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執着・ねたみ・やきもち

あなたはどのようにして執着を生み出すのでしょうか。

「ねたみ」や「やきもち」はどこからくるのでしょうか。

まず欲望はどのように起こってくるのでしょうか。

あなたは野に咲く赤い花を見つけます。
あなたはその美しさに感動します。

赤い薔薇


そこまでは問題ありません。
しかし、あなたはその快感を持続させたくなります。
この感動を自分のものとして持ち帰りたくなります。

そこで私(自我)が登場します。
目の前のものをそのままキープしたいと考えた時に、自我の思考が働きをはじめます。

赤い花を見て感動したとき、そこで感動を完了させれば問題は起きなかったのです。

あなたはその赤い花をどうやって自分のものにするのかを考え出します。
切り取って持って帰るか、写真に撮って保存しようとか考えます。

あなたがキープしたいと考え出した時、ありのままの出来事は自我の思考に切り替わってしまいます。

実際あなたが自我を働かせはじめると、ありのままに見ることをしなくなります。
ちょっと先まで歩けば、黄色い花が咲き乱れていることに、目を向けなくなってしまいます。

今手に入れた赤い花へのあなたの思考が忙しくて、目の前のものを見る余裕はなくなります。

キープしようとした時、そこには恐怖が生まれます。
自分が手に入れたものを、壊さないように、なくさないようにしなければなりません。

手に入れたものは取られたくないという執着が生まれます。

ショッピング


もう一つの問題は、欲望は1つ手に入れると、もっともっと手に入れたくなるという性格を持っています。

何も持っていなければ、次が欲しいとは思わないものです。
ドラマの第一回を見た時、あなたは最終回まで見るための時間を提供しなければならなくなります。

ほしいものは単純に手に入れられるとは限りません。
AとBが欲しい時、どちらかをあきらめなければならないかも知れません。

Aが1つしかないものなら、あなたは他の人より先に手に入れなければなりません。

どうしてもAとBが欲しいのに同時にはかなえられないものかもしれません。

他の人があなたの欲しいものを持っていれば、あなたはそれをねたみます。
それが人への依存であれば、あなたは「やきもち」をやきます。
競争はあなたの心の何かをなくさせてしまいます。

私達の社会や文化は、誰かが何かを所有することを認めます。
持っているものが誰のものなのか、所有権があると考えるのが当たり前になっています。

婚姻


あなたが何かを所有したくなるのを、社会は奨励するわけです。
あなたも何かを所有しておいた方が当然だと感じます。
欲しくなくても、欲しいと思いなさいとまわりから常に訴えかけてきます。

所有すること、執着はあなたに快感を与えます。
しかしそれは、ねたみや苦痛を生まない限りにおいて有効です。

持つことから失うことへ、持ちたいのに持てないことへの苦痛が生じた時、はじめてそこに問題があることに気づきます。

社会はその苦痛の部分には何も保証をしてくれません。
そればかりか保険会社がその代わりをしようとします。

社会や文化は快楽の部分だけに目を向けるように、訴えかけてくるのです。

そんななかであなたが所有しない事を、禁欲的にやろうとしても無理があります。

持つなとか、手放せと強要することは、それもまた別の苦痛を生み出します。

ではどうするのがいいのでしょうか。

それは、さきほどの欲望が起きてくる過程、自我の思考の過程を理解するしかありません。

起きてきたことを、ありのままにとらえて、社会や文化の常識にとらわれずに理解することです。
それは、他のものに頼らずに、あなた自身の感覚を信じてその過程を自分自身で見なければなりません。

野の花

あなたは本当にそれを所有したいと思っているのでしょうか。

きれいな花を観賞できて、今日は楽しかったと満足して帰ることが、本当はよかったのかも知れません。
そうすれば、あなたは何もキープする苦労はないのです。
無くしてしまう苦痛を、恐怖を感じなくて済むのです。

キープしようと思う時、そこには未来が登場します。
いまここでの感動から、私(自我)が入り込んできた時、そこにはじめて未来が作られます。
ですから未来というのは、思考が作り出すものです。

思考が生まれない時、未来もなく、恐怖も発生してきません。

あなたは、本当は未来のことなんか考えたくないのです。

ものを所有することが、つまりは未来を作り出すということが、やっかいなものを背負い込むことであることを、あなたはうすうす感づいているのです。

いま、ここの感動をわざわざ犠牲にしてまで、未来を考えさせるのは、何であるのかを理解しましょう。

禁欲的に欲望を取り除こうとしても失敗します。
その発生の過程を見守れば、欲望は長続きするものではないことを発見できるでしょう。
強要するのではなく、理解することで、自ら来ては去っていく流れを見守るとき、自ずから解決は生まれてくるものです。

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No title

未来をついつい考えてしまいます

No title

こんばんは!
もしかしたら、このお話の主旨から外れるかもしれませんが、
嫉妬も同じでしょうか?

