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「やり手」になるのを少しやめてみましょうか

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人生は怖くありませんし、自由です。 しかしあなたにが出来事に影響を与えようと考えたりする限り、解放はあなたに訪れません: 行為者であろうとか、自分が起こすのだという、まさにその概念が、束縛になるのです。
~ニサルガダッタ・マハラジ
Life is unafraid and free. As long as you have the idea of influencing events, liberation is not for you: The very notion of doership, of being a cause, is bondage.
- Nisargadatta Maharaj


自分が行為者になるのをやめてみましょう。
自分が計画し、世界に働きかけて、それを変えているのだと思うのをやめてみるのです。
私が気を抜くと、うまく行かなくなってしまうと思わないでいましょう。

気負って自分こそが「やり手」だと思わなくても、ものごとは起こっていきます。
あなたの気合が起きることに影響するなどというのは、気休めに過ぎません。
エネルギーの無駄遣いです。

あなたが何かをしようと思ったのは、あなたがそう思うように仕向けたからですか?
本当にそうでしょうか?いつもいつも、あなたはあらゆることの命令を下しているつもりでしょうか?

起きることを起こらせましょう。
あなたはやり手にならなくてもいいのです。
うまくいくかどうか心配する必要もありません。
心配しなくても出来ることなら出来ます、出来ないことは出来ません。

あなたの思考が止まるわけではありません。あなたは思うとおりにそれをやり遂げていきます。ただ違うのは、あなたが行為者であることをやめるだけです。
あなたの手柄にしようとするのを放棄するのです。

やがてあなたは、感じるようになってきます。
今日も一日、何をやったつもりもなかったけれど、こんなにいろんなことが出来上がっていたと。
束縛も、恐れも消え、自由が当たり前になるのです。

生きているうちに、生きている感触を味わいたいなら、あとから何を成し遂げた人になるかに気を取られないで、この瞬間の生そのものと一体になりましょう。

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あなたの本当の望みとは何でしょう?

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あなたの本当の望みとは何でしょう?

それは、「あなたがそのままでいてもいいこと」を感じられるということです。
今のままの、ありのままの、そのままの自分でいても、それを自分で受け入れられること、あるいは、他の人がそれを受け入れてくれることです。

しかし、実際には、私たちは普段からその望みを何度か思い出しながらも、それの価値を重視していません。それよりも、もっと先にやるべきことがあると信じ込んでいるからです。

先にやるべきこととは、「これがほしい。もっとお金持ちに成りたい。これが手に入ればその時には、・・・。」あるいは「もっとこんな自分に変わりたい。もっと人から尊敬されたり、求められる人になりたい。」というものです。

そしてこれらの願いは、決まって未来に投影されます。つまり「いつか~が実現すれば、その時こそ私は、~できる」と表現されます。

しかしこれらの追求は、いずれにせよ自分を満足させてはくれずに終わります。
理由は明白です。それを望んでいたわけではないからです。
たとえ手に入れられても、一瞬の達成感のあと、すぐに当たり前に戻ってしまいます。
達成感を感じられるならいいほうですが、悪くすると手に入るのが最低限の事になってしまうと喜びもなく、失敗すればこんなことも出来なかった自分をせめて痛めつけることになるでしょう。

ですがなぜこんなことが起きてしまうのでしょう?
自分が本当に望んでいるものが、どうして素直にわからないのでしょう。

一つには、目の前には、これが手に入れば素晴らしいと誘惑するものに溢れている世界があり、そして、まわりの人たちもみんなが口をそろえてそう言っているからです。
私だけの密かな願いは、それらの前にみすぼらしく見え、どうせそれを望んでも大したことはないと思ってしまいます。

もう一つは、それがあまりにも当たり前すぎて、いつでもその気になれば手に入ると思っていますが、実際にそれを確かめることをしません。
そうしているうちに、私だけの願いなど色あせてきて、まわりの人が望むことが自分の望みに思えてくるのです。

やがて自尊心よりも、社会に受け入れられる方が大事なことに変わっていきます。
「自分だけが望むことを追求するなんて、あまり関心したことじゃないね」などと言い出す始末です。

「自分が自分自身そのままでいられる」ことを何より大切だと思える人は、一見して他の人と変わらないように思えますが、何がとはいえないけれど、その自信を感じ取るでしょう。もちろん、その人は自己中心的に見えたりはしません。

望んでいることは、その人自身のことであり、また他の人に媚びたり合わせようなどとしないわけですが、それでも自分勝手には見えず、何事も確信を持ってやっているように感じられます。

それは、まさにその人が望むものを手に入れているからです。
見当違いのものを、人に合わせて望んだりしないからです。

「自分が自分自身そのままでいられる」ということは、実にシンプルなことで、やろうと思えば誰にでもできるように見えます。
しかし、いざやろうとしても、成長する中で身につけてきた様々な不純物(自分以外の望みなど)が、それを難しくしてしまっていることに気がつくでしょう。

「単純に自分の望むことを口に出す」ということが難しいと感じる人はたくさんいます。
いつのまにか、「私の望み」は大きくディスカウントされて、口にするのも憚れるものに成り下がってしまうのです。

「他の人が受け入れてくれるなら、自分のありのままを見せるのだけど」と言い訳する人は多いことでしょう。
しかし、それは順序が逆です。

「私が私自身を受け入れる」ことができてこそ、「他の人があなたのそれを認めたくなる」のです。
自分自身が受け入れていないことを、他の人に見出してもらおうというのは、望み薄です。

まずは、あなた自身が、自分のありのままを受け入れるよう、絶えず気をつけている練習が必要です。
それと同時に観察しておくべきなのは、自分自身の嫌な感じを見逃さないことです。
表面上は自分が望んでやっていることも、もしやるたびに後ろに隠れて嫌な気分が現れてくるようなら、それはあなたの本来の望みではないのです。

それが習慣になるまでは、十分に気をつけていないと、たやすく「私の望み<他のみんなの望み」という不等式が成り立ち、見当違いのものを、これこそが自分の望みだと信じて追いかけ回すことになってしまうからです。

「あなたがそのままでいてもいいこと」を感じられることが、どれだけ重要な事か、それを大切にすればどんなに自分が充実し、自信も持てるか、是非試してみましょう。
他の人の追っかけは、直ちにやめましょう。良かった試しはないのはお分かりのはずですから。



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そこに静かにしようとする誰もいないとき、完全な沈黙があります~非二元の解釈の試み

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時々、私はみなさんに言っています。
『静けさのままいなさい』と、しかし、エゴイックなアイデンティティが落ちたなら、あなたは『静けさのままいなさい』というこのアドバイスさえ、意味がなくなることに気づくでしょう。
静かにしているべき誰も、いません。
そこに誰かが静かにしていようとしているときには、雑音があります。
そこに静かにしようとしている誰もいないとき、完全な沈黙があります。
~ムージ(oceanandwaveを通して)

Sometimes I say to people, 'Keep quiet,' but once the egoic identity drops away, you will come to see that even this advice to 'keep quiet' becomes meaningless.
There is nobody left to keep quiet.
When there is somebody there to keep quiet, there is noise.
When there is nobody left to keep quiet, there is unbroken Silence.
- Mooji (via oceanandwave)



そこに誰かが静かにしていようとしているときには、雑音があります。
そこに静かにしようとしている誰もいないとき、完全な沈黙があります。

この2つの違いは、そこに行為者がいるかどうかですが、誰もいないとはどういうことなのか、普通に考えても想像できませんね。
それは少なくとも、私はいつもここにいて、私が関知していることは「私がそれを行ったり、考えたりしている」ことが当たり前になっているからです。

「我を忘れて」という言葉がありますが、しかし私たちが「私」がいない時間を過ごすことは非常に少ないと思います。それは絶えず「思考」が入り込んできて、私の不在を避けようとするからです。

言い換えれば、「私がいなくなる」ことを私たちは恐れています。
いつも「私」の監督下にいないと、不安で落ち着かないのです。
非二元の教えで言われるような「私はいない」とか「誰もいない」とか言われても、なんの冗談かと思われるでしょう。

しかし、この世界で他とは分離した「私」というものが本当に存在するのでしょうか?
あるいは、私たちの苦しさとは、「私」を存在させるために、生み出されているといったことについて考えてみましょう。
「私が消えてしまうというなら、本末転倒、そんなのゴメンだ」と思う人のために、なぜ非二元の教えはそのような奇妙なことを言い出すのか、すこし考えを遊ばせてみましょう。

さてようやくここから、本題に入ります。

まず、私たちの思っている世界を考えてみましょう。
まわりに見える世界があって、その中で暮らす複数の人間がいて、その中のひとりとして私がいます。そしてそれぞれの人間は、外の世界とも他の人間とも切り離された、分離した存在であると思っています。
私とは、この身体を持ち、その中のどこか(脳など)が考えることで、身体を動かしたり、いろんなことを考えたりします。
私の考えとは、私がいてそれを考えたのであり、また何を考え、何を行うかは、全て私が決定する意思を持った存在です。

しかし、私が独立した存在、他とは分離した存在であることは、どうやって確信しているのでしょう。

一言で言えば、そう見えているからではないですか?

