« ホーム »

ラメッシ、最も重要な事 ~ あなたが幸せでない理由 ~

ラメッシ、最も重要な事 ~ あなたが幸せでない理由 ~

ラメッシは三次元の私たちにはコントロールできないことがある。それを受け入れよといいます。

これを聞いてどう思うかはさまざまでしょう。
そんな運命論では自分で何もしなくなると、即座に拒絶する人も居るでしょう。

自努力も必要では?と問いかける質問者に、自努力をするかどうかも、それはその人によらずにただ起こることだと言います。

その人のスローガンが何であろうと、実際に努力するか、それとも期待やフリだけで終わるかは、その人の責任ではなく起きるわけです。

一つはっきりいえることは、自分ではコントロールできないことに対して、何とかしようとすることが、あなたが幸せになれない理由なのです。


ACR WEBブログパーツ

テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







真似をしながら自分の考えがあるフリをするのはやめましょう

いつまでも人まねをしていては、自分の人生を生きないままで終わってしまいます。

子供みたいにいつまでも人まねをしてばかり、さらには人まねなのに自分の考えをもてたと勘違いしていては、いつまでも自分が何をしたいのかわからないままです。

真似をするだけでは物足りなくなると、今度は他人を批判することで、自分が相手より優位に立てたと勘違いするようになります。

自分の意見をはっきり述べられないような他人の批判というのは、人まねのひとつのバリエーションに過ぎません。

このような批判は、実に簡単で誰でもできます。
相手の言葉をただひっくり返して、さも根拠があるかのように見せかえればいいだけだからです。

簡単な上に、自分では何も考えなくても、材料は相手が用意してくれるのです。しかも、相手を批判すると、自分のほうが上に立てたような気分になれる。

こんな便利で安易なおもちゃは手放せない。
ネットの時代になって、匿名でコメントできるとなれば、病み付きになってしまう。

さも自分の考えがあるかのように見せかける言い回しを、これも他人のまねをするだけで偽装できるのです。

なかには、その言い回しにだまされて、何の根拠も説明も示されていなくても、その人はりっぱな反対意見を持っている人なんだと信じ込む人も出てくるでしょう。

しかし、人まねをしていても、あなたの根源的な要求はいつになっても満たされません。

あなたのしがみついている自己欺瞞を、表に引っ張り出して、明るいところでその正体を暴いて見せることです。

そうすれば、あなたは自分が何者であったかがわかり、その見せ掛けの自分はもう要らないといえる日がやってくるでしょう。

そうやってはじめて、あなたは子供っぽい猿真似から脱却して、本当の自分にたどり着けるかもしれない。

それは、うそで飾った偽装した自分ほど、かっこよくはないかもしれません。

理想で埋め尽くしたような華やかな自分ではないかもしれません。

しかし、今度の自分は、うそを生きていない本当の満足感を与えてくれるでしょう。

本当は、こんなことで満足できるのが本来の自分だったのだとわかり、無理をしなくても人生は満ち足りていることに気がつくのです。


ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







どうして悩みが生じるのでしょう?

a0001_008193.jpg


どうして悩みが生じるのでしょう?

悩みとは、現実と私の考えとの食い違いではないでしょうか?

現実が私の考えどおりであれば、私たちは悩むことなく、ただ現実とともに生きていくでしょう。

しかし、実際にはそのようにできることは、むしろ例外です。

そこで、悩みながらも現実と私のストーリーとの確執に対してあくまで戦うか、現実には逆らわないで生きるか、大雑把ですが2つの道があるわけです。

私たちは前者の生き方、現実に立ち向かって克服することが理想のように思う文化に生きてきました。

しかし、それを疑ってみることもできます。

あなたが思い悩むとき、そこにはストーリーと現実とのギャップがあるわけです。それは、前者を採るか、それともいいチャンスだと思って、それを根本的に疑ってみることもできます。

困難は、あなたに新しい選択の可能性を見せてくれるチャンスだと捉えることもできるわけです。

困難は、しかし恐怖を伴っているのが普通です。

ストーリーの通りに生きなければ、大変なことが起きてしまう。
そういった恐怖は、言葉以前にあなたを震え上がらせ、立ちすくませてしまうかもしれません。
そのような状態では、冷静に選択の可能性を考えることすらできないかもしれません。

しかし、どんな状況でも、ストーリーにとらわれるか、それを疑ってみるかの選択はいつでもあるのです。

たとえば、あなたが人間関係に悩んでいるなら、「人はこうあるべき」という思い込みに反論してみることです。

あるべき路線からあなたが外れたら、どんな恐ろしいことが待っているという恐怖に正面から挑んで見ましょう。

それがうそだと仮定したら、あなたはどんな行動をとる気になるでしょうか?

