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迷ったら楽しい方を選ぶ~逆をやるからいつまでも苦しいまま

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『迷ったら楽しい方を選ぼう』という提案を聞かれたことがありますか?
迷っているときは不安なもの、どうしてそう言えるのか、確証がほしいですね。

楽しい方を選ぶとは、いいかえれば「楽しくない方」を外すということ。
ここから考えるとなにか見えてきそうです。

楽しくない、本当は気が進まない、でもやらないといけないような気がする。
この義務感、「ねばならない」という感情の源を探って見ることです。

「ねばならない」とは、それをやらないと悪いことが起きるという恐れから来ています。
すべてが根拠のない恐れだとは言いませんが、ほとんどは「いまここ」にはそぐわなくなっている、習慣的で、強迫的な「ねばならない」を起源に持つのです。

それらは、直接的に「やってはダメ」と告げてくる場合もありますが、むしろそれをやるとなんとなく罪悪感を感じる、といった間接的な働きかけに変化しているものも多いのです。

それと比べて「楽しい方」は、そんなしがらみのない、いまここでの、純粋なあなたの願望や衝動です。
じゃまをするものがなければ、すぐにでもやってしまいたい!

しかし、じゃまがあるから、「迷う」のです。
迷いの正体が、習慣的な恐れからくるものであるとわかれば、躊躇は必要ありません。
慢性的な強迫とは、過去の遺物です。
あなたは、「いまここ」にしか生きられません。

迷いを捨て、自信を持って、心から「楽しい方」を選びましょう。
それが、あなたがいま本当にやりたいことであり、それをやらずに他のことをやるのは、今を生きることの放棄でしかありません。

そして、結果にとらわれないこと。
結果がどうであれ、あなたはやりたいことをやった満足感と、自分への信頼を取り戻します。

やってはいけないという、もっともらしい説明の達人にはならないことです。
説明など過去の正当性の擁護者でしかありません。
それは、いまここでの常に新しい現実の前では役目を終えているのです。

説明屋さんにならないこと。
批評家にならないこと。
いまを楽しむ達人になりましょう。
それしか誰にも与えられていないのです。

過去のツケをいつまで払い続けますか?
もういい加減に終わりにしようと思ったら、
それを切り捨てることへの不安を手放してしまいましょう。

『迷ったら楽しい方を選ぼう』
間違えたって、大したことはありません。

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その時こそ、自問してみよう!

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他人の中に見える横柄さ、怒り、悪意、意地悪さ、混乱した状態に悩まされていると感じたら、その時こそ、自問してみよう。

「この私が気に入らない傾向は、私の中にも存在するだろうか?」

☆向ける方向を変えることで、「この人なんて人なの!!!」と100回も繰り返しては、イライラするのを阻止することができる。

繰り返すほど、怒りは強くなってしまうだけだ。

☆しかし本題はそこにあるわけではない。

「自分の中のいやな見たくない感情が、それを相手の中に見せているのだ」と気づくことは、最も役に立つ洞察につながる。

これを知識ではなく、腑に落ちるところまで確かめてみる。
いままでのどんな経験よりも、あなたを成長させてくれるだろう。

☆どうしてもこれがピンと来ない(自分の中に見当たらない)と思うのなら、時間をおくしかない。
わかったふりをしても、こじらせるだけだから。

いまはまだ、そこまで自分を素直に見られない意固地な部分が支配的なのだから。

しかしここで諦めなければ、次はもっとうまくいくだろう。
頑固な子どもも、なにか様子が変わってきていることを察するようになる。

頑固なときは、それ以上の報酬が見えてくるまで変わらない。
しかし、チラチラ気にしてみるようになってくれば、こわばりが溶け始めた証拠だ。

もう一息で変われる。解放は目の前まで来ている。

☆もちろん最初に戻って考えると、自分の中の頑固さが消えれば、横柄で挑発的な人などいなくなってくることに気がつくだろう。

もともといなかったのか、自分のせいでそう見えていたのか、それはどちらでも大した問題ではない。

それらが避けられない、根源的なものではないとわかる事こそが重要なのだから。



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あなた本来の自分は、最初はデリケートなのだ

☆----------------------------------------------☆
どんな「いいわけ」もしないで、
ただ要求してみよう、
リクエストしてみよう、
望みを口にしてみよう、
感想を、感情を表現してみよう。

いいわけも、顔色をうかがうこともなしにやってみる。

それだけで、あなたの解放実験は完了する。
☆----------------------------------------------☆

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世間ずれして強がって見せている自分に慣れきって、これが自分だと信じ込んでいるけれど、それだけがあなたではない。

本来のあなたは、他人の評価などと関係なく存在するものだけれど、どうしても適応した自分というものが前面に出てしまって、本当のあなたらしさは声を潜めていることが多いだろう。

あなたが、他人に見せかけることばかりに夢中になることをやめて、どんなにマイナーな意見であっても自分らしくあることを選ぼうと決心するなら、そのときこそ本来のあなたは顔を見せてくれるだろう。