そして、そう見えるようになったのは、物心ついてからそのように教えられ、身体でそのことを叩き込んできたから、今の世界がそれが当たり前のように見えるわけです。

ではこういった考えはどうでしょう?

まず起きることが起きる、そしてあなたは説明せずにいられないかもしれないが タオに生きる

あなたが考えたことや、あなたの決意や、あなたの意思も、現実の方はそのとおりには運ばせてくれないでしょう。
そしてあなたは、演じる前と現実に起きたことをすりあわせて、なんとかストーリーを仕上げます。現実と自分の思惑とのギャップを最小限にとどめるような、自分を納得させられるような説明をつくり上げるのです。

8割がた思った通りにことが運べば、あなたは「ほら、いつもこうして結局は思った通りになるんだ。私の意思、私の計画が世界を変えていくのだ」と宣言するのですが、実際は現実がまずあり、あなたがそれを都合よく説明しているだけなのではないですか?

いっそのこと、計画や、思惑や、意思など忘れて、まず起きることが起きるのに任せてみましょう。
あなたが何もしなくても、起きることが絶え間なく起き続けています。

そのあと、あなたは今までどおり、それを「私」と関連づけて説明したくなります。
「私」がどのように関わって、現実を変えていったかの説明です。
それをどうしてもしたいのなら、そうしてもいいでしょう。


つまり実際には、私が世界に働きかけ、世界を変えているのではなく、ただ起きることが起こり、私はそれに反応し、従い、そのあと急いで、「私」が考えたとおりにものごとが起きたという説明をつけているだけです.

「私」とは、主人公でも、主体者でも、意思を持った存在でもなく、起きることに反応している思考の集まりに過ぎません。

実際には、分離した存在など誰もおらず、全ては一元であるのがこの世界であり、その中に、私たちの身体や、思考が登場しては、現れを見せているだけだとしたら?

さきほど、「一言で言えば、そう見えているからです」と言いましたが、見えているのは、そのように慣らされてきたからです。

起きることがただ起きているのなら、そして、その因果関係など私達にわかっていないのだとすれば、なぜ世界は、今のように整然として存在できているのか?
そのような疑問を持つかもしれません。

例えば、植物の成長を見ていると、種から芽が出て、茎が伸び成長し、養分を吸収したり、太陽の光を浴びて光合成を行って、そしてやがて花を咲かせ、実がなって・・・という経過をたどっていると見えるでしょう。

これらのことは、その順序どおりに起こらないとならない。一つでも順序が変わったら、成長することに失敗するだろう。しかし、実際には期待した通りの成長を成し遂げている。ただ起きることが、起きていて、その順序も私たちは知らないのなら、どうしてそんなことが可能なのか?それでは、世界はデタラメになってしまうはずではないか?
と言った具合です。

しかし、それはこの世界に教えこまれてきた記憶と思考をもつ存在の言い分です。

もし他の世界から来た存在が私たちの世界を見としたら、まるで意味不明の抽象画に見えるかもしれません。

つまり、こういうことです。
整然とした世界が存在するのだから、起きることも秩序だって起きているはずと考えることも出来ます。
一方で、起きることがただ起きていて、その状態をなんとか意味を持つように認識できるように、われわれの認知の仕方を作り上げてきた。その結果として我々の目には整然と見えているだけであると考えてもおかしくはないわけです。

なぜこういう話を展開しているかといえば、もし起きることが我々のあずかり知らないところで起きていて、我々が考えていると思っていることは、それをあとづけで説明しているだけだとすれば?
もしそれが本来のわれわれの世界であれば、今とは、まったく違った生き方をしてもいいことになると言いたいからです。

つまり慎重に考えて行動しないと痛い目にあうというのが、単なる思い込み、思考習慣に過ぎず、考えてから行動するという順序は、見かけにすぎないとしたら?
まず起きることが起きて、それに対処するのが全てであって、それに説明をつけることは、本質的なことではないとしたら?

生きることは、思考がもたらす意思や努力が先行するのではなく、まず事が起こり、それに反応するだけで良いことになります。
そこでは、意思も努力も意味は無いことになります。
我々が世界に働きかけるのではなく、世界に反応する存在としての生き方です。

それでは我々は単なる操り人形で、随分受動的でしかない存在ではないかと思われるかもしれませんが、そう思うのは我々の意思が世界を動かしているという前提があるからそう思うわけです。

言ってみれば、我々は脚本を見せられずに、いきなり劇に参加して役者を演じろと言われているようなものです。全てはアドリブで演じなくてはなりません。しかし、それでいて、なぜか劇は意味のあるストーリーに仕上がっていきます。
慣れてくれば、それが当たり前の世界だと信じていくことになるでしょう。

今われわれが信じている世界も、自分の意思やストーリーで生きていると信じことをやめたとしたら、脚本のない劇に参加しているといっても、そう外れてはいません。実際、次に何が起きるかわからないのです。

もし我々に自由意思というものがあって、自分の思うとおりに行動していいよと言われているとして、実際にそのように行動しているでしょうか?

自分の行動を振り返ってみてください。
「なんのつながりもなく、自分が思いついたので、ある行動を起こそうと考えて行動した。」このようなことが、本当に起きていると確信できますか?
どれをとってみても、その前のつながりで行動している、というのが本当のところだとは言えないでしょうか?

それと結びついていますが、なぜ私たちは、自分の考えで起こした行動を、偶然によるものより意味があると考えたがるのでしょう?

それは、「私」というエゴを大事にするように思考を積み上げてきたからです。
エゴが何かを成し遂げることが、この思い込みを維持するために、どうしても必要なのです。

自分が意思を持ち、責任を取りさえすれば、自由に行動でき、競争には勝てばいいと考える今の世界は、本当にまともなのでしょうか?

自分になんの責任もなく起きたことに、責任を取れと強要され、自分もそう思って自分を痛めつける世界とは、正常だと思えるでしょうか?

起こることに任せると、世界はでたらめになるという根拠は何でしょう?
犯罪を犯す人間は、規則で縛らないからでしょうか?犯罪者の心理とは、その思考が異常に偏ってしまったからと考えるほうが自然です。思考だけが暴走したからです。

自然は、そんな異常な偏りは起こしません。人間の思考から見れば、理不尽なことも、全体から見れば必要があって起きているのです。

もう一度引用します。

肝心なことは、まず起きるままに起きることに溶け込みましょう。説明も「私」もどうでもいいのです。あらかじめ予定を立てたり、自分が現実を動かそうなどと何も考えずに、起きることに参加してみましょう。

それを繰り返すうちに、あなたはだんだんそのからくりに気がつくようになるでしょう。
あなたが考え、あなたの意思で現実を動かしていると説明付けて来たことが、現実だなんて、いかにペテンであったかを認めざるを得ません。

最初はショックかもしれません。そんな事実は見たくないでしょう。
あなたが動かしていると思っていた「あなたの世界」は、現実そのものではなかったのです。私のエゴは猛反発するでしょう。「そんなたわごとを信じるんじゃない!私がいなければ何も起こせないのだ。私を大切に扱いなさい!」
「考えずに動くなんて、そんな無謀なことをしてはいけない。」

まず起こることを起こらせましょう。あなたは何も気にせず、やりたくなったことに任せて動いていればいいのです。あるいは、何もしていることに気がつかないまま終わってから気がつくかもしれません。

結果は何も変わらないことを、正直に認められた時、あなたは無駄な神経をすり減らしてきたことが無駄だったことに驚き、しかし解放されたことに気がつくのです。


「私が消えてしまうなんて許せない。そんなことなら今のままでいい。」
そう思うのも問題はありません。これからもそう思っていて不都合はないでしょう。

しかし時には、『「私」も「あなた」も誰も実際にはいない。ただ一元(非二元)の世界があるだけだとしたら、私ならどう生きたいだろう?』
「起きることが、ただ起きては過ぎ去っていく」世界なら、あなたならどう生きるだろう?と考えてみるのも、悪くはありません。