そんな恐怖は実体のないものだとわかったら、たちどころにあなたの悩みは消え去るかもしれないのです。

あなたのストーリーを、ただ現実に逆らわないという生き方に変えてみる。

あなたがもっともっと欲しいと思うのをやめて、身の回りのあなたの財産を見直してみる。

もっともっと欲しがると、もっともっと悩みが増えていくのだと認識しましょう。

欲しがることをひとつ捨て去るだけで、あなたはその欲しいものの10倍もの平安を獲得するでしょう。

何の害もないと思っていた欲望が、実はなくてもいい困難を招いていただけ。
それは、実はなくてもどうってことないものなのに。

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







『行きづまりと義務感』

a0001_016949.jpg


行きづまっていると感じるとき、それは誰かとの関係だったり仕事だったりするかもしれませんが、それに追い打ちを掛けるのは義務感です。

行きづまりを感じて停滞感や疲れを感じているときは、義務感を少し切り離してみましょう。

出来ていないことから焦りや疲れがあるときに、義務感で自分を奮い立たそうとするのは、無理をしてこじらせてしまう可能性があります。

そんなときは、しばらく義務感も焦りの対象も忘れてしまいましょう。

そして、自分のできることや人に与えられることに焦点を当ててみましょう。

「自分は何を人に与えられるだろうか?」ということに、しばし心を遊ばせてみましょう。今の状況とは関係なくです。

何か思いついたら、小さな事でも何でもいいから、それを実行してみるのです。

行きづまりの状況とは何も関係ないことでもいいのです。

与えることで本来の自分のことがわかってきます。
いろんなことが出来る自分が見えてきます。

義務感で追い詰められていた自分から離れて自分を見られるようになってきます。

結果として今の行きづまり状況も全く違った見方が出来るようになるでしょう。

それは義務感でこじらせていたら決して見えてこないものでしょう。


ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







余裕とは何だったのかを思いだそう

a0002_008617.jpg


余裕を持つことについて書いてみます。
 
『牛をさばく料理人』(荘子 養生主篇)の話で、達人はこのように言います。
 
牛に向かって自然の摂理に逆らわないようにしていれば、骨や筋と肉のあいだの隙間がみつかります。その隙間にしたがって切り開いていけば、今のように鮮やかに肉と骨を切り裁くことが出来るのです。
 
その隙間をうまく見つけないとき、肉の中を切り裂いて骨に肉を残したり、硬い骨や筋を無理やり切ろうとすれば包丁はすぐにダメになってしまいます。
 

 
この隙間が「余地」というものです。
 
余地を残さない仕事は、無理な力が入って余裕のない動きになってしまいます。
 
また人と人との関係でも余地を考えないやりかたは、ギスギスしてぎごちないものになってしまうのです。
 
相手の逃げる「余地」を残さないで追い詰めることは、相手の必死の反撃をまねくのでよくないのだということは兵法でいわれることです。
「窮鼠猫を噛む」と表現されていることはよく知られていますね。
 
余地はまた、「遊び」という表現でも使われます。
 
操作を行う機械類には「遊び」が必要なものがありますね。
操作しても実際に機械の動作に反映されない余裕のようなものです。
 
例えば自転車のブレーキなども適当な遊びがないと、一気にブレーキが働いたのでは返って危険です。チェーンも少し遊びを持たせないと負荷がかかりすぎて切れやすくなります。
 
