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道を求めること

生きる「」を求めたり、生きがいを「」に求めるということがあります。

言い換えれば、その「」の為に努力することを生きがいにする、拠り所にするということです。

孔子は「明日にを聞かば夕べに死すとも可なり」と言いました。

しかし、このような誰かが決めた「正しい」というのは、どれほどの正しさがあるのでしょうか。

標識


確かなものが見えないとき、ひとは不安や孤独に耐えられないため、何かにすがろうとします。

これが正解だと「正しい」なるものを、説得力を持って示されれば、思わず飛びついてしまうものです。

それを信じることで、自分の正しさが保証されるとなると、自分に自信を持てない人ほど、それを信じたくなります。

この通りにしていれば、あなただけは天国に行けます。あなたは選ばれた人になれます。

このようにいわれてしまうと、自分も選ばれた人になりたいと思ってしまうのです。

ただ、そのようなことを唱える人は、必ずしも人を騙そうと思っているとは限りません。

そのような人もいるかも知れませんが、大抵は自分自身もそのことを信じているわけでしょう。

なまじ説得力を備えていたりすると、その人が与える影響は大きいものになってしまいます。

それが唯一の正解であれば、問題はないのかも知れませんが、そもそも唯一の「正解」というのがあるものかどうか、これが問題なわけです。

なにかの「正しさ」を真剣に信じてしまうことは、あなたの視野とこころを狭めてしまいます。

その正しさを守るために、あなたは自分の正当性を主張し、意見の違う人を批判し、議論しなければならなくなるのです。

待ったをする主婦       怒る主婦1


正しさ」を拠り所にするがゆえの弱さが、そこには生じてしまいます。
拠り所が崩れ去ることに、恐怖を覚えてしがみついてしまうのです。

しかし、柔軟さや余裕を失った心は、見える世界を狭いものにしてしまいます。

自分こそが正しいと思うことは、あなたが生きることを窮屈にしてしまいます。

生きる上で大切なことは、正当性ではなく柔軟さや余裕です。

柔軟で、遊び心があり、融通の利くこころ、曖昧さを受け入れられる能力が必要です。

目的というのは、時代や国や地域、年齢や経験、そしてその日の気分や状況によっても、容易に変わってしまうものです。

ところで、老子こそ「道だ、道だ」といっているではないかと言われるかも知れません。

しかし、老子が言う「道(タオ)」は、具体的なもの、人為的なものではありません。

老子は、そもそも最初に、次のように言い切ってしまいます。

「ことばで説明できるようなものは、道ではないのだ」

山への道


具体的な拠り所を求めている人にとっては、「この人は、いきなりなんてことを言い出すんだ!」と感じてしまいます。

そんな言葉にならないようなもののために、頭を使いたくないよ。
もっと、即効性のある、具体的な拠り所を教えてくれよ。
形而上学では生きられないよ。

というわけですね。

ただ、上でも述べたように、基準というのは、時代や国、年齢や経験、いろいろな状況によって、容易に変わってしまうものです。

絶対的な固定した正しさなど、求める方が無理がある、不自然なあり方ではないでしょうか。

老子の言葉は、よく孔子などの儒教的な考えへのアンチテーゼであると指摘されます。

実際に老子が、孔子以後の人だったかは、正確なところはわからないようです。

しかし孔子かどうかはわからないにしても、老子の時代の「正しい道」に対して、これではいけないだろうという考えを持ったということは、充分にありそうなことです。

ありもしないものを、弱さから、恐れから信じてしまうのではよくないこと。
常に変化する現実をありのままに見ること。
何でも人間の考えるとおりには、いかないという事実を受け入れること。

ここから出発することを、言いたかったのだろうと思います。

宗教1


そして、人間が陥りやすいこころの弱さを知った上で、
絶対的な正しさなど求めないこと、
限界を知ること、
ありのままを思い出すこと、
そういったことを逆説的に解いていったのが、
「老子道徳経」であったのではないでしょうか。

たしかに、決まった道が出来上がっていれば、面倒が無くて楽なのかも知れません。

しかし、そうなったら、あなたは一直線にひたすら道に従うことになります。
そして、もしあなたがそれをさぼったら、あなたはすぐにアウトになってしまいます。

そんな生き方をしたいと思いますか。
そんな正しさが欲しいでしょうか。

そんなことになるくらいなら、

面倒でも、時々苦痛を感じても、
変化があって、自由な余地が残されて、
時には予期しないことが起こり得るような

そんな世界に戻りたいと思うのではないでしょうか。

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No title

融通無碍みたいな感じでよいのですか?
天に恥じず、自分に恥じず、親に恥じず。
考え方が<恥>っていうのが起点だと日本的になるんですかね?
自分の良心が拠りどころにできるように、磨くとよいのかな。

