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罪悪感から解放されるための5ステップ

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1.許すこと、自分を許し、他人を許す。

罪悪感から解放されるのに、最も強力なのは『許す』という行動です。

自分が罪悪感を感じているのだから、許すべきは自分だけかというと、そうでもありません。

相手を許すことや、その他の人のことでも自分が許すのだと、しっかり決意してそれを行動に移しましょう。

許すべきなのが自分だけだと思っていても、他の人のことも許しましょう。

自分自身を許すのがどても難しいと感じるなら、ひとまずその問題を脇において、他のことで許せることがないかを探してみましょう。

他人を許すこともまた、自分自身への許しにつながっています。

直接関係が内容に思えても、許せることはないかを探して、それを行動に移します。

かならず自分の方にもそれが返ってきます。そう信じて、許しの行動を繰り返しましょう。


2.補償行動を取る。

罪悪感を感じていることに対して、出来ることがあるなら実行しましょう。

償いの行動でもいいし、なんとか自分の言い訳を言いたくなっているようなら、正直に認め、相手にもそれを告げましょう。

ごめんなさいと謝るだけで、一気に解決することもありえます。


3.客観的な立場から判断してみる。

一度当事者であることから離れて、事実関係を眺めてみてください。

主観的な感情を一旦開放して、事実だけを眺めてみると、極端に責任を自分に向けたり、相手に向けたりしていることに気づける可能性があります。

第三者になって、起きたことをもう一度正確に見なおしてみてください。


4.罪悪感は自分が生み出していることを確認する。

罪悪感は感じなければならないもの、逃れられないものと思いすぎていると、どこか外側から湧いてくる感情のように思ってしまいますが、あくまで感じているのは自分自身であり、その責任は自分が感じるからであることをしっかり認識しましょう。

あなたのしたことに相手が腹を立てていると、罪悪感はそれが元で作られていると思いがちですが、相手がもう許してくれていても、自分が罪悪感を感じ続けていることはよく起こりうることです。

また、相手が何度もあなたを責める感情を繰り返すタイプであれば、あなたがそれに振り回されていれば、罪悪感はいつまでも残ってしまいます。

過ちを犯さない人間はいません、どこまでで許すか、あなたが被害者であれ、加害者であれ、それを見極めることが重要です。


5.そして、もう一度、許すことに戻りましょう。

罪悪感を感じた後、いつまでも自分を許せなくなって、自分のその後の人生をせめたまま、気力を失って生きていく人もいます。

しかし何を持って、自分を一生涯許せなくしてしまうのでしょう。

できるかぎりの償いを本心から出来たなら、どこかで自分を許し、残りの人生を自分のために生き直すことは、その人のもう一つの責任といえるのではないでしょうか?

あなたが自分も、他人も許すことを覚え、客観視ができて生きていけるなら、いやそうならなければならないと思わないでしょうか?

もちろん許せないような重大な過ちを犯す場合も存在するでしょうが、あなたが許すことを身につけて生きていくなら、ほとんどのことはいつか許されることであり、許されて自分を充分に生きることも責任を持つことだとわかるでしょう。

やがて、罪悪感を主体に生きていくことなど、殆どの場合間違いであり、許しを得て生きていくことこそ責任をもつべきことだと気がつくでしょう。










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私がちゃんと知ってるからね・・

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私がちゃんと知ってるからね・・

Yahoo!知恵袋でこんな文章(下記引用)を見かけました。

でも、どうして自分以外の誰かを求めるのでしょう?

自分で自分を認めることは傲慢なだけだと思ってしまうのでしょうか?

しかし、自分のことを自分で受け入れ、認められないと、他の人も自分のことを認めたり励ましてくれなくなるでしょう。

他人を認めたり慰めたりできる人は、自分自身をも受け入れられる人ではないでしょうか?

自分の体調が悪い時、そんな自分を責めてみても良くなりません。

ゆっくり休ませてあげましょう。

そんなに単純ではないかもしれませんが、まずは自分自身を認めたり受け入れる人になってはいかがでしょう。


誰が褒めてくれるわけでもない誰が慰めてくれるわけでもない誰も... - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1249428472
誰が褒めてくれるわけでもない
誰が慰めてくれるわけでもない
誰も助けてくれない
甘えられない
誰もわかってくれない
誰も知らない
一人きりで頑張れる人なんていない
一人きりじゃ生きてなんていけない
なのに生きていなくちゃいけない苦しみ
君ならわかってくれる?
「ベストアンサー」
君ならわかってくれる? 。。どう返事したらいいか、しばらくキーを打たずに考えていました。
貴女が何歳か分かりません。貴女がどんな環境にいて、どんな暮らしをして来たのかも判りません。
こういう詩のような文章の書き方している処をみると、国語力のある方なんだなという事だけは判りました。
自分が言いたい事を短くまとめ、更に相手の心にしっかり届ける事が出来る貴女は人間として完成された方だと思います。
私は鬱患者らしいです。先ほど、貴女にBAを戴いた者です。まさしく私は「おんじ」です。
貴女だけですよ。私を見抜いたのは。たくさんこれまで質問して来ました。バッシングも受けて来ましたし、本物のコインを差し上げたいと思わせられる回答を下さった方もおられました。 私は人間嫌いになりました。人間不信と言った方が良いかも知れません。
ですから鷹の話をした時、限りなく広がっている空から地上に住んでいる愚か者達をどんな風に観ているのだろう、と書いたのです。 人は自分がした事は憶えていますが、助けて貰った事は都合良く忘れる動物です。
賢い動物な筈なのに、自分勝手な生き物なんです。困っている人を助けようと思う人は少数だと思います。
キザな言い方になりますが、幼少期から私は何故か自己犠牲的な精神があるようで、自分より他人を助けてあげたいと思って、生きてきました。一生、恩着せがましくするつもりもありませんし、そういう下心を持って生きて来た事は神に誓ってありませんでした。助けた人々から返って来たのは全て、仇です。これが積もり積もって人間嫌いになりました。
でも悲しい運命なのか、裏切られてもやっぱり困っている人を見捨てる事は私には出来ません。損な生き方だと思いますが、きっと一生こんな生き方で終わるのでしょう。 嫌いな生き物が周りにいっぱいいるのに、生きていかなきゃならない。
貴女と意味は違うかも知れないけれど、私も同じです。空気が重いです。こんなに息するのってしんどかったっけ?って。
贅沢は言いません。ただ1人だけでいいんです。解ってくれる人。世の中、いっぱい人がいるのに何で1人もいないの?って。
私も一匹狼じゃなくて、孤独な鷹になりたいです。仲間がいてもいつか裏切られる位なら最初から孤独の方がずっと気が楽です。
そう思いませんか? 私が傷つきやうしのは感受性が強いとか神経質だとか、大体そのあたりの言葉を浴びてきましたが、
貴女だけですよ。私を「おんじ」と言ったのは。私はこれまで誰にも言って来た事はなかったけど、今ここで断言します。
あの、おんじそのものなんです。 貴女だけでした。私を鋭い方ですね、と言って下さったのは。これを見て、ハッと我に返った感じでした。 人間嫌いなのは裏切られ続けたからじゃなくて、奥底の汚い部分を見る力が強すぎたせいなのかな、って。
気付かせて下さった貴女に感謝します。 逆コインを差し上げたいくらいです。 この世の中、頑張れば頑張るだけ損な時代。
最後に、貴女に贈りたい言葉があります。
『頼りになる人間になっても良いが便利な人間にはなるな。頼りになる人間は下位から上位への者の見方。便利な人間は上位から下位への見方』 つまり見下される人間にはなるなという意味。あの人は頼りになるな~って言われるのは聴こえがいいですが、
あの人は便利だな~って言われると不愉快な思いに駆られるでしょう?
私も生きるのに疲れています。抗ウツ剤なんて効いてる感じしません。効くわけないですよねw 医師自体が私が嫌いな人なんだもの。


以下は以前のブログ記事から

私がちゃんと知ってるからね・・

自分のやってることなんて、つまらないことだと感じる時もあるかもしれません。
だれもが、自己評価MAX!でばかり生きられない!
でも、つまらないことばかりと思っている日常を、
新鮮でワクワクやりがいに満ちた日常に変えることだって 。。。
また今日もこれをやるのか、と思ってスタートしないで、
今日もこんなにやれることがいろいろあるのを見直してみましょう。
今日はあれもこれもやりたいが、どれからやろうかと選べることのうれしさを感じてみましょう。
いきなり難しいことに取り組んだり、完璧にやろうなどとは思わないことです。 
なんなら、普段毎日やっていることを、今日はちょっとだけ工夫して、
「昨日とは違うなにかを見つけてみよう」ということからスタートしてもいいでしょう。 
完璧にではなく、自分のベストを尽くせばいいと考える。 
成果のよしあしではなく、どれだけ自分がいっぱい生きたかを振り返って見る。
他人からの評価ではなく、あなたがあなた自身を評価しご褒美をあげましょう。

「私がちゃんと知ってるからね・・そっとそしてやさしく自分に言ってあげました」 
 
ちゃんと知っているから 
http://www.gokuraku-net.org/snow/kibunn-tyanto1.htm

MS(多発牲硬化症)という難病と戦って最後まで一生懸命自分を生きた「すのうさん」のブログから
「snow letter 」
「自分で出来ることは自分でしましょう」私の事よく知らないから言われました。
知らないんだからそう言っても仕方ないけど。
でもこう見えても私、ちゃんとやってるんだから・・
そうでなかったら今頃もっと体力なくて歩いたり、笑ったりしてないと思います。
皆自分に今何が一番大切かちゃんと知っています。
人に言われる前に自分で自分に嫌っていうほど言ってあげてると思います。
「自分でできることは自分でしましょう」って言われた時、あまり体力がなくて上手に歩けなかったけど、とりあえず自分で出来ることは自分でしようって決めていたし、そうしてたのです。
こんなに一生懸命歩いているのに、誰の手も借りてないのに。
がんばってる人にむかって、「自分で出来ることは自分でしましょう」って言わないでほしい。
それともそう言ったってことはなまけてるように見えたのかな。 
 雪絵が今日までどうやって生きてきたか、私がちゃんと知ってるからね・・
そっとそしてやさしく自分に言ってあげました


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あなたの望みは、バランスが取れていますか?

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あなたの普段自分の行動は、自分自身を納得させるものでしょうか?
やったことで満足出来ているでしょうか?

それとも、いつも納得がいかないことを感じながらも、社会に生きるにはしかたがないと思って、妥協を重ねているでしょうか?

あるいは、好きな様にやっているつもりだけれど、他人から文句を言われないかいつも気になっています。あるいは、本当のところは望む通りのことからは、少しづつずれていて、気が付くと問題のない行動を外れないように制限してしまっています。

ではなぜ、思った通りにできないのでしょう?

