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起こらせろ!

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「こわいもののない平和な日々」

この言葉は、その意味とは逆にどこか恐れを連想させないだろうか?

「いつか壊れるかもしれない」

という恐れがそこに隠れている。

ほとんどの人がそんな連想をどこかで思い浮かべるのは、そのような仕組みが世界にはあると信じているから。

けれど、なぜそれを怖がるのだろうか?

あなたが怖がっているのは、予期しないことが起こること。
あなたの選択によらないことが起きることではないだろうか。

あなたは全て予測したい。
自分の関知しないところで、何かが起きるのが許せない。

だから、あなたは、「自分に起こることは、全て自分の選択によるものだ」と信じたくなる。

「あなたの選択しないことは、起きてはならない。」
さらに発展すると、
「人はなにごとも自分で選択して切り開くべきだ。」
というスローガンが生まれる。

こうして、「私の選択信者」は、自分が関与しないで生きる人を、とがめたくなる。

「流されるままに生きているなんて情けない。自分で何事も決めなさい。」
「運命論者め。」

・*:.。. .。.:*・

「あなたの選択に関わらずものごとは起きる。」

この言葉を聞いて、どれだけ抵抗を感じるかで、「私の選択信者」の度合いがわかる。

あなたのエゴは強力だ。

「そんなことは許さない。全ては私の選択で起きるのだ。そう見えなくても、どこかで私が選択したのだ。疑うなら証拠を見せてやる。」

けれど、「そうあってほしい」ことと「そうあるべきだ」は別のことなのだ。
それを無理やり歪めてはならない。

ためしに、「私の選択」をやめてみよう。
そうすると何が起こるだろう。

あなたが選択しようと、しまいと、なにかが起こる。
それは、いつもあなたに心地いいかどうかは、わからない。
なにがしかのいいことと、なにがしかの悪いことが含まれている。

あなたは、自分で選択しておけば、もっといい結果になったと主張したいのだろうか。

あるいは、自分で選択した結果ならば、受け入れることが出来る。しかし偶然に支配されているのは気に入らない。ということなのか。

エゴは起きてくることまで、全て自分で支配したいのだ。

それは、そういう働きをすべく生まれてきたものだから、批判しても仕方ない。
しかし、そういうものだと知っておくことは役に立つ。

「私の選択」にこだわりすぎると、私の選択はいい結果をもたらすと信じるようになる。

「いつでも、自分が決めたことはいいことだ。そうでなければならない。」

それは結果を怖れることにつながっていく。

「もう痛い目はごめんだ。いつか壊れるかもしれないものには手を出さない。」

あなたは冒険しなくなる。

「私の選んだことには、失敗は許されない。悪い結果などあり得ないのだ。」

そんなことを忘れて、しばし遊んでみよう。

「冒険」などというと、エゴが怖がるから、「これは遊びだ」といって、いつもやらないでいることをやってみるのだ。

「遊びなら失敗しても許される。」

なぜか「私の選択信者」も、そういう不文律には目をつむる。

やらずにいたことをやってみよう。いますぐに。

そうすれば、すばらしいことが起きてくる。

あなたに退屈をもたらしていた正体が見えてくる。

私の選択にこだわらないことの楽しさがわかってくる。

「私の選択したことにはすべて責任を持ちます」などといいながら、冒険できるだろうか。
責任を持つのは、起きた後でいい。
心配しなくても、あなたが選択しようと、任せようと、起きることは起きるのだ。

何かを起こらせよう!
あなたが窒息してしまわないうちに。

どうしても私が関与したいのなら、
「私は起こらせることを選択した!」
と言っておけばいい。

「なんであの時、やらなかったんだ!」と後悔しないために、
流れを妨げるのをやめてみよう。

あなたは「私の選択信者」にも「運命論者」にもなる必要はない。
そんなものは後付けの解釈に過ぎない。
あなたは実際にはどちらもやっているのだ。

もっと、起こらせるのだ!
あなたの世界を狭めてしまわないように。

もっと、起こるに任せてみよう。
あなたの決して選択しないようなことを経験するために。


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望みは叶ったはずなのに・・・~思考は方便

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「望んでいたものは全て手に入れた。なのに何か足りない気がする。」
「これで完璧になったはずなのに。何か違う気がする。心底喜べない。」

こんなことを思ったことはないでしょうか?

思いの通りにできたはずなのに、なんで私は素直に喜べないのか?

それには、「思いの通り」とは、実際何を指しているのかを考えてみる必要があります。

なんとなく、私たちは今考えている自分が、自分そのものだと思い込んでいます。
説明できている自分のために、一生懸命行動し、それさえ叶えば、私は幸せになれるんだと信じています。

ですが、その「思い」は、自分の全てをあらわしているのでしょうか?

そこでいっている「思い」とは、思考に過ぎません。
そして、思考はあなたの全てではない。

思考というのは便利で、実に効率的で、役に立つ存在です。

私が欲しいと思うものが現れ、それを手に入れる方法を考える。
そしてそれを手に入れることができた。
全て思考のおかげだ。

思考する私に頼っていれば、全ては思い通りだ。
考えろ。考えれば全てはかなう。
考えないものどもは、考える私の思い通りになるのだ。

「思い上がり」という言葉は、まさにこの「思い」のゴールを表しています

ですが、それでも思考は、何かを手に入れる手段でしかないことを忘れてはなりません。

私たちは人間は思考できる。
思考を使えない他の動物よりも高級なのだ。
だから人間は、他の動物を従え、自然すら征服できると考えます。

ですがその高級な人間は、より低級である動物たちほど幸せそうではない。
動物たちは、掛け値なしに喜び、悲しみ、怒りを表現しているように見える。

それに比べて、人間は笑うときも、怒るときも、思考の呪縛から解放されない。
笑いながら、ふとこんな事をしていていいのだろうか、という思いがよぎる。
怒るときも、いちいち何で自分は怒っているのか理由を説明し始める。

だから、笑っても、怒っても、悲しんでも、それは完結した気がしない。
いつまでも、まだ足りないような気になって、ずるずると感情を引きずってしまうのです。

高級な思考は、人間が言語を手に入れたことで可能になったと言われます。

高級言語といえば、コンピュータのプログラミングの世界でも、高級言語と言われるものが存在します。

高級という意味は、人間の思考に近いという意味です。より抽象化されて、「~しなさい」とか「もし~だったら」といった人間が理解しやすい命令の単位で記述できる言語という意味で高級なのです。

それに対して、より機械に近いレベルでの命令をするのは、低級言語と呼ばれます。
おもしろいことに、実際にコンピュータに何かをさせるには、低級な言語にまで落とさなければならないということ。

低級言語では、データの移動や単純な変換や比較といったことしかできない。
しかしその単純なデータ処理の膨大な積み重ねで、コンピュータは処理が出来るのです。

記述するには、高級言語を使います。そうしないと、低水準な命令をいちいち書いていたのでは、日常使うような人間にとって意味のあるプログラムはとてもじゃないが書いていられない。

しかし、いくら高級な言語で記述しても、実際に動作させる前には、より低水準な命令にまで落とさなければならない。
最後にコンピュータを動かすのは、ごくごく低水準な命令でしかないのです。

この高級、低級という表現は、人間の思考と私たちの生命存在そのものと比較するとおもしろい。

思考は高級言語です。
思考は実に効率的で、有能な存在です。
思考を使わなければ、ろくな人間活動は出来ないように見えます。

ですが、私たちの低水準な欲求や感情といったものは、高級言語である思考を使ってなだめてもなかなか言うことを聞かない。
「思い」通りになってくれない。

思考は、最初の段階では、私たちの低級な欲求と結びついています。
しかし、思考はさらに上のレベルの思考を呼び出します。
レベルはどんどん上昇します。
やがて思考のための思考を積み重ねていくことになります。

あなたは、あるとき「Aが正しい。そしてBは排除すべきだ。」という見解を持ちます。
なぜそう考えたのか、定かではありません。
全ての場合にそれが成り立つかを考えたわけではない。
でも、その時は「それこそが正しい」と思えたのです。
これさえ成り立てば、全てはいい方向に向かうと思えてきます。

それ以来、あなたの行動はこの方針に従って収束していきます。
あらゆる行動は、この目的に向けて発動されます。
思考というのは、目的指向だから。
無駄なく一直線に向かうのが思考というものだから。
思考は、より無駄なく目的を果たせば、優秀だとほめられるのです。

あなたのスタート時点の判断は、もはや顧みられることがなくなってしまう。
目標はこれだ。それを果たすのが私という思考の役目だ。
他のことなど考える必要はないし、それは非効率だ。
「目指せ目標、他のものは排除しろ!」と言い出すのです。

