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花は生きるということを教えてくれます

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花は、
明日のことには関心がありません。
計画もありません。
死について悩むこともありません。
それに、美しく香ろうと努力もしません。
花は生きるということを教えてくれます、
生きるということの何たるかを。
~Wu Hsin

The flower is not
Concerned about tomorrow.
It doesn’t plan.
It doesn’t worry about death;
Nor does it make effort to
Smell beautifully.
The flower teaches being,
Being what one is.
- Wu Hsin

生きることを、難しく考えたり、こうあらねばと身構えることはない。
あなたはただあなたであればいいのです。

そして、なにかうまい生き方を考え出す必要もありません。

人々からしばしば、彼らの人生を変換するための最も効果的な手法は何かと尋ねられる。
私は少し照れくさいが、長年の研究と実験の結果から、これが最良の答えであると言わざるをえない。ーそれは、「ほんの少し優しくすること」
~オルダス・ハクスリー

People often ask me what is the most effective technique for transforming their life. It is a little embarrassing that after years and years of research and experimentation, I have to say that the best answer is - just be a little kinder.
- Aldous Huxley



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私たちはそれを受け入れるまでは、何も変更することはできません

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私たちはそれを受け入れるまでは、何も変更することはできません。
非難することでは、それが押しつけてくるものから、解放されないのです。
~カール・ユング

We cannot change anything until we accept it. 
Condemnation does not liberate, it oppresses.
- Carl Jung

起きてくることに対して、ただ今の認識とずれているからという理由だけで、抵抗するのを止めましょう。あるがままを一旦受け入れられたとき、それをどう変えることができるかも見えてきます。

まずは、起きたこと、それを受け入れましょう、そのまま、ありのままに。
そのとき、ようやくそのままでいいことも、あるいは変える選択をとる必要があるかも理解できるのです。

ただ反射的に抵抗するだけでは、それはいつまでもつきまとって、あなたを苦しめることになるでしょう。


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どうしてわたしたちは、思考活動におぼれてしまうんでしょうか?

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問い:どうしてわたしたちは、思考活動におぼれてしまうんでしょうか?

答え:思考力によって、自分のアイデンティティを確立しているからです。別の言い方をすると、「頭の良し悪し」を、自分の存在価値を測る尺度にしている、ということです。頭を使うのをやめた瞬間、自分は生きている意味がなくなると、かたくなに思いこんでいるのです。
 大人になるにしたがって、わたしたちは、個人的及び社会的環境に基づいて、「わたしは誰か」、というイメージを形成していきます。この「にせの自分」は、またの名を「エゴ」と言います。エゴは、思考活動があることで、その存在が成り立っています。エゴは、たえず考えることによってのみ、生きられるのです。エゴという言葉は、人によって解釈はまちまちですが、わたしが本書で使う場合には、自分でも気づかないあいだに、思考を自分と同一視することでつくられる、「にせの自分」を意味しています。

エックハルト・トール The Power of NOW


「頭を使うのをやめた瞬間、自分は生きている意味がなくなると、かたくなに思いこんでいるのです。」

言い換えれば、私たちは思考している自分があってこそ、わたしでいられるし、それが私自身というものなのだと信じているのです。

もちろん社会で生きていれば、あなたは誰で、どんな人であるのか説明を求められるかもしれません。それによって社会的な存在である自分と言うものの定義を作り出し、たとえ聞かれていなくても、自分自身を説明できるようにしようと思っていくようになります。

最初は他人への説明のためであったとしても、それがだんだん自分自身そのものだと思い込み、さらには、それ以外の自分が存在することなど、思い起こすこともできなくなるかもしれません。

出来上がったエゴは、強力です。本来のあなた、言葉で説明できないような自分など、その存在を押しやられて、あなたはエゴに支配されてしまいます。

しかしエゴに無条件に従っていれば、やがて無理が生じたり、あなたは自分がわからなくなってしまうこともあるでしょう。

奥に押しやられていた、言葉にもならないような自分の存在は、外に出たいと悲鳴を上げているかもしれません。
そんなとき、あなたは、本当の自分であると感じられる時間を過ごすことができなくなります。

いまここにいる、エゴではない本当の自分を、実はみんな追い求めているのです。
役割ばかり演じていては、あなたは窒息してしまうのです。



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私は人生については何も知らない。私が人生です。~ムージ

ビデオ鑑賞


そのような恵みがあるのは、私は決して分けられないものだからです。
私は不可分なものであり、無尽蔵なのです。
この偉大な世界は、私の目の前に神が置いてくれた巨大な鏡であり、
私は彼の顔を見る喜びを味わうでしょう。
私は人生については何も知らない。私が人生です。
私は何もしなかった。
私はただいるのです。
~ ムージ