そのことを真剣に考えたことは有りますか?

日々生きることに忙しければ、無難なところで満足するよう自分を納得させているでしょう。

それとも、誰かの為になることだからと、自分の望みとは違うことをしていながら、誰かの犠牲になることが自分の望んでいることだと言い聞かせようとします。

あるいはこういう人もいます。自分の本当の望みを知るのが怖い、普段から自分の選択を隠し、あるいは自分自身でも感じないようにしながら、他人の望みに合わせて生きようとする。

自分の本当の望みを知るのが、怖かったり、それがこの世界の生き方なんだと納得させたり、私は人のためになることをするのが自分の望みなんだと言い聞かせたり、本当の満足なんて、この世界では望めないと固く信じていたりします。

すべてを満足させることはできませんが、自分が普段から何を重要視しているのか?、それはほんとうに自分の望み全体からしてバランスが取れているか?時々チェックしてみることは重要です。

習慣に流されないで、自分を振り返ってみましょう。

以前の記事から、3つの自分を調べてみましょう。


あなたの中の3つの自分

「3つの自分」というタイトルであなたはどんなことを想像されるでしょう。
 
いろんな分類が考えられますが、ここでは、「見せかけている自分」、「隠さなければと思っている自分」、「ありのままの自分」の3種類に分けて考えて見ましょう。
 
それを考える事でどんな意味があるのかは後々説明しますが、まずは3つを見ていきましょう。
 
 
 
「見せかけている自分」
 
あなたが世間に見せている自分であり、自分自身でもこれが本当の自分であると信じ込んでいる(信じたがっている)ことが多い部分です。
 
それらは、社会の基準という方向から見た場合、「自分が社会的に望ましい人間である」と思いそれに合わせようとしている自分であるといえます。
 
また、2番目の「隠さなければと思っている自分」との関係でいえば、隠したい自分とは反対で対照的、そういう自分が自分なのだとアピールしようとしているともいえます。
 
具体的には、次のような問いかけに答えることでわかってくるでしょう。
 
・あなたは世間からどんな人間だと見られたいですか。
 
・あなたという人間のどこを真っ先に知って欲しいと思っているでしょうか。
 
・他の人があなたのことを表現する中で、あなた自身が特に大事だと感じるのはどのような自分でしょうか。
 
 
「隠さなければと思っている自分」
 
これは、もしかすると自分の中に潜んでいる人格だろうと感じてはいるのですが、決して人から知られてはいけないと思っている自分です。
 
言い換えれば、この部分を他の人に知られてしまったら軽蔑されたり、まわりから見捨てられたりするのではないかと恐れている自分なのです。
 
おそらくそのほとんどは、幼い頃に経験した見捨てられるのではないかという恐怖体験が、強く焼き付いてしまった恐れの傷跡なのでしょう。
 
そして、肝心なのは、それらはあなたがそう思い込んでいるだけで、別にあなた自身の人格などではないということです。
 
次のような問いかけで、確認してみましょう。
 
そしてそんな自分が自分の本性ではないかと恐れていたのは、じつは勘違いであるかもしれないと確認してみましょう。
それらは、あなたがどこかで傷ついたときに、急いで隠そうとしてしまい込んだものに過ぎないのですから。
 
・それらの多くは普段から見せかけようとしている自分とは反対の自分ではないですか。
 
・自分ではなく、あなたが一番気に入らないと思っている人を思い浮かべて下さい。
それらの人の中に見つかる、あなたの嫌っている部分とは、まさにあなたの中にもあるかも知れないと恐れている部分なのではないですか。
 
・これを人に知られたら大変だと思っている自分がいませんか。
 
 
「ありのままの自分」
 
ありのままの自分でいるかどうかは、その時の自分が安心してゆったりしていられるかどうかで確認できます。
 
見せかけたり、隠したりする人が目の前にいないときの力を抜いた状態、自分ひとりになってホッとした状態の自分です。
 
他の2つの自分の度合いが強いほど、最初は「ありのままの自分」の声は小さく弱々しいかもしれません。
 
しかし、この自分を取り戻すにつれ、あなたは自分の人生を生きている実感を強く感じられるようになります。
 
そして、なによりもこの状態にいるときは気分がよくなるのです。
 
 
さてこのような3つの自分を考える事にどんな意味があるのでしょうか。
 
とくに「隠さなければと思っている自分」については、だれでもわざわざ見ようとしたくないし、苦痛を感じることでもあるでしょう。
 
そんなことをしてでも、これを考える理由は、「ありのままの自分」を取り戻すことこそが目的です。
 
そして、「見せかけている自分」や「隠さなければと思っている自分」の出番を徐々に減らしていって「ありのままの自分」が主役になるための習慣を作っていくのが狙いなのです。
 
さきほども言いましたが、「ありのままの自分」を取り戻すにつれ、あなたは自分の人生を生きている実感を強く感じられるようになります。
 
そして「隠さなければと思っている自分」が、実はどこかで身につけた本来の自分ではないことに気づいていくことで、そのようなものを恐れて隠している必要がないことに気づき安心を取り戻せるのです。
 
分裂してしまった自己を1つの自己にまとめ上げていけるのです。
 
「見せかけている自分」も、「隠さなければと思っている自分」との関係から取り繕っていた自分に過ぎないことがわかってくれば、そのような自分にいつまでもしがみつく必要はないことがわかってきます。
 
見せかけを捨ててしまっても、なにもまずいことなど起きないとわかって、その支配を弱め、より「ありのままの自分」が自由にその表現を許されるようになってきます。
 
あなたは社会の中にいても、自宅でくつろいでいるときのように、自分を表現できるようになっていくのを実感できるでしょう。
 
 
 
もちろん、これらの自分は1年や2年ではなく長年かけて作られてきた自分ですから、理屈を知ったから一気に100%入れ替わるということは期待できません。
 
時には、強まっていた「ありのままの自分」が一気に自信を失って、他の自分に支配権を奪われるようなこともあるでしょう。
 
しかし行きつ戻りつはあるにしても、一度ありのままの自分を経験すれば、それと一致する行動はどんどん強化されていきます。
 
その逆に、いわば作り物の他の二つの自分は、その存在理由がどんどん弱まってきます。
 
ある段階まで来れば、もう後戻りはしたくないと思えるようになって、どんどんその変化は大きく加速していくことでしょう。
 
気分よくいられる時間が増えて、本来はこれが当たり前だったのだと思えるようになってきます。
 
隠さなければいけない自分がなくなるほど、ビクビクして不安に思うことがなくなります。
 
ほんとうの自分を表現できていると感じますから、生きている実感が湧いてきます。
 
居心地の悪さが消えて、元気が出てきます。「親切にも」そんな生き方ではダメだという人がいても、本来の自分が違うと思えば自信を持って受け流せます。
 
その他にも、他の人が自分を見せかけるために苦労しているのも感じ取れるようになりますから、その人のために励ましたりする働きかけも出来る様になってきます。
 
相手の人も、あなたといれば自分を隠さなくていいことを徐々に感じる様になってきます。
 
考えて見て下さい。
 
取り繕う努力にエネルギーを使うよりも、本来持っているあなたの潜在的な可能性を広げる方が効率もいいし、意義があるのはあきらかではないですか。

  


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あの人なら賛成してくれるはず~しかし

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あの人なら賛成してくれるはず。

そう思って、とても確実な結果を期待します。

しかし、意外にもあの人は賛成しませんでした。

こんなにも期待し、確信していたのに、あの人は賛同してくれませんでした。
期待していたのに、あの人は私を理解してくれなかったのでしょうか?

そうではありません。
あなたの期待を感じると、無理に賛同してしまう人よりも、その人が賛成出来ないことは、はっきりノート言ってくれる人にあなたは出会っているのです。

賛成してくれてもいいのに、私の考えだから賛同してくれるはずだ。
そんな期待は、なんの保証もありませんし、あなたは自分の考えにいつも賛同してくれる相手を求めてしまったのです。

あなたが相手の不同意にため息を漏らしたとしても、相手は意見を変えないでしょうし、それでこそあなたが信頼できる相手だといえるでしょう。

相手には相手の考えがあります。あなたの意見に反対してでもそれを言ってくれた人は、あなたにとって貴重な存在です。

あなたの考えを否定してでも、自分の考えを言ってくれる相手にあなたは出会えた、そのことをもっと大事にしなければなりません。

あいての反対を受け止められてこそ、あなたと相手は対等な関係を築けるのです。

あなたがそれでも、自分の考えを主張したいのなら、それ聞いてくれるのも、反対できる相手だからこそです。

あなたは、自分の期待通りに正解が動くことを期待すべきではありません。

しかし、人はあからさまにそう言わないことが普通ですが、だからといって期待するのはあなたの見当違いな思い込みです。

素直にノーを言ってくれる人こそ、あなたにあるべき方向を示してくれるでしょう。

あなたが大切にしなければならない相手だと思いませんか?

あなたの反対を恐れる気持ち、低水準な賛成だけを求めている傲慢さを、勇気を持って打ち破りましょう。

あなたは、ずっと生きやすくなった世界を知るでしょう。

あなたは自分がノーを言うこともたやすくなります。

期待とは、あなたの中のいつまでも捨てられないお伽話にすぎません。

それを捨てた時、あなたは自由になります。

あなたの選択の幅が、驚くほど拡がるのです。

関連記事を紹介しておきます。


見返りを求めないでみる


子どもたちが友達と遊んでいます。



誰かが自分がやりたい遊びをやろうよと言いますが、「いやだ、やらない」と言う子もいます。



言い出した子は「もうあのことは遊ばない!友達じゃない」と言いたくなる。



「友達なら自分が求めることには賛成するべき」



という暗黙のルールがそこにはあるわけです。



大人になってもそれは変わりません。



「自分を大切にしてくれる人は、自分の考えに賛成してくれる人であるはず」



そう信じているので、例外が発生すると動揺し慌てることになります。



「悪いけど、今回はその考えには乗れないね!」と言われたら。。。



ルールをあまりにも信じていると、相手が自分とは独立した存在であることを忘れてしまいます。



「この人はどんなときだろうと私の望みをかなえてくれるはず」と思い込んでいるので、



ちょっとした反対に出会うと、ナイフでぐさりとさされたようなショックをうけてしまうのです。



あげくは「あの人は、心変わりしたんだ」、もう自分の期待する人でなくなったと極端な考えに走ります。



しかし、ここで冷静になって考えて見て下さい。



「悪いけど、今回はその考えには乗れないね!」とか、「○○は好きじゃないから、遠慮しとくよ」というのは、おかしなことでしょうか?



それは違反だという考えと、人には自分の好きな選択をする権利があると考えるのと、どちらがより正しく思えるでしょうか?



