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ちゃんと見ている、あなたがいるから! 「ちゃん見る」シリーズ No.004 人間関係のトラブルを生み出さないヒント~その2

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ちゃんと見ている、あなたがいるから! 「ちゃん見る」シリーズ No.004 人間関係のトラブルを生み出さないヒント~その2 [Kindle版]
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Amazon.co.jp: ちゃんと見ている、あなたがいるから! 「ちゃん見る」シリーズ No.004 人間関係のトラブルを生み出さないヒント~その2 電子書籍: 高田佳和, YUKKI: Kindleストア


内容紹介
私は様々な場で心理的なお悩みの相談を行ってきました。
そして、どのような悩みにしろ、そこに人間関係の影響が登場しないことは、ほとんどないと言っていいでしょう。

一見、人間関係など関係ないように思える問題でも、いざ解決に動こうと思ったとき、そこに今の自分の人間関係のあり方が障害として立ちふさがっているのを発見するのです。

つまり、人間関係のトラブルから解放され、他人との関係で自分を動けなくしていることがなくなるほど、余計な要素がなくなって、その本質的な部分だけに取り組めば良くなります。

そんな、人間関係のトラブルを生み出さないためのヒントとして、まず取り上げるのは、あなた自身との関係を見直すことです。

今回の「ちゃん見る」は第一弾の人間関係のトラブルを生み出さないヒント〜その1に続いて、対人関係の問題を取り上げますが、モラハラ、パワハラといった切実な問題も取り上げることになります。

本文から…
★自分の知っている行動パターンで推し量ろうとしても、そんなものは通用しないわけですから、それに巻き込まれてしまったら、対処法を知らない人はかなりの精神的なダメージを受けてしまいます。

★このような相手を徹底的に攻撃してしまう傾向がある人は、自己愛が強い傾向があり、相手に共感するということが殆どありません。

★もうそろそろ許してくれたり、妥協点を見つけてくれるだろうなどと期待しても、それは見事に裏切られてしまいます。

★自分が上位にある人間で、常に横柄にふるまい、弱い相手を攻撃して反抗できないようにしてしまうことでその関係を維持しようとします。

★攻撃者自身も、無条件に自分が認められる人間だと確信できないでいるため、まわりの人間の評価が自分の価値を決めてしまうわけで、悪い評価を受けることを極端に恐れています。
ですから、他の人間に自分と同じ匂いを感じ取ることにも敏感で、見つけたらそこを攻撃してやろうと標的にしてしまうのです。

★相手を傷つけてでも自分の正しさを守らないと、自分が崩壊すると恐れる攻撃者と、普段から非難されたり平和な関係が壊れる事を恐れている被害者とは、大変不幸ながら絶好の相性をお互いに持っているのです。

★有無を言わさず「君は考えが甘い」「やる気がない」「向上心に欠ける」などといった決めつける言葉を使います。

★反対意見を示したりすると「未熟な人間がそんな偉そうな意見を言うんじゃない」とばかり、内容など考慮しないで否定してきます。相手が罪悪感を感じてそれ以上反論できないように封じ込めてしまうのです。

★「きちんと状況を報告しなさい」と言っていながら、詳細な報告をすると、「こんなに忙しい時に、細かいことをぎっしり書かれても困るんだよ。簡潔な報告の仕方を覚えなさい!」といった感じで、言われた方はどっちに転んでも否定されるような立場に追い込まれます。

★それは、「誰かを攻撃していないと、自分がやられてしまう。そうなれば、自分の価値がないことがばれてしまう。」という怖れからきているのです。

★これだけ謝ったのだから、そろそろわかってもらえるだろうという期待も裏切られます。
あなたへの配慮をする余裕はない人だと思っておかないといけません。

★今回のような場面での対処に関して言えば、一番問題になるのは、人間関係で波風をたてることを恐れて自分を出さないようにする傾向や、いい人でありたいと願う傾向のある人なのです。
つまり、こういう傾向のある人たちです。
・自分の意見は押さえてでも相手にあわせようとするタイプ。
・自分は相手に合わせて柔軟な対応ができる人間だと見せたがるタイプ。
・自分を前面に押し出して意見をいうのが苦手なので、いつも人の後ろから観察しているタイプ。
・無条件に自分を受け入れられなくて、常に何か「人の役に立つこと」をやり続けないといけないと思うことが強迫的になっているタイプ

★対処法
1.自動的な反応(いつものパターン)がすぐに働いてしまうのに、まず気をつけること。
2.相手の表情や動作をそれとなく観察する。
3.相手と自分は対等であることを忘れないこと。

★「自分を大切にしてくれる人は、自分の考えに賛成してくれる人であるはず」
そう信じているので、例外が発生すると動揺し慌てることになります。

★どんなときもそのルールを守れと言われたら、それはできないと拒否するのが当たり前なのです。

★わかっていながら「見返りを求める」ことをついついやってしまいます。

★何でこんなに苦しい思いをしているのかと思ったら、無理な見返りを期待していないか考えて見るといいかもしれません。

★あなたが責任を持てるのはあなた自身に対してだけであり、相手の問題をどうするかの責任は相手自身にある。

★あなたが相手の問題を解決できないことで、自分が罪悪感や無力感を感じる必要はない。

★本当の問題は、まだ人に話せない状態なのですが、もっと当たり障りのない不満を漏らすことで話を聞いてもらいたがっているのです。

★自分の不満を話しながらも、あなたのアドバイスに対して「そうなんだよね、でもね...」といったYES,BUTの話し方が多いうちは、まだ本当の問題にたどり着けてはいないのでしょう。

★聞いてみるにしても、たとえば「私の友だちに、こんなことがあったんだけど、もしかすると、同じようなことはない?」という感じで、やんわりと持ちかけた方がいいでしょう。

★これは、相手が問題を解決できない保護すべき人のままにしておきたいという、あなたの側の問題を反映している可能性が考えられます。

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感情が訴えかけるもの

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私たちは言葉を使った思考と比べて、感情を判断の材料にすることに躊躇するのではないでしょうか?

