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受動的にありのままの状態とともにいる

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何かを考えずにはいられない、とか、頭のなかが空白になっているのに気が付くと、すかさず思考に入り込もうとしたり、私たちは空っぽでいることが苦手だったり、不安を感じてしまう人も多いでしょう。

空白でいることは、努力しても、いや努力するからこそ、そこから思考に戻されてしまいます。

空白とか、空っぽとか、真空状態になると考えるから難しくなるのです。

ただ、いま、ここで起こってくることと共に存在すると考えれば、自然と空っぽでいられるようになります。

考えまいとするのでなく、考えていない自分で存在できるようになります。
ふと何かの考えに、気を取られるとその思考に溶け込んでしまうのですが、考えることさえもそのまま放っておきましょう。

やがて思考も、ただ通り過ぎていくものだとわかってきます。

同じことを考え続けるのは、ありのままではなく、そこに努力が入り込んでいるのです。

努力や思考を排除しようとするのは、真空を作りだそうとするのと同じように、たちまち空気が入り込もうと圧力がかけられてしまいます。余計に思考が主導力を持とうとしてしまいます。

それよりも、思考をただ通りすぎるのに任せてしまいましょう。来ては去っていくものと思って、そのままにしておけばいいのです。

以下の「観察するということ」で書いたように、受動的にありのままの状態とともにいるようにしましょう。

無抵抗でいるとは、抵抗しようとするのをやめようと思うのでなく、流れと一体になるのです。

短期的に見れば、無理やり力で変えたほうが早いと考えてしまいますが、長期的に見れば、大きな流れに乗っかることで、一体化出来るのです。

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観察するということ
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瞑想の本質は、空っぽでいられることにあるのかもしれません。

空っぽでいることの軽さを体験すれば、わざわざ煩わしいことに飛び込んでいく、ばかばかしさが見えてきて、徐々に遠ざかっていきます。

しかし、だれもが空っぽでいることに不安を感じます。
子どもが夢中で遊んでいるとき、「遊んでばかりいないで、勉強しなさい!」と言われたときのような後ろめたさを感じるのです。

大人になると、いろいろもっともらしい理由付けをしますが、起源はこんなところにあるのでしょう。必然性はなくても好き勝手を制限することが自分を守ってきたという理由で、何となく不安になって、何かをやっているふりをし始めます。

自堕落でいることと空っぽでいることは全く違います。


自分を観察することを取り上げてみましょう。

「そんなこと言われなくても、私は毎日、自分を観察しているよ」
といわれるかもしれません。

しかし、観察していると思っても、実際にやっているのは自分の中での誰かと誰かの対話になっている場合が多いのです。

たとえば、自分Aは「今日はこんなにがんばった。ほめてよ」というのですが、自分Bは「それ位ではではまだまだ、世の中競争は厳しいんだから」といわれて、もっと自分に厳しくしようと反省してみたりするわけです。

しかし、これは内省とでもいうもので、ここで言う観察とは全く別のものです。

また、このようなやり方では、自己を観察しているようでも、予め持っている狙いに合ったことしか見ようとはしないものです。

そして、内省をいくら繰り返しても、いま気づいている自分の範囲を超えた発見はありません。

 

観察は自己を受容することにかかせない手段です。

観察とは普通、目でみることだけを意味しますが、ここでいう観察とは、あらゆる感覚を全て使って自分を観察するのです。

観察とは、何事にも執着しないで、また何かの結果を出そうというはからいの気持ちを持たずに、ただ感じることを受け入れることです。

何かに偏らず、その行為で結果を出そうと思わず、ただただ考えていること、感じていること、聞こえていることが過ぎて行くままにします。

やることは、ただ観察することです。
感じてくるものが何であれ、「それとともに在る」ようにします。

あなたの頭が判断しようとしたり、価値の比較を始めようとしても、それに従わずにただそれを見守ります。

何かを変えようとせずに、ただ起きてくることを受けとります。
徹底して、受動的な姿勢を維持します。

ただ受け取っていると、そのうちあなたの感じとっていることが、考えているのか、感じ取っているのか、身体の感じることなのか、どれともわからない、別の印象を感じる様になるかも知れません。

そのように感じてきたとき、もしあなたがそれについて考えようとすると、それはもう思考に切り替わってしまいます。
そうならないように、何もせずに受動的な姿勢を維持しましょう。