列車のレールのつなぎ目には、寒暖の差でレールが延び縮みすることを考慮して遊びを持たせるのはよく知られていますね。
 
 
思考というのは白黒をハッキリさせてしまう傾向があるので、どうしても余裕のないものになりがちです。
 
先程の例で言えば、ここまでは肉でここからは骨とハッキリ決めてしまうので、その隙間については考えようとしないのです。
 
仕事と余暇も思考に頼るとお互いに相容れない排他的なものに捉えてしまいます。
 
学校や仕事で会社に出かけて時間に縛られることになれている人は、休みの日になると何をしていいのかわからなくなることがありますね。
 
強制的に今は仕事の時間、今は休憩の時間と分けられてそれに慣らされてしまうために、外側の決まりに自分を合わせることが普通になってしまうのです。
 
そのため外側から拘束されない時間が出来てしまうと、今の自分が「仕事」にいるのか「余暇」にいるのかがわからず困ってしまうわけです。
 
極端になると、家にいてゆっくり出来るときまで、時間割を作って今は何をする時間かをハッキリさせないと気が済まなくなってしまいます。
 
そうなると無理やりいまは何もしなくていいとか、何かリラックスできることをしなければとか思ってしまうので、とても余裕とは言えないものになってしまうのです。
 

 
こうして、仕事とも余暇ともつかない時間を過ごす中途半端なものが休日の過ごし方になってしまいます。
 
じつは本来は時間に縛られることもなかったはずですし、仕事をする時間帯とか、休憩する時間帯という区別がもともとあるわけではありません。
 
外側から自分をしばることに慣らされた結果の作られた時間でしかないのです。
 
知識や思考がこのような論理的な区別で作られる傾向があるのに対し、余裕を持った生き方をもたらすものは知恵と呼べるかもしれません。
 
変化しない固定された知識とそれを操る思考に対して、融通の利く余裕を持った生き方は知恵に頼らなければいけないものなのでしょう。
 
知恵とは知識の蓄積は少なくても、経験の積み重ねから生み出されるものです。
 
思考が生み出す作られた余裕のないやりかたではなく、体験に基づいた自然の流れに逆らわないやり方です。
 
このような知恵の働きを取り戻すには、思考を止めることが必要です。
 
思考が働いている間は、固定された変化のない情報をこね回すばかりで、現実との接点を失ってしまいます。
 

 
知恵は古い習慣にとらわれずにものを観るやり方です。
 
古い問題を古いまま扱う思考に対して、新しい視点で問題を見直すのが知恵の働きです。
 
思考に流れてしまうのをストップしてみれば、曖昧な状態を取り戻せます。
 
思考が作りだした「いまは○○の時間」という時間の中に生きるのではなく、その時間と時間の「隙間」をとらえることで、本来の思考に左右されない生の流れを取り戻すことが出来ます。
 
余裕とはもともとは、時間やお金によってもたらされるものではなく、「隙間」とか「余地」を捉える能力を回復すればいつでも瞬時にもたらされるものだったはずです。
 
それは、いくら計画を立てても得られるものではないのです。
計画することは、思考の方を活性化して固定された領域からの結論しかもたらさないのです。
 
お仕着せのレジャーなどいくら計画しても何ら余裕を取り戻さないのは、こう言った理由からだと思えば納得できるのではないでしょうか。
それはまるで、義務的に何かの仕事をかたづけることと同じになってしまうのです。
 
思考の隙間にある自分を取り戻して余裕とは何かを思い出しましょう。
 
思考や計画に頼らないで答えを見つける能力を回復するのです。
それには知らず知らずに身につけてきた反応の習慣を書き換えるのです。
 
・計算しないで行動する機会を増やしましょう。
 
・やっていることが一区切りついたら、きれいに忘れてしまいましょう。
 
・またそのとき、すぐに次に何をするか考えようとするのをストップすることを意識してみましょう。
 
・今日が何曜日であろうと、今が何時であろうと、この時間を何に使うかはいまこの瞬間に決めてもいいのだと許可を与える習慣をつけましょう。
 
・どうしても譲れない予定はハッキリさせておいて、それ以外は好きにやってみようと決心します。
 
このような単純なことでも繰り返してやっていると、徐々に予定外のひらめきが増えて来ます。
それは、予定に縛られてきたことで、いままで抑圧してきた思いが復活し始めているのです。
 
そして、なんとなく開放感がないと感じながらも、どうしていいのかわからなかった状態から徐々に解き放たれてきますから、いつも重苦しく感じていた状態も改善してくるでしょう。
 
余裕があるとは、時間が余ることではなく、心がけ次第で自分で作り出せるものです。
 
それは習慣です。
 
余裕を持てない習慣をそのままにしていると、いくら状況が変わっても心の余裕は持てません。
逆に、いくら忙しい状況でも、余裕を見つける習慣を作ることも出来るのです。


ACR WEBブログパーツ

テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







「死ぬ前にしなくてはならないこと」Find and Follow Your Passion.




