« ホーム »

粗忽長屋(そこつながや)

常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。
Einstein_ja アインシュタイン名言集


この言葉を考える時、「私とは誰か」という認識は非常に危ういものでしかないことを思います。

だれもが、今の自分が考えている自己イメージこそが自分だと信じていますが、それが状況が変化したときにも一貫して持ち続けられるものだとはとても思えません。

テレビドラマでよくあるパターンですが、エリートとして仕事やお金こそが信じられる唯一のものだと信じている人物が登場します。
彼は、能力のない人を負け犬だと罵って、今の自分以外の価値観を否定します。
しかしある日突然、脳梗塞かなにかでで突然倒れて、自分が障害の残る身体になってしまう。

    書類を持って電話

その事態にたいして、今まで思っていた自分が本物なら、今の自分は負け犬でもはや生きる価値がないことになると知ります。

今までの社会的な自分がもはや通用しないものになったとき、彼は問いかけなければなりません。
今の自分を受け入れるには、「自分とはなにものか」それをどう考えればいいのだろう。

今の「わたし」だと思っているものは、まさにこのような問いかけから、どこかの時点で作りあげた自己イメージにすぎません。

明確に知っていると思い込んでいた自己イメージも「見知らぬもの、汝の名はわたし」であることに気がつきます。

粗忽長屋という落語があります。

「粗忽」とは、あわてん坊のこと。落語の世界でしか聞きませんがね。

長屋住まいの八五郎と熊五郎は似た者同士で、
兄弟同様に仲がいい。

八五郎は不精でそそっかしく、
熊五郎はチョコチョコしていてそそっかしいという具合で、
二人とも粗忽さでは、
番付がもしあれば大関を争うほど。

八の方は信心はまめで、
毎朝浅草の観音様にお参りに行く。

ある日、
いつもの通り雷門を抜け、
広小路にさしかかると、
黒山の人だかり。

行き倒れだという。

    雷門

強引に死体を見せてもらうと、
そいつは借りでもあって具合が悪いのか、
横を向いて死んでいる。

恐ろしく長っ細い顔だが、
こいつはどこかで見たような。

「こいつはおまえさんの兄弟分かい」
「ああ、今朝ね、どうも心持ちが悪くていけねえなんてね。
当人はここで死んでるのを忘れてんだよ」
「当人? 
おまえさん、兄弟分が浅ましい最期をとげたんで、
取りのぼせたね。
いいかい、しっかりしなさいよ」
「うるせえ。のぼせたもクソもあるもんけえ。うそじゃねえ明かしに、
おっ死んだ当人をここへ連れて来らァ」

    あわてて走る

八五郎、脱兎のごとく長屋へ駆け込むや、
熊をたたき起こし、
「てめえ、浅草の広小路で死んだのも知らねえで、
よくもそんなにのうのうと寝てられるな」
と息巻く。

「まだ起きたばかりで死んだ心持ちはしねえ」
と熊。

昨夜どうしていたか
と聞くと、
本所の親類のところへ遊びに行き、
しこたまのんで、吉原をヒヤカした後、
田町でまた五合ばかり。
その後ははっきりしない
という。

「そーれ見ねえ。
つまらねえものをのみ食いしやがるから、
田町から虫の息で仲見世あたりにふらついてきて、
それでてめえ、お陀仏になっちまったんだ」

そう言われると、熊も急に心配になった。

「兄貴、どうしよう」
「どうもこうもねえ。死んじまったものはしょうがねえから、
これからてめえの死骸を引き取りにいくんだ」
というわけで、
連れ立ってまた広小路へ。

「あらら、また来たよ。
あのね、しっかりしなさいよ。しょうがない。
本人という人、死骸をよくごらん」

コモをまくると、いやにのっぺりした顔。

当人、止めるのも聞かず、死体をさすって、
「トホホ、これが俺か。なんてまあ浅ましい姿に……
こうと知ったらもっとうめえものを食っときゃよかった。
でも兄貴、何だかわからなくなっちまった」
「何が」
「抱かれてるのは確かに俺だが、
抱いてる俺はいってえ、誰なんだろう

粗忽長屋(そこつながや): 落語あらすじ事典 千字寄席


「その後ははっきりしない」という熊さんの行動は、夢で見た内容と何も変わりはないのです。
事実酔っぱらって記憶をなくしているのですから、誰かそれを見た人でもいなければ、夢なのか現実なのかも定かでは在りません。

「抱かれてるのは確かに俺だが、」
今見えている姿形は、自己イメージそのものだと言います。

「抱いてる俺はいってえ、誰なんだろう
行動している主体である「俺」は誰だかわからないのです。

    考えるウサギ2

わからない自己を拠り所にはできないというので、「自分とはなにものかそれをどう考えればいいのだろう。」と問いかけて急場しのぎで作りあげた自己イメージは、あたらしい社会的な自己を作りあげるだけです。

それは本当の自分と言うよりも、「自分を納得させるための自己イメージ」でしかありません。

状況に応じて着替えていく自分も、ある意味では自分そのものかも知れませんが、事態が変化すれば容易に切り捨てられてしまう自分に過ぎません。

そのような自分が信じている価値観もまた、なんとも危うい信念でしかありません。

いままでの自分が死んでしまったことに気づいて、ふと、そそっかしい自分を忘れて、我に返った熊さん、

「抱いてる俺はいってえ、誰なんだろう

といっている主観とは誰のものなのでしょうか。

気に入っていただけたら応援お願いします ↓↓
 人気ブログランキングへ 




[関連記事]
ゴープラムの彫刻
役に立つこと
一切皆苦


関連記事

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







コメントの投稿

非公開コメント

こんにちは!