問い直せば、わかることの筈です。



ですが、「自分を大切にしてくれる人は、自分の考えに賛成してくれる人であるはず」という考えが染みついてしまうと、とんでもない裏切りが起こったように動揺してしまうのです。



「いいよ、そういうつもりなら、付き合うのをやめよう」



言葉にして言うか、ただ自分の中で密かに決めてしまうかはわかりませんが、



冷静に考えれば奇妙なことも、それが当然のことのように思えてしまうのです。



このルールを守って、自分も相手に「あわせる」ことを自分に言い聞かせ実行しているている人ほど、他の人からの「見返り」を期待するようになります。



そして、裏切られたという感情もより強い得ものになってしまうのです。





しかし、このようなやり方は、うまくはいかないでしょう。



人は自分のやりたいようにやる方が自然なルールなんですから、その範囲内でならで賛成するでしょう。



しかし、どんなときもそのルールを守れと言われたら、それはできないと拒否するのが当たり前なのです。





わかっていながら「見返りを求める」ことをついついやってしまいます。



しかし、期待して待つのはとても苦しい時間を作りだします。



「もし期待を裏切られたら、そうなったらどうしよう、仕返ししてやるから、早く返事が欲しい。。。」



「期待している私は悪くないはずよ、もしNOだったら悪いのはあの人の方!」



相手にNOを言う権利はあることを十分わかりながら、それを一方的に期待している後ろめたさを、なんとか誤

魔化すためのいいわけを探そうとします。



契約した商取引なら、守ってもらわないと困ります。



しかし明文化されているわけではない暗黙のルールは、気づかないうちに私たちを「いらつかせ」たり、「いたたまれない」思いに陥れます。



結構ありがちなストレスの原因ではないでしょうか。



何でこんなに苦しい思いをしているのかと思ったら、無理な見返りを期待していないか考えて見るといいかもしれません。



それに気がついたら、あっさりその期待を手放して、他の確実な関係に係わった方がずっと建設的なのです。



相手のせいだと言いはって譲らないとき、痛手を受けるのは他ならぬ自分だけなのです。




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悪口を言われたら~落ち込む人、喧嘩になる人、無視する人、それとも?

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悪口を言う人は存在します。

「こんな人もいる」と考えて、自分を取り戻すことが一番いいのですが、いろいろ工夫の仕方は存在します。

「NAVER まとめ」と本ブログの過去記事から取り上げてみました。


悪口や陰口を言われたときの対処法6選。 - NAVER まとめ

1、時間と共にイライラも減るということを知っておく

あなたにはもっとやるべきことがあるし、もっと大切なことがあるでしょう。それに気持ちを向けてゆくことです。苛立ちが時間とともに確実に減ってゆき、最後は気にならなくなります。

それを分かっているだけで、何度も頭の中で考えたりしなくて済みます。実はその何度も考える・・・ということをしないことがイライラを止める最大のポイントでもあるのです。

2、悪口を受け入れない

相手の言っていることを受け入れてそれに反論しようとするから苛立つのです。受け入れなければ苛立つこともなくなります。
受け入れないとは、気にしない、無視するということです。

人の愚痴などを聞いているとふと、この人自分のこともいつかどこかで悪く言ってくるのではないだろうか・・・と思うことがあります。ですから、悪口や陰口ばかり言っている人からは人が去ってゆきます。

3、「悪口を言う人の心に問題がある」ことを知る

劣等感は自分の中にあると、とても嫌なものです。みじめな気持ちになります。だから、そうならないように他人を攻撃します。そうすることでみじめさを何とか抑えようとします。

それで気持ちが晴れることもあるでしょう。でも問題は相手ではなくて、自分の中にあることをその人はその時点で気づいていません。劣等感とは、他人は実は関係なくて、自分の中にある問題なんです。

4、すべての人から好かれようとしない

評価してくれた人よりも批判した人のことを覚えていたりします。マイナスに目を向けてしまうのは心の癖、考え方の癖でもあります。ですが、その考えを変えて良いことに意識を集中してみることです。誰からも好かれることは出来ません。全員を満足させることなどできませんし、その必要もないのです。

5、言われたことを反省して改善する

6、自分を褒めてあげる

なぜ、自分を褒めるのかといいますと、悪口を言われると周囲を気にしてしまいがちです。人は、周囲を気にするあまり、自分の存在を自分で否定してしまうことがあります。ですから、まずは、自分を褒めることで自分の存在を認め、自分という軸をしっかり持っていただきたいのです。



次に以前のブログ記事から

悪口は相手に持ち帰ってもらう

誰かに悪口を言われたり、ののしられたりすれば、誰でも平然としているのは難しいでしょう。

動揺したり、何かを言い返したくなるのが普通ですね。

しかし、言い返して口論になっても結局はいいことなど何もないことも誰しも経験上知っているのです。


ここに「悪口は相手に持ち帰ってもらう」という考え方があります。



ある時、お釈迦様は弟子を連れて村を托鉢して歩いていたところ、村人から罵られます。

「俺達は汗水たらして働いているのに、お前たちは何もしないで人にたかるだけの物貰いじゃないか!」と。

相手の言葉を聞き終えると、お釈迦様は「言いたいことはそれだけですか、ではさようなら」といってその場から立ち去ります。


弟子たちになぜ黙ったままで、言い返さないのですかと聞かれて、

「お前たちは誰かが毒蛇を持って来たら、それを受け取るのか。」

「受け取らなければ、毒蛇は持って来た相手が持ち帰るしかないだろう。」

という意味のことを答えたと言われます。


それでは相手に対してはそのまま持ち帰ってもらうにしても、「自分の心の中はどうしてくれるの?」と言われるかも知れませんね。

実は、悪口を言われて傷ついたと感じるのは、受け取る側に弱みがあるから。

相手が悪口を言うのは、相手の問題であって、それはそのままお持ち帰り頂けばいいのですが、自分が傷つくかどうかは自分の側の問題です。

自分が怒って反応してしまった結果を、相手に責任をとれというのはこれまた少し違うでしょう。

やはり自分の側の問題の責任をもつのは、自分でやらなければなりません。

相手の言葉で自分がどのように感じ、どの部分に過剰に反応してしまうのかを調べて見ましょう。

まさにすぐに反応してしまうところに、自分の弱みが存在しているのではないでしょうか。

それは、自分でも何とかしたいと思っているところです。

それは、他の人に知られたくないと思っているところなのです。

そして、それを他の人の口からは言われたくはないわけで、
先にい合われると、たとえ相手が正しいと思ってもムキになって反論したくなるのです。


争うことなく問題を解決できれば、敵を作り出す必要もなくなっていきます。

肝心なのは、他の人の態度次第で自分が右往左往させられる依存する関係から独立することです。

ある意味では、「敵」とは自分の弱点を裏返した存在であり、自分が作り出しているものだとも言えるのです。


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あなたを海全体だと知りましょう。~自分を認めてくれるのは誰ですか?

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他の人に自分を認めてもらえることは、自分のことに自信を持てなかったがウソのように消え、自分が大きくなれたような気になります。

自分にもこんな素晴らしい面があったのだと気づき、急に自分にも価値が有るのだと嬉しくなります。

ですから、「他人から認められること」は、他に比べようのない素晴らしいことに思えてくるかもしれません。

しかし、そればかり望んでいると、あなたを認める人ばかりではなく、同じだけあなたを軽蔑する人も存在することを忘れてしまいます。

そして、それに気付かされた時、あなたは世界を2分してしまうでしょう。あなたにとって都合のいい世界と、あなたを苦しめる嫌な世界と。

そのように考えていると、やがて外側の世界に、自分の味方と敵が存在するように錯覚していくことになります。

ですが、味方と敵も、どちらももともとは、あなたの中に存在していたことに気づかなくなるのです。

あなたが喜ぶ自分の好意的な面も、密かに嫌っている自分を自分のものではなく、誰かに投影して敵を作り出していることも、どちらも外側に存在するように感じるようになりました。

ですが、あくまでその元になったものは、あなたの中に存在していたのです。

自分の中に全く存在しなかったものは、他の人の中で会ってもその存在に気づくことはないでしょう。

なんて素敵な人だ、と思うのも、どうしてこの世界にこんなひどい人がいるのかと感じることも、あなたの中にその種が存在していたから感じ取ったのです。

言い換えれば、あなたは誰かに自分を認めてもらわなくても、あなた自身自分の勝ちを知っています。

ひどい人を、嫌いな人を見かけなくても、あなたの中の残虐性が存在することも知っています。

さらには、あなた自身で自分を認めてあげて、あなたの価値を感じ取ることもできます。

誰かが言ってくれなければ、あなたの価値が存在できないわけではないのです。

自分自身のことを、選り好みしないで、そのまま受け入れましょう。そこから、あなたという存在も、まわりの世界も、一人称で語れる世界が見えてきます。

さまざまな、一見あなたにとって的であったり味方であったりする様々な波も、全ては一つの海の一時的な現れであり、そのどれもが自分自身であり、そしてあなたという存在自体が一つの大洋という存在だったことに気がつくのです。

敵も味方も、あなた自身が作り出していたことにも気がつくでしょう。

誰かに認めてもらうことばかりに気を取られずに、あなた自身で自分を認めてあげましょう。

自分で自分を認めても、価値が無かったり、信用出来ないと思うのも、それもまたあなたのエゴが言っているのです。

そんな自分もまた存在することを認めましょう。一つの波があなたのすべてではないことに気づき、海全体でもあるあなたを感じてください。

世界は、全く違って見えてくるでしょう。

参考に以前の記事から
------------------------------------------------

認めてもらおうという気がなければあなたはどんな人になりますか?


「相手にどうやって自分の存在を認めてもらうか」

これは、私たちがふだんから、ほとんど意識せずにせっせとやり続けていることではないでしょうか。

よりはっきりさせるために、このような設定を考えてみて下さい。

・あなたが相手に印象を与えて自分の存在に気づいて欲しいと思っている人。

・愛されたいと思っている人。

・相手に自分はこんな才能があると気づかせて、「すごいなあ」といわせたいと思っている人。

・怒らせたくないと思っている人。

・あなたを支配できると思って恐れている人。

このような人を前にして、あなたがどんな行動をするだろうかを考えてみて下さい。

・必要以上に相手の言葉に感銘したと伝えようとする。

・注意を惹こうとして、相手の喜びそうなことなら自分にとってつまらなくてしょうがないことでも質問する。

・何とか自分を売り込まなければいけないと思って、自然な会話は上の空になり心が落ち着かない。

・相手の考えに合いそうもないことは、いくら自分で思っていても言ってはいけないと思い窮屈な会話になる。

・相手が気に入ることを探り出して、自分がそういう人間であると見せるのに必死になる。

つまり、極端に言えばあなたは相手の奴隷になり、自分に正直には生きられないということです。



ここで、それなら自分がその相手に対して、相手が認めてくれようがどうしようがかまわない、相手が自分を好きにならなくてもいっこうにかまわないという前提だったらどうなるでしょう。

そのつもりで接したら、その場合自分はどのようになるだろうかを想像してみます。

・あなたは自分の思ったことをチェックしたりせずに自由に話せます。

・相手の言うことに自分を合わせようと思わないので、ゆったりと相手が言っていることを聞き取れるでしょう。

・相手の提案に対しても、自分の利害関係を考えないので、率直にYES・NOを答えることが出来ます。

・この会話で成果を上げなければならないという緊張感や制約もないので自由に話を楽しむことが出来ます。

・相手に自由に自分を表現して、それで相手が嫌いになろうがなるまいが関係ないと思うことが出来ます。

そして、このような自然な自由な会話が、あなたからどれだけストレスを解放するかを想像します。

また制約のない会話のおかげで、どれだけ実りの多い相手との関係が得られるかを考えてみて下さい。

これは仕事だから、重要な取引だからという理由で、どれだけ「認めてもらおうという」という気持ちから行動しているかを知ります。

そして、もしその制約がなかったらどうなるだろうかを想像してみて下さい。

それがないと、絶体ダメ、うまくいかないと言いきれますか?