それは適応した自分のように、強がらないし、無理に主張もしないかもしれない、そんなデリケートな存在に今はなっているだろう。

しかし、見せ掛けの自分と違って、それらが主体になってやったことは、心底あなたを満足させてくれる。

本来の自分でおこなったことは、他人がどう思おうと関係なく、あなたに本来の自分を生きた感触を思い出させてくれるだろう。

それと比べて、他人の評価を気にしながらやっていることは、だんだんつまらなくなってくる。

一時的に評価された時は嬉しいかもしれないが、だんだんと、どこかまがい物のような気になってきてしまう。

それに、たえずこの評価がひっくり返りはしないかと、怯えるようにすらなってしまうだろう。

そればかりの生活では、あなたは心やすまることがない。

時間に余裕ができても、他人を抜きにした自分は、何をしていいのかわからなくなる。

自分は「これをやる!」、「これが好き!」と無邪気に宣言できる人を羨ましいと思い、どうして自分にはできなくなったのだろうと悩むだろう。

心配することはない。

あなたが他人の評価に耐えるような自分をつくろうとしなければ。

そのような鎧で自分を武装することをやめようと決心すれば、
それはまた蘇ってくる。

奥に隠れたていた自分が、花弁の奥から顔を出すようになる。

だから、どれだけ無防備でいられるか、挑戦してみることだ。

無防備こそ、不思議な最大の防御になりうるというパラドクスを自分で確かめてみることだ。

最初はデリケートだった本来のあなたは、次第に作られた自分と置き換わっていく。

それにつれて、自分が存在しているだけで、何も持たなくても、何もやり遂げなくても、そのままで存在できることを実感できるだろう。

「ありのままでいなさい。」

いくら言われても、無防備になれないうちは、ただのことばでしかない。

ありのままでいることは、無防備になれることからしか生まれてこない。

こわいようなら、小さな実験を重ねてみよう。

たとえば、無条件に、どんな条件も付けずに、あなたの望みを言ってみること。

いつも無意識に付け加えていたような、どんな「いいわけ」もしないで、
ただ要求してみよう、
リクエストしてみよう、
望みを口にしてみよう、
感想を、感情を表現してみよう。

いいわけも、顔色をうかがうこともなしにやってみる。

それだけで、あなたの解放実験は完了する。

そして、あなたが実は期待していたような、非難の声も、嫌な顔もそこにはないことを発見してみよう。

むしろ、驚いた顔があるかもしれない、嘘のないあなたの発言を尊敬する顔がそこにあるかもしれない。

もちろんその準備ができていない人は、相変わらず嫌な顔でそれを見つめるだろう。
けれど、その時こそ相手を見分けることもできるだろう。

素直になれる人は、素直な発言を喜ぶ。

素直でない人は、そんなことは言ってはならない理由をまくし立てるだろう。
あなたのためにではなく、自分の何かを守るために。
本当にあなたらしくなってもらっては困るからだが、それを鵜呑みにしないことだ。

相手だって、なぜそうしているのかわからずに、無意識にそうしているのだから。

あなたは、だれと付き合っていけばいいか、よく分かるようになる。

いままで自分のためになると思ってやっていたことが、その多くは虚しい悪あがきだったことがわかってくる。


☆----------------------------------------------☆

言うまでもないかもしれないけれど、社会の利益はあなた自身の利益と一致するとは限らない。
そして、社会とはあなたのまわりの誰かの言葉となって現れるものだということ。
あなた自身で、見分けなければならない。

☆----------------------------------------------☆

メルマガNo.6より



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希望を手放す(ガンガジとの対話より)

希望というものは、美化され私たちの生きるよりどころのように言われることがほとんどかもしれません。

しかし、それはもしかなえば嬉しいけれど、期待しながらも、「でも本当にはならないんだよね」と心の奥では、あきらめていることもあるのではないでしょうか?

期待にもいろいろあります。

中には「これだけ真剣に望めば必ず実現するのだ」と信念の魔術を信じる人達。
しかし望むことと、実現することは、必ずしも一致しないことに気づいてはいるでしょう。

あるいは、口では「これが実現してくれさえすれば・・・」といいながら、でも本心では「ほら、やっぱり駄目だった」と失敗に終わるとほっとする人もいます。

期待の仕方と同様、こうした期待が次々と外れた時の耐性というのは、ひとによって異なります。

いくら期待はずれが続いても、また次を目指す人もいれば、2つ3つ失望が続くと、もうこの世の終わりのように感じる人もいます。

この違いは、期待していることへの入れ込みの度合いも大きく影響しますが、もうひとつは思ったことが実現できることと自分自身の存在価値とを同等に考えてしまう度合いにも関係しています。

あと感情次第で、実際に起きたことを客観的に見られなくなる傾向が強いことも影響するでしょう。

前置きが長くなってしまいました。


では、ガンガジとの対話からご紹介しましょう。
はるかさんの翻訳から一部を紹介させていただきます。
http://gangaji.jugem.jp/

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『希望を手放す』

手放すという話をいたしましたら
ある方から、願望はどうだろうかと質問を受けました。

願望にはいろいろなものがあります。ある種の願望は他のものよりも強いですね。
でも、願望はどのようなタイプであれ、しがみついているよりも手放す方がずっと簡単です。

ところがマインドがそれをひっくり返し、
手放すのは難しいと、
まるで催眠術のように繰り返します。

実際は、しがみついているほうが困難です。
そして多大な労力が必要ですし、苦しみを産みだします。

なぜなら、
物語を覚えていなければなりませんし、
それがどのように展開するべきかを考えなければなりません。
どうあるべきだったか、
誰のせいでそうなったのかを考え、
そして最終的に、
ここに悪魔が入り込んでくる隙があるのですが、
状況が変わるようにと。希望を抱かなければなりません。

(笑い)

そのようなことを人類は伝承してきています。

実際に重さがある訳ではありませんが、
大変重い体験です。

そこで、質問者と私は希望について検証をしました。

私の見方では、
希望は子供たちには必要不可欠です。
希望は未来と関わっていますから、
神経系統が未発達である子供を心地よくしてやる為に、希望が必要です。

しかし、真に成熟をした者には、希望は悪魔のような代物です。
なぜなら希望は、執着へと引きずり込むからです。
希望は私たちを ”今ここ” から乖離させます。

子供のような人たちには希望が必要でしょう。(笑い)
今ここにじっと止まる、という恐れは、
何よりも深い絶望かも知れません。

でも、いかがでしょう。
生きる頼みの綱としての希望を進んで手放し、
無希望という絶望の内でじっと止まってみる。
人間であるという絶望の内に、
人間がしてきたあれこれへの絶望の内に、
あなたがしてきたあれこれへの絶望の内に、じっと動かずに止まるとどうでしょう。

私たちは、自分たちの住処に一体何をしてきたでしょう。
お互いの身に、何をしてきたでしょう。
子供たちに何をしてきたでしょう。
他人事ではありません。
あなたは何をしてきたでしょうか?
今も継続中ですね。
変化が起きるよう望み、
相手がやっていることを止めさせたいと望んでいます。

