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感情とのつきあい方

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感情とのつきあい方といっても、簡単な決まりでかたづけられるものではないでしょう。

ここでは、私達が感情に関して偏った見方をしていないかという面から、感情を本来のままの姿でとらえてみたいと思います。

まず最初に、私達は感情を有益なものか有害なものかで分けることを、当たり前のように行っています。

ポジティブ(肯定的)な感情、ネガティブ(否定的)な感情と表現するのが、その典型でしょう。

しかし、忘れてはならないことは、本来感情そのものには、ポジティブもネガティブもないということです。

人間的に見て、つまりは社会的な価値観を加えた場合に、ポジティブになったり、ネガティブになったりするわけです。

社会的な存在として、自分自身に対して、あるいは人間関係において、有益に働く感情は好意的に受け入れてポジティブであると呼び、有害な影響をもたらしそうであればネガティブと呼んで遠ざけようとします。

ですが、純粋な感情そのものは、ポジティブにもネガティブにも関係ないのです。

私達は、感情というものをどのようなときに発生し、どのように消えていくものか、余りよくわかっていません。
私はこの感情に関してはよく知っている、私の反応の仕方をよく心得ているというものもあるでしょうが、多くの場合何でそんな気分になったのかわかるとは限りません。

もちろん、ポジティブとかネガティブという性質を付加したところで、その感情を自由に出来るわけではありません。

「どうしてポジティブになれないんだろう」とか、なんで「ネガティブとわかっているのにこの感情を抑えられないの?」というようにです。

私達が感情をコントロールしていると言うとき、ほとんどはそれを押さえ込めると言う意味で使っています。

ある感情を抑えられるかどうか、その耐性は人によって違います。

たとえば出来事に対して、ある人はすぐに怒り狂ったように感情的になるし、別の人は冷静なままでいられるのです。
しかし、そのとき冷静でいられた人も、別の出来事に対しては、人一倍反応しやすいということもあります。

また、抑圧することで感情を抑えると言っても、限度はありますし、押さえつけた感情は消しゴムで消したようになくなるわけではなく、自分の感情の置き場所に押し込められただけと考えた方がいいでしょう。

その場面で感情を抑えられたこと、それ自体はその人の適応能力と評価されるでしょうが、自然な解消の仕方が出来たことを意味するわけではありません。

適応能力だけに気をとられて、自分はいつでも感情を操れると思ってしまうと、いつか自分の奥の方からその感情が顔を出し、「これが本当に自分なのか?!」と驚くような事態が起きるかもしれません。

ところで、ここまでは感情を押さえつける面だけを見てきましたが、純粋なもともとの感情は、その本来の性質を超えて過剰に拡大されたり、ゆがめられたりもするものです。

たとえば先ほどの怒りの表出の仕方について考えてみると、そのときの出来事に見合った反応以上に、過剰に反応してしまうとすれば、その人特有の反応の仕方が組み込まれてしまっていると考えられます。

まず、その人はその種類の怒りを表す状況を、他の人よりも多く経験している事が考えられます。

そして、毎回その怒りを感じるたびに、それに付随してその人特有の価値観を結びつけてしまうのでしょう。

「わたしはこれだけは許せない」とか「この手のことには涙もろいんだ」といった、その人特有の反応の仕方を学習し、強化してきているわけです。

それは本来のその感情の範囲を超えて、拡張された感情と行動のセットが作られているのです。

このことだけを見ても、ある名前のつけられた感情を、ポジティブな感情、ネガティブな感情と分けてしまうことの無意味さがわかってくるでしょう。

感情が有害に働くときの多くは、本来の自然な感情そのものではなく、拡張された反応のセットがもたらすことの方が多いと考えた方がいいのです。

たとえば、怒りは正義を守るときには有益に働くかもしれないし、ねたみの感情も扱い次第でその人のモチベーションの一因になるかもしれません。

悲しみは、状況は何も変わらなくても不幸な出来事を洗い流してくれるでしょうし、鬱を感じることも、あまりにも活発になりすぎた利益優先の心身の扱いに対して、抵抗を示すという役割を担っているのかもしれません。

以上のことを考え合わせるとき、特定の名前の感情を有益か無益かで分けてしまうことや、抑圧すべきものと決めつけること、あるいは逆に肯定的な感情ばかりを自分のものとして受け入れようとすることなどに、疑問が生じてくるのではないかと思います。

言ってみれば、自然に起きてくる感情にはなんの罪もありませんし、それぞれ何らかの意味があって生じてきているはずなのです。

その意味を見過ごしたり、自分の都合で邪魔者にしたり、ひいきにしたりすることは、行き過ぎれば必ず支障を来します。

むしろ加工されない本来の感情の意味を尊重し、振り返ってみるとき、いままで何か物足りないと思っていた自分の生き方に彩りを添えてくれるに違いありません。

邪険にしてきた感情がないか、過剰に優遇して他の感情を見えなくしてはいないかなど、折に触れて見直してみれば、きっと新しい発見をもたらしてくれるでしょう。

何よりも、どの感情も自分自身そのものであることを、取り戻させてくれるでしょう。


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