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その時こそ、自問してみよう!

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他人の中に見える横柄さ、怒り、悪意、意地悪さ、混乱した状態に悩まされていると感じたら、その時こそ、自問してみよう。

「この私が気に入らない傾向は、私の中にも存在するだろうか?」

☆向ける方向を変えることで、「この人なんて人なの!!!」と100回も繰り返しては、イライラするのを阻止することができる。

繰り返すほど、怒りは強くなってしまうだけだ。

☆しかし本題はそこにあるわけではない。

「自分の中のいやな見たくない感情が、それを相手の中に見せているのだ」と気づくことは、最も役に立つ洞察につながる。

これを知識ではなく、腑に落ちるところまで確かめてみる。
いままでのどんな経験よりも、あなたを成長させてくれるだろう。

☆どうしてもこれがピンと来ない(自分の中に見当たらない)と思うのなら、時間をおくしかない。
わかったふりをしても、こじらせるだけだから。

いまはまだ、そこまで自分を素直に見られない意固地な部分が支配的なのだから。

しかしここで諦めなければ、次はもっとうまくいくだろう。
頑固な子どもも、なにか様子が変わってきていることを察するようになる。

頑固なときは、それ以上の報酬が見えてくるまで変わらない。
しかし、チラチラ気にしてみるようになってくれば、こわばりが溶け始めた証拠だ。

もう一息で変われる。解放は目の前まで来ている。

☆もちろん最初に戻って考えると、自分の中の頑固さが消えれば、横柄で挑発的な人などいなくなってくることに気がつくだろう。

もともといなかったのか、自分のせいでそう見えていたのか、それはどちらでも大した問題ではない。

それらが避けられない、根源的なものではないとわかる事こそが重要なのだから。


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与えるものが受け取るもの~その機能不全の原因とは

YouTubeの動画はこちらから
エックハルト・トール~「与えるものが受け取るもの」 - YouTube


エックハルト・トールさんの動画はYouTubeでもたくさん紹介されていますが、この動画はそんな中でも日本語のナレーションと癒される映像で出来上がっていますので、気が向いたら見直してみるといいでしょう。

「与えるものが受け取るもの」というテーマ、私たちが普段から受け取ることにばかり目が向き、自分が与えているかどうかについては、あまり考えなかったり、自分には与えるものなどないと思っている。

さてそこで、そもそも考えるべきなのは、何を与え、何を受け取りたいと思っているかではないでしょうか。

あれが手に入ったら、これを差し出してくれる人がいたら、私は幸せになれるのに、と考えているその対象とは何で、それが欲しいと思うようになった経緯はどこから来ているのかを、あまり考えようとしていません。

老子の言葉に『知足者富 足りることを知るものは豊かである』というのがあります。

「足りることを知る」などと言うと、すぐに禁欲的であるとか、清貧のようなことに飛びついて考えそうになります。
しかし、その時「何が足りる」と思っているのか、そこを考えてみることも必要ではないでしょうか。

先ほどのように、「あれが手に入ったら、これを差し出してくれる人がいたら、私は幸せ」という考えの時、欲しいものとは、エゴが要求してくるもの、思考が作り出した「欲しがるべきもの」と言えるのではないでしょうか。

あなたが社会の中で生きて行くうちに、「私が欲しがるべきもの」とは何であり、あるいは一般に人が欲しいと思うものはこういうものということを、その社会、その時代ですり込まれてしまいます。

まさにその刷り込みで、それこそが自分自身の本当の望みのように思
い込んでしまうことが、実際簡単に起きているのです。

それは、社会のシステムが、それに従った方が楽に生きられるように誘導どうしているとも言えます。

たとえば、あなたがサラリーマンであれば、会社の目指すことに沿って行動する方が、昇進するなどのメリットもあるし、居心地もいい。
あえて、自分の考えは違うなどと反旗を翻すのは、リスクや抵抗ばかり大きく見えて、賢い判断ではないと思ってしまうのです。

いつの間にか、あなたが考えるべきは、いかにシステムに沿って自分
の能力を発揮できるかに乗っ取られていきます。
その代償として自分の「力を持たない」欲求などは、奥の方に押しやられて、いつのまにか思い出すことに罪悪感を感じるようになってしまいます。

話を元に戻すと、老子の「知足」とは、このような思考の作り出した要求に見切りをつけることだと考えてみるとどうなるでしょうか。
そうすれば、それは、あなたを全面的に押さえつけることではなく、思考の作り出すあなたから離れて、本来の自分を取り戻すことを意味していると考えることも出来ます。

実際エゴの作り出す要求に振り回されることから解放され、自分の中からのささやきを、もっと力強い声に高めていけば、あなたは変わります。
あなたはむなしい要求を振り回して、「与えて欲しい」「与える人が現れて欲しい」と叫んでいることもなくなるでしょう。

エゴの重要な役割の一つは、あなたに不足しているものを、何とかして手に入れることであり、寝ても覚めてもそれを忠実に実行しようとします。
それはもともとは必要だったけれど、いつのまにかあなたの思い込みによる目的のための目的になってしまうのです。

そのような要求をいったん脇に置き、もう十分役割は果たしたと思えるとき、あなたが本当は、そんなにいろいろなものを求めてはいなかったことに気がつくでしょう。

あなたが欲しがるものの多くは、それがないと大変だという思い込みから来る恐怖に根ざしています。
その恐れさえリセットして考えれば、欲しいものは全く様変わりしてしまうでしょう。

あなたは自分には、人に与えられるような大したものはないと考えている。
しかしその考えも、あなたの今まで「欲しがるべき」ものを裏返して考えているからです。
あなたが本来持ち合わせているものとは、だんだん関係が無くなってしまったのです。

その結果、あなたは本来自分が持ち合わせている、他の人への影響力や魅力といったものがあったことを、忘れてしまっているのです。
他の人が欲しがるような特別な能力ばかりに目がいっているのです。

あなたがそこにいるだけで、ほっとしている誰かが、そこにはいるということ。
自分では役に立たないと思っている、あなた独自の考えが、他の人には貴重なものであるということ。
そういったことに気づかないまま、自分には与えるほどのものも、その資格もないと何となく思い込んでいるのです。


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抵抗するのを止めてみよう

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あなたが何かで悩み苦しんでいるとき、そこには抵抗が存在するでしょう。その抵抗はたいていの場合自分でもはっきり気がついていないことが多いのです。