私が受けた質問は、
恋人との関係が変わってほしいという希望でした。
よくある話です。

希望は普通、誰かとの関係性の中に起こります。
あなたと他。
現在の恋人でなくても、未来の恋人かもしれません。
または相手は世界かもしれませんし、神かもしれません。
共通しているのは、あなたと何物かとの関係性です。

私たちは関係の中に自分の理想を重ね合わせ、
その結果、空虚感を体験します。
そしてそれを自分の成長の為に利用するかわりに、
もっと違ったふうならよかったのに。
こうでなければいいのに。
なんとか理想に近づけたい。
今度こそ状況を変えたい。
彼らを変えたい。
私を変えたい。と物語を紡ぎます。

私は皆様に、
たった今この瞬間に、そのようなすべてを諦めてはいかがかと提案します。
希望も、無希望も、両方とも、
すべて諦めてはいかがでしょうか。

どっちみち、実際に存在している訳ではないのです。
愚か者によって語られる作り話です。

(会場笑い)

そのとうり。
自分が愚か者だと気づくのは、
成熟がかすかに輝く一瞬です。

(会場爆笑)

「僕を見て見て! 強いだろう。すごいだろう。」
これは子供です。

ペッシャンコになり、
「私は何ひとつコントロールできないんだ。
何も知らない。
知る由もない。
誰に対しても、
どのような状況に対しても、
世界に対しても、
どんなときにも、何ひとつ自分の思うままになんてできないんだ。」
これが成熟です。

そこに、真の解放があります。

そして解放の二次的な作用として、責任があらわれます。
この責任は、
私たちが思い込んできたようなたぐいの責任とは異なります。
変化させる必要など何もない、光から、ハートから、やってきます。

変化への願望はあるかもしれません。
でも自分自身の充足の為に、私たちが願望を満たす必要などまったくありません。

人類の歴史の中で、たくさん見聞きしています。
変化を起こすこと、あるいは起こさないことに対し、全力を尽くさない人間は責任感の無い人間だと、私たちは思い込んでいます。

けれども、
究極的に、結果を自分の思い通りに操ることなどできません。
あなたは、あなたの生命のエネルギーを幻に注いできたのです。

もし実際に、あなたが思った通りにすべての事が運んだとしたら、皆にとっては大変悲惨です。

(会場爆笑)

例えば、バイオ ディーゼル(植物由来燃料)でしたでしょうか。画期的に登場しましたが、後に食料危機を招くかもしれないとわかりました。

私たちは、何が究極的にどのような結果を招くかなど、知る由もないのです。

ええ、もちろん知っているつもりでしょう。
これが変われば、彼らが変わり、
彼らが変われば、あれが変わり、
そうすれば、
私の状況が変わり、
そしてOKになるはずだ、と。

でも、そうはならないのです。

何世代にも渡って、そういうことをやってきました。
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You are the only one. 誰かの2番手にはなれないし、ならないことだ。

DONT BE AMBITIOUS.
DONT BE COMPETITIVE.
YOU ARE ALONE LIKE YOU.
LIKE YOU.
YOU ARE THE ONLY ONE.
YOU ARE INCOMPARABLE.

OSHO

野心を捨てよう!
競争などやめてしまおう!
あなたは、あなたらしい、ただ一人の人だ。
あなたらしくあれ。
あなたは唯一の存在。
比類なき存在なのだから。

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あなたが不幸なのは、しっかり戦わないからではない。
あなたがいつまでも満足できないのは、誰かに勝てないからでもない。

のんびりしていないで、勝てるようにもっと頑張れ!
人よりも多く努力すれば、あなたはようやく一人前だ。
まだまだ努力がたりないんだ。
勝つんだ、人より上にならないと幸せにはなれない。

こんな声に惑わされて、無理な自分を見せかけながら、
本来の自分を虐げるようなことばかりしている。

こんなことでは、だれにも勝てないし、自分自身も幸せにはならない。

そもそもだれをモデルにしようとしているのだろうか?

自分が憧れるような人がいたとする。
しかし、その人自身は、その人もまた自分自身であろうとして、あなたが憧れるような人になれたのだ。

その人も、決して誰かに教えられるまま、他人をコピーして、そのような人になれたわけではないのだ。

もし私の真似をすれば、あなたも幸せになれるからと、表面的なことを教えようとしていたら、そんな人は信じないこと。

あなたは、あなたらしく、自分の中から生まれるものに従わなければ、何ものにもなれないだろう。

それでは、単なるコピー製品、見せかけだけで、自分らしさはどこかに封印してしまった人間が出来上がるだけだから。

競争するというのも、ある同じ指標を目指す人間になるという真似から始まるわけである。

しかし、あなたが自身の指標だけを目指すなら、競争することなど最初から意味が無いことにすぐに気がつくだろう。

これでいいのか不安だから、人に聞いてみたり、真似をしてみたいんだというかもしれない。

それが絶対ダメとはいわないけれど、その前にやってみることがある。

人に聞かなくても、これでいいんだと自分で思えるまで、あなた自身を続けてみることだ。

真似をしたくなる誘惑を断ち切って、自分自身であることを、充分すぎるほど続けてみることだ。

そうすれば、何は真似てもいいのか、何は真似ないほうがいいのかがわかってくる。

そして、他人に「これでいいでしょうか?」と聞いて回ることもしなくて良くなるだろう。

誰かと同じだったら安心できるというのは、自分自身を騙していることだ。
比べるものは、あなた自身以外に持たないこと。

他人との比較を始めた途端に、あなたの世界はみすぼらしく見えるかもしれない。
あなたがしっかり自分と繋がっていないと、すぐに素晴らしかったあなたの平和は脅かされる。
そんな侵略者に惑わされないこと。
それらは見せかけにすぎない。
こっちへ来なさいと見せかけるものは、たいていはコピー人間のすすめなのだ。

その表面的な華やかさに惑わされると、あなたは本来の自分に自身を持てなくなる。

しかし、あなたの持っているものを、その価値をわかるのは、それを失った時だということを忘れないこと。
コピー人間になってしまえば、絶えずこれでいいのだろうかと、外側ばかり気にして生きなければならない。
なぜなら、自分とのつながりを犠牲にしてしまうからだ。
それでは、根無し草になってしまう。

