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心配性

「師よ、私は心配です。どうしたらいいでしょう。」

「では、その心配とやらを、ここに持ってきて見せてみなさい。」

仏陀イメージ


結果がわかるまでは、誰でも不安を感じるものですが、その不安がどんどん巨大になって他の事が手につかなくなる人もいます。

いわゆる心配性といわれる人ですが、そうでない人にとっては、笑って済ませられることが重大な問題になってしまうのです。

心配というのは、いいにせよ悪いにせよ結果が出てしまえば、本来は消え去るものでしょう。

しかし心配性の人は、ひとつ片づいた瞬間に次の心配事を作り出す。
心配がなくなるのが、これまた心配のタネになってしまうかのようです。

実際、心配することに依存症になってしまえば、それがないと落ち着かないのです。

他の人から見れば、最初は「そんなに心配しなくても」と優しい言葉をかけるでしょうが、いつもいつもそれが続くと、うんざりしていい加減にしてくれといって離れていくことになってしまいます。

しかし、なぜ心配性の人というのは、誰でもが抱くような心配がいつまでも消えないのでしょうか。

本来は、いくら心配していても、何らかの結果が出てしまえば、それは消滅してしまうはずなのです。

それが慢性的につづくのは、一種の依存症であり、心配することがその人のバランスを保つために何らかの役割を果たしているから、手放せなくなっているのでしょう。

心配すること自体は、その人にとっても苦痛ですが、それを我慢してでも何かから逃れたいと思うのでしょう。

心配性になるかどうかは、家族の心配する習慣をまねることを覚えて、引き継いできたというのが大きな要因であると考えられます。

ためいき3


「心配さえしていれば、悪いことは起こらないだよ」
「いつもうまくいくとはかぎらないよ」
「親になってみれば、心配することがどういう事かわかるだろう」
「うまくいきすぎるときは、心配しておかないとしっぺ返しが来るよ」
「どんなにお前のことを心配しているか、わかってるのかい」
「心配しないなんて、思いやりに欠けているんだ」

このような言葉は、「おまえも心配しなさい。そうすれば私が守ってあげよう」という依存関係を作り出します。

子どもにとっては親とのいい関係を維持するためには、自分も心配することを身に付けることが必要になってしまうのです。

大人になってからも、あなたが引き続き無力な存在であって欲しい、そう望む人は親に限らず、何人も登場してくることになります。

しかしそれらの人がどう考え、感じるかは、その人達の問題です。

あなたは、「そのようなひとがいるから、自分はそれに答えなければならないのだ」といって現状を維持することを断ち切らないと、心配性は解決しません。

ほかの人が何をしようが、あなたは心配に自分を巻き込むのを拒否することはできるわけです。

それほど大きな影響はないから、心配性でもいいんだ思うかも知れません。

しかし心配は、どっちに転ぶかわからないことには、参加しないあなたを作り出します。
それでは、冒険や楽しめることがなくなってしまう。

飛び跳ねる女の子160x240

どこかで聞いたことがあるいいまわしですが、

死ぬ前にもっと心配しておけば良かったと嘆く人はいない。
もっと冒険しておけば良かったと嘆くのだ。


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こんにちは

心配性って、たしかに家族の習慣をひきついでいますよね。
久しぶりに自分の実家に帰ると、自分の家族は、いつも笑っているなあ~という印象をもってしまいます。
だからでしょうか。心配性という言葉と私はあまりつながらないような気がしています。
かと言ってすごい冒険をするタイプでもないので、死ぬ前に嘆かないように楽しみたいと思います(^^)


Re: こんにちは

> 心配性って、たしかに家族の習慣をひきついでいますよね。
> 久しぶりに自分の実家に帰ると、自分の家族は、いつも笑っているなあ~という印象をもってしまいます。
> だからでしょうか。心配性という言葉と私はあまりつながらないような気がしています。
> かと言ってすごい冒険をするタイプでもないので、死ぬ前に嘆かないように楽しみたいと思います(^^)

