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人生に抵抗するのをやめてみたら・・・

人生に抵抗するのをやめて下さい

人生に抵抗するのをやめて下さい。
なんであれ、何かのためにあります。
あなたはまさにこの瞬間、正確にいるべきところにいます。

抵抗したがるあなたとは、人生はいま見えているままではダメで、なんとかしないといけないと考えたがるあなたの思考です。

いまのままではダメと何かにつけ考えてしまいます。
いまのままでは、本当にダメなんでしょうか?

何も抵抗しないでいたら、あなたはダメに成ってしまうと恐れているのです。
思考をストップしたら、怖いことが起きてしまうと信じ込んでいます。

努力しない人間は、生きる価値が無いと言われ続けてきました。

しかし、「努力」という名であなたを突き動かしているものとは、多くの場合、止まったままでいることが怖いだけなのです。

恐れないで、いまこの瞬間にとどまって、何が起きているのかを味わってみましょう。

あなたがどんなにもがこうとも、あるいはありのままに任せようとも、世界では物事が起きるように起きていきます。

あなたは少しでも、変化に自分が関わったと信じたいだけなのです。

あなたが世界に関わったのは、それもまた起こることになっていただけかもしれません。

あなたの意識的な働きかけを信じたいなら、信じればいいでしょう。
それによって、今の自分の周りの世界を変えていると信じたければ、信じればいいでしょう。

しかし、それにもかかわらず、世界はありのままに起きることが起きていきます。
無気力になれと言っているのではありません。

あなたの働きかけもまた、ただ起こることになっていただけかもしれないと、少しは考えて見られないでしょうか?

そう思って、何が起きていくかを見守ってみましょう。
世界観が、少しは変わってこないでしょうか?



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現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
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私たちがこの世界でコントロールすることができる唯一のもの

私たちがこの世界でコントロールすることができる唯一のもの

私たちがこの世界でコントロールすることができる唯一のものは、
他の考えにとらわれず、別の1つの考えを選ぶ私たちの能力です。


『なんてひどい雨の日なんだ!』

⇒『木や花や草に囲まれて、なんて素晴らしい日なんだ!』


この世界に存在するものは同じです。

その中で、何に注目できるかが、あなたの選択の能力です。

たとえば、雨の日に出くわすのは、あなたにコントロール出来ることではありません。

しかし、「なんで雨がふるんだ!」と嘆いてしまうのは、あなたの選択です。

雨の日でも、それを受け入れている木や花や草を見て、あなたもそれを受け入れる選択をしてみましょう。

自然は、あなたの考えの選択を、何一つ強要するものではありません。

あるいは、あなたを怖がらせたり、喜ばせたりするような意図は何もありません。

あなたがそう考えない限りです。

あなたがそれを選択しないかぎりです。




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私が自分自身を受け入れるなら

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私が自分自身を受け入れるなら、
あなたが私を受け入れてくれることが必要だ
という重荷から解放される。

私たちは通常、逆に考えてしまいがちです。
つまり、まわりの人が、あなたを受け入れてくれるなら、あなたは自分を受け入れ許すことが出来ると、考えてしまいます。

そしてあなたを受け入れてくれる人を探し求めます。
そういう人が現れないと、あなたは自分自身を受け入れられると思えないのです。

ですが、実際には、順序はどちらでも同じ結果をもたらします。
あなたが自分自身を受け入れるなら、そういうあなたを見て、まわりの誰かもあなたのその部分を受入ます。

あるいは、あなた自身が自分で受け入れている部分なら、あなたはまわりの人のその部分を受け入れることができます。

あなたが誰かのこの部分が許せないと思っているなら、あなた自身のそういう自分も受け入れきれていないのです。

順序を逆にして、他人の受け入ればかり求めていると、あなたは自分自身を受け入れる事ができないばかりか、更には他人に依存してしまう事になります。

どうして自分で自分自身を先に受け入れることができないのですか?
自分で自分を受け入れるなんて、自分勝手になるだけだと思っているのでしょうか?

ですが、その解決策もまた、同じです。
「自分で自分自身を受け入れないから」、いつまでも解決できないということです。

順序を逆にしましょう。やってみればすぐに分かります。
そうすれば、あなた自身を受け入れられます。
また、他人も受け入れることができるようになるのです。





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嫉妬をやめて自分の持っているものを楽しみましょう!

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なぜ嫉妬してしまうのでしょうか。

そもそも嫉妬とはどういうものでしょうか。

あなたが自分以外のものにあこがれて、今と違う自分になりたいと思うのが嫉妬の原因ではないでしょうか。

何かに、あるいは誰かにあこがれて、自分もそうなれたら、いまの苦しみはなくなり、充実した人間に自分もなれると思っています。

そこにある思いとは、
1.あの人のようになれたら、自分は満足するに違いない。
2.自分にはそれが足りないから、いまが充実しないのだ。
3.今の自分が欲しいものは、あの人のようになれることだ。
というように、自分にかけているものがあると思い込むことと、それが手に入れば自分は満足し充実した人間になれるという、一方的な思い込みです。

そこで見落とされて思い込んでいるのは、「自分もそれがあれば充実できるのに」と思いや、「それさえあれば、自分を変えられるに違いない」という思い込みがすべてを支配してしまうことです。

本当にそれが自分にあった望みなのかということは、あまり考えていません。
あるいは、何かが変われば、いままで持っていたものが犠牲になってしまうかもしれないことを想定していないのです。

たとえ、その期待をまねて自分が変わったとしても、その影に隠れて失ってしまった自分に後悔するかもしれません。「こんなはずではなかった」と思うかもしれません。

その理想を手に入れることで、失ったり、二の次になってしまった自分の望みに初めて気がつくのです。

自分が本当に望んでいることや、自分自身を振り返ることを先にやるべきだったことに気がつくでしょう。


今の社会は、そのあこがれるものをまき散らすことで成り立っています。

あなたに「何をしなさい」と訴えるのが得意で、しかし「どのようにしなさい」とは教えてくれません。

「何をしなさい」はそこら中にあふれています。

「あたらしい○○欲しいでしょ?」

「もっと楽に手に入る方法がありまっせ」

あなたが、SNSでほかの人の書いた記事を眺めていると何に出会うでしょう?

「わたしは○○を手に入れたよ。とってもよかったよ。」

>そうか、それなら私もほしいな。

>あの人はラッキーだな。自分もそうなりたいな。それに比べて。。

あっという間に嫉妬の原因を収集しはじめていることになるでしょう。

情報はたくさん集めれば良いとは限りません。

「たくさんあった方が、より正確な情報を見つけられるはず。」という論理を信じているかも知れません。

しかしそれによって、いかに有害な情報のシャワーにさらされることになるかを考える方が大事ではないですか。

子どもがおやつは一杯ある方がいいというような論理ではなく、すぐにあなたを嫉妬まみれにしてしまうものは、有害だから避けるべきと思った方が良いのです。

それとも、あなたは、そんなものに影響されない人間になるんだと修行でもする気でしょうか。

有害だと認めたら、防御すべきでしょう。インフルエンザがはやっていると聞けばマスクをして、うがい・手洗いを考えるでしょう。

無防備に嫉妬の原因に飛び込んでいく必要はありません。

遮断できることは遮断して、自分以外のものになるのではなく、ありのままの自分を振り返って受け入れることを考えみる。

それをしないから、たちまち社会の「何をしなさい」攻撃にやられてしまうのです。同調していないと罪悪感を感じる様になるのもすぐでしょう。

「嫉妬はよくありません。嫉妬しない人間になりなさい。」という意見は一見まともに思えますが、これ自体が嫉妬の一部なのです。

なぜなら、自分以外のものになりなさいと言っているからです。

嫉妬している自分に気がついたのなら、それも今のありのままの自分の姿であると、素直に認めることからスタートするしかありません。

「嫉妬しないでいられる人」を目指すにしても、実際になるのは不可能でしょう。

そんな現実離れをしたことを願うのではなく、新たな嫉妬を作り出さない生き方を見つけることの方が現実的で大事なことではないでしょうか。

自分以外のものになることで幸せになる、と信じるのをやめることです。

ありのままの自分を受け入れられるようになることが、すなわち嫉妬に縁のない生き方を作りだしてくれるのです。

そしておそらくそれが唯一の嫉妬を防止する方法なのでしょう。

また、そこから今度は「ありのままの自分を味わう」余裕が初めて生まれてきます。

嫉妬しているより、そのままの自分の生み出す世界には本物の充実感があることがわかってくれば、外を探し回っていたことのばからしさがわかってきて、自然と足は遠のきます。

自分が無理しないで、ありのままでいることで満足できることが、たくさんあったことにようやく気がつくのです。

無理に何かを取り入れるよりも、いま持っている自分をもっと充実させることを考えてみましょう。

隣の芝生に憧れるより、自分の庭をもっと耕してみましょう。
自分にふさわしい、もっといいものが、たくさん見つかるでしょう。

ないものに憧れるより、すでに持っていたものを見なおしてみましょう。
毎日おもちゃ屋さんを眺めに行く子どもは、家に使わないままの何があったかを見ようとしていないのです。

手に入れないと満足できないと思い込まずに、どうやって持っているものを楽しむかを考えることです。そこには、同じだけ、あるいはそれ以上に、あなたにふさわしいものが眠っているはずです。

 



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我々が物語の中の役者ではなく、物語の証人であると認識すれば・・・

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いったん、我々が物語の中の役者ではなく、それの目撃者であると認識すれば、全ては変わるだろう。
~ラム・ダス

Everything changes once we identify with being the witness to the story, 
instead of the actor in it.
- Ram Dass


役者であるとは、その役になりきって、自分自身のつもりでそれを演じます。
どこかで自分が演じていると感じながらも、物語は自分に降り掛かったリアルさを感じます。

同じように物語と接しても、あなたはそれをどこか外側から眺めている証人になれば、あなた自身がかかわっているのではないとわかります。

リアルさは同じくあります。
あなたはその中で生きています。
しかし、巻き込まれてしまわずに、証人として存在するとき、全ては違って見えてきます。

あなたは役を演じながらも、それを超えたところから自分を認識し、世界を受け入れます。
役者でありながら、同時に観劇する存在として世界を見ます。

演じている横で、それを見守る存在であるとき、世界は全く変わって見えてくるでしょう。


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自分自身が不完全であるのを許してください

自分自身が不完全であるのを許してください。 

自分自身が不完全であるのを許してください。
Allow yourself to be imperfect.

残りをよりよくさせようという思いを捨ててください。 

残りをよりよくさせようという思いを捨ててください。
あなたに出来ることのベストをつくすのに集中してください。
Drop wanting to be better than the rest.
Focus on being the best that you can be.

