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あせること、イライラすること(redux)

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『何かをあせってやろうとすると、かえって空回りばかりで、いつものようにうまくできない。』

こんな経験、どなたにもあるのではないでしょうか。

こんなとき、あなたはあなたの決めた時間でものごとが起こっていくのを期待していませんか?

しかし、ものごとは、まるでそれに特有のスピードを持っているかのように、あなたの思いなど関係なく起きるべくして起きていきます。

たとえば、あなたがせっかちな人だとします。

そして、あなたの前には時間など気にせずに、自分の決めた手順が変わるのを嫌がってものごとを非常にていねいに行っている人がいます。

あなたは、それをみているとだんだんイライラし始めるのです。

人と人の関係では、せっかちな人もいれば、のんびりした人もいます。

そして、それはわかるけれど、ものごとが自分の決めたスピードで進んでいかないと、あせったりイライラしたりし始めるのです。

ものごとが運んでいくスピードに、特有のスピードがあるものかどうか、それはわかりません。

しかし、単に見る側の心理的なスピードだけで、ものごとが起きていくわけではないでしょう。

それが起きていくには、様々な無数の要員が非常にからまって進んでいくはずです。

ですから、あなたがいくら自分で「○○までに結果が出る」と決めたところで、期待通りに起きてくれるとは限りません。

植物の種をまいて、いっぱい水や肥料をやったんだから早く芽を出せと言っても仕方がありませんね。

またそんなことをするから、あなたはあせったり、イライラしたりするということもありそうです。

別の言い方をすれば、あなたはものごとに対する見方が「荒く」なっているのかも知れません。

落ち着いているときのあなたは、もっと「こまやかに」ものごとを見ていられるのかもしれないのです。

「荒く」見ているから、細かい変化が目に入らない、なんでこんなに変化しないんだということになる。

あなたが、自分で時間をコントロールすることをやめて、ものごとが起きていくスピードに任せて見ていられるなら、必要以上にイライラせずにゆったりと過ごすことができるでしょう。

さらに発想を広げれば、あなたはものごとの結果についても、同じよう「にコントロールしようとしない」という選択もできるわけです。

起きることに逆らわずに、それが起きるのに任せるということです。

「そんな受け身ばかりの生き方などごめんだ」といわれるかもしれません。

ときにはあせったりイライラしたりするのが、逆に楽しみにつながることもあるでしょう。

たとえば、あなたがプロ野球やサッカーの試合を見ながら、ひいきのチームを応援するようなときです。

あなたが、いくら逆立ちしようと、あなた自身がピッチャーやバッターになれるものではありません。

しかし、あなたがどちらが勝とうがかまわないと思うのなら、興奮もしない代わりに応援する楽しみもありません。

それは、もはや応援とは言えないでしょう。

不安とワクワクすることは紙一重です。

コントロールしたいという思いと、イライラすることは、お互いに切り離せない関係にあるのでしょう。

ですから、すべてあきらめようとか、すべてコントロールしようとか、2つに1つで片方だけに決めようとしないことです。

心配しなくても、あなたはイライラから完全に解放されることもないでしょうし、無理をして何事にも無気力になる必要もありません。

ただ、イライラしたり、あせったりすることが、必要以上にあなたにストレスをかけていないかをチェックすることは役に立つでしょう。

ときには、ものごとが起きていくスピードや結果を、そのまま受け止めてみてはいかがでしょう。

それが、いかにあなたにとって重要で差し迫ったことでも、あなたにコントロール出来ない事なら、手を出そうとせずにまかせてみましょう。

「あなたの力」で、おきてくることをコントロールしようとおもうことが、結果に影響を与えるかどうかを冷静に考えてみましょう。

「あなたの力」で、「あなたの意志」で成し遂げたから、だから価値があるというのは、ひとつの考え方でしかありません。

そして、あなたが自分でコントロールして成し遂げたと思っていることも、単に起きるべくして起きているだけかも知れないのです。

「さからうのはやめた!」と思ったときの開放感、あなたにも経験があるのではないでしょうか。





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大事にしているものを見つけ、それを捨てよう!(メルマガ・25号)

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「大事にしているものを見つけ、それを捨てよう!」

いったい何のことかと思われるかもしれません。

実は私たちを絶えず悩ませるものとは、それがなくなると困る、大変なことになると恐れているものであるというお話です。

大切にしているものは、いつも自分に恩恵を与えてくれる。
だからこそ、大事に毎日それをケアーしているんだと思い込んでいます。

実際にそれが恩恵だけを与えてくれるのであれば、それでもいいのですが、ほとんどの場合、何かをなくすまいとしがみつくものがあると、それは私たちを制限したり、悩ませるものになるのです。

そして、たいていはその事実に気がついていません。

大事なものだから、それを気にしているのであって、当たり前のことだと信じ込んでいるからです。

あなたはそれを眺めたり、思い出しては、それがあることで安心しようとします。

しかしそれは、言い換えれば、それがなくなったらどうしようと恐れる気持ちを、何とかなだめようとしているのです。ですが、そちらの方向からは考えようとはしないのです。

すこし、自分の周りを振り返って、「なくすことを恐れているものはないか?」を考えてみてください。

そして、そのものこそが、日ごろから自分を悩ませている原因になっていないかを。

思いもしなかったものが、自分にいいことばかり与えてくれると信じていたものこそが、あなたの悩みの原因になっていないかを検討してみるのです。

しがみつくという思いこそ、それが本当の必要性ではなく、それへの依存となくすことへの恐れから、手放すのを怖がっているだけのものであると示唆しています。

本当は、
本心から正直に考えれば、
そんなものはなくなってしまえば、
どれだけ安心できるだろうと、
そう考えられはしないでしょうか?

