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観念的な苦しみと今ここに入り込むことの違い

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 私たちの苦しみは観念的で概念的なものです。そのすべては頭のなかのストーリーに関するもので、土地そのものではなく地図の世界です。どのようなものであれ、私たちを頭の外に、観念的な空回りの外に連れ出し、概念とは関係なく今にあるということに気づかせ、気づいていることの生き生きとした性質と触れさせてくれるものは、大きな解放をもたらす可能性があります。
~「つかめないもの」ジョーン・トリフソン


私たちの苦しみは、大抵が観念的な空回りに過ぎません。
それは頭のなかで、現実の一つを切り取って、いつまでもそれだけをこね回しているようなものです。
今ここに自分が入り込む時に起きることは、そのような観念の空回りとはまったく異なるものです。

たとえば、あなたが必要な何かを買ってこないといけないと思うとしましょう。

観念的な買い物では、「あなたはどの店に行き、そのものを探し、買って帰ってくる」という程度の考えを巡らすだけです。

しかし、「いま・ここ」の現実に自ら入り込んで行う買い物であれば、どのような違いがあるでしょう?

あなたは、店までどうやっていきますか?歩いて?車で?自転車で?
その店に行くまでに何があるでしょう?通りはどのくらい人が行き交っていますか?途中に誰かと出会うかもしれません。救急車のサイレンが聞こえ、通りすぎるのに出くわすかもしれません。子どもの泣く声が聞こえてきました。子どもたちの遊ぶ声、叫び声が聞こえてきます。
さて店につきました。いつもどおりの店の様子ですか?店員は何人いるでしょう?そういえば店員もいつも同じではないことに気がつきます。日によって時間帯によって店員は入れ替わっています。店には他にお客さんがいるでしょうか?店は無音ですか?音楽が聞こえていますか?冷蔵庫か何かの低い音がしていますか?なにか香ってきますか?珈琲の匂い?揚げ物の匂い?パンの匂い?
品物の配置はいつもと同じですか?それともそんなことを見てもいなかった事に気がつきましたか?
必要なものは見つかりましたか?それとも店員に尋ねたでしょうか?・・・・
これくらいにしておきましょう。

観念上の買い物と、いまここに進行する買い物をするあなたの出来事は、このように大きく違っています。
観念上の買い物では、店と品物と買うという行為くらいしか頭にありません。もっと言えば「買ってきた」という1つの断片しか存在しないのです。

さて、それでは、観念上の苦しみということを取り上げましょう。観念上の苦しみとはこのようなものです。
1.「~が起きてしまった。それは起こるべきではなかった。それを思って私は苦しんでいる」
2.「~がこんなことを私に言った。彼女はそんなことを言うべきではない。そんなことを言うなんて驚きだ。それを思って私は苦しんでいる」
3.「私はこのままでいいのだろうか?何かしなければいけない気がする。でもそれが何だかわからない。私はそれが何かがわかるまで苦しんでいなければならないだろう。」

いまここに進行する現実ではどうなるでしょう?
1番は、現実においては絶えず起こっていることです。あなたにとって、「起きるべきこと」、「起きてはいけないこと」、「どちらでも関係ないこと」、これらが入り混じって絶えず起きては通り過ぎていきます。
観念上の苦しみとは、その変化の1つの面だけを切り取って、それを固定して何度もいろんな方向からそれを眺めようとしているだけなのです。

2番では、確実になのは、彼女が何らかの言葉を語ったということだけです。
現実には、先ほどと同じように、人はあなたにとって「言うべきこと」「言ってはいけないこと」「どちらでもいいこと」を、絶えず発しているのです。そして、様々な発言は語られては消え去って行くのです。いつまでもとどまってはいません。
たまたまあなたが、気になった言葉だけを切り取って問題視するから、観念上の固定が起こります。
言葉だけが固定される時、もはや彼女がどのような表情で、どのような文脈で、どのような思いで語ったのかは、だんだん曖昧化され言葉の意味だけが抽出されていくのです。

3番は、観念が現実に先行しています。現実ですらない「何かしなければ」という観念が、いまここという現実を遮断して観念の世界に入り込んでいるのです。
「いま・ここ」でできることは何かに目を向けるなら、このような意味のない観念は消え去っていきます。

もちろん現実の中にいても、自分にとって不都合なことは起こり続けるでしょう。それが一切消え去ることはないでしょうが、同じように自分にとって良いことも起こっています。
そして、そのどれもが、起きては消え去っていく変化の途中でしかありません。悪いことの続きで良いことも起きるでしょうし、その逆もあるでしょう。そして、良いとか悪いという判断を加えているのは、あなたの観念が登場している間だけなのです。
考えやストーリーが無いときには、起きてくることは、すべてそのままの、価値判断などもたないニュートラルな出来事であり、全てはやがて過ぎ去っていくことに過ぎません。

現実の一面だけ切り取って固定することは、観念的な苦しみを作り出す可能性が高いのです。固定したりしないで、変化の流れの中に戻してあげましょう。
もともと実体のない観念は、それによって役目を終えて消え去るのです。

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