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欲求とは思考が固まってしまったものにすぎない~欲求の放棄こそが自由をもたらす

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自由は放棄を突き抜けてやってくる。

すべての財産は束縛となる。あなたに諦めるだけの知恵も強さもないと言うなら、ただ財産を見てみるだけでいい。あなたのほんの一瞥(いちべつ)が、それらを焼きつくすだろう。

あなたのマインドの外側に立ってみることが出来るなら、あなたの財産と欲求の完全な放棄は、明らかに最も合理的な行為であると、すぐにわかってくるだろう。

あなたは世界を構築しておいては、それについて心配するのだ。利己的になることは、あなたを弱くしてしまう。

あなたが欲求に、強さや勇気があると思うなら、それはあなたが若くて未熟だからだ。

常に欲求の対象は、それを得る手段を破壊し、やがてそれ自体がしぼんでしまう。
そうなることは、結局一番いいことなのだ。なぜなら、毒に対するのと同じように、あなたに欲求を避けることを教えてくれるからだ。

放棄することに、どのような行為も必要ない。
ただ、あなたのマインドを締め出してやればいい。それが全てだ。
欲求とは、単に思考に対してマインドが固着してしまっただけだ。
それに注意をあたえないでいることで、その固まった考えから抜け出すのだ。

たとえどんな欲求や恐れであろうと、それについてくよくよしないことだ。

あちこちで、あなたは忘れてしまうかもしれないが、気にしないでいい。
あらゆる欲求と恐れ、また、あらゆる反応を払いのける時が来るまで、この試みに立ち戻ってくるのだ。そうすれば、それは自動的になる。

~ニサルガダッタ・マハラジ motherofhermes掲載より

"Freedom comes through renunciation. All possession is bondage. If you do not have the wisdom and the strength to give up, just look at your possessions. Your mere looking will burn them up. If you can stand outside your mind, you will soon find that total renunciation of possessions and desires is the most obviously reasonable thing to do. You create the world and then worry about it. Becoming selfish makes you weak. If you think you have the strength and courage to desire, it is because you are young and inexperienced. Invariably the object of desire destroys the means of acquiring it and then itself withers away. It is all for the best, because it teaches you to shun desire like poison. No need of any acts of renunciation. Just turn your mind away, that is all. Desire is merely the fixation of the mind on an idea. Get it out of its groove by denying it attention. Whatever may be the desire or fear, don't dwell upon it. Here and there you may forget, it does not matter. Go back to your attempts till the brushing away of every desire and fear, of every reaction, becomes automatic."
- Nisargadatta Maharaj (via motherofhermes)


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あなたが現実とひとつであることを理解したなら、あなたは求めません。

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 あなたが現実とひとつであることを理解したなら、あなたは求めません。
なぜなら、あなたがもっているものがあなたの欲しいものだと気づくからです。すべてが意味をなします。なぜなら、あなたが自分の考えを現実にかぶせることがないからです。
そしてあなたが間違いを犯す時、すぐにそれは間違いではなかったと気づきます。起きた以上は、起きるべきことが起きたのです。事実の前には、無縁の可能性があります。事実の後には、ひとつしか可能性がありません。「~しただろう」とか、「~できたはず」、「~すべきだった」といったことは探求していない考えにすぎないことにはっきり気づいたなら、間違いのように見えるものとそれが生み出したものの価値をもっと理解できます。このことがわかるのは、完全な赦しです。そしてクリアな理解において、赦す必要はなくなるのです。
~バイロン・ケイティ 「タオを生きる」より


一般的な考えはこうです。
私は何か自分が持っていないものを求めます。それを手に入れることが、自分を生きることだと思ってるからです。手に入れば安心し、手にはいらないと失望し、自分や他人を責めます。「もっとうまくやれたはずだった」と。

しかし、あなたが現実と独立したものであると信じない時、あなたと現実はひとつの同じものです。
現実と分離した「あなたの考え」が何かを欲しがっても、それが現実に起こらない限りそれは自分ではなかったとわかるのです。

現実が「あなたの考え」の計画と食い違っても、あなたは現実の方を受け入れます。もともとそれが自分だからです。「あなたの考え」は自分を責めようとするかもしれませんが、それは自分ではないと理解しているので、右から左に通りすぎていく考えにすぎません。
他人も同様です。あなたが他人としてあらわれて考えを言っているだけです。あなたの考えとなんら変わりはありません。「あなたの考え」にそういうものがあると理解しているので、何が起きるかは現実に起きることにまかせるだけです。

誰かがあなたをいらつかせることはありません。
あなたがあなたをいらつかせることはありません。
それらは考えにすぎないと知っているからです。
あなた自身はいつも現実として起こるだけです。

何かを起こらせようと考えをめぐらす必要もありません。
それは自動的に起きていきます。
【あなたの考えが求めることと、必要なことが起きることは同じではありません。】
ほんとうに必要なら、あなたは考えなくても動いているのです。

「あなたの意志で何かを行うことに価値がある」というのは、教えられた考えに過ぎません。
あまりにも当たり前になっているので、疑うことすらしないかもしれませんが、社会的な意味合いを持たせない限り、そんな必要などどこにもないのです。
価値があると信じるほど、それがかなわない時に自分を痛めつけるだけです。
あるいはそれをはたさない誰かを許せないと思わせるのも、同じことです。

「あのひとはあの時やると言った。なのに約束を果たさなかった」
こんな考えをいつまでも抱えて、自分の身体をボロボロにすることのバカバカしさを知ることです。
そのようなときのために、「赦す」という言葉があるのです。
しかし「赦す」という言葉にこだわっている間は、「許さない自分」を持ち続けているということです。さらに理解が進めば、「赦す」という言葉すら必要はなくなります。

心を開いて静かにしていなさい。それがすべてだ。
あなたが探しているものは、探す余地がないほどあなたの近くにある。
~ニサルガダッタ・マハラジ
"Stay open and quiet, that is all. What you seek is so near you that there is no place for a way."
-Nisargadatta Maharaj



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誤解(期待という心理がもたらすメカニズム)

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誤解は人間関係において思わぬトラブルの原因となります。
誤解とは、その名の通り事実ではありません。事実でもないのに、なぜそんなことが起きてしまうのでしょう。

私たちは、相手に対し、自分の予想にもとづいて期待をいだきます。
「私はこう思う」だから「彼もこう思っている可能性が高い」と考えます。

この段階では、まだ自分の期待がそう言わせている可能性を否定はしていません。
この状態であなたが誰か他の人に、彼のことをどう考えているか語り始めると、いつの間にかすり替えが起こります。

「彼もこう思っている可能性が高い」から「彼はこう考えているに違いない」を通り越して、「彼はこう考えています」という断定に変わってしまいます。

「彼はこう考えています」がまかり通るようになると、それは私たちの中では現実と同じになっていしまうのです。
「彼はこう考えています」という言葉は、確定した事実となり、私たちの思考に組み込まれます。
その後は、彼の行動は、その「事実」にとらわれて観察されるため、「事実」を裏付ける行動ばかりが目に入り、否定するような行動は見過ごされる事になります。

やがて、「彼はこう考えています。なぜなら私は彼が~と言っているのも聞きました。彼が~したのは、こう思っているからに違いありません。」というように飛躍していくのも時間の問題です。

これはそもそも、人は自分が期待することについては、急に公平な判断ができなくなるという人間性の事実です。自分が何かの期待を抱いていると、少しでもそれを示唆するような現実を見せられると、容易にそれを信じこんでしまうのです。

人間心理の弱点は、詐欺に騙されるような一面があるのと同じように、自分の期待で自ら誤解を生み出してしまいます。

そのメカニズムに気づいているだけでも、誤解を生み出すことを避けられますし、それがもたらす人間関係のトラブルを防止できるわけです。

あなたが他人の行動にイライラしやすいようなら、無用な誤解を自分で作り出してはいないかを確かめてみるといいでしょう。

私は私が期待することを行います。
彼は彼が期待することを行います。
「私はこうすると思います」は問題ありませんが、
「彼はこうすると思います」は、常に私の期待が影響している危険を含んでいるのです。
「彼はこういう人だ」は正確には「彼は私の期待ではこういう人のように思える」ということです。

さらに言えば、「私はこういう人だ」も同じく、「私の期待では、私はこういう人のように思える」くらいに思っておいたほうがいいでしょう。
自分自身でさえ容易に欺いてしまうのが、「私の期待」なのです。

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しかし指揮者はいないのです

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人生とは、非個人的なプロセスです。
川は流れます
草は成長します、そして、
太陽は輝きます。
あらゆる存在は
プロセスの構成要素です。
しかし、そこに指揮者はいないのです。」
~ Wu Hsinの失われた著作
(subcognitionより)

Life is an impersonal process.
The rivers flow
The grasses grow and
The sun shines.
Every being is
A component in the process
But not its director."
- The Lost Writings of Wu Hsin
(via subcognition)


あらゆる存在はプロセスの構成要素です。
しかし、そこに指揮者はいないのです。

言い得て妙ですね。
指示をだすものが、永遠に存在するように錯覚しますが、結局そんなものはいなかったのです。
指揮者はいないことを見破れば、競争することがいかにバカバカしいかが見えてくるでしょう。
パワーゲームには、最終的な勝者はいないのです。
「いつか誰よりも上に立ってやる」と思い続けても、果てしなく上があるように思え、力尽きます。しかし、最後まで行ったとしても、そこには誰も居ないのです。最初からそんなものはいなかったのです。

指示を出すものがいなければ、生きていけないと思うのは人間だけかもしれません。
そんなものがいなくても、プロセスこそが生きることそのものだと思い出せば、生きることは計画された何かではなくなります。
目的も必要ありません。「より良く生きよう」と考えるのは比較があるときだけです。
比較することでパワーを貰ったように感じて、生きがいを見出す人も多いでしょうが、それを成り立たせるには、物語が必要になるのです。そんな人はいなくても、架空の指導者を創りださなければなりません。それをもとに、ヒエラルキーや価値観の存在するような物語を書き上げなければなりません。

ヒエラルキーの階段を登っていると思うことでパワーを貰う人も、そうでない人たちと同じように、実際に生きているのはプロセスだけなのです。
物語の存在意義は、なんとしても意味付けをしないではいられないエゴが作り出した、本来何の彩りもないプロセスへの彩色であり、それに道しるべを示すということにあります。

しかしどのように勝手に意味づけしようとも、プロセスとはプロセスそのものが意味を持つのであり、外側から評価を与えるものではないのです。

川は流れ、草は成長し、太陽は輝きます。
そして私たちもプロセスに参加する構成要因なのです。
意味があろうとなかろうと、私たちも待ったなしに、プロセスを過ごし続けるのです。

「まだ価値が見いだせないから、生きるのをストップさせておいて」とはいかないのです。
評価を下す指揮者はだれもいないのですから、錯覚して参加資格が必要な気にならないでください。
もうあなたも参加してそのまっただ中にいるのですから。

プロセスに満足を感じられるかどうかは、物語ではなく、参加者として自然全体の中で調和やハーモニーを感じられるかどうかです。一体に成れたと感じられるかどうかです。
もちろんそれは、人間社会という限られた中だけでの存在ではありません。

人間社会は、それぞれの個人が独自の物語を持ちながら、それでいて全員が同じ物語を持っているような気になっている奇妙な仕組みです。そもそも、そこにいるはずの指揮者とは、それぞれの物語の作者が作りだしたものです。人の数だけ指揮者が存在するわけですが、何故かみんな共通した指揮者がいてほしいと思っているのです。

なぜなら、だれもが自分が作った物語だと気づいているので、自分の作った指揮者に自信が持てないのです。密かに比較しては、物語を書き換える人もいるでしょう。
立派な物語を書けていないと恥ずかしいのです。

しょせんは、物語は作り物に過ぎません。
それがなくても、プロセスは続きます。
物語を破り捨てて、手放しで参加してもプロセス自体は変わりません。
プロセスはあなただけが読んでいる物語などには、最初から影響されてはいないのです。

物語がなければ、どれだけ自由に生きられるでしょう。
それはあなた自身がやってみなければわかりません。
誰かの物語を借りてくるようなことではないからです。




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あなたがいるところに恋すること

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「2種類の本質的な恐れがあります:
あなたが持っているものを失うことと、
あなたが望むものを獲得できないことです。
1つの解決法があります:
それは、
あなたがいるところに恋することです。」
~ジェフ・フォスター(hollygonowhereを通して)