そして、いいことをもたらしてくれる以上に、あなたを日々悩ませたり、心配させたり、なくしはしないかと恐れさせたりしていないか、この機会にチェックしてみましょう。

なくしてしまう恐れとは、今まで生きてきたやり方を維持するために必要な要因であるから、それが変化するのを恐れるのです。

それに代わる別のしがみつくものが見つからないうちは、手放すなどとんでもないと思っているのです。

ですが、代わりの何かを見つけることを繰り返していては、いつまでも不安は消え去りません。

何かにしがみつかなければ、困ったことが起きると信じるのは、それを手放す勇気のなさをごまかすやり方のひとつです。

本当に、それを手放したら、それを捨てたら、いったい何が起きるのか、それを確かめることを怖くてできないでいるだけなのです。

こればかりは、考えても解決しません。
目をつぶってそれを捨てる勇気が持てますか?
それとも、いつも何か代わりをしてくれるものを捜し歩くことを、生活の習慣にしますか?

生きるとは、怖いものから逃れるための、守りのために時間を使うことですか?

それとも、ただ、いま起きることに向き合って、それを楽しんだり、時には失敗して痛めつけられることも恐れずに、それを受け入れることだと思えますか?


大事にしてしがみついているものを見つけ、それを捨ててみましょう。
物でも、人間関係でも、自分のかかわる生き方すべてに関してです。

それから足を洗うのです。
すると何が起きるか?

それは、きっと思いもしなかった世界をあなたに見せてくれるでしょう。
それとともに、あなたの不安や悩ませるものがひとつ消えたことにも気がつくでしょう。



☆----------------------------------------------☆
編集後記

それは高価な置物を落っことして壊しはしないかと恐れるのに似ています。
それくらいなら、壊れる前に誰かに売り払ってしまいましょう。
これであなたは代金と、平穏な生活を手に入れることができます。

良かったらご感想などもお寄せ下さい。
ブログ左サイドに「めるまがメールフォーム」を設置しました。
☆----------------------------------------------☆

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誰の責任なの?(redux)

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【ペパーミント・パティ】

あのね、チャック...

学校がはじまったその日に

校長室によばれたの...

それってあなたのせいよ、チャック

【チャーリー・ブラウン】

えっボクのせいだって?

ボクのせいにどうしてなるんだい?

どうしていつも、何でもかんでも

ボクのせいだっていうの?

【パティ】

あなた、私の友達でしょ

そうじゃない、チャック?

【パティ】

あなたはもっといい影響を

私に与えてくれるべき

だったのよ!


自分を責めてしまう傾向が強い人がいます。

またその裏返しで、自分の欠点を認めるのが怖いので、誰かの犠牲者になってしまおうと考える場合もあります。

「誰の責任なの?」というのは、第3者が客観的に判断すれば結論は出るかも知れませんが、それで納得する人もいれば、信じ難く感じる人もいるわけです。

それに対する反応の仕方は1つや2つでは捉えられないでしょう。

◆完璧な正しさを追求する人は、他の人以上に正しさを主張したり、自己弁護しようとします。

◆正義を主張するのは同じですが、自分の力を主張することに関心がある人もいます。

◆他の人の反応が何よりも大事な人は、正しさよりも他の人に合わせることが優先され、自分を見失うこともあります。

◆誰の責任かの追求よりも、自分のユニークさをアピールすることに関心が強い人もいます。

◆責任の所在は自分では確信していても、他の人に主張したくない人もいる一方で、自分の判断に自信が持てなくて主張できない人もいます。

◆責任の所在なんかどうでもいいから、もっと楽しいことを考えようよと言う人もいます。

◆責任の所在の追求よりも、もめごとをさけ、穏やかに終わらせることに関心が向いている人もいます。

そして、このような関心の方向の違いに加えて、その人の現在の自己を肯定する度合いが高いか低いかでも、その現れ方が変わってくるのです。

ここで理解すべきなのは、誰が一番正しいかと言うことではなく、次の点でしょう。

・自分の正しさは多分に自分のとらわれに引きずられたものであること。

・他のタイプの人の正しさのありかたは、自分には見えにくいものであること。

相手の行動が理解できないとき、その人の主張は非常に理不尽なものに思えるものです。

しかしこのような様々なタイプがあることを理解すれば、相手がなぜそれを主張するのか、あるいはしないのかということも見えてくるわけです。

その結果、他人への不必要な怒りを感じなくても済むかもしれません。

そして、それと平行して自分の偏りというのも意識できるようにもなるのです。


【参考】
いいことから始めよう―スヌーピーと仲間たちからの生きるヒント
エイブラハム・J. ツワルスキー 新潮社 / 1995-02

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遠回り・寄り道(redux)