たとえば「感情に流されるな」「主観で判断せず客観的な判断を下せ」というように、どこか感情が伝えるものは曖昧で不確かなところがあると教えられてきました。

たしかに、扱うものによっては、そのときの気分で判断が変わっては困ることも多いわけで、感情に左右されない判断が有効なことも少なくないのです。

「今日は気分がいいから、おまけしちゃおう!」と言われれば、お客さんは喜ぶかもしれません。
しかし、逆に気分が悪いから値上げ、と言われたら怒るでしょう。
また、そんな商売の仕方を見ていた管理者は、その販売員を指導し直さないといけないと思うでしょう。

誰が考えてもおなじ結果が出るような内容については、このように感情ではなくルールに基づいた判断が必要であり、その場合は言葉というものは非常に有効であるわけです。

しかし、私たちはそんなはっきりした世界にだけ生きているわけではありません。

言葉では説明できないような、また説明されることのないまま、無意識に行っている行動の方が実際には圧倒的に多いのではないでしょうか。

たとえば、わかりやすい例で言えば、今日は気分が乗らないと思っているとき、理由はわからないまま、いつものペースでは作業が進んでいないということがあります。

これなどは言葉で理由を説明できないけれど、確実に行動には変化が現れ影響を受けているわけです。
気分が乗らないと意識できればいい方で、全く無意識に行動は影響されているのです。

そもそも私たちは最初から言葉を使って考えていたわけではありません。

幼児語から始まり、だんだんと言葉を覚える中で、言葉によって考えるという方法を覚えてきたのです。

それ以前にあったものは、感情と実際に自分が体験した経験がすべてです。

しかし感情や経験だけでは非常に個人的なものに限られるわけで、人とのコミュニケーションは当然言葉に頼ることが多くなってきます。

そして知ってか知らずか、言葉で伝えればそれで伝達終わり、相手も解ったはずと思ったりします。
あるいは、自分の思考の中でも特定の言葉を使うことですべてが完結したような気になって、他のことを切り捨ててしまうということが増えていきます。

言葉に頼ることが増えた分だけ、感情が訴えているものを軽視するようになり、さらに進めばそんな曖昧な訴えはいらないとか言って邪魔者にするようにさえなってきます。

そのようにして、感情によるコミュニケーションは対人的にも、自己との対話の中でもだんだんと退化してきたと言えるでしょう。

ですが、相変わらず感情の訴えるものは重要であり、言葉という制限された不完全な伝達手段などよりもずっと重要なことを教えてくれるものです。

感情というものを捕まえるのはなかなか難しいし、はっきり自覚できることはさらに難しいのです。

しかしもっとも深い感情の中に、もっとも根源的な真実が隠れています。

それをないがしろにした、言葉だけの真実では自分の表面しかとらえることは出来ません。



ではどうすれば感情とのつきあいをもっと取り戻すことが出来るようになるでしょう。



単純に逆のことをやるしかありません。



◆言葉だけに頼るのをやめること。

◆感情の訴えにもっと耳を貸そうという意識を持つことです。



「これは○○(特定の言葉)だ。だから結論はもう出ている。」式の判断ばかりしていないで、それにに対して本当に正しいのかを問い直すことです。



もちろん状況によっては正しいのは前述の通りですが、判断の下せない曖昧なことまで言葉で強引に処理しようとしていることも考えられます。



そして、実際に感情が訴えるもの、気分の変化にもっと注意を向けて、何を訴えようとしているのかを、言葉や論理ではなく「感じ取る」ようにしてみることです。



言葉に頼ることが多い人ほど、「そんなことをして何になる?」と思われるかもしれません。

しかし重要な感情の訴えを1つ理解できた後、それがもたらした自分の行動の変化を体験してみれば、それが世迷言などではないことがはっきり解るでしょう。



効率だけがすべてではありませんが、どれだけ理屈では効率的なやり方という結論が出ていても、自分の感情の訴えに叶った行動と、それに逆らった行動とでは、大きな差が出てしまうのです。



なぜかそのあたりは真剣に追求されることは少なくて、一部の直感的に理解している人だけがうまくそれを利用して行動しているのです。



そして言葉に頼ることが多くなるほど、実際の体験が訴えかけるものを無視して言葉の方を採ってしまうようになります。



それがだんだんと自分を2つに分離させ、心身のバランスを崩してしまうことになるのです。



自分が頼りがちな言葉があると思ったら、定期的にリセットして単なるニュートラルな言葉に戻した方がいいでしょう。



特定の言葉に異常にこだわりだしたときの人たち見る機会は少なくないと思います。

あなたがそれから離れて見ていられるとき、いかにそれが異様で理解できないものになるか経験されたことがあるでしょう。



それはその特定の言葉だけでなく、それに結びつけられたたくさんの信念の固まりが、他の選択を考えられなくしてしまうのです。



そのような過程で作られた安定感ほど壊れやすいものはありません。

その至る所で、感情を無視して作り上げたために、一カ所崩れれば、一気に連鎖反応を起こして至るところで、感情が反旗を翻してきます。



完璧に練り上げたはずだった計画も、ひとつの挫折で一気に自信を失ってしまうのです。

理論武装して絶対勝てると思っていても、たった一人が感情的に反対すれば、全部壊れてしまうことも良くあることです。



それは理論が悪いのではなく、その作られ方、感情を無視して作り上げたところに問題があったのです。



100のいい点を論理的に並べ立てても、お客さんは買う気にならない。

しかしたったひとつの感情的な琴線に触れれば、「そうよ、それが聞きたかったのよ!」と言って一気に買う気になるのです。



信頼できる判断は、そこになんの曇りもないことでわかります。

言葉の上では正しく見えても、何か気に掛かるものがあるなら、感情を交えてもう一度検討し直した方がいいでしょう。



力で押し切っても、いずれほころびが生じるからです。



『やる気はあるけど、何か気分が乗らない』と言って、そのうち直るだろうとを期待していてはいけません。



『気分が乗ってきたら、そのときはやるよ!』と自信を持って言いきれるように、そのくらい自分の感情との結びつきを深めてやるのが一番いいのです。



そうすれば無理矢理自分を駆り立てるようなやり方が、いかに問題が多いかも、すぐに解ってくるでしょう。



無理なく動いていることが、いかに楽で効率的で、不安も恐れも作り出さないかが解ってきます。



曇りのない判断とは、トータルな自分とのつきあいが出来てこそ生まれてくるのです。

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このままでいいんだ?よ

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『このままでいいんだよ』と思ってほっとしていると、『アンチこのままでいいんだよ』派の自分が出てきて、こんなに出来てないことがあるじゃないかと言い出す。