Re: No title

> 未来をついつい考えてしまいます

だれでも未来を考えてしまいますね。
しかし考えるのは仕方ないにしても、無意識に未来に生きるのか、
やっていることを理解しているのかで、随分違ってくるものだと思います。

Re: No title

> こんばんは!
> もしかしたら、このお話の主旨から外れるかもしれませんが、
> 嫉妬も同じでしょうか?

いえ主旨から外れてはいないと思います。
嫉妬などの対人関係も、ものに対するよりは複雑な面はありますが
基本は同じと考えた方がいいと思います。
キープする事は依存することにつながります。
そのあたりは「共依存」関係の記事などもご覧下さい。

持つなとか、手放せと強要されても、私は苦痛を感じません

はじめまして。

>>もう一つの問題は、欲望は1つ手に入れると、もっともっと手に入れたくなるという性格を持っています。

これは、忘れていた大きな問題でした。欲望の重要な特徴だと思います。

>>持つなとか、手放せと強要することは、それもまた別の苦痛を生み出します。
>>禁欲的に欲望を取り除こうとしても失敗します。
その発生の過程を見守れば、欲望は長続きするものではないことを発見できるでしょう。
強要するのではなく、理解することで、自ら来ては去っていく流れを見守るとき、自ずから解決は生まれてくるものです。

これにはかなり無理があるのではないでしょうか。
やはり、欲望への執着が結局は人生の運気を下降させるという自然の理を理解していれば、「持つなとか、手放せと強要」されても至極当然だと思い、私は苦痛を感じません。

Re: 持つなとか、手放せと強要されても、私は苦痛を感じません

> これにはかなり無理があるのではないでしょうか。
> やはり、欲望への執着が結局は人生の運気を下降させるという自然の理を理解していれば、「持つなとか、手放せと強要」されても至極当然だと思い、私は苦痛を感じません。

おそらく前提にしていることが違うので結果も違ってくるのではないかと思います。

まず「人生の運気を下降させるという自然の理」というところは、私にはよく解りません。
そのような理論があるのでしょうか。「運気」とはどういうものでしょうか。

また「至極当然だと思」われるようですが、私がここで「理解」という言葉を使っているのは、
理論で考えて導かれる結論という意味ではありません。

クローバー畑でクローバーを編んで首飾りを作っているとします。
首飾りを作ることに夢中になってしまうと、どんどんとり続けて、どんどん作り続けますます。
もっと大きく、とかもっと沢山とか考えてしまいます。
他の人と競争になれば、自分の方が大きいものを、自分の方が多くのものを作ろうとします。

しかしいったん自分のやっていることを振り返る余裕が出来れば、ほどほどで止めにしようと思うものではないでしょうか。
自分の欲望がより大きく、より多くというところから来ていることに気づけば、そこでやっていたことを理解できるということです。

Re: 持つなとか、手放せと強要されても、私は苦痛を感じません

>>まず「人生の運気を下降させるという自然の理」というところは、私にはよく解りません。
そのような理論があるのでしょうか。「運気」とはどういうものでしょうか。

私は「気」の思想を自分なりに学んだことがあるので、このような書き方をしましたが、人間の執着心や欲望が人生に大きなマイナスをもたらすことは、仏教でも道家でも説かれるところです。道家・タオにおいては荘子などが取り上げています。「タオ」と「気」は大きな関係があると思います。

>>しかしいったん自分のやっていることを振り返る余裕が出来れば、ほどほどで止めにしようと思うものではないでしょうか。

これのできる人とできない人がいるのではないでしょうか。

先に述べたことを理解する人々は、むしろ積極的に「手放す」とか「求めない」という実践を、日々の生活の中でしようとします。

『老子』で述べられる「日に損し、之を損して又損して、以て無為に至る」の実践となるのですが、東洋思想の影響を受けた人の中には、積極的に「無」を求める傾向があると思います。