Such blessedness, for I am never separated.
I am the indivisible one, the inexhaustible.
This great world is just a mighty mirror
that God puts in front of me
that I may taste the joy of seeing His face.
I know nothing about life. I am life.
I have done nothing.
I just am.
- Mooji


私たちは通常、社会とのかかわりこそが自分だと思っています。

巨大な鏡を見て、自分もその中で関わっている存在であり、
私が何をしたとか、その結果に喜んだり、悲しんだり、怒ったりしながら、
それによって、私というものを認識しているのです。

しかし、私は何もしていません。
鏡の中世界は、それ自体で動いていきます。
その中で起こることが起こり、私が何かをしているという映像もそこに見えます。
しかし、私自身は何もしていません。
私がそこで起こっていること、その世界そのものです。

私はただ、それを見ながら存在しているのです。
私の意志で何をしたか、実はそれも鏡の中の映像の一部なのです。
私を喜ばせたり、怒らせたり、悲しませているのも、その映像の中の出来事なのです。
それを眺めながら、私はただ存在しています。



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仕事を楽しみましょう!?その生きた付き合い方

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仕事の気の重さを軽くする方法を教えましょう。
まずは、こんな話から始めましょう。

あなたはお腹いっぱい美味しいものを食べた。
「もう食べられないや!」このままこの幸せが続くような気になる。
しかし、実際にはそれは続かない。一日も経てば、またお腹が空いてくる。
あんなにいっぱい食べたのに!と思っても、もうこれで今後食べなくてもいい、というわけにはいかないのです。

生きている私達は、常に変化しているということを忘れてはならないのです。
ところがこれと対照的に、ものは変化を免れる。
たとえば、自分が買ってきて部屋に配置した、家具や電化製品はそのままそこにいてくれる。
ものは、劣化したり故障したりすることはあっても、生きているものと比べれば変化しないままでいてくれる。

だから、あなたは1日でお腹が空いてしまう肉体よりも、いつまでも変わらない持ち物で自分の周りを埋めつくそうとします。
物を集めてコレクションし、それを眺めてこんなにいっぱいあると思い安心する。
肉体はあてにならない、物は裏切らずに一定の状態のままいてくれる。
変わらないものにしがみつきたくなる。

では仕事というものはどうなんだろう?
仕事はいろんな要素の組み合わせです。そこには変わらない仕組みも多くあります。
「どうだ!私はこれだけのことをやり遂げた。」といって成果を誇りたくなる。
やがて、ものをコレクションするのと同じように、仕事も成果を集めるものにしてしまいたくなる。
変化しない物と同じように、変化しない成果物もいろいろあるせいで、仕事もものと同じように扱いたくなる。

しかし、仕事には「あなた」が関わっている。変化し続けるあなた自身が、いつでもそこに関わっているわけです。対象になる仕事は変化していなくても、それをやっているあなたの方は絶えず変化しています。
あんなに楽しい仕事だと思ったのに、これで私の将来は安泰だと思えたのに、いつのまにか色あせてつまらない仕事になってしまうかもしれない。

それに仕事には、あなたが関わるだけでは済まない面があります。そこにはいろいろな他の人が関わってくるからです。社会情勢や流行といったものが、あなたの仕事の価値や評価に影響を与えます。
その時は実に有望な仕事だったのに、状況が変わっていつのまにか誰も求めてくれないものに変わってしまうかもしれません。

ですから、仕事はものとは違って半分は生き物だということを認識することです。

あなたは仕事を固定したものにしてしまいたくなる。
計算できる予測がつくものとして扱いたくなる。
生きて変化するものではなく、私の計画通りに成長してくれ、予測可能になる成果物だと思いたくなるのです。
ですから、あなたは計画を立て、仕事の青写真を作り、プロジェクトを組んで、それらが予定通りに進んでくれることを期待します。

こうして、だんだんあなたは仕事が半分生き物だということを忘れてしまいます。
そこに関わる変化する要素などないかのように思い出す。
計画を立てた時の「私」はいつまでもそのままでいてくれると思ってしまいます。

だからすぐに苦しくなってくる。
思った通りに計画は達成できない。これができたら次はこれと予定していたのに、早くも前提にするはずの成果が現れないことに気がつく。なんとか迂回ルートを考えて先に進めようとするけれど、今度はだんだん不安になってきます。