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人は自分自身になりさえすればいいのだ。

これが、わしの基本的なメッセイジだよ。

自分をあるがままに認めた瞬間、

すべての重荷、山のように見えた重荷が、

うそのように消えてしまうのだ。

すると人生が喜びそのものになり、

光のお祭りになるのだよ。

--------- バグワン・シュリ・ラジニシ



「自分自身になるだけでいい」

この言葉ほど、誰もが見かけながら、実行せずに通り過ぎる言葉も少ないのではないでしょうか。

ほとんどの人は、自分自身のことはわかっていると思っているからでしょうか。

たえず関心は誰か他の人になること向けられ、あこがれの存在ようになりたいと追い求めるのに夢中になっています。

それでなければ、いまの尋常でないがむしゃらな走り方は説明がつかないのです。

走り出せば、目に入るのは併走する人たちばかり、走っている人たち同士で刺激を受け合っているので、誰も立ち止まることなど思いつかないというわけです。

自分自身になったところで、何も変わらないと思っています。

そんなことよりも、誰かさんにならないと、だれも振り返ってくれないと思うのです。

そこには、自分が持っているものなど大したものはないという確信があります。

その度合いは、自分への信頼のなさに比例します。

「もっと、もっと、スゴイ人にならなければ!」


一部の人たち。自分自身のままでも、人は受け入れてくれるのだということに気づいた人たちだけが、むやみに外側を探し求めることをやめます。

そんなことをするよりも、自分自身の持っている宝を確認する方がやりがいがあるし、そもそも外側に何かが在るというのは幻想でしかないことに気づいているのです。

追い求めている間は、いつも目標を追っかけている気になれます。

「~するまでは(until)」という脚本は、そこにたどり着くまでは、自分の時間つぶしの材料に事欠かないわけですが、しかし、それをなし遂げた後、何をするのかは空白のままなのです。


また、「~ができさえすれば(after)」の脚本を持つ人がいます。

それが完成すれば、それをやり遂げた後は、すべてがバラ色になると信じて、それまではただの通過点に過ぎません。それまでは、自分の人生は始まらない。

子どもが大きくなれば、学校を卒業しさえすれば、何かが始まる。

少しアレンジして、誰かに出会えれば、あるいは誰かがいなくなれば、期待した人生が始まると信じて、いまをないがしろにし続ける人もいます。

どれも、将来は○、いまは??なのです。

いまの自分は、楽しむ資格があるの?ないの?

その確信のなさが、いつも楽しみを先延ばしにする習慣を生み出します。

そして、いつになっても「その時」は来ません。


自分をあるがままに認めた瞬間、

すべての重荷、山のように見えた重荷が、

うそのように消えてしまうのだ。

この重荷とは、いまは?であるという思いが、仮想の重荷を作り出しているです。

いまここには、重荷などないことに薄々気づいていながら、いまはその時ではないというプログラムがすべてを台無しにします。

「将来は?だが、いまが◎なのだ。」と言い切れるとき、初めて、いまを生き始めることが出来ます。

じつは、将来は誰にとっても?であることをなぜか忘れてしまいます。

将来をすべて見越して生きることなど不可能であることを認めさえすれば、そんな出来ないことに時間を使うことはないのだと気がつきます。

いまが楽しめないのは、いまはまだその時でないという「のろい」にかかっているだけです。

ですから、そんな脚本を抱えていない子どもたちは、いまを生き生きと楽しんでいるのです。

人は自分自身になりさえすればいいのだ。

ここでも、「いま」の否定がこれを不可能にします。

「自分自身? いまの自分など信用できるか!」

しかし、いまであろうと将来であろうと、自分自身とはいま存在するものでしかない。

そして、それを確認してもいないのに否定してしまっている事実に気がついて、もう一度見直してみることです。

未来とは、甘く魅力的に見えますが、それは実体のないからっぽでしかないのです。

じつは、未来とは、いまの自分に見える範囲でしか見えていないことに気がつかないといけません。

他のだれでもない「いまのあなた」が予想しているのが、そのあこがれの未来なのです。

どこまでいっても、「未来への予想」はいまの自分を超えることはないのです。

未来を作ることばかりにとらわれずに、いま=自分自身に立ち返るだけで、どれだけ重荷が消えていくか。

いままで怖がって振り返らないでいたことを、ちょっと実行してみればそれは見えてきます。

いまには、どんな代償も、資格も、準備もいりません。

無条件にあるのがいまなのです。


【引用文献】
聖なる知恵の言葉―魂のためのガイドブック
著者: スーザン ヘイワード / PHP研究所 / 1995-03 /


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「Less is More」何も欠けていないと悟れば、全世界が自分のものになる

