« ホーム »

あちらの時間

今日はいつもと違う文体で書いてみようと思う。

あちらの時間」と題したが、「あちら」とはよくあるスピリチュアルな世界の話ではない。

まずは、「二つの時間」という記事の引用から見てもらいたい。

「風の旅人 編集便り」「二つの時間」 という記事から

このテーマの狙いは、ざっくらばんに言うと、私たちが、「あちら」と「こちら」の二つの間を同時に生きていることの前景化。

現代社会は、「こちら」のバイアスが強すぎる。それゆえ、「こちら」(現実)からの逃避としての「あちら」(非日常)が、ディスニ―ランドのように設定されるが、それは、「こちら」の視点で作られたものにすぎない。
 そのように「こちら」からの逃避先としての「あちら」を設定する必要はなく、「あちら」も「こちら」も、ごく日常的に自分の中を流れていて、それをどう感知するかだけの問題だろう。
ーーーーー
 現代人が、「こちら」と信じこんでいるものは、実は、近代合理主義に適った言語で指し示すことの可能な範囲ということにすぎない。

「それがいったい何の役に立つか?」とか、「その仕組みはどうなっているか?」とか、「こういう理由だから、こうなる」とか、「相手がこうくるから、こう対応する」とか。これらは、論理に置き換えやすいので非常に説得力があり、この種の思考の得意な人が、社会的に優位な立場に立ち、こうした思考の癖を蔓延させていく。
 しかし、実のところ整然たる論理で計れるモノゴトは、私たちが生きている全時間の10分の1にも満たないかもしれない。にもかかわらず、人生の節目においてモノゴトを判断して決定していく際に、近代合理主義言語で指し示すことが可能なものを、より重要視してしまう傾向にある。また、多くの人が、そうした判断を重視するがゆえに、社会全体のシステムがそうなっていく。
 そして、社会人になると、モノゴトを考えるために脳のスイッチを入れるたびに、「何の役に立つのか?」いう思考言語が作動するようになってしまう(子供の頃から、そのスイッチを強引に刷りこまれる)。
 結果として、私たちの人生全体の10分の1にも満たないかもしれない近代合理主義に染まった社会的意味が、そこから外れる時間を「無意味化」し、浸食していく。
 理屈ではわからなくても身体がそれに抗うので、時々、息抜きと称して、「あちら側」(非日常)で遊びたくなるわけだが、「こちら」からわざわざ出かけていくものとして設定される「あちら」は、実のところ、「こちら」の忠実な僕をつくるための、ガス抜き装置でしかない。
ーーーーー
 現代社会は、私たちの物の見方を揃えるように一貫した教育を行い、全ての人が共有できるように時間を標準化し、規格化された檻のなかで人間を管理しようとする。

 そうした便宜上の規格を、いつのまにか普遍の基準であるかのように錯覚し、その枠組みから外れられないという強迫観念によって、人の生と、人が構成する社会に歪みが生じている。

 枠組みを管理したい権威組織は、枠組みから外れるものを見下し、嘲笑し、時には憎悪し、躍起になって偏狭な視点を押し付けてくるが、そうした暴力を軽くかわせる視野の広さと心の柔軟性を確保しておくことが、健やかに生きるためには不可欠だろう。
ーーーーー
この”違和感覚”は、私でもなんとなくわかる。どんな表現も、それじたいが目的なのではなく手段にすぎない。その手段を通じて実現していくものこそが自分にとって大切であり、手段がそれに相応しいものかどうか常に自分自身に確認しながら、違和を感じたならば執着せずに、新しいスタイルを模索していくことも 必要だろう。もちろん、中途半端な取り組みだと何も見えてこないので、一度決めたからには、ある期間、無我夢中でやることも大事だが。
ーーーーー
「境の旅人」は、自分が関わっているものに対する頑迷なる執着はない。それが無くなれば自分の全てが無くなってしまうという自己執心が活動の動機にはならず、この世界を生きていく上で、自分にできる大切なことを探し求めて、暖簾のようにユラユラと揺れ続けることになる。



「こちら」の世界は、非常に説得力がある。

それは現代社会が「こちら」の世界こそが全てであるように作られてきたからだろう。

そこから外れた「あちら」の世界は、そんなものは気のせいだとばかり無視され、忘れようとしてしまう。

社会がそのように作られたというのがひとつだが、それにつれて言語というのも「こちら」の世界を説明するのに適当なものばかりが優位になってくる。

そのような言葉で考え続ければ、「あちら」の世界は言語で表現できず、「なにか言いたいのだがうまく表現できない」というもどかしいものになってしまう。

「こちら」の世界が主張するものが優位で説得力を持つのは、このような事情から仕方がないことだが、だからといって「わたし」にだけ見える「あちら」の世界をあきらめて捨て去ってもいいと言うことではない。

「あちら」の時間に滞在してきたいと思いながら、それをうまく捉えられないあまり、「こちら」の世界を探し求めて、いつか見つかるだろうと探求しても失敗するだろう。

   ハンモック   鳩にえさ


「それがいったい何の役に立つか?」という発想からは、行為自体が目的であるという世界は見えてこない。

役に立つ」「何がより重要」「優先するべきこと」に追い立てられて生きていると、「いまここ」で思いついた、何かをやりたいという衝動は、より優先すべきことに強引に横はいりされて抹殺されてしまうのだ。

