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自我とは闘わず、征服もせず、破壊もしない

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多くの人々は、自我こそが苦しみの核心であるから、スピリチュアリティのゴールは、自我を征服して、破壊しなければならないと考えるという誤りをおかします。 彼らは自我の強力な手を振り払うのに苦労しますが、その闘い自体も自我のもう一つの現れにすぎないのです。 自分自身を向上させるという野心こそが問題であると理解するまでは、我々は闘いを通して自身を向上させようという試みにぐるぐる振り回されることになるのです。
~Ponlop Rinpoche(purplebuddhaprojectを通して)
Many people make the mistake of thinking that since ego is the root of suffering, the goal of spirituality must be to conquer and destroy ego. They struggle to eliminate ego’s heavy hand but that struggle is merely another expression of ego. We go around and around trying to improve ourselves through struggle, until we realize that ambition to improve ourselves is the problem.
Ponlop Rinpoche (via purplebuddhaproject)


自我を消滅させろ!という考えが強調されすぎると、いったんは耳を傾けた方も、やがて自分にはとても出来そうもないと諦め、こんなことは聖人君主様に任せておこうと考えるようになるかもしれません。

マニアックな仲間内でだけ通じる言葉を使って、自分たちだけ満足し、優越感に浸り、間違った言葉の使い方を見れば、一斉に批判し、「君にはまだわかっていない」といって排除しようとする。
こんな状態に陥ってしまえば、お互いにとっての損失です。
しかし、シンプルなことでありながら、やり方を間違えると一向に進展出来ない難しさがあることも確かです。教える側にも、教わる側にも、何事にもとらわれないオープンな心の姿勢が必要になります。

それはともかく、ここで言っていることは、向上しようと思う自分がいること自体は意味がありますが、残念ながら向上の仕方を間違えてしまうと、ミイラ取りがミイラになってしまうということです。

だれかが「自分を何とか変えたいので、どうすればいいか教えて下さい。」と言ってくるとします。
このように言われた時に、何をすればいいかを具体的に示しても、あまり変化は期待できません。
これが教室で教わるような技術的なことであれば、方法を示すことが役に立ちます。
しかし、自我の扱い方については、同じように技術を示せば解決するとは簡単に言えないのです。

それは、考える人自身が、これまた自分自身の考えを使って、まさにその人自身を変えようとすることだから難しいのです。
「こんな自分を変えたいのです」という考え自体が、その人をこんな自分にさせている要因の一つなのです。
「変えたい」と考える事自体、すでにその人の思考の方向性、いいかえれば生き方のストーリーが現れています。

本当にそのことを変えるのがいいのか?
また、どのように変わりたいと本当にわかっているのか?
変われたとして、変わった自分がほんとうに自分が望んでいたものであるか、本当にわかっているのだろうか?
今変わりたいと思い、変われた姿をイメージしているのは、今の自分に不満を持つ自分なのです。そんな自分だから見えてくるイメージなのです。そのイメージを本当に理想にして間違いないといえるのでしょうか?

嫌な自分を棄て去りたい、理想の自分に変わりたい、こういったイメージには、今のその人の自我が深く関与しているために、そのまま結果だけを変えようとすることには、常に堂々巡りに陥る危険が含まれています。

それでは自分を変えることなど、本当は出来ないのか?
自我に考えさせている限り、それを超えることは難しいといえるでしょう。
だから少しでもそれを軽減するために、「自我を殺せ」という方法論も出てくるわけです。

しかし自我を消滅させようと努力するのでなく、自我を友として付き合っていこうというやり方もあるはずです。
「今までの自分を全部捨て去るなんて、怖くてできない。」これは最もな意見です。
捨て去ると思わずに、そのまま自我に語らせておきましょう。
自我とはいっても、大事な自分自身でもあるのです。騙そうというのではなく、きちんと言い分も聞きましょう。そう思うのもしかたがないことを理解しましょう。

幼い子どもが、危険なことをしようとしていたら、子どもがなんと言っていようと、とにかくやめさせるでしょう。
それと同じように、その声に騙されずに、それが本物の声ではないこと、自分を平和で穏やかにしてくれるものではないことを見破るのです。

その声が、本当に自分を「我が家に戻った」と感じさせてくれるものなら本物です。
それが本物なら、それを受け入れても何も起こりません。静かなままで、何もなかったように自分自身に溶け込むはずです。

それ以外は聞き流しましょう。拒絶や抵抗でなく、スルーするのです。
そのとき抵抗や言い訳が出てくるようなら、どこかに無理があります。
そして、すでに自我の描くストーリーに入り込んでいるのです。

一見良さそうに見えても、どこか直感的に不安を感じさせる声は、自分がどこかから拾ってきた自分のものではない証拠です。
そしてそういう考えの特徴の一つは、色々と説明を必要とすることです。さらには結果が出るのは、~できた時という条件がついています。
本当に必要なものなら、今その瞬間に手にとれるもののはずなのです。すでに自分の中にあるはずなのです。


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