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私の行為とは(バガヴァット・ギーター)

バガヴァット・ギーター 第1?2章

「どうして、王権の為に、大罪を犯せよう。
真剣を掲げた彼らが、王権を捨てた私を殺す。
それこそ、私が望むべき、相応しい結末である。」

それだけ言うと、戦いの最中、彼は座り込んだ。
      ??????
※戦いが始まった最中に座り込んだ、アルジュナに、
クリシュナが説得する場面、「行為」を語る。
      ??????
「以上は、理論に於ける、知性の話をした。
以下は、実践に於ける、知性の話しをしよう。
知性を磨き上げれば、君は行為の束縛を離れる。」

「知性は、多くのものに、分けようとして、
真の知性は、一つのものに、集めようとする。
その念の力を、真我に集めて、人々は解脱する。」

      ??????

「カルマとは、行為であり、結果ではない。
よって、行為の結果を、行為の動機とするな。
また、何もしないことに、囚われてはならない。」

「アルジュナよ、カルマを忠実に遂行せよ。
成否に捕らわれる、あらゆる余念を放棄せよ。
こうした、心の静寂を、ヨーガと呼ぶのである。」

「奉仕の精神で、行為の果報を期待しない。
一切の結果を、真我に委ねて、義務を果たせ。
報酬を期待するのは、雇われている人間である。」

「全智者に対して、自らを奉げた奉仕者は、
この世に於いて、自我を越えて善悪を離れる。
アルジュナよ、これこそが、行為の秘訣である。」

哲学之道 - ヴェーダ - バガヴァット・ギーター
http://www.nurs.or.jp/~academy/veda/veda.htm



カルマとは、行為であり、結果ではない。

カルマあるいは業というものは、単なる「私の行為」ではなく、流れの一部として私の果たす役目といった意味になるのでしょう。

私の行為のままに、ものごとがすべて進むわけではないことは、おわかりのことだと思います。
したがって、私の行為は結果と一致するわけではありません。

しかし、ついつい私の意志のとおりに、ものごとは運ぶべきだと考えてしまいます。
思った通りに事が運べば、自分の意志がそれを為し遂げたと考えます。

それが苦労して為し遂げた、「私の成果」であると思いたくなるのはわかりますが、そう考えるとき、私たちは、その筋道を逆にたどって、結果は私の意志や行為がすべての原因であると考えなければいけなくなります。

それは、予想通りにことが運んでいる場合には、問題を感じないでしょうが、結果がどうなるか不安な状況では、「私の行為」に全責任を感じてしまうことにもなります。

しかし結果を100%コントロールすることは出来ません。

できないことに責任を感じてしまう結果、私たちはストレスや恐怖を感じ、こころに重くのしかかる負担に苦しみます。

自らの成せる成果を喜ぶためには、裏側ではこうした負担を抱え込むことになります。

成果を上げているうちは、そのぐらい平気だと思うでしょうが、慢性的なストレスは、じわじわと私たちの心身を攻撃し続けます。

社会的には、引き受けたことの責任を果たさなければなりませんが、こころまでその論理に明け渡す必要はありません。

結果をすべて自分が作り出したというのは、慢心に過ぎず、100%コントロールする力は自分にはないことを認めることです。

メダル小学生


行為の結果を、行為の動機とするな。

結果を頼りにものごとを進めようとするときの、もう一つの問題は、うまくいかないと、結果に引きずられて自分の制御を失ってしまう点にあります。

自信を持ってやったことも、結果が予想に反して思わしくなかったりすれば、結果に左右されて方針を、右に左にフラフラさせてしまうことになるのです。

そうなると、自分の期待をかなえてくれるという考えを聞けば、すぐに飛びつきたくなります。

自信をなくしているときほど、騙されやすい人間はいません。

結果を頼る限り、迷いは常につきまといます。

結果が出るまで、心配で自信を持って行動できなくなります。

アルジュナよ、カルマを忠実に遂行せよ。
成否に捕らわれる、あらゆる余念を放棄せよ。
こうした、心の静寂を、ヨーガと呼ぶのである。


成否に捕らわれずに、カルマに忠実に遂行するとき、迷いは生じません。
流れに乗って、今やろうと思うことを淡々と進めることが出来るからです。

結果は、自分で関知しないと思えば、次の行動に移れます。

作業が先に進まないのは、効率の悪いやり方をしているから、と思い込んでいるかも知れませんが、自信のない行為は無意識のうちにブレーキになります。

無意識のうちに、結果をみてから動こうとしてしまうからです。

報酬を期待するのは、雇われている人間である。

そうはいっても、私たちは報酬を期待してしまいます。

うまくいった結果は、自力であり、私の成果だと思いたいのです。

そして、予想が難しい状況になると「人事を尽くして天命を待つ」と言うじゃないかと、他力を信じたくなるのです。

それでいて、一段落つけば、また性懲りもなく、「私の成果」を振り返りたくなります。

電話で謝るビジネスマン


「雇われている人間」は、利害の状況が変われば、関係も変わってしまいます。

自分自身に対しても、「雇われている私」に守られていたのでは、いつ裏切られるかわかりません。

「雇われている人間」ではなく、真の主体者となりたいと思えば、「大なる悲観は大なる楽観に通ずる」 でも書いたように、すべての責任を自分で引き受けるか、あるいはすべてをあずけて「成否に捕らわれる、あらゆる余念を放棄」することです。