本当に私はこれを達成できるんだろうか?私にそんな才能があるんだろうか?これが出来上がっったら他の人はそれを評価してくれるんだろうか?そもそもこんなものに価値があるんだろうか?私は役に立たないようなものを創ろうとしているんではないだろうか?
こんどは、あなたという変化する生き物が、揺れ動き出したわけです。

さて、ここからが本題です。

仕事を予測可能で変化しないものだと思わないことです。
それは生き物だ。だから毎日何かを食べないとやっていけないのと同じように、たえず新しい視点から仕事を考えるようにしましょう。

計画をたてること自体は悪くない。行き当たりばったりでやるよりずっといでしょう。
しかし、それは単なる計画だということを忘れないこと。

毎日新たに、その相手を生きたものとして扱ってあげましょう。
また、相手も生き物ならあなた自身も生きている。
昨日はあんなに大事に扱ったのに、今日は興味を持てないかもしれない。
だからといって「こんなことではいけない!」といって自分を責めないことです。

自分も仕事も同じように変化する存在であることを認めてあげましょう。
変化するもの同士、くっついたり離れたりして付き合っていきましょう。
計画にとらわれないこと。

大局から対象を見ましょう。
あなたのやりたいことの本質を見失わないことです。
プランなど壊れても対して影響はないのです。
計画通りに行かなくて当たり前だと思っていましょう。
今日は全く違ったやり方で、対象に関わってみましょう。

計画通りに運んでいないと心配するから苦しくなるのです。
変化するもの同士、淡い付き合いでいましょう。
もしかしたら、もう別れましょうと思うかもしれない。
それはそれで、素晴らしいこと。
お互いに新しい出会いが待っているでしょう。


今日はどんなやり方で関わろうかと思いながら、変化を楽しみましょう。
計画など時には放り出してしまいましょう。

誰もあなたを強制などしていないことを忘れないこと。
あなたを「こんなこともできないの?」と言っていじめるのは、いつでもあなた自身だということ。
誰かがそう言っているわけではないのです。

何も自分をいじめるようなやり方で仕事をすることはない。
あなたが満足できることが、先にあることを忘れないことです。
だれもあなたの計画が失敗したかどうか見張っている人はいない。
気軽に取り組みましょう。
できたら出来ただけで満足しましょう。実際そうでしかないのですから。

無理をすべき時を間違えないことです。
絶えず無理を感じるのはやり方が間違っています。
苦しむのが好きなら仕方ありませんが、わざわざ苦しいやり方を採用することはないのだと思い起こしましょう。

楽しんでやらないと。
なんのためにやっているのかわからなくなります。
どうするかを決めるのはあなた次第です。
誰かが仕事は苦しいものと言っても、あなたは信じないでいましょう。
どうせやるなら楽しんでやろうと、それに徹底しましょう。
そう思えば、そういうやり方があることに気づくようになるでしょう。



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戦うのをやめて他の道を探そう!(ノートより)

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  スズメがフェンスの向こう側に行きたくて、ひょこひょこ通り道を探している、
やがて、上を見上げて飛び立ち、フェンスの上を乗り越えてしまう。

私達は、目の前の道探しに没頭しだすと、どこかに抜け道があるはずだと思って夢中になってしまいます。
「ここでやめてたまるか!」と思いだすのは、黄色信号。
意地になって探しだすと、視野が狭まって、他の選択肢が見えなくなってしまいます。

世の中にはなんでもすぐに諦めてしまう人もいるので、一概には言えませんが、しかしハマりだしたと思ったら早めに手を引くのがたいていは最上の策です。

このやり方をあきらめてしまったら、ほかに何か見えてこないだろうか?と問いなおしてみるわけです。
プログラムの開発をやっている時、頻繁にバグが発生する部分が見つかったら、思い切ってそのモジュールを最初から作りなおしたほうが早いことも多いものです。

今やるべきことは、原因探しなのか?それよりも先に進む時なのか?
どちらが優先されるかを考えて行動しましょう。

何でもこの順番でやらないと気が済まない、とか言い出したら聞かない人は、その人にとっても、まわりの人にとっても厄介の種を作り出してしまいます。

「あの人が間違いを認めるまで、私は絶対自分から折れない」と思うのが癖になっていると、簡単に自分が譲ることができる時まで、ひとこと言いたくなる。

こんな単純な関係の癖が、いつも自分を悩ませる根本原因になっているのに、本人はなかなか気が付かない。
問題は、困った人がいることである以前に、困った私にあることに気づけば、その人は自由になれるでしょう。

もともと自由にとっては、そもそもそんな問題自体が発生しないまま、何気なく過ぎていくのです。
そんなことよりも、もっと楽しいことを見つけようと思い、新しい世界に飛び込んで行けます。

この問題に、いったいどれだけ時間を使っているだろうか?
戦うべきか?
それとも上を乗り越えようか?