だいたい「努力している自分」を見ていないと落ち着かなくなってくるという思いは、シロアリのように私達の土台に住み着いているようです。

『このままでいいんだよ』とか書いていると、時々向きになって反論してくる人がいます。
その人の言いたいことは何かを眺めていると、こんなことではないかというのが見えてきます。

私が今どれだけ無理してがんばっていると思っているんだ。「努力しないものは報われない」ということが成り立たないと、私のやっていることはバカみたいじゃないか。
だから、こんなことを書くやつは徹底的に叩いておかないといけないんだ。

その人が努力することでうまくいっているのなら、人の言うことを向きになって批判する必要など感じないはずだし、どこか無理しているから強迫的になってしまうのです。

こういった主張の最大の問題は、一言で言えば、二元論に陥っているということ。

努力する人と全くしない人の二種類しかないように思ってしまう。

必要なときにはがんばり、そうでないときは「なんにもしないよ」という融通を利かせるやり方が考えられないわけです。

また「このままでいい」という言葉に過剰に反応してしまうのでしょう。

そんな言葉を使っていると、人間怠惰になって、何もしないグータラ人間になってしまうと信じ込んでいるようです。

しかし放っておくとだめになるという根拠はどこから来るのでしょう。

自然を見てみれば、放っておいても必要なことは為されていき、そのものの本来の成長を遂げていくものです。

たとえば、まわりに生えている草花を見てください。
私は努力したくないからと言って枯れてしまう草花を見たことがありますか?

人間も素直に生きていれば、必要なときには努力し、必要なければ休むというのが当たり前の姿でしょう。
人間だけ怠けるものが登場するように見えるのは、別のことを勘違いしているだけです。

何もしなくなるというのも、本来の姿をゆがめて、人間ならではの余計な策略を使うからズボラやナマケモノが生まれてくる。

たとえば、ある人は自分は何をやってもだめな人間だからといじけて、積極的に行動することを自分に禁じてしまう。

あるいは、社会が悪いから自分は努力なんかしないんだと言い訳して、何もしない自分でいることで反発を表明しているつもりになっている。

他にも色々あるでしょうが、どれも不自然で作為の入った姿でしかないのです。

また「無理をする」ことと「努力する」ということをどこかで混同してしまっている人もよく見かけます。

本来まじめで強迫的に努力する人というのは、どこかこういう傾向を生じてしまうものです。

もともと頑張り屋さんなんだから、がんばるときと手を抜く時を使い分ければいいのですが、それがだんだん元に戻せなくなってしまう。

常に努力していつも向上し続けていると訴える人は、いつも変化しているように見えるかもしれませんが、こういう人ほど変化を拒否しているのです。

つまりいつもの「向上」というワンパターンを止めることを拒否し、同じやり方を続けようとする。
だから、がんばるときと、気を抜くときのメリハリが無くなってしまう。

変化を受け入れると言うことは、いまががんばるときという状況になれば、自然とがんばる自分に従えばいいし、その必要がなくなったと感じれば力を抜いてなんにもしない状態にも戻れるということじゃないですか。

そんなふうにに自然に従える自分なら「このままでいいんだよ」という言葉が、無抵抗に受け入れられるようになるでしょう。

◆「このままでいいんだよ」と言えるとき、楽に生きられます。

◆「このままでいいんだよ」と言ってあげられるとき、相手も楽になり元気になります。
「そのままのあなたがいいんです」といわれたらどう感じますか?

◆「このままでいいんだよ」と言えるとき、無理をしないから最適な自分が自由に発揮できます。

◆「このままでいいんだよ」と言えるとき、人のやり方に口出ししなくなります。
「このままではいけない」自分がいるときだけ、相手の中にも「このままではいけない」ものが見えてくるのです。

◆「このままでいいんだよ」と言えるとき、初めて今が最高だと感じることが出来る。
このままではいけない間は、今は将来の準備のために犠牲になってしまう。

◆「このままでいいんだよ」と言えるとき、初めてまわりの世界に感謝を感じられる。
このままではダメな自分やダメな相手に気を取られていては、いいことも見えてこないし、感謝するどころじゃありません(笑)。

そしてなによりも、
◆「このままでいいんだよ」と言えるとき、初めてありのままの自分をそのまま受け入れられるのです。
それが本当に望んでいることではないですか?


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最初から自分を否定する人はいない

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人はみな生まれたときは、生命感に満ちていてそれを否定するようなものは持ち合わせていません。

もちろん自分が嫌いなどという感情も、なんのことかわからないでしょう。

しかし徐々に大きくなるにつれ、まわりに他人が現れ、その関係性の中で生きていくうちに、自分の思う通りに世界は動かない事態に出会うようになります。

「そんなばかな。どうして私の思うのと違ったことが起こるのか?」

しかし、ばかなことではなく、現実にそれは起こり続けます。

それをどう解釈するか、いろんな情報を持たない幼い時ほど、その衝撃は大きく、ひねり出した結論も自分を痛めつけるものになりがちです。

つまり、「なぜかはわからないけれど、私の何かが悪かったからこれが起きたのだ。」ということです。

やがて自分の思い通りでないことが起きると、自分の何かが悪かったのだと結論づけるようになるのも、無理のない成り行きでしょう。

成長して、いろんなことを考え合わせることが出来るようになれば、そんな単純な直結の仕方をせずに、別の因果関係を考え出す力も生まれてくるでしょう。

ですが、それでも今までに積み上げてきた因果関係の影響は強いものがあります。
おそらく、言語化される前のそういった説明のつかない感情と出来事のセットは、考えても説明がつけにくいし、書き換えることは用意ではありません。

「この気分になったとき、いつもよくないことが待っている。」といった情緒的な因果関係で成り立っているからです。

急に憂鬱な気分になったとき、その原因を説明するのは難しくて、何も出来ないままその状態を我慢して過ごすしかないのです。

ですが、悲観することはありません。
原理は単純です。
あなたの積み重ねてきた記憶が、いまの「これこそが私だ」と思い浮かべるものの実体だからです。

書き換えれば「私」はいくらでも変えられるわけです。

ですが、原理が単純でも、実際に自分を変えるとは簡単ではないことは、今更言わなくても経験積みのことと思います。

その難しさは、変えようとしている主体が、その対象でもあるという関係にあることに起因します。
過去の記憶の蓄積が作り上げた「私」という存在を、自我と言う呼び方で扱っていきましょう。