抵抗するなと言っても、なにも他人からの理不尽な要求を拒否するなと言っているのではありません。
そうではなく、自分自身の内部での葛藤を止めようと言っているのです。

片方では、あなたは「こうあるべきだ。もっとこんな人間にならなければいけない。今の自分では不充分だ。いつかこうなれたら自分はOKになれるのだ。」と主張します。

しかし、もう一方の自分は、「嫌だ!そんなことはしたくない。」と、前者よりは弱々しくですが、言いたいと思っているのです。

これらが葛藤を起こしているので、あなたは苦しさを感じ思い悩むのです。

前者の主張は強く、何度もあなたを駆り立てるので、あなたはいつも心穏やかになれません。

この葛藤は、どうやったら終わりを告げるのだろうと考えますが、たいていの人は、そこでこう考えてしまいます。
「頑張れば、もっと強い人間になれる。そうすれば、この苦しさから逃れられるだろう。」
そして、なんとか前者の主張に答えられる人間になろう。「もっともっと頑張るのだ!」と苦しい戦いに挑もうと無理をします。

こうして葛藤が、いつまでも続くことになるのですが、それを解決するには、頑張るしかないとしか考えられません。

抵抗するのを止めてみたら?」という考えは、思いつきもしないのです。

もし今の自分が変えられなくても、このままの自分でいたとしても、問題なくやっていけるのだ。という発想が生まれて、それが理解できたなら、あなたは解放されます。

目の前の事態に抵抗したり、悪戦苦闘しなければ、苦しさから逃れられないと信じ込むのをやめて、ただ抵抗することを手放してみましょう。

そうすれば事態はそれなりに起きていきます。怖れているような、大変なことになどならないものだと分かってきます。

自分の思いと外界の状態とが食い違うとき、外の世界を自分の思っているように変えたいと思うとき、ありのままの状態に抵抗したくなるのです。

そして、抵抗しないでそのままでいることに、後ろめたさすら感じたりする人もいることでしょう。

ですが実際には、あなたの抵抗が充分強ければ、現実があなたに合わせてくれると信じているのは錯覚でしかありません。

抵抗して苦しんでいれば、現実が根負けして、あなたの思い通りになってくれるわけではないのです。

起きることは起こるのです。

あなたがムダな抵抗を止めて、ありのままを受け入れるとき、今まで費やしていたエネルギ一が解放され、ようやく今ここを充分に感じられるようになります。

あなたは抵抗を手放せば、楽になると薄々感じているのですが、今まで教えられてきたことや、社会や文化がそれでは許してくれないように思い込んでいます。

本当にその抵抗は必要なのでしょうか?
それともありのままでいることが怖いだけではないのしょうか?

ただ手放して、起こって来ることに任せてみることなど許されないと信じ込んでいないでしょうか?