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「Less is More」

これが人生のほとんどの分野に

当てはまることをよく考えてみることだ。


「今持っているモノで満足し、ありのままの姿を喜ぶことだ。
何も欠けていないと悟れば、全世界が自分のものになる」
----- 老子 -----

今日が楽しくなる魔法の言葉
著者: アーニー・J・ゼリンスキー ダイヤモンド社 / 2003-09-20


いま手に入れたいと躍起になっているものを思い浮かべてください。

出来ればそれを100%で手に入れたいと思い、

あと少しの努力を手を抜かないように頑張っています。

いつからか80%では失敗だと思うようになってしまった。


しかし、80と100の間は非常に遠いのです。

ちょっとした手違いで失敗があっても、80くらいなら無理しなくてもなんとか手に入る。

80にしておけば無理しないで手に入るのなら、

80にとどめれば残ったエネルギーを他のことに向ける余裕も出てくるでしょう。

しかし、それでは満足できない。

100でなければならない。それでも100を目指してしまう。


80から100への距離は、それまでの全部よりも大変なのです。

全神経を使って取り組まないと、ちょっとした油断で取りのがすかもしれない。

1%でもかけたら100にはならないと思うと、他のことにも気が回らない。


このような、80から100への「無駄な」努力をやめたら、どんなに気が楽になるでしょう。

どれだけ、平和な日々が戻ってくるでしょう。

「Less is More」が当てはまらないか考えて見ましょう。


100でないといけない神話は、他にも根拠があるのかもしれません。

プロは、100でなければならない。

アマチュアなら80で満足してもいいが、プロはそういうわけにはいかないんだ。

たしかにそのとおりです。

たとえば、私たちが難しい手術を受けなければいけないとき、
「80くらいならできるよ」という医者に身を託したくはないでしょう。

安全を信じて利用する交通機関が、80の点検しかやっていないと聞かされたら怒りたくなります。

100を提供すると約束する商品のほうが、買いたくなるでしょう。


社会は朝から晩まで100では飽きたらず、120が手に入る方法や商品を売り込んできます。

あなたのうちには、この商品はありますか?
これがないと、80どまりですねー。
余裕があれば、これをプラスすれば、120にでもなれるんですよ。

いままで80で満足していたのに、ちょっとした隙をつかれて100の提案を持ちかけられる。

すると、あなたは「今のままで十分です」と答えはしますが、100への魅力が頭の片隅に残ってしまう。

以前に100を手に入れた時のことを思い出し、それもいいかもしれないと思い始める。

そこで何が起こるでしょう。

あなたは、80から100への困難な道に足を踏み入れてしまった。

禁断の道は、魅力的でいままでの平和な暮らしよりも刺激があります。

今までの習慣を壊してでも、後の20を手にいれたくなる。


いつもならウチのことや家族のことを振り返る余裕があったのに、

「その程度のことならいつでもできる、いまを逃すと100に到達できない。」と思ってしまう。

そんなふうに、余裕を無くして、たかが20のために全精力を奪われてしまうのです。

普段の生活にまで100を持ち込む必要はありません。

いま望んでいることは本当に100が必要かどうか考えて見ましょう。

「Less is More」

足りないくらいのほうが、ずっと幸せだったのに。

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やり直そうとする心理のわな

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間違えたり、失敗したことを「やり直し」しようと思うこと自体には問題はありません。

しかし、自分はやり直そうとしているつもりでも、どこかに失敗した事実を認めないで、もう一度やって失敗ではなかったと証明してやろうという気持ちが潜んでいる場合があります。

そういった場合、名誉挽回ならばいいのですが、前の失敗を認めきれない思いから何度も同じやり方をして、これまた同じ失敗を繰り返してしまうという悪循環に陥ってしまう危険性があるのです。

たとえば自転車で水たまりを避けるのに、出来るだけ水たまりのぎりぎりを通ってクリアしてやろうと、何度も失敗しているようなものですね。

大きめに迂回すれば失敗しようがないとわかりながら、なんどもうまく通れることを証明してやろうと、ぎりぎりを通ろうとする。

100m走での記録の壁を破ろうとする人の挑戦と似ているようですが、そこには前の失敗を認めて、充分にそれをかみしめているかどうかの違いがあるのです。


同じ失敗をする人は、「いや今度はうまくいくはずだ」とおもいながら、前回と同じ心理状態に陥ってしまいトラップにはまってしまいます。

これは、第三者が見ていれば、わりとすぐにわかり「何をやっているんだあの人は」と思えるのですが、当事者にはなかなか気がつきにくいところが、人間の心理の癖のようなものですね。

前回と似た状況になると、つい同じやり方を採ってしまう。

ちょうど、なんど痛い思いをしても、きまって同じ場所で足をぶつけてしまう様な感じなんです。

起きてしまった悪い状況から逃げ出そうとすると、かえってその状況を引きずってしまい、再出発ではなく過去をやり直そうとしてしまうのが問題なのです。

なんどやろうと、そのやり方は実を結ばないことがわかりながら、それを認めきれない自分に気がつかなければなりません。

失敗と縁を切るには、それに抵抗しないことです。

失敗したら、その失敗がもたらした結果を充分にそのまま起こらせてしまえば、スッキリあきらめも付くのです。

頭に何度もいやな感情が蘇ってくるようなら、それに抵抗しないでとことんくやしい感情を味わってしまいます。

予期しない困った出来事が起きたら、抵抗しないでそのままそれにふさわしい終わり方をさせてしまうのです。

つらい体験でも、抵抗しないで充分起こらせてしまったら、それを潔く手放すこと。

これが、失敗をいつまでも引きずらないベストな方法ではないでしょうか。

良いことも悪いことも、あなたに関係あることもないことも、起こってはやがてその終焉を迎えます。

嵐の中でも、時はどんどん過ぎていきます。

それが自然に終わらないのは、
あなたが、過去を不自然に生き延びさせてしまうから。

新しい生き方に向けての「やり直し」と、過去に縛り付けられたままの「やり直し」の違いを見分けないといけません。

それは、いつまでも失敗を繰り返していないかどうか確かめればわかるでしょう。

そのような時、同じようないやな感情がそこにくっついてきてはいませんか?