やがてあなたは、成功する。
あなたは完璧に目標を達成する。
「Aが正しい。そしてBは排除すべきだ。」は達成された。

あなたは、すべてAだ。Bなど切り捨ててやった。
大成功だ!
何という成功だ!
あなたは歓喜にむせび泣くはずだった。

しかし、何かが違っている。
なにかが、おかしい。
心の底から喜べるはずなのに、「心の底」にはまだその下に何かが隠れている様な気がしてくる。
あなたの心である思考は、完璧に役割を果たした。
だけど、それは全てではなかった。

低級言語は、忠実にいわれたことを実行している。
しかし、悲鳴を上げ始めている。
言語は反抗できない。
忠実に役目を果たすしかない。
しかし、CPUは高温になりすぎて、今にも壊れそうになる。

何という命令を出してくれたんだ。
わたしは、時にはBになりたいのに。

思考は成功した。
しかしあなたは不幸になった。

あなたは思考に頼り切ってはならない。
もっと思考を落とさなければならないのです。

低級な言語にまで降りてきて、あなたのやりたいことを問い直すのです。
単純に高級言語を発行しすぎないこと。

いったん記述すれば、それは魔法のように、一直線に命令を実行してしまう。
後戻りできなくなる。思考は優秀だ。あなたが思っている以上に忠実だ。
「もっと融通を利かしてくれても・・・」と思っても、そんな無駄なことは排除してしまう。

思考は方便に過ぎない。
思考は道具に過ぎない。
魔法のように優秀だけれど、融通が利かないところはプログラミング言語と変わらない。

あなたは軽々に言葉を使わないようにすべきなのです。
「私はAだ」と宣言するとA以外ではなくなってしまう。
「Bは私ではない」と言って自分を切り捨ててしまわないこと。

「こんなはずじゃなかったのに」と思う前に、
思いは慎重に扱いましょう。
思い上がらないことです。

心は道具です。あくまで方便です。
それと同一化してしまわないこと。
そうしないと、あなたはいつの間にか道具に使われるようになってしまう。

『何で私はこんな事をやっているのだろう?』
『何を今さら言っているんですか。もちろん目標のためですよ。余計なことは考えてはいけません。単なる気のせいですよ。』

気のせいではない。あなたの心の下にある声は、叫んでいるのです。

思考を外し、その下のレベルにまで降りてみる。
あなたは、なつかしい私に出会うことが出来る。
私を取り戻すことが出来ます。

社会の中にいても、いつも思考を外した自分と接点を保っていれば、
あなたはあなたのままでいられる。
誰かに思考の世界に引きずり込まれそうになっても、
あなたは正気を取り戻す。

「誰それに承認されなければ大変だ」というのも、あなたの思考の1つに過ぎない。
それを高級言語のまま忠実に実行させてはならない。
いまのあなた、思考を外したあなたがなんといっているのか
その声を聞いてみるのです。
それこそが、思考がアピールする望みではなく、あなたの本当の望みだからです。

思考を落とすと、最初はそこに何もないように思える。
真っ暗闇で何もそこにはない。
ないのにどうやって頼ることが出来る?
そんな曖昧なものより、明確な指針を示す思考こそ頼りになると思ってしまう。

しかし、諦めずにそこに止まるとき、だんだん何かが変化しているのに気づきます。
思考がないから、言葉がないから、何だということは出来ない。
しかし、何かが変化し、動き、あなたに訴えている。
言葉ではなく、でも訴えている。

それは身体の感覚と似ている。
うまく言えないけれど、その気になれば身体は何か訴えている。
あなたが思考に入り込んでいると、身体の声は聞こえなくなる。
しかし身体の声は絶えず何かを訴えている。

それはまた、感情とそっくりだ。
言葉になっているようなはっきりした感情は、実は一部に過ぎない。
あなたは、たえず言葉にならない感情を受け取っている。
言葉になっていないから、思考には取り上げてもらえない。
しかし、それこそがあなたの存在そのもの。
決して排除されない。いつまでも蘇ってくる。
生きている限り。それが生きるということだから。

思考が扱えるのはごく一部に過ぎない。
扱えるものに関しては優秀だから大いに活用すればいい。
しかし言語から外れたものは、扱えない。
あなたが思考と同一化してしまえば、あなたは一部分にしかなれない。
それがあなたと言えるだろうか。



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私はこういう人になりたい・・・~夢見る人

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私はこういう人になりたい・・・
でも現実とは遠い。
どうしたら、そうなれるでしょう?

こんなことを思っている人はよく見かけます。

しかし、聞いているうちに共通して感じるのは、「~になりたい」にリアリティを感じられないと言うことです。

その人達にとっては、「~になりたい」は夢です。
夢自体が悪いわけではないでしょう。
しかし、現実に何かが起こるためには、働きかけなければならない。

そのための具体的な道しるべが、TODOであったり目標であるわけです。
しかし「夢見る人達」の多くは、夢は大事に持っているけれど、それと現実との間の目標になるものが見えてこないのです。

「夢見る人達」がやっているのは、その言葉通り、夢を眺めているだけ。
現実との接点を作り出すための動きはまるで感じられない。

動かないでいて、どうして夢が近づいてくるのでしょうか?
たしかに、動かなくても、夢の方から転がり込んでくることもないとは言えません。
しかし、「夢見る人達」は、偶然がもたらす夢では困る、確実に夢がかなう方法が知りたいのだという。
だけど、具体的には動かない。

そんな人達にとって魅力的なのは、「引き寄せの法則」だとか「信念の魔術」的なもの。
夢さえ堅固に念じていれば、夢の方から自分に近づいてくると言う発想です。

今あげたような法則も、全く根拠がないわけではなくて、人間の心理の一面を言い表しているのです。
しかし、それが成功法則的なものと結びついて、だんだん訳のわからないものになってしまった。

私はこういう人になりたい・・・
でも現実とは遠い。
どうしたら、そうなれるでしょう?

「夢見る人達」は、「どうしたら~なれる」ではなく、「なぜ現実とは遠い」のかを考えなければなりません。

なぜ現実と接点が取れないのか、それは、そんな現実を見たくない自分がいるからです。

たとえば、「私はもっと気軽に人とつきあえて、陽気で明るい人になりたい」と言う人がいます。

だったら、そうなればいいのだけれど、その人には、今の自分が大事なのです。

他人の言動を見て、「こんな軽薄なことをしゃべっている」と批判したくなる自分がいる。私はこんな人になりたくないと思っている。
それこそが今の自分なのだと認めなければなりません。

一方で陽気さにあこがれ、一方でそこにある軽薄さを嫌う。
それこそが、今の自分の現状なのだと。

現実との接点をもつには、まずは前面にある陽気さという夢ではなく、後ろに隠れている軽薄さを嫌う自分との折り合いをつけなければなりません。

夢見る人達は、片側だけを見ている。
反対側の自分を認めない、見たくもないと思っている。

だから、見ないで叶う方法を教えてくださいと言うのです。
見たくない自分を、魔法のように消し去る呪文が知りたいのです。

具体的な行動指針を示してくれる、いわゆる自己啓発本は、
「きっと、見たくない自分を見ないまま、いつの間にか変えてくれる」
と信じたいのです。


出版社でビジネス書を担当する編集者のA氏は、これは子どもだけの問題ではなく、いまの大人たちにも言えるという。特に、30歳前後の「自己啓発書依存症」の人たちには、その傾向が強いそうだ。

「学歴が高く、そこそこの会社に入ったんだけれども、いまひとつパッとしない人たちが、『成功したい』『愛されたい』という欲望を抱いて、成功者の法則を説く有名人の追っかけをするんです。本を大量に買ったり、高額なセミナーに参加したりしますが、自分は一向に有名にならない(笑い)。それでも彼らは『いつか夢は必ずかなう』と疑いません」

弘兼憲史が「夢はかなう」に苦言 「早く現実を教えた方がいい」 : J-CAST会社ウォッチ <http://www.j-cast.com/kaisha/2011/11/16113356.html?p=all>


これをしなさい。
あれをしなさい。
これも忘れないこと。
あれも忘れないこと。
いいと思うことは何でも取り入れなさい。
悪い自分は切り捨てなさい。
情報を集めなさい。それじゃあ足りません!もっともっと!


いいことばかり、これでもかと寄せ集めた本を読んで、それを実現した人物をイメージできるでしょうか?