"There are two core fears:
losing what you have,
and not getting what you want.
There is one solution:
Falling in love with where you are."
- Jeff Foster (via hollygonowhere)


持っているものを失ってしまうのは、現実です。
しかし失うのを怖がるのは、あなたの思考です。
望むものを手に入れられないのは、現実です。
しかし手に入らないかもしれないと恐れるのは、あなたの思考です。

そして、思考を介在しないでもいられるのは、あなたが現実だけをそのまま受け取るときだけです。
あなたが今いるその状況をすべてそのままで愛すること、
すなわち現実そのものに恋することは、いつでもあなたを裏切ることはありません。

現実に負けないとは、現実を変えてしまおう、と思うことではありません。
現実に異議を唱えて意味があるのは、一旦現実を受け入れて、その上で別の現実を生み出せるかもしれない試みを考えるときだけです。

言葉に惑わされて、起きたことを変えられるかもしれないなどと、勘違いしないことです。
どのようにするにしても、まずは現実を受け入れる段階をスキップすることはできません。



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私はそこにあるそのままを愛します。

私はそこにあるそのままを愛します。

それは私がスピリチュアルな人間だからではありません。

現実と議論すれば、それは私を傷つけるからです。

~バイロン・ケイティ
http://theguru3.tumblr.com/post/125033473165


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感情的な痛みに対し心の中の映画を使って対処するやり方

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感情的な痛みに対し心の中の映画を使って対処するやり方

私は、瞑想の役に立つ技術として、視覚化についてしばしば書きました。
恐ろしい状況または悲しみに対処する1つの非常に役に立つ方法は、我々の心の中で映画を上映することです。 まず自分自身ではなく、新しい主人公か、あるいは愛読書や映画から抜き出して主人公を創りあげてください。それができたら、この映画の監督として、あなたの状況の中にこの主人公を登場させてください。
彼らに感情が起こってくるのを起こるまま見ていてください。 あなたの考えが現れたら、それらの考えを主人公にも持たせてください。 彼らの反応を見ていてください。
このようにすれば、考えはあなたから取り除かれ、観察の対象にすることができます。 一度それらを観察対象にできれば、対処するのがはるかに簡単になるでしょう。
例: どのように、ヘルミオネ・グランガーは、突然の崩壊や横暴な母と対処しますか? どのように、アッティクス・フィンチは、オフィスでストレスの多いプレゼンテーションをすることに対処しますか?
これは自己観察のテクニックで、強力な感情や恐れを扱うときに役立ちます。
- Samsaran-

Using a Mental Movie to Deal with Emotional Pain

I have often written about visualization as a useful technique in meditation. One very useful method of dealing with fearful situations or grief is to project a movie within our minds. Create a character, not yourself but a new character or a character from a favorite book or movie. Now, as director of this movie put this character into your situation.

See their emotions as it is happening to them. As your thoughts come project those thoughts onto the character. See them react. In this way the thoughts are removed from you and can be observed. Once observed they are far easier to deal with. Examples: How would Hermione Granger deal with a sudden breakup or a domineering mother? How would Atticus Finch deal with giving a stressful presentation at the office?

This is a self observation technique and is useful for getting a handle on powerful emotions and fears.

-Samsaran-

出典
Using a Mental Movie to Deal with Emotional Pain - Sam's Garden
http://panatmansam.tumblr.com/post/124884775416/using-a-mental-movie-to-deal-with-emotional-pain


衝動的で強い感情や恐れは、しばらく私たちを考えることさえ出来なくさせます。
しかし、いったん治まった感情や恐れも、それを引き起こさせるか、それに関係した思考を続けることで、何度もそれらの感情を繰り返させるという次の関門が控えています。

こうした思考から自由になるためには、まずは、それをしっかり観察する必要があります。
ですが、感情と結びついて記憶された思考は、客観視することが難しく、多くの場合、そのような思考が働いていることすら気がつけないこともあるのです。

ここで紹介されたやり方は、容易にできて、しかも効果のある方法です。
何でもない思いつきのように思えても、それは非常に有効で役に立つのです。

自分以外のキャラクターにあなたの思考や感情を持たせてみてください。
たとえば、ピーナッツのチャーリー・ブラウンに演じさせたらどうなるでしょう?
もう少し遊んで見るなら、
自分のやり方が一番正しいと思っているルーシーなら、チャーリーにどんなわがままを言ってくるでしょう?
それを言われたチャーリーはどのように感じるでしょう?
※ピーナッツを知らない方は一度その愛すべきキャラクターたちを覗いてみましょう。
ピーナッツの仲間たち|SNOOPY.co.jp :スヌーピー公式サイト

「一度それらを観察対象にできれば、対処するのがはるかに簡単になる」ことが実際に経験してみればわかるでしょう。

そしてこのやり方で行っていることは、「思考が自分そのものではない」ことに気づかせるのにも有効です。
思考を自分自身と切り離すことによって、それらの思考や感情が、どこかの時点で後天的に自分が取り込んでしまったものであることに気がつくでしょう。
その思考がなければ、それは本来自分自身とは関係がない、思考も感情も切り離しが可能なものであることがわかってきます。

そのことが理解できれば、あなたは過去の自分から自由になれます。
あるいは今自分と関係なく起きているように思える状況も、自分の思考が作り出しているものであることを見破ることができるようになるでしょう。

心のなかの映画を使う方法は、その気づきを起こさせるのに有効です。
また自分の思考を切り離せるようになるにつれて、いままで自分自身だと思っていた自分の思考や、それが生み出す幻想も、容易に映画でも見ているように観察することができるようになるでしょう。

さて、あなたはこの世界という映画の中で、どんな役を演じ、その人物はどんなことを考え、感じているのか、観客席から眺めてみることにしましょう。
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もっているものすべてを投入してみる

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 失うものは何もないと私は知っているので、人生において何も抑制しないというのは、私にとってやりやすいことです。そして私は自分がもっているものすべてを投入するので、私の人生は一瞬一瞬、完璧です。為されないことはありません。私の人生において、自分が完璧でない時は、一瞬もありません。現実であることのみを見れば、どんな体験もフラストレーションを感じることはありません。自分が失敗しているように見えても、敗北しているように見えても、常に感謝の気持ちと喜びが自分の中で起きています。
~バイロン・ケイティ


何事においても手を抜かずに、全力で立ち向かうというのは、とても大変で疲れてしまうだろうと考える方も多いでしょう。
もちろん息抜きは必要ですが、やるとなったら中途半端に取り組まないほうが、かえって疲れないとも言えます。
いかに手を抜くかなど考えれば、余計なことに気を取られて、効率もよくありません。
さっさと集中して片付けてしまって、休むときはただ休むことに決めたほうがよほどいいのです。

それと、これは次にとっておこうなどと考え、持ち駒を使いきらないで残そうと思うのは、自分が持っているものは今見えているものが全てだと思っているからです。使ってしまえばなくなってしまうから困ると思っているのです。しかし、実際には使えば使うほど持ち駒は増えてくるもののようです。もう後がないと思った時に、新しいビジョンが開けてくるもの、それも節約していれば巡り会えなかったような、貴重で新しい発見が登場してくるのです。

現在では様々な便利な道具がありますが、道具を選ぶのなら、自分の使い道にあったもので、しかも自分の労力を節約してくれるものを選べばいいでしょう。そのために、わざわざ道具を使うわけですから。しかしその時も、評判がいいからというだけで選ばずに、自分の目的に本当に必要なものかどうか、あれば便利かもしれないけれど、自分はとても使うことはないだろうというものは、避けておいたほうが無難です。必要もない機能に振り回されるだけだからです。

道具とは違って、自分を生きることや、自分を表現することにおいては、節約することは結局後悔を作り出します。あの時もっと真剣に取り組んでおけば、通る道は違ってきただろうと思うくらいなら、手抜きせずに持ち駒を使いきってしまいましょう。
その時の限界に達するまでの集中力があってこそ、新しいものを生み出せるのです。
概して不満が残るのは、失敗したからではありません。精一杯やらずに手を抜いてしまったせいなのです。

精一杯やっていれば迷いは生じません。現実に対しても、そこにあるものと一体になるわけで、いちいち不満を抱く暇はないのです。結果がどうであれ、自分がすべてを尽くしたかどうかで、満足感が生まれるのです。それでこそ生きがいも感じられます。生きがいを感じられないというのなら、自分が手を抜いたり、二の矢を頼んでいないかを考えてみることです。
フラストレーションとは、外側の状況ではなく、自分の姿勢から生まれてくるのです。


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意識は未知なるものに恋するのです

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道はどこまでも連なり、名づけようがなく、無の領域へ戻ってゆく。

結局のところ、リアルなものは、目に見えたり、耳に聞こえたりしません。考えたり、把握することもできません、あなたはただ自分自身の目を見、自分自身の耳を聞いているにすぎません。自分自身の想像の世界に反応しているのです。そもそもすべてはあなたの思考によってつくりだされているのです。あなたが名前をつけて、つくりだし、意味に意味を重ねていきます。現実に対して、内容、そして理由を付け加えるのです。すべてはあなたです。
思考がつくりだした世界は、同じたやすさで解体することができます。いずれにせよ、それは元に戻るのです。それに対するあなたの執着が、唯一の苦しみです。
~バイロン・ケイティ


「あなたはただ自分自身の目を見、自分自身の耳を聞いているにすぎません。」とはどういうことでしょう。
私たちは外界の刺激を受け取って、それをただ処理する機械ではありません。
視覚が光の刺激を受け取って、そのデータを脳に伝えた後、それがどういう意味であるかを解析し、どんな反応を返すかは、純粋な光学的なデータの処理ではありません。

たとえば、あなたが空を見上げて、その青さを見たいと思います。
このような単純な過程にすら、さまざまな「あなた」の関与が働いています。
あなたはなぜ空を見たいとおもったのでしょう?正面に広がる複雑な世界に疲れて、単純で純粋な空の青を見たいと思ったのかもしれません。それが空を見上げるという行為を生み出しました。
そして空は青かったと安心するかもしれません。

しかし実際には、空の青さと言っても、日々刻々変化しています。
薄い青から濃い青まで、無数の段階的な違いが存在したとしても、極端にいつもと変わらない限り違いには気づかず、あなたはそれを単なる「青」という言葉で解釈し、その変わらなさに安心したのです。また、あなたの空の青さに対する期待が何であったかによっても、その見方や解釈は様々に異なるでしょう。

このように、私たちは、単純に光学的な刺激を「見る」わけではなく、「私が見るで代表される一連の行為を行う」というマインドが行った行為なのです。

最終的には、意識は自らが自由であること、無限にコントロール不能で、喜びに満ちていることを発見します。意識は未知なるものに恋するのです。そこに落ち着くのです。そして自らが考えることをもはや信じないので、常に平和であり続けます。どこにあっても。あるいはなくても。
~バイロン・ケイティ


こちらの文章は、急に理解が難しくなるかもしれません。
そこで、逆の方向から、つまり私たちがいつも現実だと勘違いしているものが何かを考えてみましょう。

まず、私たちは未知なるものを怖がります。
すべてのことが自分で理解可能であることを望みます。私の知らないことが、突然起きることを恐れているのです。今日も昨日と同じ私が存在し、同じ現実が目の前に広がっていることを前提に生きていきたいと思うのです。
それしてまた、私たちは、あらゆることが自分のコントロール下にあることを望みます。世界がすべて自分でコントロールできるもので構成されていることを期待するのです。

未知なるものとコントロール出来ないものを怖がる時、私たちは自由を制限されます。
怖がっているものを見ようとしなかったり、それが起こらないように自分の行動を無意識に制限してしまうからです。

しかし、未知を怖がるのをやめる時、思考に頼るのをストップすることが出来るようになります。
私には知らないことがたくさんあること、そして、それらを知らなくても、何も問題ないことを理解しましょう。そして実際にそれを体験するのです。