残った結果をより良くしたいと思うのは、誰しもしかたのないことかもしれません。
しかし、あなたに今できることは、たった今ここでやっていることだけです。
それがより良くなるかどうか、失敗を絶対におかさないでいるかどうか、その保証はないのです。

保証するとは、ことばで言えるだけ、完全な結果とは、ことばで言えるだけ。
あなたに今できることは、たった今ここでやっていることだけです。

その違いを理解しましょう。
そうすれば、あなたはやるともなく、やれることを果たせるでしょう。
あなたは、ただやれることをやっています。
やっていると意識すらせずに、いまのあなたのベストを尽くせているのです。

「結果がすべて」ということばを勘違いしないように。
結果はあなたには、どうにもできないことです。
意識しようと、しまいと、あなたはやれることをやります。




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受動的にありのままの状態とともにいる

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何かを考えずにはいられない、とか、頭のなかが空白になっているのに気が付くと、すかさず思考に入り込もうとしたり、私たちは空っぽでいることが苦手だったり、不安を感じてしまう人も多いでしょう。

空白でいることは、努力しても、いや努力するからこそ、そこから思考に戻されてしまいます。

空白とか、空っぽとか、真空状態になると考えるから難しくなるのです。

ただ、いま、ここで起こってくることと共に存在すると考えれば、自然と空っぽでいられるようになります。

考えまいとするのでなく、考えていない自分で存在できるようになります。
ふと何かの考えに、気を取られるとその思考に溶け込んでしまうのですが、考えることさえもそのまま放っておきましょう。

やがて思考も、ただ通り過ぎていくものだとわかってきます。

同じことを考え続けるのは、ありのままではなく、そこに努力が入り込んでいるのです。

努力や思考を排除しようとするのは、真空を作りだそうとするのと同じように、たちまち空気が入り込もうと圧力がかけられてしまいます。余計に思考が主導力を持とうとしてしまいます。

それよりも、思考をただ通りすぎるのに任せてしまいましょう。来ては去っていくものと思って、そのままにしておけばいいのです。

以下の「観察するということ」で書いたように、受動的にありのままの状態とともにいるようにしましょう。

無抵抗でいるとは、抵抗しようとするのをやめようと思うのでなく、流れと一体になるのです。

短期的に見れば、無理やり力で変えたほうが早いと考えてしまいますが、長期的に見れば、大きな流れに乗っかることで、一体化出来るのです。

---------------------------
観察するということ
---------------------------
瞑想の本質は、空っぽでいられることにあるのかもしれません。

空っぽでいることの軽さを体験すれば、わざわざ煩わしいことに飛び込んでいく、ばかばかしさが見えてきて、徐々に遠ざかっていきます。

しかし、だれもが空っぽでいることに不安を感じます。
子どもが夢中で遊んでいるとき、「遊んでばかりいないで、勉強しなさい!」と言われたときのような後ろめたさを感じるのです。

大人になると、いろいろもっともらしい理由付けをしますが、起源はこんなところにあるのでしょう。必然性はなくても好き勝手を制限することが自分を守ってきたという理由で、何となく不安になって、何かをやっているふりをし始めます。

自堕落でいることと空っぽでいることは全く違います。


自分を観察することを取り上げてみましょう。

「そんなこと言われなくても、私は毎日、自分を観察しているよ」
といわれるかもしれません。

しかし、観察していると思っても、実際にやっているのは自分の中での誰かと誰かの対話になっている場合が多いのです。

たとえば、自分Aは「今日はこんなにがんばった。ほめてよ」というのですが、自分Bは「それ位ではではまだまだ、世の中競争は厳しいんだから」といわれて、もっと自分に厳しくしようと反省してみたりするわけです。

しかし、これは内省とでもいうもので、ここで言う観察とは全く別のものです。

また、このようなやり方では、自己を観察しているようでも、予め持っている狙いに合ったことしか見ようとはしないものです。

そして、内省をいくら繰り返しても、いま気づいている自分の範囲を超えた発見はありません。

 

観察は自己を受容することにかかせない手段です。

観察とは普通、目でみることだけを意味しますが、ここでいう観察とは、あらゆる感覚を全て使って自分を観察するのです。

観察とは、何事にも執着しないで、また何かの結果を出そうというはからいの気持ちを持たずに、ただ感じることを受け入れることです。

何かに偏らず、その行為で結果を出そうと思わず、ただただ考えていること、感じていること、聞こえていることが過ぎて行くままにします。

やることは、ただ観察することです。
感じてくるものが何であれ、「それとともに在る」ようにします。

あなたの頭が判断しようとしたり、価値の比較を始めようとしても、それに従わずにただそれを見守ります。

何かを変えようとせずに、ただ起きてくることを受けとります。
徹底して、受動的な姿勢を維持します。

ただ受け取っていると、そのうちあなたの感じとっていることが、考えているのか、感じ取っているのか、身体の感じることなのか、どれともわからない、別の印象を感じる様になるかも知れません。

そのように感じてきたとき、もしあなたがそれについて考えようとすると、それはもう思考に切り替わってしまいます。
そうならないように、何もせずに受動的な姿勢を維持しましょう。

思考は、訳のわからない状態が続くことが苦手です。

そのような自分が管理できない状態が存在することが許せないのです。

だから、だんだん思考がコントロールをこちらに返せと訴え始め、あなたは落ち着かなくなってきます。

しかし、それでも何にもとらわれずに、受動的に感じることを受け流していきます。

 

すでにお分かりかも知れませんが、「観察すること」とは、言い換えれば「瞑想する」ということです。

瞑想と言ってしまうと、難しくて手に負えないと感じるかも知れませんが、ここで言っているように、ただただ見ているだけの観察と考えればいいのです。

最初は、刺激を少なくするために、身体を動かさずにやった方がいいでしょうが、別にどのような姿勢でやろうと、あるいは散歩しながらやるのでもかまわないでしょう。

あなたの思考は、「もっといいことがあるよ」と訴えてくるかも知れません。

しばらく時間を使ったから、いつものように意味のあることに切り替えよう、時間の無駄だよ、と脅しをかけてくるかも知れません。

あるいは、足がしびれてきたとか、かゆくなってきたとか、身体が訴えを始めるかも知れません。

こんなの退屈だから耐えられない、もっと刺激のあることをしようと言う訴えも、全て受け流します。

それらに対して、価値判断を加えずに、ただ観察します。
批判的な思考も、そのまま受け入れます。

結果を期待せずに、あなたがこれで充分だと感じるまで観察を続けましょう。

最初は、何かの思考の力が強くて、あなたを思考に引きずり込んでしまうかも知れません。

その時はその時で、失敗を嘆くことはありません。

あなたを引っ張り込んだ思考こそは、あなたが普段もしばしば入り込んでいる、あなたにとって重要な思考である可能性が高いからです。

そのような思考に気づけただけでも、大きな収穫です。

思考を始めると、その前にあなたが何をやっていたのか忘れてしまう可能性もありますが、それでも「その思考が何であったか」だけでも覚えておこうと、言い聞かせておきましょう。

先程も言いましたが、観察することを続けて、ひたすら受動的な受容に徹すると、イライラを感じ出すかも知れません。

今までなら、あなたはそれを感じると、思考に走ることでそれを回避しようとしてきた筈です。

しかし、観察を続けるあなたは、それらもそのまま受け取り、観察するのです。
今まで支配してきた、その不快感にたいして、何もせずに見ているという態度を崩さないことです。

うまく受容に徹することができれば、それだけであなたはそれをコントロールする側に回れるかも知れません。

問題には対策や行動で答えるという今までの発想を捨て去ります。
ただ何もせずに、観察するだけという解決を、あなたのレパートリーに追加するのです。

最初は、うまくいっているのか、だめなのかも解らないかも知れません。
しかし、繰り返すことで、ただ観察するということを身体で覚えるのです。

いつもなら、ここで思考に支配されてしまったのに、今日はただ何もせずにいられたという感覚を身につけることです。

「そんなに暇じゃないよ」と言いたくなるでしょうか。
「ひま」という言葉は、あなたにどんな感じを与えているのか観察してみましょう。

「暇つぶしなんかするのは怠惰なことだ」という強迫観念でしょうか。
「自分はいつも努力している」と認めたがっているのでしょうか。

「時間はあっても、いまの自分が変わるかもしれないからやりたくない」といっているのかもしれません。
今のままを維持していないと、どこに飛んでいくかわからないことが不安なのでしょう。
あるいは、今までやってきたことが無駄だとわかったりしたら大変だと思うのです。

やる前に、こんなことをして何になるかと考えても答えは出ません。

答えが出るようなら、それは単なるあなたの思考という行為でしかなかったのです。
あなたが、結果を期待して観察ごっこをしたために、期待した結果が導かれただけということです。

そしてそれは、あなたがいままで何度もくりかえしてきた、解決に結びつかない思考ではないでしょうか。
そうなったからといって、こんなことは無駄だと投げ出さないで下さい。

観察によってもたらされる、新しい感覚はそのような予想できるものではありません。

思考ではなく「観察すること」を繰り返すことでそれをあなたのものにしましょう。

それが何をもたらしてくれるかは、あなた自身にしかわかりません。

「今までの結果を期待した思考ではもはや答えが出ない」、そうあなたがあきらめる気になったら、それが絶好のチャンスです。

ただ「観察する人」になってみましょう。



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異なる展望から我々に人生を見せてくれる16の提示

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異なる展望から我々に人生を見せてくれる16の提示
16 Quotes that Show Us Life from a Different Perspective
WRITTEN by ANGEL CHERNOFF

1. 彼らが持っている良きものから利益を見いだすのを拒否する人々からは、幸せは逃げてしまいます。
人生があなたに否定的なあらゆる理由を与えても、あなたはポジティブに考えてください。
あなたが人生がたった今そのようになっていると思っていることを捨てて、それが実際にそうであることだけを評価してください。

2. 最も豊かな人は、最も多くを持っている人でなく、最少限のものだけ必要とする人です。
豊かさとは、心の持ち方です。
より少なく望んで、今日という日をより評価してください。
あなたの人生に感謝してください。
あなたの健康、あなたの家族、あなたの友人とあなたの家を感謝しましょう。
多くの人々は、これらを持ってさえいません。

3. あなたが成長して本当にあなたであるものになることには勇気が必要です。
変化を恐れないでください。
あなたは何か良いものを失うかもしれません、しかし、ほかの何か大きなものも、得るかもしれないのです。

4. 大部分のあなたの恐れは、現実に存在するよりも、あなたの心の中で非常に大きくなっています。
あなたがそれらと向き合うなら、すぐにあなたは自分自身でこれを知ることができます。

5. 2つの良い選択を持てるだけ、あなたが幸運であるなら、常に、あなたを最もこわがらせる人と一緒に行ってください、なぜなら、そのひとこそあなたが成長するのを手伝ってくれる人なのです。

6. あなたのうしろで閉じたドアについてはストレスに感じないでください。
新しいドアは刻々開いています、そして、前進し続けるならば、あなたはそれらに出会います。
そして、あなたが踏み出していると、明日について心配することで、今日という日を、しばしばあまりに浪費してしまっていることを心にとめておいてください。
ただ現在にとどまってください。
明日という日は、正確にそれがそうあるべきように現れます。

7. あなたが選ぶ展望しだいで、あらゆる窮状は、ひどい成績の弁明となるか、優秀さの機会にもなりえるのです。

8. 困難なときでも、ともかく微笑をまとっていてください。
微笑むことは、かならずしもあなたが幸せなことを意味しません、時には、それは単にあなたが強いことを意味します。
そうすれば、あなたはそうなります。