そんな人は実在できない。
そんな足し算で出来上がった人などいるわけがない。
イメージできない人になれるわけがない。

必要なのは、いいことを積み上げることではない。
隠してしまった見たくない自分がいる。
その自分への贖罪のために、
後ろめたさのために
これだけやれば、許してもらえるだろうと、
いいことをせっせとやっていても
何も変わらない。

夢の方だけ見るのを、さっさと諦めることです。
今の自分は、これが現状なのだと認めるのです。
これだけでしかない。
しかしこれだけある。
こんなにある。
そこから始めてみよう。
今できる現実の方をまず見てみよう。

一方で陽気さにあこがれ、一方でそこにある軽薄さを嫌う。
軽薄さを嫌う自分を大事にしてみましょう。
そこにある自分は、決して嫌いではない。
どこかで、嫌なものだと分類して封じ込めてしまっただけ。

それがわかった途端に、あなたの悩みは消え去ります。
自分が何が嫌いなのか、それは思っていた事と違っていたのです。
あなたの嫌いは、実は好きなことだった。
あなたのあこがれには、実は嫌いなものが含まれていた。

現実と直接触れたとき、夢を隠れ蓑にしていた自分が見えてくるでしょう。


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他人にはアドバイスできるのに・・・~くっつくこと、離れること

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誰か他の人が悩んでいたら、あなたも何かアドバイスできないかと考えますね。

相手が自分以外の人だと、その人が見えていないことが、手に取るように見えることも多いものです。

ところが、いざそれが自分の問題になったら、自分が問題に入り込んでしまった途端に、何をどうすればいいのかが急に見えなくなります。

他の人のことなら、あんなにいろんな事が見えて、「何でこんな事で悩んでいるの?こうすればいいじゃない!」といった具合にアドバイスが浮かび、それはとても簡単なことに思えたのに・・・。

その違いはどこから来るのでしょうか?

他人のことは、客観的に見えるのに対して、自分のこととなるとそれが出来ないから。

そうですね。

他の人の問題の場合は、まず相手のこと、そして抱えている問題、このどちらからも離れた位置から見ることが出来ます。

ところが、それが自分の問題となると、問題自体に関しては、ある程度までは客観視することが出来ますが、問題に入り込んだ自分については、まるで見知らぬ人になったように、中身が見えない人になってしまうのです。

一番わかっているはずの自分が、他人以上に見えにくい存在になってしまう。

その結果、問題そのものも、自分が絡んでいない部分は、ある程度離れて見えるのですが、肝心な部分になると、手の着けられない込み入った存在になってしまいます。

実は、込み入っているのは、問題自体ではなく、あなたの方なのですが。

これを解決するには、問題に自分が入り込んでしまっている事に気がつかなければなりません。

あなたは、問題と同一化してしまっているので、外から見えないのです。

これは、感情を例にとると、わかりやすいかもしれません。

たとえば、あなたは、自分が頭に血がのぼって怒りそのものになっていると、まわりのことや他人のことを見る余裕がなくなってしまいます。

やがて、怒りが治まって、頭が冷えてくれば、少しずつ状況が見えるようになります。

ついさっきまで自分がどういう状態で、何をやっていたのかに気づけるし、何が問題なのか、そこに誰と誰が関わってきているのか、といったまわりの様子が、だんだんはっきりと見えてくるでしょう。

そうなって初めて、あなたは問題そのもの、つまり今の場合「怒り」と言う感情のことに気づけるのです。

「あなたは怒りそのものになっている」という表現が、まさにそれを表しています。

同一化してしまうことをやめて、そこから離れることが出来なければ、問題そのものが見えないのです。

あなたは、感情そのものになっているとき、後で振り返って、それこそ純粋な私の感情だったと思います。
確かにそれはそれで正しい。

しかし、感情というのは、波のように頂上から底辺までの変化を繰り返すものです。
怒りにしても、しばらくすれば治まってきます。
やがて、関心は他のことに移り、「今泣いた烏がもう笑う」こともあります。

感情は変化するのが自然なのです。

感情そのものになることも純粋で自然なことだけれど、ずっとそのままでいることは自然ではありません。

ところが、私たちはこの自然な波の変化を、しばしば妨げてしまおうとします。

「私のこの怒りをどうして忘れられようか!」
「こんなにひどい目に遭ってるのに、どうして冷静でいられる?」

そして、次に来るのは、「私はこの怒り(恨み、憎しみ、嫉妬)を決して忘れない」という思いです。

そうです、この「決して忘れない」という宣言こそ、私たちが感情を再燃し続ける原動力になっているのです。

自然にしていれば、やがて治まるはずの感情の高ぶりは、「決して忘れない」装置で再び高まります。
言わば、燃えている釜の中を、火掻き棒でかき混ぜる行為です。

ですから、いくら純粋な感情であっても、それがいつまでも続くのは、自然ではない。
あなたが、自分は純粋だから、この感情を忘れないというのは正しいとは言えない。

感情そのものは正しいとしても、それがやがて治まることもまた正しいあり方なのです。

多くの人は、それをごちゃ混ぜにしてしまう。

これが自分だと言ってずっと同じでいようとするから、別の部分に切り替わることが出来ず、その結果、自分を離れてみるということが出来なくなってしまう。

いつでも自分を外から見ているだけでは、自分が誰だかわからなくなる。
一方、いつも自分が、問題や感情と同化していては、これもまた自分をわからなくしてしまう。

くっついてみる。
少し離れてみる。
手をのばした位に離れてみる。
もっと遠くから眺めてみる。
そしてまたくっついてみる。

この変化と繰り返しを途中で止めてしまうから、自分を見失ってしまうのです。

自分を他の人のように離れてみてみることも大切です。
そして今度は、自分そのものに入り込んで感じてみることも大切です。

前者を忘れると迷路にはまり込むし、後者を忘れると自分が自分でないように感じてしまう。

くっつくこと、離れること、その循環を止めないこと。

自分がとらわれやすい感情について、そのことを調べてみましょう。
そこには、不自然な抵抗が入り込んでいるのを発見するでしょう。

怒りやすい人は、逆に怒りの感情の変化がスムーズではないのです。
落ち込みやすい人は、恨みを抱きやすい人は、それぞれの感情の変化に抵抗しているのです。
あるいは、自分がわからないという人は、自分の感情へ同化してしまうことを怖れている。

くっつくこと、離れること、その循環を止めないこと。

人生は近くで見ると悲劇だが、
遠くから見れば喜劇である。
チャップリン




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悪いところと仲良くしよう

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あなたが面接で、自分自身のことをアピールして下さいと求められれば、取り上げるのは、あなたのいいことですね。
悪いことなんて、そんなものが在ることなど悟られてはいけないと思うでしょう。

なぜかと言えば、いいこととは、皆が勧めることであり、悪いことは禁止されることだからです。

しかし、あなたは「いいこと」がそんなに好きでもないのです。
むしろ、うんざりしていることも、多いのではないでしょうか。

それと比べると、悪いことは魅力的だ。
悪いこととは、あなたが本心から避けていることではなく、皆が禁止するから、自分もやりませんと無理やり言わされていることだから。

むしろ、あなたは本当は悪いことをやってみたくて仕方がない。
そこには、自分がやってみたいことが、いっぱい詰まっているように見えるのです。

もし禁止などされなかったら、あるいは密かにやってみたら、たいしたことでもないなと思うかもしれないけれど、でも気になってしまう。

さて、あなたを満足させるものが、潜んでいるのはどっちなのだろう?
一方、あなたを混乱させるものが、潜んでいるのはどっちなのだろう?

少なくとも、あなたはいいことと、普段からおつきあいしています。
その結果が、あなたの今の物足りなさを作り出しているのです。

あなたの満たされないものは、普段から見ることを避けているところの、
いわゆる「悪いこと」の中に隠れている。

少なくとも、そこには、禁止されなければやりたいことが、一杯詰まっているのです。

さて、あなたは、自分を向上させようと思うと、「いいことがどれだけふえたかな?」と探すのです。
そして、悪いことは、ちらっとのぞいて、「よし、おとなしくしているな」と思うだけです。

あなたが本当に変わりたいのなら、あなたの「悪いこと」リストに、取り組まなくてはならない。

これを除外したまま、「いいこと」リストとだけ付き合っていては、昨日と同じあなたが待っているだけなのです。

今のうんざりし始めた自分を打ち破るには、今までと違うことを始めないとなりません。

「悪いこと」リストに取り組んでみましょう。

いったん今までの判断を捨てて、これは、なんでいけないことだと思っているのか?
いつからそう思い込ませられているのか?
そして実際のところどうなのか?を問い直してみる。

それは、別のリストを作ろうというのではありません。
「私が思う悪いことと言われているけれど実はいいことじゃないかと思うことリスト」を作ろうというのではありません。

ただ、その検討を始めるだけで、あなたは、気づかずに封じ込めている自分を発見するでしょう。

「あなたのやるべきこと」ではなく、「あなたのしたいこと」がそこに隠されているのです。

「あなたのしたいこと」-「悪いこと」=「あなたのやるべきこと」という公式を見直してみる。

「あなたのしたいこと」+「それをいいことに変える方法」=「あなたがしたいこと+認められもすること」

「あなたのしたいこと」+「悪いことが実はいいことだった発見」=「あなたがしたいこと+新しい情報」

どれも、可能性を秘めていますね。


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この図を思い浮かべよう!(太極図)

この図を思い浮かべよう!