コントロールしたくても、あなたには何も出来ないこともたくさんあります。それを認めて、そのままでもいいのだと理解しましょう。そして実際にそれを体験しましょう。

これらの探求が、未知の世界やコントロール出来なくても平気であることを、あなたの中に徐々に浸透させていきます。

実はあなたも最初は、未知を怖がったりはしていなかったはずです。
赤ちゃんがハイハイをおぼえて、動き回れるようになると、興味のあるものが目に入るとそちらに向かってまっしぐらに進みます。赤ちゃんにとっては、世界は未知のものばかりですが、それを恐れたりセずに確かめようとします。好奇心のほうが優先されるのです。そして動きまわる中で様ざまなことを学習していきます。未知でも自分にコントロールできなくても、世界は歓喜に満ちています。
自分はわかっているなどと装うことも、必要ありません。そんな自分というものもまだつくられてはいないからです。

社会はあなたの同一性を期待します。昨日言ったことと違うことを、今日は平気で口にするような人は信頼出来ないと思われるわけです。そうやって、有言、無言のうちに、社会的な望ましさを身につけさせられるのです。

社会が期待する人間像に合わせるために、私たちは知らないことを知ったふりをしたり、出来ないことを出来るふりをします。最初は演技にすぎなかったとしても、やがてはそれが私という人間であると同一化してしまうのです。

『執着が、唯一の苦しみです。』
今まで取り込んで自分自身と同一化してきたものを、全て偽物だったと切り捨てるには、勇気が必要です。とても怖いことかもしれません。エゴはそんな話には同意できません。その抵抗が執着を生み出すのです。同じ思考を捨てられずに繰り返すのが執着です。そこには現実拒否が存在するでしょう。

あくまで現実だけを信じるなら、それが未知だとしても現実を受け入れるのは難しくないはずです。
執着も、エゴのこだわりも、すべては幻想にすぎないことを見破るのは簡単になります。

いままで久しく感じられなかった、知らないままでも楽しめる世界があったことを思いだすのです。
現実はいつでもあなたの目の前に姿を現しています。ただそのままを見るだけでいいのです。


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神様は、不完全なままでわれわれを放り出したわけではない

はいこっち向いて

犬は彼が犬であることを知らない。
ただ自分が自分であることだけを知っているのだ。
人間だけがどうして幸運に恵まれていると言えるだろうか?
~Wu Hsinの失われた執筆(subcognitionから)

"A dog does not know
He is a dog.
He only knows
He is.
If only man could be so fortunate."
- The Lost Writings of Wu Hsin(via subcognition)


人間だけが、自分が人間だと知っていると思うことは、
果たして幸運なことだろうか?
未来や過去という概念まで発明してしまった人間は、
どれだけ幸せになれているのだろう?

思考というのは、現実との接点を失わないうちは、役に立っているようにみえる。
犬には出来ないことが、出来るようになったといえるのだ。

しかし、思考が思考自らで一人歩きを始めると、
むしろそれは私たちを苦しめているようにみえる。
人間は、使いこなせない道具を手に入れてしまったのだ。
持て余して、ありもしないことに振り回されて、
現実ではなく幻想の中で生き始めてしまったのだ。

幻想から抜け出すには、現実と接触を取り戻さなければならない。
つまり、人間もまた、自分をありのままにしか知ることは出来ないのだ。
それ以外に知っていると思いだすと、幻想の世界に突入してしまう。

過去も未来も、人間にはまだ使いこなせない道具にとどまっているのだ。
犬はおそらく「自分自身を評価する」などという出来もしないことは考えない。
だから思い悩むことはない。
ただその瞬間、瞬間が、心地いいか、そうでないかを感じるだけだ。
人間と違って、幸運にもありのままの自分を離れて生きるという芸当はできない。

人間も同様にすべきなのだ。使いこなせない概念に振り回されてはならない。
未来を予言できたつもりにならないことだ。それはペテンに過ぎない。
予言してしまったために、その筋書き通りに「生きるべき」などと思ってはならない。
自然は「生きるべき」などとは強要しない。人間の勝手な発明にすぎないのだ。

自分が「すべき」ことをしているのだから、
現実もその通りに「応えるべき」だと交換条件を出してみても、
現実は決して取引はしないのだ。

現実の公平さ、同時にときには非情にも見えるそのやり方に、
人間も溶けこんで行かなければならない。
いい加減に、使えもしない道具は手放してしまうことだ。
いまここで理解できないことは、そのまま現実を受け入れるという単純なルールだけを使えばいい。
そして、いつも、その「いまここ」の連続なのだ。

神様は、不完全なままでわれわれを放り出したわけではない。
人間が勝手に使いこなせない概念を創りだしてしまったのだ。
使うかどうかは、自分で決めなければならない。



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現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
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心に痛みをもたらすものと、もたらさないものとの違いを知っているだけ

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人は私に、「あなたは悟っているのか」とよく聞いてきたものでした。私は、「それについては何もわかりません。私は、ただ、心に痛みをもたらすものと、もたらさないものとの違いを知っているだけ」と答えます。私は、あるがままの現実だけを望む人間です。沸き上がってくる一つひとつの考えに対し、友として出会うことが、私の心の解放になります。
~バイロン・ケイティ


私たちは、現実というものをどのように考えているのでしょう?

あなたは、あなたの期待したとおりに現実が起きると、現実が好きになります。
逆に、あなたの期待を裏切る結果になると、あなたは現実が嫌いになります。

それだけでなく、殆どの人は自分が努力すれば、現実は思い通りに変えられると、無意識に信じています。
それは何千年もの間の人類の歴史を通して、私たちの心に刻まれて受け継がれてきたものなのでしょう。

しかし、私たちが「現実よ、こう変われ!」と強く願うと現実は変わるものでしょうか?
あるいは、起こってほしくない現実を想像し、怖がり、おまじないをすれば、それは起こらなくなるのでしょうか?

そういった精神的なエネルギーを費やしても、現実はそれとは関係なく起こることが起きるのです。
はっきり言えば、現実を変える精神的な努力には意味がありません。
心や体を傷めつけるだけです。

あなたが「現実よ、こう変わりなさい」と命令するのをやめて、
「ありがとう、現実はこうなるんだと教えてくれた。だからそれにしたがって私は次の行動を決められる」と思ってはいけないのでしょうか?

後者のように考えれば、明らかに私たちは穏やかなままいられるし、いろいろな心の痛みから解放されるのです。
それでは、起こるままに流されるだけの生き方ではないか?と思われる方もいるでしょう。
それは、あなた自身が現実とは別の存在として生きていて、現実は、あなたが挑戦し、抵抗し、闘うべき相手だと考えているからです。あなたは現実を征服すれば、私の思い通りに出来ると、現実を乗っ取ろうと考える侵略者のようです。

ですが、あなた自身もこの現実そのものなのです。あなたが征服したいと思っているなら、現実の中では、そのように考える人間として参加しているわけです。現実の一員でありながら、自分も含めた現実全部を自分のものにしたいとおかしなことを考えているわけです。

「現実を自分で変えられたら、もっといいことが起きる」という信念が、どれだけあなたに負担を背負わせているでしょうか?そして、そのような企みに対し、現実はなんの影響も受けません。
あなたがどのように考えようと、現実の中にそう考えている人間がいるひとりいるというだけだからです。現実は個人の考えも含めて全てを飲み込む巨大な存在です。
老子は言います。
『天下は神器、為すべからず、執るべからず。』

あなたが現実とはいつも自分にベストなことを、ベストなときに起こしてくれると感謝するなら、どれだけ苦しまずに生きられることでしょう。
そして、どちらの姿勢で生きるにしても、現実は起こることが起きるだけです。

あなたもまた現実の一員だと認識すれば、無駄な抵抗はやめて、喜んで流れの中に溶けこむことを選ぶでしょう。あなたは自分から自分を委ねるまでもなく、もともと現実に委ねられている存在なのです。
そしてまた、自らも現実そのものとして、次に起きることを作り出しているのです。



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「私は何もしない」それが信頼の甘露

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「私はこれをする。私はあれをする」
利己主義の黒い大蛇が
あなたに噛みついたのだ!

「私は何もしない」
これこそが信頼の甘露
それを飲み干して
幸せでありなさい!

~アシュターヴァクラ・ギーター


あなたはいつも解放されたいと思っています。
何からかわからないけれど、いつも束縛されているという思いが消えません。

実は何もあなたを束縛などしていません。自分でそれを許さない限り。

あなたは学校を卒業すれば自由になれると思い、それまでは我慢しようとします。
しかし、会社に入ったあなたは、自分から束縛されることを探し、それにせいを出すことが自由への道だといつの間にか思うのです。
そうやって管理職になれば自由になれるかのように錯覚しますが、いつまでたっても中間にいる存在です。あなたは本当は自由になるよりも、束縛された状態のほうが安心するようになってしまっている。
そして、定年退職でもすれば、今度こそ自由が待っているはずだと思うのです。
ですが、こうやって身についた束縛に対する安心感は、自由を与えられても拒否してしまいます。
突然自由ですよと言われても、何をしていいかわからず、ただ持て余し、束縛を探し始めるのです。

あなたはいつも、次にやるべきことを決めていないと不安になる。
その習慣が、あなたを束縛がないと不安になる体質にしてしまった。
束縛されたくない、自由がほしいと口にはするけれど、自由な状態など実はわからないから、再び束縛を探すようになるのです。

そして、まず束縛しておいて、その「これやそれ」を実行する時には、「私はこれをする。私はあれをする」というつもりになる。これが私の意志だといい、主体的に行動するふりをします。

そのような考えでいる限り自由はありませんし、自由とは何かもわからないでしょう。
しかし、そんな夢や理想でしかないように思えてきた自由も、たった今手にすることは可能です。

「私は何もしない」
これが答えです。
すぐにTODOリストなど捨ててしまうことです。
何も計画せず、どんな予定も立てず、とにかくなにもしないと決めるのです。

そうすれば、あなたは自由の中にいます。
思考は何もしない、しかしあなたは振り返れば自由に行動しています。
「何もしない」とは「何もするな」のような束縛ではありません。
「何もしなくてもいいんだ」と思いたければ、それも自由ですし、「何をしてもいいんだ」と思うことも自由です。

「私は何もしない」、それで考えをストップします。
あとは信頼して自由なままいればいいだけです。疑って束縛するものを探したりしてはいけません。
信頼の甘露を飲み干して、束縛など自分で作らなければ存在しないことを実感しましょう。
計画などしなければ、いかに自由であるか、憂鬱がなくなるかを味わいましょう。
しかも結果としては、あなたは今まで以上に、いろんなことを出来ている自分に、後から気がつくのです。
予定はあなたを束縛します。
予定を手放せば、あなたは、なにも目標を考えることなく、やるべきことを自動的にやっているでしょう。憂鬱なあなたは終わりを告げます。



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しかしあなたまで苦しんでしまってはなりません

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「誰か別の人があなたを苦しませるとき、それは彼がひどく心の中で苦しんでいるからです、そして、彼の苦しみはこぼれだしているのです。彼には、罰が必要なのではありません。彼は、援助を必要としています。それが、彼が送っているメッセージなのです。」
~ ティック・ナット・ハーン(thecalminsideを通して)
"When another person makes you suffer, it is because he suffers deeply within himself, and his suffering is spilling over. He does not need punishment; he needs help. That's the message he is sending."
- Thich Nhat Hanh (via thecalminside)


しかしあなたまで苦しんでしまってはなりません。
彼には助けが必要ですが、それはあなたが全て彼と同じになることではありません。
あなたまで彼と同じ思考パターンに陥っては、彼を助けるどころではなくなります。

さらに、あなたの方は、もう一つ別の悩みを抱えるかもしれません。
それは、あなたが「なんでこんな人間をたすけなければならないのか?私の方こそ、こんなに迷惑しているのに。」と思いながら、もう片方では、彼を助けられない自分を責めてしまうという自己矛盾に陥ってしまう可能性があるからです。
それではあなたは、もう一つの新しい問題を抱えてしまうことになります。

実は彼の方も、同じような葛藤を抱えているのです。
どちらからも逃れられない、矛盾する考えの板挟みになって、誰かここから脱出させてくれと叫んでいるのです。

あなたの手に負えないと思ったら、手を引いて彼の元から去るしかないでしょう。
それらは、少なくとも彼にとっては、どちらも譲れない考えなのです。
あなたが気休めを言っても、それは解決しません。
あなた自身に抜け道が見いだせないのなら、私にもわかりませんと言うしかありません。
あなたが二人目の苦悩者になることは、彼を助けることでもなんでもないのです。