ACR WEBブログパーツ

テーマ : 幸せに生きる
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







欲しいし、嫌だし、憎いし、でもそのままでいい

70c109ad9236e9d9cda37c79e43d1be6_s.jpg


遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)
 
このハンニャハラミツの
大海の底に深く沈んでいくと、
今まで自分をしばってきた、
今までリアルだった
日常世界のわずらいのすべてが、
まるで
夢かまぼろしのように
むなしいものに
思われてきます。
 
般若心経絵本 諸橋 精光 小学館 / 2005-09
 



般若心経絵本では、この前後で「無明」と「ハンニャハラミツ」は同じものだと言うことが語られています。
 
「無明」とは果てしない欲望をもたらす苦しみのもとであり、「ハンニャハラミツ」はさとりの世界です。
 
「無明」にこだわれば、それは苦しみの世界のままですが、「ハンニャハラミツ」に身をあずけてしまえばどうなるかがこの文章です。
 
 
まず、私たちは煩わしいものを自分から欲しがっているのです。
 
しかしその結果すぐに苦しい状況に入り込んだ事を思い出し後悔します。
 
自分でそのことに耐えられないから、何かに、誰かにその責任を負わせたくなります。
 
しかし、それでもまた次の煩わしいものを追い求めないではいられない。
 
これが「無明」ということですが、これもまた「ハンニャハラミツ」そのものでもあるというのです。
 
つまり、「欲しがるのがダメ」だとか、「苦しいことをどうこうしよう」だとか、「だれが悪い、いや自分が悪い」とかいくら頭で考えても仕方がない。
 
それがそのままさとりの世界でもあると受け入れれば、「無明」も当事者として参加するだけでなく、同時にそれを外から眺めている存在でもいられる。
 
したがって、欲望を否定するのでもなく、苦しさを見るのを避けるのでもなく、それがこの世界だと受け入れてしまえば、ただあるがままだということです。
 
そして受け入れを拒否することこそが、問題を作り出すのだと知ればいいのです。
 


欲しいし、嫌だし、憎いし、でもそのままでいい
 

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







あなたがクリアしてあげよう~単純だけど難しいこの心の仕組み

a0002_006092.jpg


他の人からの接し方を見ていると、相手はみんなこちらを拒否しようとしている、と見えるかもしれない。

しかし、相手が拒絶しているように見えるものは、「私」に向けたものではなく、相手が自分自身の限界を感じて、それに反応しているだけなのだ。

「私」の望みや期待とは関係なく、相手は自分自身の貧しさに気がつき、嘆きたいのだが、どう表現していいのかわからない。

助けを求めたい気もしているのに、他人への警戒から素直にそれを表すことはしないだろう。

どうしようもなくなって、助けを求めだす人は、ほとんどが素直に自分の弱さを認められなくなっている。

自分の弱さを認められるなら、それ自体が救いになる。
それができるくらいなら、そもそも助けなど必要がなくなるからだ。

やるべきことは、自分の弱さや怖いと感じているものを認めて、それらを敵対視しなくなることにある。

彼らが敵対視している様子は、他人に対してそれを投射する様子を見ればすぐに見つかるだろう。

だから、そのような敵対視はあなたに向けられたものではない。

自分の中の恐れているもの、それもそれらを明らかにしようとしないで、敵対視しているやり方を、例えば目の前にいるあなたに向けてしまうのだ。

あなたがやるべきことは、そこから立ち去って、あなた自身の中に同じような恐れを作り出さないようにすることである。

私の中には、敵対視する他人も、敵対視するべき私自身もいないし、作り出しもしないと決心するだけでいい。

その準備ができてこそ、他の人の戸惑いにも対処してあげられるようになるだろう。

相手が拒否しているように見えたり、そのような言葉を発したとしても、本当はそれでも従わず、恐れなど必要ないことを信じさせてほしいと思っているのだ。

そういう相手にあなたがなってあげられるか、それともミラトリがミイラになるか、それが問題なのだ。



ACR WEBブログパーツ

テーマ : 幸せに生きる
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







あせること、イライラすること

phm01_0009-s.jpg


『何かをあせってやろうとすると、かえって空回りばかりで、いつものようにうまくできない。』
 
こんな経験、どなたにもあるのではないでしょうか。
 
こんなとき、あなたはあなたの決めた時間でものごとが起こっていくのを期待していませんか?
 
