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強い心とは

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「強い心」と言う表現があります。

この言葉から皆さんはどんなことを連想するでしょうか?

叩かれても平気でいられる、打たれ強い印象でしょうか。
また意志の強さや、積極的な印象もあるかもしれません。

おそらく根底にあるのは、自分の思うことを出来るとき「強さ」と呼び、まわりに負けてしまって自分を生かせないとき「弱さ」を感じるのではないでしょうか。

ところで、強い心を持つために心を鍛錬すると言う方がいます。
ですが、心の鍛錬とは何を意味しているのでしょう。

最近はどうなのかわかりませんが、以前に見聞きしたところでは、社員教育のために町中に出て大声で演説したり、歌を歌ったりして精神を鍛えるようなことがまじめに行われていたようです。

ですがこれは一体何を鍛えていることになるのでしょうか?
こんなことをやっては、人によっては心のバランスを崩してしまうでしょう。
また、厚顔無恥と言う言葉がありますが、面の皮を厚くしたところで、心を鍛えたことになるのでしょうか。

というよりも、そもそも心は鍛えられるようなものかどうか?を考える必要があります。

鍛えると表現しているなら、それが実際は何を変えようとしているのかがわからないとなりません。

心が強い人は、自分が思ったことを出来る人、だから社会的な適応能力も高いと考えがちですが、両者は結果であって、心の強さがその原因であるわけではないでしょう。

そこで社会に適応すると言うことを少し見てみましょう。

無理に社会に適応する自分を強化することは、出来るかもしれませんが、過剰な適応は長続きするものではありませんし、バランスを崩したり、むしろ本来の自己は強くなるどころか弱くしていることになります。

ある人が何かをするのが苦手だと言うとき、それは他人よりも能力が劣っていることを意味しているのでしょうか?

場合によっては、関連する能力の不足のために、苦手意識ややりたくないという思いがあるのかもしれません。

しかしそれよりも問題は、その人がそれを自分で本当にやりたいと思っているかどうか、ではないでしょうか?
やりたくもないことなら、苦手だろうが、なんだろうが関係ないはずだからです。

仮に本当にやりたくないのに、まわりが必要なことだと言っているから自分も出来ないといけないと思っているだけだとしたらどうでしょう。

その場合、自分にとって必要かどうかを、はっきりさせて切り捨ててしまえば、いつまでも悩むことはありませんね。

このような考え方に隠れて混乱しがちなのは、社会的に要求されることと、自分が本当にやりたいと思っていることとの見極めです。

社会的に望ましいとされるから、自分もそうありたいと思っていても、心の奥では、本当は自分はそんなことをやりたくないと思う自分が存在するかもしれません。

苦手だと思ってやらないことの中には、心の深い部分でそれをやることがいやだと言っている自分がいる可能性があるのです。

子どもの教育やしつけの場合は、いやだと言ってもやらせた方がいいこともあるでしょう。
しかし、社会に出て生きるようになった大人にとっては、自分が本心ではやりたくないことなら、「何でもかんでも自分も出来ないといけない」と思う必要などないでしょう。

社会的な適応ということと、自分が本当にやりたいこと、このように生きたいと思うことをはっきり切り分けることを考えましょう。

心が弱いから、自分のやりたいことが出来ないとか、うまく世渡りできないということではなく、この両者はどちらも結果であり、その原因となるのは何かを考えた方がいいようです。


心を鍛えるといって社会的な自分の適応能力を強めることばかり考えていると、本当に自分のやりたいことがわからなくなってしまいます。

適応とは、ある意味で本来の自分を隠してしまうことに繋がるのですから。

本来の自分をそのまま表現したいと思うのなら、社会的な自分を強化する必要はありません。
それではむしろ逆行することをやっていることになります。

心を強くしたいと思う理由が、自分に忠実に生き、やりたいことをやれるようになりたいということにあるのなら、やるべきことは本当の自分を知ることにあります。

社会に適応するために自分を殺してきたことが、本来の自分を弱くしてしまったのです。
本当はこうしたいと思うことを抑えて、適応することを優先したために強くなれなかっただけです。