あなたがひとりになって出来ることは、あなた自身ならどうやってその矛盾から抜け出せるかを考えてみることです。
あなたもまた、彼と同じ状態に陥る可能性があるのですから。

人が特定の考えにしがみつくのは、その考えを好きだからではありません。
他に出口が見つからないからです。
彼がどれだけその考えを弁護していようと、それがその人を苦しめているのです。
そこからどうやって抜け出せるのかを、必死になって求めているのです。

出口は葛藤をもたらす考えの延長上には見つからないでしょう。
それを超えなければならないのです。
それについては、前回の文章(「考えるのをやめて、自分の手が何をしているか見てみましょう」)がひとつの答えになるでしょう。



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私は人々がどのように私を裁くかについて、非常に心配します

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匿名の質問者が尋ねました:
どうも、あなたのアドバイスを尋ねたいです。 私は人々がどのように私を裁くかについて、非常に心配します、時々、それは非常に重荷になります。 私は、人々の前でばかに見えるのがとても怖いです。 他の人が言う何でも本当でありえて、それがそのとおりだったり(私の心によれば)最悪のケースであることもあり得るので、私は判断を怖がります。 私は空虚(emptiness )について本を読んで、少しだけ仏教を勉強しました。 それについて考えるたびに、私はそれほど(他人の言葉に)係ってしまうことはよくないことだと思います。 しかし、時々、それはとても強い感覚です。 助けてもらえますか? ありがとう。

buddhajourneyは答えました:
その人々が言っているものを私に見せてくれますか? その判断や言葉を見せることが出来ますか? 物理的にそれを私の手のひらにのせて見せてください。 できませんよね、違いますか? 言葉は空砲のようなものです-それらはあなたを殺すことができません、しかし、あなたが無防備であるならば、それらはあなたを傷つけることができます。 我々の保護された心は、防弾チョッキのようです。 弾丸が我々の体を貫通するのを止めるためにあります。 同様に、我々は、否定的な言葉や行動が心を貫通するのを止めるように、言葉の防弾チョッキになるよう心を鍛えることができます。
私があなたを紫の牛と呼んだとしたら、その言葉があなたを実際に紫の牛にしてしまうでしょうか? あるいは、あなたがとても背が高いので、私があなたを巨大な木とか何とかと呼んだとしたら、あなたの身体は、木でできた巨人になりますか? そんなことは決してありませんね。
まだ悟っていない存在としては、我々は自分とはマインドであり、そして、マインドこそが我々であると仮定します、しかし、実際には、我々のマインドは我々とは別々のものです、しかし、我々は絶えずそれに触れ、それを聞いているので、考えることはすべてが真実であるという結論に至ってしまうのです。 我々はなぜ苦しむのでしょうか? 我々のマインドはこれやそれは悪い状況である、だから、そのことで、落ち込んで、ひどく悲しみ、心配しなければならないと感じるべきだとマインドが告げます、その結果、我々は苦しむことになるのです。
本当に幸せな人々は、それら間違った判断によって、状況や人生までがそれを引き継ぐことを許さないので幸せなままいられます。 我々が混沌とした世界の中でも、美しさを見つけることができないならば、我々に残されたすべては苦しむことばかりになるのです。
それは大きな瞑想の練習課題です-ものごとの真実について瞑想しなさい。 あなたが人々があなたについて言っていることを「考えて」しまうなら、座って、それらのことばについて瞑想しなさい。 それらの言葉の真実と間違いについて瞑想して、それらの偽りの門を突破してください。 すべてのことについて、そのように取り組み始めるなら、我々は非常により幸せで温和な人々になれるでしょう。
微笑んで、よくなってください!

Anonymous asked:
Hi, I'd like to ask ur advice. I'm very concerned about how people judge me, sometimes it becomes a huge weight. I'm so afraid of looking stupid in front of people. I'm terrified of judgement cause anything other people say could be true, and in the worst case it is (according to my mind). I read about emptiness and studied a bit of buddhism. Every time I think about it I understand that it is not good to be so concerned. But sometimes it is a feeling so strong. Could u please help me? Thank u

buddhajourney answered:
Show me what other people are saying? Show me the judgments or words? I want you to physically put it in my hand. You can't, right? Words are like blank bullets - they can't kill you, but they can hurt you if you're unprotected. Our protected mind is like a bullet-proof vest. It's there to stop the bullet from penetrating our body. Likewise, we train our mind to be word-proof vests to stop negative words and actions from penetrating our mind.
If I called you a purple cow, does that actually make you a purple cow? Or if I called you a giant tree or something because you're so tall, are you physically a giant made out of a tree? Absolutely not.
As unenlightened beings, we assume that we are our minds and our minds are us, but in reality our mind is separate from us, but because it's attached to us and we constantly listen to it, we come to the conclusion that everything we think is true. Why do we suffer? Because our mind tells us that this or that is a bad situation and that we should feel bad, depressed, sad, anxious, etc. about it and it causes us to suffer.
Truly happy people are happy because they don't allow their false judgments to take over situations and their lives. If we can't see the beauty in a chaotic world, then all we have left is suffering.
That is a major meditation practice - to meditate on the trueness of things. If you "think" people are saying things about you, sit down and meditate on those words. Meditate on the truthness and faleness of those words and break through their untrue gates. When we can start doing that for everything, we become much happier and peaceful people.

Smile and be well!
via http://silent-mindfulness.tumblr.com/


私たちは、他人の言葉に傷ついたことを、よく嘆いたり誰かに訴えたくなります。
そして一時の憂さ晴らしは、多少は私たちを落ち着かせるかもしれません。
しかし、原因をその誰かにしてしまい、挙句の果ては、「あの忌々しい人さえいなくなれば、私は平和に暮らせるようになるのだ。それで解決できるのだ。」と結論づけようとしてしまいます。

しかし、本当は、お分かりかと思いますが、あなたの中にある、それらの言葉に反応する自分がいることを解決しない限り、問題はなくなりません。

話は変わりますが、胃酸の症状を抑える薬といえば、従来はすでに出すぎてしまった胃酸を中和することで症状を抑えるというものがほとんどでした。しかし近年になってH2ブロッカーというタイプの胃薬が登場してきました。こちらの薬は、胃酸の中和ではなく、胃酸の発生そのものを抑えることで、症状を緩和するのが狙いです。ブロッカーという名前のように、胃酸の発生源である胃酸の分泌を促進するヒスタミンという物質が受容体と結びつく前に、先回りしてこの受容体に別の物質がはまりこんで蓋をしてしまうというものです。これによって胃酸の分泌そのものを抑制するのです。

もちろんどちらにしても、薬で症状を抑えるのは対症療法であって、根本的な治療のためには他の要因も考えて対処しなければなりません。ですがそれはおいておいて、ここではこの2種類の薬になぞらえて今回の問題を考えてみましょう。

言葉で傷ついた苦しさを紛らわすために、誰かに悩みを打ち明け、話を聞いてもらったり、あるいは原因となった相手が悪いのだ、あの人がいなくなればいいことだ、というような考へに逃げてしまうのも、一時的には苦しさを軽減してくれるかもしれません。そして、これらのやり方は即効性があるとも言えるわけで、胃酸を中和する薬を使うのに似ています。

しかし、やはり胃酸の発生そのものを抑えることができれば、より効果的だと言えます。
そこで、苦しさがなぜ起こるのか、その発生源である心の中に抱えている受容体を研究してみましょう。
たしかに、そのような言葉を言われなければ、心は穏やかだったかもしれませんが、言葉を打ち込まれると、それを受容体が受け止めてしまうということがなければ、苦しむこともないわけです。
やはり私たちの心の側にも、苦しみを生み出す受容体はすでに存在しているのです。
同じ言葉を言われても、平気で何もなかったようにしていられる人もいれば、たちまち落ち込んでしまう人もいるという具合に、心の中の受容体はその人その人で異なるものと考えられます。

なぜ自分を苦しめてしまうような受容体を、私たちは抱えているのでしょう?
それが苦しみばかり創りだすものだとしたら、その受容体は取り除いたほうがいいものなのでしょうか?

たとえば、「どんな時も人には親切にしなければならない」という考えを強く焼き付けている人がいるとしましょう。
この信念に反することをすれば、この人は悪いことをした気になり、自分を責めることになります。
おそらくこの人は、困った状態にある人を見れば、人よりもセンサーがより鋭く働きます。
いつものように、「私に何かお手伝いできますか?」と声をかけます。
しかし、中にはこのような申し出に反発を感じる人もいるでしょう。その人はその人で親切を素直に受け入れることに抵抗や嫌悪感を抱いているのかもしれません。
「放っておいてくれます?!あなたには関係ないでしょう?」といきなり敵意を示されることになるかもしれません。

さてこの人の場合、親切にしてあげることは、いつどんな人でも喜んでくれることだと信じていただけにショックが隠せません。「なんという人だ、なにがあろうと、もう二度と声をかけないぞ」と呪いの言葉を言いたくなります。

この事件が、その相手だけが特殊なのだ、変人なのだ、で終わってしまえばまだいいですが、傷ついたあまり「もう二度と人に親切に使用などと思わないぞ!人は人、私は私、それでいいじゃないか」というように極端に傾いてしまうと、また問題です。

せっかくの困っている人を察してあげるセンサーを持った、その人の受容体を使わなくしてしまうのはもったいないことです。
このように、人を傷つけたり苦しさを生み出す受容体は、それ自体は良いものでも悪いものでもありません。

その人の特性を活かし、生き生きと自分を表現し続けるには、傷つくことを恐れずに、起こったことをありのままに直視し、受け入れることからはじめなければなりません。

みう一度最初に戻ると、「どんな時も人には親切にしなければならない」という信念は、全て正しいといえるでしょうか?
まず「どんな時も」通用することなど、めったにないでしょう。このような言葉は人を混乱させるもとになります。
それから「親切に」とは「しなければならない」ことでしょうか?
相手に何かをしてあげたくなるのは、自分自身も満たされていて、おもわず相手にもおすそ分けしてあげたくなる時です。これが自然に出てくる親切ではないでしょうか?

もちろん相手が困っているようなら、助けが喜ばれることはあるでしょう。
しかし、自分も困ったことを抱えているなら、まずは自分の問題を解決するのが先かもしれません。
それに、助けることで喜ばれたことに味をしめて、親切の押し売りになっても別の問題が生じます。
あるいは、その人自身が自分の力で解決すべきことに対して、過剰にあなたがかわりをやってしまうのも問題があります。

このように、一見非の打ち所がないような信念も、それを固定化したルールにしてしまうと問題が生じてしまうのです。

自分の行為がもとで自分が苦しく感じる結果が生まれた時は、心をオープンにして何が問題だったのかを考えてみましょう。そして、その裏に隠れていた固定化した思い込みに疑問を投げかけてみるのです。

そして自分が今まで育ててきた受容体も、時と場合でなんでも受け取ってはいけないことがあるとわかれば、問題が起きる前にブロックする方法も見つかるでしょう。

存在するものは、好きでも嫌いでも受け入れなければなりません。苦しんでいる自分に、さらに嫌な発見を強いることが、一時的には必要になるかもしれません。
しかしそれを嫌がって、当面の痛みを緩和することばかりに頼っていては、いつまでも問題は解決しないのです。

私たちが抱えている、様々な心の受容体は、決して万能ではありません。
なぜなら、今までの経験に対処するために編み出してきた、経験不足で行き当たりばったりのものも多いからです。
そのことを充分に認識すれば、ひとつの思い込みに固執することは決して得策ではないことがわかるでしょう。

私たちの出会いとは、一つ一つが今までとは異なる、一期一会の出会いです。
面倒なようでも、いつも新たな気持で、起きていることを今この場で見なくてはならないのです。
その面倒さこそが、多様に変化し続けるいきいきしたライブを経験させてくれます。
混沌とした世界も、見方しだいでは、それだけ多様な選択を、あなたに提供してくれているとも言えるのです。
今まで見たこともないほどの困った人に出会ったなら、あなたの今までの経験を元にして計算し、つじつまを合わせようなどと思わずに、まったく新しい世界をあなたに経験させてくれるチャンスと捉えましょう。



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考えるのをやめて、自分の手が何をしているか見てみましょう