9. 成長とは痛みを伴います。
変化は痛みを伴います。
しかし、結局、あなたが属していないところで、立ち往生してしまうほどの痛みはありません。
何もしないで疲れてしまうより、意味がある仕事をして消耗する方が、常によいのです。

10. あなたが最も望むもののために頑張ることができる才能を評価してください。
そして、あなたが他に何かしていたいと自分に言い聞かせない限り、何も本当に「仕事」ではないのだと思い出してください。

11. あなたがしなければならないことをしてください、しかし、余裕も残してください。
柔軟にしてください。
がちがちのプランであなたの人生を予約しすぎてしまわないでください。
時には、大きなチャンスは計画されないところで起こります、そして、大きな後悔は正確に計画されたことに達しないことによって起こります。

12. 他人のことばで怒る代わりに、彼らのために聞くことを選んで、注意して、何とかしてより強くなってください。

13. 人生はあなたのために欲しがっている人々を必ずしも与えません、それはあなたにあなたが必要とする人々を与えます… 学んで、成長して、恋に落ちて。

14. 我々の間で最も強いものは、あなたが見ることができるような強さを示す人々でなく、あなたが何も知らないところで驚くべき内部の戦いに勝った人々です。
ですから、人々に親切にしてください。
あなたは人々の痛みを必ずしも見ることができません、しかし、彼らは常にあなたの親切を感じることができます。
人々に親切であることは、平和に生きる方法であり、美しい遺産を残すやりかたです。

15. 3つのものは、あなたを最終的に定めます:
あなたが何も持っていないときの忍耐、あなたが何でも持っているときの態度、あなたが手を差し伸べられる時に助けた人たち。

16. 控え目にしてください。
よく教えをきいてください。
世界は、世界に対するあなたの見方より大きいです。
新しい考え、新しいステップ、新しい展望のための余地は、常に存在します… 新しい始まりです。

1. Happiness escapes from those who refuse to see the good in what they have.  When life gives you every reason to be negative, think positive.  Let go of what you think your life is supposed to be like right now and sincerely appreciate it for everything that it is.

2. The richest person isn't the one who has the most, but the one who needs the least.  Wealth is a mindset.  Want less and appreciate more today.  Be thankful for your life.  For your health, your family, your friends, and your home.  Many people don't have these things.  (Marc and I discuss this in more detail in the "Simplicity" chapter of 1, 000 Little Things Happy, Successful People Do Differently.)

3. It takes courage to grow and become who you really are.  Don't fear change.  You may lose something good, but you may also gain something great.

4. Most of your fears are much bigger in your mind than they are in reality. You'll see this for yourself as soon as you face them.

5. If you're lucky enough to have two good options, always go with the one that scares you the most, because that's the one that is going to help you grow.

6. Don't stress about the closed doors behind you.  New doors are opening every moment and you will see them if you keep stepping forward.  And as you're stepping, also keep in mind that we often waste too much of today by worrying about tomorrow.  Just be present.  Tomorrow will reveal itself exactly as it should.

7. Every difficult situation can be an excuse for poor performance or an opportunity for excellence, depending on the perspective you choose.

8. Even when it's tough, wear a smile anyway.  Smiling doesn't always mean you are happy, sometimes it simply means you are strong.  And YOU ARE.

9. Growth is painful.  Change is painful.  But in the end, nothing is as painful as staying stuck somewhere you do not belong.  It's always better to be exhausted from meaningful work than to be tired of doing nothing.

10. Appreciate the gift of being able to work hard for what you want most.  And remember that nothing is really "work" unless you tell yourself that you would rather be doing something else.

11. Do what you have to do, but leave space too.  Be flexible.  Don't overbook your life with rigid plans.  Sometimes great moments happen unplanned and big regrets happen by not reaching exactly what was planned.

12. Instead of getting angry over the words of others, choose to listen, be mindful, and grow stronger one way or another, because of them.  (Marc and I build mindful communication rituals with our students in the "Love and Relationships" module of Getting Back to Happy.)

13. Life doesn't always give you the people you want, it gives you the people you need… to learn, to grow, and to fall in love.

14. The strongest among us aren't those who show strength you can see, but those who have won incredible inner battles you know nothing about.  So be kind.  You can't always see people's pain, but they can always feel your kindness.  Being kind to people is a peaceful way to live, and a beautiful legacy to leave behind.

15. Three things ultimately define you: Your patience when you have nothing, your attitude when you have everything, and who you help whenever you are able.

16. Be humble.  Be teachable.  The world is bigger than your view of the world.  There's always room for a new idea, a new step, a new perspective… a new beginning.






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自分を評価するのも、けなすのも自分自身

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自分を評価するのも、けなすのも自分自身だということ。
このことが本当にわかってくれば、まず周りの人たちが違って見えてくるでしょう。

そして次に自分自身だと思っていたものが、どこかで拾ってきたものにすぎないとわかります。

ここでようやく、自分だと思ってきたものが何だったんだろうと気がつくのです。

自分とは何か、そのこたえは、言葉で表現できるような簡単なものではないでしょう。
その答えとともに、他人だと思ってきた存在が何なのかも、見えるようになってきます。

どちらにしても、あなたが取り組むべき人は、あなたで始まり、あなたに行きつくのです。
==========================================
自分の中に毒を持て 岡本太郎(2)より

もっと自分を大切にしたいと思っていませんか?


    たとえどんな作品でもすばらしいと感じたら、

    それはすばらしい。

    逆にどんなすばらしい作品でもつまらない精神にはつまらなくしかうつらないのです。

    作品自体は少しもかわっていないのに。

  

この言葉、「作品」を「わたし」に置き換えてみます。

 

たとえどんな「わたし」でもすばらしいと感じたら、それはすばらしい。

 

逆にどんなすばらしい「わたし」でもつまらない精神にはつまらなくしかうつらないのです。

 

「わたし」自体は少しもかわっていないのに。

 

 

「わたし」はどんな人からの評価で自分を諦めてしまっているでしょうか?

 

「わたし」を密かに評価し、あこがれている人だって必ずいるはず。

 

自分で諦めてやめてしまったら、ガッカリする人が出てくるでしょう。

 

「わたし」のままでいることを禁止するものは、自分が作りだしているんだから、その原因を作り出す自分を手放してしまう。

 

    「その他の空しい条件は切り捨てよう。そして、運命を爆発させるのだ。」

     

    結果がまずくいこうがいくまいがかまわない。

    むしろ、まずくいった方が面白いんだと考えて、自分の運命を賭けていけば、

    いのちがパッとひらくじゃないか。

     

もうひとつ感動した話ですが、禅宗などで言われる「道で仏に遭えば、仏を殺せ」という言葉を受けての、岡本氏の講演の場での言葉です。

 

そのまえにこの言葉を解説しておきましょう。

 

同じような言葉に、「河を渡ったら舟は捨てていけ」というのがあります。

 

いつまでも手段であった舟を担いだままで歩き続けるな、役目が終わったら捨てていくのだという意味です。

 

仏の場合も同じように、どれだけすごい師であったとしても、いつかは自分を頼むことに切り替えないといけない。

 

師を捨てていかなければ、それはやがて自分の足かせにおなってしまうのだ、といった意味になります。

 

さて、講演での岡本氏。

 
    「道で仏に遭えば、と言うが、皆さんが今から何日でもいい、京都の街角に立っていて御覧なさい。仏に出逢えると思いますか。逢えると思う人は手を上げて下さい」

     

    誰も上げない。

     

    「逢いっこない。逢えるはずはないんです。では、何に遭うと思いますか」

     

    これにも返事がなかった。坊さんたちはシンとして静まっている。そこでぼくは激しい言葉でぶっつけた。

     

    「出逢うのは己自身なのです。自分自身に対面する。そうしたら、己を殺せ」

 

かつては、自分を守るために身につけた「己」だったのかもしれません。

 

しかし、それはもはや手放してもいいものになっているかも知れないのです。

 

いつまでもしがみついているのをやめて、捨て去ったとき、自分を守らないといけないと思わせていた外側の脅威が姿を消します。

 

「わたし」がまわりに見つける人は、実は「わたし」の中にある存在だけです。

 

「あなた」が同じ場所で見つけるのは、それとは別で「あなた」が持っている自分です。

 

まわりの他人のせいで、自分は虐げられていると思うでしょうか。

 

それを許しているのは誰でしょうか。

 

自分をいじめてくる人もまた、自分の分身に過ぎない。

 

大きなスパンで見ればそのひとなりの傾向はありますが、まわりの世界が自分に好意的と見えるか、自分をいじめる世界と見えるかは、日々刻々変わっているものではないでしょうか。

 

ちょっとしたひと言であなたの世界がバラ色に輝き、また別の言葉で油断のならない世界に見えて来る。

 

今日が憂鬱なら、自分の何が憂鬱にさせてしまったのだろうと考えて見ます。

 

誘因は外側にあったとしても、それを受け入れたのは自分自身です。

 

己を守ろうとする自分が、自分を拘束しているに過ぎません。

 

ひとつこだわりを捨てれば、ひとつ軽くなれる。

 

この世は辛いものだと外側のせいにしていたけれど、ひとつ己を殺せば、それは自分が作り上げていた世界に過ぎなかったことがわかってきます。

 

自分に全く関心のないものなど、自分の世界には存在しないのと同じです。

 

自分が何とかしないといけないと言い聞かせているから、世界が自分に対して強制しているように見えるのです。

 

自分のことを嫌いな分だけ、まわりの世界に嫌いな人が登場します。

 

自分のことを好きになれただけ、まわりの世界にはあなたの好きな人が存在することになります。

 

【引用文献】

自分の中に毒を持て―あなたは"常識人間"を捨てられるか (青春文庫)

著者: 岡本 太郎 青春出版社 / 文庫 / 218ページ / 1993-08

 
 
 


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対象にのめり込む前に、対象に惹かれだして自分に気がついてみよう

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「常に欲無きもの、もってその妙を観、常に欲有るもの、もってその徼(きょう)を観る」
故常無欲,以觀其妙,常有欲,以觀其徼
老子道徳経 第一章
「永久に欲望から解放されているもののみ『妙』(かくされた本質)をみることができ、決して欲望から解放されないものは、『徼』(その結果)だけしかみることができない」

何かを必死で探し求めていると、
それさえ手に入れば
すべてうまくいく様な気にさえなってきます。

だけどそれが手に入っても、
せいぜい目の前の問題がひとつ片付くだけなんですね。

それでも、他の事が目に入らなくなるのが
こころのくせというものでしょうか。

無欲で見れば、そこに「妙(みょう)」が見えて来る。
欲にかられて見れば、そこに「徼(きょう)」が見えて来る。

「妙」はきれいに澄み切った様子。
「徼」は欲がぶつかる世知辛い世の中。

「妙」に住みたいと願いながら、
いざ動こうとすると
「徼」に突入しようとしているのが私たちのようです。

以上は老子の第一章に有る表現ですが、「妙」にとどまって、「徼」に入り込まないでいることを、別の表現から見てみましょう。

私たちは、対象に惹かれて、それが欲しくなり、段々とそれにのめり込んでいきます。

いったん入り込んでしまえば、今度はその対象と同化し、それこそが自分の一部分になったような気になります。

そうなると、後はそれを弁護し、それを守ろうとする自分が出来上がってしまうのです。

普通はそれから離れていることは難しいのですが、対象に惹かれだした時点でそのことに気づき、自分がそこに入り込んで行こうとする、まさにその自分を離れて観ることができれば、対象とは離れた位置にあるあなたに気がつくことが出来るようになります。

