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その罪悪感とは。。。

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その罪悪感とは。。。

もしかすると、それを感じないで先に進むと、向き合わなければならない感情をブロックしているのかもしれません。

そう言われると、罪悪感を感じるときというのは、何かやらなくてはいけない事を抱えているものじゃないでしょうか?

しかし、それを早くやれとせき立てる自分と、今はまだ向き合いたくないと先延ばししたがっている自分がいるのかもしれません。

その葛藤は、何かから目をそらそうとしているのではないか、穏やかに自分と向き合ってみましょう。

そうすれば、むやみに実行しない自分を責め立て、罪悪感を抱く必要はないものだったと気がつくかもしれません。

進むのをためらっていることとは、今の自分なら充分に出来るようになっている可能性が高いのです。

だからこそ気になりだしているのですから。

しかし、今の自分なら出来るはずなのに、何かの理由でやるのをためらっている。

「なぜすぐにやらないのか」と責める自分が、やらない自分に対して、罪悪感を感じさせます。

その躊躇させている存在は、すぐに取り除けばいいのか、それとも大切に扱わないといけないものなのか。

そんなことは、一概に言えるものではありません。

ですから、ルールを決めて、必ずどちらに従うかを守るというやり方は、いつでも功を奏するとは限らない。

しかもルールにしてしまうと、今度はルールを守らないことに罪悪感を抱きかねません。

躊躇するなにかがそこにあるのなら、
存在することは、理屈や説明などよりもずっと重要だと思って、
大事に扱いましょう。


単に怖がっているだけなのか、あるいは自分の中で何かが熟するのを待っているのかもしれません。


説明できないのなら、それがわかるまで見守ってみようという姿勢で、
おとなしく待ってみるのもいいのかもしれません。

あなたが無理やり理由を説明づけてしまおうとしなければ、
それはやがて正体を見せてくれるでしょう。

もしかすると、もともとそれに罪悪感を感じる必要など無かったとわかるかもしれないのです。

ただ、おとなしく、辛抱強く待ってあげるだけでよかった。

どちらにしても、無理に断定し、押しつけてしまえば、感情をこじらせるだけです。
その存在をシンプルに発見できる機会を逃してしまいます。

私たちは、なにかと結論を出したがり、効率や利益だけで判断を急ぎがちです。

役に立つかどうかで、感情に価値付けをしたり、評価したりしないことです。
そんなやり方では、感情は姿を見せてくれない。

それがあなたにどんな意味を持つのか、
今のあなたにはまだ見る用意が出来ていないのかもしれない。
そっとしておきましょう。

そう思えるようになれば、あなたは「やるべきことを、やらないで済ましている」という罪悪感から解放されるでしょう。

これは積み重なって来ると、とんでもない負担になりかねません。

やらないのではない、機が熟するのを待ってみるのです。

強引に進めるにせよ、見守るにせよ、
どちらにせよ、それは結局、腑に落ちるまで解決はしないのですから。



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いのちがあなたを生きているんだよ

いのちがあなたを生きている

ムージ、真理の指輪 - YouTube


『真理の指輪』の話に入る前に登場するこのフレーズ。

『いのちが、あなたを生きているんだよ』

これを「私」が「いのち」を生きていると思っている間は、

「私」はやすらげない。

「私」が「いのち」をコントロールしなければ、

なんにもしなければ、とんでもないことになると怖れている。

恐れに突き動かされて、ひたすら走り回るけれど、

そもそも、「私」には「いのち」をコントロールする方法などわかっていないのだ。

いつか「どうすればいいか」がわかると思い続けて、

もうどうしていいかわからない、というところまで追い込まれたとき、

絶望するか、服従するか、を迫られたとき、

あなたはどちらを選ぶだろう。

そこまで追い込まれないと、走り回るのをやめられないだろうか。

走らされているトリックを見破る人は少ない。

それをやめたら大変だという鞭と、いいことが待っているという人参が、

馬を走らせるのだ。これがその仕掛けだ。

走るのをやめたとき、そこにもともとあった景色が初めて見えてくる。

こんなに豊かなものに囲まれていたのを、やっと発見できる。

もともと馬は競走馬に生まれてくるわけではない。

ただ走りたいとき走るだけ。

競走馬を引退するなんて、

私はまだリタイヤなんてしないぞ!

こんな言葉で、簡単に騙されてしまうわけだが、

もともと私たちは競走馬なんかじゃないとわかれば、

引退ではなく、本来の『いのち』に戻るだけだとわかる。

競走馬で走っていても、『いのち』に生かされているのを見守っていても、

ものごとは、そんなことに関わりなく、起きては過ぎ去っていく。

勝手に名前を付けて納得しているだけのトリックなのだと、

気づいても気づかなくても、

ものごとは、そんなことに関わりなく、起きては過ぎ去っていく。

後から過ぎ去ったことを振り返って、今の自分を正当化するのに躍起になるか、

それとも、いまここで起きていることを楽しむか。

『真理の指輪』を開いてみるのは今しかない。


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損な時間って何だろう?

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誰かが浮かぬ顔をしていたり、腹を立てているので話を聞いてみる。

そのうち、なんと8,9割は借りを返さない誰かへの恨みではないでしょうか?

あなたがせっせと面倒見てあげたのに、この人のためだと自分を犠牲にしてまで、手助けしてあげたのに、相手は何事もなかったように恩恵を楽しんでいます。

あなたは、さっさと借りを返せなんて、野暮なことは言いたくない。
しかし、「だからこれで終わりなの?」と思うと腹が立ってきます。

そう思いながら過ごす時間は、実に非建設的で、破壊的ですらあります。
しかし、あなたはそのような損な時間の使い方を、あえて選んでいるのです。

その時間をもっと楽しいこと、新しい建設的なことに使えば、ずっといいだろうとはわかっています。

でも、でも、そうせずにいられない。
その方が何か得があるかのように。
しかしあなたは損な時間を使っているのです。

『せっかくのウキウキをだいなしにしないための簡単なルール』

さっきまでウキウキしていたのに、何かの拍子で思い出した1つのことがだいなしにしてしまうことってありますよね。

まるで、やっと真っ白に塗り替えたキャンバスに、ぽとりと黒インクがたれたような気分。

こうした些細な悩みの多くは、ちょっとした投資で防ぐ方法があります。

知りたいですよね。

そのルールとは、

◇もし相手が私に借りがあるのに、忘れて返していない時は、私の方も忘れることにする。
◇もし私が相手に借りがあるときは、忘れずに完済すること。

たったこれだけです。

なんという不平等条約だ!
そう思うでしょう。

しかし、この不公平さがこの世の面白さだとでも信じられたらなら、私も相手も
いつもウキウキ楽しんでいられるでしょう。

私への借りを忘れている相手が、楽しそうにやってきたとします。

なんと言って思い出させてやろうかと、嫌な計画を考えたいですか?
相手の楽しさをぶち壊しにして、気づかせようとふくれっ面をしてみせるのは、本当にやりたいことでしょうか?

このちょっとした投資で、トータルでは充分に得をできる。
そんな気がしてきませんか?


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批判したくなる相手にあなたを発見する(改)

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あまり気が進まないワークです。
時には不愉快になるかもしれません。。

しかし成果は画期的なものになる可能性があります。
自分の不機嫌さの原因を笑えるようになったとき、世界は違って見えてきます。


メンタル2


あなたは、他人の行動にいらだったり、批判したくなることがあるでしょう。

そんな相手を見た途端に、あなたは何か批判の言葉を言いたくなるのです。

なぜそれが、あなたをいらだたせるのでしょうか。


それは、誰が見ても批判したくなる行動ですか。

それとも、あなただけが、そう感じるのでしょうか。


そんな他人の中に見る、あなたの嫌いな部分は、実はあなたがもともと持っていたものかも知れません。

あなたの一部分だった、そのような行動を、何らかの理由で封印したり、捨て去ってしまったのかも知れないのです。

それでなければ、他人の中に見たその行動に、いらだちを感じる必要は無いのですから。


ですから、それはあなたの失ってしまった一部分かも知れません。


なぜそれを嫌うのでしょう。

なぜそれを見ていらだちを感じるのでしょう。

それを探ってみるのは、有意義なことかも知れません。


いやな行動を、あえて感じたくないと思うかも知れませんが、それによってあなたを取り戻す助けになるかも知れません。


ですから、まずはあなた自身が、その行動を自分自身で演じてみるのです。

その行動をあなたが演じてみて、

どのような感じを持つでしょう?


何かを思い出しますか?

誰かがそこにいますか?

なぜ嫌っているのか、何かに気づきますか?



そのことで、誰かを傷つけたりしたのでしょうか?

それとも、あなたがその行動を取ったことで、まわりの誰かが機嫌を悪くしたのでしょうか?


けんかする子ども2


なにも正確な起源を思い出す必要はありません。

あなたがそれで、どのように感じるかを、体感してみることが大事なのです。


それは、いま目の前にいる、嫌いに思った相手とは直接は関係ありません。

また、その人との関係を、どうこうしようと考えるのでもありません。

そのように考えてしまうと、自分の期待で、本当の感じ方を見失ってしまうかも知れません。


ただ、その仕草を、行為を、自分で演じてみることです。

どのような感じを持つでしょう?

何かを思い出しますか?

誰かがそこにいますか?

なぜ嫌っているのか、何かに気づきますか?


そして、それはかつて、自分の持っていた、自分自身の一部だったのでしょうか。


誰かを傷つけましたか?

それは、まわりのあなたにとって大事だった人でしょうか。

あるいは、傷ついたのは、あなた自身だったのでしょうか。



演じてみた結果、いまでも、その行為が嫌いでしょうか。

何かいやな感情を引き起こすでしょうか。


それとも、かつての自分自身だったことを、思い出したでしょうか。


かならずしも、発見があるとは限りません。

大した理由ではなかったかも知れません。


でも、いつまでもあなたが気にかかることであれば、あなたを取り戻す助けになるかも知れません。


あなたが本当に思い出すまで、それは繰り返してあなたの前に現れるでしょう。



無理をしなくても良いですから、何かを感じ取れるまで、試して見るのが良いかもしれません。

その行為そのもの、その言葉そのもの、その仕草そのものに、あなた自身がなってみるのです。

無理に結果を出そうと考えを使っては、それを取り逃します。

あくまで、体感してみることです。


わかりにくいと感じたら、それを誇張して演じてみるのも良い方法です。

おおげさに、その言葉、その仕草、その考えを演じてみましょう。


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もともとあなただったもの、

何かの理由で自分ではないと決めてしまったこと、



意地を張っているほど、不愉快に感じるでしょう。

素直になれないときには、聞くんじゃなかったと思うかも知れません。



もしかすると、それは今一番嫌っているものかもしれません。

それはでも、今でも気になっていること

いつもあなたのエネルギーを要求しているものです。


自分のものと認めてしまえば、

肩の荷が下りて、きっと世界は一変するでしょう!