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「ずっと考えている人は、考えていること以外に何も考えることを持っていません。
つまり、彼は現実との接触を失っています、幻想の世界に生きているのです。」
- アラン・ワッツ(thecalminsideを通して)
"A person who thinks all the time has nothing to think about except thoughts. So he loses touch with reality, and lives in a world of illusion."
- Alan Watts (via thecalminside)


考えるのが悪いとは言いませんが、考え続けるあまり、現実との接点を失い始めているのに気づいたら、すぐに現実の何かに触れてみましょう。今どこにいて何をしているのかを思い起こすのです。

考え続けているとしたら、そこでは、きっと思考は同じ所をループしているでしょう。
新しい現実との接触があれば、その都度、思考はいったんいなくなります。
それにもかかわらず考え続けているとしたら、同じことを何度も思い返しては、ぐるぐる回っているのです。

無限ループから抜け出すには、あらかじめ脱出の合図を用意しておきましょう。
思考からできるだけ変化が起きるようなこと、からだを動かすことなどが効果的です。
考えに夢中になるあまり、同じ体勢を続けていることが多いからです。
今まで動かしていなかった部分を動かしてみましょう。
それをきっかけに思考は中断します。思考と思考の間に隙間が発生するからです。
その隙間をきっかけに、今まで考えていたことを、全部捨ててしまいましょう。

大丈夫です。ループしているような考えは、捨ててしまっても何も問題はありません。
それは怖れからくる堂々巡りに過ぎません。やめてはいけないと思い込んでいるだけです。
意味のある考えなら、現実との接点を失うはずはないのです。
無限ループこそが、幻想の世界なのです。

そういった考えは、何度でも同じ問いかけを繰り返してくるでしょう。
しかしそれに答えを出そうとしてはいけないのです。
答えが出ないからループするのであり、続きを考えることはループするのに手を貸すだけです。
気がついたらそこで脱出しなければなりません。

無限ループとは、パソコンで言えばハングした状態になることです。
ループする以外なにもできなくなっています。CPUを独占して使いきってしまうのです。
ですから、それを止める条件を、あらかじめ持っていなければなりません。

しかしそう思いながらも、ループしてしまうのは、そのストッパーが有効ではないからです。
つまり、起こりえないことをストッパーにしているから、いつまでたっても脱出できないのです。
思考のループの場合で言えば、答えの出ないことなのに、答えが出たらやめようと思っているのです。そのストッパーでは、いつまでたっても脱出できる条件は満たされないのです。

答えが出ないことを考え続けてはなりません。
それは時間の無駄だからというよりも、現実との接触を失ってしまうことが問題なのです。
答えが出ないなら、それは私たちの思考を超えたところからしか、答えを出せない問題なのです。
さっさと考えるのを断念しましょう。断念とは諦めではありません。考える努力の放棄ではないのです。

いや私の場合は、答えが出そうに思えるから続けているというなら、その答えが現実を無視していないか考えてみましょう。
現実の方が、断固としてそれを否定しているなら、それ以上考えるのは諦めて、現実の方を受け入れましょう。あなたは、幻想の世界でなく、現実の世界に生きているのですから。



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それは本当の愛ですか?愛、嫌悪、期待、片想いや束縛、恋愛関係の原理

満たされない思いは、どこまでも自分自身の中にあります。
私のストーリー通りに運べばあなたは喜びますが、相手のストーリーは当然あなたのものとは異なります。
相手もあなたと同じストーリーを持っているという幻想や、持つべきだという信念は、必ずあなたを苦しめます。

これらのことを理解し、私のストーリーは私自身ではないことが腑に落ちた時、
世界はもともと穏やかなものだったことに気がつくでしょう。
あなた次第で世界が変わるというのは、ある意味で最高のニュースなのです。


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自我とは闘わず、征服もせず、破壊もしない

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多くの人々は、自我こそが苦しみの核心であるから、スピリチュアリティのゴールは、自我を征服して、破壊しなければならないと考えるという誤りをおかします。 彼らは自我の強力な手を振り払うのに苦労しますが、その闘い自体も自我のもう一つの現れにすぎないのです。 自分自身を向上させるという野心こそが問題であると理解するまでは、我々は闘いを通して自身を向上させようという試みにぐるぐる振り回されることになるのです。
~Ponlop Rinpoche(purplebuddhaprojectを通して)
Many people make the mistake of thinking that since ego is the root of suffering, the goal of spirituality must be to conquer and destroy ego. They struggle to eliminate ego’s heavy hand but that struggle is merely another expression of ego. We go around and around trying to improve ourselves through struggle, until we realize that ambition to improve ourselves is the problem.
Ponlop Rinpoche (via purplebuddhaproject)


自我を消滅させろ!という考えが強調されすぎると、いったんは耳を傾けた方も、やがて自分にはとても出来そうもないと諦め、こんなことは聖人君主様に任せておこうと考えるようになるかもしれません。

マニアックな仲間内でだけ通じる言葉を使って、自分たちだけ満足し、優越感に浸り、間違った言葉の使い方を見れば、一斉に批判し、「君にはまだわかっていない」といって排除しようとする。
こんな状態に陥ってしまえば、お互いにとっての損失です。
しかし、シンプルなことでありながら、やり方を間違えると一向に進展出来ない難しさがあることも確かです。教える側にも、教わる側にも、何事にもとらわれないオープンな心の姿勢が必要になります。

それはともかく、ここで言っていることは、向上しようと思う自分がいること自体は意味がありますが、残念ながら向上の仕方を間違えてしまうと、ミイラ取りがミイラになってしまうということです。

だれかが「自分を何とか変えたいので、どうすればいいか教えて下さい。」と言ってくるとします。
このように言われた時に、何をすればいいかを具体的に示しても、あまり変化は期待できません。
これが教室で教わるような技術的なことであれば、方法を示すことが役に立ちます。
しかし、自我の扱い方については、同じように技術を示せば解決するとは簡単に言えないのです。

それは、考える人自身が、これまた自分自身の考えを使って、まさにその人自身を変えようとすることだから難しいのです。
「こんな自分を変えたいのです」という考え自体が、その人をこんな自分にさせている要因の一つなのです。
「変えたい」と考える事自体、すでにその人の思考の方向性、いいかえれば生き方のストーリーが現れています。

本当にそのことを変えるのがいいのか?
また、どのように変わりたいと本当にわかっているのか?
変われたとして、変わった自分がほんとうに自分が望んでいたものであるか、本当にわかっているのだろうか?
今変わりたいと思い、変われた姿をイメージしているのは、今の自分に不満を持つ自分なのです。そんな自分だから見えてくるイメージなのです。そのイメージを本当に理想にして間違いないといえるのでしょうか?

嫌な自分を棄て去りたい、理想の自分に変わりたい、こういったイメージには、今のその人の自我が深く関与しているために、そのまま結果だけを変えようとすることには、常に堂々巡りに陥る危険が含まれています。

それでは自分を変えることなど、本当は出来ないのか?
自我に考えさせている限り、それを超えることは難しいといえるでしょう。
だから少しでもそれを軽減するために、「自我を殺せ」という方法論も出てくるわけです。

しかし自我を消滅させようと努力するのでなく、自我を友として付き合っていこうというやり方もあるはずです。
「今までの自分を全部捨て去るなんて、怖くてできない。」これは最もな意見です。
捨て去ると思わずに、そのまま自我に語らせておきましょう。
自我とはいっても、大事な自分自身でもあるのです。騙そうというのではなく、きちんと言い分も聞きましょう。そう思うのもしかたがないことを理解しましょう。

幼い子どもが、危険なことをしようとしていたら、子どもがなんと言っていようと、とにかくやめさせるでしょう。
それと同じように、その声に騙されずに、それが本物の声ではないこと、自分を平和で穏やかにしてくれるものではないことを見破るのです。

その声が、本当に自分を「我が家に戻った」と感じさせてくれるものなら本物です。
それが本物なら、それを受け入れても何も起こりません。静かなままで、何もなかったように自分自身に溶け込むはずです。

それ以外は聞き流しましょう。拒絶や抵抗でなく、スルーするのです。
そのとき抵抗や言い訳が出てくるようなら、どこかに無理があります。
そして、すでに自我の描くストーリーに入り込んでいるのです。

一見良さそうに見えても、どこか直感的に不安を感じさせる声は、自分がどこかから拾ってきた自分のものではない証拠です。
そしてそういう考えの特徴の一つは、色々と説明を必要とすることです。さらには結果が出るのは、~できた時という条件がついています。
本当に必要なものなら、今その瞬間に手にとれるもののはずなのです。すでに自分の中にあるはずなのです。



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私は持っているものを愛します、そしてわたしの持っていないものも愛します

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私は持っているものを愛します、そしてわたしの持っていないものも愛します。
~バイロン・ケイティ
I love what I have, and I love what I don't have.
-Byron Katie


ケイティさんはこのように言っています。
『現実を愛する意識こそが、唯一の自由なのです。』

これが表題とどう結びつくのか?と思われるでしょうか。
あなたが今持っているものが、今のあなたの現実なのです。
それが今のあなたが持つべきものだからです。
今持っていないものも、あなたの現実なのです。
それは今のあなたに必要がないということです。
現実を信頼するということは、あなたを自由にし、こうあるべきだと思う現実を思い煩うことから解放してくれます。それでこそ今を最高に味わうことが出来るのです。

あなたが「あなたが持つべきものを知っている」と思うなら、現実がそれとくい違うことでまずしさを感じます。あなたの考えと現実が違っていることは、あなたを苦しめます。そして苦しさのあまり、あなたは自分の考える自分に将来なるのだと、未来へ投影するのです。
未来への自分のイメージとは、現実を受け入れない苦しさを解決する苦し紛れの方法です。

なぜそうまでして、自分を苦しめるのでしょう。
あなたが持っているものを受け入れ、持っていないものについても受け入れる時、苦しさは消えて自由になります。

そして、あなたが苦しもうと苦しむまいと、現実に起こることは、あなたの未来への投影とは違うものです。現実はあなたの思考を越えて起こり続けます。
あなたがどれだけ一生懸命願っても、現実はあなたにだけ特権を与えることはありません。
それよりも、現実は今のあなたにちょうどいいものを与え、必要でないものはあえて与えないのです。

その現実の優しさを理解した時、あなたは初めて自由になります。
あなたの思考が現実を変えるのだと信じ続ける限り(言い換えれば、現実はあなたが考えるとおりに従うべきだと思う限り)、現実はあなたの敵であり、あなたを苦しめる存在となるのです。
しかし、それは敵対すべき相手としては最悪です。
何しろ現実こそが、起こっていることそのものだからです。

現実をそのままに受け入れる姿勢こそが、新しい発見ももたらします。
科学者はその人の好みで現実を見ることを、よしとしない人たちです。
現実だけを唯一の正解とみなすのです。

あなたの期待を、将来あるべき現実だと錯覚しないことです。
あなたの思考は、時として現実のくれる贈り物まで拒否するかもしれないのです。
現実がいじわるして、あなたにだけ与えないことはありません。ただ、あなたが受け取るのを拒否しているだけかもしれないのです。
科学者のようにあなたの現実もそのまま受け入れる時、現実はあなたの思考からあなたを自由にしてくれる指標となるでしょう。
それは同時にあなたを貧しさから解放してくれます。
あなたはいつでも、必要なだけのものを、持っているのが現実なのです。

それが「知足者富(老子)」ということです。




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あなたが失うのを恐れているものこそ、あなたを苦しませ続けているのです

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 苦しみをなくしたいという、その願望が問題を起こしているのです。苦しみをそのままにし、それをよく見てください。それが本当の探求です。感情的であろうが肉体的であろうが、その苦しみが増して頂点に達したときは、あなたがあなたでないものを知る最大のチャンスなのです。でもそれは、探求のために苦しみ続けなさい、体の健康を無視しなさいという意味ではありません。医者が必要なら、医者を呼びなさい。やるべきことをやりながらも、同時にこの探求のチャンスを最大限に活かすのです。もし何の対応もできないことなら、その苦しみに抵抗せず、あるがままでいることが大切です。苦しみと闘えば、苦悩が増すだけです。私にはっきり分かるのは、あなたはその経験に一定の解釈を与えることにより、それをさらに騒々しく、惨めで不愉快なものにしているということです。
 