どちらにせよ、「私」もいずれはいなくなります。
それまで、出来る限り「私」の演技を極めるのも一つの生き方です。
しかし「私」などいない、他に誰もいない世界を、起こるままに遊んでみることも一つです。本当に消え去るまで、毎瞬、毎瞬を生まれては消え去る波のように、思いっきり存在を示し切るのです。

「そこに静かにしようとする誰もいないとき、完全な沈黙があります」
完全な沈黙とは「私」の沈黙であり、同時にあらゆるものが活動する場でも在るのです。


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ジェフフォスター 今を受け入れるということ

ジェフフォスター 今を受け入れるということ


今を受け入れられないとき、つまり、現状に不満があり、その状態を無くしたい、否定したいと感じている時、一つの逃避手段は、「もっといい未来」がやがてやってくると信じることです。

何かを獲得できたら、何かになれたら、誰かが認めてくれたら、誰かが謝ってくれたら、誰かがいないところに引っ越したら、・・・

現在の不満を、その存在を認めたり、受け入れたりせずに解決したいなら(なにも解決ではありませんが)、その不満の反対の状態を未来に投影して、いつかそうなると信じるしかありません。

ですが、何度もこの話題は取り上げてきましたが、「今の自分に不満なまま」では、どこに行っても、何が変わっても、どんな未来がやってきても、あなたの不満は依然として、そこに残ったままです。

ですから、新しい環境や、新しいものや、新しい考え方を見つけたとしても、いくらも経たないうちに、あなたの不満は、前と変わらずにそこに残ったままであることが露呈します。

新しい人たちに囲まれて、こんどこそ今までと違う生活が待っていると思ったのに、相変わらず不満が現れてきます。困った人が、ここにもいることを見つけてしまうでしょう。

問題は今を受け入れないかぎり、繰り返されます。
問題点を受け入れられないで、それを押し込んだまま、別のもので置き換えようとしても失敗するだけです。

いいかげん「あきらめる」ことです。
「これはもう、無視できないことだ!」と。
「見ないふりは出来ないんだ!」と。

拒絶している自分が、いつまでもそこに残ったままであることを、もう二度と考えなくてすむほどに認識することです。

あなたが敵対している問題点を、「そちらが変わらないといけない」と考えるのをやめることです。いつまでそう考え続けても、それは変わりません。

このように考えるやり方もあります。
「この問題は、私が諦めて、降伏するまで私を苦しめるだろう。そのことをわからせるために、いつまでもそれを示し続けているんだ」と考えてみることです。
表現はともかく、事実はそのように起きてきたのですから。

どうやって手放すか?、どうやって諦めるか?、どうやって降伏するか?
どのように考えるかは、あなたのお好み次第です。

選んではいけないのは、「その問題の方が変わるべきだ」という信念だけです。

これは人間関係でも同様です。「あいつが変わらないと自分は幸せになれない」と思っている限り、あなたは自分自身を痛め続けることになります。相手は何も関係ありません。あなたが、あなたを傷つけているのです。

そして、受け入れた時、それを「あるがまま」に認められた時、何が起きるかを体験しましょう。
敵対するのをやめれば、問題は最初から何もなかったことに気がつくでしょう。あなたの創りだしたストーリー以外には。

そして、ホッとします。心がやすらぎます。もう思い出しては、苦しい思いをしなくてもいいことで解放感を感じるでしょう。

問題はあなたのストーリーにしか存在しなかったこと、それが現実を狭くし続けてきたこと、それが消えた今、広がった現実世界を観るのです。

現実は、もともと、あなたに優しかったことを思い出すでしょう。
それでこそ、ようやく現実をありのままに見ようという気になれるのです。



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まず起きることが起きる、そしてあなたは説明せずにいられないかもしれないが

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表向きには、私は多くの実の中のひとつのリンゴである。内面としては、私はりんごの木なのだ。~アラン・ワッツ
Outwardly, I am one apple among many. Inwardly, I am the Tree.
- Alan Watts (via liberatingreality)


社会に見せる私は、一つのリンゴの実です。リンゴの木全体を見せられるより、まわりの人は、あなたがリンゴの実であると紹介する方が受け入れやすいのです。

しかし内面的には、あなたはリンゴの木の全体です。
今は大地の上でリンゴの木を演じる役者として振舞っている。
さらにいえば、あなたは、実は大地そのものであり、宇宙全体でもあるのです。

あなたが今度何かの役割を果たさないといけなくなったら、いつもの様に個人的に、うまくその役割を果たせるかどうかを気に病むのではなく、いっそ役者に徹してみようと考えたらどうでしょう。

あなたはその役割を演じる役者です。自分ならこう演じてみせると思うやり方で、気楽にその役を演じてみましょう。

そのように考えて役割を果たしたとしても、結果的には同じことが起きることを実感するでしょう。
あなたが責任の重圧を感じながら、失敗しないか怖がりながら、その役割を果たそうと、あるいは、単に役者として演技しているつもりでいようと、起きることが起きるだけです。

どちらのつもりでいようと、相手は予想していたのとは違う反応を見せてくることも起こります。どんなに練習したつもりでも、思っていたことの半分も言えないで終わるかもしれません。
あるいは、初端からあいてはその話は、今はやめましょうと言ってきて、話すら出来ずに終わるかもしれません。

あなたが考えたことや、あなたの決意や、あなたの意思も、現実の方はそのとおりには運ばせてくれないでしょう。
そしてあなたは、演じる前と現実に起きたことをすりあわせて、なんとかストーリーを仕上げます。現実と自分の思惑とのギャップを最小限にとどめるような、自分を納得させられるような説明をつくり上げるのです。

8割がた思った通りにことが運べば、あなたは「ほら、いつもこうして結局は思った通りになるんだ。私の意思、私の計画が世界を変えていくのだ」と宣言するのですが、実際は現実がまずあり、あなたがそれを都合よく説明しているだけなのではないですか?

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そのあと、あなたは今までどおり、それを「私」と関連づけて説明したくなります。
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それをどうしてもしたいのなら、そうしてもいいでしょう。

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最初はショックかもしれません。そんな事実は見たくないでしょう。
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まず起こることを起こらせましょう。あなたは何も気にせず、やりたくなったことに任せて動いていればいいのです。あるいは、何もしていることに気がつかないまま終わってから気がつくかもしれません。

結果は何も変わらないことを、正直に認められた時、あなたは無駄な神経をすり減らしてきたことが無駄だったことに驚き、しかし解放されたことに気がつくのです。






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第七の感覚~続々「順序が逆」

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 でも最後には、心もただ存在で、心の仕事をやっているだけだということが理解されます。それは完全にくつろいでいます。それはただもう一つのものです。それは実際は第七感です。五感があり、感情の第六感があり、そして第七感が考えることです。ですから、考えることは第七感です。それは敵ではありません。~トニー・パーソンズ



考えることも七番目の感覚にすぎないとパーソンズは言います。
たとえば、暑いと感じたり、夏が過ぎていつの間にか涼しくなったね、と感じるように、考えることもそれとと同じようなものだということです。

何かが起こり、それについて感じる私たちがいますが、考えることもそれと同じで、あとから感じ取っている存在の現れです。
決して、あなたが何を、どのように考えた結果、何かが起こるというような大それたものではなく、あとから「考えとった」存在なのです。

ただ、起こることが起き続けます。
あなたが、「結果的にどのようになる」と考えることも、その考えが起きるだけです。

なにか大事なことを、失敗のないようにやり遂げなければ、と意気込んでいれば、あなたは考えずにいられませんね。
どうやったらいいか、あれこれ思い悩むでしょう。

そして、「こう考えていれば、必ず成功する」という秘策を誰かが教えてくれないかと期待し、探し求めることでしょう。そんなものが在るなら、なんとしても知りたい、いくら出してもいいから教えてほしいと。

しかし残念ながら、考えることにそのような力はなく、むしろ考えもまた、起きてくる感覚のようなものに過ぎません。

私たちは「努力してこそ、何かを成し遂げられる」と根深く教えこまれて来たために、起きることに対して何かできないか、せめて考えることにでも力を尽くしたいと考えるのです。

充分に考えを尽くせば、何も準備しないよりもより良い結果が得られると信じたいのです。

たとえば、あなたが就職を探している学生だとします。
そこに、千載一遇で良い条件で、理想の会社の面接が受けられることになったとしましょう。
あなたは、喜ぶとともに、どうやって失敗しないで面接をパスできるかが心配で夜も眠れなくなります。どんな準備をしておけばいいか考えると、何も手につきません。