いつも笑っていられる家族というのはいいですねー。

ともかく心配性であろうと、そうでなかろうとその人の個性ですから、否定することなく、充分発揮できるのが一番だと思います。

いろんな人がいて、社会もバランスがとれているのかもしれませんしね。

最近のニュースなど聞いていると、逆にもう少していねいに仕事しろよ!といいたくなるようなお粗末な管理ぶりが目立つようです。

医療関係者とか、技術者とか、仕事によっては、あまりおおざっぱな人に任せるのは不安だということもありますよね。



No title

>「師よ、私は心配です。どうしたらいいでしょう。」
>「では、その心配とやらを、ここに持ってきて見せてみなさい。」

で笑ってしまいました。
私は心配性ではないようですね~

親から引き継ぐものなんですか?
例に挙げられていた言葉、使わないようにしようっと。

私は早くも
「若いときに冒険しておけば良かった・・・」
と思ってます・・・

Re: No title

> >「師よ、私は心配です。どうしたらいいでしょう。」
> >「では、その心配とやらを、ここに持ってきて見せてみなさい。」
>
> で笑ってしまいました。
> 私は心配性ではないようですね~

なにかにあったいいまわしだと思いながら書いてましたが、
一休さんの虎を屏風から追い出して下さいという話もそうだったかなと。

>
> 親から引き継ぐものなんですか?
> 例に挙げられていた言葉、使わないようにしようっと。
>
> 私は早くも
> 「若いときに冒険しておけば良かった・・・」
> と思ってます・・・

「若いときに冒険しておけば良かった・・・」

でも後悔というのは、防ぎようがないから後悔なんだという気もします。
もしかすると言語の構造が、いつでも後悔を成り立たせるようなものなのかも知れませんね。
この言明も、あのときこんなこと言ってないで方向転換すれば良かったと思いかねません。

心配性も極めれば、才能かも知れません。
「私は心配性で成功した!」という本があっても不思議ではない。

No title

こんばんは。
私は心配と不安の塊です。
常に何かに…すごく小さな事にでも、漠然とした不安を感じ怯えています。
私は心配や不安に依存しているのでしょうか?私は何から逃れたいのでしょうか?わかりません。
考えてみたら、私の両親も心配性で、心配性の両親に常に心配されながら育ちました。
まさにpaoさんが仰られる通りです。

でも、私の方は、もういい加減、この日々付きまとわれる不安感から、開放されたいのです。

Re: Soranさん

> こんばんは。
> 私は心配と不安の塊です。
> 常に何かに…すごく小さな事にでも、漠然とした不安を感じ怯えています。
> 私は心配や不安に依存しているのでしょうか?私は何から逃れたいのでしょうか?わかりません。
> 考えてみたら、私の両親も心配性で、心配性の両親に常に心配されながら育ちました。
> まさにpaoさんが仰られる通りです。
>
> でも、私の方は、もういい加減、この日々付きまとわれる不安感から、開放されたいのです。

たしかに心配性の両親に育てられれば、そうでない人よりも心配性である可能性は高くなります。
しかし、それは自然の成り行きであって、Soranさんが必要以上に責任を感じる事はないですし、
他の人よりもそのような傾向が強いだけで、癖のようなものと考えればいいでしょう。

癖を治すのは、簡単なようでなかなか治りませんね。
治らない癖は、もうそれでもいいやと開き直って気にしなくなれば、その人の個性でもあるわけです。
そして、個性が消えてしまわないように、身についた習慣はそんなに完全になくなるものでもありません。
ある程度は、またいつものやつがやってきたと、笑って許せるくらいになるのが良い解決ではないでしょうか。

ただ、Soranさんの場合は、もうこれ以上ゴメンだという気になっておられます。
それは、不安感が襲ってくるときの状態に耐えられないと思うからでしょう。
こんなモノが消えてしまえば、どれだけ日々楽しく暮らせるだろうと考えるのでしょう。

しかし、先ほど述べたように、完全に消してしまおうというのはあまり現実的ではありません。
不安を持ちやすいのも自分という存在の一部分です。
そんな厄介な存在だと思っている部分も、それがないと自分ではなくなるのです。
別な人間になってしまいたいと思うのは、あまりいい方法ではありません。

そんな自分と付きあっていこうと考え、そんな自分と和解することです。
また心配してしまったと、非難せずに許してあげるよと言ってみるのです。
心配で今日は何も出来ないと言い出したら、「よしわかった、今日一日心配に付き合ってあげよう」
と言ってみるのです。