今無意識に怖れを感じ、その結果無理に抵抗しようとしていないか振り替えってみてください。

自動的に反応して抵抗してしまうのをやめて、それで何が起きるのか試してみましょう。

怖れていることなど起きなかったことを確認し、起こるままに任せてみることに慣らして行きましょう。

元々必要のなかった抵抗をやめて自由になりましょう。
思い悩んでいたことも、必要なかったことに気づくようになってくるでしょう。


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自分には「権利」があるという感覚を捨てましょう~ムージ

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「Mooji
いままであまりあなたが聞かれていない話を、今からしようと思います。
そのために私自身を例として、ご説明しましょう。
あなたがすべてのことを味わいたいのなら、あなたの生き方の中で自分には「権利」があるという感覚を捨てましょう。
全く権利などない。どんなことについても、いかなる権利をも持っていない・・(と思うのです)
そうすれば、すべてのことは贈り物に変わります。
あなたが自分は受け取るに値する人間だと何に対しても考えなければ、すべてのことは贈り物です。
考えないでただ試してごらんなさい。
それがただあなたのためになるのです。どう?OKですか?
これは政治的な決断ではありません。
自分はもらえる権利があるというこの感覚を放棄し、人生というものがあなたに何かを与えてくれるべきだと思わないでください。そうすればそこに残されたあるスペースを感じ取ることが出来るようになります。
たぶん、最初は、「ああ、神さま、私には権利のために立ち上がることも許されないというのですか?それはあまりにもひどい仕打ちです」というように壊れてしまいそうに感じるでしょう。しかしそれでも、その感じを超えていくのです。
もっと偉大なもののために、いままでの感情をいけにえにささげてしまいましょう。
あなたは神のこころを使って考えはじめなければなりません。
神には権限がありません。
神はすべての権利を必要としません。
あなたも神のようでなければならない。
あなたには権利があるというこの感覚をあきらめるのです。
あなたはすべての道を味わってみたいと望むのでしょう?
ならば、プライドも放棄しましょう。
将来をも、またあきらめるのです。
あなたが未来を放棄するなら、過去も放棄するようになります。
あなた自身にも誰にも、このことを言う必要はありません。
そして、こんな依存関係をあきらめるのです「私のためにだれかここにいて奉仕してくれるだろうか?」
次のような未来への投影も捨てましょう。
「はい、2年経てばきっと、私は堅牢な人間関係を持てていて、自分のアパートを所有することになります。」
そんなことには何も大切な価値などありません。
それはちょうど、あなたがおめでたい人になり続けるようなものです。
あなたはだまされ屋さんになどなりたくない。
これよりもすばらしいものがあり、それがやってくるのです。
あなたは完璧な冒険とパワーを逃します。それはあなたが自身のために選択しようとしはじめれば、聖霊がそうさせるのです。
あなたが自身のために選択しようと感じていれば、彼はあなたが自身のために選択するままにしておきます。
しかしあなたが権利への感覚を放棄すればすぐ、あなたが「あなたは私に選択肢を教えてくれた。あなたが私の選択です」と言うようになれば、もっと違った何かが起こるでしょう。
この世界では、誰もあなたにこういったことを言ってくれません。
そこでは、あなたは誇りを持って、こう主張すべきだ「聞きなさい。私には権利がある!」と教えるのです。
私が権利を持っていると、世界は私に間違ったことをたくさん行ってしまいます。
プライドをあきらめなさい。
女性であることのプライドを。
美しくあることへのプライドを。
何かを達成することへのプライドを。
あなたが特定の宗教や民族に属していることへのプライドを。
これらの事のすべてを放棄するのです。
それらは悪魔に属していることです。
それらはあなたには属していないことなのです。
そして、残されたものを経験しましょう。
偉大な空間があなたの心の中に開きます。
巨大な謙虚。
巨大な受け入れ、愛、英知、そして自由。
あなたは宇宙と統合されたという感覚を経験するようになります。
そして、地球上の力は、何者もあなたを操作したり結合することはできません。
なぜなら、あなたは「なにものか」であろうとするあなた自身をすべて空っぽにしたから。
なぜ何者かになることをそんなに大事だと思うの?
しばらくの間は、私たちは人間性のその状態を味わう必要があるでしょう。しかしあなたは純粋さに戻る時が来なければならない。
純粋のあなたに戻るのです、本来の存在に戻るのです!
あなたは「どのようにして?」と聞く。
神の足元にそれらを折りたたむのです。
これは普通の転落ではありません。
それは下に落ちていくのではありません。
それは、生ける神の抱擁に向かって、上向きに落ちていくのです。」
- Mooji
--------------------------------------------------------
“Mooji
I am going to tell you something now that you don’t hear very often in the world,
and I use myself as an example for you.
If you want to go all the way, give up the sense that you have any rights in life.
Have no right at all. Have no rights for anything.
Then everything is a gift.
When you don’t deserve anything, everything is a gift.
Just try.
Just for you. Okay?
This is not a political decision.
Give up this sense that you have rights, that life owes you something, and feel the space that remains. Maybe, initially, you will feel vulnerability like, ‘Oh my God, I can’t stand up for my rights. I will be abused.’ But go beyond this feeling.
Sacrifice it for a greater truth.
You must begin to think with your God-mind.
God does not have rights.
God does not need any rights.
You have to be like God.
Give up this sense you have rights.
You wish to go all the way?
Give up pride also.
Give up future too.
If you give up future, you give up past also.
Just for you. You don’t have to tell anybody.
And give up this dependency, ‘Who will be here for me?’
And give up projections such as, ‘Yes, in two years time
I will be in a solid relationship and I will own my own apartment.’
There is nothing so great about that.
It just keeps you being a sucker.
You don’t want to be a sucker.
There is greater than this to come.
You miss the full adventure and power
that comes from the Holy spirit if you start to choose for yourself.
If you feel to choose for yourself, He will leave you to choose for yourself.
But as soon as you give up this sense of rights; if you say,
‘You give me the sense of choice. You are my choice,’
then something else will happen.
In the world nobody tells you this.
There you have to be proud and say, ‘Listen, I have rights!’
When I have rights, the world has done me a lot of wrongs.
Give up pride.
Pride in being a woman.
Pride in being beautiful.
Pride in being accomplished in something.
Pride that you are a certain race, religion or nation.
Give up all of these things.
They belong to the devil.
They don’t belong to you.
And experience what remains.
A great space will open inside your Heart.
Huge humility.
Huge acceptance, love, wisdom and freedom
as you experience integration with the cosmic being.
And no force on earth can manipulate or bind you,
because you have made yourself empty of all that makes a ‘person’.
Why think it is so great to be a person?
For a while we have to taste that state of personhood,
but there must come a time when you return to purity.
Come back to your purity, your original being!
You ask, ‘How?’
Collapse at God’s feet. This is no ordinary fall.
It is not falling down.
It is falling upwards into the embrace of the Living God.”
-- Mooji

http://oceanandwave.tumblr.com/

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受動的な観察者

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何かのきっかけで、いろいろな自分に気がついて驚いてしまうことも時にはありますね。

「自分はこういう人間だ」と言い聞かせていたことでは説明が出来ないと、そこで戸惑ってしまうのです。

むしろ、「自分はこういう人間だ」と決めつけていたことが、大ざっぱすぎたことに気がつかないといけないのです。

では、いろんな自分が現れてもてあますときどうすればいいでしょうか。

ここでは、交流分析などを中心に自分を知る方法を考えてみます。

まず、カープマンの提唱する3つの役割について。

私たちは普段から、「迫害者」「犠牲者」「救助者」のどれかの役割を演じようとしがちで、どれを使いやすいかという、その人の得意な役割を持っています。

この場合の役割とは、ドラマで役者が役になりきっているように、ほかの人からはその人そのものに映るのですが、実際は役割を演じているのです。

しかし、役者も役になりきっていると、それが自分そのものに思えてくるといわれますが、同じように役割を演じているときには、私たちもそれこそが「私」そのものだと感じているのです。

自分そのものだと思うわけですから、その役割を批判されたり攻撃されれば、自分を守ろうと必死になります。

荘子の話に出てくる王様に奴隷のように使われる男の話。

昼間の実際の生活では王様から奴隷のようにこき使われますが、夜眠った後は夢の中で自分が王様の役割に転じて王様をこき使おうとします。

現実の場面では男は「犠牲者」を演じていますが、彼の中にはまた「迫害者」としての自分も立派に存在しているのです。

現実を離れた夢の中では、その「迫害者」が自分そのものになります。

はたして、本当の自分はどちらなのかと悩むわけですが、どちらも自分だというのが正解なのでしょう。

自分はこういうタイプだと社会に向けて表明していても、決してそれだけが自分ではないことは、まわりの人も自分自身もうすうすわかっているものです。

しかし、いったんそれから外れた自分が現れると、どうしたらいいだろうと慌ててしまうのは、自分が思い描いた自分とあまりにも同化しているためです。

それは、自分の中の一部に過ぎないという見方が出来なくなってしまうのです。

さて、いろんな自分が出来上がってくる過程をごく大ざっぱに見てみましょう。

まだ幼い子どもは、親に保護されて生きるしかありません。

ここで親が果たす役割は、養育的に子どもを扱う親と、しつけなどで命令する立場の親の2つの面を持ちます。

子どもは、自然に反応する自分の他に、親の期待に応えないと生きていけないと思って親に合わせて適応しようとする自分が存在します。

親が子どもに命令するときというのは、ちゃんとした理由が有って子どもを守るために叱る場合もあれば、単に親の側が機嫌が悪くて、つい無関係に子どもを叱ることもあるでしょう。

