのです。

ますます自分の考えに自信を持てなくなってしまいます。

そういうことを続けていると、簡単なことをやるにも「これで正しいのだろうか」と考えないといけなくなるのです。

「私は無知である事を知っている」と言ったソクラテスのように、自分が何も知らないことを認めてしまえば、自由を取り戻せます。

ドラマなどで何も知らない主人公が、知らない強みで権威に従わずに暴れまくるのを見て痛快に感じることがあるでしょう。

それを見て共感するのは、自分の中にもそんな思いがあるからでしょう。
有害な知識なら無知であるほうがずっとましです。

実際には無いものをあると考えるのが、仏教でいう「無明」です。
外部の自信ありげな考えも、自分にとって真実でなければ自分の闇は照らしてはくれません。

「じゃあ、結局どうすればいいの?」と聞きたくなるのは、まだ外部に頼ろうとしています。

喜ぶ男の子


信じてもいないことを自分のものにしないで、自分で本当に納得できることを頼りにしようと決心すれば、法の奴隷にならずに自由を取り戻します。

そしてなによりも、自分への信頼や勇気を取り戻すことができます。

自分を信頼して起こることに任せて行動すれば、思っても見なかったすばらしい経験が待っているものです。



気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 





[関連記事]
私の行為とは2 達人とは
ひそかな反発


関連記事

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 幸せになる考え方
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







コメントの投稿

非公開コメント

こんにちは^^

自分がわからないことを「わかりません」といつからか素直に言えるようになりました。すごく昔(子供のころ?)は、きちんと考えて答えないといけないかな~、と思っていました。
素直に「わかりません」と言うと楽ですね。

ソクラテスの「私は無知である事を知っている」という言葉、いいですね。



No title

途中でカルト宗教を思い浮かべてしまいました。
はまってしまう人は、きっと外部に依存しているんでしょうね。

お釈迦様の教えが、一番しっくりくる気がします。
自分に従って、外部に従う。
自然な気がします。

Re: こんにちは^^

> 自分がわからないことを「わかりません」といつからか素直に言えるようになりました。すごく昔(子供のころ?)は、きちんと考えて答えないといけないかな~、と思っていました。
> 素直に「わかりません」と言うと楽ですね。
>
> ソクラテスの「私は無知である事を知っている」という言葉、いいですね。

> 素直に「わかりません」と言うと楽ですね。

そうですね、すっきりしますね。

対人的にと言うよりも、自分が混乱しなくて済みますし、
いやいや受け入れてない考えを自分のものであるかのように
持ち続ける必要がなくなります。

Re: こちくんさん

> 途中でカルト宗教を思い浮かべてしまいました。
> はまってしまう人は、きっと外部に依存しているんでしょうね。
>
> お釈迦様の教えが、一番しっくりくる気がします。
> 自分に従って、外部に従う。
> 自然な気がします。

自分で考えることにすると、商品が売れないと言う意見もありますね(笑)
なんとなくCMを見ながら、自分もその夢に入り込みたくてものを買う気になるわけです。

ただ肝心な所では、自分を依存させないよう注意したいものです。

私見です・v・

私見というか、自灯明法灯明という言葉を聞いて思った私の持論っていうほうが近いかも?

自灯明っていうのはまぁ・・・書いてあるとおり自分で何かを見つけ出すことだと思います。
私も含めて特に若者は、とかく誰かを啓蒙したりしてしまいがちですね。まるで恋は盲目(ぇ

まぁそれが他の人が誰も思いつかないこと!じゃなくても全然いーのです。
実感するのと知識として得るのはまた別物だしね。
ってことで自分で実感を持って思ったことがあれば、これが私の道(タオじゃなく)って言えばいいのです。
だから私は仏陀の方が私より偉いとは全然思いません。
私と同じく自分の道を見出した人、として尊敬はするけど・ε・

そして法っていうのは自然の摂理だと思ったよ。
これもまた人によって違うものなので私流の解釈として聞き流してくれればいいけど、自然の摂理っていうのは人が作り出したものじゃない。
例えば「泥棒はいけないことです」っていうのはあくまで人が作り出した価値観だけど「泥棒をしたら(私の)良心が痛む」のは自然の摂理だと思うのよね。
そういう厳然とした事実を私は重視したい!