何か気が重い、何かやるきが出てこない、おっくうになってしまう。

このような感情が起きてくる原因はいろいろありますが、その一つが、いま言ったような過去をやり直させようという試みなのです。

今度こそうまくやろうというかけ声はいいのですが、それが失敗をなかなか認められないための悪循環になっていないだろうかとチェックしてみることです。

「そうか、過去への未練がこのいやな気分を作りだしていたんだ」と気がついたら、悪あがきしないで手放しましょう。

あれこれ理由をつけようとしないで、目をつぶって手を離すのです。

そして、いまここで起きていることに目を向ける。

驚くほど、急激に気分が良くなってくるでしょう。

このような手放しになれてくれば、「もしかするとこの気分の落ち込みは例のヤツかな?」と楽に気づけるようになってくるでしょう。

いつもあたらしい、柔らかい存在でいるのです。

柔らかい存在が、「いま」にはふさわしい。

硬くなった存在は、過去を向いています。

何度も生まれ変わる自分を、当然のことだと思えるようになればいいのです。

過去にしがみつくのは、同じ身体で居続けようとするようなもの。

新陳代謝で身体が刻々作り替えられているありがたさを忘れてはなりません。

意地を張らずに負けをきっぱり認めて生まれ変わりましょう。

そうすれば、眠れぬ夜ともさよならできるでしょう。



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罪悪感によるコントロール(redux)

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罪悪感というのは、誰もが根深く影響されている感情の一つです。

しかし私たちのほとんどは、罪悪感について曖昧に理解しているために、ついつい不要な後ろめたさを感じながら、それが仕方のないことだと思って犠牲になったままでいるのです。

罪悪感というのは、本来は、実際に自分が誰かを精神的あるいは肉体的に抑圧したり、傷つけたりした場合に感じるものです。

あなたの行為によって、誰かが能力を発揮したり、自由に表現したりすることを制限したり、あるいは喜びを奪ってしまうようなことになったとき、あなたはそれに対して罪悪感を感じるでしょう。

このような本当の罪悪感というのは必要なものです。なぜならそれを何とも感じないとすれば、他の人を傷つけることを何とも思わない人になってしまうからです。


しかし、このような本物の罪悪感とは別に、誰かに押しつけられてしまった「無実の罪悪感」とでも言うものが存在します。

それはとても日常的に使われているので、区別ができなければ本物の罪悪感と同じようにあなたを苦しめることになります。

たとえば、このような母子の何気ない会話。

「楽しそうでいいわね。お母さんは家にいてやることがいっぱいあるから、自分だけで楽しんできなさい。いいんだよお母さんは慣れているから、家で我慢して用事をやっているわ。」

このように言われれば、子どもは、楽しいはずのイベントに後ろめたさを感じながら出かけなければならないのです。

子どもは、別に何も母親を抑圧するような行為をしているわけではありません。

本来なら思いっきり楽しみに期待をふくらませて、出かけていい場面なのです。

このようなときに子どもが感じているのが、責任のない罪悪感、無実の罪悪感なのです。

そして、たとえ無実の罪悪感であっても、その人を苦しめる点では自分に責任のある罪悪感とかわりはありません。


では、なぜこのような責任のない罪悪感を感じてしまうことになるのでしょうか。

それは、人間関係というものの基盤に存在する精神的な依存によるものです。

つまり、「こんなことを言ったり、やったりしたら、相手から悪く思われたり、嫌われたりしないだろうか?」という思いです。

「人から悪く思われる」ような行為を自分がしてしまうことが、本物の罪悪感の時の他人への抑圧行為のかわりに存在しているというわけなのです。

あなたは自分が言ったことややったことが原因で、相手の表情にかすかに浮かぶ不快感を見逃しません。

これを見たあなたが自分自身に対して下す評価が、あなたに責任の持てない無実の罪悪感を抱かせることになるのです。

そして、あなたはこのような無実の罪悪感を感じるのと同時に、その裏返しとして相手をコントロールしたいときにこの無実の罪悪感を利用しようとしてしまいます。

誰かがあなたのやり方を批判したり、あるいはそもそも相手のことを善く思っていない時、あなたは自分を正当化するために相手に罪悪感を感じさせることでコントロールしようとするのです。

相手がその行為に罪悪感を感じれば、あなたの正当性を主張することが出来るかのように感じてしまうわけです。

このような意識的、無意識的な罪悪感による他人のコントロールは、日常的に行われていますから、あなたもそこら中でその犠牲になっているのではないでしょうか。

はっきり後ろめたさを感じる場合もあれば、なんとなく気が重いなという感じを持ってはいても、何が起きているのか気がつかない場合もあるでしょう。


そして、親子関係とか特定の人との関係では、それが毎日のように繰り返されるために、当事者は毎回うつを感じることを繰り返すことになります。

それは、その人の性格そのものにも影響を与えてしまいます。

このような不当な罪悪感から逃れるためには、まずは罪悪感を感じたときの自分の感情をよく観察してみることです。

そして、それがあなたが誰かを押さえつけたために起きた本来の罪悪感であるのか、それとも誰かの意向によって自分が押さえつけられている為に起きた罪悪感なのかを区別することです。