しかし、子どもにすれば、そんな事情はわかりません。

理由はわからないけれど、自分は叱られていて、嫌な思いをすることもあるんだと受け入れるしかありません。

反発を感じて抵抗する子どももいれば、自分の中に押し込めてしまう子どももいます。いずれにしても、理屈抜きで反応するしかないパターンを作り上げていきます。

しかし、幼い時期には子どもと親の関係は一方的であるとはいえ、親の姿を見ている子どもはそれを自分にも取り込んで行きます。

「お母さん、またテレビつけたまま寝てたよ!ダメだねえ」と子どもが言うとき、子どもは親の立場から見ているのでしょう。

子どもの中の「親」もだんだん育っていきます。

大人になるにつれて、その占める割合も増えてくるでしょう。

ここまで見てきただけでも、自分と一口に言ってもいろんな役割の自分が蓄積されてきただろうことがわかります。

王様にこき使われる男は、仕方なく従う「子ども」としての役割の他に反発を感じている「子ども」も感じ取るでしょう。

そして夢の中で自由を取り戻したときには、自分の中にとりこまれた批判的な「親」を発動することになるわけです。

言語化されていない段階での反応ほど、反射的に現れてコントロールするのは難しいものです。

しかし、だから「いつも私はこうなってしまう」と決めつけてしまうのは早計です。

すぐに反応してしまうからと言って、それだけが自分だということにはなりませんし、他の反応は自分に出来ないと決めつけなければ、他の自分を発見できるのです。

表向き従順な子どもは、適応した「子ども」をまず表に出すこどもです。

しかし、他の自分もまた立派に存在しています。

ときには、反発する「子ども」が顔を出しますが、それは自分じゃないと押さえ込んでしまうのかもしれません。

従順な「子ども」とペアを組んでいるのは、威圧的な命令する「親」です。

当然、その親像は自分の中にも取り込まれています。

「親」と「子ども」の関係は他人との交流以外にも、自分自身の中での「親」と「子ども」の対話が存在します。

従順に仕方なく従う「子ども」を演じることが多ければ、ペアを組む批判的な「親」も自分の中で育てていきます。

「犠牲者」は追い詰められれば、一転して強力な「迫害者」に変身します。

「救助者」は相手が助けを拒むと、これまた一転して「迫害者」に変身します。

まわりの人は、自分のとりやすい役割を補完するの人に見えてくるのも仕方ないことです。

自分が反発を感じやすいほど、まわりの人は自分を怒らせるように見えてきます。

自分が隠そうとしている、不都合な自分を刺激するような人が目に入りがちなのです。

しかし、それは人間の心理の弱点というものです。

ですから、そういうものだと思って、罠にはまっても自分だけの責任を感じる必要も有りません。

素直に自分を見られるようにしておくことが、そういった罠にはまらない対策になるでしょうから、嘆いたり罪悪感を抱くくらいなら、それを見抜く観察眼を磨けばいいのです。

子ども達が5,6人集まって遊んでいるのを見ていると、すぐにこの子はいじめられそうとか、この子はガキ大将っぽいなとかいうのが見えてきませんか。

だれしも自分の得意な役割を、自然と表に発散しているのです。

そして、それを補完する役割の人が近づいてくるものなのです。

キックミーと叫んでいる子どもには、いじめっ子が近寄ってくるのです。



長くなりましたが、本題に戻しましょう。

「受動的な観察者」として自分を見るのです。

さまざまな自分が存在することを認めて、「どうせ私は~な人間」と決めつけないことです。

決めつけないでいることを続ければ、こんな自分はいないと切り捨てていた自分も、自分の存在を主張し始めます。

やがて自分が思い描いてきた自己像とは、実は社会的に望ましいとされる自分ばかりを積み上げたものだとわかってくるでしょう。

押し込められていた自分を見つけ出すに従って、自由を取り戻していきます。

そんな自分は自分ではないと無理に信じようとしたり、他人に見せかける為に使っていたエネルギーがいままで自分から自由を奪ってきたのです。

それが、なにかスッキリしない自分の原因で居続けてきたのです。

「受動的な観察者」というと、いつも冷静になって白けているような印象を持つかもしれませんが、必要なときには、自分自身に入り込めるという選択の自由をもつのは、普段からニュートラルでいられる自分があるからこそです。

いつも何かに入り込んで、力が入っている人は、他の事を頼めそうにありませんよね。

近寄れば、それに賛同しないわけにいかないと感じてしまいます。

何かをしきりに訴え続ける人をよくみていれば、なぜそんなにこだわるのか聞いてみたくなりませんか。

それしかない、それを逃したら自分がいなくなると必死な裏側が見えてくるのです。

「これこそが自分だ」と言い聞かせるやり方はどんなことを生みだすでしょうか。

・それを批判されると、死活問題のようにそれを守るのに必死になります。

・それ以外の自分を認めないでいることが、柔軟な切り替えを難しくして、選択肢を狭いものにしてしまいます。

・受け入れられるのは、自分に賛同してくれる人ばかりになってきます。

・自由を制限された思考からは、偏った考えしか生まれてきません。

解放するというのは、縛り付けてきたと思い込んでいる「外側の何か」に反旗を振りかざすことではありません。

解放とは、自分の中にある縛り付けている自分の解放しかないのです。

それには、先入観を無くして自分を観察する姿勢が一番なのです。

華やかな騒がしさで自分を誤魔化していても、パーティの後の寂しさを生み出すだけです。

そういう人は、いつも仲間がいないと不安になります。

やたらと能動的になる姿勢は、何かへの反発からくるものです。

そして反発する対象がなくなったら、すぐに力を無くしてしまいます。

相手が謝ってきているのに納得しない怒った子どものように、いつまでも怒り続けるために、別の反発する対象を探し続けることになってしまいます。

ありのままに見るには、受動的な観察が必要なのです。

相手ありきの反発を捨てて、自発的な姿勢を生み出すことが必要です。



だれかを悪者にしたいと思っているのなら、まだ認めていない自分がいるということです。

敵を想定しないといけないようでは、本当の改革は出来ません。



自分自身で考えるには、一人静かに自分を振り返る時間が必要なのです。

ありのままに、受容的にです。

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いまここに、何も問題はない

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私たちが何かを考えているときとは、行為がそれだけで完結しないで、残存物が残っているときです。

たとえば、朝起きてから、自分が今までに何を行ったのかを思い起こしてみてください。

たいていのことは、ただ習慣的に無意識のうちに行っているでしょう。そしてそれらのことは、いちいち何をやったか名度覚えてもいないでしょう。

行為の結果としたなにか証拠が残っていれば、それから何をしたかを思い起こすことができるかもしれませんが、必要もないのに何を行ったかを考えたりしません。

行為が完結していないときだけ、どうしようかと考えるわけです。
そして、いつまでも問題としてのこったり、自分を悩ませるようなこととは、いつまでも解決できないで、それを考え続けるからです。

