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不必要な罪悪感に悩まないために

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罪悪感について考えてみましょう

罪悪感を感じる。
気分が重くなって、悪いことをしてしまった。できればなかったことにしたいけれど、そうもいかず、自分がやってしまったことを受け入れるしかない。
認めたくないという気持ちと、申し訳ない気持ちが入り混じってしまう。

さて、罪悪感を感じると、私たちはよく調べないまま、自分を責めることを始めてしまいます。

もちろん失敗を認めて、二度としないように反省するのが正当な場合も存在します。
そういう時は、しっかり非を認めて改善を誓うことが重要でしょう。

しかし、なかには本当に自分を責めるべき出来事だったのか、それがはっきりしない場合もあるのではないでしょうか?

罪悪感を感じる時、何からそれが始まるかは人によって違いがあるでしょうが、何となくこの感じは、そうだ、罪悪感というものだというように、感情とか身体の反応が先行することも多いように思います。

「やってしまった!」と気がついて、徐々に気分が重くなり、罪悪感に伴う自分を責め始める感情が起きてきます。
そして、そうなってしまうと、なかなか自分は悪くなかった、何も責任などなかったと思い直すことは難しくなっていくのです。

ここで問題なのは、習慣のようになってしまった罪悪感です。

たとえば、子どもの頃に好き放題遊びに入り込んでいると、突然親から怒鳴り声を浴びせられてしまうこともあるでしょう。

理由がなんであったかは、あまりはっきりしません。
ですが、子ども心に「あんまり調子に乗って遊んでいると、そのうち悪いことが起きる」
「その後は、なにかわからないまでも、悪いことをして叱られて、罪悪感に入り込まなければならないのだ」と思いこみます。

このようなパターンだけを記憶してしまい、叱られるきっかけとなった原因などは、よく覚えていないことになります。

つまり、何をやって罪悪感に至ったのか、その原因はもはや曖昧だし、もっと言えばなんであったかなどどうでも良くなって、ただ罪悪感に入り込む一連の感情のパターンだけが自分の中に刻まれます。

おとなになってからも、それは何かのきっかけで呼び覚まされてしまいます。
それが起きるのは、一連の感情や体の反応が先行して起きているかのようです。

そこでよくよく起きたことを検討してみれば、実は似かよってはいるけれど、やったことはどれも罪悪感など感じる必要はなかったことばかりかもしれません。

曖昧に判断できること。
これは、人間の認知行動にとって、時に非常に重要な役割を果たします。

例えば、人混みで知っている人を見分けるという行動を考えてみてください。

知っている人だから、他の見知らぬ人よりもその人の外観の情報を事細かに覚えているから、見分けが付くのでしょうか?

言い換えれば、外観の情報量の多さに比例して、人を見分ける能力が発揮されやすくなるでしょうか?

どうもそうではないようですね。

それどころか、その人が今日はどんな服装をしているのか知らなくても、何故かその人を見分けることは出来てしまうようです。

正確な情報の量によってではなく、なにかの曖昧な識別力が、知っている人の見分けに役だっているのです。

おそらく感情においても、そういった曖昧さを伴った識別の仕方は働くのではないでしょうか?


そして人を見分けるときには役に立った曖昧さも、罪悪感など不快な感情の働きの場合にも、曖昧に働いてしまいます。
そして後者では、それが罪悪感など感じる必要がなかった時にも、ダマされてしまうこともあるでしょう。

それに加えて、その人のおなじみの感情の中に、罪悪感がレパートリーにあれば、「そろそろ罪悪感を感じる頃だ。ああ、やっぱりこんなことが起きてきた。ここで私は、しばらく罪悪感を感じる時間をすごさなければならない。」と思ってしまうのです。

「どうせ私は叱られるようなことをやってしまうんだ」と開き直っていると、そうでない時まで、自分に罪悪感を呼び起こしてしまいます。

曖昧な感情の識別で、ずれたチューニングをやってしまうのです。

「私はこの種類の感情に陥りやすい」という傾向があれば、その手の感情にチューニングを合わせやすくなっていることも、大いに考えられます。

感情が先行してしまった時こそ、本当にその感じ方は根拠があるのかどうか、異議を唱えてみましょう。

特に罪悪感というのは、混乱が起きていることも多い感情です。

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素直な自分と意固地な自分(メルマガ#18)

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私たちは素直な人間関係を望む自分がいる一方で、
ひねくれた自分や意地っ張りな自分も少なからず抱えているものです。

素直に自分の望みに従って生きればいいものを、気が付くとへそ曲がりな自分が顔を出しているのを発見します。

頭ではそちらの方が自分のためになると思っても、なぜかそれを潔しとしない自分がいたりします。

あるいはどうしてもこれは譲れないと固く信じている。
そういう「あるべき」正しさは、素直な自分とは相容れないけれど捨てられなくて、別のダブル・スタンダードになってしまいます。

どちらをとるかで、それなりの生き方があるでしょうが、長期的に見て裏切らないのは、素直な自分に従うことです。

それとは違う基準を抱えていれば、絶えず自分は葛藤状態に陥ります。
今はうまく言っていても、いずれ矛盾する自分に向き合わないとならない状態がやってきます。

両者が相容れない基準を持っていれば、今までどおりの理詰めの自分を取るか、それとは反するけれどそのほうが自然に思える訴えに耳を傾けるか、どちらを取るか迷うわけです。

その主張が正当かどうかなど、いくらでも説明は考えつくものです。
なんだって、それを正しいように見せつける説明は発明できます。

そして、理屈を発展させればさせるほど、ますます捨てられなくなって、意固地になります。

その正当化は、まさに、あなたの視界にフィルターをかけているようなものです。

そのフィルターを通せば、あなたが主張するのは、もっともだと思える出来事が起きているように見えてくるのです。
そして、それにともなって、無理やり切り捨てようとしたい現実も生じます。

たとえば、意地悪な人が存在するから、警戒しなければならないと思うとします。
あなたに関係なく、あなたを攻撃してくる人はそこら中にいるのが見えてきます。

あるいは、あなたはいつも自分の正しさを説明しようと待ち構えているのですが、そのおかげで、ちょっとでも批判じみた意見をみかけると、自分を正当化しなければならないと思ってしまいます。
先手を打って相手の間違いを指摘しようとするかもしれません。

風邪が流行っているから、花粉症だからとマスクをしていたあなたが、必要がなくなっても常に警戒体制を敷いてマスクを外せなくなってしまうのです。

マスクをしたあなたが、はっきりと喋ることができないように、無警戒なあなたを表現することをためらいます。

問われてもいないことに、非難されているかのように感じて、言い訳をし始めている自分に気が付きませんか?