コピー人間は、忙しい。絶えず他人を補給しないと安心できないからだ。
そして、いつまでも満足する時は来ない。
誰かの2番手になってはいけない。あなたはあなた自身でいるしか出来ないのだ。
それ以外は、全てまがい物になってしまう。

あなたが全面的に自分を信頼し、それを拠り所にしようと決心するなら、

本来のあなた自身が、それでは見せてあげましょうと言って、あなた自身を、あなたらしさを答えてくれるようになる。

他人の真似をしたいと思っているうちは、そんなあなたには、あなたらしさを見せてはくれないだろう。

だって、自分自身を信頼していないのだから、信じない人には答えようともしないのは当たり前なのだ。

あなたに何が必要かも、あなたらしくあれば自然にわかってくる。

だから、他の人がみんな持っているからといって、同じもの欲しがるような馬鹿な真似はしないことだ。

これもまた、自分以外の人になろうとしているのと同じようなものだから。


☆----------------------------------------------☆

世の中、誰かのコピー人間こそ、自分のコピー人間を作りたがっているように思える。

私と同じことをやってみなさいと言われたら、しっかり信頼できる人かどうか、本物かコピー人間か見分けなければならない。

☆----------------------------------------------☆

※まぐまぐ!No.5より
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執着を手放そう~これについての大きな誤解~

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「執着を手放そう」と言われたら、どんなことを思い浮かべますか?

何かこう、辛い修行でもさせられるような、あるいは欲しい物を無理やり諦めさせるようなイメージを持つ人もいるでしょう。

しかし、私たちは本来、決してそんなに欲張りでもないし、たくさんのものを持て余すほど欲しいなどと思ってはいないのです。

欲望や豊かさというものは、その多くは文化的に教えこまれたものに過ぎません。

「ミリオン・ダラー・アーム」という映画があります。
実際に見たわけでなく、解説を聞いただけですが、少しこの話をしましょう。

この映画では、インド(人口が巨大)ならきっとすごい人材が見つかるに違いないと思って、メジャーリーグの優秀なピッチャー候補を探すというお話です。

さて、インドでは野球というものを知らない人がほとんどで、なかなか選手候補は見つからないのですが、それでもなんとか2人の候補者を探し出します。

この候補者は、最初の条件157Km/hだったかのスピードボールを投げられたら合格だったのですが、それには少し満たなかった。
しかしそれでも数千万円の報酬を受け取り、アメリカへ二人を連れて行きます。

今回取り上げたい話は、この人達はこれ以上豊かになりたい、金持ちになりたいなどと考えていなかったという事実です。

インドでも、富裕層はいますが、特にインドでは富裕層と貧困層は極端に2分化されていて、貧しさに慣れた人たちはお金持ちになろうなどと夢にも思っていないという現実も影響しているようです。

スカウトのアメリカ人は、彼らに何とか夢を抱かせ、もっと頑張ろうという気にさせたいのですが、彼らは一向に興味を持ちません。

いろんなお金持ちの生活を見せて、その気にさせようとしても、全く自分には関係ないい事のように思ったままです。

「何のために使い切れないほどのお金を持つ必要がある?今回もらったお金があれば、インドなら家族皆んなで充分暮らしていけるのに・・・」

と言った感じなのでしょうね。

では私たちはどうかと振り返ってみれば、アメリカンドリームではありませんが、やはり機会があれば自分も大成功してお金持ちになれるかもしれないという夢を持ちます。

そこまでいかないまでも、貧乏なよりお金持ちの方がいいに決まっていると思うわけです。
それに日本という国は、お金を使えばこんなに豊かになれると思わせるものが、あふれていますし、容易に手に入るところにあります。

それだけでなく、テレビのCMはしきりにあなたももっと豊かになれますとか、競争を促すものにあふれているのです。

欲望とは、実は文化によって作られたもの

ということは否定出来ないし、あまりにもそれに慣らされているので、果てしない欲望は普遍的な人間の特性だと信じ込んでいるわけです。

いいかえれば、慣らされていなければ、あなたは今ほど何でもかんでもほしがったりはしない。

そして、実は何かを欲しがることなんて、本来は面倒なことであって、できればやりたくないと思っているのが本来の姿であるというのも、すこし想像力を働かせれば思いつくことではないでしょうか。

横道にそれましたが、「執着を手放す」ということも、このような観点から考えれば苦痛でもなければ、むしろ望んでいることなのかもしれません。

いったん「欲しい、欲しい」モードが起動すると、本当にそれが欲しかったり必要があるかなど、どこかに切り捨てられてしまいます。

「どうすれば手に入るか?それを考えなくてどうする!役に立たない(お金にならない)ことを考えるなんて、ダメ人間のすることだ!」

こんな声も聞こえてきそうです。

「どうすれば手に入るか?」こう問いかけたら、もう一直線にそれに向かって走りだす。
心理学でよくやる迷路を学習して、なんとか早く餌に辿り着こうとするネズミのようになってしまうのです。

思考というものが、とにかくゴールに辿り着こうとするように働くものなのだ。と言われることもあります。
※これももしかすると、文化的に作られた部分があるかもしれません。

「我慢しましょう」ではなく、「本当にそんなものほしいと思っているの?」と問いかけてみましょう。

「ホントはねえ、あるに越したことはないけど、別にそんなに欲しくないのよ」というのが本音だったりするかもしれません。

何かを手に入れようと無理をするのは、それだけ自分の自由を奪う行為です。

さて「執着を手放す」ということば、この文章のスタート時点とはずいぶん違って聞こえてこないでしょうか?

むしろ、「執着を手放す」ことは楽しいこと、あなたに自由をくれて、余計な負担から解放してくれる、心躍る試みなのかもしれません。

「よし、これで1つ負担を消し去ることができる」
そう思って、余計な作られた欲望から解放されましょう。

ことばの操作などではありません。
あなたが本当に望んでいること、それがそこにありませんか?

