目の前のことに参加しましょう
あなたは目の前で起きていることに参加しているでしょうか。
それとも後ろにかくれて傍観者でいようとしているのでしょうか。
あなたは存在に参加することで健康で幸せでいられます。
参加しないで後ろで隠れている時、あなたは病気と不幸を引き寄せます。
参加することは全体と共にいることです。
参加しないのは自我の中に閉じこもって分離していることです。
全体の中にその一部として参加しない時、あなたは生きることを放棄しています。
でも私には参加する勇気がないんです、とあなたは言います。
冷たく突っぱねようとは思いませんが、
しかし最後の最後はあなたが勇気を出すしかありません。
誰も代わりをすることは出来ません。
それが生きると言うことです。
終わりがあるなら何もやりたくない。
こんなことは自我の考える浅知恵です。
今月で会社が倒産するといわれて、急いで会社を逃げ出すのと同じ発想です。
会社なら代わりはあっても、あなたの生には代わりがありません。
あなたは医者からあと1年の命だと言われても、
明日もし生きていた時のために、今日一生懸命準備をすることも出来るのです。
もはや猶予が無くなるまで隠れているつもりでしょうか。
過去や未来は概念でしかありませんが、今だけはリアルに存在します。
あなたには今しか使える時間はありません。
今参加しないと永遠に不参加のままです。
今を生きるというのは、終わりなど関係なくいま目の前にあることに参加するということです。
生きていることは、いま目の前にある全体に参加することであり、あなたはそれに責任を持ちます。
あなたは存在しているだけで、全体に影響を与えています。
不参加という選択肢はありません。
不参加という参加の仕方があるだけです。
あなたが参加していないつもりになっているだけです。
何があなたに参加することを躊躇させるのでしょう。
いくら探しても正当な理由など見つからないでしょう。
理由で生きるのではないからです。
生きることは理由もなくただ参加することです。
あなたが完全な安全の中に住もうとしているのなら、健全に生きているとは言えないでしょう。
完璧な安全など空想の中にしかありません。
参加を躊躇しても延期はありません。
傍観者でいるつもりでも、あなたは否応なく参加しているのです。
いつまで自分から参加するのを伸ばし続けるのでしょうか。
どうせ入場料を払ったのなら、参加しないと損ではありませんか。
あなたが自分の望む場面が来たら参加しようとしても、期待は外れるかも知れません。
自分の期待と違うからと言って、目の前の出来事が通り過ぎるのを見すごす事も出来ますが、
これもいい機会だと思って参加してみる事も出来ます。
そこに起きてくることを選んで見ることです。
そうすれば、あなたは自分で選んだものに参加していることになります。
あなたに起こってくることは、あなたに何らかの関係があることの筈です。
流れに抵抗し続けることもあなたの選択ではありますが、
うまくいかなくて、もううんざりしたと感じるまで待つことはありません。
ちょっと抵抗をやめる気になれば、積極的な参加者にもなれるというものです。
これでないといやだといって拒否しないで、
ほんの少し我を張るのをあきらめれば、抵抗のない流れに乗ることが出来るのです。
[関連記事]
誰が主人公か?
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-40.html
誰が主人公か?(2)
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-53.html
それとも後ろにかくれて傍観者でいようとしているのでしょうか。
あなたは存在に参加することで健康で幸せでいられます。
参加しないで後ろで隠れている時、あなたは病気と不幸を引き寄せます。
参加することは全体と共にいることです。
参加しないのは自我の中に閉じこもって分離していることです。
全体の中にその一部として参加しない時、あなたは生きることを放棄しています。

でも私には参加する勇気がないんです、とあなたは言います。
冷たく突っぱねようとは思いませんが、
しかし最後の最後はあなたが勇気を出すしかありません。
誰も代わりをすることは出来ません。
それが生きると言うことです。
終わりがあるなら何もやりたくない。
こんなことは自我の考える浅知恵です。
今月で会社が倒産するといわれて、急いで会社を逃げ出すのと同じ発想です。
会社なら代わりはあっても、あなたの生には代わりがありません。
あなたは医者からあと1年の命だと言われても、
明日もし生きていた時のために、今日一生懸命準備をすることも出来るのです。
もはや猶予が無くなるまで隠れているつもりでしょうか。
過去や未来は概念でしかありませんが、今だけはリアルに存在します。
あなたには今しか使える時間はありません。
今参加しないと永遠に不参加のままです。

今を生きるというのは、終わりなど関係なくいま目の前にあることに参加するということです。
生きていることは、いま目の前にある全体に参加することであり、あなたはそれに責任を持ちます。
あなたは存在しているだけで、全体に影響を与えています。
不参加という選択肢はありません。
不参加という参加の仕方があるだけです。
あなたが参加していないつもりになっているだけです。
何があなたに参加することを躊躇させるのでしょう。
いくら探しても正当な理由など見つからないでしょう。
理由で生きるのではないからです。
生きることは理由もなくただ参加することです。
あなたが完全な安全の中に住もうとしているのなら、健全に生きているとは言えないでしょう。
完璧な安全など空想の中にしかありません。

参加を躊躇しても延期はありません。
傍観者でいるつもりでも、あなたは否応なく参加しているのです。
いつまで自分から参加するのを伸ばし続けるのでしょうか。
どうせ入場料を払ったのなら、参加しないと損ではありませんか。
あなたが自分の望む場面が来たら参加しようとしても、期待は外れるかも知れません。
自分の期待と違うからと言って、目の前の出来事が通り過ぎるのを見すごす事も出来ますが、
これもいい機会だと思って参加してみる事も出来ます。
そこに起きてくることを選んで見ることです。
そうすれば、あなたは自分で選んだものに参加していることになります。
あなたに起こってくることは、あなたに何らかの関係があることの筈です。
流れに抵抗し続けることもあなたの選択ではありますが、
うまくいかなくて、もううんざりしたと感じるまで待つことはありません。
ちょっと抵抗をやめる気になれば、積極的な参加者にもなれるというものです。
これでないといやだといって拒否しないで、
ほんの少し我を張るのをあきらめれば、抵抗のない流れに乗ることが出来るのです。
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