それは、せっかくの「あちら」の世界への勧誘を退けてしまう。

また「あちら」の時間への欲求が満たされないまま、でも具体的には何をなくしたのかわからない(表現できない)まま不満を残して「こちら」の時間に浸りきることになる。

言語は、時代や社会を反映してどんどん変化していくものだが、それによって特に「こちら」の世界は容易に変化する事になる。

老子の「無為」という言葉が理解しにくいのも、「あちら」の世界を指しているからかも知れない。

 そこで私は行動を起こさないことの恩恵を知る。
 言葉無き教えに従えば、
 行為しないことはこの世に比べるものがないほど有益なものである。



「あなたの意見はどうなんですか」と強要される「こちら」の世界では、「こちら」の言語に自分を押し込めて表現しないと答えることができない。

「あちら」の世界の行為は、「こちら」の世界では無目的な行為とみなされて、それに従うかぎり主張できない後ろめたいことにされてしまうかも知れない。

「こちら」の論理に対抗するには、思考を止めて「あちら」の時間へシフトしてしまうことだ。
思考で納得してからでは「あちら」へはシフトできない。

そして「あちら」の時間に浸ることを習慣化していきたい。
そうしないとこの社会では「あちら」の世界は「主張」に当たる手段を持たないからだ。

「境の旅人」は、自分が関わっているものに対する頑迷なる執着はない。それが無くなれば自分の全てが無くなってしまうという自己執心が活動の動機にはならず、この世界を生きていく上で、自分にできる大切なことを探し求めて、暖簾のようにユラユラと揺れ続けることになる。




気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 





[関連記事]
無為
自然(じねん)
無分別

関連記事

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







コメントの投稿

非公開コメント

No title

しのぶのあっちがわというタイトルを思い出してしまいましたが。。。(笑)

ここ数年特に感じているんですが、何かを押し付けられている感覚がありますね。
それがこちらの論理なんでしょうか?
ちょっと本文と違うかもしれませんけど、ニュースの報道の仕方とか気になります。

Re: No title

> しのぶのあっちがわというタイトルを思い出してしまいましたが。。。(笑)

ははは、思いつきませんでした。

> ここ数年特に感じているんですが、何かを押し付けられている感覚がありますね。
> それがこちらの論理なんでしょうか?
> ちょっと本文と違うかもしれませんけど、ニュースの報道の仕方とか気になります。

ニュースの報道というのは、確実に時代を反映していますね。
徐々に変化していくと、それに気づけなくなってしまうのは怖いですね。

それと報道番組でもだんだんとキャスターや評論家の独自色を出す事が多くなっていて、
気がついたら誘導されているということもあるかと思います。

それから、洗練されていくことと、取り込まれていくことを見分けるのはなかなか難しいことです。
古い日本映画を見たりすると、言葉遣いとか今だと非難されるような考えを平気で話しているのを見て驚くことがあります。それってどちらが本来の人間性なんだろうとか考えたり。


No title

あぁ……成程です。

この文章の考案者

それを見出し、私たちのような人へ
展開し繋いでくれる人。

これからは、とても大切かと思います。

Re: No title

> あぁ……成程です。
>
> この文章の考案者
>
> それを見出し、私たちのような人へ
> 展開し繋いでくれる人。
>
> これからは、とても大切かと思います。

わたしもたまたま出会った文章ですが、こういう表現があるんだと感心しました。

表現したいけれど、言い表せない世界を見つけられた気分です。

sidetitle最新記事sidetitle
《最近7日間の人気順位》
~ランキング全体をみる~
~ランキング全体をみる~

sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle全記事表示リンクsidetitle
過去の記事はこちらから↓

全ての記事を表示する

sidetitleブログ紹介sidetitle
☆~新刊⌒☆
☆ちゃん見るシリーズ☆


好評発売中


アルファポリス
第2回エッセイ・ブログ大賞
特別賞『タオに生きる』 pao
WebコンテンツPickUP!タオに生きる
【 エッセイ・日記・blog > blog 】
老子の教えに学ぶ
老子のいう「タオに生きる」ということはどういうことなのか。さまざまなアプローチから、自らの考えや学んだこと、思ったことが綴られています。心をやすめ、身体をやすめ、穏やかで落ち着いた生活をしたい……そう願う人たちにとって、ヒントに溢れたブログです。


ez-HTML





PRR
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカレンダーsidetitle
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
sidetitleにほんブログ村sidetitle
sidetitleスポンサード リンクsidetitle
sidetitleメール心理相談sidetitle
メールを利用して1,000円/週で心理相談を受け付けています。
詳しくは下記から「どういう内容か知りたい。」旨のメッセージをお送りください。





アクセスカウンター
アクセスカウンター
アクセスカウンター
ブランド買取優良店***word-2******word-3******word-4******word-5******word-6******word-7******word-8******word-9***


このエントリーをはてなブックマークに追加

sidetitleジャンル・ランキングsidetitle
[ジャンルランキング]
心と身体
76位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
スピリチュアル
24位
アクセスランキングを見る>>

sidetitle検索フォームsidetitle


もう一つの「タオに生きる」カテゴリー別
Screen Shot_30p ※徐々に更新しています
タオに生きる(人間関係)
タオに生きる(アドバイタ関連)
タオに生きる(YouTube#1)
タオに生きる(YouTube#2)


[上位タグ20]
感情、莊子、思考、怒り、罪悪感、老子、いまここ、人間関係、バイロン・ケイティ、交流分析、タオ、エックハルト・トール、ありのまま、許す、YouTube、老荘思想のコラム連載、不安、過去、無為、OSHO

sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleアクセスランキングsidetitle
訪問いただいているサイト
(週間 木曜日リセット)
※こちらでタイトルを入れさせてもらっていますが、出したくないとか変更したいという方はご連絡下さい。

sidetitleカテゴリsidetitle
カテゴリーを追加し整理しました。 バイロン・ケイティ、エックハルト・トール、ガンガジ、ムージ、OSHO
sidetitleQRコードsidetitle
QRコード
FX