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なぜ苦痛をもたらすことをやり続けるのだろう?

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人間の心は不思議なもので、どんな犠牲を払っても痛みを避けようとするときがあります。
そして問題の痛みは避けられたけれど、その代わりにずっと大きな犠牲を抱えてしまうこともあります。

『羹に懲りて膾を吹く(あつものにこりてなますをふく)』ということわざにあるように、バカげてると思えるようなことで恐怖症に陥ってしまうのです。

ですが、そうかと思うと、正反対のこともやります。
自分に苦痛をもたらす様な行動をわざわざとってしまい、さらにはそれをやり続けずにいられなくなるのです。

今回の話は、主に、この後の方の行動についてです。
それが、どんなところから習慣になっってしまったかを考え、それを切り替えることを考えてみます。

「事故や病気を引き起こす」
困ったことではありますが、病気にかかったり、けがをしたりしたとき、小さな子どもだったあなたは、まわりから大事にされ、いつもなら得られないような気づかいを受けて、自分のことをかまってもらえることを発見します。

これに味を占めると、自分がかまってもらえなくて不満な状態が続くと、ここはひとつ、あの時のカイカンを再現してみたらどうだろうと思ってしまうのです。

いったんこのシナリオができてしまうと、子どもが愛情を引き出すために、けがや病気を使い出すようになる可能性があります。
そしてそれらの病気やけがは、必ずしも意図的なものとは限りません。仮病なのか本物なのか本人にもわからないこともあります。

「怒り、かんしゃく、ヒステリー」
いかに自分に注目を集めるかは、子どもにとって重大な問題です。
別の子どもは、わがままを通すには、かんしゃくを起こして怒りまくるという方法を見つけるかもしれません。
大人になってからも、思うようにならないと、切り札に怒りを使う人もよく見られます。

「悪いことをする」
叱られる事も、無視されるよりはましです。

こういったネガティブな方法で、まわりの注目を引きつけることを覚えると、やがてその手段は習慣になっていきます。

もともと何のためにやっていた事かは忘れられても、習慣だけは残り、状況が思ったようにならないとか、何もすることがなく変化を求めるために、これらの方法を使ってしまいます。

「心理ゲーム」
今あげたような方法は、直接注目を浴びるための行動で成り立っていましたが、もう少し手が込んできて、心理的な駆け引きが入るとゲームを行うようになります。