太極図     phm23_0002-s.jpg


※太極図

あなたがいま最悪の状況にいるのなら、黒の先端にいることになる。
もうすでに白い領域に混じり合っている。

あなたがいま最高の状況にいるなら、すでに黒い領域に入り込んでいる。
初心に戻って、また冒険を楽しもう。

黒があるから白がある。
悲惨さがあるから歓喜が生まれる。
いつも灰色にじっとしていては、泣くこともないが笑う気にもなれない。

さあ、反転するのだ!
変化は外だけではない。
あなたの中でうごめき始めている。
それはいつでも始まっている。
それを大切にしよう。
逃せば、いつも灰色のままになってしまう。

痛みがなければ、正常であることを喜べない。
それどころか、退屈な事に不満を感じて、やらなくてもいいことをやってしまう。
変化を怖がるな。
変化こそが、生きる証。

退屈なのは冒険しないから。
冒険と言ってもたいしたことではない。
ほんのちょっとした踏み出しをやるかやらないかだ。

面倒だと思ってはいけない。
面倒だと感じるその自分が、まさに退屈さを作り出しているのだ。
娯楽に助けを求めない。
自分自身の冒険をやろう。そうすれば副作用はない。

今日も充分に生きたと言える日を送ろう。
どっちつかずは人生の無駄使いだ。
いつまでも次はない。
黒から白に、白から黒に、反転を促すのだ。
黒を怖がるものは、白でいることも怖くなる。
黒を楽しんでこそ、白が輝く。

今日はどちらにしても最良の日だ。
これはポジティブに考えるのとは違う。
ポジティブに考えようなどと言うこと自体、いまを否定していることになる。
どちらも大切、どちらも巡ってくる。ただそれだけだ。


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兆しの現れないうちは、・・・

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何事も手遅れになってしまうと、事をおさめるのが大変になってしまいます。

その兆候に気がついたら、小さなうちに対処しておけば、手が着けられないほど大きくなってしまうこともないのです。

しかし、私たちはこうした予防する処置を、だんだん人まかせにするようになっていないでしょうか?

つまりは、仕事が分化し、様々な専門職が現れてくるにつれ、私たちは素人が手を出すより、専門家に任せてしまえばいいと思うのです。

どんどん物事が複雑になるにつれ、もはや自分で考えることなど役に立たない、だから考えることを放棄し、餅は餅屋に任せてしまいます。

「生兵法は大怪我のもと」というのは、確かに正しいし、素人がわかった気になって錯覚しているのを見ると、非常に危険なものを感じます。

しかし、だから手を引けとか、全て放棄しろと言ってしまえばいいかというと、そこに言葉の落とし穴が潜んでいるように思います。

何もかも専門家に任せてしまう態度は、やがて自分で感じ取る力を使わなくなり、感性など当てにならないものと思ってしまうからです。

いくら専門家がこれが正しいと言っても、自分にとっての真実は自分にしかわかりません。

「兆しの現れないうち」に微細な変化を感じ取るのは、それが言葉で表現される前の段階で現れることがほとんどでしょう。

兆しの現れるか、現れないかの段階で感じ取れるのは、個人の領域でしかありません。
それは、専門家の意見を聞く時のような、言葉になってしまう前の状態なのです。

痛い目に遭ってからなら、誰でも反省し賢くなるのです。
しかし、それでは本当は意味がないのです。
未然に防げてこそ、賢いと言えるからです。

これはいい経験になった、利口になったと喜ぶだけではなく、なぜあらかじめ手を打てなかったのかも考えなければなりません。

失敗することがダメだというのではなく、失敗に至るまで気づけない習慣にメスを入れるべきです。

人は何度も経験しながらも、同じたぐいの危険を見逃します。
どんな危険かはもちろん個人個人違うのですが、一人の人に固定してみていると、実にはっきりした傾向が現れることが多いものです。

早い話が、同じ事で失敗を続けるのです。

同じような兆しに鈍感であり続けるのです。
なぜ鈍感になるかと言えば、その兆しを感じると、即座にこう考えなければいけないと言い張る言葉が主導権を握ってしまうのです。
ですから、あいまいな兆し、言葉になる前の感覚など、邪魔なもの、気の迷いとしてしか扱われないのです。

そのような公式が働けば、同じ失敗が繰り返されることはあきらかです。

私は失敗を経験した。反省した。身をもって感じた。罰は受けた。
「だから今後は賢くなるだろう」と思うのですが、いったん公式が働き出せば、結局何も変わらないのです。

言葉に頼っている限り、それはやまない。
私のことを説明で作り上げている人は、いつまでも変われない。

「これだけは言っておきたい」という衝動は、正当な場合もありますが、今までの自分を正当化したいという欲求であることも多いのです。

言葉は兆しがはっきりと形をとってからの表現です。
兆しの現れないうちに、それを処理したいなら、自分で感じなければならない。

誰もが納得することをやろうと思っていては、あなた自身はどこへ行ってしまうのでしょう。
その損失は、やがて兆しから、はっきりした形をとるものになっていくでしょう。
あなたは、誰もが納得するものにはなれるけれど、自分自身だけは納得していないものになってしまうでしょう。


其の安きは持し易し、其の未だ兆さざるは謀り易し。(老子第六十四章)

安定しているうちは維持しやすい。兆しの現れないうちは、それを処理しやすい

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悲惨は延ばせ、至福は今しかない!

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ワイズマンは、今日ひどい目にあってしまった。
これは反撃しなければならない。
これはなんとしても、やり返す。
復讐しないでおくものか。
彼は、うちに帰ると、すぐに部屋にこもって何か書き物をしていた。
復讐の計画でも練っていたのだろうか?

部屋から出てくると、ワイズマンは、何事もなかったように家族と楽しんだ。
何かの記念日か、お祭りであるかのように、子どもや妻と笑い転げた。

彼の怒りはどこへ行ったのか?
彼の復讐計画は、いつ行われる?

1年ぶりで、彼はノートを読み直してみた。
もしこの中に、まだ復讐する必要を訴えてくるものがあれば、実行してみようと思ったのだ。

しかし、なにも訴えてくるものはなかった。
どれもこれも、今やどうでもいいことばかりだ。
考えるのもばかばかしいことばかりだった。

もちろん彼は、それを知っていたのだ。

悲惨は延ばせ、至福は今しかない!

*☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆*

悲惨は
あなたはけっして延ばさない
至福はいつも先に延ばす
だから、死がやって来たとき
あなたが送ったのは惨めな人生ばかりで
祝福や天恵は先に延ばされてきている
そこへ死がやってくる
と、あなたは泣いたりわめいたりしてこう言う
「もうちょっと時間をください
私は一度も本当には生きたことがありません」-----
正反対にしてごらん
この瞬間には至福だ
悲惨は延期され得る
何も急ぐことはない
そして
もしあなたがこの瞬間に至福に満ちていたら
悲惨はけっして起こらないだろう
なぜならば、この瞬間こそ(全面的なるもの)
在るところのすべてだからだ
次の瞬間はやって来る
が、次の瞬間はこの瞬間から出てくるのだ
もしあなたがこの瞬間至福に満ちていれば
次の瞬間には
そこからより大きな至福が出てくるに違いない

TAO永遠の大河3 老子を語る 436P



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荘子斉物論~君には主体性がないと言われたら

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タオの英知を得た者は,すべてのものは一つの真理にしたがって起こっていくという原理を理解します。