あなたがちょっと大人になれば済むことです。
それを考えてみましょう。




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自分から制限を作り出しているのです?私にも受取る資格があるんだ!(ノートより)

夢の生活

私達は、自分で自分をいじめるようなことをよくやっているのですが、気がつかれたことはあるでしょうか?

そういった人間性の奇妙な振る舞いについてはよく知られているところですが、そういうこともありそうだとは思っても、では具体的に自分が何をやっているかには、なかなか気づくことができません。

なぜ難しいかというと、ひとつの理由は、そういった行動が社会的、文化的に溶け込んでいて、自分ではこれが社会の常識だからという理由で、そういった自分いじめを受け入れてしまっているからです。

つまり、『私がこういう行動をとるのは〜という理由があるからです。ですから、私の行動はこれで正しいのです。』と言い聞かせているのです。

それが正しいと信じ込んでいますから、まさかそれが自分をいじめる行動になっているとは思いもしないのです。
たとえ、その行動で自分が苦しくなってきても、「人間はそうあるべきなのだから、多少苦しくても我慢しないとならない。」というように理由をつけて納得しようとします。

理屈では正しいことをしていると信じていますから、「なんでこんなに苦しいんだろう?」と時々嘆きながらも、「でもこれで正しい、我慢も大切なんだ」と言い聞かせます。

どうにも歯止めが効かなくなってくると、それでも正しさを疑おうとは思わないので、悲鳴を上げている自分がとうとう壊れてしまいます。
その結果、病気になったり、失敗してそれ以上仕事ができなくなるような事態を創りだすという、非常手段に出てしまうわけです。

このような無理な信念を打破するのは、簡単なことではありません。
そのようなことは、考えるだけでも、たちまち否定する自分が現れてくるでしょう。
それこそ、反社会的であったり、ひとでなしになるような気分になってしまうのでしょう。

しかし、「それでも私は、そこから抜け出るんだ!」と決心がついたら、とにかく大胆になり、常識になってしまっている自分の信念を破壊しましょう。

具体的には『私がこういう行動をとるのは~という理由があるからです。ですから、私の行動はこれで正しいのです。』に反論するのです。

そのような「理由」とはそう思い込まされてきただけです。
私にもそれを拒絶する権利があるし、そんなことに縛られないで、自由に自分のほんとうの思いを受けいれて、自分の取り分を主張してもいいのだと宣言しましょう。

そのような束縛を信じなければ、本当はもっともっとやりたいことが、自由にできるのだと気がつくことです。
私はそんな能力がないから、まだ資格が無いから、それを受け取るような価値のある人間ではないから・・・、といった自分から作り出している束縛に気づきましょう。

そして何よりも、だれかが制限しているのではなく、自分が自分を制限しているだけだと気づくことです。

あなたは、徐々にそのような束縛を、心身ともに染み込まされてきたのです。
少しずつ埋め込まれた規則が、やがて考えることもしなくなるほどあなたを変えてしまっているのです。

象使いは、子象のうちから足を縛り付けて、自分はこれ以上動けないんだということを象に叩き込みます。
その結果、やがて鎖をはずされて自由に動けるようになっても、象は縛られていた場所から離れなくなっていくのです。

あなたがどれだけのことを自分に許すか、どれだけ自分でできる範囲を認められるかで、これから先にできることが決まっていくでしょう。

信じられた分だけ、あなたは自由になり、自分を制限することをしなくなります。
なんだ、いままで自分でやらなかっただけで、こんなにいっぱいできることがあるんだ!

そういった発見がもたらすことは、想像もつかない世界にあなたを連れて行ってくれるでしょう。

象使いはもういないのです。鎖はもう外れています。

今の自分を超えられた分だけ、あなたは鎖から開放されます。
逆に想像もできないことは、どれだけ努力しようとできません。
そもそもやろうという思いつき自体が現れてこないからです。

必要なのは、努力ではなくて、大胆な発想や思い込みを捨て去る勇気だけです。

人生はすばらしい。
大切なのは勇気だ。想像力だ。

チャールズ・チャップリン


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あなたは本当に人を非難する必要性を感じるだろうか?