典型的な自分イジメのゲームは、エリック・バーンが「キック・ミー」と呼んだゲームです。

プレーヤーは名前の通り(バーンはゲームの名称を直感的な口語で名付ける事を提唱しています)、「私を痛めつけて」といっているかのように振る舞います。

プレーヤーは自分のお好みのゲームに参加してくれる共演者を見つけることが得意です。

つまり、キック・ミーでは、自分をいじめてくれる攻撃役を好んでやってくれそうな人をかぎつけて、その人をけしかけます。

気がつくと、イジメ役とイジメラレ役は、これはそうなっても仕方ない状況だと思える関係の中にいる事になるのです。

こうしたゲームも、もとをたどれば、たまたまそういうやり方で、自分への注目を集められたという出来事に行き着くのでしょう。

たとえ自分が惨めになっても、たとえ自分が病気になっても、だれからも自分の存在に気づいてもらえないよりはまだましなのです。

ここまで極端でなくても、私たちが普段からよく使っている人間関係の駆け引きとは、広い意味で全てゲームだと言えます。

そこには、気づかないところで相手を引っかけて、操るための仕掛けが、使われているのです。

たいていは、仕掛けている側も意図的ではなく、半分無意識に行っています。
また、被害者役と迫害者役のように、お互いに相手のゲームを補い合う形の関係もあります。

こうした駆け引きではなく、本物の交流を行うには、まずは自分のやっていることに気がつくことです。

ゲームをやった後は、ある面では満足しますが、その反面自分を犠牲にしてしまったことへの嫌な感情がつきまとうものです。

そしてもちろん、駆け引きは代理の手段です。
本物の交流を使わずに、ゲームや駆け引きを行う理由は、駆け引きの方は、ある程度計算できると思っていることです。

本物の交流では、たとえあなたが嘘偽りなくあなた自身をさらけ出しても、相手はそれを受け入れてくれるとは限りません。

それと比べれば、駆け引きをやれば、効果は少なく、副作用が大きいというデメリットはありますが、たいていは何らかの反応を受け取れるという予測が立つのです。

もうこんな孤独は耐えられないとなれば、非常手段としてゲームを誰かに仕掛けるのです。

そしてゲームを仕掛けられた側も、それが駆け引きだと気づけるとは限りません。
中には仕掛けられた側も、働きかけをうれしく思って応じてしまうかもしれません。

また、駆け引きの仕方自体が、私たちの文化に取り入れられ、儀礼化していることも考えられます。

ゲームでは、本物の満足は得られません。
たくさん人と接触し、関係を持ちながらも、何か物足りないままになってしまうのは、本物の自分を表現したり、それに対する反応を受け取っていないからです。

しかしだからといって、人間は交流がなければダメになってしまうと思い、過剰にまわりの人に要求したり、あるいは人と比べて私は人と関わることが少ないと悩んでしまうのは、どこか度を超しています。

自分はまわりの人より交流が少ないと、比較によって悩むのは、新しい苦痛をあなたに作り出してしまいます。

どれだけ人との接触が必要かは、その人の育ってきた環境などでずいぶん違いがあるのが当然です。

あなたがもし今のままで満足できているなら、人と比べてまだ足りないとか思うことは有害にしかならないでしょう。

たとえるなら、サプリメントをとらないと病気になると思い込んで、とにかく過剰に摂取しようとしてしまうようなものです。
サプリメントなど何もとらないし、その存在すら知らないでも、健康に暮らしているという人の方がおそらく多いでしょう。

ある程度は足りないなら足りないで、何とかしているのが人間の身体です。

もし少しの間もひとりになると不安になるなら、その人は人を介してしか自分を満足させられないと思っています。

そして、その方法も駆け引きに頼っていることが多いのでしょう。

逆に自分自身で自分をOKだと認められている人ほど、他人がまわりにいなくても平気でいられます。
いないならいないで、自分自身とつきあっていても安心していられます。

そして、少ない時間であっても、人との関係から十分な満足を引き出すことが出来るのです。

人間関係を駆け引きに頼り続けると、本物の交流があることすら忘れたり、あるいはそれは傷つく可能性のあるので、やっかいで危険なものだと思って避けるようになってしまうかもしれません。
そうなると、余計に他人からの反応がないと不安になるのです。

そして、駆け引きは、上記のように自分の心身を犠牲にして、人とのふれあいを作り出そうとしてしまいます。
それは、中には冗談では済まされないような重篤な被害をもたらすものもあります。

なぜ自分を痛めつけてまで、そのやり方を変えられないのか、それについては自分自身で向き合わなければなりません。

自分と向き合ってみることを避けていては、私にはもうこれしか方法がないのだと、強く思い込んでしまうでしょう。

やり方を変えるのは、苦痛を伴います。

それでも変えた方がよかったと納得できるまでの期間は、もうやめて元に戻したいという誘惑と戦わなければなりません。

何でそんなやっかいなことが必要なんだ、私は今のやり方で問題ない。ほっといて欲しいと言いたくもなるでしょう。

もちろん今のままで問題ないのなら、そんなことを必要もないのに考える事はありません。
特に他人との比較で、そんなことをやり始めるのは有害ですらあるでしょう。

ですが、表題のようなことを少しでも気になっているのなら、一度真剣に考えてみることは決してマイナスにはならないでしょう。

外側に標準を求めないこと。
惑わされるだけです。
それよりも、なぜそれを求めたくなる自分いるのか、それがどこから来るのかを調べてみることです。

今の自分が当たり前のように使っている人との接し方が、本当に一番いいのか、どこか無理をしているところはないのか、もっと楽に人と接している人はどうやっているのだろうとか、問いかけてみる。

一度問いかけを始めてみれば、回答のあることなら、根拠のあることなら、そのまま立ち消えにはしてしまわないでしょう。


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