逆に、そんな制限がなければ、もっとうまくいくかもしれないという可能性は見えてきませんか?

過去を振り返って、知らず知らずそのような自然な関係を持ったおかげで、とても有意義な時間を過ごせたという経験があるはずです。

「認めてもらわなければ」という恐れから来る行動を、そんなものはいらないと拒否する勇気が出てきませんか?

そして、制限して作り上げている関係とは、あなたの側で作り上げた人工的なものであり、自分とは違う人間を演じないとなりたたない牢獄であることが見えてこないでしょうか。

ずっとそのままでいたいと思いますか?

いつかそうでない関係に戻れるから、いまは仕方ないと思っているかもしれませんが、おそらくそれは永遠に変わらないでしょう。

そのうち、やり方を変えるよりも、これは必要悪であると理由をつける方が簡単になり、それが習い性になってしまうからです。

しかも、そのやり方は、特定の相手だけでなく、誰に対しても同じやり方をするようになっていくのです。



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人の悪口は惨めな私を慰めてはくれません

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勧善懲悪のドラマは、昔から人気のあるジャンルです。

時代に応じて姿を変えますが、そのテーマは、A.悪者をどんどん憎む人間に仕立てることや、B.被害者がいかにひどい目に合わせられるかを強調することで、最後の逆転劇を演出します。

視聴者は、前半でつもりつもった不満を、最後にいかに逆転させるかに爽快感を覚えたり、前半とのギャップを楽しみます。

ですから、ドラマを作るには、AとBをいかに強調できるかにかかってきます。何を強調するかで、ドラマの雰囲気は変わってきますが、AとBがその肝になっていることに変わりはありません。

しかし、私たちの生きている社会は、ドラマのようにAとBがはっきりしていることは、稀です。むしろ、この人は気に入らないと思っていると、どんどん自分で相手を悪人であって欲しいとおもって、悪い情報を集めることで嫌いな人間を悪人に仕立てているのです。

現実への不満を、そのようなドラマをつくり上げることで、こんな状態だから不満に思っても当然だというストーリーをつくりあげようとしているのかもしれません。

ドラマを楽しんでいるだけなら構いませんが、現実の自分の人生には、このような悪人を作り出してはいけません。

仮に客観的に見てひどい人間が存在しても、できるだけ近づかないことです。
そんな人に近づかなくても、あなたの関わる人はいくらでもいるのですから。

それよりも、自分の中の悪人を作り出したいという誘いに注意して、決してのせられないことです。

あなたの人生を無駄に費やし、歪めてしまう誘いでしかないからです。

『口中の斧』に気をつけましょう。


--------------------------------
口中の斧 /人の悪口は魅力的?
より抜粋


「私はこの人間が嫌いだ」と思うのはまだいいでしょうが、「だからこの人間が不幸にならないと気が済まない」に変わってしまうと要注意なのです。



そう思うとき、自分の「口中の斧」が発動し、自分自身を切り裂いてしまうことになると仏陀は説いているのです。



視点を変えてみれば、人を中傷する言葉を言いたくなるのは、自分の中にそのような自分がいるからです。



自分に嫉妬する心があるから、悪口を言いたくなってくるのです。



ですから、ただ表面的に「悪い言葉」を使わないようにしようと思っただけでは、問題は解決しないでしょう。



そんな時は、逆に自分が悪口を言いたくなっているのに気がついたら、そのようなことになった自分の心の動きをさかのぼってみることです。



そこにあるのは、結局自分を責める気持ちなのです。



自分よりも相手の方がいい結果になった、だから自分はダメだから自分を罰しないといけない。



そして自分ばかり責めるのがいいかげん苦痛になってくると、今度は相手に矛先を向けることになるのです。



そのようなやり方で責任をたらい回しにしても何も解決しないのです。



唯一解決する方法は、自分を責めるのをやめることです。



それは同時に他者を責めることもしなくなるということです。



誰が悪いのかを探し出すようなことをしていれば、おとなしくしていた「口中の斧」を蘇らせることになる。



相手を中傷したり、逆に自分を実際以上に見せかけようとするのは、自分で悩みの種を作り出すことにつながるのです。



それよりも、自分が言われて嬉しい言葉を人に投げかけましょう。







また、不用意に世間の風潮に流されて、人を中傷してしまうのは、決して軽々しく扱うようなことではないと思います。



自分も傷つけるし、社会がそのように流れてしまうことに加担してしまうことにもなるからです。



自分だけは、そんなことに加担しないでいましょう。



刺激的で魅力を感じても、甘い罠にははまらないようにしましょう。



それが穏やかなあなたの心を「口中の斧」から守ってくれるのです。


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欠けているものを探す習慣!?

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「どうすればもっと良くなるだろう?」と考えるとき、「何が足りないのだろう?」と考えてしまうのは、自然な成り行きかもしれません。

しかし、そのうち欠けているものを探すことが、進歩や成長を生み出すのだと考えすぎて、いつも不足しているものを探すようになると、欠乏は果てしなく続くようになります。

どんな状態であろうと、欠けているものを探せばなにか見つかるものでしょう。
そうやって、常に欠乏を満たすことが第一になれば、今の満足を味わうこともおざなりになっていきます。

豊かさは、何も足さなくても感じられるのだと思えなくなっていきます。

ごく当たり前の思考のように思えても、行き過ぎればあなたを欠乏症に変えてしまいます。


「今持っているモノで満足し、ありのままの姿を喜ぶことだ。
 何も欠けていないと悟れば、全世界が自分のものになる」

                     ----- 老子 -----

人間関係においても、この不足感は、満足することを忘れて人をくるわせます。

--------------------------------

『あの人に気に入ってもらえただろうか?』

「あの人はちゃんと気づいてくれたかな?]

「なぜ返事をくれないのだろう?」

「今日は笑ってくれなかった。何か気に障ることを言っただろうか?」

「今頃あの人たちは、私のことをどう思っているのだろう?」

このような不安を抱いたことはありませんか?

おそらく、ほとんどの人が昨日も今日も、このような不安がよぎる瞬間を何度も繰り返しているのではないでしょうか。

この不安はどうすれば消えるのでしょう。

Facebookなどをやられている方なら、より多くの知り合いを作り、より多くの人が自分にメッセージをくれるようになればいいと思っているでしょう。

そして、たくさんの友達が出来れば、「その時は、先程のような悩みは消え去ってしまうに違いない」と信じているわけです。

ところが、たとえば5000人の友達を達成したら、その瞬間にあなたの悩みは消え去るのでしょうか?

あなたは、その時からもう人からの評価を一切気にせずにいられると、本当にそう思えますか?

このような不安を覆い隠す為の努力は、実は残念ながら役に立ちません。

この方向でいくら友達を増やしても、あなたの不安が消え去る日は来ないでしょう。

最大の理由は、最初に挙げたような他の人からの評価や愛が必要だという考え方そのものが、あなたの不安の原因となっているからです。

皮肉にも、追い求めれば求めるほど、苦しさは増してきます。

求めるのを放り出したとき、それは消えていきます。

たとえば、「あの人はちゃんと気づいてくれたかな?]と思い、特定の相手がどう思ったのかを気にします。

その結果を知りたくてたまりません。

もし、もう私のことなんか必要のない人間だと思われていたらどうしよう。

想像すると、不安のあまり身体の調子も悪くなります。

他の事が手につかなくなるかもしれません。

しかし、ここでこんなことを考えて見て下さい。

何かの理由で、その人へのあなたの思いが変化して、

「もうあんな人にどう思われようとかまわない」という状況になったら。。。

そうなったとき、「あの人はちゃんと気づいてくれたかな?]という不安はどうなっているでしょう。

消えてしまっている!

そして、もうこれ以上その人の評価を気にしなくてもいいとわかると、あなたは肩の荷が下りて大きな開放感を感じるでしょう。

「もう気にしなくったっていいんだ。」

これから解る様に、不安を作りだしていたのは、まさに評価を求めるという行為そのものにあったのです。

----------------以下省略----------------

不足感と欲望過多は、実に紙一重です。

「もっと多くを手に入れるには、目標を持たなければならない。」

それはそうかもしれませんが、

「もっと満足を味わうには、今、足りていることを知らなければならない。」

ということも確かです。

多くを望むことが、必ずしも希望を生み出すわけではありません。

今持っているものの中に、どれだけ希望が隠れているか探してみることです。

今身近にいる人が、どれだけのものを与えてくれているかを、もっと知らなければなりません。

外側を探しても果てしない、しかし、内側を探しても、これもまた果てしないことを知ることです。

私たちは、身近にあるもののどれだけを見ているでしょう。
そのほとんどは、固定した、過去に焼き付けた映像に過ぎず、いまここで見なおしてみることをしていません。

こんなところに隠れていたのか!
今ここにあるものを再発見してみましょう。

内側にも果てしない世界が広がっているのです。


「なぜそれがほしいと思ったの?」
「誰かが持っているのを見て欲しくなった。すごく良さそうに見えたから」
「でもそれに取り替えて、今のあなたの持っているすごいものを犠牲にしたいの?」
「僕は何も誇れるものを持っていないんだ。」
「あなたは気づいていないだけよ、今のままのあなたが、他の人にはどれだけ魅力的かを!」
「他の人には置き換えられないあなたを、どうして別のもので隠してしまおうとするのかしら?」
「だいなしにしないで、いまのあなたを、今のままの素晴らしさを」




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苦痛とは、本当に正常を外れた緊急事態だろうか?、それともただ起きてくること?