しかし、ものごとは、まるでそれに特有のスピードを持っているかのように、あなたの思いなど関係なく起きるべくして起きていきます。
 
たとえば、あなたがせっかちな人だとします。
 
そして、あなたの前には時間など気にせずに、自分の決めた手順が変わるのを嫌がってものごとを非常にていねいに行っている人がいます。
 
あなたは、それをみているとだんだんイライラし始めるのです。
 
人と人の関係では、せっかちな人もいれば、のんびりした人もいます。
 
そして、それはわかるけれど、ものごとが自分の決めたスピードで進んでいかないと、あせったりイライラしたりし始めるのです。
 
ものごとが運んでいくスピードに、特有のスピードがあるものかどうか、それはわかりません。
 
しかし、単に見る側の心理的なスピードだけで、ものごとが起きていくわけではないでしょう。
 
それが起きていくには、様々な無数の要員が非常にからまって進んでいくはずです。
 
ですから、あなたがいくら自分で「○○までに結果が出る」と決めたところで、期待通りに起きてくれるとは限りません。
 
植物の種をまいて、いっぱい水や肥料をやったんだから早く芽を出せと言っても仕方がありませんね。
 
またそんなことをするから、あなたはあせったり、イライラしたりするということもありそうです。
 
別の言い方をすれば、あなたはものごとに対する見方が「荒く」なっているのかも知れません。
 
落ち着いているときのあなたは、もっと「こまやかに」ものごとを見ていられるのかもしれないのです。
 
「荒く」見ているから、細かい変化が目に入らない、なんでこんなに変化しないんだということになる。
 
あなたが、自分で時間をコントロールすることをやめて、ものごとが起きていくスピードに任せて見ていられるなら、必要以上にイライラせずにゆったりと過ごすことができるでしょう。
 
さらに発想を広げれば、あなたはものごとの結果についても、同じよう「にコントロールしようとしない」という選択もできるわけです。
 
起きることに逆らわずに、それが起きるのに任せるということです。
 
「そんな受け身ばかりの生き方などごめんだ」といわれるかもしれません。
 
ときにはあせったりイライラしたりするのが、逆に楽しみにつながることもあるでしょう。
 
たとえば、あなたがプロ野球やサッカーの試合を見ながら、ひいきのチームを応援するようなときです。
 
あなたが、いくら逆立ちしようと、あなた自身がピッチャーやバッターになれるものではありません。
 
しかし、あなたがどちらが勝とうがかまわないと思うのなら、興奮もしない代わりに応援する楽しみもありません。
 
それは、もはや応援とは言えないでしょう。
 
不安とワクワクすることは紙一重です。
 
コントロールしたいという思いと、イライラすることは、お互いに切り離せない関係にあるのでしょう。
 
ですから、すべてあきらめようとか、すべてコントロールしようとか、2つに1つで片方だけに決めようとしないことです。
 
心配しなくても、あなたはイライラから完全に解放されることもないでしょうし、無理をして何事にも無気力になる必要もありません。
 
ただ、イライラしたり、あせったりすることが、必要以上にあなたにストレスをかけていないかをチェックすることは役に立つでしょう。
 
ときには、ものごとが起きていくスピードや結果を、そのまま受け止めてみてはいかがでしょう。
 
それが、いかにあなたにとって重要で差し迫ったことでも、あなたにコントロール出来ない事なら、手を出そうとせずにまかせてみましょう。
 
「あなたの力」で、おきてくることをコントロールしようとおもうことが、結果に影響を与えるかどうかを冷静に考えてみましょう。
 
「あなたの力」で、「あなたの意志」で成し遂げたから、だから価値があるというのは、ひとつの考え方でしかありません。
 
そして、あなたが自分でコントロールして成し遂げたと思っていることも、単に起きるべくして起きているだけかも知れないのです。
 
「さからうのはやめた!」と思ったときの開放感、あなたにも経験があるのではないでしょうか。
 
ACR WEBブログパーツ

テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







やり直そうとする心理のわな

a0001_016474.jpg


間違えたり、失敗したことを「やり直し」しようと思うこと自体には問題はありません。
 
しかし、自分はやり直そうとしているつもりでも、どこかに失敗した事実を認めないで、もう一度やって失敗ではなかったと証明してやろうという気持ちが潜んでいる場合があります。
 