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やらずにいるのは怖い~入れ替え戦をやってみよう

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私たちが何かをするとき、「やりたくて」やるときと、「やらずにいるのは怖いから」やるという場合がありますね。

「やらずにいるのは怖いから」やっていることとは、たいてい出来ればやりたくないことです。

気乗りはしないし、やらないで済んだら清々するのにと思いながらも、でもやらずに済ませるわけにはいかないと思うのです。

自分がそれをやらずに済ませようとしていると、不安になり、こんな事をしていればいつか悪いことが起こるぞと思います。

もっと洗練された言い方をする人なら、「世の中にはやらないといけないことがあるものだ」といい訳するでしょう。

もちろん、やらないでいて、それに問題を感じるのは、それなりの理由が存在するのですから、すべてが意味がないことだとは言えません。

しかし、その多くは、「今まで自分はそうやってうまくやってこられた。これをやめてしまったら、何が起きるかわからない。」という不安から変化を嫌っています。

たとえ、それを続けることに疑問を感じたり、やめてしまいたい気持ちがあっても、なかなかそれをやめる勇気は持てないのでいるのです。

さて、今あなたは、それらの惰性でやり続けていることに向き合って、必要がないことならやめてみようと考えるとします。

そのためには、あなたが代わりにやってみたいと思っていることを、はっきりと意識してそれを推し進めることと、やめたいと思っている習慣を手放していくことの二本立てで考えるのがいいでしょう。

やりたいことを始めてしまえば、それは次々と関係する自分を呼び起こしてくれます。それらは今まで休憩中(笑)だったことが多いでしょう。

それによって、今までこれだけをやり遂げないと、好きなことは出来ないと思っていた意識にも変化が生じてきます。

なんとか時間をとられるのをやめる方法はないかを考えるようになり、その習慣自体の意味を考え直す気にもなってくるのです。

習慣になっていたことをやめようとすれば、様々な抵抗が生じてくるでしょう。

「いい加減なことをして後悔するのは自分だからね」
「本当にそれで大丈夫なの?」
「何事も慎重に準備してからやりなさい」
「あわてる乞食はもらいが少ない」
「どんなときも気を許しちゃダメだよ」
「調子に乗ってるんじゃないよ」

といった声が聞こえてきます。

しかしあなたが今やろうとしているのは、意味のない暴走ではありません。
あなたがもっと自分を生きていると感じさせることに時間を使おうという、積極的な挑戦なのです。

新しい事に挑戦する方は、うまく乗ってくれば、だんだんと勢いがついてきます。

ですが、それと比べて、もう一方の今までの習慣を変えたり、やっていたことをやめることの方は、なかなか簡単とは言えません。

いつまでも「本当にやめて大丈夫なの?」という不安がつきまとうでしょう。

「これをやめようなんて、他の人は誰も考えていないぞ。」
「私は、自分だけ、なにかとんでもない事をやっているのじゃないだろうか?」
「今のうちにやめた方がいい。そうすれば今まで通りの安全な道に戻れるんだから。」

しかし、習慣を変えようとしている人が感じることは、不安や反動があるために、どうしても偏った判断になりがちです。

あなたが思っているほど、あなたのやろうとしていることは荒唐無稽なことではないのです。
たいていは、他の人達があなたの知らないところで、当然のことのようにやってきている事なのです。

あなたが今まで生きてきた世界では、それがとんでもないことに思えていただけです。
あなたがその冒険をしなければ、一歩を踏み出さなければ、あなたは自分を生きてこなかった期間を後で悔やむことになります。

心配しなくても、自分が思いつくことには、それなりの裏付けがあるのです。
だからこそ、あなたはそれをやってみようという気持ちを、何度も繰り返して思い続けているのですから。

やめてしまいたいけれど怖くてやめられない、それが新しい自分を夢で終わらし続けてしまう。
「いつかは、その日が来る」という言葉に、どれだけリアルさを感じているでしょうか。
「絵に描いた餅」でしかないと感じているのなら、入れ替え戦をやらなければなりません。

あなたに与えられた時間には限りがあります。
「ほしいけれど、やめるのもいや!」というわけにはいかないのです。

入れ替え戦を楽しんでみましょう。

徐々に、片方から片方に変わっていく自分を感じていれば、
気がつけば入れ替わった自分が、ごく自然な自分になっているのです。


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引きずること

疲れた2


手に入れるまでは、
これがあったら素晴らしい世界が待っていると考える。

その気になれば、たいていのものは手に入る。
ほとんどが、たやすく手に入れられる。

しかし、手に入れてから気がつく。
それを維持することは大変だと。

たとえば、新しいパソコンを手に入れると、
それに付随していろんなものが必要なことに気がつく。

それだけでなく、自分を楽にしてくれるよりも、
いろんなことを勉強しなければならないことが判明する。

それでも楽しさが上回ればいいのだけれど、
とかく何かを手に入れることは、
メリットと共に負担も背負うことになることを
後になって思い知らされるのだ。

こんなことなら、持たなければよかったと、
ちらっと意識がよぎるのだけれど、
たいていは維持することを選択してしまう。

せっかく手に入れたのに、
手放してたまるかと思ってしまうのだ。

維持するうっとうしさを否認しながら、
いかにそれを持ったことが楽しいかを信じたくなる。

実は負担の方が大きいのに認められないとき、
何かを引きずっていると感じ始める。

引きずるようなものは、「いらない」と宣言できたときに開放が待っている。

「手に入れることは負担も背負うこと」
これは今の社会ではタブーになっていて、あらかじめ知らせてはくれない。

引きずっているものを手放すことは、
新しいメリットを増やすよりも
あなたを幸せにしてくれる場合の方が多いのだ。

必要なことは、解決する道具を手に入れることではなく、
ただ抱えているものを手放すことだけでOK。
という場合も多いのだけれど、
その選択に気がつく人は少ない。

「ないよりはある方がいい」という信念は、なかなか根深いのかもしれない。

あたらしい出会いには喜び、別れはマイナスばかりもたらすと信じている。


持っているメリットを上回るほどうんざりし始めたなら、
それは絶好のチャンスだから逃してはならない。
そうしないと奴隷のような生活がまた続くことになるのだ。


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意見のくい違いについて2

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前回の『意見のくい違いについて』では、このような点を取り上げました。

◆意見が食い違うとき、どちらも自分の方が間違っているとは思いたくないし、それに納得する理由がなければ、引っ込めるわけにはいかないのは当然のこと。

果たして1つの正解を出さないといけないものなのかどうかを考えてみる。

その結果、お互いがムキになって自分を主張しなければ、「考え方が違うのだから仕方がない」ということで、すんなりと矛先を納めることができることも考えられます。

このとき、どうしてもそれが難しいと感じるなら、問題は意見の違いではなく、あなた自身にあることも考えられます。その点は後半の主題でお話ししましょう。

◆私たちは、主な点で意見が一致した人たちに対しては、実際以上に自分とその人は同じ考えだと思いたがる傾向があります。
ここまで同じ考えの人なんだから、この点についても私と同じに違いないと思い込んでしまうのです。

最初から意見が水と油であるとわかっていれば、いつまでもこだわらないのですが、上記のような、考えの近い人どうしの方が、かえって話がややこしくなることが多いのです。

親しい関係であればあるほど、悪くするとその意見の不一致をやっかいな事態に発展させてしまう可能性もあります。
つまり、「裏切られた」と思ってしまう人も出てくると言うことです。

ですから。相手が親しい人であるほど、「この人なら私の意見に何でも賛成してくれるに違いない」といった幻想を作らないことです。

◆他人からのノーに対する自分の感じ方は、自分自身への信頼のバロメータである。
意見の違いを直ちに相手からの脅威と感じてしまうようなら、自分の側の問題、自分自身への信頼に不安があることと関係しているのです。

さてそこで、今回は最後の部分、相手からのノーがどうしてそんなに痛手になるのか、その原因や対策を考えてみたいと思います。

冷静に考えるなら、公平な立場でとらえるなら、相手が自分の意見に賛成するか、しないかは、五分五分だと言えるでしょう。

どんなによく知っているつもりの人でも、相手は自分とは違う経験でできあがった、別の人格であることを忘れてはなりません。

ですから、半分はノーを言われても当然と思うくらいでなければなりません。

しかし、親しい人であるほど、自分の考えを否定したり、自分と違う好みを持つことを嫌ってしまう。
「あなたは、ノーとは言わないと約束して!」と期待し、期待が希望的観測になってしまうのです。

それは、ひとことで言えば、相手への依存が存在すると言うことです。

あなたは、相手の人格の一部を自分と混同してしまう。
自分がこう考えているのだから、相手もそう考えていると決めつけています。

そして、もしそれと違う答えが返ってきたりすると、「いったい何が起きたんだ!」と驚き、そのときはじめて相手は自分ではないことを思い知らされるのです。

それでも、あなたは諦めきれず、相手が何とか自分の一部のままでいて欲しいと願う。
それが通じないとなると、今度はあなたは相手の裏切りを非難するようになってしまうのです。

「だって、私があなたの言うとおりにしているのだから、あなたも私の期待に応えなければならないでしょ。それが約束じゃない」と。

しかしそんな暗黙の了解があると信じていたのは、あなたの側だけだったのです。

自分にこのような依存が残っていると思うなら、問題は意見の違いなどではなく、あなた自身の依存にあること、それと正直に向き合うことを考えなければなりません。

勝手に約束が出来上がっているという幻想を捨てなければならない。

相手の一部を自分自身だと思い込んでいることに気づいて、「あなたはあなた、私は私」であることを認めなければなりません。

ある意味では、依存関係は信頼関係のように見えます。
しかし、依存と違って、信頼の方は、自分勝手な期待を土台にしてはいない。

お互いを信頼している関係なら、相手の意見が違っても、その関係は揺らがない。
相手が自分の期待通りに反応してくれることは、ラッキーなおまけのようなものだと思っているでしょう。

依存関係では、期待ばかりし、叶わないと裏切りだと責める。
信頼関係では、まずは自分を頼りにして、相手の賛成や手助けは幸運だと感じる。

幸運は求めるものではない。
相手には相手の好きなままに振るまわせてあげましょう。
あなたは自分を信頼して、やれることをやるだけだ。

結果は誰にもわからない。
何が起こるか楽しみにしていましょう。
いい結果でも、悪い結果でも、あなた自身への信頼には影響を与えない。
あなたは、自分はやることをやっていることを知っている。
それで充分じゃないですか。

結果指向になってはならない。
そんな指向にはまってしまえば、結果次第で、あなたの価値が上がったり下がったりし、相手を救いの神にしたり、裏切りものにしたりと忙しい。
あなたや相手への信頼関係はずたずたになってしまう。

意見の食い違いなど、当たり前のこと。
そもそもあなた自身が意見をころころ変えてしまうことを、しっかり見ていればわかることじゃないですか。
それは、あくまで五分五分だ。
賛成や援助は、期待していない幸運だと思えばいい。

どこまで期待するか、そのバランスを、その一線をどこに引くか、
それが人間関係を、信頼関係にするか修羅場に変えるかを決めてしまう。

満足を知るものはいつも豊かでいられる。
どこでやめるかを知るものは、危険に陥らない。

『知足、知止』老子


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心は常に借り物、事実は常に独創的

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心が考えることは、常に借り物で出来上がっている。
いくら考えても、記憶の中を堂々巡りするだけだ。

しかし、あなたは考えずにいられない。
明日までに答えを出さなければ・・・
あなたは、諦められない。やめるわけにいかない。

とうとう、あなたは疲れ切って、考えるのをあきらめる。
もうこれ以上考えても、解決は出てこない。
これは、「解なし」が答えだ。
諦めるしかない。なるようになるしかない。

しかし、事実は常に独創的だ。
何でもありでいられるとき、はじめて事実に近づける。
それは、今まで考えていた自分からすれば、とんでもないことだった。
とんでもないから、考えもしなかった。

☆~⌒☆

あなたは、人とどう接すればいいかと、いろいろ考える。
しかし、考えていては、結局その人と出会わないままになるだろう。
その人とは会わずに、考えている自分自身と出会って帰ってくるだけだ。

情景を想像してみよう。

あなたは、ある人が目の前にいて、何かを口にする。

「あんたは、すばらしい人だ!」
何がすばらしいかなどと考えてはいけない。
そして、その後の自分の状態を覚えておく。
それに続いて、何を言いたくなるかを想像してみよう。

今度は別の言葉だ。

「おまえの顔なんか見たくない!出て行け!!!」

何で自分が怒っているのかなど考えてはいけない。
そして、その後の自分の状態を覚えておく。
それに続いて、何を言いたくなるかを想像してみよう。

この違いから、あなたが人とどう接したいか、
言葉で説明できない答えがそこに現れる。

あなたは恐怖と戦ってはならない。
勝ち目はない。
しかし、それを戦略として考えてはならない。

情景を想像してみよう。

あなたの目の前には箱がある。
あなたはその箱について、アドバイスを受けている。

「その箱には、あなたの怖いものが入っています。」
「そして、決して開けてはなりません。」
「開けたりしたら、恐怖が飛び出してきますよ!」

あなたは、決して開けてはならないと思うほど、恐怖が増大してくる。
そう思いながら、じっと箱を眺めるしかない。
箱の中で何かが大きくなっている様な気がしてくる。
その後の自分の状態を覚えておく。
それに続いて、何を言いたくなるかを想像してみよう。