対象とは、最初、あなたにとって対象でしかなかったように、いつになってもあなた自身ではないのです。

あなたは様々な対象に囲まれ、取り込まれたり、取り込んだりしながら、自分が変化したと感じるわけですが、対象の存在にかかわらず、あなたという存在がそれらから離れて存在することに気づくのです。

具体的にあなたはこういう人間ですと表現することは、他人にとっても、自分にとっても、わかりやすいし、それが当たり前だとみんな思っています。

しかし依然として、あなたはあなたであり、対象で着飾っても、本当のあなたが変わってしまうわけではないのです。

ですが、対象があなたではないとは言えても、それでは対象と依存しない自分とは何かを表現することは難しいのです。

表現できる対象となったものは、後から作られ名前を付けられたものであり、思考が扱うには都合のいいものです。

しかし、いつまでたっても、それ自体があなたではないということを忘れないことです。

「妙」に住み続けるには、「徼」がおいでおいでと歓迎しても、耳をかさずに「妙」にいて、「妙」を味わいつくすことです。

最初のうちは、気がついたら対象に取り込まれてしまっているかも知れません。
それでも気にせずに、対象はいつまでも自分自身ではなく、離れたところからそれを観つづけます。

やがてあなたは、「妙」にとどまることが容易になるでしょう。

華やかな「徼」に取り込まれることが、あなたを惑わせていると気がつくことです。

「妙」にとどまることが、それよりも深いものをあなたにもたらしてくれることを体験しましょう。

「徼」ほど、華やかだったり、具体的だったり、魅力的に見えないかもしれませんが、「妙」を理解し、そこに住むことこそが本物を感じさせてくれるのを知るのです。

結果が出なければ(徼)、いくらそんなことを言っていても挫折してしまうだろう。
そう考えて、いくらも経たないうちに「徼」に入り込んでしまう人も多いでしょうが、その人たちは、「妙」をもっと知ろうとしません。『妙』にとどまって、そこにある言葉に出来ない世界を味わってみることを、はなから信じようとしないのです。

青い鳥は、「徼」の中には見つかりません。
ようやく我が家「妙」に戻ってみて、最初からそこにいたことに気がつくのです。


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怒りの感情に対処する~コントロールできる自分を知っておこう

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怒りの感情は、なにか原因があって外からやって来るものと思われています。

確かに、怒りだけでなく「感情がわいてくる」と表現されるように、最初のきっかけは自分では対処できない場合も多いように思われます。

しかし、きっかけはともかく、感情というものは自分で抵抗しないでいれば、しばらく時間を経過すれば治まってくるものです。

それにもかかわらず、いつまでも感情的になっているのは、自分の側の関与がそれを継続させていると言えないでしょうか?

いつも怒りっぽい人もいれば、ほとんど怒りを表面に出さない人もいます。しかし、表現するかどうかと、感情が生起するかどうかは別のことです。
表面的には怒ったように見えなくても、いつまでも怒りを貯めこんでしまう人もいます。

まず怒りという感情はどのようなときに起こるものでしょうか。

自分が災難を被った、被害にあったといった状況で起こってくるのが怒りの感情ですね。

それはもともとは被害を受けた自分が、それ以上被害を受け続けないように自分を守ろうとする為に備わった感情なのかもしれません。

つまり、怒りを感じて相手に対して反撃に出るという行為に付随した感情とでもいいましょうか。

身を守ろうとして反射的に感じる行為の一部としての感情は、いくら抑えようとしても抑えきれるものではないかもしれません。

しかし、私たちは反射的な怒りの後に、いつまでもその怒りを維持してしまう傾向がありますね。

そこでの働きは、反射的な感情が長く続いていくのではなく、その感情をいつまでも長引かせる自分の中での心の働きが存在するわけです。

たとえば、怒りの相手を「あんなことをする人間は許せない。このままにしておくべきではない。」というような考えを、いつまでも繰り返して思い起こしているわけです。

そして最初の反射的な感情は別として、この部分は自分次第でコントロール可能になると言えるでしょう。

心の働きとしては、自分が災難を被った「被害者」であり、その原因を作った自分を攻撃してくる「加害者」がそこには登場するはずです。

具体的な「加害者」が存在しない場合には、自分が「被害者」ではあってもそれほどいつまでも怒りは続かないことが考えられます。

ここで、荘子に出てくる「空っぽの舟」という話をご紹介しましょう。

自分の乗っている舟に、他の舟がぶつかってきた。

とっさに、怒りを感じて「誰だこの野郎!」と思ってしまう。

しかしこの場面で、もしぶつかってきた舟に誰も乗っていないとわかったら?、それでも君は怒り続けるかね?

といった内容の話です。

この話から気がつくように、怒りの感情を維持するときには、特定の加害者を想定しているものだと考えられます。

そして「加害者」が「被害者」である自分に迷惑を与え、「加害者」に非があるから罰してやらないと気がすまらないと思っている時に怒りが続くのです。

さて、ここまで考えてくれば、怒りを長引かせないためには、上記の必要な条件を崩してやれば良いのではないかと思い至るでしょう。

役割に入り込まないで、外側から見られたら、怒りから脱却できそうです。

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まずは「加害者」を考えます。

怒っているときは、加害者が自分の被害の原因であり、しかも故意にそのような攻撃を自分に仕掛けたと思っているわけです。

「故意の攻撃というのは本当に確実だろうか?」

・相手は自分を攻撃するような立場にあるだろうか?

・自分がかってに攻撃を受けたと思っていないだろうか?

という点をもう一度チェックしてみます。

攻撃を受けるような客観的な要因はないとわかってくれば、自分が脚色してしまっただけかもしれないと思えてくるかもしれません。

そうすると、では「相手は何でそんなことをしたんだろう?」と考えを切り替える余裕が生まれます。

たとえば「もともと、誰に対してもそういう行動をとりがちな人なのかもしれない。」と思えたら「個人的に被害を受けた」という印象は変化してくるでしょう。

また、すぐに攻撃的になる人とは、何かを怖がっている人であるという見方をすれば、立場は逆転して、自分の方が何とかしてあげようという気にもなってきます。

その人は他の行動をとれない何らかの事情を抱えていたのだと考えられるのです。

「加害者」というレッテルをやめて、相手も状況の「被害者」だったのかもしれないという視点に立てば、怒りはいつのまにか収まってくるでしょう。

次に「被害者である自分」をチェックしてみましょう。

自分のふだんの対人関係における姿勢を冷静にチェックしてみましょう。

・自分は「被害者」であるという立場をとりやすい傾向はないだろうか?

・他の人は何か原因をみつけては、自分を攻撃してくるものだと見る傾向はないだろうか?

わたしたちは、普段から自分の好みのストーリーを作り上げて、外の世界を見ている傾向があります。

◇自分は他の人に助けてもらう必要がある、あわれな「被害者」だと思いがちな人。

◇自分は他の人を救わないといけないだ。みんな危なっかしくて見てられないからと思う人「お節介やき」。

◇世の中は間違った人間が多すぎる。自分がそのような人を正していかないとならないという「裁判官」的な人。

そして、怒りの感情を長引かせやすいのが、「被害者」を演じやすい人や、正しさを追求したくなる「裁判官」なのです。

普段から自分のこのような傾向を正直に見つめていれば、「加害者」対「被害者」の関係に入り込まなくなりますから、怒りの当事者になることも少なくなります。

瞬間的に怒りを感じることは、前述のようにいつまでも消えることはないでしょう。

それを自分にはそんなことはないと無理をして聖人になったような真似をしても、結局怒りをため込んでしまうことにつながります。

そんな無理なこと目指すのではなくて、不要な怒りの継続を止めることに努力する方が、現実的で実りも多いものになるでしょう。

それには、「被害者」を演じるのをやめること、また正しさを振りかざす人になろうとしないことです。

それと、「人は変えられない、自分は変えられる」という原則を忘れないことも大事だと思います。

自分が何か言ったからといって相手がすぐ変わるということは期待できません。変わったとすれば、たまたま相手が変わるタイミングにいたからでしょう。

その時期が来なければ人は変わらない。変わってくれないからと自分が責任を感じることは、やがて新しい怒りを作り出すことにもつながります。

不要な怒りを長引かせないことや、相手からの刺激を怒りで受け取らないことに注意すれば、怒りは何処かから生じてくるコントロール不能の感情ではなくなってくるのです。

 



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魂を侮辱するものは手放そう2

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私たちは大人になるにつれて、現実は自分の思い通りにはならないものだと思い、自由に夢見るのを諦めてしまいます。

しかしそこにあるものは、夢と呼んでいる、自分の好きに現実を変えたいという思いと、
自分に合わせてほしいと思い、自分が期待して作り上げた現実なのです。

その2つをひとまず横において、自分の本当に望むものと、自分の思い通りにはならないと認めた「現実2」を考えてみてください。

現実2は、必ずしもあなたの望み通りではありません。時には、こんなに望んだのに、現実はその思いとはかすりもしないで起きていくものかもしれません。

しかし、この現実2は、あなたの方が歩み寄ることで、どんどんその見かけを変化させていくでしょう。

これは、現実2が変化したのではなく、あなたの見方が変化していくからです。

あなたが、自分の夢に現実が近づいてほしいと願っていた、いままでにやり方を変えて、あなたの方が現実を現実として見る姿勢を持った時、あなたから見える現実2はどんどん姿を変えていくように見えます。

また、あなたの方も子どもっぽい夢を見るのでなく、現実に自分を近づけようとするなら、あなた自身は、思っても見なかったほど素直に変わっていくでしょう。

あってほしい現実ではなく、ありのままの現実を見る姿勢をあなたが取るなら、あなた自身を矯正しなくてはならないと思わなくても、非常に容易にあなた自身を変えられることに気がつくでしょう。

本当に現実をありのままに見て、また自分とはこういう人間だと思ってきたものにとらわれないで、現実の自分を見てみようとするとき、あなた自身も現実の1つであり、自然に
、ありのままであるとき、容易に変化できるのです。

自分だと思わずに、現実の一部として自分を見て見るなら、あなたの夢見てきたような自分がありのままではなくて、もっと素直な、現実と一体化した自分が見えてくるでしょう。