いいかえれば、たいていの問題とは、どうしようもないことを、何度も思い出しては、考えていれば何とかなると信じて無駄な足掻きをしているようなものです。

問題を抱えたり、悩んでいれば、そのうちいい結果が生まれると信じ込んでいます。

しかし、それが難しいことでも、やさしいことも、それができることなら、いちいち問題化しなくても、気がつかないうちにやり遂げているものです。

それが自分にできることなら、そして自分がやることになっていることなら、任せておいてもそれらは実行されます。
いちいち考えるべき問題だなどと言いながら、いまここを離れて思い悩むこともないのです。

信頼して、やることはすべて自動的になされていると思えるとき、心は穏やかで、いまを離れて思考に入り込むこともありません。

また、考えてもどうにもならないことは、無理やりどうにかしようと思わずに、そのまま受け入れることです。

たとえば自分の身体の中の働きをいちいち考えないように、またそれがそうであることをいちいち思い悩まないように、そのまま受け入れていることを思い起こしてください。

それと同じように、変えられない出来事は、ありのままを受け入れることで、それを終わらせることができるのです。
やがては、それらは当たり前のことになり、思い起こすこともなくなるのです。

考える必要があることなら、わざわざ気にしなくても、今までの経験や記憶から知らないうちに解決してくれるでしょう。
実際いに、毎日多くのことを知らないうちに成し遂げているのですから。

いま出来ないことや、手に入らないことは、まだその機会が来ていないか、そもそも必要のないものなのです。

そのことが理解できたなら、「いまここには何も問題などない。」という言葉がそのまま受け入れられるようになるでしょう。



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いのちがあなたを生きているんだよ



『真理の指輪』の話に入る前に登場するこのフレーズ。

『いのちが、あなたを生きているんだよ』

これを「私」が「いのち」を生きていると思っている間は、

「私」はやすらげない。

「私」が「いのち」をコントロールしなければ、

なんにもしなければ、とんでもないことになると怖れている。

恐れに突き動かされて、ひたすら走り回るけれど、

そもそも、「私」には「いのち」をコントロールする方法などわかっていないのだ。

いつか「どうすればいいか」がわかると思い続けて、

もうどうしていいかわからない、というところまで追い込まれたとき、

絶望するか、服従するか、を迫られたとき、

あなたはどちらを選ぶだろう。

そこまで追い込まれないと、走り回るのをやめられないだろうか。

走らされているトリックを見破る人は少ない。

それをやめたら大変だという鞭と、いいことが待っているという人参が、

馬を走らせるのだ。これがその仕掛けだ。

走るのをやめたとき、そこにもともとあった景色が初めて見えてくる。

こんなに豊かなものに囲まれていたのを、やっと発見できる。

もともと馬は競走馬に生まれてくるわけではない。

ただ走りたいとき走るだけ。

競走馬を引退するなんて、

私はまだリタイヤなんてしないぞ!

こんな言葉で、簡単に騙されてしまうわけだが、

もともと私たちは競走馬なんかじゃないとわかれば、

引退ではなく、本来の『いのち』に戻るだけだとわかる。

競走馬で走っていても、『いのち』に生かされているのを見守っていても、

ものごとは、そんなことに関わりなく、起きては過ぎ去っていく。

勝手に名前を付けて納得しているだけのトリックなのだと、

気づいても気づかなくても、

ものごとは、そんなことに関わりなく、起きては過ぎ去っていく。

後から過ぎ去ったことを振り返って、今の自分を正当化するのに躍起になるか、

それとも、いまここで起きていることを楽しむか。

『真理の指輪』を開いてみるのは今しかない。


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制限している自分を解放するには

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思い切って飛び込めば、新しい世界が開けそうな気がする。

だけど実際には動こうとしない。

入り口まで入ってみるのだけれど、知らないことばかりで尻込みして帰ってくる。

自分に正直に振り返って見ればこういう言い方もできるのですが、実際にはもっといろんな理由をつけてやらないことを正当化していることが多いでしょう。

大人になるほど、正当化はうまくなるものですから。


私たちは、自分の知らない世界を怖がります。

その傾向は、知っていることが増えるほど怖がる対象が増えるものかもそれません。

なまじっか知らない方が、怖いもの知らずでいられるということもあるからです。

子どもは知らないことが多いから、こんなにいっぱい自分は覚えられるだろうかと謙虚に思いますが、大人になるにつれ、いつしか自分はもうすべてわかったと思うようになります。

それは1つの経験が類似のことにも流用できるということがあるため、ある程度経験を積めばもう大体わかったことにしてしまうからかもしれません。

例えば算数で鶴亀算を習って苦労していた子どもが、魔法のxを使う方程式を覚えると、もう○○算など必要ない、これですべて解けるじゃないかと喜びます。

しかし汎用的なやり方を身につけるほど、柔軟な思考力は失われる傾向にあります。

数学のように前提がハッキリして閉じた世界では問題なくても、一般の世界をルール化することはそう簡単にはいきません。

どう解釈するかはいくつも考え方が存在するわけですし、どれもこれさえわかればOKというわけにはいきません。

ですが、思考の方はそんなことは無視して、自分の知っていることですべてを理解してしまいたいと願います。


そして、いつまでも純粋に原理を考えたりしないで、現実の問題に対処することだけを考える様になってきます。

やがて、世界をどう解釈するかは自分の中で固定したやり方が固まってしまうのです。

方程式を覚えた子どもが○○算に戻ろうとしないように、自分のやり方で世界を理解して押し通そうとします。

ですが、実際に経験し確かめてことでなければ、自分では説明がつくと思っていても、いざやろうとすると怖いのです。

そうやって、頭ではわかってはいるけど実際に飛び込むのは怖いということが増えて来ます。

そこには、自分が強引にわかったつもりになりたくて作り上げてしまった世界観があります。

しかし、実際に経験したことのない作り上げた世界観は、現実とは一致しないかもしれないわけで、もしそういうことが起きると自分の積み上げてきた世界が崩れ去ってしまうと思って怖くなるのです。

そんな制約を持たない子どもは、もっと大胆に知らないことにも挑んでいきます。

世界を説明出来るものにしようと思うことは、科学を発展させ、便利な世界を作り上げましたが、一方で説明のつかないことへの恐れもその裏側にくっつけて進化してしまったのです。