自我はそれ自体が、主張し自分自身を変えられないように守ろうとします。

「こんな自分は嫌いだから変わりたい」とあなたが思っても、自我は抵抗します。

「いままでこの自分のおかげでやれてきたんじゃないか。今更それを変えるなんて、とんでもないことだ。
思い直そうよ。変わってしまったら、どんな恐ろしいことが待っているかわからないよ。」

とでも言うように、あなたを元の自分に引き戻すのです。

先日も書いたように、無理矢理、力わざで自己改造を試みることは、ほとんどの場合失敗したり、長続きしないものになってしまいます。

それは抵抗する側の自分が納得できていないから、いつまでも復活してきて、元に戻った方がいいと訴えてくるからです。

変わることは、いいことももたらすけれど、そればかりでなく、今まで考えずにやっていたことを否定する必要も出てきます。

それは居心地が悪く、不安を伴います。

そんな不安を感じると、「ほら、やっぱり今までのままがいいんだよ」となってしまうのです。

巧妙に変わらない方がいい事態を作り出しても、自我は抵抗します。

ですから言葉で表現できるような小手先のテクニックでは、変わることは難しい。

それには、いままで時間をかけて作り上げてきた自分を納得させるだけの、真摯さで取り組まなければなりません。

しかし真剣であることと、力んだり努力するということは別のことです。

あるがままの今の自分が、何をどう感じて作られているのかを、手を加えたりせずに観察することが必要です。

その過程では、解釈が入り込まないようにすることです。
解釈を入れた途端に、観察は、ありのままではなく作られた脚本に沿った見方に書き換えられてしまうからです。

それは今まであまりやったことのない経験になるでしょう。

解釈し、その結果方針を決めることが、自我に沿った今までの自分のあり方だったわけで、はからいのない、ただ受動的な観察などしたことがないからです。

ですが、何かの拍子で、気づくことはあったはずです。
これが本物の自分ではないかと、理由はわからないけれど思うのです。

それはおぼろげで、なんの筋道も見えてこない。
ふだんなら、そんな役に立たない戯言を考えてないで、現実的になろうと目をそらしてしまうからです。

ですが、もともと持って生まれた、生きる方向性とでもいうものをあなたも持っていたのです。

さまざまな、自我の構築がその方向を妨げてきました。
しかし消えてしまったわけではない。

解釈を加えずに自分を見つめることを続けるなら、やがてその道筋とそうでない作られた後付けの解釈の見分けがつくようになるでしょう。

ぼんやりしているからと言って諦めないことです。
自我の抵抗があるものと思って、諦めないで真剣にしかし力まないで取り組むことです。

そうすれば、根無し草ではない、ちゃんと地に足の着いた自分というものが、よみがえってきます。
それは目先の利益など、かすんでしまうほど、すばらしいものであるのを確信するでしょう。

失われた本来の自我を求めて、「妥協しないこと」です。

もうこれでいいdろうという時は、おそらく来ないでしょう。
変化も一緒に受け入れるのが、そのあり方であるはずだからです。

そしてその結果、ありのままの自分であることが、どんどん好きになってきます。
ぐらつきもどんどん無くなってくるでしょう。

どうしたらいいのか迷ったら、他人や社会にではなく、自分に聞けばいいと自然に思えるようになってきます。

失われていた本来の自我の復活の時です。
幼い頃、「何でこんなことが起こるの?!」というショックで、諦めてしまった自分を、否定せずにもう一度取り戻すのです。

まわりの世界は、「私」を否定するところではない。
そう思えるかどうかは、誰のせいでもなく「私」次第なのです。

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傷つけられた!

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誰かの言葉で傷つけられた!

そのときどう反応するでしょうか?

「あの人はひどい人だ。私がこんなに傷ついたのをみなさん見てください!
こんな人を許すわけにはいかない。ずっと覚えておいて、いつか復讐してやるんだ。」

このような考えが、すぐに浮かんでくるようなら、出来事が起こる前の自分の状態をチェックしてみるのもいいかもしれません。

もしかすると、主導権争いをしている自分がいて、もともと誰か来ないかと構えていたのかもしれません。

「ひどいことをいった人がいたから腹を立てただけだよ!」

こう思って、外的な要因でたまたま起きた出来事と思っても、それが恨みを作り出すのなら、たまたま起きて、たまたま消え去っていく出来事ではなくなるのです。

もし「傷つける人」を利用しているのかもしれないと思ったら、根本的な解決を考えないと、いくらでも傷つけるひどい人が増えてしまうでしょう。

もともと自分が動けない理由を、他人のせいにすることで自分と向き合うのを避けているということだからです。

それは、自分が成長して前進することを妨げるものでしかありません。
さらに、いつまでも誰かを恨むことはそれ自体あなたを傷つけ続けます。

仕事の効率を考えることよりも、このような自分の行動を妨げる要因に気づいて取り除く方が、何倍もあなたの行動を自由にし、結果として効率化もはかれます。

「あの人の言葉で、ムッとして怒りたくなったけど、自分でわざわざそれを大きくしてしまうことはないじゃないか。」

そう考えて聞き流してしまえば、その思いは時間と共に消え去っていきます。
「そう思えない何かが自分になかっただろうか?」が問題なのです。

それに、もしかするともともと相手に悪意などなかったのかもしれませんからね。
表現の仕方はひとそれぞれすごく違っています。

あるいは、皮肉った言い方をしたひと自体が、自分の中に同じように問題を抱えているから、外にそれを向けただけかもしれません。

その場合は、なおさら泥仕合に陥らないことが大切です。
「わたしの方が傷は深いのよ!」と言い合っても仕方ありませんからね。

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10人目の男

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10人の男たちが大きな河を渡って向こう岸までたどり着いた。

そのひとりがみんな無事だったのか確かめようと、男たちを数え始める。

「大変だ!9人しかいないぞ!」
「誰かがまだたどり着いていない、助けに行かないと!」

他の男が確認する。「1,2,3、...、9」

「ホントだ。ひとり足りないぞ!きっと溺れてしまったんだ。」

次々と男たちは数を数えるがひとり足りない。

「大変なことになってしまった!」

自分自身を忘れている男たちは、失ったひとりを見いだすまで、完全な世界を生きることが出来ない。

私自身がそこにいることを、なぜか無視してしまう。

ある人は、自分には存在する価値がないと思って、その存在を消してしまう。

別のひとは、世界は自分の中にあると思っているため、自分自身が見えなくなる。

そこに、旅人が通りかかった。
騒いでいる男たちに声をかける。

「何かあったんですか?」

「かわいそうに10人いたのに、ひとりがたどり着いていないんです。きっと河に呑まれてしまったんだ。悲しくてみんなで泣いているところです。」

「それは大変なことでした、...
しかし、あなたたちは全部で10人いるようですよ!」

「そんなはずはない、みんなで数えてみたんだ。誰が数えても9人しかいない」

「そちらの方から、番号を唱えてみてください。」

10人目の男が「10」と数えて、はじめて自分の存在を思い出した。

「そうだ、私がいたんだ!自分を忘れていたから、こんなに悲しい目に遭ってしまった。」


10人目の私を、本当に見つめているだろうか?