あなたは今までの記憶や夢で造り上げられてきた自分ではなく、ありのままの自分を見るようになるからです。

現実2と自分はどんどん近づいて、一体化していくでしょう。
そして、やがて、あなたも現実の一部分であったことに気がつくでしょう。


*以前書いた「魂を侮辱するものは手放そう」を後半に付けておきます。

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~魂を侮辱するものは手放そう~

自分が何をしたいのか、どんな人生を歩みたいのかわからないという人がいます。

人が「わからない」というときには、二種類あります。

ひとつは、文字通り全く手がかりも何も知らないという場合。

もう一つは、本当にやりたいことを何らかの理由で隠したいとか、否認したいと思っているときです。

「あなたのいうことは、わからない」というとき、多くの場合それはこういう意味です。

「あなたの言っていることは、私には受け入れがたい」

自分が受け入れたくない事実を示されたとき、表向き、あるいは意識出来ている自分は、いまの自分を維持したいために、それは自分のあずかり知らないことだと言いたがります。

だから「自分にはそれと係わる気がない」ということを正当化したいのです。

こうして、本人の信念が現実と自分との関わりを決めてしまうのです。

「私はわからなくなってしまった」と言いたくなるのなら、そこには自分が隠そうとしたがっている、もうひとりの自分がいるのです。

「状況があなたを作るのではない、状況はあなたの人となりを明らかにする」のです。

「あなたの魂を侮辱するようなものは、すべて駆逐してしまえ!ホイットマン」

あなたではないものを手放さないと、あなたが何であるかが見えてこないのです。

たとえばあなたが社会に受け入れられるためには、不本意なことも受け入れないといけない。まっすぐすぎては生きてはいけないと強く信じているとします。

すると、あなたは自分の正直さを売り渡してでも、社会に受け入れられることを採用しようとするでしょう。

その程度が強くなるにつれ、あなたは自分が本当にやりたいことがわからなくなってしまいます。

「私はわからなくなってしまった」と嘆くのは、わかりたくないと思っているあなたが言わせる巧妙なすり替えなのです。

しかし実際は、わからなくなどなってはいない。

あなたでないものを手放せば、わかっている自分が姿を現すのです。

相変わらず泥を被り続けるのか、それとも自分でないものを手放してしまうか。

現状を変えさせないための策略は巧妙であるし、社会はそれを良しとする誘惑に満ちています。

仲間はこっちに戻っておいでと優しく声を掛けてくるかもしれません。

勝ち犬である社会は表面上優勢を保っています。

こんなにみんなが満足しているのに、自分の魂を捜すなんて馬鹿なことはやめろと言ってきます。

しかし社会などというものは、その強さは、いざとなったらバラバラに散ってしまう根無し草なのです。

負け犬は、いつも劣勢です。

いつも、か細い声で鳴いていますが、しかしあきらめる事はありません。

勝ち犬を続けようとしても、いつかはそれを放棄しない限り、本当の満足はないことを思い知ることになるのです。

この文章を読んでいる、まさに今も、勝ち犬は馬鹿なことはやめて戻ってこいと誘ってきます。

「こんなに仲間がいるじゃないか、楽しいよ。」

「そんなことをしていると、誰も助けてくれないよ。」

「見てごらん、友達がいっぱいいる私たちを!見てごらん、ひとりぼっちのあいつの惨めさを!」

仲間はずれとか助けがないとか、不安な人間がすぐに飛びつきたくなるセリフで誘惑するのです。

しかし、わいわい仲間と騒いでいる間は不安など忘れてしまいますが、仲間と別れてひとりになると、やっぱり自分はひとりなのだということを思い出すのです。

最後まで負け犬に勝たせない人生は、いつも勝ち犬としてパーティで騒いでいないと不安でしょうがない。
いつまでも、ひとりになったときには、何も解決していないことに気づき、満足できないままで終わることになるのです。

☆~⌒☆

1匹のヤゴが言いました。「俺も、いつかあんな風に空をスイスイ飛び回れるトンボになりたいなあ!」

「馬鹿なことを言うんじゃないよ、俺たちはこうして水の中でずっと暮らすんだよ。空なんて飛べるわけがないだろ!」

しかし、日ごとに背中がむずかゆくなってきたヤゴは、気がつくと水のなかから出て、どんどん変わっていく自分に気がつきます。

「そうか、これが成りたかった自分だったんだ。思い出したぞ、逆らわなければ、トンボにもなれるんだった!」

 


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思考と感情に自分を支配されないために~繰り返しに気づくこと

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感情というものは、起こってきては消えていくのが本来の姿です。

ところが、それにもかかわらず、いつも怒ってばかりいる(ように)見える人がいたり、いつも不安や悲しみに沈んでいる(ように)見える人がいたりするのはなぜでしょうか?

そういった人たちは、お気に入りというか、おなじみの感情を持っていて、すぐに自分がその感情に支配されやすくなっているのです。

それらは、もともとは、幼少期とか、おとなになる前に定着してしまったおなじみの感情なのです。

本人は、別にそういった感情が好きだと思っているわけではなく、むしろ気がつくと支配されてしまっている、厄介な感情だと感じているでしょう。

意識の上では、そのような感情を自分から取り入れているとは思っていません。しかし、他の人から指摘されたりすると、ようやくそのことに気がつくのです。

ですが、気づいただけでは、なかなかその習慣的な感情の支配から解放されることはありません。

自分がそのような感情に陥りやすいことに気がつき、徐々にその状態に入り込んだ自分を素早く発見できるようになって、ストップを掛けることができるように訓練が必要です。
それによって、ようやくトレードマークのようになっていた、「おこりんぼ」や「元気のない人」「悲しみと仲良し」な人から、徐々に離れていくことが出来るようになります。

別の言い方をすれば、おなじみの感情に陥りやすいような「きっかけ」を、いつも気づかないまま集める傾向が身についているのです(交流分析ではこれをスタンプ集めとよんでいます)。

さて次に思考の傾向について、考えてみましょう。
こころの中で気がつかないうちに繰り返している、否定的な思考、自分や他人を非難したり、攻撃しているストーリーに気がついてください。

そういった思考に陥っている状態に、まさにその時に気がつくことで、思考は「いまここ」の意識に引き戻され、おなじみの思考パターンに入り込んでしまうことが少なくなっていきます。

「思考=自分」という思い込みから、徐々に解放されるようになり、思考に支配されているのが当たり前の状態だと思っていたことが、そうではなかったのだと気がつくようになります。

思考とは、本来の自分が活動している状態ではなかった事に気がつきます。
また、思考をよく観察してみれば、それは決して連続したものではなく、自然な出来事でもないとわかるようになります。自分が思い起こしては、そのおなじみの思考パターンに繰り返しエネルギーを与えていたことに気がつくでしょう。

思考に入り込んだ状態に、素早く気がついて、意識を「いまここ」で起こっていることに向け直します。
「いまここ」には、思考やストーリーによって導かれていたような出来事など、何も起こってはいないことに気づきましょう。あなたの思考が作り出したストーリーの中に自分が入り込んでいただけだと気づくのです。

「いま」には、なにもないのです。ただ、あなたが心を向けた方向にストーリーが作られただけなのです。
このくせをやめてみれば、「いまにはなにもない」ことがわかってくるでしょう。

「何かしなければ」と考えるのも、同類の思考です。
思考に支配されて生きている人は、なにもないこと、空白を嫌います。
常に空白を何かで埋めておかないと不安なのです。

「何にもしないでいる」ことに慣れて下さい。不安にならないでください。
この事と、怠け者になることとは、全く別のことなのです。

むしろ、怠け者に見える人は、なにもしないのではなく、何かの思考に浸りきって動かなくなっている状態だといえるでしょう。こころの中では思考が忙しく働いているのです。何もしない自分を責めているかもしれません。

思考も感情も解き放ってみましょう。その状態を怖がらないようにして下さい。
思考も感情に使い果たしてきたエネルギーが蘇ってくるのを感じるでしょう。
余裕を感じて生きることが出来るようになってきます。

空白を怖がらずに、ゆったりとしてください。そのためには何もいらないことに気がついてください。
エネルギーがたっぷり戻ってくるのを感じてください。





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思った通りにはならないが、・・・起こったことをそのまま受け入れてみよう

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まずは、以前の文章から、「思った通りにはならないが..」
----------------------------------------
    思った通りには
    ならないが
    やった通りには
    なる

    It does not turn out the way you thought,
    but it turns out the way it was done.
    以無所得故(いむしょとくこ)
    得る所無きを以ての故に。
    「了寛」
    羅漢さんの絵説法〈2〉般若心経―空即是色 花ざかり
    著者: 荒 了寛 里文出版 / 2001-05
     

自分でこうなろうと思って努力したとしても、なんでも思った通りにはならないものです。

しかし、自分の意図がどうあろうと、日頃自分がやり続けていることは、現実となって現れてきます。

 はたして、どちらが価値があり意味があることなのでしょうか。

 そして、自分の意図したとおりに何かが達成されるということに、特別な価値を見いだそうとする理由は何なのでしょうか。

  

以前何かの本で読んだ、ある画家志望の男の話です。

その人は、画家を目指してせっせと自分で絵を描き、それを売りに出します。

しかし、なかなか絵を買ってくれる人は現れません。

何とかしようと考えた男は、自分の絵を引き立てるために立派な額縁に入れてみようと思います。

 自分の手で彫刻を施した独自の額縁を作っては、自分の絵を入れて売りに出します。

 しばらくして、絵が売れ出しました。

 男は努力の甲斐があったと、大変喜びます。

 しかし、そのうち男は、画家を目指している自分にとっては、残酷ともいえる事実に気がついてしまいます。

「私の絵を買ってくれた人達は、私の絵を気に入って買ってくれたのではなく、額縁の方が欲しかったんだ。」

一時はその現実に失意のどん底に陥った男でしたが、新しい光明を見いだします。

「私の額縁を気に入ってくれる人達のために、額縁の職人としてやっていこう。」

今までの夢ではなく現実を受け入れた彼は、その後、独自の額縁を作り出す職人として成功するのでした。



この話を、「何でも頑張っていれば努力が実るものだ、諦めるな」という方向に解釈するのも一つではありますが、

ここでは彼の意志と、最後に彼が受け入れようとした現実の関係というものを見直してみたいのです。

  

思った通りにはならなかったのは、「画家になりたいという彼が自ら抱いた願望や意志」。

やった通りになったのは、「目指したわけではなく、副次的に発揮された額縁や彫刻への才能」。

私たちが、大事にしていきたいのはどちらなのでしょう。

「私はこれをやります」と宣言して、その言葉通りのことを為し遂げることが立派である。

このように考えるのが、今の社会では暗黙裏の常識であるかのようです。

しかし、なぜ意図したことが叶うことだけを、特に価値があるように考えるのでしょうか。

自分でやりたくてやったことだから、その通りになって嬉しいと思うのはたしかにあるでしょう。

しかし、それ以上に自分の意志を叶えることに意義を見いだすのは、社会がそのように期待するからでしょう。

今の社会というものは、個人が自分でやると言ったことに責任を持つことをベースに成り立たせているから、宣言して実行することがより正しいやり方で価値があると見なされるだけなのです。

また、私たちはそのような社会に生きている影響もあるのでしょうが、何もかも自分の意志でやっていると信じようとします。

たまたまそのようにことが運んだだけだとしても、後から振り返れば、大抵は自分がそのように意図していたからそうなったのだと説明をつけることは出来るものです。

また逆に意図しないで達成されたことは、たまたまうまくいったことで、偶然の副次的な成果としか見ようとしなくなりがちです。

さらにこれを押し進めれば、「無理にでも自分の意志で目標を持ち、その通りに達成できる人間が価値があるのだ」と考える方向に圧力をかけられていくのです。

 
般若心経は、全く違った見方で私たちを諭します。

以無所得故(いむしょとくこ)

得るところなきをもってのゆえに

真理は私たち人間の知力で推し量ったり、具体的なものとしてとらえられるものではありません。

それは、私たち人間の意志やはからいを遙かにこえたところにある知恵なのです。

だから、自分でわからないからと抵抗しないで、わからないが故に、その深い世界に身を委ねるのです。

私たちの意志の力が、その真理の代わりを出来ると思い上がるとき、「思った通りにならない現実」があなたを不幸にします。

意図してやって失敗した場合に自分を責めて、意図しないで手に入れた幸運の方は素直に喜べない、

というのは不幸なことじゃないですか。

自分の意志とその結果に責任を持つという常識に、あまりにもとらわれ過ぎないようにした方がいいでしょう。

自分の意志とは関係なく起きてくる現実の方も、受け入れたり楽しんだりするという余裕も持つことも大事です。

そうすれば、社会的に成功した人にあこがれと共に嫉妬やねたみを感じ、一方でそれと比べた自分を責めてしまうような不幸な循環に陥ることも少なくなるでしょう。

画家にばかりあこがれて、額縁の職人では不満だと思うのが、そのような考えがもたらす結果なのです。

あなたにとっての「彫刻」の腕を見落としたり、価値がないと思って邪険にしてしまっていないでしょうか?