*メルマガ No.0003より*

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自分で考えるということ。今は答えを出せないというのも、立派な回答であること。

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さて前回のお話で、
「いろいろな方と相談をしていますが、やはり気になっているのはそこ(人間関係)にあったんだな、と思うことも非常に多いのです。」
ということを書きました。

たとえば、純粋に仕事上の問題と思っていたけれど、実はそれを実行するときに避けられない対人関係において、自分が自信が持てないことに問題の核心があったりするわけです。

あるいは、自分の能力に限界を感じたり、失望しているように見えても、実際は直前に行った人との比較や、誰かのことばで自分の自信がぐらついているに過ぎなかったりします。

どちらにしても、いまの自分のままだと、現実を乗り越えられないと感じています。

かと言って今の自分を思い切って変えられるとも思わないし、そんな危険を犯したくもないわけです。

そのことに正面から立ち向かうのが怖いと感じているわけです。

そして、そうやって自分の限界を作り出してしまった元はといえば、それもまた人との関わりの中で生まれてきているわけです。

例えばそれは、子どもの頃に言われたまわりの人間(両親など)の言葉だったりするわけです。

あるいは仕事をするようになって、別に悪気はなくても、ダメなやり方をダメと言われる事は、仕事である以上出会います。

自分に自信がないほど、いくつかそういった経験が重なれば自分の能力を諦めてしまいます

他人から言われた現実が正しいのであれば、それはつらくても受け入れなければならない。

しかし、他人の評価は必ずしも正確ではありません。

人を指導するのに慣れている人の意見ならば、信頼性は高いでしょうが、そういった人だけがあなたを評価するわけではありません。

間違った評価というのは、特にそれがあなたに可能性のある分野であるほど、それで自分を見限ってしまうのは大きな損失です。

そして、実は他人の評価が単独で、あなたの反応を引き起こすわけではありません。

そこには必ず、あなたの側で「この人のいうことには反論できない」とか「この意見には反論する自信がない」とか、あなたの側の弱い部分が受け入れてしまうことを後押ししているということです。

それらは、けっして客観的でも、公平でもない判断に基づいた偏った判断であることが多いのです。

さて、何が起きているかの説明が長くなってしまいましたが、それではどうすれば間違った判断を下さないでいられるのでしょう?

それが今回の本題です。

一言でいえば、「必ず自分で考えた上で判断を下す」ということです。

「自分で考える?いつだってそうしているよ!」と言いたくなるかもしれません。

考えてはいますが、それは制約だらけの中で考えているのです。

どんな制約かといえば、それはあなたが依存している考えに、反しない範囲でしか考えられないということです。

たとえば、たまたまうまく運んで何かをやり遂げられると、これこそが正しいやり方だと信じてしまいます。

だって、現実にうまくいったんだから、何を疑う必要があるだろう?と思うのは自然な成り行きです。

しかし、いったんそれに依存して、どんな場合も「これが当てはまる」と考えだせば、柔軟な考え方は次第に失われていきます。

柔軟な考え方とは、いろいろな選択肢を、絞ってしまわないで、一つ一つ当てはめてみることで得られる場合が多いわけです。

しかし、毎回面倒な手続きを通るのはだんだん面倒になってきます。
それくらいなら、充分実績があるからこれ信じようと思うほうが楽になってくる。

これがプラス由来の思い込みです。

それとは逆に、マイナスから生じる思い込みもあります。

なにか痛い経験をして、必要以上にそれを恐れるようになれば、だんだん無意識にそれが絡んでくる道筋は避けるようになります。

こうしてマイナス由来の通り道が出来上がってくるわけです。

「必ず自分で考えた上で判断を下す」ということをやりたい。
しかし、その自分の考えも決して公平でも、柔軟さも失っているわけです。

そんな八方ふさがりなことを言われて、一体どうすればいいというのか、いい加減しびれが切れてきたかもしれません。

それは、ここで起こってきた考え方を見直しましょうということです。

「いい加減にしてくれ、どうしろっていうんだ!答えを教えてくれ!」と言いたくなるのをやめてみましょう。

「八方ふさがりだ。大変なことになった」といって、答えが出ないことを恐れないことです。

実は他人の批判にすぐダメージを受けてしまうのは、選択肢の少ない考え方、柔軟性のない判断の下し方をしているからです。

選択肢が少ないほど、間違った判断をしがちです。
柔軟性を失っているほど、簡単に結論を下してしまいます。

結論が容易に出ない問題であるほど、そのまま判断を下さないでいるという能力が必要なのです。

保留にしておくこと、曖昧なままでいることに耐えられる力をつけるほど、状況や他人の意見に左右されにくくなります。

逆にその耐性が弱まっているほど、早まった判断を下してしまいます。

失敗した経験を思い出してみてください。

そのほとんどが、もう我慢できないといって、充分な判断基準のないまま片方を信じてしまったことで起こっていないでしょうか?

そして、そこに対人関係が加わり、影響を与える人があなたの柔軟な判断を阻害する人であるほど、間違った判断が起こりやすくなります。

「これこそが自分らしさだから譲れない」ろいう判断と、
「答えが出ないから何かを信じたいと思って片方を信じてしまった判断」とでは、混同しがちですが、大きな違いがあるのです。

自分で考えるとは、前者を見分ける力であり、後者に対して保留のままにしておける能力なのです。

ここまで読んでこられて、期待されていたほど、明確で簡単な答えには見えないかもしれません。

色々書きましたが、この一つのことだけでも覚えておいて、実行してみてください。

それは、

「あいまいなままにしておける耐性を磨くこと」

です。

これが正しい判断能力を高める役に立ってくれます。

そして、現実の場面でも、簡単に他人のことばで傷つかなくなっている自分に気がつくでしょう。

「はっきりしてよ!」という脅しに乗らないこと。

判断がつけられないことは、結論は出せないと勇気を持って言えるようにしましょう。

その時、優柔不断にならずに、「答えは出せない」とはっきり答えればいいだけです。

今の時点では答えられないと判断することは、放棄することとは全く異なります。

セールスマンは商談をまとめようと働きかけますが、それとは全く逆のことをするのです。

いや~なお客さんになりましょう。

そうすれば、意に反したものを買わなくても済みます。

答えられないのに「自信を持って」というのは、ことば的におかしな表現かもしれませんが、「いまは答えられない」というのは立派な回答ではありませんか?