マスクを外さないことで、あなたは素直な人間関係を持ちかけられても、抵抗したり、排除したくなってしまいます。

その抵抗とは、これしか道はないと信じ込んだあなたが、そこから引き剥がされそうだと思い恐怖を感じた結果なのです。

ここに恐怖が存在することは、ひとつの見分け方を教えてくれます。

つまり、恐怖心から導かれる方向は何にせようまくは行かないということ。

たとえ今の自分が躊躇を感じても、それが本物だと感じる方向に舵を取りましょう。

必要なら、今の自分を維持するだけのプライドなど捨ててしまいましょう。

今の自分にとって、それがどんなに「おおごと」に思えても、所詮はどこかで使い始めた習慣です。

習慣なら、いつでも書き換えることは可能です。

できるかぎり作り物の理屈には従わないことです。
しばらくは良くても、かならずあなたを迷わせることになるのです。

あなたが今現在抱えているお荷物には、殆どと言っていいほど、そういった作りこみが含まれているのです。


☆----------------------------------------------☆
編集後記
作り物がなければどれだけ自由になれるか、驚くでしょう!

良かったらご感想などもお寄せ下さい。
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☆----------------------------------------------☆

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望むものが手に入らない!~そのほんとうの意味とは

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望むものが手に入らないのはなぜか?

「引き寄せの法則」のような話を聞くと、いつのまにか「望むものが手に入りさえすれば・・・」と思ってしまいますね。

しかし、この発想をした時点で、私たちはすでに言葉によって自分を騙してしまうことになりかねません。

なぜなら、「私が望むものとはなにか?」を、もう少し注意深く検討する必要があるからです。

注意したいのは、次のような発想に陥ることです。

『私が望むものは、それが手に入れば私を幸せにしてくれる。それが手に入らないから、いまの自分はまだ満たされていないのだ。それまでは惨めなままだから。』

これに馴染んでしまうと、世の中でやるべきこととは、望むものを手に入れること。それが全て!
という発想になってしまいます。

1.望むものが手に入れば、本当に私は幸せになれる。

2.望むものを手に入れなければどうにもならない。そう思うといつも不満でいなければならない。満足などしてはいけない、それではやる気を無くしてしまう。

3.望むものがいつも私を脅迫する。まだ手にはいらないのか?いっそそんなもの、放り出してしまえたら・・・

望むものとは、ほんとうに自分が必要を感じて欲しているのかどうか、実は怪しいものです。
『望むもの』とは、私たちが今まで生きてきた中で刷り込まれてきた「人なら望むべきもの」である可能性が高いわけです。

ですから、3のように本当はそんな望みなど持つのをやめてしまえば、私は解放されて自由になり、本当に自分が望むことを考えられるようになる可能性があるのです。

「望むものを手に入れること」を全てに優先する前提にしている限り、私たちは本当はどうしたいのかを知ることが出来ません。

もしかすると、本当の望みは、いま持っているものだけで今を楽しみたいということかもしれません。
なのにそれではダメだという理由をまくし立て、とても許してくれないという人達に囲まれているように感じています。

こんなことすら、自分に許すことは大変勇気がいるのです。

しかし、幸いな事に自分が何を望むかは、全て自分で決めることが出来ます。
他人に何かを強要するのではないし、誰かを束縛するわけではないからです。

それを許さないのは、実際には自分自身しかいません。
自分がそうしようと思うだけで、それは可能だし、自分自身がそうしているままでも、それに反対する人とつきあっていくことも可能です。

それが出来ないように思うのは、「他人も自分と同じ考えをしないと許せない」と思うことから来るのです。

「私は私、あなたはあなた」なのですから、どちらからも強制することはありません。

あなたが、誰かに「私と同じであれ」と思うのをやめたら、とたんにあなたの頭痛は消え去り、長年の重荷を下ろしたと感じられることでしょう。

「私と同じであれ」と願うことを別の表現を使うなら、
それは、人を許すということ、同時に自分自身を許せるということです。
また、人を憎んだり、嫉妬したりするのをやめることでもあります。

根底にあるのは、同じことです。
「私のエゴの言うとおりにあなたもなりなさい!」というトラブルの源泉がそこにあるのです。
そこを掘り返すことをやめましょう。

その代わりに、私だけは私自身を許しましょう。
それは同時に他の人を自由にしてあげることも自然なことに変えてくれます。


そして、自由になって「私が望むもの」をもう一度想像してみましょう。

そうすれば、いままで抱いていた望みが、いかにガラクタばかりの「借り物」であったかに気がつくでしょう。

それを手放したいと密かに思っていた自分にも堂々とめぐり逢えるでしょう。

別にいつもいつも望むものを抱えていなければいけないわけではありません。

いまここで、もう何も必要ないと感じられること、それこそが望みだったかもしれないではないですか。

「望みのものが手に入らない」のではなくて、望んでもいないものを望まないように、密かに自分の一部が、それを手に入れることを阻止していてくれたのかもしれません。

いつまでたっても私には手に入らない。他の人は手に入れているようなのに!
そんな比較は自分を苦しめるだけです。

きっぱりと、あきらめて、私は実はそれを望んではいないのだと認めてしまいましょう。

そうやって、空白の部分を作ってあげれば、そこをあなたの本当に望む状態が満たしてくれるでしょう。

もし引き寄せることがさだめなら、意外と別のルートから、いままで欲しがっていたものが、別の形で現れるかもしれません。

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意思がすべてではなく~意識するだけでいい~知恵ノートより

意思がすべてではなく~意識するだけでいい - Yahoo!知恵袋

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たとえば、あなたが後悔するのは、自分の意思の通りに動けなかったり、まわりの結果がそれとは異なるものになった時です。

あなたが意思の力への崇拝をやめて、その偏向性を少しでもゆるめてみれば、世界はずっと住みやすいところに変わってくるでしょう。
周りの世界が何一つ変化しなくても、あなたが自分の思うとおりになるべきだと思うのを控えるだけで、それは変化するわけです。

いますぐにでも、世界は実は素晴らしい所だったと感じられるようにもなれるでしょう。

ポイント

すべてをオンデマンドにしなくても、受動的に楽しむことも同じように重要なのです。
その匙加減が、あなたの個性でもあるのです。
引用



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ありのままの大きさで~レリゴー(Let it go)