「やった通りに」なっている現実を素直に見て、その価値をもっと見直してみてはいかがでしょうか。
-------------------------------------
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さて、今回は、以上の考えを更に進めてみましょう。

思った通りにものごとを起こらせようと思うのを、ちょっとストップして、起こることを全て受け入れてみましょう。

思ったことが起きるのが満足の唯一の理由、だと思わないで、
起こってくることを、受け止めることを楽しんでみるのです。

もちろん、起こってくることは、「自分」を喜ばせるばかりとは限りません。
悲しいこと、残念なこと、悔しいことも起こるでしょう。

しかし否定的なこと、嬉しくないことは受け入れないという選択は、どこから定着してしまったのでしょう。

中には受け入れがたいけれど認めるしかないと思うことができることもあれば、とても認められないこともあるでしょう。
しかし、いつまでも否認していても、事態は変わることはありません。
すぐには受け入れ得られなくても、時間が解決することもあるでしょう。

それが普通の反応の仕方であると、固く信じ込んでいます。

ですが認められないと思いたくなることでも、起こったことは受け入れるしかないと、考えられないこともありません。

たしかに、受け入れがたいという思いは消え去ることはないでしょう。
それでも、すぐに否定したくなるのが当然、と思い込まないことです。

ものごとは自分が思った通りになるものだ、ということを根拠もなく信じこまないで、起きてくることが真実なのだと思うようにしましょう。

無抵抗になんの気力もなく受け入れるのとは違います。
しかし、思い通りでないことに驚いたり、否認するばかりでなく、素直に起きたことが真実だと認めてみるのです。

思ったとおりになるのが現実ではなく、起きてくることが現実なのです。
起きることが、あなたの思いだけに従うわけでないと認めることです。

そうすれば、現実はあるがままに起こっていくものだ、と信じられるようになります。

思った通りにならないことを、怖がることも、それほどなくなっていくでしょう。
他人や出来事を恨むことも、怖がることも少なくなっていくでしょう。

自分が怖がっていたことのほとんどは、「現実は思った通りにならなければいけない」という思いから来ていたことにも気づくようになるでしょう。

現実から逃げなければ、恐怖も消えていくのです。
起こったことを否認してばかりいなければ、現実は段々と怖くなくなっていきます。

「言いなりになる」と思わずに、「現実を受け入れる」だけだと思ってみましょう。
そうすれば、あなたの怖がっていたことのどれだけが、現実の否認からくるものだったかがわかるでしょう。

思った通りにはならないが、現実というのもそれほど辛いばかりでないと信じられるのです。あなたの考え方が創りだしてしまった怖いお化けを消し去ってしまいましょう。




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見知らぬものは不安だが、みんな同じでは見飽きてしまう~あなたがあなたであるために

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偏っている処に生きている意味もある
  
    人はみな
    多かれ少なかれ
    偏って生きている
    偏っている処に
    生きている
    意味もある
    More or less people are living in a biased manner,
    this gives meaning to their lives.
    無無明(むむみょう)
    亦無無明盡(やくむむみょうじん)

    無明も無く、
    亦、無明の尽くることも無し。

    「了寛」
    羅漢さんの絵説法〈2〉般若心経―空即是色 花ざかり
    著者: 荒 了寛 里文出版 / 2001-05

     
 
これを書いた了寛さんが、どう思ってこの文章を書かれたのかはわかりませんが、

この言葉を眺めながら考えて見ました。

 

「偏っている処に生きている意味もある」

 

あなたも隣にいる人も、何の偏りもなくて、世の中はすべて同じ人の集まりだったとしたらどうでしょうか。

 

あなたが感じたことは、隣の人も全く同じに感じています。

 

いったいそこでは、何を話せばいいのでしょう。

 

あなたの感動したことは、伝えなくても、隣にいる人も同じように感じていると、すでにお互いがわかっているのですから。

 

悪人ばかりの劇は成り立たないでしょうし、スーパーマンばかりが住んでいる国は何も面白くなさそうです。

犯罪者だけとか、刑事だけではドラマは成り立たないし、そもそもドラマでも何でもなくなります。

 

「人間関係をつくりだす為に、神は人にエゴを与えたのだ」と言う人がいます。

 

なぜそうなのかはわからないまでも、なるほどそういわれると、そうなっているのかもしれません。

 
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あなたをいらだたせるあの人、「あんな人いなくなればいいんだ」と思っては見ますが、

本当にいなくなってしまえば、それがあらゆる面での見方からでは無かったことに気づくでしょう。

 

逆に、あなたをいらだたせることもない代わりに、なんの喜びも刺激も感動も与えてくれない人たちばかり。

 

まわりにいるのが、そんな人ばかりになってしまったら、あなたはそちらの方が良かったと言えるでしょうか?

 

そして、あなた自身の偏り、それこそが「あなたが、あなたであることの証し」になっているわけです。

 

あなたの偏りが、まわりの人に影響を与え、それがあなたという存在を世の中に知らしめています。

 

それは、一時的に見れば、あるいは特定の人から見れば、ネガティブな影響であったり、ポジティブな影響であったりします。

 
 

 

その頃はどうみてもいやな人でしかなかったのに、振り返って見ると懐かしく思い出され、違った評価や印象を持つこともあるでしょう。

 

良くも悪くも記憶に残っているのは、何らかの偏りがあなたに影響を与えた人達なのです。

 

偏りを何も感じなかった人は、あなたの記憶に登場しないし、その時もいないのと同じだったのかもしれません。

 

今のあなたの偏りが、どれだけまわりに影響を及ぼしているか、

そして、その偏りは、実はあなたが自分では善くないと思ったり、嫌っていたりする部分かもしれません。

 
 

 

あなたが、自分の偏りを隠していては、それを欲しがっている人がいても見つけられずに立ち去ってしまいます。

 

あなたの偏りが、まわりの人のひとりひとりの偏りが、うっとうしくもあり、また無くなっては困るものでもあるのです。

 

「無明の尽くることも無し」

 

あなたや他の人の偏りは、存在し続け、他の人に影響を与え続けます。

 

「無明も無し」

 

しかし、その偏りは無明などではない。無明だと思うのは近視眼的な評価に過ぎないのです。

 

トータルに、時間と空間を超えて眺めれば、無明など存在しないのです。

 
 
 


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いい加減、借り物の自分を捨ててみませんか?

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借り物の自分、偽物の自分でいることは、たえず、あなたにやっかいごとをもたらします。

自分では、後で振り返って、これこれの理由で問題が起きたのだと、自分を納得させる説明をつけます。しかし、問題の核心は、自分自身を装ったり、借り物を自分の本心だと思い込んでいることが原因だったりするのです。

偽物の自分でいたとしても、一時的に刺激や高揚感をもたらしはします。
しかし、かならず最後は「やっぱりこれは自分自身じゃない」という違和感からくる不快さを伴った結末を迎えます

その違和感が、すなわち偽物であることを示しているわけです。

偽物は、トラブルをエネルギー源にしているようなもので、気がつかないうちに私たちをやっかいごとに巻き込もうとします。

ゲームでは障害があるほどスリルを感じるように、一時的に何かをやっているという錯覚をもたらすだけです。

それは、一見非常に理にかなった目的に見えるばかりか、社会的な常識そのものになっているかもしれません。

社会というのは、同じ方を向かせたがるものです。

たとえば、共通の敵、共通の障害を作り上げて、共感させようとします。

敵の敵は味方だから同士なんだと錯覚させてしまうのです。


しかし、あなたにとってそれが真実でなければ、いつまでたっても偽物の自分を演じていないと、合わせることが出来ないことになります。

社会的な場面でどちらを選ぶか迷うときに、どれを選ぶかが問題なのです。

社会的には賛同する人がいっぱいいたとしても、あなた自身が違和感を感じる内容なら、そう感じない方の選択をした方がいいでしょう。

直近の結果は、いかにも良さそうに思えるときもありますが、違和感はいつまで経ってもなくなりません。

 

