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無分別2

前回(無分別)は、禅で使われている言葉から「無分別」ということを考えましたが、今回は老荘思想からこれを考えてみたいと思います。

まずは、この荘子の言葉をご覧下さい。

古代人の知識は完全だった。
なぜ完全だったかというと、ものの存在を知らなかったからだ。
これほど完全な知識があろうか。足りないものはなにひとつない。
それからやがてかれらはものの存在を知った。しかし区別はしなかった。
それからしばらくたって区別するようになった。だがそれぞれにいいとか悪いとか判断を下すことはなかった。
人間が判断を下すようになったとき、タオは崩壊した。
そしてタオの崩壊とともに個人の選り好みというものが始まったのである。

「タオは笑っている」 R・ M・スマリヤン 工作舎 / 1991-01



判断を下すこと、分別を持つことは、通常いいことであると考えられます。

現代の多くの国の社会では、自分の意見や主張を持つことが必要であり、大事な事であるというのが常識になっています。

自分を主張できることや、信念を貫くことが、価値があると見なす文化もあります。
しかし、その裏では、反対意見を叩くか、無視するかが必要になります。

もちろん、自分の考えを持つことが許されないような国には住みたくはありませんが、自分の意見や主張は貴いものではあっても、それを振り回せばいいと言うことにはならないわけです。

謙遜とは見かけの道徳ではなくて、自分の考えが間違っている可能性を忘れないためのものです。

荘子の言葉に戻ると、タオイズムでは、人為的な判断というものは、できるだけ捨てようと考えます。

それに頼らずに、本来のタオの働きに任せることで、人は何もしなくてもうまくいくのだと考えるわけです。

そこから「なぜ完全だったかというと、ものの存在を知らなかったからだ。」という言葉がでてくるわけです。

しかし現代社会においては、知らないでいることは不可能ですし、意見を求められれば答えないわけにはいきません。

政治家2


ではどうするかといえば、「わたしの考え」「わたしの意見」というものは、あくまで借り物であることを認識しておくことです。

「わたしのもの」という言葉は、私たちを盲目にしてしまいます。

いったん「わたしの」がついてしまうと、まるで自分の身体の一部であるかのように、守らなければならないものに変身してしまうのです。

「わたしの持ち物」になった途端に、態度は一変します。
それは、言葉を使って考えている以上、思考の持つ宿命なのかも知れません。

「間違えないように気をつけよう」ではなく、間違えてしまうものだと割り切って、他の手段を考えた方がいいでしょう。
運用ではなく、構造を変えなければ、事態は変わりません。

「わたしの考え」という場合も同じです。

実は、「わたしの考え」などというものは、もともと生まれつき持っていたわけではありません。
自分が生きてくる中で、どこかで拾ってきた考えに過ぎません。

そんな「借り物の考え」を、自分自身と同一視しないことです。

そして、そのような「借り物の考え」か自分自身だとか、判断の基準にしようとしないことが肝心です。

考えたいのなら、原点に戻って、対象をありのままに見ることから始めて見ることです。

現代のような社会に生きていれば、「借り物の考え」は、すごい勢いで飛び込んできます。

それをうまく取捨選択するのが、現代人だなどと思い込まない方がいいと思います。

モバイル通信


情報の処理はコンピュータに任せるべきです。

コンピュータなら、CPUの性能が上がれば処理能力も向上させられますが、人間の場合は限界があります。
遮断できないのなら、せめて受け入れを拒否することをしないと、本来の自分がわからなくなってしまいます。

これほどの情報のシャワーを浴びている時代は、今までだれも経験していません。
これがもたらす結果は未体験なのです。

CMやマスコミの意見に影響を受けて、反射的に判断を下しているのに、ふと気づくことがあるなら、もっと危機意識を持つ必要があると思います。

「保険は電話で申し込みますか?、ネットで申し込みますか?」という時代に生きていれば、保険がそもそも必要かどうかの判断が出来にくくなります。

「画面にアナログと表示されていませんか?」と脅かしてくる社会では、テレビはそもそも必要なものかどうかを考えなくなります。
テレビを捨てようかと思い出させてくれるのは、某放送局の集金だけです。

処理能力を上げれば、なんとかなるという考えは、行き詰まりを感じ始めています。
処理能力を上げる努力をするのではなく、処理しないことを選ぶ必要があります。

処理しないということは、言い換えれば「無分別」ということです。
「分別」に頼らないで、本来の知恵を信頼するということです。

分別処理をしないで、初めて対象を見るようにとらえないと、ものごとの本質は見えてきません。

情報は便利なものですが、情報に依存するとき、自分の主体のような曖昧なものは、扱いがやっかいだからと置き去りにされ、だんだん頼りにならないものだと思ってしまいます。

情報が曖昧でないのは、切り取られた一面でしかないからです。

マルクスは「資本は死せる労働である」と言いましたが、「情報は死せる判断」です。

過去の残骸では、いまを生きることは出来ません。



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