そういった場合、名誉挽回ならばいいのですが、前の失敗を認めきれない思いから何度も同じやり方をして、これまた同じ失敗を繰り返してしまうという悪循環に陥ってしまう危険性があるのです。
 
たとえば自転車で水たまりを避けるのに、出来るだけ水たまりのぎりぎりを通ってクリアしてやろうと、何度も失敗しているようなものですね。
 
大きめに迂回すれば失敗しようがないとわかりながら、なんどもうまく通れることを証明してやろうと、ぎりぎりを通ろうとする。
 
100m走での記録の壁を破ろうとする人の挑戦と似ているようですが、そこには前の失敗を認めて、充分にそれをかみしめているかどうかの違いがあるのです。
 
  
同じ失敗をする人は、「いや今度はうまくいくはずだ」とおもいながら、前回と同じ心理状態に陥ってしまいトラップにはまってしまいます。
 
これは、第三者が見ていれば、わりとすぐにわかり「何をやっているんだあの人は」と思えるのですが、当事者にはなかなか気がつきにくいところが、人間の心理の癖のようなものですね。
 
前回と似た状況になると、つい同じやり方を採ってしまう。
 
ちょうど、なんど痛い思いをしても、きまって同じ場所で足をぶつけてしまう様な感じなんです。
 
起きてしまった悪い状況から逃げ出そうとすると、かえってその状況を引きずってしまい、再出発ではなく過去をやり直そうとしてしまうのが問題なのです。
 
なんどやろうと、そのやり方は実を結ばないことがわかりながら、それを認めきれない自分に気がつかなければなりません。
 
失敗と縁を切るには、それに抵抗しないことです。
 
失敗したら、その失敗がもたらした結果を充分にそのまま起こらせてしまえば、スッキリあきらめも付くのです。
 
頭に何度もいやな感情が蘇ってくるようなら、それに抵抗しないでとことんくやしい感情を味わってしまいます。
 
予期しない困った出来事が起きたら、抵抗しないでそのままそれにふさわしい終わり方をさせてしまうのです。
 
つらい体験でも、抵抗しないで充分起こらせてしまったら、それを潔く手放すこと。
 
これが、失敗をいつまでも引きずらないベストな方法ではないでしょうか。
 
良いことも悪いことも、あなたに関係あることもないことも、起こってはやがてその終焉を迎えます。
嵐の中でも、時はどんどん過ぎていきます。
 
それが自然に終わらないのは、

あなたが、過去を不自然に生き延びさせてしまうから。
 
新しい生き方に向けての「やり直し」と、過去に縛り付けられたままの「やり直し」の違いを見分けないといけません。
 
それは、いつまでも失敗を繰り返していないかどうか確かめればわかるでしょう。
 
そのような時、同じようないやな感情がそこにくっついてきてはいませんか?
 

 
何か気が重い、何かやるきが出てこない、おっくうになってしまう。
 
このような感情が起きてくる原因はいろいろありますが、その一つが、いま言ったような過去をやり直させようという試みなのです。
 
今度こそうまくやろうというかけ声はいいのですが、それが失敗をなかなか認められないための悪循環になっていないだろうかとチェックしてみることです。
 
「そうか、過去への未練がこのいやな気分を作りだしていたんだ」と気がついたら、悪あがきしないで手放しましょう。
あれこれ理由をつけようとしないで、目をつぶって手を離すのです。
 