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人は苦痛を抱えていることで自分のバランスを取ろうとしている場合があります。

言い換えれば、何も気になることがなくなった状態を想像できない、どうしていいのかわからなくなるのです。

いつも気になる状況がるのが普通だと思いたがります。そして、そういうふうに考えるなら、何らかの問題が自分の周りにあるのはすぐに見つかるでしょう。

何も問題がない状態ではどうしていいのかわからないのです。

ですが、いつも何かの困難や課題を抱えていなくても、そのまま起こることに対処していける自分を持つことも可能です。

いつも先手を打って、何かの対策を講じているというのは、一見まともでほめられるべき姿勢のようにも見えますが、そこにはすべて自分で制御していないと安心できない心理が隠れているのです。

しかし、すべてのことに手を売っておくというのは、実際にはできない現実離れした考えです。

それに慣れてきた人には、とんでもなく無防備で、いい加減に見えるかもしれませんが、起きてくることにしたがって対処していくという受身の姿勢も必要です。

というよりも、すべてのことに対処していると思っているのは、思い上がりでしかないことを知っておくということです。

たしかに、明らかに準備しておくことが役に立つと思える状況も有ります。しかしそれと同時に、そこから漏れ落ちたことも同じように起きていることを無視しないことです。

起きてくることは、あなたにとっていいことも多いでしょうが、不都合なことも、「あなたの思いには関係なく」起こりうることも認めなければなりません。

全てに対処しようとしないで、力を抜いて、流れに任せて、予想しない出来事も楽しんでみましょう。

そのような姿勢こそ公平なものごとの見方を可能にしてくれるのです。

すべてのことを解決できる人にならなくてもいいのです。

それよりも、現実にあなたの予想しないことも起きている中で、その流れを楽しむ余裕を持ちましょう。

そうすれば、苦痛に感じていたことも、違って見えてくるでしょう。

以下の文章は、以前に書いたものですが、上記の内容を踏まえて読めば、また違った意味が見えてこないでしょうか?

苦痛も楽しみも、同じように起きてくることの解釈のしかたにすぎないとしたら?

--------------------------------------

苦痛を抱える自分はほんものだろうか?

困難な状況にあるとき、人はさまざまな回避策を試みます。

たとえば、困難の原因を、誰か他人のせいだと考えて、その人を恨んだり攻撃することで、現在の自分の問題から目をそらそうと考えます。

またそれが出来ない場合には、自分自身を苦しめることで、少なくとも自分はいま罰を受けているのだから、と考えてそれを免罪符にしようと考える人もいるでしょう。

このようないいわけ、特に後者のやり方に慣れてしまうと、自分を苦しい状態にしていることが習慣になり、ちょっとしたきっかけで苦痛の中に浸ってしまう状態に入り込んでしまいます。

もしこのような状態を繰り返していると感じるなら、苦痛を感じて何かを回避しようとしている自分がいないかをチェックしてみるといいでしょう。

それは誰もが避けようのない苦痛なのか、それとも自分がわざわざ作り出してしまっている苦痛なのか区別するのです。

そして、それが後者であれば抜け出す方法がないか考えてみることです。

中には、そのようなやり方に慣れきってしまって、自分から苦痛や問題を取り去ってしまうと空虚に感じてしまい、再び元の苦痛を感じる状態に戻りたくなってしまう人もいます。

しかし、たとえそうだとしても、粘り強くその習慣から抜けようと試みれば、その状態が本来自分が望んでいる状態ではないということに気づけるようになるはずです。

ちょうど、大人になってから、子どもの頃の悩みがなんでもなく思い出されるように、あの頃いつも苦しんでいたのは何だったんだろうと思えるようになるでしょう。

苦痛を感じている自分に気づいたら、以下の項目をチェックして何か役立てないかを考えて見て下さい。

人によって、とりやすい態度は違うものですが、何か思い当たるところはないでしょうか。



◆自分は苦しんでいる。それは本物の人生を生きているからだ。

人生は辛く、苦痛に満ちていないと本物だと感じられないというのは、

刺激的な出来事こそが生きる実感だと感じられるという、感覚の麻痺を起こしているのかもしれません。

ほんとうに、いつまでもそうしていたいのですか?

穏やかでいて、しかもほんものの人生というのは、あり得ないのでしょうか?

◆自分が苦しんでいるのは、まわりには自分を苦しめる敵がいっぱいいるからだ。

これも、前述の他の人を悪人に仕立てることで、状況をありのままに見ようとしないやり方かもしれません。

敵がいるから仕方ないのではなく、自分が敵を作り出して、自分の問題と向き合うことを避けている可能性はないでしょうか。

◆自分は苦しんでいるのだから、他の人よりも重要な人間なのだ。

「心穏やかでいる他の人と違って、自分のこの惨めさをみてくれ。」と言っていませんか?

同情を受けたり、自分を特別扱いして欲しいという逃げ口上になっていないでしょうか。

◆自分は苦しんでいるのだから、何も気にしない他の人よりも、それだけ責任感が強いのだ。

責任感とは、別に自分を苦しめることではないでしょう。

それに自分を責めて苦しめるのは、自分自身への責任を放棄していることにならないでしょうか。

◆自分は苦しんでいるのだから、自分の方が正しいのだ。

こんな理由は成り立ちませんね。

正しさとは何かが本当には判断できずに、無理矢理主張しているだけでしょう。

「正しさ」という言葉で、何にとらわれているのかを考えて見たらどうでしょうか。

◆自分は苦しんでいるのだから、それだけ他の人より思いやりがある人間なんだ。

そんなことがいえるのでしょうか?

むしろ、自分自身を苦しめるという、自分への思いやりのなさを忘れていないでしょうか。

自分への思いやりを果たせない人は、なかなか他人への思いやりも持つ余裕が持てないのではないでしょうか。

最後にもうひとつ、

◆自分は苦しさを終わらせたいと本当に願っているんだ。だからこんなに苦しんでいるんだ。

本当に苦しさを終わらせたいと思っているかどうか、もう一度考え直してみましょう。

実は、苦痛がなくなってしまうのを恐れている自分がそこにいないでしょうか?

おなじみの苦痛を抱えていることでバランスを保っている今までのやり方をやめて、苦痛なしでもやっていけないかどうか試して見ましょう。



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怒りの感情について考えてみる

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怒りという感情はやっかいなものですね。

うまく扱わないと、あなたやまわりに被害を及ぼします。

それは、心理的にも、物理的にもです。

怒りを感じると、わたしたちは何とかそれを発散したくなります。

誰かを殴ったり、物を壊してみたり、かんしゃくを爆発させたり、壁を殴りたくなるのです。

あるいは、身近な人に対して悪口を浴びせてみたくなり、叫んでみたくなるのです。

ですが、もう少しこれを観察してみる気になれば、本当に手がつかないほど起こっている時間は僅かなものであることがわかります。

つまり、いつまでも怒りが続いているとしたら、あなた自身で何らかの関与をして、怒りの炎に燃料を与え続けているということです。

自分は今こういう理由で怒っているのだ。まわりの人間(あるいは特定の人間)に恐れ入らせないとならない。それはこれこれこういう、もっともな理由があるからだ。この理由にはどんな言い訳も通じないぞ!

そして、相手の様子を見てみたり、怒りの理由を繰り返し思い起こしたり、その理由がどんなに正当なものか、どんなに起こるようなひどいことかを言い聞かせているのです。

本来ならひとしきりの怒りは治まっているのに、消えかけると、また自分で燃料を継ぎ足しているのです。

何もしなければ、長い時間、怒りの感情が燃えたぎったままでいることはありません。

怒りがピークを超えたら、そのことを思い出せるようにしておきましょう。

しかし、一方で怒りをごまかしたり、無理に合理化して抑えこむことは、いい方法とはいえません。そのようなやり方でごまかしてしまうと、いつまでも小さな炎がくすぶり続け、やがてまた燃え上がるからです。

この辺りの怒りの扱い方には、人それぞれ癖がありますが、その傾向を知り、上手く怒りと付き合っていくやり方を身につけることは重要です。


普通は余程のことがなければ、怒りを爆発させることなく、何とかこれにフタをして押さえ込もうとします。



怒りの感情を無視したり、そんなものはないと否定したり、何でもない表情を作ろうとします。



それでも、怒りというのはあなたへの訴えです。



痛みや熱さを感じることで、あなたの身体を危険から守るのと同じように、それはあなたへ何かを訴えようとしています。

痛みと同じように、それに耳を傾ける必要があるはずなのです。



怒りを否定して押さえ込んでしまわずに有効に活用する方法はないのでしょうか。



怒りの内容を調べて見れば、もうすこし明らかになるでしょう。



「くそ、俺ならもっとうまくやれるのに、何であいつだけが成功するんだ!」



「先を越された、このアイデアはわたしはずっと前に考えていたのに!」



ここには、他の人が何かをうまくやり遂げた事実への嫉妬が含まれています。

そして、もう一つ忘れてはいけないのが、あなたも同じようにそれをうまくやり遂げたいという衝動が含まれている点なのです。



嫉妬の方はあなたに苦痛をもたらします。だから見たくないという気にもなるのです。



しかしそちらではなく、あなたにはそれをやってみたいという衝動があったという貴重な発見に目を向けましょう。



それを無かったことにしてしまうのは、非情にもったいないわけです。

そんなものは無かったことにしても、いずれその衝動が蘇ってくる可能性があります。



こちらにも、それを見ようとしない原因が何かあるはずですね。

なにもなければ、あなたはとっくにそれをやり遂げているはずですから。



◆自分にはそれをやり遂げる技術も才能もないと考えている。



自分には才能がないと本気で思っているのなら、いつまでもその衝動を引きずっているとは考えにくいのです。

あなたに衝動があるのは、自分にもそれをやれるという気持ちが隠れているからではないでしょうか。

そう思うのは根拠のない衝動からだけとは考えにくいのです。



◆いつかやりたいという気持ちはあるが、それを発揮する機会に出会えないことにして先延ばししている。



デビューのきっかけというのは、意欲さえあれば全てうまくいくとは限りません。

しかし、何もしないでいるより、なにか一歩を踏み出す方法は見つかるはずです。



怠惰の仮面で隠してしまわずに、動いてみようと思うなら情報はいくらでも手に入るでしょう。

ここ10年ほどのネット社会の発展は、それ以前とは比較にならない可能性を与えてくれているはずです。



◆過去にやろうとして失敗した苦い思い出があって、それが尾を引いている。



過去の失敗が痛手になっているなら、あなたはそれを何度も繰り返して思い起こしているということです。

それは、なんとか名誉挽回を狙っているあなたがいる証拠かも知れません。

その気持ちに、耳を傾けてあげましょう。



「怒り」は、品のいい友達ではありませんし、あなたに親切な態度で情報をくれる友達でもありません。それでも貴重な「あなた」を、見捨てるわけにいかない「あなた」を律儀に知らせ続けてくれる友達なのです。



否定的な面だけで嫌わずに、貴重な情報に耳を傾けてあげましょう。

友達になれば、きっと強力なモチベーションとエネルギーをあなたにもたらしてくれるはずなのです。





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自分を責めることは現実逃避

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自分を責めることはどんな意味があるのでしょう?