やがて、やめておけばよかったと認められるほど痛みを伴ってきて、はじめて間違いに気づくことになるのです。

乗りかかってしまえば、無理にでも今のやり方が正しい理由を無理やり探し出して、それを信じようとするものだからです。

借り物というなら、ほとんどのことは、自分が人生のどこかで身につけてきた借り物なわけです。

しかし、サイズが合っていなくて身動きがしにくいと感じるものは、身につけないようにすることです。


自分にとことん正直になれば、ちょっとした違和感でも許さなくなってくるでしょう。

たとえちょっとした違和感でも、やがてはどんどん我慢を強いてくる状態に自分を追い込んでいきます。

逆に見ていけば、自分の今の状態がわかります。

またこれかと憂鬱に感じることがあったら、出来事ではなく自分の中に原因があることに気づいて、さっさと手放すことです。

それは、子どもが宿題をやりたくなくて隠すようなやり方ではありません。

一時的に楽をしたいからと放り出すのではなくて、本当にやりたいことにエネルギーを使うために、邪魔なことを手放すという選択なのです。
 

偽物に支配され続けるとしたら、それを自分が楽しんでいると錯覚しているからです。

こんなにまわりの人が同意しているんだから正しいはずだ思って、無理に自分もその気になっているだけです。

途中までは、いかにもいい方向に進展するように思えるおかげで、毎回騙されてしまうのです。

それは一時的には高揚感をもたらします。

しかし本物は高揚感など必要としない筈なのです。

非常に刺激的でワクワクしそうな見かけのゲームも、すぐにあきてしまいます。

しかし地味でも本物を生きている時は、自分を生きているという充実感を感じさせてくれるのです。

「こんなにワクワクしたのは初めてだ、これこそ自分が欲しかったものだ!」と感じる偽物はいくらでもあります。

そう思ったとしても、高揚感などいつまでも持続するものではありませんから、本物かどうかを見分けることが重要なのです。

本物は、高揚感など必要としません。それ自体がすでに高いところにあるからです。

同じように、スリルや刺激、競争も必要としません。


「競争を勝ち抜いてこそ自分が発見できる」などというまやかしに騙されないことです。

条件をつけなければ見つからないものなど、しょせん本来の自分が持っているものではないという単純な事実に気がつけばいいのです。

努力しているという言葉で、自分が余計なことをせっせと強いられていることに気づきましょう。


「五色は人の目をして盲ならしめ、五音は人の耳をして聾ならしめ、。。。」
老子 第12章


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それは二の矢を受けてしまうから

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悩みを作り出し、重荷を背負う

それは二の矢を受けてしまうから。

痛い目にあった。

これは誰にでも起こる一の矢。

避けようと思っても避けられない。

この痛みはひどい、とんでもないことだと騒ぐ。

あるいは、再びこんな辛いことが起きるのではないかと想像する。

これが二の矢を受けるということです。


仏陀は「二の矢を受けず」といいました。


これは痛い目にあった場合だけではありません。

すごい幸運にであう。

そこまではいいのです。

やがてずっとこの幸運を手放したくないと思い出す。

幸運に出会という一の矢は問題ない。

それを自分のものにしたい、

ずっと継続したい

あれこれ考え出すのが二の矢というもの

それは、すぐに怖れにつながります。

「これを失ったら」「これが壊れたら」「この人がいなくなったら」

もはや幸運への喜びは、怖れの源に変わってしまう。

永久に持ち続けることはできない、喜びであっても痛みであっても。


一の矢は誰でも避けられない。

二の矢を受ければ執着を生み出す。

一の矢を充分味わう、痛みでも喜びでも。

そうしたら、そこから軽やかにと立ち去ろう。

それが重荷を作り出さない秘訣です。


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手放すことで、あなたは違う世界の住人になれる~理屈ではなく

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紹介(本編はあと)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そこで・・・
人生には、なぜ望まないこと
抵抗していることが起こるのですか
と聞いてくる人がいるのですが

答えは簡単です

なぜなら私たちは、その嫌な出来事は
私たちから何かを奪おうとしているんだと
思い込んでいるからなのです



川を見ていると、中で流れてくるゴミをせき止めているところがありますね。
そこには、いろんなものが引っかかっては、蓄積したり、剥がれて流れていったりしています。
しかし、そこに留まっているものは見ていても美しくない腐敗した現実です。
そのようなものを作り出すのは、「流れたくない」と抵抗してしがみついている思いにほかなりません。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

手放すための秘訣

生きている川は、やはりいつも流れていて、毎瞬、毎瞬入れ替わっているものです。

川を見ていると、中で流れてくるゴミをせき止めているところがありますね。

そこには、いろんなものが引っかかっては、蓄積したり、剥がれて流れていったりしています。

しかし、そこに留まっているものは見ていても美しくない腐敗した現実です。

 

そのようなものを作り出すのは、「流れたくない」と抵抗してしがみついている思いにほかなりません。

流されてしまうことへの恐れ。

「しがみついて今の場所に留まっていれば、昨日と同じでいられる」
という恐れからの抵抗が、ガラクタをどんどんせき止めていきます。

そこにあるのは、いいかげん、うんざりしてきている現実なんです。

しかし、代わりにもっといいものがあることを信じられない、それだけのためにそこにしがみついているのです。

手を離しさえすれば、流れに乗って新しい可能性を見せてくれる場所に移動することが出来ます。

色あせた後悔や執着の山は、きれいに流されていきます。

あとには、いつも新鮮できれいな水が流れる、蘇った川の流れが出来あがってくるのです。



YouTube - ガイ・フィンリー~『手放すための秘訣』



ガイ・フィンリーはビデオで次のことを語っています。

手放すための秘訣(ガイ・フィンリー)

手放すための秘訣とは・・・
「人生は、あなたが手放さなくてはならないものより
もっともっと素晴らしいものをプレゼントしてくれる」
それをあなたが知ることです。

それをしっていることが
「手放すため」「恐れのない自分であるため」
「心穏やかな自分自身であるため」の秘訣です

人生とは、完全無欠な流れを持っていること
そこには一切矛盾がなく
人生に起こることには
ひとつも対立するものがないということに
私たちが気づいた時

私たちは、人間として
人生そのものの基盤を魂の出来事として
捉えることができるようになるのです

そこで・・・
人生には、なぜ望まないこと
抵抗していることが起こるのですか
と聞いてくる人がいるのですが

答えは簡単です

なぜなら私たちは、その嫌な出来事は
私たちから何かを奪おうとしているんだと
思い込んでいるからなのです

ある意味これは確かかもしれませんが
でも人生は、もっと素晴らしいものを与えることなく
ただ取り上げるなんていうことは決してないのです

そこで、私たちが手放すことを同意した時に
人生が与えてくれる
もっと素晴らしいものとは何なのかと言うと

それは・・・その時までにあなたが
自分が自分だと思い込んでいた自分というのは
花にとっての種のようなものだったんだ
ということへの気づきなのです

人生はそのようにやって来ては
私たちを動かし、駆り立てるのです

そうすれば、新しい可能性が
実現可能になるからなのです

でもそれも、私たちが
自分自身の高次の目的を認識することを通して
実現可能になってくるのです

それが毎瞬、毎瞬起こっているのです
それが「手放すための秘訣」です



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起こったことのあと付けとして思考を使うことにしてみましょう

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単に何があったかを頭で整理して見るだけです。もちろん、そんなことをする必要がなければ、ただ起こってくることを楽しむだけでも構いません。楽しむと書きましたが、時には悲しい出来事や、くやしい結果だったかもしれません。

もっとも、くやしいと感じるなら、先に何かを思考し期待していたことになりますが。

できるだけ、思考を先行させようとするのをやめてみましょう。

こんなことを言うと、あなたは不安になってきます。
なぜなら、起こることに対処するために、よく考えて行動すべきだと、ずっと教えられてきたからです。

あとで悔しい思いをしないために、よく考えて行動しなさいと言われ続けてきたからです。

事実、一見考えずに行動したことで、後でもっと上手くやれたことがわかると、起きたことよりも、よく考えずに行動したことの方を後悔したこともあるでしょう。

ですが、そのように考えずに行動したかったのも自分ですし、それもまた起こるべくして起こったことだとかんがえたらどうでしょうか?

「よく考えて行動しなさい」これをいつも忘れずに行動する、違反したら後で後悔する。
実際にできているかどうかもよく考えずに、出来るはずだし、そうあるべきだと信じこんできたのです。

実際には、そんなルールが働いているのかどうか?あやしいものです。

いっそ、諦めてしまいましょう。「何でも考えて行動する」ということが本当にできているかどうか疑ってみましょう。
もしそんなことは、実はちっとも有効に働いていないとしたら、考えたり期待することは無駄でしかありません。

「いままでずっと無駄なことをやってきたというのか!」
認めたくはないでしょう。
ですが、「思考ー>行動」の順序を信じないで、「行動ー>思考」の順序で生きてみましょう。

そんなことをしたら、いい加減な行動ばかりしてしまうだろう?

本当にそうでしょうか?
たまにはちょっと遊んでみましょう!
試してみましょう!

きっと新しい発見があると思いますよ。

瞑想だとか、「すべての考え、信条、概念を空っぽにしてください」とかいわれても、実際にどうすればいいのかわかりません。

なぜなら、それらは、あえてやることではなく、むしろやらないことでなされることだからです。

「何もしないでいよう」とがんばること自体が矛盾しているのがわかるでしょう。
「何もしない」なら何もしないでいなければなりません。がんばること、能動的に動くことではないのです。

むしろこう考えたほうがわかりやすいでしょう。

あなたが、考えたり、やろうと意図することと、現実が起こっていくことには因果関係がないということです。
もちろんあなたは現実の中にいて、あなたのやること自体も現実の一部です。
ですが、あなたが現実を変えているのではなく、起こることの一部として、あなた自身も動いているだけです。

あなたが考えていることは、現実の原因にはなっていません。やっていることは、あなたが現実の説明をあとからつけているだけです。

あなたが考えていると思っていることとはこういうことです。
現実に刺激されて、あるいは現実とは関係なく考えが浮かびます。
それらは断片的ですが、あなたのマインドは、それらをつなぎ合わせ、時系列をつけて整理します。あたかもマインドが順序立てて、それらの断片を連続的に考えていたように、ストーリーを組み立てるのです。

そして、先ほど言ったように、あなたの考えが現実を作り出したのではなく、むしろあなたの考えとは、現実を描写し説明つけるものとしてあとから起こってきた思考なのです。

あなたが考え、あなたの意思が現実を切り開いたのではなく、順序は全く逆なのです。

しばらく、現実に起きてくることと、あなたの思考との関係を、先入観なしによく観察していきましょう。
そうすれば、実際に起きていることが見えてくるでしょう。

あなたが、いくら忙しく考えようと、起こることは、それと関係なく起きていきます。
あなたが、考えるのが面倒で、なるにまかせていても、やはり起こることが起き続けていきます。

「すべての考え、信条、概念を空っぽに」しようとしなくても、あなたの考えと起きることは別のことだとわかれば、自然にその放棄は起こります。

あなたは考えることで現実を変えようとするのをあきらめ、現実を見守るだけになっていくでしょう。

それは、無気力になることではありません。
あなたも現実そのものなのですから、気力に満ちて起こることに参加するだけです。
ただ単に、現実とともに、充実して何かをやり続けるでしょう。
今までと違うのは、
考えることに時間や気力を奪われなくなってきます。
また、期待外れの現実というものが、事実上なくなっていることに気がつくでしょう。
なぜなら、期待するのも、がっかりするのも、あなたの考えにすぎなかったからです。




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あなた自身を祝福しなさい

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これが私の教えることの全体だ。

あなた自身を受け入れなさい。

あなた自身を愛しなさい。

そして、あなた自身を祝福しなさい。

~オショー

すべては、小さな判断から来ているのです。
その集まりが、より大きな信念を作り上げます。

まず、「あなた自身を受け入れなさい」を考えてみましょう。

あなたは、「よし、これからは、自分のすべてを受け入れるぞ」と考えます。

「強く決心したぞ!」と宣言します。

しかし、あなたは5分も立たないうちに、受け入れられない自分を発見します。

「あれはよくない、これにしなければダメだ。」と思い始めます。

このままの自分では駄目だ、自分に満足しているようでは進歩しない。

もっと自分を改善しないといけない。努力しない人間ではダメだ。

早くも、自分の受け入れは怪しくなってきます。

そして、受け入れられない自分に苦痛を感じ始めると、他人に転嫁しはじめます。

つまり、投射という心理規制を使いはじめるのです。

「自分が思い通りにならないのは、あの人のせいだ。あんな人間がいては、自分がどう頑張ってもうまくいかないのは仕方がない。」というように。

自分の中にある「受け入れがたい欠点」だと思っていることが、他人の中に見え始めます。

「あの人は、もっとこうならないといけない。」

かすかに自分も同じなんだけどという思いが心をかすめますが、悪いのは相手だ、相手のせいなんだと思わずにいられません。

最初に戻りましょう。

すべては、小さな判断から来ているのです。

あなたは最初は、どんな判断も持っていませんでした。

すべては受け入れるだけの世界にいました。

しかし、やがてこれをした後は、良くないことが起きる。
あれをやると、まわりの人が喜んでくれる。

こんな積み重ねが、受け入れることと、受け入れてはいけないことを作り出し始めます。

いったん良いことに分類された行動は、全面的に良いことになります。
いったん悪いことに分類された行動は、全面的に悪いことになります。

ときには、どちらとも言えない事態が起きますが、やがて他の判断に取り囲まれて、良い子とか悪いことの分類に強制的にいれられていきます。

どちらでもありうることは、存在してもいいように思うのですが、どっちにするかを決めさせられる場面を何度も経験するうちに、白か黒か決めておいたほうが良くなっていくのです。