彼らは個々の物事に差異が存在するとは見ないで,平凡な事物の中に自分も溶け込んでそのままであることに安住するのです。

ものごとは、そのままでその機能を果たしているのであって、自然をそのままの状態で受け入れ保持するのがタオのあり方であると思うわけです。

つまり、自然の起こり方に人為的な意見をさしはさまず、こうあるべきだという、人から見たやり方でそれを変えようとは思いません。

そうやって、自然の起こり方を保全することで、その世界を理解し充実したものを感じ取り、その理解こそがタオへの理解に通じるのだと知っているのです。

「タオに至ればすなわち止む。如何にして止んだかを知ることなく止む。」

これがタオの境地であるということなのです。
自然にやまないのは、すなわち人為的な操作が入り込むからなのです。

また、個々のものの見かけの違いにとらわれて、執拗にそれに固執することが、タオから離れていく原因であり、このような浅薄な見方を「朝三暮四」というのだと荘子は言います。

「朝三暮四」については、以前も取り上げましたが、こういう話です。

猿たちにトチの実を与えるのに、最初朝3個、夜4個与えていたのだが、猿たちが不満を言い出して言うことを聞かなくなったので、「しかたがない、それでは朝4個、夜には3個やることにしよう」というと猿たちは大喜びしたという話です。

実際には合計7個であることにかわりはないのですが、目先にとらわれていると、自分たちの要求を通した気になって満足してしまったわけです。

自分のこだわったとおりに物事が運ぶと満足するのに、同じ結果であってもたまたま手に入ったのでは満足出来ないというのも、「朝三暮四」ということになりますね。

そこでおきていることは、「タオに至ればすなわち止む」ことを自分のはからいが終わらなくしてしまっていると言うことです。

さて荘子斉物論に出てくる話をもう一つ。
罔両(もうりょう・影の周囲にでる薄い影)が影を批判するはなし。

『何でおまえは、主体性がないんだ。主人が動くとおりにくっついて動いているだけではないか。』
『確かに主人にくっついて動いているだけだが、その主人だって自分の意思で動いているかどうか怪しいものだ。どうしてこうなっているかはわからないものだ。』

斉物論風に皮肉った話を書いてみましょう。

教師が生徒に「君はもっと主体的になりなさい。」と諭します。
「主体的になるとはどういうことですか?」
「自分の意思で動くということだよ。」

まじめな生徒は、一生懸命考えます。
自分の意思で動くとはどうすることだろう。
自分がたまたま思いついたことが、自分の意思だとどうやってわかるんだろう?
いくら考えても、その区別はわかりません。

仕方がないので、生徒は教師の行動を観察し始めます。
教師が、自分より偉い教師と話しているのを聞いていました。
そうか、主体性の元とは、自分より偉い人の考えから来ているんだ。

その人の考えをまねて、自分の言葉のように言えるようになると、自分の意思になったといえるのだろう。
そのうち、誰が言い出したことか、もとはわからなくなって、自分が思いついたことだと信じるようになる。
そうなると、「どうして君は自分の意思というものがないのかね!」と語るとき様になってくるのだ。

(^↓^)
主体性がないと言われても、気にすることはない。
どうせ誰にも、本当のところはわからない。
正直にわからないことを知っている方が、いろいろましなことが多い。
権威に屈することもなくなる。
卑屈になるとは、同時に威張りちらす自分をも育てているのだと心得るべし。
自分を証明したくなったら、そこにあなたの弱点が潜んでいる。


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あなたはいつも新しくなる

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『うまくいったあ!』
あなたは感激に浸っています。
それは大変な努力の結果、成し遂げたことだったかもしれません。

そうだこの自分を忘れないようにしよう!
あなたは、この完璧に見える成功、
それをもたらした自分をストックしておきたいと思います。

しかし今のあなたを貯金しようと思ったとき
あなたの悲劇が始まります。
それは、世界にフィルターを掛けてしまう行為だからです。

あなたが、いまの自分を大事に思うあまり、
それが消え去っては大変だと、それに同化してしまいます。
これを手放してはならないと、しがみつくのです。

やがて、あなたはその大事な虎の子を奪われることを怖れます。
滅多にない成功を、誰かに盗られてなるものかと。

あなたが怖くなるのは、皮肉にも、盗られまいと握りしめるからです。
皆さんもお使いくださいと手放せば、
それは何倍にもなって自分に返ってくるはずなのに。 

あなたが、そんなものは過程の中の一時的な輝きにすぎないと思えたら、
もうそれは手放して、次に起こることに向き合えます。

そうすれば、何も考えなくても、また新しい輝きが起こせるのです。
そのもとになるものは、あなたそのものだから。

しかし、あなたが頭で考えて、忘れないようにしよう、
この冷凍した栄光を、必要なときに解凍して使うのだと思ってしまう。
あなたは古ぼけた、変化に取り残された自分をいつまでも使おうとします。

それを盗られまいと思うことで持たなくてもいい恐れを抱え込み、
二度と着ることのない自分をタンス一杯にしまい込んでいるのです。

もう二度とこの成功を再現できないかもしれないと、
自分を凍りづけにするから
ぎこちないあなたは、古ぼけた二番煎じしか生み出せない。

さて、着込んでしまったものは仕方がない。
一枚ずつ脱いでいきましょう。

いつも新鮮なあなたが、隠れてしまわないように!

*☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆*

瞑想とは、学んだことを忘れることにほかならない
自分の玉ネギを剥いてごらん
それは大変だ
あなたはその玉ネギに自己同化してしまっているからだ
あなたはそのいくつもの層を自分だと思っている
だから、それを剥いてゆくのは難しい
それは苦痛でもある
それはただ着ている服を脱ぐのとはわけが違うからだ
むしろ、それは自分の皮をはぐようなものだ
あなたはそうした皮にあまりにも執着しすぎてしまっているのだ

けれども、一度わかったら
一度ひと皮落としたら
新鮮さが沸き上がってくるのが感じられる
あなたは新しくなる
そうすれば、勇気が増す
そうすれば、希望が出てくる
そうすれば、もっと確信が持てる
そうすれば、あなたはまた新しい皮を剥くことができる
剥けば剥くほど、あなたはもっと静かに
もっとハッピーに、もっと至福に満ちた人間になる
もう、あなたは正しい路線に乗っている
もう、玉ネギ全体を捨てるまでそう遠いことではない

バグワン・シュリ・ラジニーシ


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今の自分を表現しよう

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口に出してみて、初めて気がつくことというのがあります。

自分のことはよく知っているつもりになっていても、ぼんやりしていたものを表現してみることで、そういうことだったのかと気づかされることがあるものです。

「わざわざ言わなくてもわかっている」で済まさないで、あえて自分の考えを外に出してみましょう。

そうしてこそ、表現しなければ出会えなかった、一期一会の出会いがそこに待っています。

私も今まで色々書いてきた文章を読み返してみると、文章の表現自体には、いろいろ不満に思うこともありますが、それ以上に「こんなことを考えたのだ」という発見があります。

後日読み直してみれば、「本当に自分が書いたの?」と驚くこともあります。

もしそのとき、もっとうまく書ける時まで、と待っていたら、そのまま消え去っていく考えになっていたかもしれません。

自分の考えることであっても、そのように考えたり、それを思いついたりすることは、その機会を逃せば、二度と巡ってこないものであるかもしれないのです。


うまく表現できないことなど、気にしないで、それを表に出して残してみる。
文字に残すのでもいいし、あえて口に出して発言してみることでもいい。

表現することで、隠れていたものが明らかになってくるわけで、それは読む人、聞く人へ影響をもたらすだけでなく、自分自身へのメッセージでもあるのです。

インターネットの時代になって、SNSなどが情報発信のツールだと言われだして久しいわけですが、本当に自分を表現することに利用できている人は、まだまだ少ないように思います。

まずは読者から、という人が圧倒的に多いのでしょうが、そんな中で純粋に何か自分を表現したくなったなら、思い切ってやってみることです。

読む人のために書くというイメージが強いですが、同じくらい、自分自身の発見に繋がることも多いものです。

自分がいま思いついたことは、二度とない出会いかもしれないと思って大事にしましょう。
表現しなければ、そのまま消えさって、二度と思いつかなくなってしまうかもしれないのです。

さらには、表現するという行為自体が、よりその内容をはっきりさせ、いままではっきり見えていなかった部分を明らかにしてくれます。
つまりは、自己発見に繋がると言うことです。

その場合の自己表現とは、自分自身のものであって、読者がどう思うかに影響され過ぎてはいけません。

SNSを商用に使っている人なら、反響があるかどうかが第一となるのでしょうが、そうでないのなら、どう評価されるかより、本来自分が表現したいと感じることの意義を見直してみることです。
他人に反響があるかどうかではなく、いまここに存在した自分を確認し、残すことであるという自分自身への意義を発見するでしょう。