私自身が訴えている声をちゃんと聞けているだろうか?

なにか物足りないのは、私自身を忘れているからだ。

「そんなことは、他の9人は望んでいないだろう。だから私は消えてしまおう。」

そう思ってはいないだろうか?

「あの人が許せない。あの人がいなくならないと、耐えられない。だからそれまで、私は存在しないでいる。」

「望んだって、私の望みはいつも叶えられない。だから私は自分の願いは考えてはいけないのだ。」

10人目の私が生きられるときが来るまで、私は待っているんだ。

その時が来たら、私を生きよう。
その時が来たら、私は自分の望みを考えてもいいのだ。
その時が来るまで、私は自分であってはいけない。

私はいつまでも、自分自身でいてはいけない。
許されないことをしてしまったからだ。

私が人数に入らないのは、10人のひとりだと思えないからだ。
それは、自分だけは他の9人とは違うと思っているから起こる。

皮肉にも「私という存在も、10人の中のひとりに過ぎない。」と思えたとき、

私だけを特別扱いしないから、良くも悪くも自分をひとりとして認められるようになる。

作り上げた「私」という存在を消したとき、本当の私を表に出すことが出来るようになるのだ。

それまでは、自分の本当の思いは、「私」によって生存権を握られてしまう。

「私がそんなこと思うわけないじゃない。」
こう宣言する「私」に、自分を奪われてしまわないようにしよう。

私も10人の中のひとりに過ぎないと思えたとき、自分を人数に入れる事が出来る。

それほど私たちは自分への評価が低いことを、自分のまわりの人で観察してみればわかるだろう。

自己評価の低さが、本当の自分でない「私」をせっせと作らせているのだ。

ありのままの自分をそのまま見られたとき、それを受け入れたら、
作り上げてきた「私」は役割を終えることが出来る。

「いままでつらかったんだよ。わたしがここにいると言えなくて!」

「ときどき顔を出すことはあっても、すぐに先にやることがあると言って忘れられてしまった」

「私」が、つまりエゴが、消えたとき、
世界は穏やかになり、
本当に世界は、わたしのためにあると思える時が来るだろう。


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人を裁くのを止めましょう~あなたの心に青空を

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人を裁くこと、言い換えれば「あの人だけは許せない!」と思うことは、当たり前に許されることだと思いがちです。

「それくらい、仕方がないじゃない」とか「そんなひどい目にあったのなら、憎んでも仕方がない」と思ってしまうわけです。
しかし。だとしても、人を憎んだり裁いたりしようとすれば、あなたの心はいつまでも晴れ渡ることはなくなってしまいます。

「自分が絶えず不機嫌になってしまうのはなぜだろう?」
そのように感じたら、自分が誰かを恨んでいないかを確認してみましょう。

「こんなひどい目にあったのに、どうして許さなければならないんだ!」
「あなたたちは、そんな目にあっていないから、そんなにヘラヘラしていられるんだ!」
こんなことを叫びたくなるゲームを絶えず繰り返してはいないでしょうか?

これがあなたの不機嫌さの原因なのです。

あなたが誰か一人を恨み続ける限り、やがて関係のないまわりの人の中から、「この人も同類だ」と思う人を作り出してしまうでしょう。

「最初は信じられると思っていたのに、やっぱりこの人も同じだったんだ!」と思いだすのは、あなたが作り上げて、たえず更新しようとしている恨みの脚本が、周りにそういう人を作り出さずにいられなくしているのです。

そして、もうひとつ、誰かを憎めば、それは自分自身に返ってきます。
あなたは、やがて自分自身を罰することを始めてしまっていることに気がつくでしょう。

「あいつを許さない」は、「自分自身も許せない」に容易に変わってしまうからです。
「~だから許せない」と理由をたえず追求していれば、それは自分の中にもその許せない行為を見つけることに変わってしまうのです。

だからあなたは、いつも不機嫌になってしまう。
いつも不機嫌な原因を見つけていないといられないのは、そうしていないと、あなたの復讐劇の燃料がなくなってしまうからです。
そうやって、あなたの脚本を絶えず更新しようとしてしまうのです。

考えてみてください、なんでもなく親しくしていられたまわりの人を、やがて罰すべき人と、許せる人に分けてしまおうとしている悲しさを。
人を裁くとは、そういうことなのです。

あなたが裁くことを止めれば、憎むこと、許せない人間を作り出すのを止めれば、実はあなたの周りに憎むべき人などいなくなってしまうことに気づくべきなのです。

無理やり許せない人を自分が作り出してはいませんか?
誰かを思い出しては、不機嫌になってしまう瞬間を見逃さないでください。

不幸自慢など、自分を傷つけるだけだと気づいて、直ちに止めてしまいましょう。
「いやだ、あきらめられない!」「あいつだけは許せない!」と言い張るのを捨ててしまいましょう。

あなたはその人に復讐しているつもりでも、それで痛めつけられているのは自分自身だけです。
相手は何もそんなことにも気がつかないし、あなたをどうこうしようなどとも思っていません。

改めて言わなくてもお気づきでしょうが、「倍返しだ!」と叫ぶことは、あなた自身を痛めつけることも倍返しにしているのです。

人を裁くことは、人がやるべきことではありません。
社会的な司法にゆだねてしまって、あなたはそんなことは、今すぐ放棄してしまいましょう。

そしてやがて戻ってくる、心の青空を思い出しましょう。
そもそも憎む人などいなかったのだと、はっきり思い出すでしょう。
そして、いつも不機嫌になっていた原因は、あなたの作り出した脚本にあったことが信じられるようになるでしょう。

「なぜ今、自分は不機嫌になっているんだろう?」
と問いかけてみましょう。
そして直ちに、その言い分を捨ててしまいましょう。
それで戻ってくる心の青空を選び取るのです。

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「どうすればいいでしょう?」という問いかけ

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どうすればいいでしょう?