長くなりすぎたので、このあたりで終わりにします。

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不安になった時の対処法(メルマガ・スタート記事)

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では、メルマガのサンプル号でお送りしている「不安になった時の対処法」をお送りします。

☆~⌒☆
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普段から定期的に不安におそわれることがある。

あまりうまく行きすぎていると、本当に大丈夫なのか、なにか悪いことが起きるのではと気になりだす。

普段は全然大丈夫だけれど、何かのきっかけで不安になったり、疲れがたまっていると、
いままでの自信がどこに行ったのかと思うほど、動けなくなってしまう。

不安とか恐れは、人によって現れ方は様々です。

普段自信ありげにしている人でも、たいてい人には言えない不安感を抱えているものです。

すぐに立ち直れる人もいれば、何もやる気がしなくなるほど、動けなくなってしまう人もいます。

そこで、不安に入り込みそうになったと感じた時、どのように対処すればいいかを考えてみましょう。

不安というのは、対象が曖昧であることも多いのです。

漠然と、自分が心配になったり恐れている対象はこの辺りだと信じ込んでいます。

そして、不安に入り込むと、その思っている対象が原因であって、
それが解決したり、いなくなってしまわないとどうしようもないと思いこむことがほとんどでしょう。

しかし「不安=問題だと信じている対象」と思いこむのをちょっと待ってみましょう。

問題である対象があるから、私は不安になる。
対象が解決しないと、私のこの不安感は消えない。

これこそが「原因と結果」の関係であると、すぐに思い込んで疑いませんが、それが不安を不安のままにしてしまうのです。

冷静になってもう一度考えてみてください。

この「原因」とは、今に始まったことでしょうか?
今回不安になったのは、突然この原因となることが起きたからなのでしょうか?

たいてい私たちが不安になる「原因」は、定番とも言えるその人固有の苦手な部分が引き起こしています。

例えば、こんなに頑張ってきたのに、ちっとも結果が現れない。やっぱり私には能力がないのだ。いくらやっても、もうダメなんじゃないか?!

そのように思うと、いままで頑張ってきたことが、全て無駄だったような気がして、どっと疲れが押し寄せてきます。
あんなに頑張ったのは、一体何だったんだ、全て無駄だった。
私は、やっぱりこれに取り組むべきではなかった。きっと、私がやってきたことを見て、嘲笑っている人がいるだろう。
もう嫌だ。失敗するようなことには二度と手を出さないぞ!

このように、次々と悪いことを予測してしまい、いろいろな過去の失敗体験を重ねあわせて、
またあの時のようなことが起きるに違いないと思ってしまうのです。

もういちど、それをやってみよう!、トライしてみようと思った時に立ち戻ってみてください。

その時は、自分を疑っていなかった、頑張ればなんとかなると、確信すら持っていたはずなのです。

結果が出ないことで、そのような冷静な判断は間違っていた、やっぱり高望みしてはいけないと思うようになってしまうのです。

実は、不安とワクワク感とはどこからが不安で、どこからワクワクかは区別が難しいものです。

もともと、同じ期待感が、過去の失敗と結びつくと、不安の方に傾き、
逆に小さな前進がもたらせれば、今度はワクワク感として感じられるだけなのです。

人間の心理なんて、現金なものです。

人に言えないような深い悩みだと思い込んでいても、
だれかと一緒に整理してみれば、他愛のないことがそれを作り出していることがほとんどです。

もうダメと諦めかけていても、小さな結果が幾つか現れれば、途端に元気になって「ワクワク感」に変化します。
簡単に結果が出なかったことですら、「だから面白いんだよ!」と逆の側面から見ることさえできるようになるのです。

いまはとても自信ありげな人でも、最初は不安で、とても偉そうなことをいえる状態ではなかった。

結果を積み重ねたおかげで、自分の経験をいい方に解釈して後付の理屈を言っているにすぎないことも多いのです。

「それでも負けずに頑張った!だから今があるんです。」と誇らしげに語ります。

たしかにそうです。

しかし、その時は、結果が出るまでとても自信など持てなかった。

不安だらけで、何度も諦めかけたこともあったでしょう。

今だからそう言えるのです。

すこし最初のテーマからそれて来たかもしれませんが、
話を元に戻しましょう。

不安な状態でも、何が直接自分を怯えさせているのか、その正体をよく調べてみることです。

不安は、漠然とした対象を相手にしているから起きるということを考えてみてください。

「本当に今不安なのは何?」ということを、正直に捉えてみてください。

さきほど「きっと、私がやってきたことを見て、嘲笑っている人がいるだろう。」というフレーズを入れましたが、
これも不安の原因は結果が出ないだけでなく、他人からどう見られるかといった要因を含んでいることを示しています。

結果が出ないことが不安を作り出していると思い込んでいても、実は対人関係の不安の方が主要な原因であったということも十分考えられるのです。

むしろ、出来事自体よりも、人が不安を感じる原因のほとんどが対人関係に起因すると思ってもいいくらいです。

私はいろいろな方と相談をしていますが、やはり気になっているのはそこ(人間関係)にあったんだな、と思うことも非常に多いのです。

自分自身に対しても、人は本当の原因を言わないことが多いものです。
そこにまで、人に聞かれても恥ずかしくない理由を作り出してしまいます。

だからこそ、不安の原因は、「本当のところ、どこにあるの?」と問いなおしてみてください。

それを避けて、漠然とした不安のままで居る限り、その不安は繰り返しあなたを悩ませることになるでしょう。

だれも聞いていないから、あなた自身には本当の理由を言ってみましょう。

「私が本当にこわがっているのは何?」


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アラン・ワッツ~「100%今に生きる」

アラン・ワッツ~「100%今に生きる」 - YouTube



「今に生きる」ということは、よく言われるけれど難しいことです。

頭でそう理解しても、1分と経たないうちに、頭は他の事に気を取られ始めます。
たいていは、いま起きている現象ではなく、記憶がもたらす「やるべきこと」が前面に出てきてしまうからです。
ですから、同じ頭で操作しようとしても、次に気がついたときには、目の前のことに意識は向いていないことに気がつくでしょう。