粗忽長屋(そこつながや)、読み終わったあとに不思議な気持ちのする話です。
paoさんの最初のテレビドラマでの話をもう一度読み直すと、
「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクション」というアインシュタインの言葉がきわだってきます。
18歳ってポイントの年齢ですね。
18歳以降にいかに色んなことを身に付けていくかという事も大切ですね。
このアインシュタインの言葉、メモしておきます♪

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

こんにちわ^^

「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクション」
と言うのは聞いた事があります。
確かに自分の常識は他人の非常識かもしれません。

ただ、アインシュタインの場合は、ユダヤ人で
迫害を受けた立場であったので、言い得ていると思いますが
日本人の場合はどうでしょうか?

これを自分本位にとらえてしまうと、常識なんて
身につける必要がないと誤解する子供が出てきそうな気がします。
あるいは、常識なんてない方がよい人間だと思うかもしれません。

大切なことは常識と言う言葉の捉え方のような気がします。
周りの事を考え前向きに生きると言った広義の意味での
常識はやはり、正しいものと考えます。

Re: こんにちは!

りい子さん

アインシュタインはご存じのように常識にとらわれない発想を大事にする人でした。
それだけに、社会の常識を偏見の集まりだと疑ってみることを考えたのは、ごく自然な流れだと思います。

> 18歳以降にいかに色んなことを身に付けていくかという事も大切ですね。

今の時代では18歳ではまだ無理かも知れませんが、どこかで折り返して今まで取り込んできた知識を、今度は自分なりに捨てていく過程というのが必要なのかと思います。

アインシュタインが言おうとしたのは、そういうことではないかと受け取りました。

Re: こんにちわ^^

たえさん

確かに子どもにとっては常識は大切ですね。

その時代に生きる人間にとっては、常識はその時代のエッセンスですから
それなしでは不都合が生じます。

アインシュタインの言葉ですが、彼の常識にとらわれない発想方法からすれば、
いったん常識を偏見だと疑ってみるというのは、自然な流れであって、
そこから生まれてきた言葉だったのではないでしょうか。

ところで常識というのは、無くても困りますが、今の社会に生きる人にとっては、
それが不足して困ることよりも、身につけてしまった常識のとらわれが自然な生き方
を阻害する方が大きいのではないかと思います。

記憶というのは、忘れますといって簡単に無くなるものではありません。
これが正しいから残すとか、これは間違っているから捨ててしまうと言うのが
それほど簡単にはできないのです。

この記事で書いていることには、自分で判断できる年齢になったら、
今までの常識を捨てていくというという方向も必要になるという考えが根底にあります。

どれが正しいかではなくて、手放すことで残るものは何かというのが主題なんです。

粗忽者を笑うという話ではありますが、「抱いてる俺はいってえ、誰なんだろう」と語る
主体が誰なのかという問いかけを書いてみようと思ったわけです。


sidetitle最新記事sidetitle
《最近7日間の人気順位》
~ランキング全体をみる~
~ランキング全体をみる~

sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle全記事表示リンクsidetitle
過去の記事はこちらから↓

全ての記事を表示する

sidetitleブログ紹介sidetitle
☆~新刊⌒☆
☆ちゃん見るシリーズ☆


好評発売中


アルファポリス
第2回エッセイ・ブログ大賞
特別賞『タオに生きる』 pao
WebコンテンツPickUP!タオに生きる
【 エッセイ・日記・blog > blog 】
老子の教えに学ぶ
老子のいう「タオに生きる」ということはどういうことなのか。さまざまなアプローチから、自らの考えや学んだこと、思ったことが綴られています。心をやすめ、身体をやすめ、穏やかで落ち着いた生活をしたい……そう願う人たちにとって、ヒントに溢れたブログです。


ez-HTML





PRR
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカレンダーsidetitle
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
sidetitleにほんブログ村sidetitle
sidetitleスポンサード リンクsidetitle
sidetitleメール心理相談sidetitle
メールを利用して1,000円/週で心理相談を受け付けています。
詳しくは下記から「どういう内容か知りたい。」旨のメッセージをお送りください。





アクセスカウンター
アクセスカウンター
アクセスカウンター
ブランド買取優良店***word-2******word-3******word-4******word-5******word-6******word-7******word-8******word-9***


このエントリーをはてなブックマークに追加

sidetitleジャンル・ランキングsidetitle
[ジャンルランキング]
心と身体
37位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
スピリチュアル
11位
アクセスランキングを見る>>

sidetitle検索フォームsidetitle


もう一つの「タオに生きる」カテゴリー別
Screen Shot_30p ※徐々に更新しています
タオに生きる(人間関係)
タオに生きる(アドバイタ関連)
タオに生きる(YouTube#1)
タオに生きる(YouTube#2)


[上位タグ20]
感情、莊子、思考、怒り、罪悪感、老子、いまここ、人間関係、バイロン・ケイティ、交流分析、タオ、エックハルト・トール、ありのまま、許す、YouTube、老荘思想のコラム連載、不安、過去、無為、OSHO

sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleアクセスランキングsidetitle
訪問いただいているサイト
(週間 木曜日リセット)
※こちらでタイトルを入れさせてもらっていますが、出したくないとか変更したいという方はご連絡下さい。

sidetitleカテゴリsidetitle
カテゴリーを追加し整理しました。 バイロン・ケイティ、エックハルト・トール、ガンガジ、ムージ、OSHO
sidetitleQRコードsidetitle
QRコード
FX