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「このままでいい、自分を信じる」

そう宣言できるのは自分でやるしかありません。
どんな考え方をするにせよ、この部分は論理を超えてただそう信じるしかないのです。
信じなければ、それまでです。
どのように思うにせよ、その都度自分の作り上げた自己イメージを借りて、いつまでも借り物の自分を演じるしかありません。

近頃小さな子どもまでレリゴー(Let it go)レリゴーと歌っていますが、そう宣言して実際にそうするのは、どこまで行っても自分にしか出来ないのです。

買いかぶるのも、見くびるのも、それに応じて無理をすることになります。
自分を買いかぶっても、いつも背伸びしていなければなりません。
自分には無理だと諦めていては、何もできなくなりますし、いつまでも後悔することになります。

どちらのやり方も、一見他人の声をこわがって、そう見せかけているように思えますが、怖がっているとともに、変化しないほうが安全だと思って逃げている自分もいるのです。

受け入れがたくても、悔しくても、怖くても、基準にしなければいけないのは、あなたのありのままの大きさにあるのです。

こたえは、いつでも、ありのままの大きさでそれを捉えることにあるはずです。

今は自分は苦しい状態にある。それは認めなければならない。
どうやろうとしばらくは、この状態と付き合わなければならないかもしれない。

しかし、それはいつまでも続くわけではないし、その状態にあっても、それと並行して楽しいことも起こってきているのも見逃さないようにしましょう。

それさえわかれば、スッキリ出来る方法があるはずだと期待しないで、いいことも悪いことも、どちらも混在するのが現実だと受け入れなければなりません。
片方だけが存在するべきだというのは、現実を無視した思い込みでしかありません。

そのように受け入れられれば、もう現実の大きさと違う評価をしなくなります。
ありのままにそれを見て、自然に治まるのを待つしかないと腹をくくれば、今までそのことばかりに目を奪われていた状態から、他のことも見る余裕が生まれます。

いつだって、いいことも悪いことも、並行して混在しているのが現実なんだとわかってきます。
今までは、ちょっと大変ことが起きると、それ以外のことが考えられなくなっていた状態も、「それでも他のことも考えてみよう!」と思えるようになるでしょう。

苦しいことを見ないようにしていれば消えてしまうと思ったり、
外的なものや人に頼って魔法の答えを探したり、
あるいは苦しさに耐えられない自分を非難して余計に苦しめないことです。

簡単な解決法があると信じているから、正面からそのことに向き合わない。
そしてあってはならない苦しみだと思っているから、実際よりも苦しいと感じるのです。

逆の場合もあります。肉体的な痛みも、家にいたときはあんなに痛かったのに、病院にまでやってきてもうすぐ見てもらえると思うと、不思議と痛みが治まってきた経験はありませんか。

ありのままの大きさで、その苦しみを見る時、実際に今の自分にそれが起きていることを受け入れることも容易になります。
それを避けて、代償を払わずに解決して欲しいと願うから、更に事態を悪化させてしまうのです。

苦しさがあなたを動けなくさせるなら、いつでも、ありのままの大きさでそれを捉え、受け入れることから始めるのです。

そのやり方だけがいつでも自分を裏切らないでくれるのです。

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人に不必要な要求をしなければ心は穏やか~2

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私たちが欲しがるものには、2種類あるように思います。

1つは本当に純粋に必要があって望むもの、そしてもうひとつは、頭が必要だと思いなさいとうるさく言ってくる要求です。

どうしてもその人に頼まないといけない、他に方法がないという場合は、仕方がありません。

しかし、自分でやろうと思えばできることなら、「これは相手がやるべきことだ」とかうるさく言わないで、さっさと自分でやってしまったほうがいいという場合もあります。

そのとき相手に要求したがっている自分とは、相手でないと出来ないからではなく、相手が「やるべきだ」という理屈のほうが主な要因なのです。

場合によっては、いまはその目的自体は、別にそんなに必要でもなくなっているのに、相手はその義務を果たすべきだから要求しないわけにいかないというように、本来の目的とは離れて要求がひとり歩きし始めるのです。

しかし、こういった本体から離れてしまった要求の場合、うるさく言わないでさっさと手放してしまったほうが、自分のストレスも作り出さないし、人間関係のトラブルの原因も取り除いてくれます。

自分の方が損したような気になるのを嫌がるのかもしれませんが、そんなことで自分をいやな気分にするくらいなら、切り捨てたほうが、よほど被害は小さくて済むでしょう。

こんな時に、「それは要求すべきだよ!当然の権利だから!」といって励ましてくれる人もいるでしょうが、本当に要求した方がいいことなのでしょうか?

企業としては、そんなことを言っていたら会社が成り立たないというもっともな理由があるのかもしれません。
しかし、個人として考えるなら、それが余計なお荷物にしかならないものなら、受け取らないと決めてしまったほうが、後々すっきりすることも多いのではないでしょうか?

そして、無理して相手に要求すれば、相手は「それに応じるべき」という思いから、もし相手がそれに応じなければ、相手は約束を果たさないひどい人だと想い出すことになります。

約束を守らない人を追求するというのは、一見当たり前で、正当な行為のように思えます。

しかし、恨みをわざわざ作り出すというマイナスでしかない働きも、同時に作り出す行為であることも忘れてはなりません。

約束を守らない悪人を創りだすと、自分の中にも「あの人もずるいことをしたじゃないか!だったら私だって・・・」という言い訳を使って自分の行為を正当化することも起こりうるのです。

それは悪循環を作り出します。

そもそもは、自分がさっさと切り捨てて忘れてしまえば、何も残らないことことだったとしたら、そんなことをいつまでも抱えているのは無駄なだけでなく、精神的なストレスを作り出しているのと同じです。


以前の記事
人に不必要な要求をしなければ心は穏やか タオに生きる

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コメントに答えて~ 多くの人が勘違いしている2つのこと

今回は、ブログへのコメントに対して答えた内容からご紹介します。

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☆~⌒☆
多くの人が勘違いしている2つのことがあります。