疑問系ばかりのコメントでスミマセン。

Re: No title

こちくん さん いつもありがとうございます。

老子の場合、恥とか道徳的という考えはないと思います。

むしろ孔子などの儒教的な道徳を批判しているのが、老子の考え方ですね。

老子の言う「道(タオ)」は、まず人為的なものではないと考えた方が良いでしょう。

人為的であることをやめて、自然の流れに任せること。
足を知ること、へりくだることの大事さを説いています。

わたしが無為の立場を守っていれば、人民は自然に感化される。
わたしがただ静かであることを好んでじっとしていれば、人民は自然に正しくなる。
わたしが何もしないでいれば、人民は自然に富んでくる。
わたしが無欲でさっぱりしていれば、人民は自然に樸(あらき=切り出したままの木材)のようになる。
(第五十七章)


だからタオに従う人は、自分が何かを造りあげてもいばらない。
成功しても、その結果を自分の手柄にしない。
自分のやったことだと主張しないから、かえって人もそのことを忘れない。
またその人の成果を奪い取ろうとするものも現れたりしないのだ。
(第二章)

タオを体得したら、何事も簡単に決めつけられるものでないから、割り切って考える様になる。
清廉さが良いからと言って、人にそれを押しつけたりしない。
まっすぐなのが良いからと言って、人をその通りにさせようとしない。
光る存在だが、人をまぶしがらせるようなことはしない。

(第五十八章)

大国がこのようにするのは、小国も自分の国と同じように平等に養おうとおもうからである。小国はまた大国の傘下に入って安全を保とうとするのである。
このようにして、両者ともおのおのその望みをかなえることが出来る。
だから重要なことは、とくに大国は、自分が下流にいて一番下で自分の役割を果たそうとするのが大切なのである。

(第六十一章)

No title

こんにちは。「自分探しのブログ禁パチ禁スロ鬱病日記」の管理人のシンと申します。心の病気はやはり似た境遇を体験した人どうしの繋がりが大事なんだと気付きました。大変恐縮なのですが相互リンクをさせて頂けませんでしょうか?私のような弱小ブログを相手に相互リンクをするのは抵抗があると思いますが、私は人との繋がりを大事にしたいと考えております。

http://blog.livedoor.jp/dreamcatchshin-zibunsagashi/

こちらが私のブログです。もし宜しければお時間がある時で構いませんのでご検討願えませんでしょうか?どうか宜しくお願い致します。

返信お待ち致しております失礼致します。

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シン

大変共感しました

初めまして。大変共感しました。

道教と儒教は、お互い対極の価値観で、それぞれが陰陽であり、どちらが善でどちらが悪ではなく、お互いがバランスをとっている、と言う事なのでしょうか。

私自身の好みは、道教(老子)の方です。

孔子のような、正しい事は正しいから押し付けではない、と絶対唯一の正義を叫ぶ人がどうしても苦手なのです。頭では、対極図を理解していても、感情が追いつかない事が多いです。

私の中にも、多分孔子がいるのでしょう。孔子を裁いたら、それはもう老子ではありません。

でも、孔子を前面認めたら、独裁者の助長にはならないのでしょうか・・。

老子には、孔子を受け入れる許容がありますが、孔子は、正しさの押し付けを決してやめず、相手を悪者にして問題解決をはかるので、どうしても嫌いな気持ちが収まりません。

大人げない質問ですみません。私はいつもそんな悩みを抱えています。

(この文章の孔子、老子、は対極の価値観の人として使わせて頂きました。孔子の人格を否定している訳ではありません。)