そして、いまここで起きていることに目を向ける。
 
驚くほど、急激に気分が良くなってくるでしょう。
 
このような手放しになれてくれば、「もしかするとこの気分の落ち込みは例のヤツかな?」と楽に気づけるようになってくるでしょう。
 
いつもあたらしい、柔らかい存在でいるのです。
 


柔らかい存在が、「いま」にはふさわしい。

硬くなった存在は、過去を向いています。
 
何度も生まれ変わる自分を、当然のことだと思えるようになればいいのです。
 
過去にしがみつくのは、同じ身体で居続けようとするようなもの。
 
新陳代謝で身体が刻々作り替えられているありがたさを忘れてはなりません。
 
意地を張らずに負けをきっぱり認めて生まれ変わりましょう。
 
そうすれば、眠れぬ夜ともさよならできるでしょう。
 



ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







報われない

a0002_008023.jpg


私はこんなに一生懸命頑張っている。
なのにちっとも報われない。
だから、何かが間違っているのだ!
 
私たちは、たまたま自分が生まれてきた時代の社会に生きています。
残念ながら、自分でそれを選ぶことは出来ません。
 
自分がある程度大人になってから、それを変えていこうと思うことは出来ますが、どんな社会に生まれつくかは運次第というか、自分ではどうにもならないものです。
 
社会はそんなに急激には変わりません。
したがって、今の自分が思う理想と社会が食い違っているとすれば、自分が出来ることは何であるのかを冷静に考えないとなりません。
 
少なくとも、「自分が報われないから社会が悪い。すぐに社会を何とかしろ!」という責任転嫁は、かなわない嘆きでしかないでしょう。
 
ここで出来ることとは、大きく考えれば幾つかに限られてきます。
 
1.社会を自分の思うものに変革していく。
2.自分を社会に合わせるように変革する。
3.社会がどうであろうと自分の生き方を追求する。
 
しかし、ここでひとつ忘れてはならないのは、社会と自己は独立して存在したり対立するものではなく、今の自己も社会の影響を受けて作られてきた存在であるということです。
また逆に今の自己が社会に影響を与え変えていくという関係にもあります。
 
自分が今の社会を嫌うとしても、その好き嫌いもまた、今の社会に生きてきたことで生まれてきた感情なのです。
時代が違えば考えもしなかった事なのかもしれません。
 
好きだった人がちょっとしたことで嫌いになったり、またその逆もおなじようにあるように、同じ要因が一気に反転したものに見えて来るということがあるわけです。
 
むしろ好き嫌いがどこかで反転することも、この世界のバランスを取ることに組み込まれた変化なのかもしれません。
少なくとも好き嫌いの心理というのは、それほど絶対的なものではないようです。
 
それがいつまでも変化しないのは、それを維持しようとし続けるからです。
 
「いや嫌いなものは、何があろうと嫌いだ」という心理は、そんな自然の変化を無理やり歪めて、「嫌い」という信念を消してなるものかと怨念に変えているだけかもしれません。
 
さて、話を最初の「報われない」という思いに戻しましょう。
 
「報われない」とは、
A.今の自分は十分評価される存在だし評価されていいことをやってきている。
B.それを評価しないのは社会が悪いからだ。
ということで成り立っています。
 
しかし先に書いたように、社会はあなたの思いによってすぐに変化するものではないのですから、この訴えはかなわない可能性が高いでしょう。
 
そもそもこのAの前提は正しいのでしょうか?
 
正当な評価が下されていることを前提にするなら、社会が評価しないのは、社会にとって有益でないからです。
 
自分では価値があると思っていても、それは今の社会では価値があると見なされていない可能性があります。
 
そう考えてしまうことはなかなか厳しい現実ですが、目をそらしていたのでは、いつまでもかなわない嘆きを続けることになります。
またそれだけではなく、他の可能性を考える余裕がないままいたのでは、いつか自分の存在そのものが価値がないと結論づけてしまうことにもなりかねません。
 
もしそれが事実なら、今の自分のやっていることを脇に置いて、社会の需要に合わせたことをするように自分を変えるか、逆に自分の才能を社会で必要だと認めさせるような働きかけをするしかありません。
 
もっともこれは「報われない」という思いを何とかするにはどうするかということへの返答ですが、それ以外にも、この「報われない」という不満を手放すという選択肢も残されています。
 