しかし、今回は、それらを考えるのを一切やめてみましょう。
面接の準備をするという脚本のドラマを、あえて見ないで、直接面接に挑みましょう。

結果は、どのようにでも起きることが起きます。
失敗して、もっと準備をしておけば、結果が変わったかもしれない、とあれこれ考える事が起きるかもしれません。
あるいは、その会社に入って、まわりの人からどうやってあの会社には入れたのかを聞かれ、「それはね、あれを準備して、こう考えて・・・」と説明を考えだしているところかもしれません。

どちらにしても起きることが起きます。
これは、運命論とか、宿命論ではなく、あなたが今まで経験したことを振り返れば、起きることが起きてきたことは明らかでしょう。

もちろん「どうすればいいか、あれこれ考えに考え続ける」ということが、あなたに起きることであれば、それが起きるでしょう。

しかし「どうすればいいか、あれこれ考える」ことを、苦痛に感じたり、思い悩む必要はありません。それは、まったく必要のないことです。
それもまた起きることなら、気にせずとも起きるだけだからです。

考えること、思考とは、第七の感覚のようなもの。
まず事が起こり、あとからあれこれ考えているのです。その感覚を「考えとって」いるだけです。
まず考えて、それで結果が左右されるという順序だと考え、考えと出来事の因果関係を無理やり創りださないでいましょう。
そうすれば、あなたは「まず何かが起きる」のを見守っているだけでいいとわかって、気楽になれるのです。考えなくてもあなたはいつのまにか参加しているのです。
起きることが否応なしに起きるのを、ただ見ていればいいだけです。

そうすれば、意味のない悩みや杞憂に、エネルギーを奪われる必要はないことがわかり、解放されるのです。
いままでどれだけ、未来を創りだそうともがいてきたか?
それに費やした気力は、実はどちらでも良かったという事実を知るのです。



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下手の考え休むに似たり~続「順序が逆」

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『下手の考え休むに似たり(へたのかんがえやすむににたり)』という言葉があります。

これは、いくら考えても、よい考えなど浮かばないとわかっていながら、長く考え込まずにいられないのは、何の役にも立たず、時間の無駄でしかないということです。

この言葉を取り上げたのは、前回『「順序が逆」、これに気づくだけであなたはうそのように解放を得ます』という文章で扱った考えをもう少し解説してみようと思ったからです。

前回は、このように書きました。
『あなたの考えが現実を作り出したのではなく、むしろあなたの考えとは、現実を描写し説明つけるものとしてあとから起こってきた思考なのです。
あなたが考え、あなたの意思が現実を切り開いたのではなく、順序は全く逆なのです。』

あなたは「まず考え、そして行動した」と思い込みがちです。
たしかに、そのように思える時も存在するでしょうが、はたして実際はどうなのでしょうか?
本当にその順序で動いているのか?、それとも、それは思い込みに過ぎないのか?ということです。

今朝あなたが起きてからおこなった行動を、振り返ってみてください。
「まず考え、そして行動した」というのは、本当でしょうか?

実際は、あなたは無意識に行動し、あとから「今自分は~をした。これは~が必要だったからそうしたのだ」と解説してみせただけではないでしょうか?

あなたが意識して振り返って考えるまでは、あなたはただ行動しています。
ふと思考が起きてきて、今自分がなにをやっているのかを考えだしたとき、始めてそれを振り返り、「自分の意思でこのような行動をしていたのだ」というストーリーを書き上げるのです。
ですから、ストーリを忘れていると「気がついたら、これだけのことをしていたんだ!」と驚くほどのことを、あなたは無意識にやり遂げているのですが、普段は当たり前でそのまま、考えないままで終わっているだけなのです。

例えば、パソコンの操作を覚えたての頃を思い出してください。
最初は、説明されたとおりにメニューを開き、何かをクリックして目的のパネルを開き、そして必要な操作をして、・・・というように、命令や思考が先行して、ようやく目的の動作を出来たという感じになるでしょう。

これらは「まず考え、そして行動した」に近いように思えます。
しかし、もう少し詳しく調べてみれば、「いつ、あなたはパソコンを動かそうと考えたのでしょう?」「いつ、その操作を行おうと考えたのでしょう?」・・・、その思考はどこから来ましたか?

やがてあなたは、パソコンの操作に慣れてきて、いちいちメニューをどうのこうのと考えなくなり、まずマウスを動かしたり、キーボードを叩いたりという行動が無意識に始まるようになっていくでしょう。

その頃には、「私は電源を入れ、まずメニューを開き、次にあれしてこれして、・・・」といったことは、もう考えもしなくなります。むしろ考えるとすれば、パソコンを使う目的のことです。例えば「~の解説を検索してみたい」というような、より具体的な内容に変わってくるでしょう。

「まず考え、そして行動した」というのは、実際には、ほとんどがあとづけの説明です。
あなたはまず行動し、そのあとで何をしたのかを説明するのです。

さて、表題の「下手の考え休むに似たり」に戻りましょう。
私たちが、「考えること」に「とらわれて」しまう時というのは、たいてい気になること、心配なこと、悩みがある時ではないでしょうか?

その内容は、ほとんど、「考えても答えが出ない」ことが多いのです。
答えが出ないのは薄々わかっているけれど、「気になって放ってはおけない、考えずにいられない」という状態です。

悩み方は、人によって様々でしょう。
・ある人は、まず「いま心配することはないだろうか?」と考え始めます。

・ある人は、「行動計画にそって、次は何をやるべきかを考え、一つ終われば次はなに?」と考え続け、その合間に行動しているかのようです。

・ある人は、自分は他の人とは違って、様々な欠点を抱え、人と同じようには堂々と行動できない人間だ。人から笑われたり、避難されないように、控えめに行動することを忘れないようにしようと、自分の行動のチェックに気を取られています。

・ある人は、「どうすればまわりの人は自分のことを気遣ってくれるだろう?」と、自分が可哀想で、哀れな人間に見えるように行動を制御することに気を取られています。

・ある人は、「この問題が解決しないかぎり、私はなにもできない」とか「この人が謝らないかぎり、私は何も話したくないし、もう何もしたくなくなっている」というような、特定の問題に支配されて、いまを生きることができなくなっています。

考えても答えは出ない、誰にも答えは出せないだろう、そう思いながらも、「考えずにいられない」でいるのが、「下手の考え休むに似たり」の状態なのです。

「考え続ければ、いつかは答えが出る時が来る」とか、「いつか私を救ってくれるような誰かに出会うか、出来事が起きるだろう」とか思い続けて、大切ないまのこの瞬間を捨て続けるのです。しかし、いつまで待ってもサンタクロースはやって来ません。

「下手の考え」をやめるにはどうすればいいでしょう?
ただヤメればいいだけです。「やめ!、ストップ!」と宣言して、あとはいまの状況に飛び込むだけです。起きてくることに合わせて、あなたは、何も考えなくても反応し、まさにそのときのベストの行動をとり続けているのです。
あなたの心配や「下手の考え」は、一切関係なかったのです。

「まず考え、そして行動した」と信じるのをやめてみましょう。
ただそのまま、あなたの反応するがままに、状況に溶け込んでいるだけでいいのです。

「自分の行動を他人に説明しなければならない」と思い込んでいることも捨てましょう。
だれも、あなたに説明など求めていません。あなたがそう思い込んでいるだけです。
説明したいと思っている相手とは、実はあなたのマインドに対してなのです。
これもまた、あなたの「下手の考え」を誘発するために、バックで支えている思考習慣の一つなのです。

「まず考え、そして行動した」くなるのは、あなたの悩む習慣が起きているときであり、例外であることに気がつきましょう。
そうすれば何も考えず、「ただ行動があるだけ」「ただあなたのままでいればいい」ということが自然な状態であると気づくようになるでしょう。

「これは下手の考えだ」と思ったら、直ちにストップしましょう。
そして、いまやりたいことを、おもむくままに行うだけでいいのです。
状況に任せ、起こることを起こらせているだけ!
それで、あなたはやすらかでいられるのです。



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「順序が逆」、これに気づくだけであなたはうそのように解放を得ます

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【なんであろうと起こります】

Wu Hsinは瞑想することを個人の訓練によるものだと規定していますか?瞑想とは結果を求めることではありません。

なんであろうと起こることが起こります。ちょっとクリアになってみましょう。なんであろうと起こることは、あなたによって起こされるのではありません、あなたを通して起こるのではないのです。

訓練することは幻想を消すのに効果はありません。なぜなら訓練自体も幻想の中でなされているからです。

あなたが混乱を解消することができると考えていること自体、あなたは混乱しているのです。

自分自身のすべての考え、すべての信条、すべての概念を空っぽにしてください 。自分自身を空っぽにして、それでもやるべき何かがそこに残っているかどうかを見てください 。

(自分自身を解決する: Yuben de Wu Hsin, p 134)

Whatever Happens
How can Wu Hsin prescribe meditation as one’s practice? True meditation does not seek a result.