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 このメカニズムを他人の中に見るのはいかに簡単なことか!でもそれを自分の中に見ることが果たしてできるだろうか?そこが肝心なところだ。あなたが身代わりにしているのは誰だろうか?あなたが密かに自分の中で拒絶していて、他人の中にあるのを拒絶しているものは何だろうか?弱さだろうか?失敗だろうか?恐怖だろうか?同性愛だろうか?暴力だろうか?世の中に対して自分という存在のイメージを掲げるために、あなたの中にあることを認めていない思考や感情は何だろうか?


 他の人間の存在を本質的には自分自身だと見るとき、意図的に人を傷つけて本当に満足感が得られるのだろうか? あなたがもう自分の偽りのイメージ(本当の自分という存在を捉えることなど毛頭できないと知っている、というイメージ)を守ろうとしないとき、もう他の人間がそのイメージの脅威になると見ていないとき、あなたは本当に人を非難する必要性を感じるだろうか?あなたの目の前にいる人をもう恐れていないとき、暴力が本当に必要だろうか?

~ジェフ・フォスター

これらのことを、今までの自分をまっさらにして、考えてみよう。
あなたが今までそんなことを考えたことがなかったとしたら、まさにコペルニクス的転回がそこに待っているだろう。

あなたは誰かの脅威のために怖れることはない。
あなたが作り出さなければ、そんな脅威は存在しない。
脅威が何もないと知ったら、あなたはどう感じるのだろうか?
あなたは、そんなことを考えたこともなかった。
だって、脅威はそこら中にあるのは明らかだ! まずは自分をどう守るかを考えなければ。そうやって、あなたは、幻想の脅威に対処するのに躍起になって、いまここでなにをしたいのか、どう感じたいのかを考える余裕さえ持てないでいたのだ。

もし不可避のことがあるとしても、あなたには何も準備はできない。
そんなことができる人も、どこにも存在しない。
それよりも、いまこのときを、ありのままに味わうことを思い出さねばならない。

あなたは、恐怖に打ち負かされる人ではなく、今ここを十二分に生きることが、唯一のあなたの姿なのだ。何歳になろうと、それがあなたの生きる姿なのだ。
誰にも従う必要はないし、あなたの幻想に怯える必要もない。
なるべき姿もない。なるべきに生きるのではなく、ただ今を存分に生きるのがあなたの本当の姿なのだ。

それ以外のあり方は、すべてあなたをやがて後悔させることになるのだ。
なんで存分に生きてこなかったのか? なんでお仕着せの目的のために無駄なことをしてきたのか? なんでやりたくもないことで時間を費やしてきたのか? なんで本当にやりたかったことを犠牲にしてきたのか? なんで「べき」という言葉にだまされてきたのか? なんで自分を生きてこなかったのか? だれがそうさせてきたのか~もちろん自分以外にはいないのだ。




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なんでも批判したい人といつも自分の落ち度を感じてしまう人

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まず攻撃する側から見てみましょう。

誰しもその人特有の他の人に対する構えということに偏りを持っています。

よく取り上げる分かりやすい構えとしては、「迫害者」「救助者」「被害者」という3つの役割があります。

迫害者の役割を取りやすい人は、普段から世の中に不満を抱えていて、何かきっかけがあれば相手を攻撃してやり込めてしまいたいと待ち構えています。

たとえば世間話をする機会があったら、社会に対する批判を口にしてみれば、すぐに反応して自分の考えをまくし立ててくる人がいます。

「こんな世の中だから、不満を言いたくもなるだろう」とその人は言うでしょうが、だからみんなもそう思っているに違いないと思ってしまう人は「迫害者」の立場を取りやすいだろうと想像できます。

さてこの「迫害者」の傾向がある人は、ネット上のいろんな意見を見ていて、自分の考えと違う意見や、批判したくなる意見にばかり注意を向けやすいと言えるでしょう。

「迫害者」の傾向が高じてしまうと、SNSなどを見る目的の第一は、批判する標的を探すことになってしまいます。本人はそんなつもりでなくても、自分の考えに挑戦されたと感じれば、その一文にとらわれ、のめり込んでしまいます。

「自分と考えが違う人の意見は、野放しにしてはいけない」とか「相手を問いただして、考えを変えさせないといけない」とまで思ってしまう人もいるでしょう。

その人にとっては、間違った(と自分が信じる)考えの人を批判し、間違っていましたとその人を反省させ、考えを変えさせることが正しいことであり、自分の使命だと考えるのです。