『どうすればいいでしょう?』という質問があります。

これは、だれが答えても同じ答えが返るようなこと、つまりルールに従うかぎり答えがあるとき意味をもつものです。

しかし、この質問をあなた自身のこと、あなたの生き方に関して問うてはならない。

それはいろんな意味でバカげた質問になります。

まず、だれも正解など知らないということ。
たとえ自分に関することでも、はっきり答えるのは難しい。
ましてや、他人の生き方など答えられるものではないということです。

次に、この質問は自分にぶつけるものであって、人に聞くものではない。
上記の理由の他にも、決めるのはあなた自身だというもっと重要な理由があります。

自分で決めるという点については、
知らないふりをしているけれど、みんな本当は承知しているのです。

それが証拠に、聞かれたあなたがすばらしい回答をしたとしても、聞いた人は満足していない。

そのときは、「すばらしい」とか「これでわかりました」とか言っているけれど、うちに帰れば自分で一から考え直し始める。
そして、「やっぱりこれは自分で考えないとね」と思い直すのです。

そう思えることは非情に健全な印です。
答えてくれた人には悪いけれど、
「なんだよ、聞いたくせに」だけれど、
そもそも自分で考えなければ嘘になる。

人に聞いた答えなど、結局は満足しない。
あなたが健全なら、自分で考え直すことを選ぶでしょう。
聞いてみたくなったのは嘘ではないし、
もしかしたらと思っただろうし。

しかし、もし人の回答を鵜呑みにするようなら、
そちらの方が問題です。
あなたは自分で考えなければならない。
あなたは自分で選ばなければならない。

どんなにいろんな補償をつけますと言われても。
どんなにすばらしい未来を約束されても。
それを鵜呑みにすることは、あなた自身を放棄することになる。

あるいはあなたは自分で決めることが怖い。
怖いから人に聞いてみる。
そして受け入れたふりをして、その通りにやってみるけれど、
とても満足はしない。
怖さを消すためのごまかしでは、決して満足することはない。

あなたはいくら先延ばしにしようと、
その恐れと向き合わなければならない。
向き合って怖さを味わってみないと、その正体はわからない。

怖くてたまらないことかもしれないけれど、
あるいは、ちっとも怖くなかったと思えるかもしれないけれど、
そこを通過しないでどんな策略を練っても
いつまでも解決しないままで残ってしまう。

それともう一つの理由は、答えのない質問に対して、
『どうすればいいでしょう?』と問いかけるのは間違っている。

答えは1つではない。
強いて言えばあなたの決めたことが答えになる。
その答えが偏っていれば、いずれ反対側に戻されるだけです。

無理に1つの答えを出そうとしてはならない。
それは、二元対立するものの片方だけ正解だと言い張ることに過ぎない。

あなたは片側にじっとしてはいられなくなる。
それでも片方にこだわるなら、
あなたは一生を掛けて無駄な抵抗にエネルギーを使うことになる。

完璧な答えを出しても、
いくらも立たないうちに、流れは変わってくる。
流れが変わるたびに逆らっていては、
あなたはおぼれてしまう。

抵抗を続けることが、あなたを通すことだと錯覚しないことです。
それはあなたがどこかで作り上げた世界観を反映している。
反抗しないと負けだと思い、何でも反発する子どもが居座っている。

抵抗を強さだと見たり、逆らわないことを弱さだと見たり、
そんなことは言葉の遊びに過ぎない。

抵抗が生じるのは相手があるから。
世界と関わっていれば、いつも相手は存在する。
抵抗なしで進めるわけがない。
強いか弱いかの違いがあるだけ、
あるかないか、All or Nothingではない。

抵抗するかどうかは、時が決めること。
あなたが今までの知識でひねり出すような事じゃない。

そして最後に、つまりこういう事ですね、とまとめないで欲しい。
この矛盾に満ちた話を、さらにまとめるなんて、
おろし金を真っ平らにするようなものだから。

まとめることで、あなたは今まで持ち合わせたストックの
どれかにむりやり押し込めて終わるだけだから。
「そして今日も事もなし」にしてしまうから。

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エックハルト・トール~「さとりの入り口は今ここにある」



何度聞いても忘れてしまうのは、「今ここ」とは、未来を見据えた今でもなく、過去と比較した今でもないということです。

今に生きなければと思った瞬間に、過去や未来を想定してしまっている自分に気がつくでしょう。

わざわざ今というときを複雑にしなければ、今には何も問題はないと気がつくでしょう(理解するのでなく、感じられるという意味です)。

そしてすぐにそれ以外のやり方で、未来や過去を想定した自分に戻ってしまうのを止められるかどうかです。それ以外に存在する時はないからです。
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ふと気がつくと

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ふと気がつくと、

自分が困難な状況に陥っているかもしれないと思い、だんだん憂鬱になってきます。
もっと他のやり方はなかったのだろうかと思ったり、あれを止めておけばよかったのにと後悔してみたり。

そうかと思うと、自分は今のまま、こんなことばかりやっていていいのだろうかと考え始めます。
自分は、人生を無駄に過ごしているのではないか、もっと今やるべきことがあるのではないかと。

あるときは、急に過去の失敗を思い出して、やりきれない思いになります。
あのときの失敗を、なかったことに出来ないだろうかなどと、出来もしないことを考えてみたりします。

ふと誰かの言動を思い出して、腹を立てている自分に気がつきます。
あいつさえ居なければとか、あんなことになったのは、あいつが居たからだと言い訳して、自分の失敗の罪悪感を薄めてしまおうとするのです。

どうして私は、こんな家族の元に生まれたのだろう。他の友達はみんな家族と仲が良くて、私なんてあんな楽しい思いをしたことがないわ!と嘆くのです。
こんな親が居なければ、私はもっと違う人生を歩めていたに違いない。なんか悔しいと。

どうしてあの人は、私を見透かしたように、一番言って欲しくないことを言うのだろう。
まるで私に意地悪をするために存在している人のように思えてきます。

さっきまで幸せな気分に浸っていたのに、あれを(誰かを)思い出したとたんに、世界はブルーに変わってしまった。まるで、私は幸せでいてはいけないとでも決められているかのようだ。

・・・

こういった例は、まだまだ、あげられると思います。

さて、これらのことは、本当に、本当なのでしょうか?