自分を責めていると、なにか改善の努力をしているように勘違いするかもしれません。

しかし問題点がわかったら、それ以上責めることには何の意味もないこと。


★自分を責めて立ち止まっていても、何も変わらないし、何もできなくなる。

何もできない自分をさらに攻めるという悪循環が生まれるだけ。
そんなことよりも、さっさと許して出来ることに目を向ける方がずっとましです。

★一歩先に進むか、別の道に集中することが、許すことにつながります。

もしかすると、すべて忘れ去ることはできないかもしれません。
しかし、別のことに注意を向けていれば、許せない自分もいないのと同じこと。

★いつか、それほど責めるべき自分でもなかったと思える日が来るかもしれません。
いつになっても許せない人は、そのことで今の現実から目をそらしているだけかもしれません。
それをやめれば現実に向き合えるのだが、もしかするとそれを怖がっているだけかもしれない。

★そこにとどまって動けなくなるのが罪悪感。

自分の過ちを認められずに、とどまっていては、自分のいいところも認められない。
中には、自分のいいところなどないと言いはって、現実に向き合うのをやめている人もいる。

★だから自信が持てないのなら、一つでも自分を許すことを探した方がいい。

★自分を責めている人間に、人を褒めることなど出来ない。

無理に人を褒めようとしているのなら、むしろ自分の中の小さな子どもを抱きしめてあげよう。

誰の責任かなどいつまで経っても、わかるものではないのです。

★いまの自分の誇れる所も、多くの後悔を踏み台にして出来上がったものかもしれない。

★いま責めている自分も、多くのよかれと思ってした行動がちょっとした行き違いに出会ったに過ぎない。

いまの自分を認めないのは、今までの自分も否定することにつながってしまう。

★どんな感情が起きてきたかは、自分では責任を持てない。しかし、その後どうするかは自分で決められること。

過去の過ちをいつまでも持ち出す人がいたら、いつまでもかかわらないことです。

できないことを、何とかしろと言うのは拷問にすぎない。

自分の解消できない不満を相手にぶつけているにすぎない。

★さっさと立ち去って、かわりに、いま出来ることを求めている人に与えてあげる方がずっといい。

★いま起きていることに生きよう。どちらにせよ、それしかできないのだから。


☆許してしまいましょう。そのほうが役に立つ。もし本当に失敗したとしても、別のことでやり直すしかできない。
罪悪感で停止してしまうのは、何の役にも立たない。

☆許せない自分がいるなら、本当の理由を探ってみましょう。何を避けようとしているのか?

☆許すには、現実を受け入れることが必要なのです。それを避けるための罪悪感を捨てましょう。

☆受け入れられないのは、罪悪感ではなく、その後にやってくる現実なのでは?

☆いずれにせよ、あなたが認めようと拒否しようと、あなたの行動はあなたの見せかけではなくあなたの行動そのものなのです。





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このままの自分でかまわない、これこそが自分なんだともっと自信を持つには?

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このままの自分でかまわない、これこそが自分なんだともっと自信を持つには?

あなたは以下の質問にいくつも同意しますか?

・ありのままの自分を受け入れる気になりませんか?

・自分のことが嫌いだとよく感じますか?

・他人と自分をつい比較してしまって嫌な気持ちになることがよくありますか?

・自分でおもいついたことだと、あとからだんだん自信を持てなくないりますか?。

・コンプレックス!これは私のための言葉だと思っていますか?

・気が付くと自分のことを責めて、嫌な気分になっているのに気が付きますか?

・人にどう思われているのか?これがまず優先的に思い浮かんできますか?

・あとで損してると感じても、人に気を遣ってばかりいて相手にあわせてしまいますか?

・人に本心を伝えることがほとんどできない。言いたいことや気持ちを言わずに飲み込んでばかりいますか?

・人にお願いすることができない。好意を受けとるのも苦手。困っていても助けてとはとことんまで口に出せない。

・人に頼まれると嫌と言えない。また気のすすまないことを引き受けてしまった?

・自分のことを好きになる人などいないのではないか?とよく思っている。

・自分には素敵なパートナーはふさわしくない、と密かに思い込んでいるのに気がつくことがよくある。

・本当の自分を知られるのが怖いから、心を開けなくて、どうでもいいことや相手の事ばかり話題にしている。

・ありのままの自分を正直に認められなくなっている。何が本当の自分かわからなくなっている。


本当に自分を受け入れるには、以下を読み返して下さい。

--------------------------------
ありのままの自分をすきになる


ありのままの自分に満足出来るようにならないと、



いつまでたっても、満たされたと感じられません。





肝心なのは、外側の問題が解決することではなくて、

自分自身と折り合いをつけること。


自分自身を好きになることです。





自分自身の中に自分に敵対する部分を抱えていたのでは


いつまでたっても外側にも敵が現れます。







まわりを見回してみましょう。


そこに、自分の苦手な人はいますか?


そして、自分に危害を与えるかもしれない人がみえますか?


その人が好きになれないのはなぜだろう?


それを正直に考えて見ることです。





それは、あなたの中にある敵対する自分がそのように見せているのではないでしょうか?


自分自身と仲良くなれるほど、外側の問題は消えていきます。






そして世界とは自分が見ているそのものに過ぎないことに気が付くときが来るでしょう。


それならば、どんな世界を望みますか?





自分で好きになれる世界が欲しければ、何よりも自分を好きになれるようになることです。


そして、やがてそうなれるでしょう。


その時、世界はあなたのものになります。





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気に障る人について考えよう~自分の知らない自分を知る方法 ~気づかなかった自分を発見するキッカケ

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気に障る人について考えよう~気づかなかった自分を発見するキッカケ
自分の知らない自分を知る方法


気に障る人について考えよう?気づかなかった自分を発見するキッカケ - Yahoo!知恵袋


「こんな人がいるんですが、みなさんどう思うでしょう?」
という質問を投げて、他の人に聞いてみたくなる時がありますね。
様々理由はあるでしょうが、多くの場合、そんな時は自分自身について、今まで気づかなかった部分を発見するいい機会にもなります。

他の誰かの中身見え隠れする「自分が嫌な部分」を調べてみましょう。

調べるといっても、「この人問題でしょう? 変だと思いませんか?」と誰かのことを確かめるということではありません。
外側に見える他人のことを変わるべきだと思っていては、自分の側にその原因があることには気づけません。

そうではなく、それが気に入らないと判定しているのは、とりあえず自分だけであること、まわりの人もそうだと思いたがっているだけで、そうではないかもしれないということを公平に判断しましょう。

その判定の元になっているのは、自分自身の基準でしかないことを認めるということです。

それは多くの場合、自分自身に対してそうであってはならないと言い聞かせている内容です。
そんなことをもし自分がやってしまったら、自己嫌悪に陥ってしまうような、自分が嫌っている行動や資質なのです。

それはあなたに、怒りだったり、羞恥心だったり、自分の悲しい感情をよびおこすものだったりするのでしょう。
特定の嫌な思い出と結びついているのかもしれません。

その原因が元になって、他の人を見るときにそれが投影されて相手の中に現れるのです。
自分ならそんなことは許さない。
その思いが相手の行為に対して、あなたをイライラさせたり、落ち着かなくさせるのです

何が原因でそう思うようになったかは、わからなくてもかまいません。

肝心なのは、いまの自分にそのように反応する自分がいること。

そして、それは目の前にいる相手が、あなたにその反応をさせているのではなく、
自分の中にいるそう感じてしまう自分がいるのだということに気づきましょう。

☆~以下省略⌒☆
気に障る人について考えよう?気づかなかった自分を発見するキッカケ - Yahoo!知恵袋


☆~関連して以前の記事から⌒☆

自分の知らない自分を知る方法


他の人に見る自分が気にさわる部分をチェックする


「あの人のあのやり方が気に入らない」と感じるときに考えて見る。

それが気に入らないと判定しているのは、他ならぬ自分の基準でしかないことを認める。

つまり、もし自分がその人と同じことをしたら、
自分は自分を責めて、そんなことはやめろといいたがるということ。

それはあなたに、怒りだったり、羞恥心だったり、自分の悲しい感情をよびおこすものだったりするのでしょう。

自分ならそんなことは許さない。
その思いが相手の行為に対して、あなたをイライラさせたり、落ち着かなくさせるのです

何が原因でそう思うようになったかは、わからなくてもかまいません。

肝心なのは、いまの自分にそのように反応する自分がいること。

そして、それは目の前にいる相手が、あなたにその反応をさせているのではなく、
自分の中にいるそう感じている自分がいるのだということです。


他の人の言葉に反応して、自分を守ろうとしてることに気づく


いつもと違う自分の反応には、自分自身では気がつきにくいものです。

むしろ他の人が見ていた方が、その変化に気づきやすいでしょう。

ですが、あえてそれを指摘してくれることを期待するより、
自分で気がつけば他の人に不必要に依存しなくてもすみます。

たとえば、ある言葉を聞いた途端に、話し方のペースが変わってくる。
あせったように早口になる。

いつもなら口をはさまないところで、ひとこと言いたくなってしまう。

自分の気になっていること以外で口をはさまれるとイライラする。

この話には参加出来ないと感じて、無力感を感じてしまう。


自分で気がつかないでいた自分を発見することは、次のようなメリットがあるはずです。

わけもわからず不安になったり、イライラする自分から解放される。

一見マイナスに見える面を発見したとしても、
その裏返しで考えれば思わぬ自分の才能を発見するかもしれない。

マイナスだと思い込んで、押さえ込んでいたかもしれない自分の特性は。
別の面から見ればプラスの働きをするものです。

それらは、いままで自分でどうにも出来ない部分だと感じていたはずですから、
自分を取り戻すことで自分を好きになり、自信が出てきます。

抑え込んでいた感情を解放することは、一時的に戸惑いや居心地の悪さを感じさせるかも知れませんが、
それはやがて自分の本来の感情であったことを発見するでしょう。

制限から解放されて、行動することが軽く感じられるようになる。





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自力も他力も超えて、起こることに巻き込まれて行く自分を見てみよう。


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自力も他力も超えて、起こることに巻き込まれて行く自分を見てみよう。

起こることに逆らおうとしている自分も、それもまた起きていることなのだ。

これぞ自分の意志だと思っている時も、これもまた起きることに従っている自分がいることに
気がつく。そうすれば、自力も他力も超えた一時的な波が自分だと気がつくようになるだろう。