また、それと共に「自分の感情に責任を持てるのはその人自身にしか出来ないものだ」という原則を思い出すことです。

「あなたのおかげで、わたしはこんな気持ちにさせられた。」という脅しには乗らないことです。

その人が自分でそのような感情を持たないことを選択しない限り、あなたにはどうしようもありません。

あなたが脅しに乗って相手に従ったとしても、相手はすぐに同じ状況をまた作り出して、あなたに罪悪感を迫ってきます。

相手は、このやり方で相手をコントロールすれば、自分の不安感を何とか出来ると信じていて、それ以外の方法に気づかないために同じことを繰り返しているのです。

自分の不安感を本当におさめるためには、原因となっている自分の不安と向き合うしかありませんが、それを恐れ避けようとするために、誤魔化す方法として罪悪感で他人をコントロールしようとしているのです。

そして同じことは、あなた自身もついついやっていることかもしれません。

どちらにしても、不当な罪悪感への脅しは拒否すると決心することや、自分からもそのような方法で相手をコントロールすることをやめようと決心することです。

相手がその方法の常習者であるほど、あなたの拒絶に対する抵抗があるかも知れません。

しかし、まずはあなたがそれを拒否することを繰り返し選択して、あなた自身が不要な罪悪感から解放されることが肝心です。

そして、あなた自身がそれから解放されるのを見て、相手も自分の無駄なやり方を考え直すときが来るかもしれません。

相手にそれが出来なくても、あなたがそれに罪悪感を感じてはいけません。

それは相手の人が自分自身で選択することだからです。あなたが強要することではありません。

「そんな冷たいことはできないわ。」と思わせるのは、このような罪悪感そのものなのです。

「罪悪感によるコントロール」という手段に関して、あなたは加害者にも、被害者にもならないと決心すれば、抵抗には出会うでしょうが、やがてあなたのまわりからそのような方法をとる人もいなくなってくるでしょう。

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Kindle版 『憂鬱・イライラ 上司・同僚・家族への苦痛が消える心理学』

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新しい本が出ました。





人間関係のトラブルを生み出さないためのヒントとして、まず取り上げるのは、あなた自身との関係を見直すことです

それは、あなたをイライラさせる相手に対処することにも、もちろん共通しています。

本書では、この「あなたをイライラさせる相手」をテーマとして、【基本編】
では、以前Webで消化している「憂鬱・イライラ 上司・同僚・家族への苦痛が消える心理学」をベースに全体を通していえる基本的な方向性を、
【応用編】では、こんな人にはこう対処しようという個別の具体的なタイプの事例を取り上げています。

【基本編】

1.人はわがままなもの

2.ずっといつまでも、という思い込みを捨てる。

3.不可能なことを手放しましょう。

4.あなたのできることは自分を変えることだけ。

5.「人生は不公平なもの」だと受け入れてみる。

6.予想しても仕方がありません。

7.攻撃的な相手とは怖がっている人だと思ってみる


【応用編】

空気が読めない人。

なぜか自分は特別扱いされると思い込んでいる人

すぐに自分の話題に切り替えて、長々と話す人。

なんでも自分が仕切りたがる人

マイペースな人

イエス・バットのゲームをする人

親しくもないのに、なれなれしい人

昔話に生きている人

「他人の不幸は蜜の味」が得意な人

大声で話す人、威嚇する人

理屈は合っているけれど、無神経な一言が多い人

最後に

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どちらを選ぶか迷うとき(redux)

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『選択とはすなわちこれ取捨の義なり』 法然

私たちは、どちらにしようかと迷う時、どちらが得かという点ばかりに目がいってしまいがちではないでしょうか。

こっちはこの部分が優れているが、あっちは別の捨てがたい特色を持っている。

どちらも手放せない。なのに片方を選ばないといけない。

どうすればいいんだろう?


選ぶ方にとらわれていれば、選ばなかった方には未練が残ります。

あとになって、あの時むこうを選んでいればと思い出すと、未練は後悔を生み出すのです。

さきほどの法然の言葉は、「一つのものを選ぶとは、他のものを捨てるという選択なのだ」ということを言っています。

選択する行為は、選ぶだけでなく、むしろ何を手放すかを選ぶことであるというのです。

この観点から見ると、私たちは選択するというときに、後者の何を手放すかという点を忘れてしまうようですね。



「何を手放すか」という視点から考えるのに、以下3つほど注意したい点を挙げてみたいと思います。


ひとつは、それを選んだ場合に、どんなマイナスをもたらすかという面もしっかり見極めるということです。

いいことばかりを探して迷っていた状態から抜け出すために、なんとなく直面するのを避けていたマイナス面に正面から向き合いましょう。

どれほど優秀な面があるとしても、マイナス面を正当に評価してみれば、「そのままそちらを選び続けると困った状態に陥る可能性がある」ということがはっきりわかるかもしれません。

それが避けるべき理由になるとはっきり理解すれば、いまの迷いから一気に違った見え方ができるようになるかもしれません。




2つ目は、「この選択を機に、いままで捨てられずにいたことを思い切って手放そう」と新たな決心するということです。

ものごとには、両方を立てるわけにはいかないことがあります。

どちらも魅力があるから、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしていたわけですが、この機会にその迷いからお別れしようと決心するのです。