今度は別のアドバイスだ。

「その箱は空っぽだよ。怖いものなんか何も入ってなんかいないよ。」
「騙されているだけ。自分でそう思い込んでいるだけだ。」
「嘘だと思うんなら、箱を開けてみな。」
「躊躇しないで、パッと開けてみるんだ。」

あなたはその箱を思い切って開けてみる。
ほんとだ。何も入っていなかった。
箱を逆さにして、とんとん叩いてみる。
やっぱりからっぽだ。
その後の自分の状態を覚えておく。
それに続いて、何を言いたくなるかを想像してみよう。

この違いから、あなたが恐怖とどう付き合うか、
言葉で説明できない答えがそこに現れる。

独創的な答えは、常にその時だけのイメージだ。
それを言葉にして、メモしておこうなどと考えてはいけない。
捕まえておこうと思ったら、二度と使えない陳腐なものになってしまうから。

何度も使ううちに、独創性はどんどん消えていく。
代わりに、その思考は心に蓄積されるだけだ。
「あのときは、うまくいったのに、感動したのに!何でダメになったの?」

使い回しのダメでもいいことと、
その時だけの独創的なことを使い分けるのだ。

独創性が消えてしまわないうちに、それは終わりにしてしまおう。
そうすれば、また、一回きりのすばらしい経験が待っている。
使い回しの、うんざりする生活の中に、独創性を盛り込もう。

いつもいつもつまらないというのは、あなたが作り出した表現だ。
いつもいつも、いつもの古ぼけたやり方を使い続けようと言っているようなもの。
それが、独創的なイベントを起こらなくしてしまう。
しかし、いつもいつも同じものなど、一つとしてないのだ。
あなたが心で使いまわさない限り。


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<タイトル>

人間関係の悩みや、このままの私でいいのだろうか?自信が持てない。ちょっと一押しが欲しいなと思ったら

<サービス内容>

私は何年もブログなどで読者とやりとりをする中、問題のほとんどが、人間関係や、自己への信頼感に根ざすものであることを見てきました。
しかしブログなどでは、どうしても一般的な文章、一方的な訴えになってしまいます。
読者さんにとっては、文章に共感する部分もあれば、何を言っているのか理解できない部分が出てくるはずです。
その点では、このようなサービスで個人レベルでやりとりできれば、そのギャップは解消し理解がずっと深まるものと思います。

いまの生き方でいいのだろうか、人間関係のいざこざがいつも私を悩ませている、など私だけの悩みだと抱え込んでいないで、第三者の目を通して視野を広げてみましょう。
実は「これこそが私」と思っている自分こそが、その悩みの根源なのです。
1つの課題を絞り込んで、問題点を明らかにし、視点を変えるアドバイスをします。

<購入にあたってのお願い>

まずはブログ「生きるヒント~人生を変えるコラム集ストレージ」などで、ご自分にぴんと来る文章があるかどうかご確認の上ご判断ください。

生きるヒント~人生を変えるコラム集ストレージ
タオに生きる(このブログ)


サービスの手順としては、

1.最初にあなたの感じている問題について、いくつかご質問させていただきます。

2.その回答から判断して、何が問題かを洗い出し絞り込み、これが問題のポイントではないかという確認のメッセージをさしあげます。

3.私からの指摘で、特にご自分に当てはまると感じた点をメインになるテーマとして取り上げて、いろいろな視点を広げるアドバイスを差し上げます。

4.3についてご理解がいただけるまでやりとりをおこないますが、その段階で取得出来た理解と今後の課題を明確にして終了です。

<一言PR>

「私だけの悩み」と抱え込まずに、第三者に話してみるだけでも、想像以上の展開があるものです。あなたに必要なのは「思い込み」を手放すだけでいいのかもしれません。
悩むことが何にもなくなっちゃった、どうしてくれるの?(笑)と思えるように。

サービスページ:人間関係の悩みや、このままの私でいいのだろうか?自信が持てない。ちょっと一押しが欲しいなと思ったら

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いい加減さを備えておこう

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小学校も低学年の子どもを相手にしていると、ときどき他人の存在などないかのように、自分の世界に入り込んでしまうように見えることがある。

そこに相手などいないかのように、視線は別の何かを見ているようだ。

自分の世界に入り込んでいるのか、それとも大人の世界にどのように対処していいのかわからなくなり、固まってしまったのかもしれない。

やがて、4年生、5年生と年齢を重ねれば、急速にルールを覚えていく。
そのうち、ルールはだいたいわかった。大人にはこう対処すればいいのだと作戦を練ることが出来るようになってくる。

もう大人と対等に話せるよ。
最初は、素直すぎるくらい従順だ。
しかし、そのうち、ルールに縛られているのが窮屈になってくる。

だけども、もうルールを知らない小さな子どもには戻れない。
ルールは知ってしまったのだ。

そこで、反発する作戦にでる。
つまり、ルールの逆をやって、「ボクはルールを守らないことだって出来るんだ!」と主張するわけだ。

反発すると言うことは、元になるものがあって出来ること。
ルールをたたき込まれた上は、それに反発することで自分を取り戻そうとする。

ひとしきり反発ばかりやってくると、だんだん反発ばかりでは疲れる事に気がつき、少しずつ妥協を覚えていく。
それとともに、自分の役割が形作られていく。

役割というものは、疲れるし、自由はないし、つまらないし、いいことなどなさそうだけれど、1つの救いは、役割を演じていれば、いちいち自分で考えなくても何とかなると言うことだ。

そこで、ある人は自分の役割を極めようと考えるかもしれない。
別の人は、相変わらず、役割の隙間で抵抗を続けようとするかもしれない。

大人を続けるにつれ、役割は第二の自分になっていく。
そのうち、役割ではなく、これが本来の自分自身だと勘違いするかもしれない。

しかし、役割は役割だと割り切っていられる部分、ゲームに参加しているんだという意識を失ってしまっては、役割が自分になってしまう。

それだけは何とか踏みとどまりたい。

そうしないと、ある人は、もう自分には先が見えてしまったと思ってしまう。
このまま同じ事を繰り返して、ただ齢を重ねていくのだと。
いつのまにか夢を失うと表現される状態になってしまうのだ。

あるいは別の人は、いぜん役割を極め、目標一直線に生きようとする。
しかし、それも役割のポジティブな面だけを見ているに過ぎない。


役割から解放された自分を確保するのだ。
それには、決まりから外れた状態、いい加減さを許せる自分を確保しておく必要がある。

ルールはもう作られてしまっている。
あなたが生まれる前から、あなたの自由にはならないルールが出来上がっているのだ。
それは、もしかしたらあなたに変えられるかもしれないけれど、さしあたっては、すでにあるものに付き合っていかなければならない。

それには、ルールに同化してしまわない自分を残さなければならない。
ルールに当てはまらない人間、いい加減な自分を許せる余地を作っておくことだ。

あえてこれを取り上げるのには訳がある。
それは、ルールに完璧に従うという選択しもあるからだ。

役割を極める。
社会的には評価されるし、抵抗も少ない。

そして、あなたは目的の地を夢見て、あそこにたどり着けば、すばらしい世界が待っていると言い聞かせる。
自分を殺してでも、役割にのめり込もう。
役割と同化してしまうのだと。

しかしもともと自分のものでなかったもので、自分のすべてを書き換えてしまうことなどどだい無理がある。
休火山は、そのうちマグマが活動を始めたくなってしまう。

そして、「目的の地にたどり着けば」という脚本も、だんだん怪しくなってくる。
なぜなら、なんども目標を達成したのに、結局何も変わらない事に気がつき始めるからだ。

「~までは」「~しさえすれば」という脚本は、実はその先に何もないのだと思い知らされる。

それはしかし、当然の成り行きなのだ。
外側の目標をいくらっ達成しようと、あなた自身が変わるわけではない。
その時が来たとしても、相変わらずの自分はそのままそこにいるのだ。
その瞬間に、あなたが突然変わる事はない。
そんな必然性など、もともとないからだ。

あなたは、ルールを守っただけ損をしたと思うだろう。
こんなことなら、好き勝手をやっておけばよかったと。

しかし、それでも役割を捨てたくないのは、理由があるからだ。

役割がなくなったら、自分が誰だかわからなくなる。
ルールに生きてきたのに、いきなり自由にしていいよと言われても、どうしていいものかわからない。

それどころか、ルールのない世界は、未知の世界だ。
何をするのか、全部自分で考えなければならない。
自分で考えなくても済むから、嫌な役割を我慢してきたのだ。
それなのに、このうえ役割を外されるなんて、考えるのも恐ろしい。

かつての、小さかった頃の、あの混沌の時間が蘇ってくる。
ルールになれて卒業したはずの、先の見えない世界が恐ろしい。

そのうえ、もう大人になったあなたは、ルールを忘れることは出来ない。
ルールを知らなかったあの頃には戻れない。

もう一度、役割に逃げ込むか、未知の荒野に踏み出すかを決めなければならない。

目的を目指すことに全てを賭ける生き方は、大変だけれど、安全なように見える。
少なくとも、ルールがはっきりしているからだ。
それも、目的に向けて、自分がいつまでも向上できる間は、それが一番いいことに思える。

しかし、いつまでも上向きではいられない。
いつまでも役割を完璧にこなせる人ではいられない。
やりたくても出来ないときが、確実にやってくる。

役割との同化から抜け出すには、ルールのない世界に入り込む準備が必要だ。
いきなり、役割を外されたら、あなたはどうしていいかわからなくなる。
絶望してしまうかもしれない。

だから、そんなにならないためには、ルールから外れた自分を確保しておかなければならないのだ。

成長の過程は、どうしても通る必要がある。
いきなり先に進んだり、逆戻りすることは自由には出来ない。

しかし、どうしようもない世界だと見るのか、自分で切り開く余地があるのだと見るかで、全く違って見えてくるだろう。

自分が入り込んだ世界は、自分で決めたわけでもないルールがすでに出来上がっていた。
そのことは、どうしようもない。
だったら、どう付き合っていくかだけだ。

最初は無理やり従わされて、やっと慣れたと思ったら、どうやら何もその先には保証がない世界だった。

さんざん振り回されて、ずいぶん理不尽で、やたら複雑に見えるかもしれないが、もともとそういうものだから仕方がない。

そして、複雑に見えても、このように考えればポイントはシンプルだ。
どういう形で、その世界と付き合っていくかだけである。

しかも、それを決める自由は自分に残されている。
同化しない分あなたは自由を取り戻せる。
あなたの無理のない範囲で、切り替えていけばいい。
そのためには、今からルールから外れた世界に親しんでおかないといけない。

それがないと、あなたは不安で役割に戻りたくなるだろう。
役割にのめり込むほど、危険度は増す。
ルールに固まった頭からは、そこから外れた世界は見えなくなってしまう。
見えない世界はお先真っ暗だ。

目的のない世界に慣れ親しんでおくのだ。
ひからびた井戸は、少々の呼び水では元に戻せない。

ルールを覚えた自分は、知らなかった自分には戻れない。
今度はそれを、手放していく番だ。

学を為せば日々に益し、道を為せば日々に損ず。
これを損じて又た損じ、以て無為に至る。
無為にして為さざるは無し。
老子道徳経 第四十八章

なくすことは怖くない。
なくし尽くせば、無為は最強だと老子は語る。




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痛みを感じよう~解放されるために

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人間の身体は、痛みや不快さを訴えることで、私たちが大きな傷を負うことを防いでくれます。

たとえば、身体をぶつけたり、熱いものにさわったりしたとき、痛みを感じて反射的に身体を反らさなければ、もっとひどく負傷してしまいますね。

内的な身体の不快感も、私たちに病気かもしれないと教えてくれます。

そういった生体からの危険信号がなければ、生存できる可能性は著しく損なわれます。

そのことは、精神的な面でも同じだと言えます。

身体的な症状ほどはっきりとは見えませんが、心の痛みにもっと耳を傾けずにいれば、それは徐々に私たちの心の状態を歪めていきます。

しかしそれは、身体の痛みほど顧みられなかったり、あるいはそれが正常だと思い込んでいるために、もっとそれを推し進めようとしてしまうことも多いのです。

身体の痛みでさえ、大したことないと言って無視する人もいるくらいですから、心の微妙な変化に至っては、それが明らかに苦痛になったり、負担になってこなければ、放って置かれることがほとんどです。