自我が力を抜いて、起こっていくことに従っている自分を認識する。

それは、自力でも、他力でもない、ただ生きていく自分を眺めている自我を超えた一時的な波の姿だとわかってくる。

おもいっきり自力で生きているつもりでも、波は他の影響と合わさってその姿を形作っているのだ。力まなくても、起こることがただ起こっていく。そう信じられるだけの謙虚さを持ってみよう。

おもいっきり関わっているつもりでいて、しかも起きることに身をゆだねてみよう。

以下は過去の文章からだ。

--------------------------------------


「幸せとは仏陀が与えてくれる既製品ではない。

それは自分自身の行為から生まれるものである」

---- ダライ・ラマ ----

仏教といえども、自分から動こうとしないで助けを待ちわびている人にたいしては、何もしてくれないでしょう。



「他力本願」という言葉がありますが、これを救いだと感じられるのは、

みずから精一杯やってきて、自分ではもう何も出来ないと感じるところまできた人なのです。



絶対他力を信じるしかないという心境に至るのは、それなりの苦しさを自分が背負ってきたからであって、

なにも背負わず、何も提供しようとしない人間はそんな心境にはならない。



何かの結果を待つ人は、待つだけの準備を積み重ねた人のはずですが、

そういった人は今のことに忙しくて、

ただぼんやりと結果を待ち望むということはかえってしないものです。



ところが、一方で待っていれば何もしなくても結果がやってくると期待する人もいます。



そういった人はいつも「サンタクロースを待ちわびて」いるのです。





他の人抜きには人は幸せになれない。
誰かが自分を幸せにしてくれるはず。
いま自分が幸せでないのは、救いの手がまだ来ないから。
それを待たずに自分は動くべきではない。



こんな考えを持っていれば、まもなく自分にいらだちを感じ始めることになります。



「なぜ、誰もかれも私を無視してしまうの?」



その人が救われるには、難しいことはいりません。



誰かが救ってくれるのを待たずに、自分のことは自分でやろうと思うだけでいいわけです。





自分で考えて、自分で動いて、「サンタ」の幻想を捨てること。



それでうまくいかなくて、自分ではもうこれ以上何も出来ないと思ったら、

そのときこそ自分の制御「自力」を手放せばいいのです。






「もはやこれまで、これ以上はなるにまかせるしかない」



と感じられるまで自分で動けばいいのです。



そこには、他人の許可も、他人の助けも、振り返る必要はありません。



他人に頼ろうとする人ほど、他人の許可が気になります。



それは当然ですね。



他人の機嫌を損ねて助けてもらえないと困るからです。



ですが、その依存がどれだけ自分を惨めにしてしまうか、

自尊心や自立心を踏みにじってしまうかを考えるべきなのです。



目の前に「甘い助けの手」を見せられても、自分の手段を持っているなら、その必要はないと断りましょう。



断ることで、自分の力でやる決意も強まるし、それはイコール自己への信頼感を高めることにもなるのです。



出来ることは、自己完結できるやり方を採用する。



それによって、不要な助けを借りることで、自分のやり方を引っ掻き回されることもなくなります。



自分の路線上にいて必要なことならば、どんどん他人にも助けを求めればいいのですが、別の路線に来るなら助けてあげると言われても、自分の路線は守らなければならない。



そこを見間違えてはいけない。



せっかく奴隷状態を脱したのだから、つまらないことでそれを売り渡してはいけません。



いろいろな宗教が、他を頼まずにただ一つのことを信じろと訴えるのは、他のつまらない助けに魂を売り渡してはいけないからなのでしょう。



「自分が何をしているか」これ以外に自分でできることはないのです。





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新しいことに挑戦しようと思ったら

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新しいことを初めて見たくなった時、それを単に新しい思いつきを見つけたと考えないことです。
そこには、今までの自分のやり方を間違っていたと感じている自分がいます。

おそらくそれは、今までから感じていながら、今のやり方を続けるために言い訳していたことかもしれません。

変わろうと思うのは、新しい自分を見つけたからではなく、むしろ、今までのやり方にようやくうんざりしたからという方が近いのかもしれません。

ですから新しいと入っても、自分の中では、それまでからその衝動を感じていたのです。

それが前面に出てきたということは、新しいことというよりも、今まで押さえつけてきた自分の解放の意味が大きいのかもしれません。

突然新しい自分になりたくなったというよりも、いままでからその衝動を感じてきたのです。

なぜそれを押さえつけてきたのか、それを考えてみることです。

たいていは、できない理由があったというよりも、現状でその衝動をごまかしてきたと言う方があたっているのかもしれません。

それが妥当な衝動であるなら、いづれ遠からず、あなたはそれをやらずには満足できなくなるでしょう。

新しい自分にかわることは、人によってその抵抗の大きさの感じ方は様々です。

すぐにすっぱり切り替えようと動き出す人もいれば、いつまでもできない理由を探し続ける人もいるでしょう。

しかし、その衝動を感じ始めたなら、「賽は投げられた」のです。

いずれ、無視できないことになっていくでしょう。

先延ばししても、機会を失うだけです。あなたはもう動き出したのです。


「参考」
新しいことに挑戦するときの試練
https://www.facebook.com/note.php?note_id=116657768414176

新しいことに挑戦するときには、「それを断念したくなるような誘惑にであうもの」という声をよく聞きます。

そのことは、課題に挑戦しようという人にとっては、試練と言えるものになります。

なぜそんなことを言うのか、明確な理由はわかりませんが、経験上そういったことが起こるものだという人は少なくないようです。

そこで起こることは、おそらく、こういったことではないでしょうか?

まずあなたは自信を持つまでいかないけれど、何かに挑戦してみたいという気になります。

いままでもやりたいという気があったのかもしれませんが、そんなことは無理だろうという自分に打ち消されて、その欲求は抑えられてきたのかもしれません。

しかし、いまは、恐れよりもやってみたいという気持ちのほうが優位になってきて、挑戦してみるという可能性を考え始めたわけです。

・・・・・・・・・・


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目的を忘れたらどうなるのか

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目的を忘れたらどうなるのか

私たちは、目的を持ちそれを達成することが至上命令のように信じています。

目的を達成することが、使命であり、目的に近づけば自分はよくやったと感じ、その逆をやると自分を責めたくなります。

しかし、このルールを一度きっぱりと忘れて見るなら、使命感を持とうと持つまいと、ものごとはなされていくことに気がつくでしょう。

自然に起こることの中に、使命感を持って何かに向けて努力するという使命や義務感も含まれているわけです。

目的を持っていないと、自分が怠惰に走ると考えて、それを戒めようとします。
しかし、その考えもまた、教えこまれた脚本の一部にすぎない。

あなたは、何もしなくていいと言われても、使命感なしでも何かをやりたくなるでしょう。

怠惰は、義務感の裏返しから起こります。もちろん、その脚本に沿うように、社会もそれを奨励し、あなたもそれに組み込まれてしまうので、それ以外のことは考えもしません。

あなたがほんとうに自由なら、怠け者にはならないでしょう。
義務感の反動で、怠けたくなるだけです。

以下は、以前に書いた『目的にいたる手段などない』です。

-------------------------------

目的にいたる手段などない
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-762.html


かならず目的に到達出来る手段などない。

ただ目の前の手段があるだけ。



完全な計画を立てようとしても、現実はそんなに予測通りには運ばないし、

そもそも自分の方もそのつど変化し続けるものです。



後から振り返れば、予定通りにものごとが運んだように見えることもありますが、

実際はそのつど、どう転ぶかわからない真剣勝負をやっているもののはずです。



すべて計画通りに運んだと自慢しているのは、もともと冒険する要素がないことをやったから。


しかし、わかりきったことを計画通りにやっているだけでは、

生きている感覚がだんだん薄れていかないでしょうか?



冒険すると言うよりも、もともと

「どうなるかわからないことに取り組むのが自然なんだ」

と思えば発想も全く変わってくるもの。


冒険というのは、うまくいくこともあれば、

同じくらい今までの自分を恥じる様な要素がでてくるものです。



それを見るのがイヤで、今までの自分になにも間違いはないと主張し続ける姿勢からは、

冒険は生まれず、あいも変わらない退屈な毎日が待っているだけです。



未来に対して保証を求めて、それがかなう方法があると信じるのは幻想にしか過ぎない。


それは、どこかスーツを着てどぶさらいをするようなチグハグさを感じるのです。



目的にたどり着く手段を探すという行為は、あらかじめ準備して出来ることではないでしょう。


それは動いて行く中で現れてくるもので、

それを見つけるには、まずは目の前の手段に真剣に取り組むこと。



自分を振り返ってみても、やさしくほほえんでくれる自分もいれば、厳しく批判する自分もいます。


どれか一つが本物の自分だと信じるのは、あらかじめ自分の存在の目的を決めてしまおうとようなもので、

採用されなかった自分は反抗しはじめて、自分がわからなくなったと嘆くことになる。



自分がどう動くかは、

そのつど問いかけられ、

そのつど答えなければならないもの。



あらかじめ自分を決めてしまうのは、

楽なようでいて、あとあと葛藤に悩まされることになるでしょう。



自分を規定している役割を落とすほど、自由に動けるようになり、

目的は「動くことそのもの」にあると感じられるような気がするのです。



[関連記事]
出会った時間に練習はない
http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-695.html

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本当の私という存在は、すでにすべてをその中で許していて、すべてを承諾している

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ここにあるこの空間の中ですべてが深く受容されているということが偉大なる発見なのだ。たとえ起こっていることを受容できないと今は感じていても、今起こっている体験はいつでも本当の私という存在によって深く受容されている。本当の私という存在は、すでにすべてをその中で許していて、すべてを承諾している。生命の水門は永久に開かれている。だから、今現在の体験に意識を戻してみたとき、たとえたった今それを耐えられないように感じるとしても、この瞬間が耐えられないということは決してない。それは、まさに海にとって耐えられない波などないのと同じだ。本当の私という存在は、すべてのものを包み込み、許し、認める。痛みや病気のさなかでさえ、そこには人知を超えた平和が存在する。
~ジェフ・フォスター「THE DEEPEST ACCEPTANCE」



私たちが、「耐えられない」とか「受け入れられない」と言いたくなる状況でも、それをすでに受け入れている私が存在する。

あなたは、誰かに頭に来て一言文句を言ってやらないとすまないと思ったとしても、後でその相手に会う機会が来た時、その怒りは薄れどうでもいいことのようになっていたことはないだろうか?このことは、単に相手との関係をこじれさせないための、あなたの躊躇から生じただけではないはずだ。それよりも、起きたことをそのまま受け入れるあなたが、そこにはすでに存在しているのだ。

表向きは、あるいは自分の思いは決して許していないという思いを持っていたとしても、起きたことをそのまま受け入れている自分もすでに存在している。

抵抗しないで受け入れている自分が、そこにすでに存在することを認めるなら、あなたは作り上げられた(社会はそれを自然とみなしているだろうけれど)いかりや不快な感情に、必ずしも付き合う必要はないということだ。