思考は、訳のわからない状態が続くことが苦手です。

そのような自分が管理できない状態が存在することが許せないのです。

だから、だんだん思考がコントロールをこちらに返せと訴え始め、あなたは落ち着かなくなってきます。

しかし、それでも何にもとらわれずに、受動的に感じることを受け流していきます。

 

すでにお分かりかも知れませんが、「観察すること」とは、言い換えれば「瞑想する」ということです。

瞑想と言ってしまうと、難しくて手に負えないと感じるかも知れませんが、ここで言っているように、ただただ見ているだけの観察と考えればいいのです。

最初は、刺激を少なくするために、身体を動かさずにやった方がいいでしょうが、別にどのような姿勢でやろうと、あるいは散歩しながらやるのでもかまわないでしょう。

あなたの思考は、「もっといいことがあるよ」と訴えてくるかも知れません。

しばらく時間を使ったから、いつものように意味のあることに切り替えよう、時間の無駄だよ、と脅しをかけてくるかも知れません。

あるいは、足がしびれてきたとか、かゆくなってきたとか、身体が訴えを始めるかも知れません。

こんなの退屈だから耐えられない、もっと刺激のあることをしようと言う訴えも、全て受け流します。

それらに対して、価値判断を加えずに、ただ観察します。
批判的な思考も、そのまま受け入れます。

結果を期待せずに、あなたがこれで充分だと感じるまで観察を続けましょう。

最初は、何かの思考の力が強くて、あなたを思考に引きずり込んでしまうかも知れません。

その時はその時で、失敗を嘆くことはありません。

あなたを引っ張り込んだ思考こそは、あなたが普段もしばしば入り込んでいる、あなたにとって重要な思考である可能性が高いからです。

そのような思考に気づけただけでも、大きな収穫です。

思考を始めると、その前にあなたが何をやっていたのか忘れてしまう可能性もありますが、それでも「その思考が何であったか」だけでも覚えておこうと、言い聞かせておきましょう。

先程も言いましたが、観察することを続けて、ひたすら受動的な受容に徹すると、イライラを感じ出すかも知れません。

今までなら、あなたはそれを感じると、思考に走ることでそれを回避しようとしてきた筈です。

しかし、観察を続けるあなたは、それらもそのまま受け取り、観察するのです。
今まで支配してきた、その不快感にたいして、何もせずに見ているという態度を崩さないことです。

うまく受容に徹することができれば、それだけであなたはそれをコントロールする側に回れるかも知れません。

問題には対策や行動で答えるという今までの発想を捨て去ります。
ただ何もせずに、観察するだけという解決を、あなたのレパートリーに追加するのです。

最初は、うまくいっているのか、だめなのかも解らないかも知れません。
しかし、繰り返すことで、ただ観察するということを身体で覚えるのです。

いつもなら、ここで思考に支配されてしまったのに、今日はただ何もせずにいられたという感覚を身につけることです。

「そんなに暇じゃないよ」と言いたくなるでしょうか。
「ひま」という言葉は、あなたにどんな感じを与えているのか観察してみましょう。

「暇つぶしなんかするのは怠惰なことだ」という強迫観念でしょうか。
「自分はいつも努力している」と認めたがっているのでしょうか。

「時間はあっても、いまの自分が変わるかもしれないからやりたくない」といっているのかもしれません。
今のままを維持していないと、どこに飛んでいくかわからないことが不安なのでしょう。
あるいは、今までやってきたことが無駄だとわかったりしたら大変だと思うのです。

やる前に、こんなことをして何になるかと考えても答えは出ません。

答えが出るようなら、それは単なるあなたの思考という行為でしかなかったのです。
あなたが、結果を期待して観察ごっこをしたために、期待した結果が導かれただけということです。

そしてそれは、あなたがいままで何度もくりかえしてきた、解決に結びつかない思考ではないでしょうか。
そうなったからといって、こんなことは無駄だと投げ出さないで下さい。

観察によってもたらされる、新しい感覚はそのような予想できるものではありません。

思考ではなく「観察すること」を繰り返すことでそれをあなたのものにしましょう。

それが何をもたらしてくれるかは、あなた自身にしかわかりません。

「今までの結果を期待した思考ではもはや答えが出ない」、そうあなたがあきらめる気になったら、それが絶好のチャンスです。

ただ「観察する人」になってみましょう。


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