もしこんなことは、すべて悪い夢だったと思えたら、あなたは一気に幸せになれるでしょうか?

過去に起きた出来事(正確にはその記憶だけが存在するのですが)は、後から変えるわけには行きません。しかし、また、それを何度も何度も思い出す必要もないわけです。

つまり、いやな気分にならせることは、思い出すな!といいたいわけね。
そんな話なら、耳にたこが出来るほど聞いたよ。
それでも、止められないから困っているんだし、それが生きるということだと、悟ったように言うかもしれません。

ですがここでは、起きたことを消し去ろうといいたいわけではありません。

そうではなく、最初から現実には何も起きては居ないとしたら?と考えたらどうでしょうといっているのです。

あなたを悩ませていることは、すべて「私」のストーリーが作り出したものです。
「私」が作らなければ、そんなものは、そもそも最初から存在しなかった、「作り出された劇に過ぎない」のです。

たとえば、あなたに起きたことを知らない人には、そんなものはなかったのと同じです。
また、あなたが繰り返し思い出しては、「今をだいなしにする」行為も、あなたが止めればどこにも存在しません。

私のことを知っている人が、それを持ち出すに決まっている。私にはもうそれを消し去ることは出来ないのです。と自分であきらめるようなことをする必要はありません。

どうしてもあなたの過去を話題にしたがる人が居るのなら、そんな人とは付き合いを止めればいいだけです。あなたの方で、それを指摘されるのではという恐れを抱えているから、わざわざ自分からその人に近づいてしまうのです。

どうしてわざわざ、いやな気分を起こさせるイベントを、自分で集めるような生き方を選ぶのでしょう。
「いいことだけを見ましょう」といっているのでもありません。
そういったプラス思考というものは、現実を捻じ曲げる不自然さ、無理をする傾向が生じてしまいます。

そうではなく、良くも悪くも、起きることはは起きるのです。
あなたがどんなに強くブレーキを踏みしめようと、起きることはあなたには変えられません。

変えられないことに取り組むほど無駄なことはありません。
あなたが踏ん張らなければ、あなたは起きるに任せて、いまここを楽しむことが出来ます。
気軽に、重荷を下ろして、たった今起きていることだけに意識を向けてみましょう。

楽しいことも、つらいことも、起きてくることに抵抗しなければ、そのまま通り過ぎていきます。
なぜそれを、わざわざ、更なる苦痛に変える必要があるでしょう。

そのままで、そのままの大きさで、そのままの痛みで、そのままのうれしさで、いまを受け止めてみましょう。

そうすれば、あなたを悩ませる記憶も、あなたをいじめる人も、わざわざ呼び寄せるようなことはなくなるわけです。

あなたのせいで悪いことが起こるのではありません。
あなたの言動は、今それが起こるべくして起きたことです。

自分のコントロールに過大なパワーを信じないことです。
どうしようと、それは起きるのです。

起きてくることを歓迎し、それを楽しもうと決めましょう。

ほら、いまここには、何も不都合はないことにきがつきましたか?


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悪いところと仲良くしよう

仮面2

あなたが面接で、自分自身のことをアピールして下さいと求められれば、取り上げるのは、あなたのいいことですね。
悪いことなんて、そんなものが在ることなど悟られてはいけないと思うでしょう。

なぜかと言えば、いいこととは、皆が勧めることであり、悪いことは禁止されることだからです。

しかし、あなたは「いいこと」がそんなに好きでもないのです。
むしろ、うんざりしていることも、多いのではないでしょうか。

仮面1

それと比べると、悪いことは魅力的だ。
悪いこととは、あなたが本心から避けていることではなく、皆が禁止するから、自分もやりませんと無理やり言わされていることだから。

むしろ、あなたは本当は悪いことをやってみたくて仕方がない。
そこには、自分がやってみたいことが、いっぱい詰まっているように見えるのです。

もし禁止などされなかったら、あるいは密かにやってみたら、たいしたことでもないなと思うかもしれないけれど、でも気になってしまう。

さて、あなたを満足させるものが、潜んでいるのはどっちなのだろう?
一方、あなたを混乱させるものが、潜んでいるのはどっちなのだろう?

少なくとも、あなたはいいことと、普段からおつきあいしています。
その結果が、あなたの今の物足りなさを作り出しているのです。

あなたの満たされないものは、普段から見ることを避けているところの、
いわゆる「悪いこと」の中に隠れている。

少なくとも、そこには、禁止されなければやりたいことが、一杯詰まっているのです。

さて、あなたは、自分を向上させようと思うと、「いいことがどれだけふえたかな?」と探すのです。
そして、悪いことは、ちらっとのぞいて、「よし、おとなしくしているな」と思うだけです。

あなたが本当に変わりたいのなら、あなたの「悪いこと」リストに、取り組まなくてはならない。

これを除外したまま、「いいこと」リストとだけ付き合っていては、昨日と同じあなたが待っているだけなのです。

今のうんざりし始めた自分を打ち破るには、今までと違うことを始めないとなりません。

「悪いこと」リストに取り組んでみましょう。

いったん今までの判断を捨てて、これは、なんでいけないことだと思っているのか?
いつからそう思い込ませられているのか?
そして実際のところどうなのか?を問い直してみる。

それは、別のリストを作ろうというのではありません。
「私が思う悪いことと言われているけれど実はいいことじゃないかと思うことリスト」を作ろうというのではありません。

ただ、その検討を始めるだけで、あなたは、気づかずに封じ込めている自分を発見するでしょう。

「あなたのやるべきこと」ではなく、「あなたのしたいこと」がそこに隠されているのです。

「あなたのしたいこと」-「悪いこと」=「あなたのやるべきこと」という公式を見直してみる。

「あなたのしたいこと」+「それをいいことに変える方法」=「あなたがしたいこと+認められもすること」

「あなたのしたいこと」+「悪いことが実はいいことだった発見」=「あなたがしたいこと+新しい情報」

どれも、可能性を秘めていますね。

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常識と名のつく束縛を摩滅してみる

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机や椅子の脚はほとんどが4本ですね。
ちょっと想像してみると、3本脚より4本脚だった方が、どの方向から力を加えてもより安定できるように思えます。

じゃあ、5本、6本と増やせばより安定するのだろうか?
長細いの机なら間に2本追加するとよさそうですが、大体4本が都合良さそうです。
なんとなく奇数の本数は安定性を欠くような気もしてきますね。

動物も4本脚が一般的、しかし尻尾を使って安定する動物もいますし、大きな尻尾でノシノシ歩く恐竜なども5本、長い尻尾とバランスをとるために首長になったとしたら、これも安定さを保つための6本目の脚かもしれません。

しかしいまの人間にとっては4本脚がちょうど良さそうだけれど、もしかするともっと小さなサイズの生き物には、そうでないかもしれない。

小人の国に行ったガリバー、その国民は常人の1/12程の身長しかない小人だったそうです。もしかすると小人の家具は3本足だったかもしれない。
鳥は電線に止まっていても平気です。電線は何本足だろう?