ですが、たとえ重い症状にまでならなくても、その訴えに耳を傾けるだけで、私たちは問題のない状態というものを、ようやく取り戻すことが出来ます。

あまりにも苦痛になれてしまっているので、それがあることすら忘れています。
それがあることは健全な精神にとって必要なものと勘違いしている人も多いのです。

自分自身が積み上げてきた拘束から、本当に自由になれたら、どれだけ気分がいいものか、どれだけつまらない諍いを作らなくて済むか、どれだけ不安から解放されるか。
それはどんな気晴らしよりも、あなたに利益をもたらします。

そのためには、画一的な方法でアプローチするよりも、もっと身近な自分の心の訴えに注意を向けるだけでいいのです。

これくらい平気だと思わずに、心の痛みに向き合ってみましょう。

なにが、あなたにとって重要であるかは、あなた自身にしかわかりません。

他の人にとっては、つまらないことが、あなたにとってはとっても不安であったり、恐れの原因であることは、当たり前のように存在します。

社会や文化が教える方向性から外れたものほど、それらが無視されたり、どうでもいいことのように扱われてしまうのです。

社会の常識や、まわりの人達が何というかを気にせずに、素直に正直に、あなたにしかわからない痛みに向き合ってみましょう。

それは、あなたにとっては、誰がなんと言おうと、一番大事な課題なのです。

我慢強い人ほど、また自分の感情を軽々しく見せないように育ってきた人ほど、それに気がついたり向き合うことが最初は難しいものです。

ですが、その我慢強さこそが、その人の痛みの扱い方そのものを表しているのです。

1つ我慢を外すと、連鎖反応でガラカラと崩れて、自分の弱さが明らかになるかもしれません。
それは、我慢強い人というイメージを作ってきた人にとっては、とても恐ろしいことと映っているでしょう。

ですが、それは恐ろしいことではなく、本来の自分への解放です。
繕うことに費やしてきた、膨大なエネルギーを、もっと自由に生きることに使える可能性を示しているのです。

しかし、あなたが変われば、今までの仲間は、いい顔をしないかもしれません。
中には、前のあなたの方がよかったと言ってきたり、あなたから去っていく人もいるでしょう。
ですが、それは自然な変化です。

一時的に仲間はずれになることを怖れずに、あなたの本当に必要な自分を大事に扱い続ければ、まもなくあなたのまわりには、あなたにふさわしい人が近寄ってきます。

今までの仲間は、以前のあなたの強迫的な抑制と釣り合っていた人達であって、あなたの解放という意味では、あなたの変化を阻止しようとする人達だったのです。

その代わりに、あなたがあなた自身を犠牲にしなくても付き合っていける人達が、現れてくるのです。
あなたのまわりに集まってくるのです。
自然に、努力せずに、無理せずにです。

仲間はずれになることは、ほとんどの人にとって非常に恐ろしいことです。
それを怖れるあまり、嫌なことを我慢していることが、いたる所で蔓延しています。
それを守ることが、人間関係のルールであるかのように勘違いしています。

あなたの痛みは、あなたにしかわかりません。
勇気を出して、それと対面してみることです。
それが、もう我慢できないものになる前にです。

怖さは一時的なものです。
しばらくは、誰にも頼らずに、意見を聞いたりせずに、それと向き合ってみましょう。
あなたを本当に支えてくれるものは、外側のどこかではなく、ずっとそこで呼ばれるのを待っていたのです。

特別なものを獲得することで、あなたが立派になったり、何者かになれるというのは幻想に過ぎません。

そうではなく、余計なものを解放してしまうことこそが、待ち望んだあなたを、表舞台に出してあげられる唯一の方法なのです。

それこそが、常駐化していた、慢性化していた心の痛みを、痛みと感じられるようにしてくれます。

それが正体を現したとき、身体の傷ほど時間はかかりません。
それとわかった瞬間に、それはその存在意義を終えて消え去るのです。


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罪悪感から完全に解放されるには

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罪悪感は、私たちが教えられてきた文化の中に溶け込んでいる。

社会の明示的なルールほどはっきりしていないけれど、いたる所でこっちにしなさい、あっちはダメだと暗黙のうちに指し示している。

だから、あなたはルールに縛られていないつもりでも、何かをするたびに、「これでよかったのだろうか?」と反省しなければならない。

そして、自分のやったことが、あるいは考えたことが、善悪のはかりで「これはまずいことをした」の方に振れてしまったと思うと、罪悪感を感じることになる。

たった今まで、あなたは自由に動ける自分を楽しんでいた。
しかし、ふと自分の行動を振り返ると、「こんな事をしていてよかったのだろうか?」という不安が頭をもたげる。
途端にあなたは、罪悪感に襲われる。
なにもかも、やるべきではなかった様な気さえし始める。

あなたは、こんな罪悪感に悩まされるのが嫌になり、それを消し去ってくれるような思考方法はないだろうかと探しだす。

思考を他にそらすやり方を試してみる。
だめだ、その時しか効果が続かない。

次は、罪悪感を帳消しにしてしまうほど強力ななにか、目標なり理想を掲げて、自分の行動のすべてをそれに向かって集中させようとする。

こちらは一時的な思考そらしよりも強力だ。
不安になったら、罪悪感を感じたら、自分には目標があるからそんなものは無視していいのだと言い聞かせる。

そうやって罪悪感を感じる自分と、理想に向かう自分の二本立てで、天使と悪魔のようにそれらを競わせて乗り切ろうとする。

しかし、この方法も強力なだけであって、依然として罪悪感を感じる自分は、何も変わっているわけではない。
どんなに理想の自分を強力にしようとも、罪悪感を感じる自分は消し去ることは出来ない。

最初に書いたように、罪悪感は、私たちが教えられてきた文化の中に溶け込んでいる。
まずは、それらを全て否定するところから始めなければ、自由に考えることは出来ない。
どんなにおなじみで、親近感のある考えであっても、公平に評価し直してみることだ。
全てを一度否定して、とらわれないで自由に考えることが出来るようにする。

自由に考えるときは、あなたは社会からも何からも、アウトサイダーになって考えならなければならない。
例外は一切なしだ。

その準備が出来たら、あなた自身にのみ頼って考え、正しいと思うこと、やってみたいと思うことを実行する。
誰の意見も聞かずに自分ひとりで考えるのだ。
権威者も、自信ありげな人も、誰の意見を当てにしてはならない。

たとえ正しくなかったとしても、それをとことんやってみること。
本当に間違っていたのなら、それなりの結果になるだろうけれど、
自分には正しいと思えたのだからそれでよかったのだ。
間違えれば、間違った結果になってしまうことを体験できた。
あなたは、一回り成長できる。

それが正しいことだったら、ともかくとことんやってみる。
正しければ望む結果が得られるかもしれないけれど、
そのことよりも、自分だけで考えて、
それをひたすらやっている自分がそこにいることに気がつくのだ。
むしろそのことの方が、大きな収穫になる。

そして、これらのどちらにせよ、罪悪感は登場してこないことに気がつくだろう。

罪悪感は、実は自分で考えると決めたとき、
誰かの考えに頼らないと決めたときに消え去ったのだ。

一見、罪悪感は自分勝手なことをすることから出てくるように勘違いする。
しかし、罪悪感を抱くのは、あなたがその人に誠実にならなければいけないと思っている誰かや権威が存在するからだ。
誰かに従い、その考えを遵守しなければならないと思っているから、それから外れたときに罪悪感が姿を現す。

誰にも頼らずに、どんな文化、慣習に逆らってでも、自分で自由に考えようと決意したとき、罪悪感を感じる対象はいなくなる。

あなたが唯一誠実にならなければいけないのは、あなた自身に対してだけである。
自分自身に誠実に生きていれば、たとえ失敗しても、必要以上に自分を責めたりはしない。いつまでも自分を責め続けるようなことはしなくなる。

自分自身にだけ頼り、外に権威を求めず、誠実であることを続ければ、外側にいると思ってきた権威とは、ずっと自分の中にいたことがわかってくる。

外にいる誰かが、自分に罪悪感を抱かせるのだとずっと思ってきたのが、自分の中に取り込んだ「権威者もどき」が「いま、おまえは罪悪感を抱くときだぞ!」と告げていたことに気がつくだろう。

そんな「権威者もどき」に支配されてはならない。
それは過去の記憶に過ぎない。
たとえば、かつて誰かに叱られたときの再現でしかないだろう。

いまや、あなたは自分自身で立派に判断出来るのだ。
そして、一見外側にあるように見える判断基準も、全てはあなたの中にある。
なぜなら、あなたの中にないものが、どうやってあなたに見えるというのだ。

「権威者もどき」ではなく、誠実な対象である自分自身にこそ権威を認めるのだ。

外側の権威、理想を掲げるとき、いつでもあなたは「権威者もどき」を作り出すことになる。
なぜなら、理想とは「~であるべき」や「~してはならない」を、外側に作り出すことに他ならないからだ。

唯一の理想は、自分自身に誠実であり、ありのままの自分が作り出す権威にのみ従おうとすることだ。
そこに、罪悪感は入り込む隙はないのだ。

そうはいっても、社会や文化の中にあなた自身も溶け込んでいる。
過去の記憶は一朝一夕で消え去ることはないかもしれないし、
たえず自分自身の中にある権威への挑戦にも出くわすだろう。

だが、どうであろうと正しさは自分以外のどこかから現れるわけではない。
それさえ間違わなければ、自分自身の権威にだけ誠実であればいいとわかる。
外側の権威への罪悪感は必要ないものだとわかるのだ。


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あなたの望みは叶いましたか?

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ある男が死んだ。
彼は、自分が天国に行くのか、地獄に行くのか知らなかった。

気がつくと、森の中のようだ。
自然は美しく、小鳥がさえずり、空気は新鮮だ。
実に快適に感じる。

ここは天国なのかな。

やがて男は、自分が空腹な事に気づいた。
そういえば、何日も食べていないような気がする。
快適なのはいいが、これでは飢え死にしてしまいそうだ。
何か食べたい。

そう思った途端、目の前に、食事が差し出された。
普通の人間ではない何者かが、それを運んできた。
そうか、これが天使というものなんだろう。
彼は夢中で食事に食らいついた。

のどが渇いたな。
やはり、思った途端に天使が現れて飲み物を差し出した。

そうなのか、ここでは、こうやって思うだけで、何でも手に入るんだ。
やっぱりここは天国だ。
そんなことを思いながら、やがて眠りに落ちる。

目が覚めると、身体に力がみなぎっているようだ。
何でも欲しいものは、思うだけで手に入るぞ。
さてここで何をしてやろうか?