ことばで説明するのは難しいけれど、こればかりは自分で体感するしかないわけです。
誰かの説明を鵜呑みにしないで、自分なりのやり方を見つけることです。

感覚に注意を向けるか、思考にとらわれるのをストップするか、大きく分ければ二通り考えられます。

「今に生きろ」と言われるからそうしようでは、新しい思考パターンを作り出すだけです。
それは容易に他の思考パターンと結びついて、たちまち今から遠ざかってしまうでしょう。

ですから、良いか悪いかとか、効果をもたらすからやってみようとすれば、たいてい失敗するわけです。
あなたが過去の遺産を数えて生きがいを感じるなら、今などどうでも良くなるのはわかりきったことです。
自分が何をすれば今生きている感覚を持てるのか、それをよく振り返ってみることです。

良くも悪くも、いま生きている感覚に浸ってみようと思い、それを楽しむことができればうまくいくでしょう。
それを邪魔するような、恐れの要因を解決しておくことも必要です。

「考えるな、感じろ!」ということに近いですね。


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何も私には、わからないのだ。

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しばらくぶりに老子の話をしましょう。

いろんな常識に囚われていると、それを理解することはとても大変です
だから、「老子は難解だ」と言われます。

しかしそれは、老子の言葉を信じたくないという抵抗に過ぎません。

あなたが余計なものをいっぱい抱え込んでいるほど、それを理解することには抵抗を感じます。

誰かが「何を言っているのかわからない」とつぶやく時、その多くは、そんなことを信じたら、自分が築きあげてきた世界が崩壊してしまう、だから信じる訳にはいかないと言っているのです。

余計なものを捨て去る時、そして身軽になれた時、老子の言葉は素直に自分お中に溶けこんできます。

それは実に単純な話です。
単純すぎて、信じたくないだけです。

「道の道とすべきは常の道に非ず。名の名とすべくは常の名に非ず。」

これが第一章の冒頭です。

「道」というのは、全てを生み出す原理や源泉であり、それがすべてのことを生じさせているもので、仮にそれを「道」と名づけました。

そして、この「道」とは、これが道だよと説明できるようなものではない。そんなふうに説明がつくのは本当の道ではなくて、誰かが創りだした説明にすぎない。

また、どんな説明でも言葉を使って説明するわけだけれど、そもそも言葉、つまり名前をつけること自体、説明のために用いる一時的な便宜にすぎない。

だから名前がついたからって、それがいつでも通用するようなものではないのだ。

というようなことをここで言っているわけです。

一言で言えば、「道」とは私たちに説明できるものではないと断言しておくわけです。

このことから、『何も私には、わからないのだ。』と認識できれば、それで全てです。

老子を読めば読むほど、全てはここに集約されているのだという認識が強くなっていきます。

『何も私には、わからないのだ。』
これさえ忘れなければ、あなたはたった今から、すべての不安から解放されます。

すべての縛りは、仮の名にとらわれてしまうことから生じているのです。

突き詰めて、ここまで考えつけばそれで終わりなのですが、それでは終われないのが、人間性というものです。

だから、老子ですら、この後に80もの章を続けなければならなかったのです。

『何も私には、わからないのだ。』

ここから出発する限り、あなたは悩まなくてもいい。
悩んだら、ここに戻ってくればいいだけです。

あなたの悩みは、わかったつもりになるから生じるのです。

◆「誰かのことが許せないのです」

許せないでいあるあなたは、どれだけのことがわかっているのでしょう。

あなた自身、自分の確信が、実は間違っていた経験を何度もしているのではないですか?

そうでなければ、あなたは道に迷うことなど一度もなかったし、一切悩むこともなかったでしょう。

許せないでいるあなたのことを、別の誰かは咎めないで許してくれているでしょう。
その人は、人を裁くことなど出来ないことを知っているからです。

私自身何もわかっていないのだから、いちいち咎めることはない。
だから、わたしも、絶えず咎められることを気にして生きていかなくてもいいと、気がついたのだから。

誰かを咎めれば、たちまち、また怯えながら生きていく生活に逆戻りする。そんなことはしたくない。

◆「私はいつも昨日より向上し続けていないとならない。なのにちっとも良くならない。」

あなたはだれと、あるいは何と比較して悩んでいるのでしょう?

比較することをおぼえたのは、あなたがそう教えこまれたからです。

「昨日より良くなる???」そんなことが、だれに判定できるのでしょうか?

あなたも、あの人もこの人も、そんな判断はできません。

そもそも、変化とは、良くなることも悪くなることも、両方含んでいるのです。

「向上」とは、ひとつの基準で測った見方にすぎない。

あなたは、良くも悪くもなるだろうし、別の見方をすれば、同じことが悪くも良くもなっているのです。

どちらも正解なのです。
どうせ、『何も私には、わからないのだ。』

☆~⌒☆

しかし、そんな相対的な世界に生きていれば、いつ喜んでいいいのか、いつ悲しむべきなのかもわからない。

それで、何の楽しみもないじゃないですか?

そんなことはありません。

なぜだかわからないけれど、楽しくなって来た。
なぜだかわからないけれど、悲しくなって来た。

どうせ、あなたがわかっているつもりの根拠と言うのも相対的であったり、一定期間だけ有効なものでしかないのです。

ことばに振り回されることは、無意識に起こります。
自分ではそんなつもりはなくても、気がつくと前提を作り上げて判断を下しているのです。

たとえば、ドラマなどを見ていて、ふと気がつくと、事件の推移にハラハラさせられている自分に気がつくことがありませんか?