1つ目は、他人の反応で自分がOKかどうか決めようとしてしまうことです。

もちろん、本心から嫌われ者になりたい人はいません。

しかし、だからといって、他人の反応が自分の幸せを左右する力の全てだなんて思うのは大きな勘違いです。

人が自分に賛成してくれたり、心地いい反応を示すか、その反対であるか、そんなことは自分の側では決められないことです。

あなたがどれだけ、理想的な人になろうと、やはり反対する人や、意地悪い人は存在するのです。
それを完全になくすことは出来ません。

そうではなく、
避けられないことを何とかしたいと思うのでなく、
まずは自分自身であること、自分が飾らないで、
こうありたいと思う自分を見せることです。

そしてそれは、無理をしてやるようなことではなくて、
自然にしていればただそうなっているのです。

それをみて、人は反応します。

ある人はそれを私と同じ傾向だと思って支持してくれるでしょうし、
別の人はそれに反対したり、そのやり方は気に入らないと思うのです。

そんなことはアタリマエのことであって、
どうにかしなければいけない問題ではありません。

あるとすれば、それを自然なことだと思わずに、
悪い反応ばかり気にして大げさに問題にしてしまう習慣です。

不思議なもので、他人の反応ばかり気にしないで、自分を素直に表現していれば、それだけでうまくいくことに気がつくでしょう。

あんなに気を使って、言い間違いをしないようにしていたのに、
「そんなことは実は大した問題ではなかったのだ!」
と気がつく時が来るでしょう。

もちろん相変わらずあなたが気に入らないと思う人も中に入るでしょうが、
そんなことも気にならないほど、
自然な人間関係に溶け込んでいる自分を発見するようになっていきます。

ただそれだけのことなのです。


2つ目の勘違いは、
「理想の自分になれた暁には、すべて厄介事は消えてなくなり、
私が話すことは全て受け入れられ、気に入られて人気者になれる」
というような現実離れしたことを信じこむことです。

どんなにあなたが「完璧な人」(そんなものがあればの話ですが)になろうと、
相変わらずあなたへの反応は、いいものと悪いものが存在します。

それに、そもそも良いニュースしか存在しなくなるなんて、なんで願うのでしょう。
もし、すべてがあなたの思い通りになったりしたら、あなたは何の楽しみも感じなくなるでしょう。

うまくいかないことのあとに、それが叶うから喜びを感じるのです。

理想の自分になれた暁には・・・」というのは、勝手に作り上げた幻想です。
そんなものを目指してもいいことはありません。

心配しなくても、あなたは失敗した結果、自分を変えようと思うことも自然に行うでしょう。

また、あなたらしく振る舞って、それを喜んでくれる人がそこにいれば、それを大いに楽しむでしょう。

ただ、そのまま自分自身であればいいだけです。

何とかしようと力まないこと!

あなたがそのように拳を握りしめるから、厄介な人が現れたり、自分を責めたりすることになるのです。

力を抜いて、もしなにか気になりだしたら
「そのままでいいんだ」ととなえて、抵抗するのをやめてご覧なさい。

そうすれば、何も特別悪いことなど起こらないことがわかるでしょう。

「構えていないと大変なことになる!」
などという呪いの言葉を信じないこと。
直ちに捨ててしまいましょう。

何も変えなくても、そのままでいればいい。これを実感してみることです。

1.あなたがどう努力しようと自分の側だけではどうにもならないことがある。
2.むしろ、力んで不自然になっているから、なくてもいい問題を自分で作り出している。
3.「なにか手を打たないとひどくなる」という思い込みを点検しよう。
4.あなたが努力しないことが唯一の解決策になることも多いのだと知ること。

☆----------------------------------------------☆
編集後記

どちらの傾向も自分が努力することで変えようとするのですが、
自分の努力次第で、それに比例して良くなるという思い込みがあります。
それどころか、何も手を打たないとひどいことになるという恐れまで抱くのです。

良かったらご感想などもお寄せ下さい。
ブログ左サイドに「めるまがメールフォーム」を設置しました。
☆----------------------------------------------☆

まぐまぐ!第15号より


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説明できないといけませんか?

☆~⌒☆
ガンガジからの一言

私は自分のことを正確に描写しようとしても、いつも失敗してしまいます。
しかしながら、そのように失敗するということは、
美や発見の奥深さと切り離せないものです。

それは、言葉でとらえて持ち歩けるようなものではありません。
それはいつでも、自由で生き続けています。
そして(説明できなくても)それが存在することは否定出来ないのです。

A Few Words from Gangaji

"I have always failed to accurately describe my self-discovery, although this failure is inseparable from the beauty and the profundity of the discovery.

It will not be caught and held by words. It has remained free and alive and undeniable."



☆~⌒☆

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自分のことをうまく説明できなくて、それが出来ない自分を恥じたり責めたりする人がいます。

あるいは「どうして自分のことなのに分からないの?」
こんな言葉もよく使われますね。

もちろん仕事上の自分が責任を持たないといけないことなら、説明できないと困るかもしれません。
そんなことを続ければ、「あなたはもう明日から来なくていいです。」と言われてしまいます。

しかし、自分自身のことを何でも言葉で説明できるなどと思わないほうがいいでしょう。

一応ひとこと自分はこんな人間だと自己紹介するにしても、それが全てだと思い込まない方がいいし、そのつもりで扱って下さいと宣言しないほうがいいでしょう。

あなたの中には、それ以上の自分が存在します。
以上か以下かはどうでもいいのです。
その多くは、自分でもわかっていない自分かもしれません。

ですが、たとえ説明できないような自分であっても、
いつも「でも、それだけではない」と思っていましょう。

仕事上のことは別として、なぜ自分を紋切り型で説明してしまわないといけないのでしょう。

私のこと、「説明できないといけませんか?」

一体誰に対して、説明しないといけないと思っているのでしょう?

それがまわりの他人に対してなら、あなたは仲間はずれにされたくなくて、わかりやすい人間を演じたいと思っているのでしょうか?

ですが、演じている自分ばかり受け入れられても、あなた自身は満足することが出来ません。「でも、それだけじゃない!」とたえず訴えたくなるでしょう。

自分自身に説明したいのですか?
その時、自分をどうしようとしているのでしょう?