Re: 大変共感しました

> 初めまして。大変共感しました。
>
> 道教と儒教は、お互い対極の価値観で、それぞれが陰陽であり、どちらが善でどちらが悪ではなく、お互いがバランスをとっている、と言う事なのでしょうか。
>
> 私自身の好みは、道教(老子)の方です。
>
> 孔子のような、正しい事は正しいから押し付けではない、と絶対唯一の正義を叫ぶ人がどうしても苦手なのです。頭では、対極図を理解していても、感情が追いつかない事が多いです。
>
> 私の中にも、多分孔子がいるのでしょう。孔子を裁いたら、それはもう老子ではありません。
>
> でも、孔子を前面認めたら、独裁者の助長にはならないのでしょうか・・。
>
> 老子には、孔子を受け入れる許容がありますが、孔子は、正しさの押し付けを決してやめず、相手を悪者にして問題解決をはかるので、どうしても嫌いな気持ちが収まりません。
>
> 大人げない質問ですみません。私はいつもそんな悩みを抱えています。
>
> (この文章の孔子、老子、は対極の価値観の人として使わせて頂きました。孔子の人格を否定している訳ではありません。)

老子が道(タオ)という言葉で説明できない、人間に走ることの出来ない流れのようなものを持ち出したのは、言葉にしてしまった途端に物事に境界をつくりだし、自分は右だ、いや左だと言い出すことがわかっていたからでしょう。
そんな人が考え出した基準に従うのではなく、「タオに沿って生きているかどうかを自分に問いかけてみなさい」と言っているように思います。

ご指摘のようにバランスをとると言うことは、老子の考えのひとつの核を為すものです。
両側の極があるとき、片方の極を過ぎれば反転して逆の極に行き着く(太極図はこれを表すものと言われます)

>私の中にも、多分孔子がいるのでしょう。孔子を裁いたら、それはもう老子ではありません。

仮に片方の極に孔子、反対側に老子がいるとします。
※孔子ももちろんただ裁いてしまえと言うような単純なことを言っているわけではないですが、方法論としての孔子的と言う意味です。

時々あなたも誰かを裁きたくなります。そのときの自分は、バランスが孔子よりになっているのでしょう。
そして、そんな自分を見て孔子になってしまったと思うのも、孔子的な発想なのでしょう。
一方で、人を裁いて自分は正しい側、あいつらは間違っていると決めつけることに、違和感やむなしさを感じるとき老子的な側にいるのかもしれません。

そんな揺れ動く自分がいることを知っていること、揺れ動くことをもタオの現れととらえるのが、タオイズムです。逆に自分がどの位置にいるかを気にしたり、それに価値観を持たせようとすることはタオ的ではない。

裁くことは、自分と相手の位置が違うことを指摘することに他ならないのですが、問題は自分は裁く人だと思っている人は、裁かれる側の自分も自分の中に存在することを否定しなければならないことです。

そんな判断など超えた位置に立って、タオに預けられるとき老子が見えてくるのではないでしょうか。




お返事ありがとうございました

pao さんへ

お返事ありがとうございました。愚痴ような発言でしたので、お返事を頂けるとは思っていませんでしたが、ご丁寧に本当にありがとうございました。

正直、タオって難しいですね・・。

私は、正邪善悪、上下優劣で相手を裁く人がどうしても苦手です。でもそれは私の傲慢さの抑圧に違いないので、私は最近思い切って人を裁く発言をしました。

その人がまるで自分が神だとばかりに相手を裁く発言をしたからです。

今度は私が神になって、その人を裁きました。

私は今まで自分の考えは主張しても、相手に自分の価値観を押し付けないように生きてきました。でも今回は、ここで言わなかったらいつ言うのだ、という気持ちになり、気持ちをぶちまけました。

スッキリしたような、でもやはり嫌な気持ちがしました。

私は今までずっと、自分の中の傲慢さから目をそらして、蓋をして生きてきたのだと思います。
でも、私はやはり、謙虚に生きていきたい。無分別智、無為自然の境地になりたいです。

paoさんのコラムを色々拝見させて頂き、タオの中にその答えを学ばせて頂こうと思います。また、お邪魔させて下さい。

Re: お返事ありがとうございました

nobu さん

思い切って実行してみたことはいい経験になったと思います(おすすめはしませんが)。
それよりも、それをどのように生かすかが重要だと思います。

> スッキリしたような、でもやはり嫌な気持ちがしました。

ごく単純化した言い方ですが、スッキリしたのはエゴであり、
いやな気持ちを感じさせた方がタオに繋がる自分だとおもいます。

エゴは今まで作り上げてきた自分であり、実際それを無くして生きることは出来ませんが、
必要なときにはそれと認識して動いてくれる道具のような存在だと思って、
本来の自己を見失わないようにするのがいいのではないかと思います。