未知のことへの恐れは、知っていると思っていることが多いほど、それが崩れることの恐れが加わって臆病になります。


長々と引っ張ってきましたが、こういった意味の恐れを軽減して、未知のものに挑戦することをもっと易しくするには、知っていると思うことを一度リセットしてしまうのが早道です。

自分はちっとも知ってはいないこと、世界はいたるところ未知のものだと認めてしまえば、純粋に最初の踏み出しの勇気だけあれば新しいことに挑戦できるようになります。

その時の痛みは、自分で世界を作り上げてしまっているほど強いものになるでしょう。

世界を自分のよく知っているものに変えたいという欲求も充分わかります。

しかし、それが行き過ぎれば、未知のことに対して、小さなことも挑戦するのが怖くなってしまうのです。

時にはドンキホーテのように勝算のないものにも立ち向かう勇気が必要です。

考えてもわからないことは、文字通り無駄な行為ですが、考えればいつかわかるという思いが捨てきれないのです。

何にでも自分で答えを出したいというのは執着であり傲慢な姿勢です。

目をつぶって、他のわかることに取り組もうと思えば、今日のような青空が拡がってくるでしょう。


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王様と私~私の世界が変わるには

男女怒り

「荘子」に出てくる「王様と私」の話です。

ある男は普段から王様にこき使われています。
それこそ奴隷のように、言われるままに働かされ、
文句など言いようもありません。

しかしこの男は、夜眠ると、夢の中で自分が王様になり
立場が逆転して王様をいじめたり、命令したりしているのです。

どちらが本当の自分なのか、悩む男。

「胡蝶の夢」を思わせるこの話、いろんなことを感じとれますが、
ここでは、逆転する主従関係を取り上げてみたいと思います。

この男は、夢の中では「自分が主人でその主人は奴隷に命令する」ような人なのです。

その思いが、現実の生活では「人は私をこき使うだろう」という見方を生み出しているのです。

この男が自分は王様になっても奴隷をこき使うことはしないと思い始めれば、現実の生活でも自分を不当に扱う人がいなくなります。

「いなくなる」とは、もともと自分が作りだしていた幻想に過ぎないということを意味しているのです。

このような内容は何度も書いていますが、単なる気の持ちようではなく、実際に人の心理はそのように正確に働きます。

気休めではなく、真剣に取り組めば、まわりの人の見え方は確実に変わります。

また、逆にまわりの人が自分に脅威や不安を起こさせるとしたら、自分の中に存在する「命令する王様」を振り返って見ることです。

きっと、「まだ隠れていたか王様が」という発見があるはずです。

この程度のことと思わずに、真剣に取り組めば、やっただけ確実に周りの世界は変わり始めます。

ところで、「世界が変わる」という表現を使っていることについて、もう一言書き添えておきます。

こういった話を聞くと、なるほどおもしろい話だったとして、知識として蓄えようと思う方も多いのではないでしょうか。

つまり、アルバート・エリスの論理療法の理論で言えばこういうことです。
1.自分に脅威や不安を起こさせる人が存在する。[A:Activating event(出来事))]
2.相手の存在が自分の信念と合わず動揺する。[B:Belief(信念、固定観念)]
3.相手によって自分がイライラさせられる。[C:Consequence(結果)]
4.考え方を変えてみる。[D:Dispute(論駁)]
5.相手の見方が変わる。[E:Effect(効果)]

ここまではいいのですが、単に知識の収集で終われば、たまたま思い出したら、4,5を実践するが、大抵は今まで通り3で終わってしまうということになります。

そもそも2の段階から変えてしまおうという気にならなければ、世界が変わると言うところまで行きません。
ですが2の段階からかえてしまうことは、同時に今までの自分と対峙し、そこに付随するいろんな信念と対決しなければならないでしょう。

そこまでやろうとする人は、なかなかいないのです。
ですから、単なるおもしろい話や、ためになりましたで終わってしまうのです。
自分が変わることへの抵抗や不安は大きい。
それを超えてまで変わることのメリットは、誰も教えてくれないし、迷っているうちに、信念のシステムの方で自分の変化を拒絶してしまうのです。

世界が変わるとは、1の段階が変わるということであって、運が得よければ4が発動するということではないのです。


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失くしてもいないものを探さないこと

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私たちの生活、特に経済活動では、何かを購入しようと思うと、「より良いもの」「より安いもの」「より壊れないもの」・・・と考えて、満足する買い物ができると安心し、自分を誇ることが出来たような気になります。

そのためには、どれを、どこで買うかを探さなければなりません。
よく探さないで、衝動的に購入して、後でより良い、より安いものがあったことを発見すると、がっかりし、自分を責めたい気持ちになるのです。

こんな具合ですから、自分自身という存在についても、同様に自分探しを始めます。
「今のままの自分ではダメ」「もっと何か良くならないといけない」「常に進歩していないと取り残される」・・・などと考えて、今の自分はいつも評価されないままです。

今のこのままの私では、何がいけないのでしょう?
それ以前に、そのままの自分を充分に味わったことがあるでしょうか?

「よりよい自分探し」というものは、多くの場合、今の自分が嫌いだとか、自信を持てないという心理のカモフラージュになってしまいます。

「自分自身を信頼できないのは、今はまだ理想の自分になれていないから」という言い訳で、今の自分と正直に向き合うこともしないまま、だめだと決め付けるのです。

そして、このやり方は、一見理想の自分に向けて努力しているかのような気分にしてくれるので、「まだ見つかっていないだけ」と言い訳して、大事な今のありのままの自分を見ることを避けてしまいます。

自分を信頼できないのは、このようにいつまでも見つからない自分探しで、自分をだまし続けているからです。

またかけがえのない自分自身を、他人と比べるなどのやり方で、比較、評価することでしか認めようとしないから、そのままの自分を見ようともしないし、そのままでいいなんて思いもしないのです。
そんな自分を好きにもなれません。

比較というものさしで自分を見ていたのでは、いつまでたっても理想の自分になどなれるわけがありません。比較対象は無限に存在し、いつもあなたを上回る存在を発見するのですから。

比較や評価でなく、そのままの自分を良くも悪くも受け入れること、これ以外に自分への信頼を持つことは出来ません。自分自身を好きになることなど、永遠に出来なくなるのです。

これ以上、何を探す必要があるでしょう?
これ以上、何を達成する必要があるでしょう?