現実には、あなたはドラマで起きている事態に巻き込まれたわけではありません。
うまく出来た脚本なら、あなたは現実に起きていることのようにその中に巻き込まれてしまいます。

その時起きる感情の変化や、身体の変化は、本物と変わりません。
これが起きたのは、すべてはことばがあなたの中で現実と変わらない現象を引き起こしたわけです。

それも強要されたわけでなく、あなた自身が望んでその中に入り込んでいったのです。気づかずに無意識のうちにです。


あなたが「名」にこだわらなくなればなるほど、そのような判定をしたがる自分もいなくなるでしょう。

そして、自分の中に元々備わった、「道」の働きがあなたを導いてくれます。

それは、あなたが疑いを捨てて、委ねることができるほど、本来の正確さを示して働いてくれるでしょう。

あなたは、それの邪魔をしなければいいだけです。

どうせ、『何も私には、わからないのだ。』と思っているだけでいいのです。

考えずにいられないというなら、あなたは何かの前提を作り上げていて、それを守りたいと無意識に思っているのかもしれません。

それを探してみることです。
それがなければ、なにもあなたを縛ってはいないのです。



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単純だけど難しいこの心の仕組み~あなたがクリアしてあげよう

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他人の接し方を見ていると、相手はみんなこちらを拒否しようとしている、と見えるかもしれない。

しかし、相手が拒絶しているように見えるものは、「私」に向けたものではなく、自分自身の限界を感じて、それに反応しているだけなのだ。

こちらの望みとは関係なく、自分自身の貧しさに気がつき、嘆きたいのだが、どう表現していいのかわからない。

助けを求めたい気もしているのに、他人への警戒から素直にそれを表すことはしないだろう。

どうしようもなくなって、助けを求めだす人は、ほとんどが素直に自分の弱さを認められなくなっている。

それができるくらいなら、そもそも助けなど必要がなくなるからだ。

やるべきことは、自分の弱さや怖いと感じているものを認めて、それらを敵対視しなくなることにある。

彼らが敵対視している様子は、他人に対してそれを投射する様子を見ればすぐに見つかるだろう。

だから、そのような敵対視はあなたに向けられたものではない。

自分の中の恐れているもの、それもそれらを明らかにしようとしないで敵対視しているやり方を、例えば目の前にいるあなたに向けてしまうのだ。

あなたがやるべきことは、そこから立ち去って、あなた自身の中に同じような恐れを作り出さないようにすることである。

私の中には、敵対視する他人も、敵対視するべき私自身もいないし、作り出しもしないと決心するだけでいい。

その準備ができてこそ、他の人の戸惑いにも対処してあげられるようになるだろう。

相手が拒否しているように見えたり、そのような言葉を発したとしても、本当はそれでも従わず、恐れなど必要ないことを信じさせてほしいと思っているのだ。

そういう相手にあなたがなってあげられるか、それともミラトリがミイラになるか、それが問題なのだ。

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ラムサ~「自分自身の救い主となれ!」~救いを求めている人は他人を救うことも難しい、そして逆もまた・・・

ラムサ~「自分自身の救い主となれ!」

必ずしもこの動画の趣旨ではないかもしれませんが、こんなことを思いました。
他者からの救いを求めている人は、他人を救う余裕も出てこない。
そして、現実には誰か助けてくれる人が現れるのを待っている人たちにあふれている。
そんな人達がやっていることは、自分だけはより良い救いを見つけたいということにもなりかねない。

また、自分を充分に救えていない人が、人を救うと称して取る行動も、自分の優越感を確認したいという「救助者」の役割演技になりやすい。そしてまた、「誰か助けて!」と叫ぶ人を目ざとく探しだすことで、自分自身と向き合うことから目をそらし続けることに繋がりやすい。

他者からの救いを求めている人は、他人を救う余裕も出てこない。
そして、逆もまた真である。
自分への救いを素直に受け入れる人こそ、他人をほんとうの意味で救いたいとも思えてくるだろう。

その意味では、自分に自身のない弱い人では、救いは得られない。
救いが欲しければ、自分をも救える人、ある意味で強い人になることが必要になる。
「弱いから、救いを求める」小さな子どもなら必要かもしれないが、いつまでもそうではいられない。
救いがほしいから、強くなることだ。
強さとは、「自分の弱さをさらけ出してでも、素直に救いを求められる自分を見せられる」ことから始まるような気がする。

それを隠した強さもどきは、「強がり」でしかない。
本心では怖くてたまらないから、弱い人を探しては救うふりをしなければならない。



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それは、誰が欲しいものですか?~原点に還って考えてみましょう - Yahoo!知恵袋

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私たちは、世界を自分の思い通りに動かせるように成ったら・・・、とあこがれたりします。

しかし、私たちは世界を自由に創り出したり、自分の思いで動かしたりといったことが、本当に出来るのだろうか?

そのように、考えたことはありますか?

たいてい、私たちが自由に動かしたいと思うのは、それをさせてくれない制約が先にあるのです。

制約があるからこそ、それから自由になれたらどんなに良いだろうとあこがれる。

しかし、じゃあ、好きに動かして下さい。すべてお任せします。あなたの責任で、世界を作って下さい。

そんなふうに言われたりしたら、じゃあそうしますと、はたして言えるでしょうか?

制約からの反動で求める自由とは、実は外側の状態への依存から逃れているわけではないのです。

・・・・・・

あなたがやりたいことや欲しいものは、必ずしも他の人も高く買ってくれるものとは限らないのです。

どんなに簡単でも、誰でも出来そうでも、今あなたのやりたいことがそれなら、思い存分やってしまいましょう。そうすれば、次に何をしたいかも生まれてくるでしょう。
もう、誰かに尋ねて回る必要もなくなるのです。

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エックハルト・トール~「ロマンティックな恋愛関係」 (YouTube)

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「ロマンティックな恋愛関係」では、いったん否定的な面に目が行くと、とたんにそれは拡大してしまう。
いままで与えられ続けると信じていたことに自身がなくなったとたんに、今まで見ようとしなかった否定的な面が気になりだし、そしてその原因は自分ではなく、相手にあるように見てしまう傾向がある。
さらには、この関係を失うのではないかという恐れは、さらにネガティブな感情を生み出してしまう。
あの頃のあの高揚感はどこに行ってしまったのだろうと言うことになる。
嫉妬や独占欲は、失うことへの恐れから生じてくる。

それではどうすれば良いかと言うことは、具体的には触れられていないが、このようなことは「ロマンティックな恋愛関係」の場合に起きることで、「真の愛」ではないというに止めている。

「それとも、もともとあれは愛だったのだろうか?」
「単なる中毒的な所有欲でしがみついていただけだったのだろうか?」





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