この聖なる山は、アルナーチャラの神聖なエネルギーによって、あるいはサットサンの情熱によって、何らかの肉体的、感情的反応が強まります。体の不調はさらに悪化して辛くなり、感情はさらに激しくなります。このように状況が顕著になると、マインドはその「不快さ」から目をそらせなくなります。マインドはできれば抑圧するか逃げ出したいことに真正面から立ち向かわざるを得ません。しかしそれは、すべての現象がそうなるように、その症状が訪れてもやがて去って行くのを、あなたが静かに観察してみるための完璧なチャンスなのです。それはあなたに合わせて用意されたのです。なんという恩寵でしょう。
 
反応は起こるままにしておきなさい。あなたの存在を存在に譲り渡しなさい。私は故郷へ帰りなさいとあなたに言っているのですよ。あなたが失うのを恐れているものこそ、あなたを苦しませ続けているのです。
~ムージ「絶対なるものの息」


他の人がどうであるかか、誰が悪いとかひどいとかいったことは関係ありません。
注意を向けるべきは、ただあなたの反応です。あなたの苦しいと感じること、あなたを煩わせているものに焦点を当てましょう。
それだけが、あなたに意味のあることであり、それだけが、あなたの痛みを取り除いてくれます。

つまり、間接的にあなたに影響を与える外側のできごとはただ通り過ぎさせましょう。あなたのこころに起きていることだけに関心を向けてください。
それが、どんなに苦痛でも、できれば見たくないものであっても、それを見て、それにふれて、それとともに時間を過ごしてみましょう。

そんなことが何に役立つのか、最初は意味がわからないかもしれません、

あなたは、その誰かこそが苦しさの原因であるのは明らかだと言いたいかもしれません。
しかし、あなたを苦しめているのは、外側にはありません。外側にあると思っている限り、真の原因は隠されたままになってしまうのです。
そのように思っているから、いつまでたってもあなたの苦しさは消えません。やがて辛いことも起きるのが人生というものだと諦めるようになってしまうでしょう。

よく考えてみてください。たとえば、あなたが怪我をして、その原因は誰かのせいだから、誰かを罵ればその傷が治るでしょうか?
そうではなく、自分の身体の傷を手当し、あとはその傷の回復を待つしかありません。しばらくは疼いたりするかもしれませんが、身体の自然治癒力に任せて待つしかないのです。

こころの痛みや苦しさも全く同じです。その痛みが存在することをしっかりと認めて、それを受け入れ、それと一緒に時間を過ごす必要があるのです。
しかし、それ以上のことは何もする必要はありませんし、してもいけません。

痛みを隠したり、そんなものはないかのように扱ったり、誰かのせいにしてもいけません。
何かをしたがるのが自我の働きです。
また本当の原因を隠して説明を付けたがるのも自我のやりたがることなのです。
それを無視して、あなたはそこにある痛みとともにいる、ただそれだけでいいのです。



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あなたの平和が何かに妨げられるようなら

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もしあなたの平和が何かに妨げられるようなら、それはあなたが本当に望んでいるような平和ではない。
邪魔されることがあるようなら、それはあなたの平和に対する中古のイメージにすぎないのだ。
それは本物ではないのだ。
~ジェフ・フォスター
"If your peace can be disturbed, it is not the kind of peace you truly long for. If it can be disturbed, it is just a second-hand image of peace, and not the real thing."
-Jeff Foster (via stardust-seedling)


何かが起きるたびに揺らぐような平和は本物ではない。
中古のイメージに過ぎないとはどういうことだろうか。
それはあなたが思考によって作りだしたものだ。したがって、その平和は何かに依存しているのだ。
何かがあるかぎり、誰かがいるかぎり、ルールが破られないかぎり平和でいられるというのでは本物ではないということだ。

あなたは今の平穏が続くようにと思うたびに、様々な依存している対象を確認せずにいられない。
だから、あなたは絶えず不安と付き合っていなければならないのだ。
もし何ものにも依存しないなら、あなたはたった今この瞬間に平和でいられる。
どんな条件のもとでも、どんなに先が見えなくても、安心して任せていられるということだ。

依存しているものを、見つけるたびに手放そうとしてみることだ。
悪い習慣をやめようと思う気軽さで、あなたが重苦しく依存しているものと直面し、それを手放そうと決意するのだ。
手放すたびに、あなたは安心できる。不安の種を消し去ることができるようになる。
その挑戦が、あなたの手放すことをより容易なものにしてくれ、加速していくだろう。

何かに依存していることは、すべてあなたのイメージであり、それとはいずれ決別しなければならない。
それらは、やって来ては過ぎ去るものだ。あなたはそれらを停滞させてはならない。自由にゆかせるのだ。
そうすれば、依存することはなくなる。依存があなたの不安の種なのだ。
心からの平和とは、それをおいてはないのだ。

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すべての痛みは探求しろと訴えている

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苦しみとは調べてみろという呼びかけだ。
すべての痛みは探求を必要とする。
考えることに怠惰であってはならない。
~ニサルガダッタ・マハラジ
"Suffering is a call for enquiry, all pain needs investigation. Don't be too lazy to think."
- Nisargadatta Maharaj


苦しみを感じたら、ただうろたえて何もできなくなるのでは、何も解決しない。
それは、むしろあなたを解放できるチャンスだと思うことだ。

だれが?、どのように苦しんでいるのか?、を考えてみよう。
自分の思っているように、ものごとが運ばないといって、
そんなことは許さないと叫んでいるのは、誰であるかを見つけるのだ。

あなたがそれに対して何も出来ないのなら、起こって来ることに任せてしまおう。
どうせ何も出来ないのだ。あなたがいくら心配しても何一つ影響は及ぼさない。
待つ必要さえない。他のできることに関心を向け直すのだ。

そのためには、痛みから目をそらさずに、しっかりと対象を探求してみよう。
それが考えるということだ。
ただ、おびえて、うろたえているのなら、
考えているふりをして目をそらしているだけだ。
逃げていてるから、苦しみという何かが存在するように見えるのだ。

相手を明確にできれば、それだけで苦しみは、私が関知することではない事がわかる。
そうなれば、苦しみはいつの間にか、自ら遠ざかっていくだろう。

苦しみが続くのは、こういうパターンの繰り返しなのだ。

考えるふりー>うろたえるー>何かしなければー>何かが見えないー>スタートにもどる

そうではなく、新しいパターンを断行するのだ。

目をそらさないで対象を捉えるー>自分にできることがあればやるー>他になければ後は対象にあずけてしまうー>さっさと他のやりたいことを始めてしまおう

三年寝太郎(Wikipedia)とは怠け者ではない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B9%B4%E5%AF%9D%E5%A4%AA%E9%83%8E

怠け者とは、直視するのが怖くて、考えることも出来ず、「悩んでいて何も手に付かない」という口実を拠り所にする人たちだ。今までの自分を変えることを何よりも恐れている。変わることは怖いことだと思い込んでいるのだ。実際には変わることに抵抗してばかりだから、あらゆるエネルギーをそれに吸い取られているのだ。
いつか何かが起こって、自分で考えないまま、自分が変わらないままで、切り抜けようとするが、それはかなわない。そのあいだは、いったい誰が生きていることになるのだろう?


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問題は私たちの望みと違っていることにあるのだ~では誰が望むのでしょう?

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人生がこのようなものであるのが問題ではない。
問題は私たちの望みと違っていることにあるのだ。
~マイケル・キューリー
"Our problem is not that life is like this, our problem is that we want it to be different!"
- Michael Kewley
(via abiding-in-peace)


私たちが不満に思うのは、そして悩みや苦しみの原因となるのは、すべて現実が自分の望んでいることと食い違った時です。

さまざまな言葉をこねまわしていると、その点に気づけなくなってしまうでしょう。
自分の使う言葉に騙されて、「現実が間違っている」と思ってしまうのです。だから「私は苦しめられている」と思ってしまうのです。

「現実が間違っている」というのは、言葉自体が自己矛盾を起こしています。
あるいは無理なことを言っているのです。現実は実際に起こっていることなのだから、間違えようがないのです。それを間違いだというのは、あなたの思考でしかない。間違っているのはそちらのほうなのです。

いくら言葉を駆使しても、その前提が間違っていれば、後に続く論理は全て間違っています。
しかし、私たちは言葉を巧みに使っているうちに、その前提に対する疑いを持たなくなってしまいがちです。
そんなことは自明の理だと思って、疑いもしないことに落とし穴が潜んでいるのです。

たとえばある人が会社に残るか、やめるか苦しんでいるとします。
それはブラック企業とはいえないまでも、その人はひどい扱いを受けていると感じているわけです。
「こんな会社やめられたらどんなにいいだろう。会社はもっとわたしを正当に扱うべきだ」という思いと、「簡単に会社をやめてはいけない。どんな会社に行っても同じようなものだ。会社に忠誠を誓いなさい。早まったことを考えてはいけない・・・」などという2つの思いの葛藤に苦しみます。

しかしこういった理由(つまり概念)をいくらこね回していても、答えは出てきません。
その結果、どうやって決着をつけるかといえば、だれかの一言を信じて動くか、耐えられなくなって衝動的に動くか、理屈を超える力が必要となってくるのです。

自分で考えて答えを出したいのであれば、すべての前提をさかのぼって、自明の理ではない嘘を信じていたことに気づかなければなりません。

「会社はあなたを救うべきだ」そんなことは、なんの根拠もありません。あなたと会社とは何も繋がっていないのですから。あなたの依存するものは、あなた自身ではありません。

「忠誠を誓うべきだ。簡単にやめてはいけない。」このようなことは、特定の状況で成り立つことはあっても、一般的に成り立つようなことではありません。あなた自身が依存しないなら、そもそもなんの拘束力もない話です。

自分ではないものは、あなたを駆り立てます。それを私たちは努力と呼んで従おうとします。
それが苦しさを生み出します。そのままにしておけばいいのに、なにかを言わなければ済まなくなり、不満や嫉妬や恨みを創りだすのは、すべてあなたではないものに引っ掛けられるからです。

あなたでないものを手放せば、もう努力は必要無くなります。
アドヴァイタの偉い先生が決まって「あなたとは誰か?あなたではないものを探しなさい」というのはそういうことでしょう。
あなたはただそのままでいればいいのです。
あなたが苦しむようなら、誰か別の自分に乗っ取られているからです。

そうすれば、本当に自明の理といえるものは、あなたのまわりにあるもの、実際に起きていることだけだということに行き着くでしょう。
それだけを受け入れるなら、現実と違うことを望むこともなくなるのです。

最初は、あなたに染み付いた思考がそれに抵抗するので、あなたは無理をしているように感じるかもしれませんが、あなたは絶対に裏切らない唯一あてに出来るものとして、現実を受け入れることです。

空振りはありません。今までの苦しみからすべて解放されるだけです。望むものは全てそこにあるのです。
「ない」というなら、誰がそういうのか突き止めましょう。その源泉にある前提を確かめてみるのです。その前提こそ、正しいのかどうか検討されねばならないことです。それを手放せば、それに続く理屈は全て消え去るのです。


道は2つです。
ひとつは今まで通り、過去を捨てられないまま、自分は間違ってはいないふりをするための、目新しい脚本を探し続けながら生きること。
もうひとつは、過去の執着から全て決別して、これこそが、ごくあたりまえのことですが、現実のみを信じて自分の思考を信じないことです。

あなたが何度も失敗してきたのは、決別すると言いながらも、これだけは残しておきたいと妥協した過去が存在したからです。それらは必ずゾンビのように蘇って、瞬く間に同じ世界を再構築するのです。