それが「3.社会がどうであろうと自分の生き方を追求する。」ということです。
 
何も今の社会に合わせるだけが生き方ではないはずです。
 
そもそも、あなたという人間が生きるということと、たまたま生きている社会を比べてどちらが重要であるかを考えてみることです。
 
何もあなたに許されたユニークな一生を、たまたま生まれついた社会のために犠牲にする必要もありません。
 
どこまで社会に係わって生きるのかは、それこそ無数に選択肢があるでしょう。
それを選ぶことは、誰も邪魔しない自分に任されたことです。
 
社会が悪いから自分がうまく生きられないなどという、人まかせなことを言っていないで自分でどうやって自分を生かすかを真剣に考えれば、「報われない」などという言葉でお茶を濁している暇などないと思えてこないでしょうか。
 
社会が何かをしてくれるという期待は、ますます薄らいでくるように感じる昨今です。
 
しかし自分が道を切り開く決心さえすれば、社会に不満を漏らして生きているよりもずっと積極的な生き方ができるし、自分以外を当てにすることによる不安定さを避けることが出来ます。
 

特定のしくみ、特定の人からだけ自分の生きる道があると思い込むとき、同時にそれをなくす事への恐怖を作り出します。
もしその方法が途絶えたらどうしよう、もしその人に嫌われたらどうしよう、そうなればもう終わりだと思い出すことになるからです。
 
今の社会でいかに要領よく生きるかということ以外にも、考えて見ることはいくらでもあるはずです。
自分で選択の幅を狭めなければ、それ以上の優先すべき事がいくらでも見えて来るでしょう。
 
「報われない」という言葉は、自分で切り開く可能性を放棄するものでしかありません。
 
ACR WEBブログパーツ

テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







sidetitle最新記事sidetitle
《最近7日間の人気順位》
~ランキング全体をみる~
~ランキング全体をみる~

sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle全記事表示リンクsidetitle
過去の記事はこちらから↓

全ての記事を表示する

sidetitleブログ紹介sidetitle
☆~新刊⌒☆
☆ちゃん見るシリーズ☆


好評発売中


アルファポリス
第2回エッセイ・ブログ大賞
特別賞『タオに生きる』 pao
WebコンテンツPickUP!タオに生きる
【 エッセイ・日記・blog > blog 】
老子の教えに学ぶ
老子のいう「タオに生きる」ということはどういうことなのか。さまざまなアプローチから、自らの考えや学んだこと、思ったことが綴られています。心をやすめ、身体をやすめ、穏やかで落ち着いた生活をしたい……そう願う人たちにとって、ヒントに溢れたブログです。


ez-HTML





PRR
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカレンダーsidetitle
11 | 2014/12 | 01
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
sidetitleにほんブログ村sidetitle
sidetitleスポンサード リンクsidetitle
sidetitleメール心理相談sidetitle
メールを利用して1,000円/週で心理相談を受け付けています。
詳しくは下記から「どういう内容か知りたい。」旨のメッセージをお送りください。





アクセスカウンター
アクセスカウンター
アクセスカウンター
ブランド買取優良店***word-2******word-3******word-4******word-5******word-6******word-7******word-8******word-9***


このエントリーをはてなブックマークに追加

sidetitleジャンル・ランキングsidetitle
[ジャンルランキング]
心と身体
60位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
スピリチュアル
18位
アクセスランキングを見る>>

sidetitle検索フォームsidetitle


もう一つの「タオに生きる」カテゴリー別
Screen Shot_30p ※徐々に更新しています
タオに生きる(人間関係)
タオに生きる(アドバイタ関連)
タオに生きる(YouTube#1)
タオに生きる(YouTube#2)


[上位タグ20]
感情、莊子、思考、怒り、罪悪感、老子、いまここ、人間関係、バイロン・ケイティ、交流分析、タオ、エックハルト・トール、ありのまま、許す、YouTube、老荘思想のコラム連載、不安、過去、無為、OSHO

sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleアクセスランキングsidetitle
訪問いただいているサイト
(週間 木曜日リセット)
※こちらでタイトルを入れさせてもらっていますが、出したくないとか変更したいという方はご連絡下さい。

sidetitleカテゴリsidetitle
カテゴリーを追加し整理しました。 バイロン・ケイティ、エックハルト・トール、ガンガジ、ムージ、OSHO
sidetitleQRコードsidetitle
QRコード
FX