しかし、何でも出来そうなこの世界で、
何をすればいいのか、何も浮かんでこない。
そういえば、生きているときも、そうだったような気がしてくる。

わかった!「私のやりたいことが欲しい」と思い浮かべればいいんだ。
そうしてみる。
すると、前とは違う姿の天使らしきものが現れた。

「それは差し上げられません。」
「あなたは、ここでは、必要なものは思い浮かべるだけで手に入ります。」
「しかし、何かをすることは許されていません。」

「あなたは、やりたいことをイメージすることは許されています。」
「しかし、それを実行することは一切禁止されているのです。」

「あなたは、欲しいものを思い、それが出てくるだけで満足しなければなりません。」

彼は不思議に思った。
「だって、ここは天国じゃないんですか?どうして、何もやってはいけないんです?」

天使は答えた。
「天国ですって!ここは、あなた、地獄ですよ。」

天使は続ける。

あなたは生前、欲しいものを思い浮かべるだけで、
それが手に入る生活にあこがれていました。

そして自分で何かをやってみようとはしなかった。
何をするにしても、誰かがこれなら安全だと教えてくれるものだけに参加した。

自分で冒険するなんて、そんなのは愚か者のすることだ。

自分は欲しいものを願うだけ。、誰かが答えを出してくれるのを待つ。
誰かが先にやって、安全だとわかったことだけやっていけばいいんだ。

それこそが最高の生き方だと信じ、自分の内面の声を聞こうとはしなかった。

そこで、神様はあなたに、このようなルールの強制プログラムを組んだのです。

ここに来る人はみんな、その人にあったプログラムをやることになっている。

あなたは、そのうち「わたしのやりたいことを教えて」とは言わなくなるでしょう。

自分をじっくりと見つめて、いままでの思い込みを捨てれば、あなたは自分から何かをやりたくなってくるでしょう。

そして、自分でやりたいことを認識できるようになったのに、それを実行することが許されないという、このルールによって、何が必要だったかをやっと理解するのです。

本当は、これは自分で気がつかなければならなかったのですよ。

ですが、あなたは死ぬまでそれを見ようとしなかった。
だから、あなたは天国ではなく、地獄に送られたのです。

そして、あなたに来生というものがあるなら、
ここで禁止されてきたことの意味に気づいて生き方を変えるかもしれません。

しかしそれまでは、あなたは、何かをすることは許されていません。


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ニール・ドナルド・ウォルシュ~「必要の幻想」と「恐れ」について

※以前にも紹介したと思いますが、また取り上げてみました。


恐れとは・・・「自分が必要だと思うものを手に入れることができないという思考」を言います。
単純明快です。

何も必要のない人は、何に対しての恐れもないのです。

あなたから何か必要なものがない私は、あなたを恐れることがないのです。



そこで・・・今あなたが何を恐れているかわかりませんが・・・
いくつか認識を新たにしてみてください。

一つに、それは真実ではないということです。
恐れはあなたがでっち上げたものです。

二つ目に、もしあなたが恐れていたことが実際に起こったとしても
あなたも私も、何一つ変わりなく明日もまた生き続けるでしょう。
たとえあなたが明日いなくなってしまったとしても何一つ変わりはないのです。

三つ目に・・・あなたが自分の恐れを冒険と捉えることができたら
その恐れを癒すエネルギーを作り出すことができます。活力あふれるエネルギーです
人生そのものからインスパイアーされていくようになるのです。
なぜなら、人生というのは人生そのものを通して人生を変容させていくプロセスだからです。


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所有するまでは楽しかったのに

夢見る女性


子どもが大人のテクニックを見てあこがれる。

「なんで、あんなにうまくできるの?」
「ボクにも出来るようになるかな」

それに一途に取り組む。
真剣な目つき、あこがれと好奇心、そういった姿に、私たちはほっとしたり、ほほえましく思ったり、勇気づけられたり、純粋さを感じる。

しかし、やがてベテランになってくると、純粋だった追求の対象を、今度は所有したくなる。

「これはもう私のもの。私だけの技術。」
「教えて欲しいって?そう簡単には教えられない。ここまで来るのは大変だったんだ。」

そんなに極端ではなくても、何かが変わってしまった。

あのひたむきな姿とは、別のものになってしまったようだ。
純粋さではなく、どこかみにくいものを感じさせる。

何が変わってしまったんだろう。

あなたは最初は対象にあこがれる。
自分もそうなりたいと思う。そのためには何でもしようと思う。
ただひたむきに、その対象に取り組む。

やがてあなたはその多くを獲得する。
あこがれのものが手に入った。
最高の気分だ。

ここまでは問題ない。

しかし、そのあとは、これを自分のものにしようとする。
この感動をいつまでも自分のそばに置いておきたい。
いつでも手をのばせば届くところに、これを持っていたい。

そしてそれを自分の所有物だと宣言する。

この宣言がやっかい事を連れてくる。
獲得するまでは天国だったが、所有した途端徐々に地獄に変わってくる。

せっかく手にいれたもの、もう絶対手放さない。
これは私のもの、だれにも奪われないようにしないと!

もしどこかに忘れたりしたら、盗まれたりしたら、壊れてしまったりしたら、・・・
失う事への恐れが、いままでなかった恐れが、あなたを悩ますようになる。
これをなくしてしまったら、・・・それは考えるのも恐ろしい。

手に入れるまではよかった。
手に入れた時は天国だった。

しかし、そこに執着が顔を出す。
執着は、これを所有してしまえばいいんだと教える。
所有すれば、これを手放すまいという執着を追加する。

所有するのは、ものだけではない。
「あなたはもう私のものよ」

所有物は、いつでも私の期待に応えなければならない。
「どうしてやってくれなかったの!この前やるっていったじゃない!」

相手は、今回はやりたくなかった、そんな気分じゃなかったのかもしれない。
しかし、あなたにとっては、そんなことは論外だ。

相手の自由など見えなくなるのが、所有だ。
執着心、所有欲、嫉妬が入り込んでくる。

純粋なあこがれは、いつのまにか醜い所有欲に姿を変えてしまった。

何かを手に入れることは、別に問題ではない。
そのあと、すかさずもぐり込んでくる執着に気をつけてさえいれば。
自分のものにしてしまいたい所有欲に気をつけておけばいい。
私の所有物とあなたの所有物に線を引きたがったり、比較する事を控えれば、嫉妬が入り込むことも防げる。

それにはまってしまう、その落とし穴のキーワードは「安定」ということだ。

あなたは昨日と同じ楽しみを確保したい。
だから所有して、自分のコントロール出来るものにしたいのだ。
そして得られるのが「安定」という言葉であらわされるもの。

しかし、あなたが安定したいと思い始めるとき、変化を避けたくなる。
変化は嫌だ、安定の敵だ。
未来を自分の予測可能なものにしたいのが、安定を求める理由だ。
変化なんかしたら、このいま持っている安定が揺らいでしまう。

それが生きるということの難しさを生み出すのだろう。
あなたは安定を望む、しかし生きることは変化の連続だ。
変化を拒めば、徐々に死んでいくことになる。

一直線を望んではならない。
一直線とは安定を表すイメージだ。

あなたは変化を繰り返す波にならなければ生きられない。

何かをあこがれて獲得しようと努力する。
波の頂点に達したら、それを手に入れたら一休みだ。

獲得を続けたり、それ以上の所有に発展しないうちに、
手に入れた時の満足を頂点にして、下向きに方向に切り替えるのだ。

そうすれば、やがて波は下降し尽くしてエネルギーを蓄える。
そうしてこそ、次の獲得に向けてのエネルギーと気力がわき起こる。

その自然の循環に逆らうと、あなたは毎回新しくなるのを嫌うようになる。
もう手に入れいれたんだから、これを大事に抱えていようよ。

毎回新しく挑戦するのは疲れるよ。
あなたが疲れてしまうのは、手に入れた後の休憩を取らないからだ。
手に入れた感激で、もっともっと手に入れようとしたり、このままを維持しようとして、波を頂点のままで止めておこうとするから。
だから、新しい挑戦に向かう気力がなくなってしまうのだ。

毎回やり直すのは嫌だ。
未来を保証してほしい。
もうこれを手に入れたから、このままでいこうよ。

しかし、予測された未来は緩慢なる自殺だ。
あなたが未来予測にあこがれるのは、変化に伴って起こる危険への恐れの反動だ。
それがこわいから、未来を見えるものにしてしまいたい。

それは、最初だけすばらしい考えのように思える。

しかし、見えている未来は、安心を通り越して、だんだんうんざりするものに変わっていく。

なにしろ、行き着く先が見えてしまったのだから。
どんなにがんばっても、行き着くところが見えてしまった。
がんばらなくても、やっぱり行き先は見えている。

あんなにあこがれだった確保された未来は、
だんだん色あせて魅力のないものに変わっていく。

所有しないで、毎回新鮮になれるようリセットを心がけること。
波の循環に逆らわないことだ。
執着ではなく自由な変化を受け入れよう。
安定ではなく、危険をも含んだ変化に挑もう。
嫉妬ではなく、とらわれない視野を持とう。

手に入れることは楽しい、ただし、それを所有しようとしなければ。


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悪いことなんか何もしていないのに、なぜうまくいかないんだろう?

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「悪いことなんか何もしていないのに、なぜうまくいかないんだろう?」

こんなことを言う人がいます。
あなたも言いたくなるときがあるかもしれません。

「悪いことなんか何もしていない」

これはどういう意味でしょうか。
悪いと思いながら、わざわざそれをし続ける人はいない。
役に立たない、意味がないと本当に理解したのなら、
それをいつまでも続けたりしない。

自然と、そんなことはやらなくなるものです。
やめようとか思わなくても、それは向こうからいなくなるでしょう。
本当に要らないと思えば、それは自ら落ちて行くものです。

しかし、それでもあえて、「悪いことなんか何もしていない」
といいたくなっている。
そこには、それをやらされているという意識があるのではないでしょうか?

どこかで、あなたたちが言うから(実は「あなた」なんて人はいない)、
社会が期待しているから、
私は気が進まないけれど、
やれと言われることをやっているじゃないか!
と言い訳したいわけです。

そして、
「言われることをやっているのに、その見返りがないのはおかしい!」
と言いたいのです。

悪いことをわざわざする人はいない。
そんなことは誰でもそうしている。

駆け引きをするのをやめて、
「悪いことなんか何もしていない」という言葉に頼らないで、
本当に自分のやりたいことをすればいい。

自分のやりたいと思うことだけ、余計ないいわけしないでやっていれば、こんな言葉を言い出すことはないわけです。

ところが、問題は「自分のやりたいと思うこと」がわかっていないことにある。

どこかやりたくないこともやらされているという意識があるくらいだから、
自分でも本当にやりたいことがわかっていない可能性が高いのです。

本当に悪いと思ったら、放って置いても自分の選択肢から消えていく。
同じように、本当にやりたいことがわかっていれば、
さっさと、そのことにに専念しているものでしょう。

「なぜうまくいかないんだろう?」

この「うまくいかない」とは、どういう意味でしょう。
どうなれば「うまくいった」と言えるのか、本当にわかっているのでしょうか?

先ほどの前半の駆け引きが生きていて、その見返りに自分にもいいことを起こしてくださいと言いたくなっている。

しかし「どうなればいいのか?」は漠然としているし、それを返してくれる人も、別に特定されているわけでもない。

ですから、本当はこんなことを言いたいのではないでしょうか。

「神様何とかしてください!」
「私はこれだけ善行を積んできました。そろそろ私にもよい因果を施してください。」

しかし実際には、あなたは気に入らないことはやらない。
そもそも、そんなことは思いつきもしない。
「見返りがないなら、何もやってやらないぞ!」と思っている。

それでいて、では「あなたは何を本当にしたいのか?」
と聞かれても答えなんか持っていない。
それすらも、誰かが教えてくれるべきだと思っている節がある。

「悪いことなんか何もしていないのに、なぜうまくいかないんだろう?」

こんなことを言っているくらいなら、1つでも自分の「今」やりたいことをやってみましょう。

自分のやりたいことがはっきりしないなら、
まずはいま目の前に見えていることから始めましょう。
そうすれば、おぼろげに見えていたやりたいことも、姿を見せてくれる。

これをやったから、見返りを下さいなどと思わないことです。
私は私のやりたいことをやる、だからそれですべて満足だ。
そういう思いでやっていれば、不満を言って時間を無駄にすることもなくなる。

だれでも、どこかしら、誰かのせいにしたがっているものです。
そんな言い分に耳を貸していないで、
不満を言わなくて済むようにやりたいことに専念してみるのです。

「これだけやりたいことをやっているんだから、不満なんて感じようがない」
そういうところまで、はらをくくってやってみれば、
誰かのせいにして時間を無駄にすることもなくなってくる。

見返りを求めているから、不満が出てくる。

もちろん、仕事の契約をしていて、相手が約束を守らないのなら文句を言えばいいでしょう。
しかし、不特定の相手に、一方的に恩を着せて、見返りを求める様なことをしないことです。
そんな混乱した状態では、混乱した結果しか得られない。

いいわけしないで、
「これだけやりたいことをやっているんだから、不満なんて感じようがない」
と言えるところまでやってみましょう。

まずは、いま目の前にあるやりたいことをひとつ、取りかかってみましょう。
はっきり見えていることから取りかかるのです。
そうすれば、混乱してわけのわからない不満を言わなくても済むのです。
自分に関係のないことは、あなたの世界から消え去るのです。


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どうすればいいでしょう?