今ここにいる自分だと思う人、それがあなたに必要なものはすべて備えています。
持っていないものは、そもそも必要のないものなのです。
そのことが、ただ、あなたのさまざまな思考活動の悪影響で、見えなくなっているだけなのです。

いつか良くなる時など永遠に来ません。
いまのかけがえのない満足できるあなたと向き合ってみましょう。
それは、何の努力もなく、すでにそこにあるのですから。

自分自身を好きになれないのは、誰のせいでもありません。
自分の今もっているものを認めようともしない、自分自身のせい以外にありません。

今の自分に満足してしまったら、怠惰になったり成長が止まると考える人がいます。
しかし自分を信頼できないで、どんな成長があるでしょうか?
むしろ自分への信頼が、今の仕事も効率的に出来るようにしてくれるでしょう。

つま先立ったままでは、走ることはできない。~老子
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あの時はつらかったね!

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あの時はつらかったね!

『あの時はつらかったね!』と誰かに言ってもらえたら、きっと救われたような気持ちになりますね。

でも誰かがそれを言ってくれるのを待つ必要はありません。
自分で自分に言ってあげましょう。

しかし、それを言えるためには、1つの前提があります。
時にはそれは、大きな壁となって立ちはだかるかもしれません。

その前提とは、「その出来事やその時のつらかった自分が存在したこと」を認めて受け入れることです。

それは簡単であるとは限りません。

なぜなら、自分の経験したことであっても、そのつらさからそれを打ち消してしまおうとする防衛規制が働くのが、人間の心理というものだからです。

そんなことは「なかったことにしよう」としたり、あったことを覚えてはいても、なんとか「正面から向き合うことを避けよう」としたりするものです。

「なかったことにしよう」パターン:

「私にそんなことがあるはずがない。私はそんなことなど平気な人間だから」と言ってしまいます。

そして、それを言ったために、本当に自分はそのような感情に対して、平気であることを装わなければならなくなります。

何かの感情を打ち消して感じなくしようとすれば、その感情だけでなく、いろいろな関係しそうな状態も否定しなければならなくなります。

その結果、特定の感情を避けるために、直接関係のない感情まで鈍磨させないといけない、と言う弊害が起きてくるのです。

つまり何事にも、あまり気軽に感情を表現できなくなります。
そのため、たとえそれが楽しい感情であってもも抑制がかかってしまいます。

ですが、このように装ったところで、隠している感情は消えて無くなるわけではありません。
否定しようとすることも働きかけであり、その力が逆方向の抵抗を作り出し、たえずその反勢力に対抗し悩まされることになるのです。

「正面から向き合うことを避けよう」パターン:

このパターンでは、自分につらいことがあったことは認めていますが、その本当の姿を見ることからは目をそらしているのです。本当に追体験することは避け続けなければなりません。

ですから、そのために様々な策略を労することになるのです。

たとえば、こんな感じです。
「私ってこんなひどい過去があるの。だからかわいそうだと思って。」
「こんなかわいそうな私が失敗したって誰が責められるというの。」

直接傷口には触れないまま、開き直ったり、同情をかったり、あるいは感情的になったり事態を混乱させて、追求されることを避けようとします。

こうして周りの人間に対してバリアーを張っておいて、触れたくない自分には、まわりからも自分からも、見えなくなるようにするわけです。

このような防衛のパターンは、個別に見れば実に様々なパターンがあるでしょうが、今はこの程度にして、次に進みましょう。

このような防衛する自分に気づいて、「避けていた感情の存在を受け入れること」が必要になるというところに戻りましょう。

しかし、自分で隠そうとしているときは、無意識に入り込んでいるから「自分で気づくなんて出来ないじゃない?」と思われるかもしれません。

しかしそれを言ってしまっては、気づけない自分をそのまま続けるだけです。
もしかすると、そのように思うこと自体が自我の防衛パターンの一部になっているかもしれません。

ここはひとつ、意を決して「自分の経験したことなんだから、自分でわからないはずはない」と宣言してしまいましょう。

それは実際事実であるし、回避に手を貸さなければ、やがて宣言だけでなく本当に実現することになるでしょう。

ですが、いざやろうとは思っても、どうやればそのような自分を見破ることが出来るのか戸惑うかもしれません。

しかし手がかりはあります。

そのような状態にあるとき、普段とは違い自分になっていますから、防衛規制が働き始めたときの変化をとらえてみましょう。

・落ち着かなくなる。
・話をそらしたくなる。
・早口になったり、多弁になったり、声が大きくなる。
・誰かを攻撃したくなる。
・開き直ろうとする。
・なんとなく悪いことをしているような後ろめたさがある。
・自然な感情が起きてくるのを警戒したり、特定の感情ばかり使おうとする。

パターンは人それぞれ特有のものになるでしょうが、そこにいつもと違うパターンが見られるはずです。

ひとつでもそんなパターンに気づけるようになれば、だんだん容易になってくるでしょう。あとは済し崩し的に征服できる可能性が高くなります。

つらい経験であった、あるいはそう思い続けてきたわけですから、直面するときはやはりそれなりの覚悟は必要です。
泣きたくもなるかもしれません。

ですが、それは隠し続けるよりはずっといい結果をもたらすと信じてがんばってみましょう。

つらい過去は誰でも思い出したくないもの。

しかし、一旦向き合ってみれば、いいことはたくさん巡ってきます。
そして、それを経験すれば、隠していることなどばかばかしいことだと思えるようになってくるでしょう。

正面から向き合った結果は楽しいものです。

・すっきりした気分になります。
・今までよりも軽くなれます。
・隠すために使っていたエネルギーが解放されます。
・いままで、ずっとやりたくても避けていたことが、うそのように気軽に出来るようになります。
・誰かのせいで犠牲になっているという思いが消えていきます。
・同じような思いで無理をしている人に気づくようになれますから、許容する心や思いやりをもてるようになります。

そして、自分に正直に向き合うことがどんどん容易になっていくでしょう。
その結果、こうありたい自分ではなく、ありのままの自分を好きになります。

今までと同じ環境にいても、そこから見える世界は、防衛が解けた自分を反映して自分に対して優しい人ばかりの世界に見えてくるでしょう。

『あの時はつらかったね!』と自分でも言えるし、そう言ってくれる人も現れることでしょう。




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あなたの今の悩みはすぐにでも消え去るでしょう~○○が関与しなければ