心配性の自分も大事な自分の一部、それなしには自分はありえない。
そして「次は何が心配なの?聞いてあげるから言ってみて」と問いかける。
心配性も結構じゃない。大雑把すぎて穴だらけの人よりいいこともあるんだから。

消してしまおうとしないで、それに付き合っていくという姿勢になれたら、
今とは違って自分のことが見えてきます。

不思議なことに、心配のもとはなくならなくても、心配してもいいよと言われると、
必要以上に自分に負担をかけることはなくなってくるものです。

不安を持たない人はいません。
ただ自分はちょっと人より多いだけ。
そんなかんじで、自分を受け入れてみる。

いろんなケースがあるので、一概に言えることではないですが、
不安に限らず、自分との付き合い方を変えてみるのが一番の解決への近道となることが多いのです。

そんなものなくなってしまえ、ではなくて、そのままで許すと言い切ってみましょう。
そうすれば、心配の方も申し訳なかったといって、迷惑を掛けるのをやめてくれるものです。

あとすこし違う視点で書いてあるので、以下も参考にしてください。

災難に逢う時節には 災難に逢うがよく候
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-563.html






No title

こんばんは。
丁寧な返信をありがとうございました。
確かにpaoさんの仰る通りなんです。いつも付きまとわれるように、
側にいる不安感に対して、これさえなければ、どんなにか楽しい人生だろうに…
別の人間になってしまいたいと、何度思ったか知れません。
もちろん、ありえない話ですけれど…ありえない話と分かっていながら、
どうしても思わずにはいられないのです。

最近はそれでも、不安はなくならない。
共存していく以外にないのだと、少しは思えるようになってました。

ただ、自分に「何が不安なの?付き合ってあげえるよ」とか、
不安で何も手につかない自分に「心配に付き合ってあげよう」とか、
言ってみるなんて思いもつかなかったです。
なかなか難しい事ですけれど、
人よりちょっと心配性な自分を、そのまま受け入れるようになりたいです。

Re: Soranさん

> こんばんは。
> 丁寧な返信をありがとうございました。
> 確かにpaoさんの仰る通りなんです。いつも付きまとわれるように、
> 側にいる不安感に対して、これさえなければ、どんなにか楽しい人生だろうに…
> 別の人間になってしまいたいと、何度思ったか知れません。
> もちろん、ありえない話ですけれど…ありえない話と分かっていながら、
> どうしても思わずにはいられないのです。
>
> 最近はそれでも、不安はなくならない。
> 共存していく以外にないのだと、少しは思えるようになってました。
>
> ただ、自分に「何が不安なの?付き合ってあげえるよ」とか、
> 不安で何も手につかない自分に「心配に付き合ってあげよう」とか、
> 言ってみるなんて思いもつかなかったです。
> なかなか難しい事ですけれど、
> 人よりちょっと心配性な自分を、そのまま受け入れるようになりたいです。

多くの場合全く違う自分を想像して憧れたりするものですが、あくまで今の自分があっての
自分だということを忘れてしまわないことです。

仮に自分が憧れるような人間に変わったとしたとき、その人は今の自分が大事にしていることを
なんとも思わないような人である可能性が考えられます。

つまり、今の自分から見れば、変わってしまった自分はそれほど魅力的なものばかりではないと
気がつくのです。
これを犠牲にするくらいなら、変わらないほうが良かったと思ってしまう面もあるかもしれないのです。
好きな部分も嫌いな部分もからみあって今の自分というものがあるのであって、嫌いな部分だけ
無くなってくれというわけにはいかないのですね。


それと、完璧主義は心配性と結びつきが深いことも気をつけましょう。
完璧に変わりたいなどと思わないほうがいいのです。
いつもは10心配するところを、今日は8つで終わらすことができたと思ったら、
大成功だと思って、それを喜んでいくことです。

そのうちに、「そうか、このぶんなら全部心配がなくならなくても、なんてことはなさそうだな!」
と気がつく時がくるでしょう。

全く心配などしない人のように見えても、実際にはその人なりの問題を抱えているものです。
別にそれが残っていたって、それが普通の状態と思えてきたら「心配性」というのも
少し離れて見てみたら、こういうモノだったんだなと分かってきます。

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