こんなことは考えてはいけない!
私はそんな人間じゃないのだから。
私にはそんな資格はないのだから。

それは自分自身を馬鹿にしています。自分を安売りしすぎです。
あなたの中には、自分でもわからない、値踏みしようのない自分が出番を待っているのです。

説明できる自分だけを安売りするのはやめましょう。
その方が売りやすいかもしれませんが、そうすると買いやすい人間ばかり受け入れる人としか付き合えなくなります。

あなたの、測りがたい奥深さゆえに関心を持ってくれる人に、出会うことを逃してしまうでしょう。

もちろん売り込んだあとで、困るのもあなたです。

孤独だからと自分を安売りしたら、人に囲まれてはいるけれど、前よりも悲惨な孤独さを感じることになるでしょう。

あなたを正当に評価してくれる人を待ちましょう。
そのためには、自分を安っぽい説明で飾っていては、必要な人に出会えなくなるのです。

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頭にくる相手に対処するために~ いつでも動じない自分を見つけましょう(3)

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今回は、自分のパワーと自信を回復するためにできる、かんたんなテクニックや視点を取り上げます。

1.あなたのあるがままの姿は、プライベートなものだからといって、人に見せないようにしようとか思う必要はありません。少なくとも半分の人は愛想笑いよりあなたの素顔を見たがっているでしょう。胸を張ってあなた自身を見せましょう。

2.不思議と逆のことを普通だと考えがちですが、無理して見せかけようとしている時のあなたに近寄ってくる人と、素顔のあなたを見て近寄ってくる人とどちらと付き合いたいでしょう。
後者であるなら、あなたが普段から見せるべき顔はどちらかもわかりますね。

3.相手が機嫌悪くとげとげしい態度をとっていても、あなたまでそれに付き合うことはありません。
まずは、あなたのペースを取り戻しましょう。
・相手が急がせるようなら、こちらはいつもの自分の自分のペースに戻しましょう。
・相手が睨んできても、こちらはゆったりと相手の表情を観察しましょう。
・相手が目をそらして喚きたてるとしても、こちらはゆったりと相手の表情を観察しましょう。
・相手が話題を極端な方向に持って行こうとしても、あなたはたえず本来の議題に引き戻すようにします。


4.相手が怒っているなら、多少はとりなしてもいいですが、やり過ぎないように。
相手が大声を出したり怖い顔をしたとしても、それでこちらが態度を変えると思わせないようにします。
そのようなやり方を取る人は、それが通じる相手か、そうでないのかをすぐに判断するでしょう。やっても無駄だとわかれば、こけ威しはもうやめてしまうでしょう。
その後に出てくることばは、相手の本音が現れやすいものです。あなたは相手の本当の望みをつかみやすくなるでしょう。

5.あなたを馬鹿にしたり、皮肉な表現で笑おうとしていても、あなたはそれに合わせて笑ってはなりません。そんなことは面白くもなんともないのですから、それをはっきりいいましょう。

6.5と同じように、自分で自分を馬鹿にしたり、同情を得たくて自分の過ちを吹聴したりしないことです。
たとえ、それで同情してくれたように見えても、自分自身をけなす人間を人は信用したりはしないでしょう。
こういったことは、自分から「私をいじめて下さい。私はそういう人間なのです」と言っているようなものです。

もし自分にそういうところがあるとわかったなら、自分をごまかしたりしないでそれを認めましょう。
自分の弱点を発見できたのですから、それを方向転換する新しい生き方を選ぶのだと決心すればいいだけです。
素直にそれを認められないと、いつまでも同じ失敗を繰り返します。

7.好き嫌いや、イエス・ノーは、はっきりと断言しましょう。
なにか自分の意見をいうたびに、言い訳を付け加えたくなる人は、そのような習慣をやめましょう。
単にあなたの好みを語っているだけなのです。
うだうだと説明したくなるのは、相手もそれに同意してくれないと、自分自身の価値を認められないと思っていることになります。
これも幼いころに身につけた適応のためのやり方の典型です。
気がついたなら、「これからはそうしますと、いちいち人に断らずに」何の断りもなくそれをただやめればいいだけです。

8.相手にノーを言われたからといって、世界の終わりのような顔をすることはありません。あなたがそうであるように、相手にも自分の考えとは違うことを表明する権利があるのです。ただ意見が異なるだけです。そのことで自分への価値観を低めたり、左右されるような習慣があったら、すぐに辞めようと決心しましょう。
どんな相手でも、イエスというかノーというかは、半々の確率です。
あなたがどれだけ根回しをしたり、媚びへつらっても、それで確率を変えられるなどという幻想は捨てましょう。相手にもノーを言う権利はあることや、あなたという人格にノーを言っているわけではないのだということを、冷静に充分に区別できるようにしましょう。

9.最後は逆の立場から見てみましょう。
相手に対してあれこれ文句ばかり言っている人は、実は相手の立場から見ることができていない人が多いもの。
本当に相手が悪いのだろうか? 相手の中に見える嫌な面とは、実は自分のいじわるな嫌な面を魅せられてはいないだろうか?

さらに調べてみれば、実は相手がだれでも自分は同じような不満を言っていることに気がつくでしょう。
まるで、私に近づく人は、みんな私を悩ませる人に決まっているとか、そうなってほしいと思っているかのようです。
ですから、何も文句のつけようのない人が現れても、どうしていいかわからないので、なにか悪いところはないか探しだしてしまいます。
それは自分の側が、何も嘘のない親切にどう対応していいのか、何処かで忘れてしまったからです。

以上の点を考えていくと、かなり見方は変わってきたかもしれません。
あとは、自分自身だけは騙さないように、素直に素直に、自分と向き合いましょう。
見たくもない「あの人」と思っていたのは、実は「自分自身」だったと気がつくこともあるかもしれません。
知らない自分(隠したり、認めたくないと思っている自分)が多い間は、嫌いな人は実は自分自身だったということもよくあることです。


☆----------------------------------------------☆
見たくもない嫌いな人が自分自身だったと気がついたら、それは悲惨なことなんかではありません。それどころか、あなたにとって、かつてない朗報となるでしょう。
なぜなら、それさえ気がつけば、人間関係の悩みの原因を、半分以上見つけたことになるからです。

良かったらご感想などもお寄せ下さい。
ブログ左サイドに「めるまがメールフォーム」を設置しました。
☆----------------------------------------------☆

まぐまぐ!第12号より

Youtube 「人間関係の悩み2:挑発してくる人への対処法」をアップしました。

2014-07-08_184802.png
人間関係の悩み2:挑発してくる人への対処法 - YouTube
↑↑YouTubeの動画はこちらから↑↑

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頭にくる相手に対処するために~いつでも動じない自分を見つけましょう(2)

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まぐまぐ!「タオに生きる」第11号(シリーズ)より

「いつでも動じない自分を見つけましょう」というテーマで、
具体的には頭にくる人とどう対処していくのか、あるいはどんな自分になればいいのか?