どうでもいいような話を書いて来ましたが、現代の私たちは、4本脚の机に安定しきって、更には5本、6本に増やせば、もっと安定できると考えているような印象を受けます。

ですが、その5本目、6本目の脚を増やすことが、余計に苦悩を増やしてしまうように思えます。
むしろ、足し算でなく引き算してみたらどうだろう。

3本脚は、すこし不安定差を増すかもしれないけれど、その危うさこそが本来の私たちを取り戻してくれるかもしれません。
安全ネットを張り巡らすほど、怖さと煩わしさが増えてくる。

1本減らして、それが当たり前になってしまえば、もともと私たちが日々変化し続けて、変わりながら安定している存在であることを思い出すかもしれません。

あなたのこれを手放したら大変だとしがみついている第4,第5の脚を取っ払ってみる。そうすれば、煩わしさは消えてしまいます。
もともと、変化に対応するのが当たり前の存在であることを思い出します。

安全性が何より大事で、それでいて、あるいはそれ故というべきでしょうか「想定外」などと言う言葉が連発される時代ほど、その常識は危ぶなっかしい。
疑うことを許せない人たちがそれだけ増えてしまっているということでしょう。

『して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅し
て、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。』
~草枕 夏目漱石

芸術家が人間らしさを取り戻してくれるのなら、そうでない人もやってみるのがいいかもしれない。
常識と名のつく束縛の脚を外してみよう。
もっと生き生き出来るに違いありません。

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これを忘れなければ、イライラの95%はなくなる

あたま冷やしてます


何度聞いても、つい忘れてしまう人間性の基本を確認してみましょう。
それは、「人は、いつでも自己関心で行動する」ということです。

★「自分が期待するとおりに、自分の希望を叶えてくれる人が誰か存在する」という幻想を捨てましょう。

自分の希望から人を見て、いつかそれに応えてくれる人が現れるだろうと思うのは、子供じみた無理な願いです。

人が行動するのは、その人の人間性にそって、その人の期待することを行うのだということを認める必要があります。

この事実を、自分でかってにねじ曲げて見てしまうやり方は現実的ではありませんし、いずれ期待が裏切られたことに気がついてどうしていいかわからなくなってしまいます。

自分がいま誰かに依存しているとしたら、自分が依存できているのは、相手がそれを許容している間だけ、と知らなければなりません。

今こんなに期待に応えてくれるか人だから、いつになろうとこの関係は変わらないのだと、勝手に決め込んではいけません。

人はその人の自己関心(利己心)に沿って行動することを思い起こしましょう。

たまたま、それがあなたの期待と方向が同じであれば、その人はあなたの期待以上に、あなたの為に動いてくれるかもしれません。
ですが、それは相手の関心があなたの関心と一致している間だけであることを忘れてはなりません。

★親切や慈善行為というものが、すべて思いやりから出ているものばかりだと勝手に決めつけないこと。

もちろん純粋にそういう気持ちで動いている場合もたくさんあるでしょうが、その中には自分が「いい人」だと思われたいという願望からの行動も含まれているということです。

純粋に親切心でやっていたその人が、途中から心変わりしてしまうことだってあるでしょうし、その逆の順序もあるでしょう。

このような人間性の事実は、別に冷徹であったり、人間を信頼しない見方ではありません。
いってみれば、「人は嘘をつく」という事実を受け入れるのと変わらない程度のものです。

なかには、このような見方をすることをためらったり、嫌ったり、あるいは後ろめたく感じる人もいるかもしれませんが、ありのままの人間性から目をそらすことは、現実的ではありません。

むしろ、このような人の傾向を認めた上で、相手に対する信頼感を持ててこそ、本当の信頼感だと言えるのではないでしょうか。

★天秤ばかりを思い浮かべよう

天秤ばかりで、左側に重さをはかるものを載せ、右側に分銅を少しずつ加えて重さをはかりますね。
分銅が少ない間は、いくら載せても秤は一向に動かないように思えます。
だいじょうぶ、大丈夫とばかり、調子に乗って載せていると、ある所で一気に傾きが逆転してしまったりします。

どんなに大丈夫に思えても、ものごとはバランスで成り立っていることを忘れないことです。いつまでも続く右肩上がりを現実だと錯覚しないこと。

わかっていても、親しい人ほど、つい忘れて過剰な期待を持ってしまうことはありがちです。
これがOKなら、もうひとつこれも大丈夫だろうと、自分勝手に相手の重さを決めてしまってはなりません。

ついつい相手に頼りすぎてしまうと、相手はこれ以上受け止められないと感じて打ち切ってしまうでしょう。

そして困ったことに、そのことで、あなたは相手に裏切られたと感じてしまうかもしれません。
相手にとっては当然の反応なのに、あなたの側では勝手な秤を使ってしまったのです。

このようなトラブルは、相手が悪気があって騙すような場合はむしろ少なくて、頼ろうとした側の過剰な期待や依存心が原因である場合が多いでしょう。

裏切られたと感じるのは期待する側にその要因があったということですし、それを相手が悪いのだと考えるのはちょっと見当違いです。

そして、基本的に相手は「自己関心」に沿って行動するものだと認識していることは、よりお互いの利益になる関係を築くためにも有効であるでしょう。

子どもっぽい依存心をいつまでも捨てられないで、誰に対しても頼ろうとするのは、どこかで断ち切る必要があります。

自分の期待で世の中が動くのではないことを思い出すなら、ありのままを受け入れるのが、結局一番いい方法であることが自然に受け入れられるでしょう。

人間性の事実と、バランスを常に忘れないこと。
イライラとは、あなたの期待が現実を飛び越えてしまった警告だと思いましょう。

秤の左側には見た目より重いものもあれば、軽いものもあります。
はかり間違えても、あわてることはありません。
相手の重さは変化していません。
あなたの期待という分銅を減らせばいいのです。


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