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『どうすればいいでしょう?』という質問があります。
これは、だれが答えても同じ答えが返るようなこと、つまりルールに従うかぎり答えがあるとき意味をもつものです。

しかし、この質問をあなた自身のこと、あなたの生き方に関して問うてはならない。

それはいろんな意味でバカげた質問になります。

まず、だれも正解など知らないということ。
たとえ自分に関することでも、はっきり答えるのは難しい。
ましてや、他人の生き方など答えられるものではないということです。

次に、この質問は自分にぶつけるものであって、人に聞くものではない。
上記の理由の他にも、決めるのはあなた自身だというもっと重要な理由があります。

自分で決めるという点については、
知らないふりをしているけれど、みんな本当は承知しているのです。

それが証拠に、聞かれたあなたがすばらしい回答をしたとしても、聞いた人は満足していない。

そのときは、「すばらしい」とか「これでわかりました」とか言っているけれど、うちに帰れば自分で一から考え直し始める。
そして、「やっぱりこれは自分で考えないとね」と思い直すのです。

そう思えることは非情に健全な印です。
答えてくれた人には悪いけれど、
「なんだよ、聞いたくせに」だけれど、
そもそも自分で考えなければ嘘になる。

人に聞いた答えなど、結局は満足しない。
あなたが健全なら、自分で考え直すことを選ぶでしょう。
聞いてみたくなったのは嘘ではないし、
もしかしたらと思っただろうし。

しかし、もし人の回答を鵜呑みにするようなら、
そちらの方が問題です。
あなたは自分で考えなければならない。
あなたは自分で選ばなければならない。

どんなにいろんな補償をつけますと言われても。
どんなにすばらしい未来を約束されても。
それを鵜呑みにすることは、あなた自身を放棄することになる。

あるいはあなたは自分で決めることが怖い。
怖いから人に聞いてみる。
そして受け入れたふりをして、その通りにやってみるけれど、
とても満足はしない。
怖さを消すためのごまかしでは、決して満足することはない。

あなたはいくら先延ばしにしようと、
その恐れと向き合わなければならない。
向き合って怖さを味わってみないと、その正体はわからない。

怖くてたまらないことかもしれないけれど、
あるいは、ちっとも怖くなかったと思えるかもしれないけれど、
そこを通過しないでどんな策略を練っても
いつまでも解決しないままで残ってしまう。

それともう一つの理由は、答えのない質問に対して、
『どうすればいいでしょう?』と問いかけるのは間違っている。

答えは1つではない。
強いて言えばあなたの決めたことが答えになる。
その答えが偏っていれば、いずれ反対側に戻されるだけです。

無理に1つの答えを出そうとしてはならない。
それは、二元対立するものの片方だけ正解だと言い張ることに過ぎない。

あなたは片側にじっとしてはいられなくなる。
それでも片方にこだわるなら、
あなたは一生を掛けて無駄な抵抗にエネルギーを使うことになる。

完璧な答えを出しても、
いくらも立たないうちに、流れは変わってくる。
流れが変わるたびに逆らっていては、
あなたはおぼれてしまう。

抵抗を続けることが、あなたを通すことだと錯覚しないことです。
それはあなたがどこかで作り上げた世界観を反映している。
反抗しないと負けだと思い、何でも反発する子どもが居座っている。

抵抗を強さだと見たり、逆らわないことを弱さだと見たり、
そんなことは言葉の遊びに過ぎない。

抵抗が生じるのは相手があるから。
世界と関わっていれば、いつも相手は存在する。
抵抗なしで進めるわけがない。
強いか弱いかの違いがあるだけ、
あるかないか、All or Nothingではない。

抵抗するかどうかは、時が決めること。
あなたが今までの知識でひねり出すような事じゃない。

そして最後に、つまりこういう事ですね、とまとめないで欲しい。
この矛盾に満ちた話を、さらにまとめるなんて、
おろし金を真っ平らにするようなものだから。

まとめることで、あなたは今まで持ち合わせたストックの
どれかにむりやり押し込めて終わるだけだから。
「そして今日も事もなし」にしてしまうから。


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なぜ苦痛をもたらすことをやり続けるのだろう?

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人間の心は不思議なもので、どんな犠牲を払っても痛みを避けようとするときがあります。
そして問題の痛みは避けられたけれど、その代わりにずっと大きな犠牲を抱えてしまうこともあります。

『羹に懲りて膾を吹く(あつものにこりてなますをふく)』ということわざにあるように、バカげてると思えるようなことで恐怖症に陥ってしまうのです。

ですが、そうかと思うと、正反対のこともやります。
自分に苦痛をもたらす様な行動をわざわざとってしまい、さらにはそれをやり続けずにいられなくなるのです。

今回の話は、主に、この後の方の行動についてです。
それが、どんなところから習慣になっってしまったかを考え、それを切り替えることを考えてみます。

「事故や病気を引き起こす」
困ったことではありますが、病気にかかったり、けがをしたりしたとき、小さな子どもだったあなたは、まわりから大事にされ、いつもなら得られないような気づかいを受けて、自分のことをかまってもらえることを発見します。

これに味を占めると、自分がかまってもらえなくて不満な状態が続くと、ここはひとつ、あの時のカイカンを再現してみたらどうだろうと思ってしまうのです。

いったんこのシナリオができてしまうと、子どもが愛情を引き出すために、けがや病気を使い出すようになる可能性があります。
そしてそれらの病気やけがは、必ずしも意図的なものとは限りません。仮病なのか本物なのか本人にもわからないこともあります。

「怒り、かんしゃく、ヒステリー」
いかに自分に注目を集めるかは、子どもにとって重大な問題です。
別の子どもは、わがままを通すには、かんしゃくを起こして怒りまくるという方法を見つけるかもしれません。
大人になってからも、思うようにならないと、切り札に怒りを使う人もよく見られます。

「悪いことをする」
叱られる事も、無視されるよりはましです。

こういったネガティブな方法で、まわりの注目を引きつけることを覚えると、やがてその手段は習慣になっていきます。

もともと何のためにやっていた事かは忘れられても、習慣だけは残り、状況が思ったようにならないとか、何もすることがなく変化を求めるために、これらの方法を使ってしまいます。

「心理ゲーム」
今あげたような方法は、直接注目を浴びるための行動で成り立っていましたが、もう少し手が込んできて、心理的な駆け引きが入るとゲームを行うようになります。

典型的な自分イジメのゲームは、エリック・バーンが「キック・ミー」と呼んだゲームです。

プレーヤーは名前の通り(バーンはゲームの名称を直感的な口語で名付ける事を提唱しています)、「私を痛めつけて」といっているかのように振る舞います。

プレーヤーは自分のお好みのゲームに参加してくれる共演者を見つけることが得意です。

つまり、キック・ミーでは、自分をいじめてくれる攻撃役を好んでやってくれそうな人をかぎつけて、その人をけしかけます。

気がつくと、イジメ役とイジメラレ役は、これはそうなっても仕方ない状況だと思える関係の中にいる事になるのです。

こうしたゲームも、もとをたどれば、たまたまそういうやり方で、自分への注目を集められたという出来事に行き着くのでしょう。

たとえ自分が惨めになっても、たとえ自分が病気になっても、だれからも自分の存在に気づいてもらえないよりはまだましなのです。

ここまで極端でなくても、私たちが普段からよく使っている人間関係の駆け引きとは、広い意味で全てゲームだと言えます。

そこには、気づかないところで相手を引っかけて、操るための仕掛けが、使われているのです。

たいていは、仕掛けている側も意図的ではなく、半分無意識に行っています。
また、被害者役と迫害者役のように、お互いに相手のゲームを補い合う形の関係もあります。

こうした駆け引きではなく、本物の交流を行うには、まずは自分のやっていることに気がつくことです。

ゲームをやった後は、ある面では満足しますが、その反面自分を犠牲にしてしまったことへの嫌な感情がつきまとうものです。

そしてもちろん、駆け引きは代理の手段です。
本物の交流を使わずに、ゲームや駆け引きを行う理由は、駆け引きの方は、ある程度計算できると思っていることです。

本物の交流では、たとえあなたが嘘偽りなくあなた自身をさらけ出しても、相手はそれを受け入れてくれるとは限りません。

それと比べれば、駆け引きをやれば、効果は少なく、副作用が大きいというデメリットはありますが、たいていは何らかの反応を受け取れるという予測が立つのです。

もうこんな孤独は耐えられないとなれば、非常手段としてゲームを誰かに仕掛けるのです。

そしてゲームを仕掛けられた側も、それが駆け引きだと気づけるとは限りません。
中には仕掛けられた側も、働きかけをうれしく思って応じてしまうかもしれません。

また、駆け引きの仕方自体が、私たちの文化に取り入れられ、儀礼化していることも考えられます。

ゲームでは、本物の満足は得られません。
たくさん人と接触し、関係を持ちながらも、何か物足りないままになってしまうのは、本物の自分を表現したり、それに対する反応を受け取っていないからです。

しかしだからといって、人間は交流がなければダメになってしまうと思い、過剰にまわりの人に要求したり、あるいは人と比べて私は人と関わることが少ないと悩んでしまうのは、どこか度を超しています。

自分はまわりの人より交流が少ないと、比較によって悩むのは、新しい苦痛をあなたに作り出してしまいます。

どれだけ人との接触が必要かは、その人の育ってきた環境などでずいぶん違いがあるのが当然です。

あなたがもし今のままで満足できているなら、人と比べてまだ足りないとか思うことは有害にしかならないでしょう。

たとえるなら、サプリメントをとらないと病気になると思い込んで、とにかく過剰に摂取しようとしてしまうようなものです。
サプリメントなど何もとらないし、その存在すら知らないでも、健康に暮らしているという人の方がおそらく多いでしょう。

ある程度は足りないなら足りないで、何とかしているのが人間の身体です。

もし少しの間もひとりになると不安になるなら、その人は人を介してしか自分を満足させられないと思っています。

そして、その方法も駆け引きに頼っていることが多いのでしょう。

逆に自分自身で自分をOKだと認められている人ほど、他人がまわりにいなくても平気でいられます。
いないならいないで、自分自身とつきあっていても安心していられます。

そして、少ない時間であっても、人との関係から十分な満足を引き出すことが出来るのです。

人間関係を駆け引きに頼り続けると、本物の交流があることすら忘れたり、あるいはそれは傷つく可能性のあるので、やっかいで危険なものだと思って避けるようになってしまうかもしれません。
そうなると、余計に他人からの反応がないと不安になるのです。

そして、駆け引きは、上記のように自分の心身を犠牲にして、人とのふれあいを作り出そうとしてしまいます。
それは、中には冗談では済まされないような重篤な被害をもたらすものもあります。

なぜ自分を痛めつけてまで、そのやり方を変えられないのか、それについては自分自身で向き合わなければなりません。

自分と向き合ってみることを避けていては、私にはもうこれしか方法がないのだと、強く思い込んでしまうでしょう。

やり方を変えるのは、苦痛を伴います。

それでも変えた方がよかったと納得できるまでの期間は、もうやめて元に戻したいという誘惑と戦わなければなりません。

何でそんなやっかいなことが必要なんだ、私は今のやり方で問題ない。ほっといて欲しいと言いたくもなるでしょう。

もちろん今のままで問題ないのなら、そんなことを必要もないのに考える事はありません。
特に他人との比較で、そんなことをやり始めるのは有害ですらあるでしょう。

ですが、表題のようなことを少しでも気になっているのなら、一度真剣に考えてみることは決してマイナスにはならないでしょう。

外側に標準を求めないこと。
惑わされるだけです。
それよりも、なぜそれを求めたくなる自分いるのか、それがどこから来るのかを調べてみることです。

今の自分が当たり前のように使っている人との接し方が、本当に一番いいのか、どこか無理をしているところはないのか、もっと楽に人と接している人はどうやっているのだろうとか、問いかけてみる。

一度問いかけを始めてみれば、回答のあることなら、根拠のあることなら、そのまま立ち消えにはしてしまわないでしょう。


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冒険・大胆・反逆

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最後に繰り返して言おう。
「冒険」---- それは甘えだ。運命への、自然への甘えた戯れ。ぼくがこの言葉を否定するのは、俗にいう「冒険」は気まぐれなお遊びであり、一時的なスリルで満足してしまう、運命全体を負わず、再びもとの惰性に戻ってしまうからだ。虚無に打ち勝たなければならないのに、逃げてしまう。

『自分の中に毒を持て』岡本太郎

いわゆる「冒険」とは、一時的なお遊びに過ぎず、常に「冒険」状態にあれということを岡本氏は訴えています。

言葉というのは、自分に変化を喚起する役割はするけれど、喚起しなければ出来ないということは、普段の自分は違うということです。
そんな普段のベースの上で、いくら「冒険」しようと唱えていても、それは一時的なお遊びになってしまいます。

本当に冒険するつもりなら、「冒険」という言葉で遊んでいても、まず無理でしょう。

「冒険」という言葉を使うたびに、今の自分は冒険の欠けている人間であることを確認しているだけだからです。

こんな言葉があります。

大胆であれ!
大胆であれ!
どこにあっても、大胆であれ!