そういったテーマでしばらく書いてみようと思います。

さて、それではどんな自分になればいいのか?ということですが、結論をまとめたビデオを作成したので、
まずは御覧ください。

2014-07-06_061415.png
YouTube「人間関係の悩み1:言い返してやりたいと思う時」

すぐにご覧になれない方のために、文章のほうで進めていきます。

言い返したいと思うのは、いつも攻撃を受けた後だという事実に気がつくこと。

だからいつも、タイミングを逃すのは当たり前なのだ。



「いや、毎回あらかじめ準備して、今度こそ言いなりにはならないと決心してやっているけれど、なぜかうまくいかないんだ。」

と言われるかもしれません。

しかし、あなたと、あなたを攻撃しようする人とは、もともと、「被害者」と「迫害者」の役割を演じるのにピッタリの相性なのです。

相手からはあなたの作戦など、手に取るようにわかる。
なにしろ、相手はもともとそれに長けていて、いつもそれを使っている人なのですから。

いつのまにか、あなたの作戦は功を奏さないまま、相手のペースに巻き込まれてしまうので、最後にはあなたは悔しい思いをすることになります。


最初から攻撃を受けない自分になることだ。

柔道のように攻撃から素晴らしい反撃を見せようと思っているが、これがいつも悔しいまま終わってしまう悪循環を作っている。



今度こそ反撃してやると思っていても、あなたの作戦など赤子の手をひねるようにかわされてしまうでしょう。

何しろ相手は「迫害者」を演じることに長けていて、一方であなたは「被害者」を演じるベテランなのです。

「被害者」は最後には負けて悔しい思いをする。
それが「被害者」ゲームの筋書きなのです。

あなたは最後には負けるゲームをやっている。
負けて終わらないと意味が無いゲームだからです。

言い換えれば、いつも攻撃されるのが普通の自分で歩いているからいけない。

もう一方の、誰にも文句は言わせない自分で、いつもいようと決心すればいい。

そうすれば、あなたに隙はなくなる。



あなたが「被害者」ゲームを演じ続ける限り、いつもあなたをいじめてくる「迫害者」があなたのまわりに登場してきます。

あなたが、もうゲームはやめだ。本心から被害者になって、惨めな自分を演じることに飽き飽きした。

これからは、自分のほんとうの望みを追求する。それには被害者でいる必要はないのだと気づけば、事態は一気に解決するでしょう。


必要ならば、最初は何を言われたらどう返すか、必要なことを全部想定問答集にしておこう。

そして、いざとなったらいつでもそれを見ればいいようにしておく。



あなたは、いつも見かけだけ「今度こそ反撃してやる!」というゲームを演じているけれど、本心では勝つ気がないのです。

そのような負けを前提した対策など、いくら時間を書けても意味が無い。

相手が攻撃しようが、反対しようが、自分が満足するのは自分の望むことだけと決心する。

まず相手の攻撃ありきの反撃ではなく、最初から攻撃させないで、自分の望むことを発信するのが自分のやるべきことなのだと思い直すことです。

では、本当は何をしたいのか、それを徹底して自分に言い聞かせましょう。

負けるための反撃ではなく、あなたの望みを相手に正面から伝えることが目的であることを確認しましょう。

あなた自身が、これなら迷いはない。自分のほんとうの望みがわかったというところまで、想定問答集をつくり上げるのです。


こうして、あなたは「なんでも言ってみろよ、すぐに反撃できるぞ!」という気持ちで人に合う。

この結果、あなたの隙のなさに誰も何も言わなくなったことに気がつくだろう。



上記のように、今までとは違って、あなたは隙のない揺るがない自分を、そしてそれを感じさせるパワーをまわりに発信します。

あなたは最初、誰かがなにか言ってくるかと身構えますが、だれもあなたに近づいては来ないでしょう。

こうして、あなたは一言も反撃の言葉を使わないまま、戦わずして勝負に勝ちます。

もっとも、最初から勝ち負けではなかったことにも気がつくでしょう。

あなたは、むしろ自分から勝負を放棄していたのです。


いつまでも嘆いている人は、
本気でもう片方の自分になろうとはしていないのだ。

そして、また今日も反撃できなかったと悔しい思いで一日を終わる。
これが、本当は変わりたくない人間のその日の報酬になるわけだ。



報酬とは、「被害者」ゲームの結末です。

わざわざ自分をいじめるようなことを、自分からしたりするだろうか?

奇妙ではありますが、人はマイナスであろうがプラスであろうが、自分の書き上げたストーリーのためには、そこに書かれた報酬を追い求めます。

いつも嘆いてしまう結果が待っている人は、そのような結末のストーリーに生きているわけです。

自分を「被害者」に仕立てて、「かわいそうな私」を演じたり、「私をいじめて!」というゲームを行うのです。

それは、かつて子どもの頃に親からひどく叱られて、「かわいそうな私」になってしまった場面を再現しているかのようです。


つまり、嘆きと、意地悪な攻撃とはセットになっているということ。

攻撃を避けるやり方や反撃の仕方ではなく、嘆きをまずやめることだ。



嘆きは、報酬だと理解すれば、あなたが攻撃を受けやすい理由も、自ずから見えてくるでしょう。
あなたのまわりにばかり、意地悪な人がたまたま多いわけではないのです。

むしろ、「私は嘆きたい!」というオーラを発しているから、ではそれに応えて、いじめてあげましょうという人が近づいてくるのです。

そうすれば、あなたは「私をいじめて」というサインを出さなくなってくる。

もう、誰かにいじわるなことを言われたらどうしようと構えることも、いつの間にか忘れていることに気がつくだろう。



あなたが「私をいじめて」というサインを出さなくなって、自分の望むことを正当に求めるようになれば、
あなたをカモにしてゲームを仕掛けようという人も近づいて来なくなります。

ベテランの「迫害者」は、「被害者」を嗅ぎ分けることに長けているとともに、ゲームに参加しそうにない人間を見分けることも容易にできます。

もうあなたは、カモにはならない。
あなたを相手にするには、仕掛ける方はそれ以上のパワーが必要になるからです。
そのように判断すれば、あなたにいじわるすることは、向こうから諦めて避けるようになっていくのです。

そして自分自身も、もう惨めな役回りは必要ないことに気がつくようになるでしょう。

人に会う前に、
どんなリハーサルをしていたか
気がつきましたか?