自分のことは自分でよく知っている、と思い込まないことです。

ある意味では、まわりの人よりもわかっていないのが、「自分のこと」ということも言えます。
表現してみなければ、発見できないこともあるのです。

それから、「自分の考えを明らかにしてみる」ということは、その言葉の通り純粋に自分が考えたことを表現すると言うことです。

しかし実際には、他人の評価を気にすることから来るのでしょうが、誰かの発言を借りることで、自分も発言したような気になっていることもよく見かけます。

「私もそう思った」で終わらずに、そのあと自分が気がついたことを1つでも付け加えるようにすれば、「誰かの意見」から「自分の考え」に移行していけるわけです。

誰かの発言を借りるという人達の中には、批判して回ることで自分を表現した気になっている人も見かけます。

しかし、誰かの意見をただ否定したところで、何も発言したことにはなりません。
ただ自分はそれは気に入らないと言っているに過ぎないわけで、だから自分はどう思うかを発言しなければ、何も言っていないに等しい。

賛成でないなら自分が何を言いたいのか、賛成であってもさらに自分が思うことを考えてみることです。

そうすると、もしかしたらそれまでは、ただ他の人の意見に振り回されていただけで、自分では本当にそれについて考えていなかったことがわかるかもしれません。


先日、「議論したくなるとき」で当たり前とも思える2つのことを敢えて書いたのは、それが「議論のための議論」を作り出さないために必要だと思うからです。

純粋に必要なこととは、次の2つではないかと思います。

・まず、曖昧さや逃げ道を作らずに、明確に自分の考えを述べること。

・質問するのであれば、本当に相手に質問したいことを自分の中ではっきりさせた上で聞いてみること。


誰かの批判をすることを仕事にしている人ばかりが、マスメディアで目立っているような社会は、どこか歪みが生じてしまっているのです。

「議論のための議論」ばかりしている政治が、何も生み出さないのは、昨今嫌というほど見せつけられているはずではないでしょうか。

せめて自分のまわりには、そのような環境を作り出さないでいましょう。

「たかが自分の考えなんか」と思ってしまう、その一端は、批判したがる自分の中にもあるのです。

批判は評価の段階でやることであって、何かを生み出すときには不要であるだけでなく有害です。

せっかくのあなた自身との出会いを奪い取ってしまいます。

自分に自信が持てないのなら、自信を持ってるように、自分を大事に扱おうとしているだろうかと問い直してみましょう。

ふだんから、自分も他人も批判という形でぞんざいに扱っていたのでは、肯定的な自分が育たないのは当たり前です。

それが批判に耐える意見かどうかでなく、自分が純粋に思いついたことを、「ただそれだけの理由から」、もっと大切に扱いましょう。

他の人からどう扱われていると感じるかどうかは、自分が自分自身をどう扱っているかをそのまま反映しているのです。


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すっぱいブドウ

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「すっぱいブドウ」という童話は皆さんご存じだと思います。
こんな話です。

キツネがブドウ棚に実っているおいしそうなブドウを見つけた。
しかし、ブドウ棚は高くて、飛びついても手が届かない。
とうとう諦めて、「あれはすっぱいブドウだ」と言って立ち去った。

一般に、「すっぱいブドウ」と言えば、このキツネのように、自分の手が届かないものに対して、たいしたことないものだったと負け惜しみを言うことをさします。

しかし、たとえばこのキツネがこのように言ったとしたらどうでしょう。

あのブドウは、まだ青くて熟しきっていない。
ものには熟して最適の時があるのだ。
それを待たずに、焦って飛びつこうとするのは、知恵のない卑しいもののすることだ。
そういうことをしていれば、せっかくのブドウも一番おいしい時を味わえず、台なしになってしまうではないか。
ものごとは、機が熟すのを待たねばならない。

かなり印象は変わってしまいますね。
実際には、ブドウに届かなかったことが悔しい、負け惜しみであることは否めないのですが、こんな説明をつけてしまえば、キツネは自分の信念を貫いて立派な態度をとったように解釈も出来てしまう。

さて、こんなことを書いたのは、後付けの説明をつければ、何でもいいように解釈できるものだということを示すためです。

わたしたちは、「すっぱいブドウ」を教訓にして、負け惜しみをやめて現実を受け入れることのかわりに、私の考え方、信念という名の後付けの解釈をつけてしまうことも多いような気がします。

「わたしは信念を貫いているので、私の辞書に失敗という文字はない。すべては、私の計算通りにはこび、うまくいっているのだ。」

こんな風に信じるようになってしまうと、傲慢で、鼻持ちならない人になってしまうのですが、その本人はなかなか気がつかない。

それほど、言葉で説明をつけてしまうことは、強力なパワーを持っています。

しかし、問題はそのような説明は、現実を見えなくして、自分の信念と現実の乖離に気がつかなくなってしまうことにあります。

そして、もうひとつ忘れてはいけないのは、ブドウに届かなくて悔しい思いをした事実を封じ込め、無理矢理説明をつけてしまった自分がいることを、自分自身は忘れていないことです。

自分自身を騙してしまったことは、何かにつけて蘇ってきますが、その都度、強引に言い聞かせて自分を納得させようとする。
他人が、その矛盾を指摘しようものなら、必死になってそれを打ち消そうとしたり動揺してしまいます。

どだい無理があることをさっさと認めてしまうことです。

うまく出来なかったらどうしようと不安になったら、一定の割合で失敗はつきものだということを思い出しましょう。
それよりも、負けるかもしれないことに挑戦することの方が、自分を裏切らず、たとえ失敗しても自分への信頼感は上がります。


説明の世界に生きていると、普段は全てうまくいっているように感じるものですが、現実を歪め、自分を裏切っていると、いつまでもその「つけ」を背負ってしまうのです。

「現実には、自分の思い通りにならないことがあるのは当たり前」と思ってしまえば、ごまかしている自分を維持するための重荷を背負うこともなくなります。
うまくいかなくても、ただ、その場の不都合を我慢すればいいだけのことです。

全てがうまくいっている人が、いつも他人から評価されると勘違いしないことです。

失敗をごまかしてしまうあなたを見た人は、あなたをそういう人だと思ってしまいます。

しかし、たとえ失敗しても、隠さずに笑われることを耐える人の方が、その人を信用出来ると感じます。

さらには、普段から自分もごまかすことにうんざりしている私たちは、自分もそうなりたいと願いその人に好感を抱くでしょう。


どちらを選んでも、うまくいかないことは同じくらい起こるものです。

何が起きても、自分を裏切らなかったことは、それ自体が自信を生み出すのです。

自分にはなれない人になろうと努力するのは、最大の失敗かもしれません。
あなたらしさを求める人が、そこにいるのになぜそんなことをしますか。


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ならぬことはならぬものです

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にっちもさっちもいかない。
迷路に入り込んでしまったようだ。

迷路は全体図がわかれば、抜け道を探し出すことが出来ます。
出口から逆にたどっていけば、より早く抜け道はみつかります。

しかし、巨大迷路のように3次元の迷路では、上から眺めるというわけにいきません。

見えるのは、壁、壁、壁ばかりです。

そこで出来ることは、右に行くか左に行くかを決めること、前進するか後退するかを決めることだけです。

そのように考えると、出来ることは右か左かという単純な選択しかできないし、突きつめれば、迷路から脱出すると言っても、単純な1つ1つの選択を重ねることしか出来ることはないのだとわかります。

ところが、出口がなかなか見つからないと、焦ってしまって結果を出すことしか思い浮かばなくなり、1つ1つの選択がでたらめになってしまうのです。

迷路の攻略法というのがあるのかどうか知りませんが、少なくとも、ルールなしにでたらめに動き回っては効率はよくない。
失敗した道は、繰り返さないよう除外するようにしなければなりません。

さて、基本になるのは、右か左かのような、多くの場合2者択一の選択しかないという話に戻りましょう。

私たちは人生の迷路に入り込んだとき、この基本になる選択方針が一貫していないことで、抜け出せなくなっていることも多いのではないでしょうか?