大胆であれというのも、冒険と同じで、それを絶えず叫ばないと思い出さない。

本当に冒険し、大胆になるには、それが意味する根源になるものを探すことです。

そもそも冒険や大胆さとは、社会の標準のコースに従順ではないというニュアンスがあります。
つまり標準から外れるとき、冒険だ、大胆だと叫んでいるのです。

それは、標準を自分でも抱えながら、標準に抵抗したくなったときに使う言葉になっています。
標準に依存し、普段の自分を標準だと思いながら、時に冒険する、大胆になるという筋書きが出来上がっています。

何かへの抵抗というのは、すでにその「何か」に依存していると言うことです。

適応に対する反抗、反逆という言葉が、それを表しています。

岡本氏の冒険に戻るなら、「冒険」などという言葉を使っているようでは、冒険する人間にはなれていないと言うことです。

実は冒険や大胆さとは、ありのままの自分を表現するということに他ならないのではないでしょうか?

それが冒険になってしまうほど、私たちは適応することに慣れきっています。

基本は、相手を見たうえで、どこまで自分を見せるかを計算することで成り立っているのです。

本当の自分を見せるなど危険きわまりない。
だから、自分を見せたくなったりすると、冒険しよう、大胆になろうと言い聞かせるのです。

ですが、私たちの根本には、たえず「自分を見せたい」衝動が渦巻いています。
というよりも、本当の自分をさらけ出さなければ、心底満足した感じは得られない。

ですから、この人なら信用して、何もかも打ち明けられると思える人を、絶えず探し求める。

そうではない、常に自分を表現し、さらけ出して、それで勝負してみろ。
それで打ち砕かれるならそれも仕方がない。
叩かれたうえで、そこから自分の成長があり、それでなければ本来の自分を育てることなどできるわけがない。

だから冒険などお遊びだというのです。

大胆であることなど、当たり前のことだ。
それが本来普通なのだと思うくらいでないと、自分をさらした上での生き方など望めない。
そして、「それこそが、あなたが本当に望んでいる生き方だ」と認めるかどうかです。

冒険や大胆さを、ここと言うときに使う言葉として、携えて生きて行くということは、デフォルトは隠した仮面で生きると言うことです。

そしてそれを続ければ、適度に適応したあなた、違うと思っても相手を気遣ってごまかしてしまう、しかし実は本当のことを言いたい、でもそれで今のバランスを崩すのは怖い、そんなあなたに似合った関係を作り上げます。

あなたの求めるまま、あいても表面的に扱ってくれる。

あなたは自ら、本当のことなど言えそうにない関係を築きまくっておいて、そのくせ言いたいことを言える関係が持ちたいと求め続ける。

あなたが、「冒険」や「大胆さ」がデフォルトの人間になれば、あなたのまわりは放って置いても、それに答えてくれる人間が集まるでしょう。

あなたが、「否定」や「反対意見」にビクビクしている人間だと感じたら、まわりもそれを考慮して表面的なつきあいしかできなくなります。
なにしろ、そのルールを破ろうものなら、あなたから「ひどい人間」扱いを受けかねないのですから。

いわゆる、「冒険」や「大胆さ」が時折必要になる人間ではなく、それが普通である自分にしてしまう。
そうすれば、あなたにはそれらの言葉は必要なくなる。

それが、痛いものか、怖いものか、どうってことないと思えるか、あなた次第だ。
受け入れてしまえば、怖いものなどない。
あなたは怖がっているふりをして、
昨日と同じ見せかけの平和を壊したくないだけだから。
この辺で、それしか本当の満足はないと胆をくくれるかどうかです。


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自我とは抵抗したいという思い

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小さい子どもは、何をやっても叱られることにうんざりして、こんなことを言い出すかもしれません。
『何をやってもボクが悪いんだね。じゃあ、ボクなんか何もしなければいいんだね』

子どもにとって、自分の素直な衝動で動くことが禁止されることは、思いもしなかったことです。

いままで、素直に自分を表現したら喜ばれていた。
それが突然、ダメだと言われ出す。一体何が起きたんだ?

素直な自分を表現したいという思い、それは自分の生存に関わる重大なことです。
一方で、親たちから認められないことは、幼い子どもにとってこれまた生存に関わる重大な問題です。

どちらも捨てられない。しかし両方を立てるわけに行かない。
葛藤が生じます。
この世界は、一筋縄ではいかないことがあるものだと思い知らされます。

ここで、片方を無視する行動に走れば、その子の社会的な適応は、不適応になるか、過剰適応するかのどちらかであって、どちらもそれぞれ問題が生じます。

たいていは、そこまで行かずに、何とか妥協する道を見いだします。
つまり、一方では自分の素直な衝動を温存し、表面的には適応した自我を育てるのです。
ダブルスタンダードを持たざるを得ません。

ですから、その優位な方の表れだけを見て、「この子は素直だね」とか「何でも反抗ばかりする子」といった判断をすることは、その一面しか存在しないかのように見誤ってしまいます。

もちろんそれは、大人になっても同じ事です。
子どもよりも巧妙にそれらは隠されます。

もちろん、それらはどちらが正しいとか言える問題ではありません。
どちらも、その状況に応じて、正しくもなり、正すべき事にもなります。
状況とは、社会であり、それに合わせるだけが正解ではありませんし、しかし極端に合わない行動は社会から排除されることも動かしがたい現実です。

私は「私」に抵抗して「社会」に合わせなければならない。
その「私」への抵抗として自我を作り上げていきます。

その抵抗の仕方は実に様々で、そのやり方こそがその人の人柄や人格といったものを形作ります。

その成り立ちからして、自我とは本来の自分に対して抵抗する働きです。
対象があってこそ、存在できるのが抵抗です。

しかし私たちは、自我が発達するにつれ、何かへの抵抗だったものが、もともと存在するものだと錯覚するようになります。
つまり、自我を維持するために、そのための自我を発達させていくのです。

しかし、自我のための自我、思考のための思考は、根っこを持ちません。
もともとの「私」が不在のまま、それは大きくなってしまったのです。

何かへの抵抗とは、何かがあってこそ成り立つ、つまり本来その何かに依存する存在であったことを忘れてはなりません。

自我のための自我とは、つまりどこかで作り上げた自分を存続させたいために、ひねり出す理屈とは、根無し草に過ぎないものだということです。

根無し草を信じて、あなたがいかに努力しても、もとになった「私」はそこにはもういません。
社会的にいかに成功しようと、「私」は何も満足しません。
いつまでも、何かむなしいままです。
「そんな事じゃない、ボクがしたいのは!」

自分がやっていることは、いかに立派なことに見えても、「何かへの抵抗」としてやっていないだろうかを確かめてみることです。

「私」が存在しない抵抗のための抵抗は、いかにうまくやろうと、あなたを満足させることはないでしょう。
一時の満足はあっても、すぐに足りない思い、「ボクを忘れているよ!」という訴えが浮上します。

「何かに抵抗していますか?」
この問いかけをぶつけてみましょう。

あなたが素直になるなら、その正体は明らかになるでしょう。

こんな問いかけも役立つかもしれません。
「いつまで抵抗しますか?」
「まだ許せませんか?」
「もともと何がしたかったんですか?」

根っこのない自我をいくらがんばってみても、あなたは満足できません。
あなたが欲しいものは、そんなに複雑なものではありません。
根っこにある思いとはもともと何だったんでしょうか?

何かへ抵抗することで、充実しているように錯覚しないこと。
抵抗とは、対象への依存に過ぎません。

あなたは、ちょうど批判するがための批判をやっているようなものです。
誰かの言ったことに反対してみる。
そうすると、あなたは相手より上になれたような気がする。
私の方がわかっているからこそ批判できるのだと。
しかし、それは対象があってこそ存在できる依存物に過ぎない。
「それでは、あなたはどうすればいいと思うのですか?」
と聞き返されると、あなたは何も言えなくなる。
もともと、よって立つ根っこなど、あなたは持ち合わせていなかった。
相手があっての批判でしかなかったことを思い知るでしょう。

抵抗ではない、存在そのもの、ただそうであるだけで満足できる根っこに戻るのです。
今までの自分を維持したいがために、嘘をつかないこと。
「こんなに努力してきたのに」と思うと残念だ、認めたくない。
しかし、あなたが本当にしたいことは何ですか?


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言葉遊びをやめて、とげを抜こう!

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とげがささっちゃった!

ライナス:
 イテッ!
ライナス:
 とげがささっちゃった!
ルーシー:
 どうかしたの?
ライナス:
 指にとげがささっちゃった...
ルーシー:
 あらそう!それは何かの罰があたったのよ!
ルーシー:
 最近どんな悪いことしたの?
ライナス:
 悪いことなんて何もしてないよ!
ルーシー:
 とげがささってるんでしょ?
 それが不幸の兆候なのよ。そうでしょ?
 悪いコだったから罰せられて不幸になるのよ!
チャーリー・ブラウン:
 ちょっと待ってよ...
ルーシー:
 あんたに何がわかるのチャーリー・ブラウン?
 これは兆候よ!ハッキリとした天罰の兆候なのよ!
 ライナスはとっても悪いことをしたんだわ。
 それで彼は不幸な目にあうのよ!
ルーシー:
 私、こういうことはよく知ってるのよ!
 私は何でも...
ライナス:
 あっ、抜けた!
 とげがたった今抜けちゃったよ!
ライナス:
 かくて今日の神学の講義は終わりね。



いいことから始めよう―スヌーピーと仲間たちからの生きるヒント
エイブラハム・J. ツワルスキー 新潮社 / 1995-02



私たちが、毎日言葉を振り回してやっていることは、ルーシーのやっているような神学講座なのです。

ここで起きたことは、
ライナスにとげが刺さったこと。
痛みを感じたこと。
そして、とげが抜けて元の状態に復帰したこと。

ところが私たちは、ただ起きていることを見ようとしない。
あるいは、自分の見たいように現実を解釈し、解釈そのもので世界を作り上げ、さらにはそれを発展させようとします。

たとえば、ルーシーのように、この事実にかこつけてライナスの姿勢を正そうとします。
それは、とげとは関係のない、過去の記憶をもとにしたゲームです。
そして現実にそぐわないゲームの方が、より重要になり、それが「私」と言うエゴの存在意義になってしまいます。

たとえば、こんな誰かの発言を考えてみましょう。

「あの人が、あんなひどいことをするなんて、とても許せない。」
「あなたもそう思うでしょ?あんな事をするなんて常識じゃ考えられないわ!」

この人が言いたいのは、「あの人のとった行動は許されるべきではない」ということ。

しかし、なぜそう思うのでしょうか?

理由は様々考えられますが、これがゲームなら、たとえばこういう事が起きています。

あの人がやったことは許してはいけない。
なぜなら、私も子どもの頃、あのようなことをして両親にこっぴどく叱られた。
だから、それ以来私はあんな事は決してしないことに決めたのだ。
あの時を思い出すから、こういう事が私のまわりで怒るのが嫌だし、それを平気でする人は嫌いだ。そんなことは許されるべきではない。
私が禁止しして自分でやろうとしていないのに、それをあの人は、平気で破っているのよ。許されない!

それが許されるのなら、私もやりたいわよ。
思いっきりやって、「これのどこが悪いっていうの?」と両親や、それと同じ立場の人に叫んでやりたい。

そうよ、私は私が禁止していることを、平気でやることに腹が立っている。
本当は、別にあの人が悪いわけではないわ。
私は、私も、。。。ああいうことを平気でやってみたい!