Whatever will happen will happen. Just be clear: whatever happens doesn’t happen by you as much as it happens through you.

Practices are ineffective in dissipating the illusion because all practices take place within the illusion.

Thinking that you can remove your confusion is symptomatic of the confusion.

Empty yourself of all ideas, all beliefs, and all concepts. Then, make yourself full with emptiness and see if there remains anything else to be done.

(Solving Yourself: Yuben de Wu Hsin, p 134)


瞑想だとか「すべての考え、信条、概念を空っぽにしてください」とかいわれても、実際にどうすればいいのかわかりません。

なぜなら、それらは、あえてやることではなく、むしろやらないことでなされることだからです。
「何もしないでいよう」とがんばること自体が矛盾しているのがわかるでしょう。
「何もしない」なら何もしないでいなければなりません。がんばること、能動的に動くことではないのです。

むしろこう考えたほうがわかりやすいでしょう。

あなたが、考えたり、やろうと意図することと、現実が起こっていくことには因果関係がないということです。
もちろんあなたは現実の中にいて、あなたのやること自体も現実の一部です。
ですが、あなたが現実を変えているのではなく、起こることの一部として、あなた自身も動いているだけです。

あなたが考えていることは、現実の原因にはなっていません。やっていることは、あなたが現実の説明をあとからつけているだけです。

あなたが考えていると思っていることとはこういうことです。
現実に刺激されて、あるいは現実とは関係なく考えが浮かびます。
それらは断片的ですが、あなたのマインドは、それらをつなぎ合わせ、時系列をつけて整理します。あたかもマインドが順序立てて、それらの断片を連続的に考えていたように、ストーリーを組み立てるのです。

そして、先ほど言ったように、あなたの考えが現実を作り出したのではなく、むしろあなたの考えとは、現実を描写し説明つけるものとしてあとから起こってきた思考なのです。

あなたが考え、あなたの意思が現実を切り開いたのではなく、順序は全く逆なのです。

しばらく、現実に起きてくることと、あなたの思考との関係を、先入観なしによく観察していきましょう。
そうすれば、実際に起きていることが見えてくるでしょう。

あなたが、いくら忙しく考えようと、起こることは、それと関係なく起きていきます。
あなたが、考えるのが面倒で、なるにまかせていても、やはり起こることが起き続けていきます。

「すべての考え、信条、概念を空っぽに」しようとしなくても、あなたの考えと起きることは別のことだとわかれば、自然にその放棄は起こります。

あなたは考えることで現実を変えようとするのをあきらめ、現実を見守るだけになっていくでしょう。

それは、無気力になることではありません。
あなたも現実そのものなのですから、気力に満ちて起こることに参加するだけです。
ただ単に、現実とともに、充実して何かをやり続けるでしょう。

今までと違うのは、
考えることに時間や気力を奪われなくなってきます。
また、期待外れの現実というものが、事実上なくなっていることに気がつくでしょう。
なぜなら、期待するのも、がっかりするのも、あなたの考えにすぎなかったからです。


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筆舌に尽くしがたい(indescribable)世界を味わう

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「筆舌に尽くしがたい(indescribable)」という単語に感謝したい。これで言葉で表せないものは何もなくなったのだから。
Thanks to the word "indescribable". ther's nothing that cannot be described.
-YJCHol
http://theawesomedaily.com/these-20-thoughts-are-so-deep-your-brain-will-drown/


ユーモアとしては面白いですが、果たして感謝すべきだったかどうかはわかりません。

私たちはこのような言葉を使うことで、すべての状態を説明してしまいたいと思うわけです。
しかし、もしそれをそのままで、言葉にせずにそこにとどまったなら、説明のつかない世界を、もっと当たり前に、身近に感じるままいられたかもしれません。

混沌とした、説明したくても出来ない気分や状態を、あえて説明せずに留まる時、私たちは失ってしまった世界を取り戻せるかもしれません。

本当は固定したものではない私たち、その身体も、まわりとの境界も絶えず揺れ動いている、変化する存在として捉える時、私たちは世界との一体感を取り戻します。

私という独立した個体が、それとは別のものにあふれた世界にふれ、それを見ていると思わずに、分離のない存在として自分を見る時、あなたは世界全体でも在るのです。

そこにはもはや対立するものはありません。あなたは安心して、ただ自分でいればいいのです。
あなたもまた世界そのものであり、そして分離したあなたは存在しなくなります。

なにものでもなく、しかも世界全体でもあったあなたは、ある時からあなたという身体に閉じ込められた分離した存在なのだと教えられます。そしてそのようにひとりで生きなさいと教育されてきました。それに反することをすれば、ダメだと言って叱られます。あなたはそれを受け入れるしかありませんでした。それが自分であり、そこにある世界だと受け入れるしかありませんでした。

しかし無理やり分離させられたあなたは、ときおり分離する前の世界を懐かしく思うことがあります。それは説明のつかない曖昧とした世界ですが、あなたはそこにいても、なぜか違和感を感じません。

夢の中であなたは何にでも成れたり、そこに登場する様々な人や物を見ても、自分なのかそれ以外なのか区別がつきません。突然そこにあるものに自分が入れ替わったりするのです。
『莊子が蝶になった夢を見ているのか、蝶が莊子になった夢を見ているのかわからない』のです。

そんなことを考えて何の役に立つのか?と思うかもしれません。
それは、あなたが役に立つかどうかで生きてきたからです。

もしあなたが別の世界に生きてみる気になるなら、分離のない世界に遊びに行けるかもしれません。そこではあなたはなにものでもなく、あなたが世界そのものです。

全体と言われてもイメージ出来ないかもしれません。それは言葉で区分けされた世界に暮らしてきたからです。そこでは区分けされる前の状態があるのです。そしてもともとは、あなたもそれそのものだったのです。




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敢えて、自分は制約されていると宣言すると

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自分は自由であると宣言したその瞬間、
制約を感じる。
敢えて、自分は制約されていると宣言すると、
むしろ、自分が自由であることを感じる。
~ゲーテ 『箴言と省察』


世の中や周りの人たちから、拘束されていると感じやすい人は、自由に憧れています。
束縛から全て解放されることなどないだろう、と本心では信じていながら、束縛がなくなれば、そこには自由が待っている。だから、いつか自由になれた日には、私は幸せになれるだろうと思って憧れるのだ。その人の関心は自由を待ち望むことにあり、束縛を毛嫌いし、よく見ることもせず消し去ろうとするのです。

しかし、いったん矛先を変えて、制約というものは人間社会に生きる以上しかたのないものだと受け入れてみるとどうでしょう?
幾つかの制約は、いつでもそこに転がっている、当たり前のものだと思ってみるわけです。
そうすると、その瞬間、その制約以外では自分は全て自由なのだと感じることが出来ます。

ものごとは「Aであるか、あるいはAではないものだ」という論理があります。
これを、Aであるか、Aでないかの2種類がある、と単純に考えれば、2つに分けられることが存在すると思うだけです。

しかし、「Aである」ということは、その内容にもよりますが、ある程度範囲が見渡せるような限られた内容であるということです。
ところが、「Aではない」の方は、Aでありさえしなければ、何でもありの広範なことがらを指すことになります。

実際に広範であるかどうかは、主観によるところも大きいのですが、少なくとも私たちの心理的な効果としては、Aでなければいいのだから殆どのことが当てはまるように感じられるのです。

なぜこんな論理を持ちだしたかといえば、私たちの関心が、「自由」にあるか「制約」にあるかによって、Aが変わってくるからです。

自由を憧れそればかりを求める状態にある時、「Aである」は自由である事になります。
そして、自分に思いつく自由な時以外は、「Aではない」すなわち制約にあふれていると感じるのです。

「敢えて、自分は制約されていると宣言する」と、思いつく制約にだけ関心を向けることになります。「Aである」とは、「限られた制約がある」ことを意味します。
したがって、「Aではない」方は、「限られた制約以外の全て」が自由であると感じることが出来ます。
後から新しい「制約」を発見したとしても、たかが知れています。「自由」であることの広大さは揺るがないのです。

・「私のまわりには、嫌な人間が多すぎる。」と感じる人は、「私の嫌いではない人たち」を理想化して、あこがれ、そんな人達に囲まれるユートピアがいつか来る日を待ち望みます。

かわりに、「私のまわりにいる、嫌な人達」のことを敢えて数え、研究してみましょう。
その人達が、なぜ嫌いなのか、どんな特性を持っているのか、
そして「私自身」という人間はそれと比べてどうなのだろう?
そこに共通点はあるのか?
目をそらさずに、嫌いな人を研究してみれば、「Aではない」それ以外の人がどれほどいるかに驚くかもしれません。

私の「Aである」こととは、何に向けられているだろうか?


