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「正しい適応」を見直そう~言葉の冒険

ためいき1



社会に適応することは、一応いいことです。

一応と言ったのは、社会にとって都合がいいのは、言うまでもないことですが、適度な適応であれば、それほど個人を損なうことなく、むしろスムースな人間関係を生み出すものだからです。

ですが、この適応も過度になってしまえば、本来の自己を犠牲にしてでも、まわりにあわせてしまう「過剰適応」と呼ばれる状態になります。

過剰適応している人は、まじめで仕事熱心な人、がんばり屋さんで自分を犠牲にしてでも貢献しようとします。
また、他人にはよく気を遣うし、人から何か頼まれると嫌といえない。
全体として模範的な人、よい子タイプの人だと言えます。

ですから、表面的には社会に適応し問題がないように見えますが、一言で言えば本人は自分を殺してでも、まわりにあわせようとしているわけです。

従って当然本人には、そのストレスがのし掛かっています。
さらにまわりにはそれを見せようとしませんから、その向かうところは自分自身の心身の不調となって現れるしかないのです。

しかし、今回のタイトル『正しい適応を見直そう』は、このような過剰適応ではなく、最初に書いたように「一応いいことである適応」「適度で理想的な適応」だと思われている中にも、「もう少し拘束ゆるめたら生きやすくならないだろうか」というものを考えようと思います。

あまり論理に頼っていると、正しい適応の落とし穴は見えてきません。

論理に頼ると、たとえば「どんな場合にも当てはまる普遍的なルール」を見つけようとしてしまいます。
また「社会的に受け入れやすい範囲で」といった拘束を無意識にかけているので、なかなか思い切った発想が生まれてきません。

以前「言葉の冒険~素直な人VSわがままな人」と題した文章を書きましたが、今回も同じように少し実験的な試みだと思って読んでください。

(1)『ここはそういうところなんだ。みんなそうやって合わせてきた。君だけが勝手なことをするのは許されない。』

伝統を壊すのは容易ではありません。
ですからたいていは奇抜なことを考えるのは、タブーのようにして避け、仕方なく従おうとするのです。

ですが、慣習というのは、どこかの時点で始めたことを踏襲してきただけであって、絶対的なものではありません。
もしかすると、最初の頃のばかげたルールを伝統だと言って守ろうとしているだけかもしれません。

少なくとも、私個人の心の中では、タブーを打ち破ってしまいましょう。
そうしておけば、いつか現状を変えられそうなところまで、それを発展できるかもしれません。
盲目的に信じていては、新しい改革は生まれません。

そしてそれよりも「自分は従ってはいないぞ」と思っているだけで、ストレスは解消されます。

ただしそれを葛藤にしてしまわないこと。どちらにも出入りできる柔軟さを持っていたずら心の感覚で行きましょう。
堅さをほぐすのは、論理ではなく、ユーモアです。

(2)『それで全部うまくいくとでも思っているのか?』

こんな脅しには乗らないこと。

なんで全部がうまくいかないといけないのでしょう。

部分的にだけ通用する最良の策というものもあるものです。
それは他では使えなくてもかまわない。
「いまここ」で役立てることに意味があるのです。

(3)『それは5年後、10年後も有効だと言えるかね?』

そんなこと知るか!(2)と同じ理由で。
これは(2)を時間軸でとらえた拡張に過ぎません。

パソコンや携帯など、5年もたつと性能的に使い物にならない。
短期的にだけ有効な考えでも、役に立つなら使える可能性はあるのです。

それと適応という面から見ても、「いつでも役に立ちます」に応えようとする適応の仕方は、無理な負担を生み出すことが多いのです。

いついかなる時も、「私は怒りません」とか「私は笑いません」とか言わないことです。
こう書くと滑稽に見えますが、意外と例外を許さない人というのは多いものです。

泥縄式の対応も、すべてが悪いとは限らない。
いま目の前のコップ一杯の水が生き返らせることもある。

(4)『私は長年の経験から言ってあげているんだよ』

正しいかもしれない。
しかし自分にはふさわしくないかもしれない。

一度は、疑ってみるのもいいでしょう。

(5)『これがこれからの時代には必要だ』

鵜呑みにしないこと。
歴史を見よ。周期的に変化を繰り返している。

(6)『完璧な論理には裏がある』

裏と言うよりも、論理が成り立つのは、前提が正しい場合だけです。
前提を疑えば、別の世界がそこにはあるのです。

そして、多くの場合、完璧な論理を強調する人は胡散臭い。
「なぜその人は強調しなければならないのか」
そこを考えると、何か見えてくるかもしれない。

(7)『言いたいけど、こんなこと言ったら笑われる』

現代は、笑われるようなことを口に出せる能力は、貴重なものになってきています。

そんな貴重なエキスパートになりましょう。

笑った後で、何かに気づいてくれる人も出てくるでしょう。

ただ「おもしろい」としか言ってくれなくても、その人はあなたに敬意を払うようになるでしょう。

そもそも意味がなければ、言ってみたいなどと思わなかったはずなのですから。


まじめで従順な人ほど、権威に押しつぶされる可能性があります。

飲み込まれそうになっていると感じたら、もう一度「それは本当に正しいですか?」と自分に問いかけてみましょう。

自分自身に問いかけることを許すのです。

何でも答えを知っている自我に聞いたのではだめですよ。
答えはあらかじめ決まっているのですから。


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