手放すというと、なにか失う方ばかりが目立ちますが、何かを手放せばそこには新しいものが入ってくるスペースが生まれるのです。

また、手放せないでいることは、思っているよりもずっと、あなたの負担になっているかもしれません。

失いたくはないけれど、「これを維持することの煩わしさから逃れたい」という気持ちもどこかにあって、ずっとそれを願っていたかもしれないのです。

おもいきって手放せば、こんなにせいせいするのなら早く捨てればよかったと思うかもしれません。

それは、過去においては大切な意味があったのかもしれませんが、いまはもう役目を終えて退いてもらうのがいいものになっていたのでしょう。

何かを手放すという選択は、時には何を取り入れるかというよりも重要な選択にもなるのです。


最後に3つ目ですが、何かを選択するときには、かならずそれを選んだ時の自己イメージを思い描いています。

こちらを選べばこんなイメージ、あちらを選べばこんなイメージというように、ここでも新しく取り入れたことからばかりイメージする傾向があります。

今回は、そうではなく、手放したらどうなるかという観点からも自分をイメージしてみましょう。

うまくフィットすれば、手放したときの自分をイメージしただけで、「これだ!」と迷いが断ち切れるかもしれません。

いまの状態に満足できないために、あれこれ新しいものを探し求めていたのですが、実はいままで抱え込んでいた何かを手放すことが本当の望みだったということもあるわけです。

このように「捨てる」「手放す」という選択は、何かを取り込むことよりもずっと積極的な行為にもなりうるのです。

そして、手放してできた空間には、いままで想像もしなかった新しいものが、入ってくれるかもしれないのです。


『選択とはすなわちこれ取捨の義なり』

もう一度考えてみたいものです。
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ありのままの自分をすきになる(redux)

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ありのままの自分に満足出来るようにならないと、



いつまでたっても、満たされたと感じられません。





肝心なのは、外側の問題が解決することではなくて、

自分自身と折り合いをつけること。


自分自身を好きになることです。





自分自身の中に自分に敵対する部分を抱えていたのでは


いつまでたっても外側にも敵が現れます。







まわりを見回してみましょう。


そこに、自分の苦手な人はいますか?


そして、自分に危害を与えるかもしれない人がみえますか?


その人が好きになれないのはなぜだろう?


それを正直に考えて見ることです。





それは、あなたの中にある敵対する自分がそのように見せているのではないでしょうか?


自分自身と仲良くなれるほど、外側の問題は消えていきます。






そして世界とは自分が見ているそのものに過ぎないことに気が付くときが来るでしょう。


それならば、どんな世界を望みますか?





自分で好きになれる世界が欲しければ、何よりも自分を好きになれるようになることです。


そして、やがてそうなれるでしょう。


その時、世界はあなたのものになります。





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退屈・不満・落ち込み(redux)

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退屈だと感じるとき、そこには本当はもっとやりたいことがあると訴えている自分がいるのでしょう。