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選択~「山頂の聖人」

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『わたしには悩みがありすぎて、どこから話していいかわかりません、と四十代はじめのその男は話しはじめた。その言葉どおり、顔つきもいかにもみじめだった。
「わたしの人生はもう何もかも滅茶苦茶でございます。まわりの人間からひどい目に遭わされっぱなしなんでございます。父親からは殴る蹴るの暴力を受け、結婚してからは女房にいじめられました。離婚してからも、友だちや恋人たちからひどい目に遭わされつづけております。つきあう人間がよくないからだということはわかっているんですが。でもどうしたらそれを変えられるのでしょう・・・。問題の原因がわかっていてもだめなんです。カウンセリングだって、それはもうたくさん受けました。でもまたよくない人間とつきあってしまうのでございます。職場でもいじめられ、子供たちからもひどい扱いを受けました。犬までわたしをバカにするんです。」
 男がこの調子で話しつづけるあいだ、聖人は耳を傾けていたが、一区切りついたところで尋ねた。「ところで、自分の背の高さについてはどう思うかね」
「えっ、背の高さでございますか。考えたこともございませんが」。彼は顔をしかめて口をすぼませた。「うーん、背の高さ、ねぇ」と男は考え、「背の高さは、ちょうどいいんじゃないでしょうか。どうしてでございますか」と聞いた。
「生まれながらに貧困や病気という牢獄に閉じ込められている者は別として、われわれには選択の可能性が無限にあるのじゃ」と聖人は言った。「わしはこの問題について長いあいだ考えてきてわかったんじゃが、人生でわれわれが選ぶことのできないものはただ一つ、背の高さだけじゃよ。それだけが決められたものなのじゃ。背の高さについて文句を言うのはよいが、それ以外はいかん」
「背の高さに文句を言うなんてバカげていますよ」と男は言った。自分はもっと深刻な問題を抱えているのだという自負があった。
「そうじゃ。確かにバカげておる。なにしろどうすることもできんことじゃからな」とジョーは微笑みながら言った。「だがな、自分で変えることのできる問題について文句を言うほどは、バカげておらんと思うがの」』
~「山頂の聖人」The Holy Man スーザン・トロット Susan Trott


自分で選択できること、変えることの出来る問題は、さっさと自分で動いてしまいましょう。
そして、文句は言わないこと。
また、誰かのせいだと言わないこと。

これだけでも、徹底してやれば、あなたの人生はすっかり変わってしまうでしょう。
わかっていますという人も、もう一度見なおしてみることです。もう一つ成長できるでしょう。

それを実行したにもかかわらず、まだ問題があるという方は、ぜひお聞かせください。
ネットででも公表すればいいでしょう。
「それほどの問題があるなんて!」とみんなが驚くでしょう。
きっとそれほどの難問なら、だれかが手助けしてくれるでしょう。

愚痴や文句は誰も聞きたくありません。
人から避けられるようになる前に、自分で選択するのです。
そして自分で変えられないことは、さっさと忘れて他のことに取り組みましょう。


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『私は知っています』の国と『私は、知りません』の国

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「『私は知っています』の国では、競争力、嫉妬、見せかけ、誇りと傲慢が常にあります。それは攻撃的な領域(自我の領域)です。
私は言います、市民権を拒否しよう!
『私は知りません』の国では、住民は対立なしで動き回って、自然に静かで、幸せで、平和です。
ここには叡智が滞在しているのです。」
~ムージ
“In the land of ‘I know’, there is always competitiveness, jealousy, pretence, pride and arrogance. It is an aggressive realm, the realm of the ego. I say, refuse citizenship!
In the land of 'I don’t know’, the inhabitants move about without conflict and are naturally quiet, happy and peaceful.
The wise stay here.”
- Mooji


『私は知りません』とは、いいかえれば、「わからないことをわからないと認められる」ということだ。
わからないことまで、なんとか説明をつけようとするのが、自我の働きであり、全てはわたしに説明出来るというふりをして生きるのが『私は知っています』の国(the land of ‘I know’)に生きるということだ。

「私は~を知っている」と言った途端に、あなたはそれにまつわる何千、何万の説明を付けなければならなくなる。そして、エゴはわたしの説明こそが、わたしの存在意義だと思っているから、どのような「わたしの説明」についても、攻撃されるのを怖がり、防御し、反対するものを攻撃し排除しようとする。

このような「攻撃ー防御」の働きは、どちらが先でもなく、ものごとの両面にすぎない。
あなたは、攻撃を怖がると同時に、わたしでないものを排除し攻撃したくなるのだ。
「怖いから攻撃する」と「攻撃しようとするから怖いものが存在する」とは、同時に起こる心の仕組みだ。
競争、嫉妬、ふりをすること、誇りと傲慢、これらはすべてその過程で発生するバリエーションにすぎない。

くれぐれも、先に攻撃するものがいると思わないことだ。それはあなたの攻撃性を正当化するエゴの働きにすぎない。

共通の敵を作らせたり、共通の被害者だと思わせるのは、エゴが仲間をつくろうとする策略である。
私はそんな敵は知らない、と素直に認めればいい。
私はそんな被害など受けた覚えはないことを、自分で確認すればいい。
敵を存在させないと何をしていいかわからないエゴの策略に引っかからないことだ。

「油断しているとひどい目にあうかもしれない」と怖がらせるのは、敵やわざわいを仮定して初めて起きる心理だ。
そんなものは最初からないとわかったら、あなたはどうなるか?
それから本当にあなたを生きることが始まる。

あなたは何も知らない。
だから、次々と見せられる現実を驚きと新鮮さで受け取ることが出来る。

あなたはもっとうまい方法など知らない。(知っていると言いはるエゴは勝手に喋らせておこう)
だから、あなたはありのままの現実を最高に味わうことが出来る。

あなたは比較する情報を、無理して集めようとしない。「知っている」国の住人が、いつも大変そうなのを見ているからだ。
だから後悔もしないし、嫉妬もない。プライドという名の傲慢さの後味の悪さも感じなくて済む。

そんなあなたは、必要のなくなった「わたし(記憶)」に煩わされることがどんどんなくなっていく。
次は何を解決しようかと探すこともなくなる。
何が起きてくるかを楽しむだけでいいのだ。



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ジャンプするのだ!小さく飛び跳ねても、溝は越えられない

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「自分の過去と決別するのだ、そうすれば悟りを開けるだろう。」マスターはそう言いました。

「私は徐々にそうしています。」

「成長は徐々に成し遂げられる。しかし悟りは瞬間的なものだ。」

そして、あとから彼はこう言いました。
「ジャンプ するのだ! いくら小さく飛び跳ねても、溝は越えられないのだ。 」

~Anthony de Mello, SJ

"Make a clean break with your past and you will be Enlightened," said the Master. "I am doing that by degrees." "Growth is achieved by degrees. Enlightenment is instantaneous." Later he said, "Take the leap! You cannot cross a chasm in little jumps." ?
- Anthony de Mello, SJ (via loveservatory)



習慣は小さなジャンプの積み重ねが実を結ぶかもしれない。
しかし、ある所まで来て、今までのように言い訳していたら越えられない大きな溝を見てしまったら、思考を止めて思い切りジャンプしなければならない。
そこで今までどおりの飛び方をしていては、やがて迂回路を探すようになってしまうだろう。

その時の怖さは、今までの怖さとは質が違うのだ。
怖いだけでなく、今までの変化の無さに見切りをつけて、そのにせものの平和さを投げ捨てる諦めが伴っているのだ。

もう今までの自分の判断をこれ以上信じないという、断念と降伏がなければ決行できないのだ。
断念ならするが、そこで降伏してゆだねることは嫌がるから、いつもの変化のない見せかけの平和を温存し続けることになる。
この妥協がチャンスをのがし、怖さだけを増幅させていくのだ。
この怖さの正体は、自分自身だと思い込んでいるものとの決別の怖さなのだ。

いままで経験のない程のジャンプをするのだ!
小さく飛び跳ねても、溝は飛び越えられない。

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引き金は自分で引くもの それが当たり前

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誰も私にきっかけを与えることは出来ない。
私だけにそれはできることだ。
バイロン・ケイティ

No one can trigger me.
Only I can do that.
-Byron Katie


しかし私たちは、他人がきっかけで何かを始めているつもりになることも多い。
まるで自分には、そんな気は何もなかったのに、たまたま誰かが勧めるからそうしたのだと言ったりする。

その結果、それがいい方向に進めば、私たちは喜び、きっかけをくれた人に感謝する。
しかし、悪い結果に陥ってしまえば、「あの人のことなんか聞くんじゃなかった」とためいきをつく。

このように並べてみれば、ずいぶん勝手な考えだとわかるかもしれないが、ここには、他人に依存した結果私たちを奴隷のように束縛してしまう根本の原因が存在する。

まず知っておかなければならないことは、私たちを行動させるに至った引き金が問題ではなく、私たちには、すでにそれをやってみたいという欲望が存在したということだ。

だからきっかけを作った人は、よくも悪くもないし、感謝も恨みも、どちらも自分が引き取らねばならない問題なのだ。

人は自分がやりたいことをするときに、ふた通りのやり方を取るだろう。
ひとつは、ただ自分が思いついて、じぶんが誰とも関係なくそれを行う場合。
もう一つは、自分がやってみたいと思いながら、何かのきっかけを待っていて、たまたまそれを促す人が現れると、待ってましたとばかりそれに飛びつく場合だ。

自分と他人の関係をどのように捉えているかという、人間関係の姿勢が違いをもたらす。
人間関係の影響の大きさを実際以上に信じ込んでいると、何をするにも他人の思惑を気にするようになってしまう。
何かが起きれば、そこに関わっていた誰かの影響でそれが起きてしまったと考え易くなる。
その結果、それが何であるにせよ「自分がやったことは、自分がやるつもりがあったことなのだ」と認めることは難しくなる。

しかし、だれも自分にその気もないことをしたりはしないのだ。
このことをしっかり知って置かなければならない。
そして、本当は自分の中にある動機なのに、他人がやりたがったからと言い訳したりしないことだ。
あるいは、自分から始めて失敗したら怖いので、誰かに勧められたことにしようとしたりしないことだ。素直に自分がそれをやりたいからやっていると認めること、そうしないと自分を騙してばかりいるうちに、自分自身がわからなくなってしまうのだ。

誰かに依存することを強めてしまうと、相手の決断と自分の決断の区別がつかなくなってしまう。
いつもその人がいてくれないと、一人前の一人の人間でいられなくなるのだ。

自分を孤独だと思う人とは、どんな人だろう。
その人が孤独だと感じるのは、他人が自分に関わってくれないからなのだと言うだろう。
さらに言えば、人間関係とは、絶えず自分の決断に他人が口を挟んできて、誰が決めたことかわからなくなるような関係を想定しているのだ。

だから孤独を問題にする人にとって、本来自分が満たされないと感じる原因は、このような間違ったモデルを信じているところから来ているのだ。
ただ自分一人で決めて、自分一人で行動するのでは、それは孤独な人がやることだと思い込んでいる。しかし、それは本来の姿であり、それがふつうのことなのだ。

他人の反応を気にしながら何かを行うのが、孤独でない人間の姿だと勘違いしてしまった。
だから、いつも誰かがそばにいないと、自分は孤独な人間だと勘違いするようになってしまう。

自分一人でやろうと思えば、たいていのことはなんでも出来る。
それがあたりまえだと思って、他人の干渉などなくてもあたリまえだと思っている人にとっては、なんでそんなことで孤独を感じるのか不思議に思うだろう。
そして、その人は、他人というのは必要があれば自分のところにやってくるものだと思っている。
誰も来なくても、たまたま用事がなかったからだろうと思うだけだ。
誰も来なくても、自分にとって必要なことを、自分一人で出来ることならなんでもさっさとやってしまうだろう。
そして、そういう人のもとには、他人の顔色をうかがうようなことをしなくても、人は自分からやってくるものなのだ。
なぜなら、世の中には他人の顔色を気にする人たちであふれているから、まわりを見ても、自分と同じように人の動向にビクビクする人ばかりが見えている。
そんな中で、他人を気にせずに自分のことをさっさとやっていく人を見れば、自分もそうありたいと憧れるようになる。自分もそうなりたいから、どうしたらそうなれるかと、会いたくなってやってくるのだ。

皮肉にも相手のごきげんを伺って努力する人は、かえって避けられることになってしまう。
それに一人ぼっちだから会いに来てとばかり訴えたり、やりたくもないことを自分のためにやってくれていると感じさせられていては、だんだんうざったくなってくるのだ。

まずは、自分一人でいても、一人でやることをこなしても、それが当たり前なのだとしっかり認識することだ。そこに人がいないから孤独だなどと勝手な解釈をしないことだ。
そうすれば、他人に気を使わないから、本来の自分自身の望みも、素直に認めることができるようになる。「今日は悪いけど忙しいから一緒にいられない、ごめんね。」という、孤独恐怖の人間にはとても言えなかったことも、平気で言えるようになるだろう。

引き金は自分で引くもの。それが当たり前。
他人は、あなたに許可や強制を与えるために存在しているのではないのだ。
他人との関わりとは、あなたが孤独だと思っているかどうかとは、関係ないことだ。
自分自身に、自分一人で考え行動することを許してあげることだ。
それがたとえ、他の人にはなんの利益も与えないとしても、自分がやりたいのなら、それだけで十分な理由ではないか!
そして、あなたがそうすれば、まわりの人も自由になれたと感じるのだから。


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深刻にならないで!