Re: Re: 持つなとか、手放せと強要されても、私は苦痛を感じません

DOMOTO さんがおっしゃっていることと、方向性は同じ事だと思います。

ただ1つだけ私には引っかかる点がありました。

「至極当然だと思い、私は苦痛を感じません。」
「むしろ積極的に「手放す」とか「求めない」という実践を」
「積極的に「無」を求める」

「積極的」、「実践」、「「無」を求める」とかいわれることに、「無為」ということとの違和感を感じてしまうのです。
なにか修行のような印象を持ってしまうのですが、もとめなくても起こるのが「無為」ということではないのでしょうか。
「手放す」というのは実践とは逆の方向ではないでしょうか。



Re: 持つなとか、手放せと強要されても、私は苦痛を感じません

>>「積極的」、「実践」、「「無」を求める」とかいわれることに、「無為」ということとの違和感を感じてしまうのです。
なにか修行のような印象を持ってしまうのですが、もとめなくても起こるのが「無為」ということではないのでしょうか。
「手放す」というのは実践とは逆の方向ではないでしょうか。

paoさんが指摘してくださったことは、一つ前のコメントを書いているときに自分自身感じました。囚われになってはいけませんね。paoさんのブログで、大事なことに気づくことがあります。ありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いいたします。

教えてください

教えてください。
いつもタオ関連のことを見聞きすると、ここでつまづきます。

「持っているだけで満足」と思うというのは、例えば自己研鑽とか全く必要のない、
努力しない自分になってしまわないか?と思うのです。

物欲はシャットアウトできても、知識欲なんかはどうなのでしょう?
それも欲しがってはダメなのでしょうか?

若い人が「持ってるだけいいわ」となると、争いはなくなるかもしれませんが、
のんべんだらりとした人間ばかりのぬるま湯な世の中にならないのでしょうか?

「執着を手放す」と「自己を高める努力をしない」の境目がいつもわからなくなります。

『思考が生まれない時、未来もなく、恐怖も発生してきません。』
というのは、まったく何も感じない状態でしょうか?
仏教でいうところの『涅槃寂静』もこういう感じでしょうか?

無味乾燥な状態に思えますが、そうなる為に今まで勉強したり悩んだり一生懸命生きてきたのでしょうか?
まったく分からなくなります。

Re: 教えてください

> 教えてください。
> いつもタオ関連のことを見聞きすると、ここでつまづきます。
>
> 「持っているだけで満足」と思うというのは、例えば自己研鑽とか全く必要のない、
> 努力しない自分になってしまわないか?と思うのです。
>
> 物欲はシャットアウトできても、知識欲なんかはどうなのでしょう?
> それも欲しがってはダメなのでしょうか?
>
> 若い人が「持ってるだけいいわ」となると、争いはなくなるかもしれませんが、
> のんべんだらりとした人間ばかりのぬるま湯な世の中にならないのでしょうか?
>
> 「執着を手放す」と「自己を高める努力をしない」の境目がいつもわからなくなります。
>
> 『思考が生まれない時、未来もなく、恐怖も発生してきません。』
> というのは、まったく何も感じない状態でしょうか?
> 仏教でいうところの『涅槃寂静』もこういう感じでしょうか?
>
> 無味乾燥な状態に思えますが、そうなる為に今まで勉強したり悩んだり一生懸命生きてきたのでしょうか?
> まったく分からなくなります。

この件は、おそらく多くの方が疑問に思うし、誤解されている方も多いのかと思います。

いままで積み重ねてきたものが無駄だったりするわけではありません。

小さな子どもは無垢ではありますが、無知でもあります。
手放していくことは、大人が再び無知になろうというわけではありません。

ただ無垢であることを取り戻すという言い方が近いでしょう。

今までの経験が有ってこそ見えて来るものがそこにあるわけです。

捨てるものとは、「はからい」を持つやり方です。

「私」が動かしていると思わなければ、「無為にして為される」ということがわかってきます。

いつか私がやり遂げる方法を探していては、いつまでも理解できないでしょう。

こちらなどもご覧下さい。

タオイズムは努力しない タオに生きる
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-662.html

Re: Re:教えてください

ご回答をありがとうございました。
今まで積み重ねてきたものが無駄でない事はよく分かりました。

ただ、まだ分かりません。
「いつか私がやり遂げる方法を探していては、いつまでも理解できないでしょう。」
とありますが、いつも、ここで分からなくなるのです。

『私が動かしている』とは思いませんが、社会の中には与えられた責任というものが存在しますよね。
学生の頃は勉強、社会人になってからは労働して税金を納めるとか。
そんな風に、いつも『いつか私がやり遂げる』事を求められてきました。
努力してクリアして、モチベーションを保ち、前へ進むことを求められてきました。
それが当たり前でした。

