時間にとらわれること
瞑想は経験を継続したり拡張したりすることではない。経験には必ずその目撃者がおり、彼は常に過去に縛られている。それに対して瞑想は、あらゆる経験に終止符を打つことにほかならない全的な無行為である。経験的行為は過去に根ざしており、常に時間に縛られている。そこからは混乱の原因となるような行為が生まれるだけである。瞑想とは、過去に惑わされることなくあるがままの現実を見るような精神から生まれる、全的な無行為である。そのような行為は外部からの働きかけや問いかけに対する反応ではなく、働きかけと一体であり、それゆえ二元性がない。
クリシュナムルティの瞑想録―自由への飛翔
J. Krishnamurti サンマーク出版 / 1998-09
時間にとらわれているとき、いま現在の目の前の働きかけと一体になれません。
ここでいう時間とはどういうものでしょう。
過去の経験は、現在のあなたにどのように影響を与えるのでしょうか。
過去の記憶とは、ビデオやDVDといったメディアに記録されたような、情報そのものの集まりではないだろうというのが、脳の働きから考えた場合の最近の考え方のようです。
それは、静的に蓄積された情報ではなく、動的に想起される手がかりから、いま現在において毎回作り出される思考のようなものです。
ですから、あなたがいま過去を描き直さないかぎり、突然思い出されるようなものではないのかも知れません。
そして未来というのも、思考によって作り出されたものです。
未来に不安を感じるという言い方をしますが、まだ起きていない未来自体には、不安を作り出す要素はありません。
それは、未来を想定したときに喚起される、過去の経験からの不安でしかないのです。
ですからあなたが思考から解放されていれば、未来への不安は感じないということになります。
蝶々が蜜を求めて、花から花へ移り飛んで行くとき、蝶は今日は蜜が得られるだろうかという不安は持っていないでしょう。

わたしたち人類も、祖先はそのような生活だったかも知れません。
その日その日の食料が獲得できたら、それを消費する。
獲物がないときは、飢餓状態に耐えなければなりません。
それは、食料がないことと苦しさを結びつけることを生み出したかも知れません。
飢餓状態に備えて、食べられるときにできるだけ食べて、体脂肪などの形でエネルギーを蓄えようとする身体が作られます。
そのうち、身体だけではなく、食料自体を外部に蓄積することを考え出します。
その日の獲物を、その日に消費するのでなく、後日のために保存する工夫を考え出すわけです。

食料が目の前に多く蓄積できたことは、より長く飢餓状態から解放される日が続くことに気づきます。
そして、食料の量を比較、計量することを考え出すことになります。
それは、裏返せば食料の少ないときは、多いときより嬉しくないという感情を生み出したかも知れません。
さらには、貯蓄の少なさに、未来への不安を感じることへとつながってきます。
このように考えれば、目の前の現実だけにかかわっているとき、問題になる思考はかかわってこないことも想像できます。
瞑想とは、過去に惑わされることなくあるがままの現実を見るような精神から生まれる、全的な無行為である。
「瞑想」という言葉が使われていますが、これは「瞑想」という名の修行の様な行為を指しているのではなく、生き方そのものの意味で使われています。
ここでいう「全的な無行為」とは、いいかえれば思考に影響されない、見ることと行動することが一体となった行為ということでしょう。
そしてまた、「全的な無行為」とは、時間にとらわれない生き方にほかなりません。
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