禁止令は、時にこんな風に、その人に裏返しの信念やスローガンを持たせます。
ですから、「あなたもそう思うでしょ?」と言われて、いい加減にうなずいていると、この件に関して、あなたも両親と同類にされてしまいます。
「あなたも、やっぱり禁止する人だったのね。」

とんだとばっちりを受けるかもしれませんが、ゲームというのはそういうもの。

先ほどのライナスとは正反対に、この人自身がルーシー役でゲームを仕掛けています。
禁止令を怨んでいるこの人は、真実ではない言葉で自分を武装し、表面的には許されない事への同意を求めていますが、本当に欲しいのは「こんな禁止令などくそくらえだ!」と言えるように自分を救ってくれる人を求めていたのです。

これを見破るのは、簡単だとは言いません。
しかし、神学講義に明け暮れていては、永遠に真実は見えては来ないでしょう。

もちろんこれは、誰かのゲームを見破ることだけではありません。

まずは、あなた自身の自分に仕掛けている神学ゲームを打ち破らなければなりません。

自分の中のトリックを見破っって、そこから自由になれたとき、他の人がやっている同類のゲームは手に取るようにわかってきます。

あなたが言葉を操ることをやめて、その奥にある事実だけを追求すれば、自分の本当の「とげ」に向き合うことが可能になります。

そして、問題が「とげ」であるとわかれば、素直に、ただ、とげを抜けばいいだけです。

また、『私の「とげ」は、特別なの!』などと言わないこと。
『どんなに大変だったかわかって!』と言い出すと、またゲームに逆戻りしてしまいます。

そんなときは、あなたはクールな外科医のように、ただメスをふるえばいいのです。
さんざん自分を苦しめた傷であっても、単なるとげであっても、同じようにやるべき事をやる。

チャーリーのように言いくるめられそうにならずに、ライナスのように、クールに真実だけを追求しましょう。


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純粋な感情とだけつきあってみよう

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私たちが自分の感情に気がつくのはどんなときでしょう。

感情そのものに入り込んでいるときには、気づかないままその状態にあります。

やがて、感情の起伏が変化して、そこから自分が離れる状態が生じるようになったとき、初めて自分が何かの感情にとらわれていたことに気がつきます。

その変化は非常に短時間に起こるので、なかなか最初の状態には気がつきません。
「私はいま怒っている」とか「私はいま悲しい」と自分で言える状態になるのは、二つめの段階になったときなのでしょう。

そして、一つめの状態が終わったとき、感情のエネルギーも治まってきます。
その時に余計な働きかけをしなければ、ちょうど身体の痛みが治まってくるのと同じように、感情もそれが優位な状態から場所を譲り、やがて何もなかったように治まるのです。

ところが、私たちはそんな感情の変化に対して、第一の段階で終わろうとしません。
記憶やら思考やらが入り込んできて、第二段階で感情の再活性化を行ってしまうのです。

かくして、私たちはやっかいな感情に名前をつけ、こいつが現れると、なかなか治まらないものだと学習するようになります。

私たちが、普段から悩まされる感情とは、たとえば次のようなものです。

憎悪、羨望、嫉妬、野心

どれが優位であるかは、人それぞれ異なります。

憎悪の感情を得意とする人は、自分の怒りをもたらす原因を探すでしょう。
誰それが悪い、社会が悪い、自分の不完全さが受け入れられない。

そして、その感情を外側に向ける選択をするのです。
誰かを憎悪の対象にすることで、自分の今の感情を説明づけ、その対象を憎悪することで、自分の混乱したエネルギーを処理しようとします。

言ってみれば、ひとしきり憎しみの感情をその相手に向けて放射する行動、あるいは想像を行うことで気が治まるのを待とうとします。

羨望や嫉妬の感情が優位な人は、何かあると自分と相手を比較します。
相手の行動は、ニュートラルなものであっても、自分に対してわざわざ優位さをアピールしてくるように見えてしまいます。

それとセットになるのは、「それに比べて私の惨めなことよ」という自己否定の感情です。

しかしそれは、私の未熟さを恥じて、相手のすごさを尊敬し、自分もそうなりたいという気持ちとはほど遠いものです。

羨望の感情が私たちを苦しめるのは、「何で私はあのようになれないの?」と言う嘆きと、それに対して惨めさを味わっている自分に対し自己憐憫のような気持ちを維持しようとしているからです。

そして、嫉妬の場合は、その感情が相手に向けられることが多いのでしょう。
「何で私はあのようになれないの?」というよりも、「何であの人だけ出来てるの!」という感じでしょうか。

野心の場合も、やはり他人との比較が伴います。
そして、その向かう先が自分なのです。
絶えず自分にはっぱを掛け続けます。
人一倍向上心に燃え、一見良さそうな感情に思えますが、他の感情よりも自己破綻をおこす危険性も秘めています。

なぜなら、野心は自分を固定してしまうからです。
特定の自分の重要だと思う部分だけを大事にし、野心の妨げになるような自分は、排除してしまう可能性があります。

こうしてあなたはトータルな自分全部を相手にしないで、固定したモデルの自分だけを自分の全てだと信じようとするのです。

かわいそうに、置き去りにされた自分は、いろんな手を使ってあなたに、元の自分に戻ってよと訴えかけますが、野心にとってはそれらは邪魔者にしか映りません。

あなたは、「これは必要な努力だ」、「これは向上心ゆえの苦しみだ」、とムリに納得しようします。
その姿は、まるで野心と置き去りにされた自分との戦いのように見えます。

一度自分を切り捨てる経験をすれば、それはレベルアップして、容易に自分のモデル以外のものを切り捨てるようになります。
もちろんそれは、自分に対してだけでなく、他人の存在に対しても働くのです。

固定したモデルで自分を生きることは、どだい無理のある話です。
固定した自分は堅くなり、柔軟性を失います。
そして、だんだんそれ以外の自分を選択できなくなります。
「一度言ったからには引っ込めるわけにいかない」が、どんどん進んでしまうのです。
その結果、道理を引っ込めても無理を通そうとするのが、野心というものです。

さて、話を元に戻すと、感情を第一段階で止めておけないのは、その後すかさず思考が入り込んでくるからです。

その思考とは、今見てきたように感情によって異なります。

憎悪とは、一瞬の怒りをその対象とセットにして、こねまわした感情のように思えます。
そのような思考操作を行わない限り、一瞬むっとした相手がいても、それがいつまでも続くことはないのです。

羨望や嫉妬も、自分と他人の格差をあってはならないことだと思わなければ、そもそも大きくなることはありません。
それを大きく育ててしまうのは、何度も繰り返してそれを嘆くからです。
そして、惨めさや悔しさで自分を満たすことで、現実への不満をあからさまに感じることの代わりにしようとするのです。
本当に変えたいのなら、非情な現実を正面から見なければなりません。

野心は上でさんざん述べたように、固定された自己のモデルに合うように、全ての思考を集中させてしまいます。
そして、結果的に成し遂げたことを喜ぶのではなく、先に目的地を定めてしまうので、いつまでも満足することはありません。

他にも人それぞれでお好みの思考を抱えています。
名付けられた感情も他にもあるでしょう。

しかし、細かいことを追求することよりも、肝心なのは第二の段階の思考が、私たちを苦しめる感情を維持させているということです。

それは当たり前すぎて、こういったよく知られた感情は、人間の性であり避けては通れないものというように、悟ったように語られてしまいます。

しかし、それらは完全に消えることはなくても、第一段階で止めれば、ほとんど害はないし、場合によっては存在に気づかまま、通り過ぎるかもしれません。

人によっては、ほとんどそんな感情を引きずらずに生きている人もいます。
そういう人から見れば、「何でわざわざ自分でややこしくしているの?」とひと言で片付けられるようなことなのです。

あるいはまた、自分が普段とらわれていない感情傾向については、他の人が罠にはまっていることは、割と簡単に気がついたりするでしょう。

簡単なことのようでも、こじらせれば、それはとんでもなく被害をもたらします。
そして、どのような感情がおなじみになっているかで、その人の性格が形作られ、さらには人生観にまで影響をもたらすのです。

もし普段から陥りやすい感情があってそれが気に入らないなら、そこに自動的に割り込んでくる思考の正体を見つけてみましょう。

最初は気づくのが難しくても、相手は所詮あなたの作り出した思考です。
一度見つけてしまえば、後は対処はしやすいものです。
気づく習慣をつけていけば、今まで何でこんな事に悩まされていたのかと思う時が来るでしょう。

頑固であるのは、とらわれている証拠なのです。



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あの人は私のことなんか気に掛けてくれません!

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あの人は私のことなんか気に掛けてくれません!
私は人気がないんです。私の存在なんてだれも知りません。
なんで私は他の人みたいに気軽に人と話せないんでしょう。
何で他の人はみんな仲良しで、親しくできるの?

これらに共通するものは何でしょう?

すべてが語るのは、
まず他の人が愛してくれないと、そうでないと私はダメ。
そんな人が現れないかしら。そうしたら私も愛してあげられるのに。

しかし、それは方向が逆なのです。

あなたが、相手が愛をくれるのを待つのをやめたら。
あなたが、他の人の注目を追い求めるのをやめたら。
そして、そのかわりにただ無条件に人を愛することを始めてみたら。

他の人がどう思うかは知りません。
ただ私は自分が愛してあげたら、
それですばらしいことに気がついたのです。

世界は一変します。
180度世界が反転します。
コペルニクス的転回が起こります。

しかし、あなたは自分から無条件に愛することをしないで、人からは愛を求める。
君が条件を満たしてくれたら、私も返してあげる。
私が人気者になれたら、私もさびしい人を気に掛けてあげるのに。
まずは、私に注目して!

まさに、駆け引きをやっている。
当然世界は、駆け引きの世界にしか見えない。

「あの人は私のことなんか気に掛けてくれません!」
そう見えるのは当然です。
だって、あなた自身が、
相手のことを駆け引きなしで見てあげていないんだから。

自分のいつもやっているように、他の人もやっている。
そう見えるのが道理です。

あなたは相手のお返しなしで、与えることをしていない。
だから、他の人もあなたにプレゼントはくれない。

あなたが、逆をやれば、
無条件に、自分がそうしたいからというだけで、
人に奉仕し気に掛けるなら、
世界もそういう人で一杯になる。

あなたが駆け引きばかりやっていれば、
あなたが相手の注目を探してばかりいたら、
あなたが愛の証拠ばかり求めていたら、
それはどんどん難しいものになっていく。

なぜならあなた自身が、駆け引きばかりになっていくから、
相手のこともそういう面からしか見えなくなるのです。

駆け引きのプロ、詐欺師でも、時には魔が差して気を許してしまう。
そして、「たいへんだ、気を許すなんて。プロに徹しなければ」

気を許し手はダメよ。私が先に愛したりしたら、ここぞとばかり相手はそれを利用してくるだけなんだから。

あなたは駆け引きの世界にはまりすぎている。
相手を試すようなことをしないこと。
他人の注目を数えようとしないこと。

わたしには、こんなに友だちがいて、
メール一本でみんな集まってくれる。
わたしのFacebookの友だちの数を見て!
いったい何人がコメントをくれると思う? 

しかし、あなたの根本には駆け引きがある。
だから、これは本物ではないといつも疑っている。
私からコメントしなければ、だれも私に返してなんかくれない。
だれも見に来なくなったら!そんな恐ろしいこと!!

あなたは必死で、証拠を集め、私は孤独ではないと証明したくなる。
こんなにまでしているのに、なんで?

方向を逆にしてみることです。

あなたは愛される人ではなく、愛する人になる。
あなたは駆け引きを捨て、無条件に与えると決心する。
証拠など求めない。相手の反応は相手の関知することだ。

一見不公平に思える。
一方的に与えるなんて、とても理不尽だ。
何で私だけ?

しかし結果は、全く逆になる。
あなたにはすばらしいことが起きる。
あなたの世界にコペルニクス的転回が起こる。

もはや、「あの人は私のことなんか気に掛けてくれません!」とは言わなくなる。
何でそんなこと気にするの?
だって私は愛する人だから。


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