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存在することは驚くべきゲームの全体なのです

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金とは金そのものの本質でもあり、金のチェーンのようなその現れでもあり、その両方が金なのだとわかります。
その点から考えれば、金(Gold)という単語自体は、なんの意味も持たないのです。

存在(Being)とは、私たちがそれを説明するために拵えた机上の言葉です
ー知ること(knowing)とは、我々がこの存在を明らかにすることを説明するために使用する単語です。

しかし存在とは決してこのように分けられるものではありません
ー知るものと知られるもの、見るものと見られるもの、嗅ぐものと臭うもの、感じるものと感じられたもの、のように、存在とはそこにあるもの全てなのです

ー分けられないものーその全体ー常に存在して自ら輝くものー

この驚くべき、美しい、かくれんぼのゲームに自ら気づいています。
幻想や概念や信念といったものは、ゲームの道具なのです。

Gold discovers it is both Gold-the-essence and Gold-appearing-as-chain. At that point the word "Gold" no longer has any meaning. Being is the closet word we can use to describe - knowing is the word we use to describe this manifesting of Being. But Being is never split up in this - never divided into knower and known, seer and seen, smeller and smelt, feeler and felt. Being is all there is - undivided - whole - ever-present and self-shining - aware of itself in this amazing and beautiful game of hide and seek. Illusion, concept and belief are the tools of the game.

~ Randall Friend
https://www.facebook.com/nondualitypress/photos/a.507112822730349.1073741826.227588697349431/780786565362972/?type=1&theater
画像: Vaggelis Fragiadakis


私たちの存在(Being)を、単に行為をするものとしか思っていないと、その全貌をつかむことはできません。

行為者(doer)と行為すること(doing)と行為の結果(done)と、それら全部が存在することの一部です。
自分を行為者としてしか見ていなければ、あなたはどこかに現れるその結果を手に入れることしか関心を持ちません。
そして過程を楽しむこともできず、ただ通りすぎて、結果が好ましいものかどうかで、一喜一憂するだけの単なる駒になってしまいます。

あなたが、その結果だけでなく、その過程も、参加している自分の変化も、全てを味わうことが存在するということです。

あなたがたとえば、社員をどのように配置し、どう使うかだけ考えている管理者のつもりで、自分の存在まで扱っているなら、あなたの存在価値は、結果次第となり、失敗すれば簡単に人生を悲観してしまうことにもなるでしょう。

しかし、あなたはこの驚くべきゲームの参加者でもあり、ゲームの進行そのものでもあり、その過程を楽しむプレーヤーであったり、観覧者でもあるのです。

ゲームの途中には勝ち負けもあり、あなたが敗者の役をやる時もあります。それもまた勝者にもなるあなたを喜ばせるためでもあるのです。

あなたが単に行為者だとしか思わないなら、他の人間もまた行為者ばかりです。

あなたが喜ぶような行為をする人は、良い行為者であり、あなたがいじわるされたと感じる人は、悪い行為者です。
たちまち、あなたは存在することを、善者と悪者が混在する中を、訳も分からず自分がさまよっているつまらない世界に変えてしまうのです。

嫌な行為者も、存在のゲームに面白さを加えてくれる一員なのです。
あなたも時にはその役をやっているでしょう。

存在することは、あなたが行為者でもあり、過程そのものでもあり、
感じるものでも感じさせるものでもあり、
いろいろな役も自分がこなすというアメージング・ワールドです。

驚くべきゲームを存分に楽しみましょう。
そのコツはわかりますね、
ゲームと一体になってそれに溶けこむのです。


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私は今起こっていることに関心がありすぎるのでね

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 実際のところ、私たちは自分の生を、未消化の経験を、可能なかぎりの速さで呑み下しながら、ただかっ込んでいるだけだ。私たち自身の存在に対する自覚があまりに表面的で偏狭であるため、単純な在り方ほど退屈なものはないと思えてしまうのだ。
 もし私が、昨日あなたは何をし、見、聞き、嗅ぎ、さわり、味わったか、と尋ねたとしても、あなたが気づいたわずかなことの薄っぺらでおおざっぱな輪郭、そのなかでもあなたが記憶するに値すると考えたものしか聞き出せそうにない。そんなふうに経験された生活というものがあまりに空っぽで殺風景に見えるために、無限の未来に対する乾きが貪欲になってしまうとしても、不思議なことではない。
 しかしながら、あなたがこう答えることができたとしたらどうだろう?「それを話出したらきりがないし、私は今起こっていることに関心がありすぎるのでね」。
~アラン・ワッツ


私たちが現代社会で経験している貪欲さは、欲深さのために起きてくるというよりも、「ただ獲得する」という行為の、あまりにも空虚で味気なさが原因かもしれません。
手に入れても、手に入れても、その感激は一瞬で終わり、また次を求めずにやまないという悪循環なのです。

そのような質よりも速さを好む消費者にたいして、その需要に応えようとする社会も原因しているかもしれませんが、需要を作っている側こそ、まず考えなければならないでしょう。

ひとつひとつのものを、もっとじっくりと時間をかけて見てみる、感じてみることを心がけないかぎり、悪循環はやみません。

たとえば、食品を買い物するとします。
あなたは、いつもの習慣で、とりあえず必要になりそうなものをどんどん、かごに放り込む。買い物から帰ると、それらを食品庫や冷蔵庫に放り込み、扉を締めた途端に、何を買ってきたかさえ殆ど忘れてしまいます。
ところが、今日は特別な料理を作りたいと思って、必要な材料を買い出しにでかけたという場合、あなたは一つ一つの品物を吟味して、じっくり買い物するのではないですか?

私たちが、速さばかり追求し、質よりも量でものを処理し続ければ、その乾きの傾向はますますひどくなってくるでしょう。

手に入れた途端に、次が欲しくなる。これは、貪欲というよりも、依存症に近いものです。それを取り繕うために、どんなに立派そうに見える目標をかかげても、ひとつひとつの体験を大事にしようと思わない限り、かえって空虚な心をますます加速することになってしまうでしょう。

「こんなに手に入れているのに、この虚しさは何なんだろう?」と。





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幻想を持って生きることがいかに苦しいか

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「幻想をもたずに生きていくということがどんなに苦しいものか、とそんなふうな考えがふと浮かんだらすぐに、幻想をもって生きることがどんなに苦しいものかと考えてみることです」~バーノン・ハワード


たとえばあなたは、「こうすればあなたも人気者になれます」というテクニックを研究します。これさえ磨けば、自分も人気者になれて、今までの惨めさから逃れられるんだ、と考えるあなたは、疑いもせずにその表面的な技術を真似ようとします。

こんなことを言うのは自分らしくないといくら思っても、あなたは今までそれが出来ないから惨めな思いをしてきたのだ、と思い直し無理な訓練を続けます。

表面的な関わりしか持たない人たちなら、特に不審に思わずにあなたを扱うかもしれません。ですから、多少は改善したかのように思えることもあるでしょう。

しかし、訓練はつらいものです。あなたは自発的な感情を押し殺し、思わず言ってしまいそうになる自分を必死で抑えこんで、改造人間になろうとするのです。

ようやく慣れてきて、少しは私も人気者になれてきたかしら、と思っていると、やがてその幻想の生き方に試練が訪れます。

あなたの、本物ではない技巧的な話し方を見抜いて、「本心で話してみたら?」と言ってきます。「あなたの話し方には、あなた自身がちっとも感じられない。セールスの勧誘でも聞いているような感じだから。残念ながら、今のままのあなたとはお友達になりたいと思えないわね。」

こんなに苦労して、自分を磨いてきたつもりなのに、・・・
あなたは大打撃を受けて、すっかり自信をなくしてしまいます。
何しろ好かれるどころか、批判される人間になってしまっていたのですから。

あなたの幻想は、誰からも好かれる私を夢見たことであり、あなた本来の真の知性を信じないで、誰かのまやかしを信じてしまったことに在るのです。

このショックの後どうするか?いくつか考えられます。

・こんなに一生懸命忠実に従ってきたのに、ちっとも役に立たないじゃない、とこの方法に疑問を抱き始めるのが、一番ましな反応です。

・努力が報われず、すっかり気力をなくして、「これが人生というものか。世間というのは辛い所だ。生きていくことは茨の道なんだ」と無気力に陥ってしまうかもしれません。

ですが、もっと最悪の反応の仕方もあります。

・このやり方は間違っていないはずだ。あんなことを言った人間は例外なんだ。ああいった人は相手にしないようにしよう。そして、もっとテクニックを磨かなければならない。完璧なトークが出来る人間になろう。そうすれば、幸せそうなあの人気者の人達に自分も仲間入りすることができるんだ!