状況次第で自力と他力を使い分けるという、今まで通りの生き方をするのも否定しませんが、他にも生き方はあるということです。

知性は、多くのものに、分けようとして、
真の知性は、一つのものに、集めようとする。
その念の力を、真我に集めて、人々は解脱する。


私の迷いを解決しようとして、いろいろな名前をつけて行為の意味づけをしたところで、なにも解決しません。

それは、悩んでいるフリをしている、ゴッコ遊びでしかありません。
自分がやるべきことは、本心では気づいているものです。
「あれをやるしかないんだ」というように。

「カルマを忠実に遂行する」決意は、迷いを捨てさり、後悔のない行為を生み出します。

この実践には、無駄もなく、後退もなく、
それゆえ、この道を、少しだけ進むだけでも、
大いなる輪廻の恐怖が、減っていくことになる。


「輪廻の恐怖が減る」とは、やるべきだと感じながら、やらなかったという「後悔する未完了の行為」を作り出さないことだと解釈できます。

いつも安心を求めて、落ち着かなかった心が、無駄もなく、後退もなく、心の静寂を取り戻します。


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こんにちは♪

自分の意志どおりにものごとが進むとは限らないですよね~。
予想がむずかしい時は「人事を尽くして天命を待つ」という心境になることもたびたびです。
「なんとかなる!!」と自分に言い聞かせて待つこと、ありますね。

Re: こんにちは♪

> 自分の意志どおりにものごとが進むとは限らないですよね~。
> 予想がむずかしい時は「人事を尽くして天命を待つ」という心境になることもたびたびです。
> 「なんとかなる!!」と自分に言い聞かせて待つこと、ありますね。

没頭してしまえば、迷いもなくなるものですね。
「理由はないけど、なんとかなる!!」で終わりにしましょう。

No title

こんばんわ^^二回目のコメントです

<真の知性は、一つのものに、集めようとする
いろんな執着を持っていると・・・振り回されて
ろくな結果が待っていないように思います
頭でなにもかも切断するような判断ではなく、ひとも自分にも
益する暖かなこころで、気負わずさらっと暮らしたいな~と
生かしてくださる存在のご意志にゆだねて^^
そうありたいともがいている・・・のです笑

Re: ほのぼのさん

> こんばんわ^^二回目のコメントです
>
> <真の知性は、一つのものに、集めようとする
> いろんな執着を持っていると・・・振り回されて
> ろくな結果が待っていないように思います
> 頭でなにもかも切断するような判断ではなく、ひとも自分にも
> 益する暖かなこころで、気負わずさらっと暮らしたいな~と
> 生かしてくださる存在のご意志にゆだねて^^
> そうありたいともがいている・・・のです笑

仰るとおりですね。

執着というものが、意味もなく存在するわけではなく、
それ自体が、生きるために必要な役割の一端でもあるのでしょうから、
「いりません」と言ってもなくなってはくれない。

それが「業」というものなんでしょう。



No title

そうですね・・・・
エゴが全くなくなると生きていけないのでしょうか
最低限自分を守ることにもためらいが出来・・・
真我に生かされつつ、社会の中で生きるということ

マザーテレサのような愛からの行動で生かされること、
このような愛への執着を持てたらいいのですが・・

Re: ほのぼのさん

> そうですね・・・・
> エゴが全くなくなると生きていけないのでしょうか
> 最低限自分を守ることにもためらいが出来・・・
> 真我に生かされつつ、社会の中で生きるということ
>
> マザーテレサのような愛からの行動で生かされること、
> このような愛への執着を持てたらいいのですが・・

バガヴァット・ギーターというのは、ヒンドゥー教の教典ですが、こうした宗教に代表されるの考え方は、元はひとつであって(この場合真我という言葉を使っていますが)、そこに還ることを目指すわけです。

エゴとはいわば、一つのものから分離していったものの象徴なわけです。

分離からひとつのものへ戻っていくことで、分離によるさまざまな苦悩から解放されることを説いているわけです。
その苦悩とは、たとえば仏教で言えば、欲望、怒り、迷いといった煩悩であるわけです。

ですから、エゴがなくなったり、あるいは解脱とかさとりを得られなければ意味がないという話ではなくて、その過程においても、私たち一般の人間にもメリットは大いにあるわけです。



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