ものごとには、どちらを選んでいいのかわからないことも多いものです。

その理由は、たとえば、右も魅力的だし、左も他の魅力があって捨てがたいという場合があります。

かと思えば、前門の虎、後門の狼という状況もあります。

どちらを選んでも、選ばなかった方に後悔が残る、いわゆる葛藤(コンフリクト)という状況に陥るからです。

しかし、「私はずっと葛藤しています」といって何もしないのでは、現実逃避になってしまいます。

「決めかねること」ではあるけれど、決めなければ、ずっとその葛藤は繰り返し蘇ってきます。

どちらかを決めてしまった方がいいのは、いい結果が得られそうだ、という戦略的な意味合いもありますが、他にも影響はあります。

それは、「どちらかに決めない」というやり方が、現実認識にゆがみをもたらすことがあるからです。

決めかねるからと言って、たとえば右に行った方がよりひどいことが起こることを、わざと証明して左を選ぼうとする。

あるいは逆に、右に行けば全てうまくいくと納得したいので、左側のメリットをわざと無視して、現実をねじ曲げてでも答えを出したいと思ってしまう、などです。

このような現実の方を歪めてしまう見方は、いずれ限界が生じたり問題を引き起こすでしょう。

一方、「だからルールを決めてしまえばいいことだろう」という意見があります。

私たちがコンピュータのプログラムなら、それでいいし、そうしなければなりません。

しかし、生きているものは、常に変化する、無常な存在であることを無視するわけには生きません。

5年前は右だと思っていたけれど、今なら左の方がいいと思うようになるといったことが、実際に起きてきます。

じゃあどうしろと言うんだ、ものごとはにっちもさっちもいかないものだと言いたいのか?
と、お叱りを受けそうですが、決められないことを決めてしまおうということには、充分注意が必要であると申し上げているのです。

結論を言えば、何を決定し、何を決断しないかをはっきり選択すべきです。
それも、いま現在の選択でいいのです。

むしろ将来も絶対変えないなどと思わない方がいいでしょう。
変化は受け入れる余地を残さないといけません。

そして、戦略的な意味を取り入れるなら、決めたことは、それを変更すべき理由がはっきり現れるまでは変えない、しかし変えるときには変えると決めることです。

一方で、今の時点では決めないという選択をしたことについては、そのことによって起こる不具合を、文句を言わず、甘んじて受けると決心するのです。
それでも決めないでいることを選んだのですから。

前者は、選ばなかった方への未練という執着を断ち切らなければなりません。
後者では、毎回迷うという不快さと不安を受け入れなければなりません。

そうすれば、先に挙げたような現実の認識をねじ曲げる様なことは、なくなります。

決めてしまうことにも、決定しないことにも、メリットもあるしデメリットもあります。

ですから、一貫して何事もルールを決めてしまうやり方や、一貫して選択しないやり方は、メリットが大きいうちはいいですが、そのデメリットもまた相乗効果で増幅してしまうので、やめておいた方がいいでしょう。

「私は何事も迷わない人です。」と誇ってみせるのは自由ですが、そのことで言葉の呪縛にはまってしまわないことです。

時には、例外を認められる余地を残さないと、行き詰まって自爆します。

効率も悪いし、わかりにくいことをなぜわざわざ言うのか、といえば変化について行くためです。

「オッカムのカミソリ」という言葉があります。
理論には、必要以上に仮定を取り入れず、できるだけ単純な方がいいということです。

それなら、先ほどのように、一貫して決まったルールに従うのが一番単純に思えますが、いずれ無理が生じることがわかっているのなら、もう一つ仮定を増やさなければならないのです。

「今の時点でわかっていることが全てではない」ことを常に忘れないことです。

そして、変化に対応できないルールに固執すれば、決まって現実の方を歪めようとすることに繋がるからです。

☆~⌒☆

會津藩校では、什の掟(じゅうのおきて)というのがあって、それを忠実に守ったそうです。
そして、什の最後には、かならず『ならぬことはならぬものです』と書かれていた。

『ならぬことはならぬものです』

しかし、何を「ならぬこと」とするかを選択するのは自分です。
選択は簡単ではないし、いつもベストであるわけにはいかない。
しかし、それこそが、自分で選ばなければなければならない唯一のことです。

たとえ迷路から抜け出せなくても、このルールは決めないという選択もありうるのです。


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恐れにもとづくシナリオ

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「自分はこういう人間にならないと幸せになれない。」
というように何かを求め続けている人がいます。

内容を聞いてみると、大抵はこういう話になります。

私はもっとこうしたいんです。でも今の自分にはそれが出来ません。
どうしたら、それが出来るようになるでしょう。
私は何を身につけないといけないのでしょう?
私はどう変わらないといけないのでしょう?

私が今と違う人間になれば解決する。
そして、それには今の自分にない何かを身につける必要がある。

というように思い込んでいるわけです。

その理由を探っていけば、社会の中での自分の存在位置を見ているから、そうなっているのだとわかって来るでしょう。

つまり、他人と比較し、まわりの人の標準がこうだから、自分に足りないのは何だろうと探すのです。

そして、いくら探しても答えが見つからないと、「私には他の人にあるのに、自分だけ出来ない何かの欠陥があるに違いない。だからいつもうまくいかないんだ。」というあきらめのような境地になる人もいるでしょう。

『すべては、恐れから来ていることを見抜くのです。』

もう赤ちゃんではないあなたは、誰かのいいなりにならないと、必要なものが手に入らないということはありません。そんな根源的な恐れを手放しましょう。

かつてはそういう立場だった親も、いまは逆にあなたに頼る状況になっていくのです。あなたは自分で状況を切り開けるし、それだけでなく人を助けることも出来るのです。

ましてや、誰かの機嫌を損ねると、自分の存在が危うくなるなどと、いつまでも信じるのをやめましょう。

また、誰かがあなたの意見に賛成しないからと言って、あなたの存在が否定されたわけではありません。
ただ相手は違う考えを持ち、あなたと違うというだけのことです。

あなたが怖れていれば、そんなちょっとした否定の言葉が、あなたの存在を脅かすことになるのです。『私の意見が否定されてしまった。大変なことが起きたのだ!』

あなたは、相手のことをコントロールすることは出来ません。

しかし、自分と同じ考えを相手が持たなくても全然問題など無いのです。
相手にいつもYESを聞きたいなどと無理なことは思わないことです。
たとえ、相手がNOといっても、あなたが動揺することなどなにもありません。

あなたの役割は、そんな駆け引きやゲームでなく、本当のあなた自身であることだけです。

そして、恐れから解放されている人は、あなたに対してあなた自身であることを期待し、自分と違う存在であることを求めてもいる、ということを観察してみましょう。『いかにも君らしいなあ!』

相手は、自分と同じことを考えてくれたり、その延長上にあることを求めているわけではありません。

あなたが自分に自信がないとは、言い換えれば「他の人がどう反応するかが、自分の存続に関わるのだ」という恐れを未だに持ち続けているということです。

だから相手が受け入れてくれたり、賛成してくれたりすると、ほっと胸をなで下ろします。

しかし、そういうやり方は恐れの奴隷状態であることに変わりありません。

いったん、相手がNOといったり、批判めいた雰囲気を感じ取ると、とたんに奈落の底に突き落とされるのです。

「せっかく仲良くなれたと思ったのに、なんで反対するの?」というようなバカげた言葉を使わないことです。

相手には、自分の考えを持つ自由があるし、いつでもあなたと同じ考えである必要もないし、さらには、あなた自身もそんなことを本当に求めてはいないのです。

ただ、恐れが根底にあるために、そんなことすら冷静に考えられなくなっているのです。

コントロールできないものは、他人だけではありません。

あなたに起こってくることは、全てをコントロールすることは出来ません。

他人を自分の思うとおりに変えようとするのと同じように、全て自分に起こることは、自分で100%コントロール出来ると信じるのも現実離れした考えです。

自分の選択次第で出来ることと、出来ないことがあることを見極めることが大事です。
なぜ大事かと言えば、あなたの時間は限られているし、どうせ何もかも出来るわけではないのですから、自分が出来ること、やりたいことに関わるのに集中した方がいいからです。

「しっかりした信念さえあれば、何だって出来ないことはない」と魔術的なことを信じて、いつまでも突っ走らないことです。

いうまでもなく「何だって出来ないことはない」という表現は、言葉としてだけ存在するのですから。

そして、「今まで自分は筋書き通りに生きてきた」などと、後付けの理屈で物語を作らないことです。
今までも、これからも、そんな物語は存在しません。途中経過だと信じたりするから、いまの自由な動きが制限されてしまうのです。

どこで、限界を知り、どこで止まるかを知ることが、その後の方向転回の道を切り開いてくれるのです。

そして、何もかも手に入れようとするのも、大抵はその根底に恐れが潜んでいます。

何が起こっても大丈夫なように、万全の備え、完璧な城壁を築こうとするのは、コントロール出来ない将来を恐れているからです。

残念ながら、防御を強くすればするほど、恐れは大きくなります。
どこまで行っても、もっとすごい怖れるものが登場してくるからです。
こんなやり方は、恐れをせっせと育てているようなものです。