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過去を変えたいと思ったり、なかったらよかったのにと思うとき、余計な思考が一人歩きします。
またそれは、それらの過去と対象的な現実が起こって欲しいと思い、それを未来に投射するのです。

このどちらも、あなたを悩ませ、苦しませる思考です。
こういった思考を発動しない限り、あなたはいまここの対象にのみ集中して、「私」が関与しないで、ただやるべきことを自動的に行っていることが出来ます。
後で気がついて、いつのまにかやり遂げていたことに気がつくでしょう。

つまり、「私が考えよう」とする思考が働くときに、あなたは苦しくなり悩みだすのです。
「私」が関与しないで、ただ動いているとき、あなたは悩みもせず、いまここに没頭することが出来ます。
そのとき、何の緊張もストレスも感じないで、気楽に生きていられます。

「このままでいいのだろうか?」と考え出すとき、あなたは悩み始めます。
「何も気にしないで、気楽でいたのではいけない」と言い聞かせる自分が、あなたを余計な思考の世界に引きずり込んでしまうのです。
そう思ってしまうのは、「私が自分の意志でしっかり考えておけば」問題は起こらないと錯覚するからです。
「よく考えずに行動したから失敗したのだ」という戒めを、自分に突きつけて、「私」が考えずに行動してはいけないと言い聞かせようとします。

しかし、その因果関係は錯覚です。
「私」が考えて行動したから、良くなった、悪くなった、のではなく、結果が起きてから、「私」が何をしたからこうなったんだ、とこじつけているだけです。
あなたには、それを進めることも、止めることも、起きなくすることも出来なかったというのが、本当のところです。

「私が思えばそのとおりになる」という根拠のない傲慢さを捨てることです。
「私」が介入しないでも、あなたがやるべきことは行われ続けています。
今ここにとどまって、それを楽しむだけでいいのです。
起こってくることは、時には、つらいことだったり、悲しいこと、いやなことだったりするかもしれませんが、それは絶えず変化している途上の出来事に過ぎません。
両極の片方から、片方へ変化する移動の途中に過ぎません。

いいことだけずっと続くわけでもなく、つらいことがいつまでも続くわけではありません。
もしそのように思えるなら、それは「私」が関与して、それを繰り返し思い出そうとするからです。
何事も常に変化し続けます。どこかにずっと止まっていると思うのは幻想に過ぎません。
その変化に任せるなら、あなたはいつまでもいやな気分に巻き込まれ続けることはありません。

いいことにせよ悪いことにせよ、あなたがそれを操作できるかのように勘違いしないで、傲慢な私の意志をおとなしくさせていくに連れて、あなたは不安を感じることが徐々に消えていくでしょう。

あなたが自分でコントロールできないことが、どれだけあるのかということを、素直に観察していけば、どれだけ起こることにゆだねて生きているかを、感謝を持って感じてみれば、「私」が関与しなければどれだけ平穏でいられるのかに気がついていくでしょう。

あなたは刺激が欲しくなると「私」をでしゃばらせようとするのかもしれません。
しかし、そのあとの「私」への執着が、新しい苦しさを作り出してしまうのです。

あるいは、あなたが不安でいっぱいなら、「私」が攻め立ててくる声にこたえたりしないで、いまここで自分でコントロールしないで、ただ起きてくることを受け入れようと思ってみることです。
最初はとんでもなく恐ろしいことに思うかもしれませんが、何も自分で関与しないでいることです。
あなたが不安をどれだけ強めようと、どうにかしようとあがこうと、あなたのコントロールなしに、ただ起きることが起きて物事が進んでいくのです。

「私」が関与しなければ、いいかえれば「私」が主張する思考に自分を奪われなければ、素直に起きることを受け入れて、やるべきことをやっている自分を取り戻せたことに気がつくでしょう。


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自分の判断に不安を感じるのはなぜだろう

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誰かに対して自信ありげに見せている自分。

しかし、ひとりになってから自分だけと向き合って、それでも自信は揺らぎませんか?

ふとしたときに「これでいいのだろうか?」と不安になってくる。

これはどこからくるのでしょう?

そこで、実際には自分は何を頼っているのかを振り返ってみましょう。

◆自分の人生を生きるつもりなら、最後は内側から出てくる指針に従おう。

外側の方針に従ったら、どこまでも自分ひとりでは何も出来なくなってしまう。
決断を下す存在が外側にあるのでは、自分で判断するたびにストップがかかるのは当然である。

◆自分が自然に選択したことは、いちいち振り返らずに進んでいくもの。

正しいかどうか不安になるとしたら、なにかが自然の流れから外れている。
どこかが間違っていると思って他のやり方を考えよう。

◆自分でよくわかっていない権威に従うと、いつまで経ってもわからない存在に引きずられることになる。

自分で考える権利はいつになっても巡ってこないだろう。

◆そうではなく、自分を成長させればもっと視界が広がって自分で判断できるようになることを信じる。

いまの自分だけで判断して、自分では決められないと判断したり、誰かに頼ろうとするのはやめておこう。

◆社会の常識だからといって人を手助けしようとしないこと。

自分が本当に助けたいと思えることに限って、相手に親切にしてあげよう。
相手が自分で判断できるように手助けするのが、一番の親切だと忘れないこと。
またそれは、裏返しで自分も不必要に人に頼ることになるのを防げる。

◆「いまは、これなしでは生きられない」というものを作らない。

多少の不都合はあっても、依存と引き替えに何かを手に入れようとするのを極力避けたい。
そうしないといつまでも頼るものを作り出す生き方になってしまう。

◆弱気になっているのは、まだ外側の手近なものに頼ろうとしているから。

頼りにする何かを持つのをやめたら、不安や弱気は消えてしまうもの。
それは意志の力の強さでもないし、強がってみせることでもない。
それらを手放して自分の弱さを認めたときにあらわれてくるもの。

◆今の生き方で疲れを感じるとしたら、上記の何かをやっている兆しだと思って見よう。

「疲れた」とため息をついたら、何が原因かを探ってみよう。

◆自分の内側から来る自信だけが本物だと考える。

外側の何かに頼った自信はかんたんに崩れ去る一時的なものでしかない。

◆自分に頼って生きるのか、だましだまし何かに頼りながら生きるのか、どちらかはっきりさせよう。

いまの自分に自信が持てないという理由で後者を選べば、いつまでも充実感は得られない。



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