ですから、たまたまあなたが発した意見が「迫害者」の目にとまり、意見が違っていたりすると、あなたがどういう人であろうと関係なく批判してくるでしょう。

突然知らない人から「何でいきなりそんなに批判されないといけないの?」と思うような事態も起こり得るわけです。

残念ながらそれを確実に避けるような手段はないでしょう。

SNSなどに参加しないとか、自分の意見は述べずに当たり障りのないことしか書かないとかいった消極的な対応策しかありません。

しかしそれではせっかくのプラス面もなくなってしまうわけですから、逃げないで続けて、どうしても出会った場合は、事故にあったと思って被害を最小限に留めるしかないでしょう。

その場合でも、上記のようなあなた自身とは関係ないところで、誰であろうと批判しないではいられない人がいることを知っていれば、気が楽になります。

決して個人的に受け取って、自分を批判したり落ち込んでしまわないことです。

わかっていても、あからさまに批判されるのは気分が悪いし、痛手を受けますが、反撃して自分が「迫害者」に転じてしまっては、別の問題を作り出すことにもつながります。

相手が誰であろうと、その人は批判するのだからと割り切って、自分までゲームに参加してしまうのを絶対に阻止しましょう。

あなたが反撃しないでいれば、相手はあなたに興味を失って他へ移っていくでしょう。


さて今度は受け手の側から見てみましょう。

ここで被害を受けやすいのは、先ほどの3つの役割の中の「被害者」を演じやすい人です。

「被害者」を演じるとは言っても、実際にはその人は演技しているつもりなどなく、本気で自分を責めたり落ち込んだりすることになります。

だれでもその時々でコンディションは違っています。
気力がみなぎっていれば、少々のことなど受け流してしまいますが、落ち込み気味の時にはちょっとした言葉がグサッと自分に突き刺さってくるように感じたりします。

客観的に考えれば「私だけが悪いわけではない」と思っていても、やはり批判じみた言葉を見ると「自分に何か落ち度があるのだろう」と思ってしまいます。

そのような時に、たまたま先ほどの「迫害者」に出会ってしまえば、とんでもないことが起こってしまったと思って考え込んでしまうでしょう。

やっぱり自分にはこういうことをやる資格はないんだとか、極端なことを考えてやめてしまいたくなったりするのです。

ですが、そこで起きたことは、いろんな組み合わせがある中の最悪の組み合わせが起きたという、一つの出来事に過ぎません。

決してあなたが「いつも」そうであるわけでもないし、あなたの意見に価値がないとか、才能がないとか、他の人を傷つけてしまったとか客観性のない極端な結論を出さないことです。

あなたが白と言えば、それに賛同する人が100人いる一方で、それを批判する人も100人いるのが一般的だと考えておけば間違いないでしょう。

自分自身を振り返ってみても、以前は絶対白だと言っていたことが、今は「黒に違いない、白だという人はみんな信じられない」というように、考えを正反対に変えてしまっている、そんなことがあったりしませんか。

反対意見があるのは当たり前のことだし、たとえ反対の考えを持っていても、相手の価値をそれと結びつけるかどうかは別のことです。

この点は意見が違うけれど、でもあの人の言うことはおおむね信じられると思えるという人だっているでしょう。

テンションが低いときには、ちょっとした批判の気配が大きく見えてしまい、相手を迫害者に見立ててしまいがちなのです。

ここでもやはり「個人的に受け取らない」ということを思いだしてみましょう。
ほとんどの場合、相手はあなたを個人的に責めているわけではないのですから。

個人的に受け取って、自分を批判したり落ち込んでしまっても、相手はそんなことは気にも掛けていないかも知れません。

そのような時には、相手が悪いかどうかは置いておいて、自分が被害を大きくしないことだけを考えましょう。

あなたが被害を大きくさえしなければ、実際には何も起きていないのと同じなのですから。


ここでは、もう一つの「救助者」のことは触れませんでしたが、ゲームの役割としての「救助者」とは、単純に救ってくれたり援護してくれる人ではなく、その役割を演じることで自分の立ち位置を演じたい人なのです。

また、これら3つの役割は、突然きり替わってしまうこともあります。
「迫害者」は突然「被害者」に切り替わり、「被害者」は「迫害者」を演じだします。
「救助者」にずっと助けてくれる人だと信じていた「被害者」は、突然「迫害者」に立場を変えてしまった「救助者」を見ることになるかもしれません。

何にしても、役割を演じているうちは、本当の自分を取り戻すことができないのです。




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