今回の相手はあなたにとってゲームの相手にふさわしい状況を作り出したのでしょう。
まずゲームに引き込む「引っかけ」を相手がしきりにちらつかせます。
そしてあなたが反応した結果もたらされたもの、「嫌な気持ち」がその報酬なのです。
「引っかけ」に反応した自分と、「嫌な気持ち」を感じる自分をよく観察してみることです。
※ゲームは交流分析でいう意味で使っています。(いくつかこのブログでも書いているので良かったらご覧ください)

ご自分の状態を良く認識されている方だと思いますので、それを忘れずに自分を知ることを続けられるといいと思います。

ではまた。



> pao さんへ
>
> お返事ありがとうございました。愚痴ような発言でしたので、お返事を頂けるとは思っていませんでしたが、ご丁寧に本当にありがとうございました。
>
> 正直、タオって難しいですね・・。
>
> 私は、正邪善悪、上下優劣で相手を裁く人がどうしても苦手です。でもそれは私の傲慢さの抑圧に違いないので、私は最近思い切って人を裁く発言をしました。
>
> その人がまるで自分が神だとばかりに相手を裁く発言をしたからです。
>
> 今度は私が神になって、その人を裁きました。
>
> 私は今まで自分の考えは主張しても、相手に自分の価値観を押し付けないように生きてきました。でも今回は、ここで言わなかったらいつ言うのだ、という気持ちになり、気持ちをぶちまけました。
>
> スッキリしたような、でもやはり嫌な気持ちがしました。
>
> 私は今までずっと、自分の中の傲慢さから目をそらして、蓋をして生きてきたのだと思います。
> でも、私はやはり、謙虚に生きていきたい。無分別智、無為自然の境地になりたいです。
>
> paoさんのコラムを色々拝見させて頂き、タオの中にその答えを学ばせて頂こうと思います。また、お邪魔させて下さい。

先日はありがとうございました

pao さんへ

先日はお返事(アドバイス)をありがとうございました。paoさんが仰った交流分析(ゲーム)も拝読させて頂きました。

思い当たる点がいくつもありました。私が正しさの押し付けに嫌悪感、拒絶感を覚えるのは、権威主義的な両親を思い出す為だとも分かりました。

今回の私の相手は反応が尋常ではなく、素人判断は危険ですが、もしかすると自己愛性人格者障害かもしれないので(症状が恐ろしいほど酷似していましたので)、今後この経験を無駄にしないよう心掛けたいと思います。

私が幸せを感じる時は、お互いの価値観の違いを楽しめる会話ができた時です。そして、自分が間違っていた、傲慢だった、と気付いた時は、素直にごめんなさいと謝る事のできる謙虚な自分でいたいと思います。盲信するのではなく、色々な人の見方、考え方を学んで、柔軟な自分でいたいとも思います。

まずは時間をかけてゆっくりpaoさんのコラムでタオを学ばせて頂きますね。分からない事があった時はまた教えて下さい!

Re: 先日はありがとうございました

nobuさん

そうですね。焦らずじっくり取り組みましょう。
切羽詰まると早く答えが欲しいと焦りがちですが、結論を出してしまうと自分を知ることが中途半端に止まってしまって、かえって良くない結果になることもあります。

「いつまでも自分について学ぶことはある」と言う姿勢で、取り組まれるのがいいと思います。

> pao さんへ
>
> 先日はお返事(アドバイス)をありがとうございました。paoさんが仰った交流分析(ゲーム)も拝読させて頂きました。
>
> 思い当たる点がいくつもありました。私が正しさの押し付けに嫌悪感、拒絶感を覚えるのは、権威主義的な両親を思い出す為だとも分かりました。
>
> 今回の私の相手は反応が尋常ではなく、素人判断は危険ですが、もしかすると自己愛性人格者障害かもしれないので(症状が恐ろしいほど酷似していましたので)、今後この経験を無駄にしないよう心掛けたいと思います。
>
> 私が幸せを感じる時は、お互いの価値観の違いを楽しめる会話ができた時です。そして、自分が間違っていた、傲慢だった、と気付いた時は、素直にごめんなさいと謝る事のできる謙虚な自分でいたいと思います。盲信するのではなく、色々な人の見方、考え方を学んで、柔軟な自分でいたいとも思います。
>
> まずは時間をかけてゆっくりpaoさんのコラムでタオを学ばせて頂きますね。分からない事があった時はまた教えて下さい!

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