本当のところ、あなたは痛い目にあったと思った時、その前にどんな結末を想像していたか考えてみてください。

口では今回こそ勝ってやると言いながら、実際にイメージしているのは惨めになった自分なのです。

嘆いている自分、それが「かわいそうな私」にはふさわしいから、そのような筋書きを自ら無意識に書いているのです。

あなたが、本当にほしいものを相手に要求したり、お願いしたりしている姿が見えるようになれば、あなたにいじわる人はもう必要がなくなります。

あなたの望みと行動は、ようやく一致するようになってくるのです。


もともと、頭にくる問題のある人への対策だと思っていたでしょうが、
自分を抜きにした悪者はそうそういるものではないということなのです。

☆----------------------------------------------☆
人間は、自分をいじめるゲームをしたがる奇妙な生きものです。
しかし、必ずしも人を真似て自分までゲームを演じる必要はないのです。
☆----------------------------------------------☆

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頭にくる相手に対処するために~いつでも動じない自分を見つけましょう(1)

男女怒り


優しい人、気の弱い人、自分のほんとうの意見を言えない人、そんな人達は、普段は我慢を重ねてストレスを溜め込みます。

しかし、どこかでそんな表向きの顔をかなぐり捨てて、突然切れてしまうでしょう。

そうなると今までの恨みつらみが一気にこみ上げてきて、しばらく自分を取り戻せないかもしれません。

そして、そのあと冷静になってくるに連れ、自分のやったことを責め始めます。なんてことをしてしまったんだ私は、・・・

落ち込んだ状態は、しばらく続きます。
そして、どうすればよかったのか、相反する考えが自分の中で渦巻き、せめぎ合います。

はっきり自分を示せない自分が悪いのだから、こんな自分を何とかしたいと思う自分。
やっぱり、いくら頭にきても、あんなことまですべきではなかった。
私はもっと自分をコントロールできるようになっらなければ・・・と思う自分。

どちらが正しいのか?
どうして平気で出来る人がいるのに私には出来ないのか?

結論はどちらにしても自分を責めることになります。
こんな自分だからダメなのだと。

しかし、いったいどんな自分ならいいというのでしょう?
他の人は平気でできるように思える、あなたには出来ないことを。
では、その人達は何のリスクもなしにやっているのでしょうか?

「いつでも動じない自分を見つけましょう」というテーマで、
具体的には頭にくる人とどう対処していくのか、あるいはどんな自分になればいいのか?

そういったテーマでしばらく書いてみようと思います。

しかし、表面的にこのように話せば、うまくかわせるといったことはテクニックは、あくまでサブであると思います。
そういった部分にもふれていきますが、それが本質的な部分ではありません。

『私はすぐに効果のある言い回しが聞きたいのだけれど?』

そう思われるのもごもっともですが、あせらずにお付き合い下さい。
そうすれば、「何と言えばいいか?」ではなく、「自分がどうあればいいのか?」こそが
本当の答えをもたらしてくれることがわかってくるでしょう。

今回はシリーズのテーマと狙いをお話するだけで終わります。
そして最初は準備段階のように思える話から始まりますが、すぐに本質的な部分がどこにあるか、垣間見えてくるでしょう。

それでは今回はこのへんで。

まぐまぐ!10号より

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ペマ・チョドロン~「あなたは何を恐れているのか?」YouTube

ペマ・チョドロン~「あなたは何を恐れているのか?」 - YouTube



※以下動画とは少し離れたところもあります。

私たちは自分と直面することをなんとなく避けてしまうことがあります。

そこに隠された自分がとんでもないものだったりしたら・・・と怖れているのかもしれません。

しかし、もう少し深く考えて見れば、自分の触れたくないと思っている自分について、実は自分ではわかっているのかもしれません。

自分では知っているけれど、それを他人に見せた時にどんな反応や評価を受けるのかが怖いのです。

そして、それを他人に見せないようにするにつれて、自分自身でもそれと直面することをタブーにしてしまったのかもしれません。

怖がっていることの多くは、それを正面から見ることを避けるために、余計に恐ろしい物になってしまいます。

現実は、そこから逃げようとしなければ怖いものではない。
ところが、自分では怖いから逃げているのだと思っています。
逆なのです。そこにはパラドックスが存在します。


そこから次の段階に進んで、自分では自分のことを受け入れることが出来たなら、それだけで解放が起こるかもしれません。

しかし、自分では受け入れても、他人はそれを承認してくれない場合もあります。

特に今までの関係が深かったほど、その人との関係やバランスが壊れるようなことに対して、相手から抵抗を受けるでしょう。

馬鹿なことを考えないで、いままでのお前に戻って来なさいと促されるのです。

そこに、2つ目の試練が待っています。
それは自分を束縛する関係であることがほとんどですが、それでもその関係を今まで続けてきたわけで、束縛を嫌う反面で馴染みのあるよく知っている関係なのです。

あなたがその関係を変化させ、いままで経験しなかった世界に飛び出す勇気を持てるかどうかです。
それはよく知らない関係であるだけに、既存の関係に戻ったほうが良くないかという誘惑にはたえずさらされます。

無理をして今の見知った世界を変えるなんて、やめたほうが無難だと考えるほうが容易に思えてくるのです。


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『ロバの話』~新しい解釈

ロバk2026921280


以前「ロバの話」を紹介しました。
読まれた方も、始めての方も、まずはどのようなものか、先入観なしで一度ご覧になってみてください。

☆~⌒☆

古代中国のあるところで、村人達が役人から皇帝のための寺院を建てるように命令を受けました。
役人は、もし指定の期日までに寺院が完成すれば、村人達に多くの報酬を支払うことを約束しました。