◆人はまやかしにはうんざりしています。あなたがあなた自身であることを大切にしている人なら、その新鮮さであなたに惹かれるでしょう。

◆なぜこんなに苦しいのか?といつも感じているなら、自分が幻想に生きようとしていないかをまず疑ってみましょう。

◆あなたという存在は、あなたの記憶のかたまりではない。それに気がつけば、記憶された観念の強制力も、他人に操られるのではないかという錯覚も消え去ります。あなたを不当にコントロールするようにみえる他人や自分の存在を感じるなら、あなたは記憶された観念こそが自分だと信じているということです。幻想に生きているということです。

◆幻想とは、一見華やかに見えるまがいものであり、たくみにあなたのエゴを活性化させます。しかし、それを捨てない限り、あなたはずっと我慢するしかないと感じつづけ、解放感も、安らぎも自分とは無縁のものになってしまいます。なぜなら、そこには本当のあなたが関わっていないからです。

◆幻想を捨てることは、古いものを壊して捨てさるということですから、今でさえ不安なあなたには、なかなか勇気が持てないかもしれません。そのときは、先頭の言葉を思い起こしてみましょう。




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絶対の降伏~あなたの大切に抱えている荷物をおろしなさい

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あなたが本当は誰で何であるか、それを見つけたいなら、すべての条件や要件に対して、全面的に降参して解放されることです。そうすれば、あなたから流れ出る愛と知恵は、他の人をも解放する影響を及ぼします。 大部分のスピリチュアルな探求者にとって最も大きな挑戦とは、彼ら自身の重要性を明け渡すことです。彼ら自身の個人のストーリーが実は空虚なものであったと知ることです。あなたが自由になるために目ざめる必要があるのは、あなた個人のストーリーなのです。
無知であるにせよ、目覚めているにせよ、それを諦めることが解放への印であり、他の人もあなた自身であるかのようにみなすことが出来るようになります。ここで私が説明してきたのは、真実の愛の誕生のことなのです。
~アジャシャンティ(oceanandwaveを通して)

It is in the absolute surrender of all conditions and requirements that Liberation is discovered to be who and what you are. Then the love and wisdom that flows out of you has a liberating effect on others. The biggest challenge for most spiritual seekers is to surrender their self importance, and see the emptiness of their own personal story. It is your personal story that you need to awaken from in order to be free.
To give up being either ignorant or enlightened is the mark of liberation and allows you to treat others as your Self. What I am describing is the birth of true Love.
- Adyashanti (via oceanandwave)


あなたがいつまでも解放されないのは、あなたの大切なストーリーを現実だと思い続けているからかもしれません。

「これは真実よ、これがないと私じゃなくなるもの」
そう思って、手放せないでいる。聖域のように、触れてはいけないタブーになっています。

エゴはそれを手放せない理由を、あらゆる方向からいくらでも創りだすでしょう。
それに付き合っていては、あなたが生きてきた記憶を全て掘り起こすまで続くかもしれません。

だから、説明を一気に捨て去るのです。
あなたのストーリーを、有無を言わせず明け渡します。
それは、見るまでもなく実体の無いものだと理解するのです。

もちろん、あなたが生きてきた歴史です。あなたを今まで活かしてくれた功労者です。
それを批判したり、バカなことを繰り返してきたと蔑むのではありません。

「かつては私にもそんなことを信じていた時期があったわね」
そんな感じで、あなたのアルバムに入れて、普段はしまっておきましょう。

降伏するとか、明け渡すというのは、戦に敗れた将のようで仰々しいですが、抵抗せずに無血開城すればいいのです。

その後待っているのは、何も無理しないで、何も歪めないであなたを表現できる本当の愛だけが残っています。

本当はあなたは、誰にも勝ちたいなどと思いません。競う相手など誰もいないからです。
相手がいるように思えたのは、あなたのストーリーが作り出したものに過ぎません。

先に奪い取らないとなくなってしまうパイなど最初からありませんでした。
急がなくても、あなたに必要なものは、すべてそこにあるのです。

相手があなたのもとから去っていくのを怖がるのも、あなたの錯覚です。
相手とはあなた自身です。
あなたがあなた自身をどのように扱っているか?
それが反映された相手が登場してきただけなのです。

これだけは守らないと、そう思っているものが、あなたを束縛するのです。
「守らないといけない」と思うのはなぜでしょう?
何から守るのでしょう?
何かからそれを守ろうとしている、その相手を探してください。
あなたのストーリーがなければ、そんな相手など存在しなかったことが明らかになるでしょう。

あなたが抵抗なしに、ありのままを受け止められるようになれば、どんな防御も必要無くなります。
現れたものだけを、忠実に映し出すだけの鏡になるのです。
映っては去っていくものを、あなたはなんの努力もなしに映すだけでいいのです。
鏡がくもってしまわないように、抵抗する自分が現れないようにメンテナンスするだけでいいでしょう。

あなたの責任でなくても、起こることは起こります。
あなたはこれまで、なにか起こるたびに、ストーリーをより強固なものに装備し直そうとしてきたのです。
そして、そのたびに束縛を作り出してきました。

抵抗しようとするのを諦めましょう。それだけでいいのです。
どちらにしても、現実を受けとめるしかあなたに選択はないのです。
しかし、ありのままを受け止めるのあなたは、虚構のストーリーなどよりずっと大きくて完璧なのです。なぜならあなたが現実そのものなのですから。


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鏡の如き心~映るがままに

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鏡の如き心

『さとりを開くために、我々は永遠の中で生きなければならないと言われます。今、時間のその無限に小さく、したがって無限にすばらしいそのポイントは、現在の瞬間と呼ばれています。
宇宙は、その瞬間の中にだけ存在します、そして、賢人はそれとともに動くと言われます。
過去にも未来にもしがみつかず、彼の心を鏡のようにして、その前に来るとすべてのものを直ちに映し出します。しかし、ものがなくなれば、その映したものを維持しようなどしません。
莊子は語ります「完璧な人は、鏡として彼の心を使います。何もつかまえようとません。何も拒否しません。受けとりはしますが、キープしようとはしないのです。」』
- アラン・ワッツ、あなたであるものになる

Mind as Mirror

'It is said that to be enlightened we must live in the eternal. Now, that infinitely small and therefore infinitely great point of time is called the present moment. The Universe exists only in that moment, and it is said that the wise man moves with it, clinging neither to the past nor to the future, making his mind like the mirror that reflects everything instantly as it comes before it, yet making no effort to retain the reflection when the object is removed. "The perfect man," says Chuang-tzu, "employs his mind as a mirror. It grasps nothing; it refuses nothing. It receives, but does not keep."'

- Alan Watts, Become What You Are.
(via rainbowtwo)


鏡の如く映るがままに、相手を選ばず、拒絶もせず、離すまいともしない。

ものでも、人間関係でも、このどれかにこだわると、たちまちトラブルや悩みを抱え始めます。

あなたの好みであるとか、ようやく巡り会えた人といった思いがあると、心を迷わせます。
あなたが嫌いになった人は、とても公平な見方はできません。自分から悪い証拠を探し出しかねないでしょう。

大切な宝物を持ち始めれば、あなたの心は壊れないか、盗まれないかと穏やかではなくなります。

「そうは言っても、実際には難しい」と言いたがる心の裏側に、あなたの思惑が隠れているのです。

得難い人も、あなたの都合で動かせるわけではありません。しかし、二度とない出会いといくら思っても、出会うときが来れば、またそういう人が現れるものです。

鏡は、自分で映すものを選べないし、選ぶつもりもありません。
鏡のようにただ映すだけなら、怖い人も、憎たらしい人も、見るのも嫌な人でも、ただ映すだけで終わり。

それでは普段、なぜこんなに厄介なのか?
なぜなら、ただ映すだけでなく、あなたはそこにストーリを展開させるからです。
「この人はどんな人で、どんなに私にひどくあたったか、知ってますか?」というような会話を頭のなかで展開し、十分に熱くなったところで、ようやく鏡の役割を果たそうとする。鏡であることを忘れ、ストーリーテラーをやってしまうからです。

単純にナレーションは取り除きましょう。
この単純な引き算だけで、ただ映すだけの鏡に戻るだけで、あなたの悩みは消え去ります。そもそも、あなたが作り出していただけの問題なのですから。