それが今度は「いつか私がやり遂げる方法を探していては、いつまでも理解できないでしょう。」です。
いきなり、谷底に突き落とされたように方向性を失ってしまうのです。
その間がというか、その方向性の変え方が分からないのです。
問題の答えだけが示され、その解き方が分からないのです。

でも、徐々に段階的にでも、それが理解したいのです。
私にはタオイズムは理解できないのでしょうか。

Re: Re: Re:教えてください

> ご回答をありがとうございました。
> 今まで積み重ねてきたものが無駄でない事はよく分かりました。
>
> ただ、まだ分かりません。
> 「いつか私がやり遂げる方法を探していては、いつまでも理解できないでしょう。」
> とありますが、いつも、ここで分からなくなるのです。
>
> 『私が動かしている』とは思いませんが、社会の中には与えられた責任というものが存在しますよね。
> 学生の頃は勉強、社会人になってからは労働して税金を納めるとか。
> そんな風に、いつも『いつか私がやり遂げる』事を求められてきました。
> 努力してクリアして、モチベーションを保ち、前へ進むことを求められてきました。
> それが当たり前でした。
>
> それが今度は「いつか私がやり遂げる方法を探していては、いつまでも理解できないでしょう。」です。
> いきなり、谷底に突き落とされたように方向性を失ってしまうのです。
> その間がというか、その方向性の変え方が分からないのです。
> 問題の答えだけが示され、その解き方が分からないのです。
>
> でも、徐々に段階的にでも、それが理解したいのです。
> 私にはタオイズムは理解できないのでしょうか。

すいません、わかりにくい表現だったようですね。
たしかにいきなり聞いてもわらないかもしれません。よく使っているので気をつけたいと思います。
ただタオイズムとかほかにも同様の考え方でよく出てくる考えですし、ある意味一番かなめの部分かもしれません。

こんなふうに言ってみましょうか。

まず、実際の生活において、今までのやり方を変える必要はありません。
変えようと思っていること自体が自分の活動の一部なのですから。

そんな中で、実際に自分が意識してやっていることはどれだけあるだろうかと、考えて見てください。
仕事の上では、これをやったのは誰か?、誰が責任を持つのか?と聞かれれば答えなければならないでしょう。
しかし、それで「私がやりました」と答えたとしても、すべてが自分で意識してやったことではないと思いませんか?
聞かれて振り返ったから、自分の意志で行ったと思い、そう信じているわけです。

無意識にやっていて、そう言えばそんなこともやっていたなと思う事がありませんか。
実は、意識的にやっていることなど、ほんのわずかなのではないでしょうか。
ほとんどは、今まで生きてきた自分が総合的に、無意識のうちに自動的にやっているのです。
わずかな部分だけ、「私は今からこれをやる」と意識したうえで行っていますが、
実は意識してやったかどうかなど、大して違いをもたらさないのです。
そればかりか、「私がやっている」という思いは、エゴを強化して余計な方向に走ってしまう可能性があります。

無意識にまかせてしまう、いいかえれば起きてくることにその都度反応していけばいいと考える。
自分は、その都度最適の対応をしているのだと、安心してまかせてしまうのです。
それを実行してみて、今より悪くなるか、それとも軽く動けるようになるかを試して見るとわかるでしょう。

今までやっていなかったとしたら、恐いかもしれませんが、やってみてはじめて見えてくるものがあるはずです。
そうすれば、「無為にして為す」という老子の表現の意味もわかってくるでしょう。

それと、「私がこれだけのことをやり遂げました」と報告したり、誇って見せたり、あるいは逆の時に逆の反応をするのは、
すべて社会的な存在として身につけた2次的な自分に過ぎないのです。
2次的な自分で一喜一憂して、自分自身を喜ばせたり痛めつけたりするのも、一つの生き方ではありますが、
「それが本当にいいの?」と問いかけるのがタオイズムであるのでしょう。

じゃあ、「何が動かしているの?」と問われる。
その答えは、宗教とかスピリチュアル系の考え方で、いろんな表現がありますが、
タオイズムではそれを仮に「道」と名付けようと言っているわけです。
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