やりたいことがあるのに、現実はそうでないことをやらされていると感じるから、それは退屈でしかない。

しかし、それを放棄して、本当にやりたいことへ踏み出すのは恐い。

このジレンマが、退屈でも今のままを我慢するしかないと思わせる。

しかし、見方を変えれば、退屈は他にやりたいことがあると告げている警告だと考えることが出来ます。

結果どうなるかわからなくても、いい加減そこから一歩踏み出そうと決心すれば自由が待っています。

それは恐いけれど、どうやっても出来ないと言うものではない。

思いっきり退屈を極めてみれば、そこから抜け出す踏ん切りが付くかもしれない。

もし誰かが、その考えは正しい、やってみれば必ずうまくいくと応援してくれるなら、

それを実行するだろうと思えるなら、やはり今いったことが当たっているということでしょう。

そういってくれる人が、現れそうにもないのなら、その許可を自分で出すしかないのです。

人を巻き込んだら、うまくいかないと他人のせいにして事態を複雑にしてしまう。

一番いいのは、自分で許可を与えること。



不満は、自分が遣ったことが自分の基準に合っていなかったといって、自分を責めようとしている状態。

自分が決めた成果にたどり着かなかったら、無駄に過ごしたせいだと思い不満を感じる。

もっとうまくできたはずだと、果てしない改善を求める指令が出される。

基準に達したら、その瞬間に次の目標が登場する。

終わりはいつまでも来ない、果てしない要求のシャワー。

不満は消えることがない。

無駄だったと感じないために、いつもどこかへ向かっている自分を確認したい。

目標がないと不安になり、他の人にまで目標がないことも責めたくなる。

自分への要求が、相手に投射されて相手を責めるのは、要求を出す相手が自分であることを隠したいから。

だから、自分にないものほど、相手にそれを持つべきだと唱えたくなる。

これも、退屈と同じように、惰性で不安から来た縛りの中に住むのを拒否するしかない。

それを自分で選択する。他の人には言わせずに、自分で断行する。

今の課題を本当にやりたいのか問い直し、もしそうでないとわかったら無駄だと思ってやらずにいたことに切り替えて見る。

そうすれば、不満は消えて本当は今までが無駄をやっていたのだと感じる様になるでしょう。

どうしてもやらないといけない事など、もともと何も有りはしないのです。



ちょっとしたことでも落ち込みを感じるとき、あるべきことを満たせなかった自分を責めている。

それは「あるべきこと」であって「あるがまま」ではない。

「あるべきこと」が、当たり前の自然な真実であると勘違いしているのです。

「あるべきこと」は過去のどこかで作られた、今あるものに合っているかどうかは目をそらしてしまう。

そのずれが大きいときの違和感を無視しないで、大切にしたい。

落ち込みは、過去によってしか作られない。

いつだって「あるべきこと」は書き換えられる可能性がある。

一見過去に縛られていないと思わせるが、それが気分をやんわりと滅入らせるなら、いまあるものを本当に見ることで取り戻したい。

気分を手がかりに、いま自分がどこにいるかを振り返れば、いつまでも引きずられることをストップできる。

いま目の前に見ている巨大に見えるひとは、あなたの過去が作り上げた幻想にすぎない。

複数のひとが同じ意見を持っていると思うのは、あなたの過去が作り上げた幻想にすぎない。

いまに照らしてみれば、ひとりひとりは正当な大きさにしか見えないことがわかる。

手がかりにしているものを、別のものに変えてみよう。
言葉にとらわれているのなら、話している相手をよく見てみよう。
相手も同じく過去に縛られているのが見えて来る。

いまできることを完璧なものにしようなどと考えないこと。

いつでも本番、練習ではない代わりに、いつだって練習のつもりで望むことは出来る。

いまやっていることが、いまできる最善のことだと信じればいい。
実際その通りなのだから。


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苦痛を抱える自分はほんものだろうか?(Redux)

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困難な状況にあるとき、人はさまざまな回避策を試みます。

たとえば、困難の原因を、誰か他人のせいだと考えて、その人を恨んだり攻撃することで、現在の自分の問題から目をそらそうと考えます。

またそれが出来ない場合には、自分自身を苦しめることで、少なくとも自分はいま罰を受けているのだから、と考えてそれを免罪符にしようと考える人もいるでしょう。

このようないいわけ、特に後者のやり方に慣れてしまうと、自分を苦しい状態にしていることが習慣になり、ちょっとしたきっかけで苦痛の中に浸ってしまう状態に入り込んでしまいます。

もしこのような状態を繰り返していると感じるなら、苦痛を感じて何かを回避しようとしている自分がいないかをチェックしてみるといいでしょう。

それは誰もが避けようのない苦痛なのか、それとも自分がわざわざ作り出してしまっている苦痛なのか区別するのです。

そして、それが後者であれば抜け出す方法がないか考えてみることです。

中には、そのようなやり方に慣れきってしまって、自分から苦痛や問題を取り去ってしまうと空虚に感じてしまい、再び元の苦痛を感じる状態に戻りたくなってしまう人もいます。

しかし、たとえそうだとしても、粘り強くその習慣から抜けようと試みれば、その状態が本来自分が望んでいる状態ではないということに気づけるようになるはずです。

ちょうど、大人になってから、子どもの頃の悩みがなんでもなく思い出されるように、あの頃いつも苦しんでいたのは何だったんだろうと思えるようになるでしょう。

苦痛を感じている自分に気づいたら、以下の項目をチェックして何か役立てないかを考えて見て下さい。

人によって、とりやすい態度は違うものですが、何か思い当たるところはないでしょうか。



◆自分は苦しんでいる。それは本物の人生を生きているからだ。

人生は辛く、苦痛に満ちていないと本物だと感じられないというのは、

刺激的な出来事こそが生きる実感だと感じられるという、感覚の麻痺を起こしているのかもしれません。

ほんとうに、いつまでもそうしていたいのですか?

穏やかでいて、しかもほんものの人生というのは、あり得ないのでしょうか?

◆自分が苦しんでいるのは、まわりには自分を苦しめる敵がいっぱいいるからだ。

これも、前述の他の人を悪人に仕立てることで、状況をありのままに見ようとしないやり方かもしれません。

敵がいるから仕方ないのではなく、自分が敵を作り出して、自分の問題と向き合うことを避けている可能性はないでしょうか。

◆自分は苦しんでいるのだから、他の人よりも重要な人間なのだ。

「心穏やかでいる他の人と違って、自分のこの惨めさをみてくれ。」と言っていませんか?

同情を受けたり、自分を特別扱いして欲しいという逃げ口上になっていないでしょうか。

◆自分は苦しんでいるのだから、何も気にしない他の人よりも、それだけ責任感が強いのだ。

責任感とは、別に自分を苦しめることではないでしょう。

それに自分を責めて苦しめるのは、自分自身への責任を放棄していることにならないでしょうか。

◆自分は苦しんでいるのだから、自分の方が正しいのだ。

こんな理由は成り立ちませんね。

正しさとは何かが本当には判断できずに、無理矢理主張しているだけでしょう。

「正しさ」という言葉で、何にとらわれているのかを考えて見たらどうでしょうか。

◆自分は苦しんでいるのだから、それだけ他の人より思いやりがある人間なんだ。

そんなことがいえるのでしょうか?

むしろ、自分自身を苦しめるという、自分への思いやりのなさを忘れていないでしょうか。

自分への思いやりを果たせない人は、なかなか他人への思いやりも持つ余裕が持てないのではないでしょうか。

最後にもうひとつ、

◆自分は苦しさを終わらせたいと本当に願っているんだ。だからこんなに苦しんでいるんだ。

本当に苦しさを終わらせたいと思っているかどうか、もう一度考え直してみましょう。

実は、苦痛がなくなってしまうのを恐れている自分がそこにいないでしょうか?

おなじみの苦痛を抱えていることでバランスを保っている今までのやり方をやめて、苦痛なしでもやっていけないかどうか試して見ましょう。


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