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深刻にならないで、シバ
crimson-twinkie:

私は、あなたが自由であると思い出させるためにここにいます。
あなたを悩ますどんな条件付けも、どんな苦しみも、すべては幻想です。
それは我々から来たもの、我々にはそれを与える力があります。
我々は、自分自身とゲームをしています。 深刻に受け止めないこと、これを忘れないでください。
これは楽しみです。 笑いをシェアしたり、愛を与える以上の楽しみが、何かありますか?
あなたの光を忘れないでください。 私は、確実にあなたに忘れさせません。

あなたは、宇宙です。 無限に美しいのです。

~マックス

Come off it, Shiva
crimson-twinkie:

I am here to remind you that you are free. Any conditioning or any suffering that plagues you is all an illusion. It comes from us, has power we give it. We are playing a game with ourselves. Remember to not take it seriously. This is for fun. And what is more fun than sharing laughter and giving love? Don't forget your light. I certainly won't let you forget. You are the universe. Infinitely beautiful.

- Max


いつまでも続くような深刻なことは何もありません。
それは、次の自分の番が回ってくるまでの罰ゲームに過ぎません。
次の私のサイコロの目は、どんなワクワクを与えてくれるでしょう?
これはゲームでもあり、あなたの現実の人生でもあるのです。

どちらと受け取っても、あなたが実際に体験する感情には違いはありません。
余裕を持って眺めるか、深刻になって怯えているか、どちらでもお好きな方を。
違いなどないと気づいた人は、ただ楽しむことが出来ます。
楽天思考など選り好みに過ぎません。何が来ようと受け止めようと思った時、すべてがワクワクに変わるのです。

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平和は動揺や苦しみと同じ場所で見つかります

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「平和は心の中の動揺や苦しみと同じ場所で見つかります。それは森や、丘の頂上で見つかりませんし、先生によって与えられるものでもありません。あなたが苦しみを経験するその場所で、あなたが苦しむことからの解放もまた見つけることができるのです。苦しみから抜け出すためには、まさにそれの存在する所へ飛び込むことです。」
~ Ajahn Chah
(abiding-in-peaceを通して)
"Peace is within oneself to be found in the same place as agitation and suffering. It is not found in a forest or on a hilltop, nor is it given by a teacher. Where you experience suffering, you can also find freedom from suffering. Trying to run away from suffering is actually to run toward it."
- Ajahn Chah
(via abiding-in-peace)


要点はこういうことです。あなたの平和は苦しみと同じ場所にある。だから苦しみを避けようとして、その場所に近づくのを怖がるのではなく、まさにその場所にある心の平和を、そこに踏み入って取り戻すのです。

同じ場所にあるとは、別の表現をするならこういうことです。
あなたの苦しみとは、あなたの平和と同じ軸の上にあるのです。
その存在する軸上の位置によって、ある段階を超えると苦しみを感じ始めたり、逆に平和を取り戻せたと感じられるということです。

あなたはわざわざ苦しもうとして、そちらの方向に近づいたわけではないでしょう。
しかし、それをやりすぎてしまい、受け取る側の私にとっては、やすらぎから苦しみへと姿を変えたように思えるのです。ちょうど子供が遊びに夢中になり、無茶をやって、その結果痛い目にあった時、自分を楽しませてくれた、まさにそのスリルが、自分を痛めつける恐怖へと姿を変えるようにです。

たとえば、あなたが誰かの一言で傷ついたと感じた時、一時的にその人から離れるのはかまいませんが、何が起きたのかを知ろうとせずに、ただその人を避けたり怖がったりしても、解放される時はやってこないということです。

傷ついた私に何が起きたのか、その一言で私の何が軸を移動し、傷ついたと感じる側に振れてしまったのかを突き止めるのです。
その原理がわかれば、楽しさと苦しみは紙一重であり、正反対の別のものではなかったことが理解できます。今までほど怖いだけのものではなくなるでしょう。
今まであなたの守り神であったものが、今度はその防衛するやり方自体が自分を苦しめる原因に変わる可能性があるのです。
あなたが何かを当てにして依存し、それ以外を排除したために、その排除されたものから逆襲されるかのように、あなたは不安に陥ってしまうのです。

あなたを幸せに感じさせるものと、あなたを苦しめるものは、別々に関係なく存在するのではありません。同じものの裏返しが、そのどちらかの様相を見せ始めるのです。

逃げないで、その苦しさに只中に飛び込んで、それ自体が姿を変えてくれるのを待ちましょう。
一度経験すれば、次からはそれとわかるようになれるかもしれません。
突然見知らぬところからやってくる痛みではなく、あなたのおなじみの感情の別の側から見たものにすぎないとわかるようになるでしょう。
原因不明の腹痛が、食べ過ぎに過ぎなかったとわかるようなものです。痛みは残っていますが、あなたはどこか安心できるのです。



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あなたは、"結果"と"成りゆき"の違いを理解しなくてはいけない

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満たされるべきどんな野望をも追い求めなかった人間が突然、すべてが満たされていることを見出す。
生命それ自身が、その秘密を分ち合おうと、その豊かさを分ち合おうと、彼のところへやって来る。
なぜならば、主張なしにとどまる人間は、ひとつの(空)になるからだ。
その(空)の中に、生命はその秘密や豊かさを注ぎ込み続ける。
生というのは真空に引きつけられるものだ。
もしあなたが(空)になったなら、あらゆるものがひとりでにやって来るだろう。
がんばったらー
失敗は間違いない
がんばりっこなしー
成功は絶対に確実だ
私は「成功したかったらがんばるな」と言っているんじゃない。
いいや、そんなことを言っているんじゃない
それは"結果"じゃない
それは"成りゆき"だ
そして、あなたは、"結果"と"成りゆき"の違いを理解しなくてはいけない
・・・・
そうしたところへ老子が
「成功しようとしなければ、あなたは成功するだろう」と教えてくれる。
あなたの心はどん欲になり、そして、こう言う
「その通り!つまりこれが成功の秘訣なんだ。よし、主張なんかするものか。
その野望が満たされるように、野望も燃やさないようにしよう」
さあて、これは"結果"を求めているのだ。
あなたは同じままだ
あなたは完全に老子をのがしている
老子が言っているのは
もしも、本当にあなたがどんな主張もないままで、
どんな手柄も
名声も
名誉も
成功も
野望も求めないままでいたら
そのとき、ひとつの成りゆきとしてそこに成功がある
勝利があるということなのだ
全存在が、あなたの(空)の中へと降り注ぐ
あなたは満たされる
これは"成りゆき"だ
"結果"じゃない
結果というのはそれを欲したときに来るもの
成りゆきというのは
あなたがそれについて考えもしなかったときに来る
何の欲望もない
それについて考えることもない
と、それが起こる
存在の内なる法則の一部としてー
その法則が(道TAO)とよばれるのだ

~バグワン・シュリ・ラジニーシ TAO永遠の大河1


結果を求めて努力するのが、通常の私たちだ。
なぜなら小さい頃からそのように教えこまれているからだ。
そして、それに逆らうものが出てこないように、「努力は常に尊いものだ」と釘を刺す。
だが、この話にもあるように、努力という言葉は、今では結果を出すために働くことだと限定されているかのようだ。
そして、結果を求めて努力するものの大半は、努力に見合った結果が得られないことで不満を持っている。自分でも、もっと努力を増やさなければならないのだろうと、挫けそうになるのを諌めるのだ。

しかし、そこに「成りゆき」にまかせている人間を見つける。
思わず彼らにひとこと言いたくなってしまう。
「もっと努力しなさい。そんなことではだめになるよ。こちらの仲間に入りなさい。」という具合だ。
もし彼らの方が、もっと欲しいものを手に入れているように見えると、あなたは動揺し、忠告するどころではなくなってしまう。
私がこんなに努力したにも関わらず結果が少ないというのに、なぜあいつらは、のんきに構えているだけなのに手に入れているのだ。
こんな人間は、社会の敵だ。懲らしめなければならない。あるいは、あいつらもそのうち分かる時が来るだろう。その時に後悔するだろう。もう放っておこう、とでも言い捨てるだろう。

結果を目指して努力する人間は、社会にとっては、理想的な人間だ。社会という仕組みが一番扱いやすい人種だからだ。だから頑張るものには報酬を与えることでそういう人間がいなくならないように教育を制御するのだ。
だから社会的望ましさの優等生になれば、社会は褒めてくれる。しかしそれだけだ。無理をしてなくしてしまった個人の幸せは、社会は考えてはくれない。燃え尽きた人間は、不運だったと病院に行くことになる。

成り行きに任せる人間は、社会にとっては、扱いに困るかもしれない。ときにはタブー視されたり、存在を無視しようとするだろう。

結果を求め努力を続け、自分にむち打ち、しかし結果が少ないとこぼしながら生きるか。
どんな主張も野望も持たず、結果を求めないで空になって成りゆきに委ねるか。

どちらの生き方も試してみる価値はある。
そして、お互いにこっちの世界が正しいと言いはったり、こちらの世界に来なさいと強要しないことだ。

ちなみに、明らかに結果を求めているのに、空であるふりをして、結果が引き寄せられるのを期待しても必ず失敗するだろう。結果を求める心は、決して空っぽにはならないからだ。

それ以前に、自分が本当に何かに成りたいのか?、本当に何かがほしいのか?
それは本当のことだろうか?絶対にそう言い切れて、それとともに人生を捧げるのか?
何かを求めることは、自分の生命にとって何を意味するのか、
そして何かになることは、それがなんであれ、必ずそれによって自分を制限することになる、とわかっているだろうか?
まずは、それらを真摯に追求しなければ、見当違いの努力をしてしまうことになるだろう。


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親が見せるべきは

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私は子どもたちに、自分が充分生きてこれなかったことを、託すようなことはしない。
リリーフなんて、とんでもない!
~バイロン・ケイティ
I don't expect my children to live what I can't live yet.
- Byron Katie


子どもたちが親の何を見ているか、何を真似ようとするかを考えなければならない。

子どもは、親が期待を言葉にしたとしても、めったに聞いてはいない。
言葉で聞いたことではなく、親が実際に何をしているかを見ていて、それに同化するのだ。

親がもし子どもに、自分の出来なかったことを実現して欲しいと言ったとしたら、何が伝わっていくだろうか?
子どもは最初、生きていくことは、あるいは社会というものが、とっても大変なものだと感じるが、やがて親が言っていることとやっていることのギャップに気がつく時が来るだろう。

忠実に親の真似をするなら、大変であるふりをして生きていくことが、社会の流儀なんだろうと思って、そのように振る舞うことを覚えるだろう。

子どもが素直で自分に忠実であるなら、そのような流儀は振る舞いだけにして、自分のやりたいことをあくまでやってもいいと見破るだろう。
しかし、それに失敗する子どもは、言われたことをストーリーにして生きていくことになる。
やがてどちらが本当の自分なのかわからなくなり、まさに親がやったように、子どもに自分の夢を託すコピー人間になっていくだろう。

それでは何重にも子どもは負担を背負い込むことになる。

親が見せるべきは、自分に忠実に生きる見本を見せることだ。
そして、自分に忠実であれば、やり残しを生み出すこともなくなるだろう。
誰のせいにもせずに、言い訳をセずに生きていくなら、子どもも同じように自分の目で見て判断できるようになる。もちろん何をするかも、自分で決められるわけだ。

代々受け継がれていくことに、不幸な引き継ぎをしてはならない。
他人や社会に恨みがましいことを口にするのは、どの世代においても自分で断ち切る決意をしなければならない。あなたが親のせいで~とか、社会のせいで~とか言えば、あるいは特定のことに執着すれば、子どもも同じ姿勢を受け継ぐことになる。
自分の代で出来なかったことどころか、代々不幸の種を引き継がしてはならない。

親にせよ、子どもにせよ、自分を裏切るようなことは、自分で断ち切らねばならない。
それさえ忘れなければ、何をするかは大して重要ではないのだ。
ストーリーを信じなければ、特定のことが重要になったりはしない。姿勢こそが重要なのだ。


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