自然にそれができたと感じたたことはないだろうか?そしてそれを感じながらも、あなたはここは怒りを感じるべき場面だと言い聞かせようとするかもしれない。

その余計な、作り出された感情を気にせず、すでに受け入れている自分を認め、それがあなたに不利益などもたらさないことを確かめてみよう。

あなたに何が起ころうと、感情を持たないようにと言っているのではない。その存在を認め、しかもすでに現実を受け入れている自分も存在することも認めるのだ。

あなたが感情を振り回さないと、損をするかもしれないと思っているのを、本当にそうなのか確かめてみよう。相手を責めたり、自分を責めたりすることに、本当にメリットが有るかどうか確かめてみよう。

怒りを抑えろと言っているのではない。すでに受け入れている自分の存在も、平等に受け入れてみようということだ。そして前者は必要ないのかもしれないことを考えてみよう。

受け入れている自分が存在するのに、これは感情的に行動しなければならないと言い張っている自分に振り回されないでいる。それは、無理な我慢ではなかったことに気がつくかもしれない。

一時的に感情的になったとしても、その自分をいつまでも弁護するような必要はないのだ。すでに受け入れている自分を全面に押し出してみよう。妥協ではなく、不要ないざこざをなくすことが出来る。

感情的になって自分を孤立させる必要などなかったのだ、それは単なる一時的な荒波に過ぎなかったのだ。


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現在の私 未来の誰

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現在の私 未来の誰

五十八 人情世態

人の心も世の中の価値観も
すぐ移り変わるモノやねん

悩むなよ。ずぅっと続かへんし
それが「ホンマ」やて言い切れへん
せやから悩むなって言うねん

ある人が言いはったんや
「昔は私で。今は彼。
 今日の私。未来の誰や?」って。


どう転んで行くかわからへんねんから

なぁ、心が軽ぅなれへん?

読み下し文


人情(にんじょう)世態(せたい)は、
■惚(しゅうこつ)万端(ばんたん)、
宜しく認め得て太(はなは)だ真なるべからず。
堯夫(ぎょうふ)云(い)う、
「昔日(せきじつ)我と云いし所は、
而今(いま)却(かえ)って是(こ)れ伊(かれ)。
知らず今日(こんにち)の我は、
また後来(こうらい)の誰にか属さん」と。
人は常に是の観(かん)を作(な)さば、
便(すなわ)ち胸中(きょうちゅう)の
▲(けん)を解却(げきゃく)すべし。

■「倏」の「犬」が「火」
▲「買」の「貝」が「「口」の下に「月」」

えごいすとな思想
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菜根譚




「昔は私で。今は彼。 今日の私。未来の誰や?」

今日確信を持って信じ込んでいる自分も、時が経てば、そんなことを信じていrた自分がいたんだなあ!と思う時が来るものです。

こんな人間には絶対にならないぞ!と思っていたことも、後になって同じことを力説する若者を見て、なだめたくなるかもしれない。

今の自分を信じきるでもなく、しかし、それも今の自分の表れであると認めて、否定もしない。
「今日の私。未来の誰や?」そういう選択肢を持って生きてみよう。

信念は人を強力にしてくれるように思えるが、それは今の自分を裏付けてくれる思考にすぎない。今の自分が正しいと自分を励まして入るが、それ以外の自分を否定する必要も出てくるだろう。


私とあなたと彼と彼女と、どれにもこだわらずに生きてみる。
信じることを常に保留しても、生きてはいける。
いやむしろ、究極に自由に生きるには、それしかないかもしれない。

今のあなたが、幼いころのあなたと全く同じではないし、たくさんの否定を積み重ねながら、あなたを作り上げてきた。これからもそうだろう。

そうであるなら、何も今の自分だけを特別扱いすることもない。
「今日の私。未来の誰や?」で生きてみよう。


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時間と空間

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時間と空間

後十九 延促由於一念

イヤなときは時間は長い
楽しいときは時間は短い

のんびり屋さんの時間は長い
イライラくんの時間は短い

自然は
同じ時間をくれているのにな

不思議やな

心しだい
気持ちしだい

時間は心しだい



自分が存在する場所

ゆったり屋さんは広く感じる
セコセコくんは狭く感じる

自然は
同じ空間をくれているのに

不思議やな

心しだい
気持ちしだい

空間は心しだい


読み下し文

延促(えんそく)は一念に由(よ)、
寛窄(かんさく)は之れを寸心(すんしん)に係(か)く。
故に機閒(きかん)なる者は、一日も千古(せんこ)より遙に、
意(い)広き者は、斗部(としつ)も寛くして両間(りょうかん)の若(ごと)し。

えごいすとな思想
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菜根譚



時間の感覚というものは、学校や会社、あるいは今の生活環境自体から逃れないかぎり、自然とセコセコしたものになる。

最初は、無駄に時間を過ごすことに罪悪感を感じさせられることになる。

効率的に時間を使おうと思ってきた人ほど、これから逃れるのには時間がかかるだろう。

今自分が「何を」しているのか、無駄に、あるいは集中力を欠いた時間を過ごすことに、無駄に時間を「使った」と感じ、後悔するのだ。


それらの罪悪感が薄れてきても、社会への罪悪感は薄れても、自分自身はなかなか吹っ切れない。無駄に時間を過ごしているという罪悪感のようなものが、いつまでもまとわりつく。

実は、最初から社会が要求しているのではなく、自分自身の罪悪感が、「なにもしないでいる」ことを許さないのだ。

そのような、知識や判断に頼らずに生きてみる。
それらを超えたあなたの直感で生きてみよう。

今は間違って、安定から外れていくように思えても、それが導くものは、あなたを本当の方向に導いてくれるだろう。

今の自分にとっては馬鹿げた判断でも、やがて自然の道だったとわかるだろう。
今まで思い描いてきたものとは違うかもしれないが、やがてそれが自然だったと思えてくる。

計算しなくても、あなたは間違えない。そう思い込んでいるだけだとわかってくる。

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押し付けるな

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押し付けるな

十九 競逐聴人、而不嫌尽酔。

競争は
人サマに任せとこうや
シンプルに生きようや

でもな

自分の生き方を
自分の価値観を
他人に押し付けるなよ
他人をバカにするなよ

そんなことしたトタン
カラダもココロも
自由じゃなくなるんや

読み下し文

競逐(きょうちく)は人に聴(ま)かせて、而(しか)も酔うを嫌わず。
恬淡(てんたん)は己に適して、而も独り醒むるを誇らず。
此れ釈氏(しゃくし)の所謂(いわゆる)、
法の為に纏(てん)せられず、空の為に纏せられず、
身心両(ふた)つの自在なる者なり。

えごいすとな思想
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押し付けないというのは、時に非常に難しくなります。

押し付けないと(押し付けているという自覚はないことがほとんどですが)、自分が保てないと思っているからです。これが自我の働きです。

しかし、そういった自我の無意識の主張が薄らぐほど、自由と平和があなたの心にやってきます。

何故か穏やかになっている自分に気が付きます。
そして、同時に、自我は「何かをなくそうとしているぞ!」と訴えてくるでしょう。

実にシンプルですが、このことの効能は計り知れません。

心に穏やかな人は、何も押し付けません。提案もしないでしょう。

何かを押し付けようとしてきた時、その人の変化に注目してみましょう。

大きな変化と、押し付けがましさを感じ取ってみましょう。
それが、あなた自身の鏡となります。

言葉にだまされないで、変化を感じ取りましょう。

自分が押し付けを捨てた時の、開放感を味わいましょう。
その時の不安は、自我の抵抗ですから、気にしないで。



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どんな状態が好き?でも嫌いな状態でもまた同じことだと気づけば・・・

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晴も雨も

一二四 霽日青天

無雲快晴な空も
いきなり
かき雲って
イナズマがはしり
カミナリが鳴るよ

強風豪雨な空も
いきなり
晴れ渡って
美しい月が照らし
満天な星空が広がるよ

宇宙は
いつも変化してるねん
その状態に
全然こだわってへん
ちょっとだけ
そこに留まってるだけやねん

大空は
いつも変化してるねん
その状態は
ずぅっとは続かへん
ちょっとだけ
その状態になってるだけやねん


喜んでも
怒っても
哀しんでも
楽しんでも

こだわらず
振り回されず
溺れず
見失わず

すぎてしまったら
ニュートラルの自分にもどる

それがベスト
そうありたい


えごいすとな思想
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菜根譚


「喜んでも、怒っても、哀しんでも、楽しんでも」

それが今の状態、「ちょっとだけ その状態になってるだけやねん」

そして、悲しみや怒りは、喜びや楽しみに、
┌────────┐
│劣るわけではない│
└────────┘


『こだわらず 振り回されず 溺れず 見失わず すぎてしまったらニュートラルの自分にもどる』

「はれの日」と「けの日」の区別がほしいかもしれない。

しかし、それに振り回されないこと。

すぎてしまえば、どちらもおなじになる。

見かけの状態は違っても、どちらも大事なあなたの状態なのだ。

見かけと違って、いつでも、どんなときも、あなたは同じなのだ。

それがわかれば、それに気づけば、あなたの中にいつでも変わらない自分が見つかる。

それこそがあなただ。

「もう最悪!」と叫びたい時もあるだろう。
しかしその時でも、あなたはいる、なんの影響も受けていないあなたが、
頑として存在するのだ。

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対抗手段

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対抗手段

九十 天薄我以福

天が、ワタシに不幸をくれるなら
   ワタシは、笑顔で生きたる!

天が、ワタシに病気をくれるなら
   ワタシは、心で自由に遊んだる!

天が、ワタシに絶望をくれるなら
   ワタシは、道を切り開いたる!

天の神さん!
  これでどや???
    他に何がしたいねん!

こんな風に強くありたいものだ

ワタシの独断と偏見の大幅意訳です・・・

2002.01.31作成


読み下し文

天、我に薄くするに福を以てせば、
吾、吾が徳を厚くして以て之を■(むか)えん。
天、我を労するに形を以てせば、
吾、吾が心を逸にして以て之を補わん。
天、我に阨(やく)するに遇(ぐう)を以てせば、
吾、吾が道を亨(とお)らしめて以て之を通ぜん。
天且(か)つ我を奈何(いかん)せんや。

引用
えごいすとな思想
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これは菜根譚の訳です。


天に対抗するわけではない。
できることをするのです。

しかし、私たちは出来ることをしようとせず、
「あるべき」と思うことをしてしまう。

今の自分が描けるストーリーを生きようとします。

自分の意志に従うことが、さぞ意義のあることだと信じて疑わない。

力を抜いて、自然にできることをしましょう。
それではダメなどと、だれがいっているのでしょう???

その「だれ」を見極めましょう。

そんなだれも自分以外には存在しません。


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