そんな心で、しばらく生きてみたら、案外行けるかもしれませんよ。

「ないと困る、なくしたら大変、二度と会えないかも」こんな思考が作り出した恐れに過ぎなかったとわかれば、あなたは解放され、楽になり、本来のあなたを自由に表現する時間も持てるようになります。

言い訳しないで、きっぱり切り捨てましょう。
鏡の如く、まよわずあるがままを映すだけ、なんという単純明快さでしょう。

そして、あなたはかつてないほど、自由で気楽になります。
あなたが勝手に許されないと信じ込んでいた快適さも、問題の何もなさも、うそのように実現するのです。



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苦しみを終わらせる最善の方法は

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 本当の自由とは、したいことを勝手にする自由ではなく、今あるとおりにある自由です。本当の自由は制限をまったく問題としませんー制限の中で完全に自由で無制限なのです。自由とは、あまりにくつろいでいるために、縮こまったり緊張しているのをまったく問題としないくつろぎです。生は収縮と拡張の両方、苦しみと解放の両方を含んでいます。
         ー略ー
 苦しみを終わらせる最善の方法は、苦しみを完全に受け入れることです。もし苦しみが続いたとしたら、関心を持ち、じっくりと眺め、それがどう展開するかを見て、それを構成しているのは何か、何で作られているか(思考、感覚、ストーリー、活動)を見て、そうしたものすべてが本当にあるのかどうか、それをしている人がどこにいるのかを見て、まさに今のこの瞬間、苦しむかどうかは選択可能なことなのかを調べます。正しい答えも間違った答えもありません。これは、ともに生きながら探求していく問いなのです。
~つかめないもの ジョーン・トリフソン


まず自由であることや、解放された状態について考えてみましょう。
私たちは、いったん解放されて自由になれると、まったく束縛がなくなったり、緊張することも一切なくなることのように思っているかもしれません。

しかし、苦しみと解放は相反するものではなく、むしろ片方があるからもう一方があるというペアである関係、コインの裏表の関係なのです。
緊張がなければ、弛緩することもあり得ません。もしそうであるなら、ずっと変化しない状態ということですから、生きていないものだということになります。

変化のない、死んだも同然の状態で変わらずにいられたとしても、そんな状態はすぐに嫌になってしまうでしょう。なぜなら我々は生きている存在であり、絶えず変化してこそ生きている実感が得られうものだからです。

つまり、これからはずっと解放される、とか、ずっと自由であるという状態など言葉の上でしかあり得ないのです。

しかし、ジョーンが言うように、『自由とは、あまりにくつろいでいるために、縮こまったり緊張しているのをまったく問題としないくつろぎです』という自由は実際に存在します。固定された状態ではなく、揺れ動きながらもくつろいでいられる状態なのです。

自由を固定した状態で求めようとしても失敗します。いつまでも、手を変え品を変えして探し求めても、固定された自由や、解放され続ける状態というものは見つかりません。

次に苦しみを終わらせる方法に移りましょう。
『苦しみを終わらせる最善の方法は、苦しみを完全に受け入れることです』

受け入れるとは、どんな場合にも言えることですが、
1.まず、いま自分は苦しんでいる状態にあることを認めます。
それがいかにひどくても、理不尽に感じても、自分がその状態にあることを足したり引いたりせずに、そのまま受け入れないとなりません。
あまりに苦しいので、直視できなくて押し込めてしまったり、自分以外の何かのせいにしたくなったり、他のことに気をそらそうとしても根本的な解決は望めません。
2.1ができれば半分以上は到達しています。あとはその状態をよく観察し、どのようにそれが起きているかを突き止めようとしてみましょう。たとえその原因がはっきりと言葉にできるような答えにならなくても構いません。

肝心なことは、ありのままに起きていることを、そのまま観察し、それとともに在ることです。苦しいなら苦しいまま、それを受け止め、そのままの状態でいなければなりません。
それを何かの方法でごまかしてしまうと、根本的な解決のチャンスを逃してしまいます。そこでのがしてしまうと、いずれまた、それは再び蘇ってきます。

「逃げようとする限り、それは消滅せずにあなたを苦しませ続ける」ということをしっかり認識しましょう。それが理解できれば、今の苦しさを避けないで、根本から解決してしまおうと思えるようになります。

ひとつ、良いニュースが有ります。
逃げないで向き合う時、それは想像していたほど苦しいものではないと分かることです。
あなたが逃げようとしたために、そのお化けはどんどん巨大になっていただけです。

それは耐えられないほどの苦しみではありません。なぜなら、それはもともとそこに在った現実だからです。あなたが逃げないで受け入れていれば、これが現実なんだとすんなり受け入れてしまったかもしれないのです。

そう言われると、思い当たることがありませんか、「あの時はなんとも思わなかったけれど、後から考えると大変な体験をしていたんだな」と。その時は怖がらずに、あるいは怖がる暇もなく、それと向き合い受け入れていたのです。

苦しみを終わらせる最善の方法は、「しっかりとそれと向き合い、受け入れること」、それに尽きるのです。中にはすぐには受け入れがたいこともあるかもしれません。その場合は少しづつでもいいから、でも決して逃げずに向き合っていこう、という姿勢を持ち続けましょう。

どんな苦しみも、可能性はもともとそこにあったのです。そしてそこにある以上、それを受け入れられる力も同時にそなわっていたのです。
怖がらずに、受け止めましょう。それが最善であり、また最速でもある解決方法なのです。




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『もっと何か出来きることがあるはず』と考えることをやめてみましょう

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『もっと何か出来きることがあるはず』と考えることをやめてみましょう

私達がいつもそのままでいられずに、落ちつかないのは、こういった思考にとらわれているからではないでしょうか?

このような傾向は、ひとつには絶えず努力する習慣を身につけてきたせいかもしれません。
努力をやめたら、今よりひどくなってしまうと信じ込んでいるので、やめるわけにいかなくなってしまうのです。

もう一つの理由は、漠然とした自信のなさてす。
強がっていても、実は誰もがより所のなさから、不安で仕方がないのです。
いつでも、どこでも信じられるというものが、どこにもないと感じているのです。

頭で信じている信念やスローガンは、不安の前ではたいして役にも立ちません。
漠然とした自信のなさは、思考をいくら巡らせても解決できません。

したかってこの不安そのものを、元から断ち切る必要があるのてす。
それでは思考はほとんど役に立ちません。
不安が生じたのは、思考がその原因だからです。

思考そのものを、後ろに退いてもらうには、以前からお話しているように、思考を「空の雲のように、通り過ぎさせる」練習が必要なのです。

それに加えて、今回のような場合は、『もっと何か出来ることがあるはず』と考える習慣が働き出すことを阻止することです。

思い起こしてください。
『もっと何か出来ることがあるはず』と思いながら、何もせずに、何もできずにやってきたことを。
実際に役に立ったのは、すでに目の前にあるものを活用したことだけだったことを。

『もっと何か出来ることがあるはず』という言葉は、私たちを駆り立てます。絶えず落ち着かなくさせる元凶です。それは、「こんな自分ではだめ、もっとできる自分を見せないと受け入れてもらえない」という切ない願いや恐れからやってくるものです。
そして、それは具体的な対象があるわけでも、実体が存在するものでもないのですから、いつまで待っていてもやってくることはありません。

「あきらめずに最後まで粘ったから、手に入れることができたことがある」と反論したいかもしれませんが、これもあなたの思考の一部であり、解釈の仕方を当てはめたにすぎません。

「何の苦労もなく、まるで向こうからやって来たかのように手に入ったんだ」という解釈をすることだってできるのです。

どちらの解釈をすることになったか、そこにエゴの巧妙な策略があるのです。

どちらにしようと、思考によって物事が起きたのではなく、起きることが起きて、それからエゴがふさわしい思考を働かせたのです。
あなたがどちらに解釈したいかで、表現を変えたにすぎません。


別の発想で考えてみましょう。

・あなたに必要なものは、すべていまここにある。

・あなたに本当に必要なものであれば、いずれ向こうからやってくる。

・今ここにないということは、なくても何とかなるということ。

・あなたが苦しんでみせようと、気楽に構えていようと、起きることだけが起きる、起きないことは起きない。

・エゴが何もしなくても、あるいは何を主張しようとも、ものごとは変化し続け、起きることは起き続ける。それはあなたをも変え、影響をあたえるのだ。

・努力するということを勘違いしないこと。心配したり、思い悩むことが努力ではなく、実際に目の前にあることに真剣に取り組むことが努力なのです。

・『もっと何か出来きることがあるはず』と考えていないで、今あることに取り組むか、あるいは何にもしないでいよう!しなくても起きることは起こるのだ。



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