自分に素直に、忠実になるのに、こころを鍛える必要はありません。
ただ忠実に生きると決心すればいいだけです。
適応と称して、本来の自分を抑えたり隠したりしなければいいのです。

今までの習慣で社会を気にして自分に忠実になれないというなら、そういった条件反射的な自分の反応に気づくこと。そして、変えようとか思わずにただその様に反応している自分を見つめることです。

無理に変えようとするやり方は、「心を鍛える」と表現されるやり方と同じ発想なのですが、これは大抵うまくいきません。
本来の自分が納得していないからです。

逆に自分のそういった反応に気づくことが出来れば、そしてそれが自分を生かすことにならないと納得できれば、自然とそれらは消滅します。

今までうまくいかなかったのは、無理に変えようとしたからです。
トータルな自分を無視した力わざは失敗するのです。

努力するということは、何かに抵抗しているということです。
つまり抵抗する対象である自分が存在しているということですから、それを無視した「努力」というのは長続きしないことになるのです。

さて、強さという話に戻りますと、本当に自分に忠実な人というのは、それだけで強さを感じるものです。

適応ばかり考えて、うまく世渡りをしようと考えている人間は、同時にそれが弱点でもあるのです。
その作られた自己というのは、自分でも操作を加えているので、他人からの別の操作でも容易に操られてしまいます。

しかし自分に忠実な人には、それは通用しません。
つけ入る隙がありません。
人はそれに強さを感じるのです。

もう一度整理してみましょう。

・社会的な適応能力と心の強さは関係ない。
・自分は心が弱いと思っているのは、適応能力と勘違いしているだけかもしれない。
むしろ、適応ばかりに気をとられるから本来の自分を表現するのが苦手になっているだけである。
・本当の心の強さとは、自己に忠実に生きられることにある。
・自分に素直であることは、選択の問題であって、鍛えるような問題ではない。
・適応ばかり強化しようと思っていると、心は弱くなってしまう。

植物がコンクリートの隙間から顔を出し、花を咲かせるのを見ると、人間は困難を乗り越えてたくましく育っていることに感動します。

しかし植物にすれば、「困難を乗り越えて」などと思ってはいないでしょう。
ただ、光を求めて芽を伸ばし、水を求めて根を張り巡らせてきた。
当たり前のことを、自分の置かれた環境で忠実に行ってきただけです。

そして、当たり前のことを当たり前に確実に行うことが、生きると言うことであり強さであると思うのです。

うまく適応することばかり考える人間は、本来の生きることを忘れてしまいがちです。
だから、すぐに自分はなんのためにそれをやっているのかがわからなくなってしまう。

そんな人間にばかり囲まれていると、自分が何のために生きているのか、わからなくなってきます。
生きる意味などというものがあるとすれば、「いまここで自分に忠実に存在すること」を置いて他にはないでしょう。
もう一度自分を素直に振り返ってみれば、その答えはすぐ出てくるでしょう。

ところで、自分を退屈だと感じるのは、自分に素直でないからです。

他の人に目を向けても、退屈な人というのは、適応ばかり考えている人であることが多いと思いませんか?

そういう人は、その人が本当に何をやりたいのかが見えてこない。
たとえその人が流暢に話していても、本心は何なのかはわからないし、まるでセールスマンがセールストークをしているように思えてしまいます。

お互いがそんなことをやる人ばかりで生きていれば、そしてそんなものが生きることなら、生きる意味がわからなくなるのも当然でしょう。

主なまとめは先ほど書きましたので、最後に簡単にまとめ直してみます。

・心の強さとは、自己に忠実に素直に生きる力である。
・それは鍛えると言うよりも選択の問題である。
・当たり前のことを当たり前に本気で楽しむこと。
・適応などは2次的な問題に過ぎない。
・退屈なのは本来の自己を忘れてやりたくないことばかりやっているから。



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