寺院を建てる場所に選ばれたところには井戸があったので、村人達は寺院を建て始める前に井戸を埋めなくてはなりませんでした。村人達はロバに土や泥を運ばせました。

ある日、事故が起こりました。ロバが井戸に近づき過ぎて足を滑らせ、井戸に落ちてしまったのです。

村人達はロバを引っ張り上げようとしましたが、うまくいきませんでした。

何度も試みた後、村人達はロバを助けるために時間を取りすぎていることに気づきました。

寺院完成の期日を考え、村人達はロバを犠牲にすることに決めました。

村人達はロバを生き埋めにするしか方法はないと思い、井戸に土や泥を入れはじめました。

ロバは村人達が何をしようとしているかに気づき、悲しげに鳴き始めました。

村人達はロバの悲痛な鳴き声を聞きながらもそれを無視しました。

ロバは彼らの得る報酬に比べるとそれほど価値がなかったので、土を入れ続けたのです。

しばらくすると、ロバの悲しげな鳴き声がやみました。

村人達は何が起こったのか、ロバはもう死んでしまったのか、それともただ単にあきらめたのか、一体どうしたのかと不思議に思いました。

気になって井戸を覗いてみると、驚いた光景を目にしました。

ロバは元気に生きています。

土や泥が降りかかってくると、ロバは体を揺すって振り払い、足元で土が固くなるまで踏みつけるのです。

踏みつけることによりしっかりした足場ができ、ロバは少しずつ上に上がってくるのです。

ついには、ロバは井戸のなかから飛び出るのに十分な高さまであがってきました。

ロバは力強いひと蹴りで井戸から飛び出しました。

村人達は驚きのまなざしでロバが頭を高く上げて走り去るのを見ました。

タオの生き方 ロバ  デリック・リン
http://www.taoism.net/japanese/

☆~⌒☆


このお話を、書いた方の意図した(?)通りに解釈するなら、人間の身勝手な都合で犠牲になりそうになったロバが、なんとか危機を乗り越えて窮地を脱したという話になります。

そう思わせる伏線は、以下の部分にあるのでしょう。

----------------
村人達はロバを生き埋めにするしか方法はないと思い、井戸に土や泥を入れはじめました。

ロバは村人達が何をしようとしているかに気づき、悲しげに鳴き始めました。

村人達はロバの悲痛な鳴き声を聞きながらもそれを無視しました。
----------------

しかしこの解釈は、ロバを犠牲にしようとした身勝手な人間のエゴと罪悪感という視点から見た場合のはなしです。

見殺しにしようとした自分たちの罪悪感は、幸いにも偶然に救われました。

そして、勇敢にも生き延びてくれたロバへの感謝と、謝罪と、諦めなければ助かる可能性があるという教訓の話と受け取ることも出来ます。


しかし今回は、このような人間の視点を切り捨てて、ロバの視点から考えてみようと思います。


さてロバ君は、井戸の底に真っ逆さまに落ちてしまった時に恐怖を感じました。
しかし、それは一瞬の出来事でした。

世界は真っ暗になってしまい、人間の声は遠くから聞こえるようになってしまいました。

もと居たところは、どうやら上の方に見える明かりの方向にあるようです。

そこまで考える(?)と、ロバ君はもうさしあたってできることはないので、じっとしていることにしました。

いつまでも泣きわめいても、おなかがすくだけですから。

すると、何かが落ちてきます。

土や泥が降ってくるのです。

もちろんロバ君は、本能的にそれを振り払います。
動きやすいように、泥を踏み固めて居心地よくしました。

何が起きているのかわかりませんが、それしかできることはありません。

しかしそうしているうちに、なぜか上の方の遠くに見えた明かりが、近づいてくるようにも思えます。

ロバ君にとっては、それがいいことなのか悪いことなのか、解りようもありませんでしたが、明かりが近づくのは元の場所に帰れそうなのかなと思うだけでした。

心なしか、人間の声も近くなってくるような気がします。

とうとう外の景色が目に入りました。

ロバ君は、元の場所に戻ったぞ、これで動き回れると喜んで、井戸の縁を飛び越えて外にかけだしていきました。


ロバにとっては、別に特別なことは起こりませんでした。
ただ、しばらく暗いところにいる時間があっただけです。

もちろん、人間たちが何をしようとしたのかなど、知るよしもありません。

ところが人間の視点をプラスするとこのように変わってしまいます。

-----------

窮地に陥ったと考え、恐怖を感じながらもがいていたら、
土を踏み固めれば、自分は助かるかもしれないと言う発見。

自分を見捨てた人間への恨みを感じながら、
でも自分は負けないと奮い立つ。

しかし人間どもが土を投げ込むのをやめてしまったらどうなるのだろうと不安になり、

ようやく助かったと思った時、

どうだ憎い人間どもめ、もうお前たちの言いなりにはならない。
自由な世界に飛び出すのだ。

とか、なんとかかんとか。

-----------

事態を予測できる能力を身につけた人間は、それとともに起きていることへの様々な解釈をすることも覚えました。

そして、その半分は、自分を助けるどころか不安に陥らせるものです。

またその過程で、他人を憎むという思考を生み出します。

また、他人がどう考えるかが自分の将来を左右するという思考が生まれます。

まわりの評価に注意を払わないと、無事に生きてはいけない油断のならない世界、その中に自分は生きているのだという、その多くはありもしない確信を強めていくのです。

こうしてバラ色の世界は、どんどん不安で油断のならない世界に変わっていきました。

もう子どもの頃の無邪気さは、とりもどせない。

これが大人として生きていく定めなのかと悲観します。


はたして、そうなのでしょうか?

このように思うことも出来ます。

  あなたがどう思おうと、
世の中は今のままで完全なのだ。
世の中はそのようなものなのだ。

そして、この世の中は、
自分を活かす場としては申し分のないところだ。

【引用】『今日が楽しくなる魔法の言葉』 
アーニー・J・ゼリンスキー


『世の中はそのようなものなのだ。』

無理に逆らわないことです。

起きてくることに、いちいち嘆きの思考を加えないなら、
それはただ起きていくのです。

ロバ君のように、ひたすら今ここにとどまって生きるなら、別に大したことは何も起きてはいないことに気がつくでしょう。


悩みながら世界を凝視していようと、
何も考えずに世界を眺めていようと、

あなたが逆らって生きるようともがいているかどうかにかかわらず、

その時その時で、あなたはふさわしいことをやっているし、やるしかないのです。

やる前の意図にかかわらず、あなたは結果に基づいて軌道修正することはできるし、
それに合わせて現実を受け入れる解釈をしていくこともできるのです。

あなたがどれだけ抵抗していきたかで、あなたを表彰してくれる誰かがいるわけではありません。

逆らわずに生きたから、あなたを罰してやると怖い顔をする人もいないのです。

どちらが正しいかではなく、バランスの問題です。

必要なら、今は逆らうのをやめようと思って、しばらくロバ君のように無抵抗に無解釈で生きていくことだって出来ます。

今が逆境の時だと喚き立てるかどうかもあなた次第です。

そして、どうすればいきいきしていられるかというバランス感覚は、思考がもたらす解釈とは別次元に備わった感性によるものなのです。

何を当てにするか、思考にとらわれ過ぎなければ、世界はどのように見えるものか、それを考えてみるのは非常に有意義です。

ちなみに、以前書いた文章はこちらです。

ロバの話 タオに生きる

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