こうして受け入れることと、受け入れられないことが積み重ねられていきます。

素早く判断することが、要求されたり、それが出来ることが良いことに思えてきます。

二元的な選択能力ばかりが強化されていくのです。

しかし、ここに問題が隠れているのです。

全面的にGOODなことも、BADなこともありません。

ほとんどが悪いことばかりに見えることにも、良い面が隠されています。
それどころか、判断基準を変えるだけで、全く逆転してしまうかもしれません。

良いことか悪いことか、それは判断者が勝手に決めたことです。

そしてあなた自身についてはどうでしょう。

あなたが全面的にダメな人間になったり、あるいは完璧な人間になれたりするのも、単に判断者が決めたことです。

あなたは、もともとはすべてを受け入れるしかない人だった、それがまわりや社会に影響を受けて、受け入れられない自分を作り出してきただけです。

もう一度自分を受け入れてみましょう。

なぜ自分をダメだと思う点が作られてきたか、原点に戻って考えなおしてみましょう。

悪いことばかりに見えていたことも、判断の仕方次第では最良のことにも成り得るのです。

肝心なことは、あなたが自分自身を受け入れていくことです。

何が正しいか間違っているかを決めることではなく、あなたという存在を受け入れるかどうかが問題です。

あなたが自分を受け入れるようになっていくに連れ、

「あなた自身を愛しなさい。」

「そして、あなた自身を祝福しなさい。」

という点も自然に出来るようになっていきます。

あなたは、愛され、祝福されるのが、自然で当たり前の姿だと気がついていくでしょう。

そうできないことの方が、不自然な姿なのです。

あなたは努力や何ものかになることで、自分を受け入れられる様になるわけではありません。

そのことはまた別のことです。それはその時代の文化や社会が決める判断に過ぎません。

あなたにとって大切なのは、それよりも、自分を受け入れ、愛し、祝福できることです。

それがあれば、他のことはどうにでもなるでしょう。


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私にはわかりません。 馬に尋ねてください

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非常に速く駆け足で進んでいる馬に乗っている男性についての禅話が、あります。 もう一人の男性は、道のそばに立って、彼に向かって叫びます。「どこに行くのですか?」、そして、馬に乗った男は後ろに向かって叫びます。「私にはわかりません。 馬に尋ねてください。」、私は、それが我々の状況であると思います。 我々は、コントロールすることができない多くの馬に乗っています。
- ティク・ナット・ハーン

There is a Zen story about a man riding a horse that is galloping very quickly. Another man, standing alongside the road, yells at him, “Where are you going?” and the man on the horse yells back, “I don’t know. Ask the horse.” I think that is our situation. We are riding many horses that we cannot control.
- Thich Nhat Hanh 

私たちは、自分で馬を選んだと思い、乗馬します。

しかし、本当には馬がどこに向かっているのか知らないことに気がつくのです。

しばらくすると、もっといい馬がいることに気が付きます。

こんどこそ、この馬こそが、私の行くべき方向を知っているのだと思い、今度こそ自分の人生を送れるのだと思うのです。

しかし、今度も同じでした。しばらく行くうちに、どこに向かっているのか自分にはわかっていないのだと気がつくのです。

前回の、「我々がすでに誰であるかを知るのに力を貸すことです」で書いたこととも関係しています。

私たちが行く道を知るには、馬ではなく、自分自身の内面に聞かなくてはなりません。

馬とは、社会の方向性に従って作られた、仮想の方向を知っているだけです。

なぜ仮想であるかといえば、外側には真の方向性など存在しないからです。

行くべきところは、あなた自身が自分の中に見つけなければなりません。

その見つけるやり方は、馬が進んで行くような仮想のものではなく、社会が示すような具体的な方向性とは異なります。

いつまでもはっきり姿が見えないままかもしれません。

しかしそれが自分にとって本物であると知った人は、社会や他人に惑わされることはありません。行き先を知っているものだと信じてきた象徴である馬にはもう頼ることはないでしょう。


自分の足でいつのまにか進んでいます。どこに行こうと考えないまま、いつの間にかそこに着いているのです。

あるいはじっとそこにとどまって動かないように見えるかもしれません。何もしていないように見えて、いつの間にか何かをやり遂げています。

自分で何かをやらなければならないと考えることもないまま、その存在は表現されているのです。

あなたはあなた自身であるだけでいいのです。なにものかになろうとする見せかけの存在になる必要はありません。行き先も知らない馬に乗って、駆けまわる必要もありません。

馬に乗っかるのをやめてみましょう。そうすれば行き先が見えてきます。

行こうと思わずに、どこかに着いているでしょう。
何をしようと思い煩わないまま、何かを成し遂げているでしょう。

だれもが、馬に乗って駆けずり回っているのには、気に留めずに自分で歩いていきましょう。

そうすれば、あなたはあなた自身の、そしてこの世界の主人になります。

誰でもそうなれるのに、他人を真似て馬に乗らなくてもいいのです。

急ぐ必要はありません。時間など気にしなければ、あなたは無限の時を過ごせるのです。

あなたに必要なのは、自分自身になることだけです。

時間も足りないと思っているものも、何も必要ありません。

必要のあるときに向こうからそれは現れます。

あなたは自分で書いた脚本を演じる必要もなければ、他人の筋書きに従う必要もないのです。

馬を降りましょう。追っかけるのをやめましょう。急き立てる人はだれもいません。



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我々がすでに誰であるかを知るのに力を貸すことです

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瞑想とは、自分自身を捨てて、より良い何ものかになることではありません。 我々がすでに誰であるかを知るのに力を貸すことです。
- ペマ・チャドラン(coffeeandmeditationを通して)
Meditation isn’t about throwing ourselves away and becoming something better. It’s about befriending who we already are.
- Pema Chodron (via coffeeandmeditation)

瞑想するかどうかはともかく、私たちは常に自分にないもの、足りないと思っているものを探すのにやっ気になっています。

それは幼い頃から、何ものになりたいかを聞かれ、より良い自分になることを教えられ、大人になってからも、いつもなにか新しいものを手に入れたり身に付けることが進歩だとまわりに期待されていると思うようになってきたからです。

自分の内面や、すでに備わっているものを探っても、何も新しいことなど見つからないと思っているし、今の自分にうんざりしている人なら見るだけ無駄だとあきらめたり、嫌な自分が見つかるだけだと思っているでしょう。

何かを手に入れるなら、外にあるものを探すしかないと思っているのです。

しかし、自分が何であるかを知ったり、はっきりと見るのを避けてきたことが、まさにあなたがいくら外側を探しても必要なことを見つけられない理由ではないでしょうか?

あなたが外には探すものがたくさんあると思っているのは、他の人が「これはいいよ」と言ったり見せびらかせているとあなたが思いこんでいるからです。

それがいかにも素晴らしいものに写っているだけです、隣の芝生は青く見えるのです。

そもそも自分にとって必要なものを探すには、まずは自分の中に入って、なにを必要としているのかをはっきりと知らなければなりません。

人がいいと言っているものをうのみにすることでは、あなたに必要なものかどうかを判断することはできないのです。

見たくないとか思わずに、自分とは何ものであるかを知り、本当の自分と親しくなることこそ、探しもののもとを知ることになるからです。

もっと自分自身と親しくしましょう。知っているつもりで、よく見ようとしなければ、あなただけ自分のことに気づいていなかったりすることにもなりかねません。

あなたが自分のことをよく知り、他の人からも同じものがあなたの中にあるとみえるようになる時、あなたは最良の人間関係を築けるでしょう。

そのときこそ、あなたが望むことが、他の人があなたに与えようとしてくれるものになるでしょう。他の人からもあなたがよくわかるからです。

ですから、まずは、外をさがさないで、他人のすすめばかりに惑わされないで、あなた自身の内面を見つめ、親しくなりましょう。

誰よりも先に親しくなるべき人、それがあなた自身なのです。

素材をよく知ってこそ、最高の料理を作れるのです。




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来る人は誰にでも感謝してください

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このように人間であることはゲストハウスのようなものです。 毎朝、新らしい訪れがあります。 喜び、落ち込み、卑しさ、いくつかの瞬間的な認識は、予想外の訪問客としてやって来ます … 。 彼ら全員を歓迎して、楽しませてください。 立派に各々の客を扱ってください。 暗い考え、恥、悪意にも、ドアのところで彼らを笑って迎え、招いてください。、来る人は誰にでも感謝してください、なぜならそれぞれは、向こう側からガイドとして送られた人だからです。

~ ルーミー(almostpopを通して)

This being human is a guest house. Every morning is a new arrival. A joy, a depression, a meanness, some momentary awareness comes as an unexpected visitor…. Welcome and entertain them all. Treat each guest honorably. The dark thought, shame, the malice, meet them at the door laughing, and invite them in. Be grateful for whoever comes, because each has been sent as a guide from beyond.

- Rumi (via almostpop)

楽しいさや、嬉しさと言った感情は歓迎し、かなしさや、苦しさをもたらす感情には拒絶したり、否認したりしていると、まもなくあなたは恐怖を感じる時間を持たなければならなくなります。

その感情が、好ましいものでも、拒絶したいものても、同じように存在することを認めて、同じように受け入れましょう。

そうすれば、いつのまにか、受け入れがたい感情など元々無かったことに気がつくでしょう。

嫌な感情は、そのときは、確かに悲しんだり、悔しかったり、憎んだりするでしょう。
それがなくなるわけではありません。

しかし、それもあなたを導くガイドなのです。苦しくても受け入れましょう。

否定的な感情であっても、受け入れられるようになれば、嬉しい感情もまた、いっそうそれを味わえるようになります。

この楽しさもいつかは終わると思いながら、嫌な感情を恐れるようなこともなくなるからです。

嫌な感情も受け入れられると思えるとき、あなたはいまを存分に生きられるようになります。

苦痛な時間も、ただそのままでいられると思えた時、逃げないで生きられるようになります。

いつか来るかもしれない苦しい時間をも、恐れないでいられる様になるのです。

逃げようとするから怖かったのだと、気づける時が来るでしょう。

恐怖とは、逃げようとするから存在するのだとわかってくるのです。



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