夜中に外を出歩くときを考えて、懐中電灯が法。
これは明るく照らしてくれるの。
だけど、どこを照らすかもどちらへ歩くかも決めるのは私。
他人に照らして貰うんじゃなく、自分で照らしてみよーよ・・・って感じ?

Re: 私見です・v・

> 私見というか、自灯明法灯明という言葉を聞いて思った私の持論っていうほうが近いかも?
>
> 自灯明っていうのはまぁ・・・書いてあるとおり自分で何かを見つけ出すことだと思います。
> 私も含めて特に若者は、とかく誰かを啓蒙したりしてしまいがちですね。まるで恋は盲目(ぇ
>
> まぁそれが他の人が誰も思いつかないこと!じゃなくても全然いーのです。
> 実感するのと知識として得るのはまた別物だしね。
> ってことで自分で実感を持って思ったことがあれば、これが私の道(タオじゃなく)って言えばいいのです。
> だから私は仏陀の方が私より偉いとは全然思いません。
> 私と同じく自分の道を見出した人、として尊敬はするけど・ε・
>
> そして法っていうのは自然の摂理だと思ったよ。
> これもまた人によって違うものなので私流の解釈として聞き流してくれればいいけど、自然の摂理っていうのは人が作り出したものじゃない。
> 例えば「泥棒はいけないことです」っていうのはあくまで人が作り出した価値観だけど「泥棒をしたら(私の)良心が痛む」のは自然の摂理だと思うのよね。
> そういう厳然とした事実を私は重視したい!
>
> 夜中に外を出歩くときを考えて、懐中電灯が法。
> これは明るく照らしてくれるの。
> だけど、どこを照らすかもどちらへ歩くかも決めるのは私。
> 他人に照らして貰うんじゃなく、自分で照らしてみよーよ・・・って感じ?

明快な解釈だと思いました。
「法っていうのは自然の摂理」というのも良いと思います。
自然の摂理に立ち返らないといけないと感じることも、最近特に多いように感じます。
sidetitle最新記事sidetitle
《最近7日間の人気順位》
~ランキング全体をみる~
~ランキング全体をみる~

sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle全記事表示リンクsidetitle
過去の記事はこちらから↓

全ての記事を表示する

sidetitleブログ紹介sidetitle
☆~新刊⌒☆
☆ちゃん見るシリーズ☆


好評発売中


アルファポリス
第2回エッセイ・ブログ大賞
特別賞『タオに生きる』 pao
WebコンテンツPickUP!タオに生きる
【 エッセイ・日記・blog > blog 】
老子の教えに学ぶ
老子のいう「タオに生きる」ということはどういうことなのか。さまざまなアプローチから、自らの考えや学んだこと、思ったことが綴られています。心をやすめ、身体をやすめ、穏やかで落ち着いた生活をしたい……そう願う人たちにとって、ヒントに溢れたブログです。


ez-HTML





PRR
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカレンダーsidetitle
11 | 2016/12 | 01
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
sidetitleにほんブログ村sidetitle
sidetitleお世話になってますsidetitle
※FC2ブログのリンクですが、なるべくblogpeopleのリンクをお願いしています(右サイドのお友達リンク)
このブログをリンクに追加する
sidetitleスポンサード リンクsidetitle
sidetitleアクセス情報sidetitle
sidetitleジャンル・ランキングsidetitle
[ジャンルランキング]
心と身体
34位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
スピリチュアル
9位
アクセスランキングを見る>>

sidetitle検索フォームsidetitle


もう一つの「タオに生きる」カテゴリー別
Screen Shot_30p ※徐々に更新しています
タオに生きる(人間関係)
タオに生きる(アドバイタ関連)
タオに生きる(YouTube#1)
タオに生きる(YouTube#2)


[上位タグ20]
感情、莊子、思考、怒り、罪悪感、老子、いまここ、人間関係、バイロン・ケイティ、交流分析、タオ、エックハルト・トール、ありのまま、許す、YouTube、老荘思想のコラム連載、不安、過去、無為、OSHO

sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleアクセスランキングsidetitle
訪問いただいているサイト
(週間 木曜日リセット)
※こちらでタイトルを入れさせてもらっていますが、出したくないとか変更したいという方はご連絡下さい。

sidetitleカテゴリsidetitle
カテゴリーを追加し整理しました。 バイロン・ケイティ、エックハルト・トール、ガンガジ、ムージ、OSHO
sidetitleQRコードsidetitle
QRコード
sidetitleお友達リンクsidetitle
FX