恐れは、防御することでは防げないし、逆に戦いを挑んでも破れることになっています。

恐れに対処できるのは、それを受け入れることだけです。

他人と同じく、あなたに起こってくることもコントロール出来ない、さらにいえば、あなた自身のことだって、この先どう気が変わるかをコントロール出来ないのです。

しかし、そのことを一旦受け入れれば、何が起こってくるかにいちいち対応する必要はなくなり、恐れそのものが消え去ります。

防御こそが、恐れを何度も蘇らせていたわけですから。

あなたには、自分が選択すること以外には、何もコントロールすることは出来ない。

こんな聞きようによっては、おさき真っ暗な話も、それを受け入れてしまえば最強の武器になるのです。

あなたの鎧をつついて怖がらせようとする悪魔も、防衛を捨てて起きてくることを受け入れると決心した人間には、手も足も出ません。

悲惨なことも起こるかもしれません。
99%完成していたあなたの何かが、残り1%で突然ダメになるかもしれません。
悔やんでも悔やみきれません。

しかし、まわりの状況がどうであれ、そんなものに影響されないあなたはまだ残っています。
いつでも生きていれば別の選択は残っているのです。

「これしか生きる道はない」という言葉も、恐れからあなたの可能性を見切ってしまった判断に過ぎない。

それでも、別の道は選べるのです。

そう思えたとき、今この瞬間にも、まやかしの恐れのない安心できる世界が広がります。

気になることが出てきたら、何を怖れているのかを探って、放り出してしまいましょう。
出来ることを全てやったら、後は躊躇しないで、ただ手放すのです。

恐れに未練など無いですよね。
「本当に忘れてもいいのかな?」などと、恐れの誘いに乗ってはいけません。


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相手を自分の型にはめこまないように!

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「人は人、自分は自分」と言葉でいうのは簡単です。

しかし、こう言った次の瞬間には、相手のやり方が自分と違うことに気がついて、いらだち始めている自分を発見します。

これは、相手そのものが気に入らないのではなく、私の期待、私の型から外れていることが気に障るのです。

つまり、「他人とは自分を満足させるために存在するのだ。」という、わがままな自分が、ふと顔を出してしまうのです。

頭ではそんなことはないと思っているけれど、「どうせやるなら私の気に入るやり方でやって」という思いが、「なんであの人はいつもあんなやり方をするの!」に飛躍してしまいます。

自分の要求を泣くことでしか主張できなかった、赤ん坊の頃のやり方は、大人になってもどこかに潜んでいるのかもしれませんね。

ですから、このことは頭で理解して、自分はもうそういうことは卒業したと思ってみても、無理があります。

素直に、そういうわがままな自分が存在し、顔を出すことがあると認めてしまうことです。

そして、そのようなわがままな自分を理性で抑えてしまうのではなく、その欲求自体を一旦認めた上で、それを満たすためのお互いに利益のある関係を探してみましょう。

問題を起こすのは、(A)「そんな欲求は自分にはないよ」と理性で押し込めてしまう、(B)その欲求を満たしてくれないのはおまえが悪いと相手に投射してしまう、というどちらかのやり方なのです。

Aのパターンにはまって、自分の欲求を外に出すのが苦手だと思う人は、しばらく相手に悪いなどと思わずに、まずは小さな自分のお願いを口に出す練習をしてみましょう。

「別にいいよ、自分でやれるから」と思わずに、実験だと思って、自分の欲求を頼んでみるのです。

そのときの自分の変化に気がつけば、やがて無理に自分を抑えずに自然に対応している自分を発見するでしょう。

そうしないで欲求をため込んでいると、やがて一気に反転して、自分が満たされないのはまわりの人間のせいだと思って、非難に転じてしまいます。

つまり、Bのパターンに変わってしまうのです。

Bのパターンが強いと思う人は、まずはそのような人間の心理を理解してみることです。

そして、意外なようですが、自分の欲求を素直に認めるという、先ほどのAの場合と同じ訓練をしてみるのです。

その時、「相手には私の欲求を満たすべき理由がある」という理屈をつけるのではなく、「私がそうしてもらいたいと感じている」と認めながらそうする、という点が肝心です。

他人を自分の型にはめ込むやり方は失敗します。

一時的にうまくいくかもしれませんが、基本的に相手には相手の自由にする権利があり、自分の思い通りに出来るはずがないことを認めなければなりません。

「こうすれば人は自分の思いをかなえてくれる」方法があるとすれば、それはごまかしで相手を操作するのではなく、相手が自発的にあなたの欲求を満たしてあげたいと思うような方法であるはずです。

勘違いしたくないのは、相手の気に入ることをすれば、相手も返してくれるという取引ではないということです。

あなたが自分の欲求に素直でない限り、相手は本当にあなたを信じようとは思いません。

逆にあなたが素直に自分の欲求を見せるとき、ふだんから偽物の取引にうんざりしている人達は、あなたのうそのない素直さにほっとして魅力を感じるでしょう。

「私もそうなりたい」と思っていることを見せてくれるあなたに対して、その欲求を満たしてあげたいと自分から思うのです。



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せっかくあなたのためにしてあげたのに~黄金律はない

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「せっかくあなたのことを思ってしてあげたのに、何で怒られないといけないの?」

「誰のためにやってあげたと思っているの!」

よくあるパターンですね。

言葉通りに受け取れば、相手に問題がありそうに聞こえます。

しかし「あなたのために」がちらつくとき、相手の都合にお構いなしに、自分の「やってあげたい」が優先していることも多いものです。

キリスト教文化でよく使われる黄金律というものは、一般に次のことを指します。

「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」『マタイによる福音書』

しかし相手が「人にしてもらいたい」と思っているという判断は、いつのまにか「私があなたにしてあげられること」にすり替わってしまうことがあります。

そして、相手のためにやっていると言い聞かせることが、それで恩を売ったような気にさせてしまうのです。

それが「せっかくあなたのことを思ってしてあげたのに」という言葉で表現される隠された心理なのです。

「相手のため」という言葉に飛びつくのでなく、「私がしてあげたい」という気持ちが先行していないかに注意しなければなりません。

「私がいないとあなたは何にも出来ないんだから」という思いには、しばしば相手を自分に依存させ、一方で人を助けられる自分という役割を演じたいという、自我を満足させるための心理が潜んでいるのです。

どうしてもしてあげたい気持ちがあるのなら、ひと言聞いてみることです。「こうしたらお互いの役に立ちそうだと思うんだけど、やってもいい?」

このように私の側の考えで表現することで、実際は「相手のためだけでなく、自分がやりたかったんだ」とことに気がつくかもしれません。

相手のためと思ったとしても、相手と関わることは、なんであれ半分は自分の責任だと思っていればいいでしょう。
そうすれば、私の期待が裏切られて、あとで相手を責めるというようなことも、ずっと少なくなるはずです。

黄金律とは、黄金律などないということである。
あなたが他人は自分にこうすべきだと思うようなことは、他人にしてはならない。
好みは人によってさまざまである。

~ジョージ・バーナード・ショー




あなたが思っている「人はこうしてもらいたがっている」は、それほどスタンダードではないと思っていた方がいいでしょう。

人の好みは、しばしば私の想像など超えているものです。それが、普段一緒に暮らす人であってもです。

そして、人はそれほど終始一貫しているわけではありません。
昨日そういったとしても、今日はどうかわからない。

ですから、期待や予想に依存しすぎないことです。

予測は作業を効率化させるといういい面も確かにありますが、
一期一会の精神でそのつど汗をかいてみるという選択もあります。

予測への依存が軽くなるほど、期待はずれの苦しい思いも少なくなるでしょう。
さらには、予測でなく、いまここでの相手を見ることで、相手に無理に押しつけるような行動も防げるというものです。

相手は自由にさせて欲しいのです。
あなたがそうであるように。

そして、思っている以上に自分の力でやりたいと思っています。
あなたが横取りしてはなりません。

『好きにさせてくれて、ありがとう。』



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わたしの責任はどこまで?~許さないこと

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人を許すこと、あるいは「私は私、あなたはあなた」といった話題を扱っていると、よく誤解、あるいは曲解される方がいらして、何度も同じようなコメントをいただきますので、すこし補足しておきたいと思います。

人を許すって言ったって、わざと相手を困らせようとする人がいるじゃないか。
そんなのを、見て見ぬふりしようというのか?
そんな相手がいる以上、許すわけにはいかないんだ。
自分だけOKなら、いいというわけに行かないぞ!
問題を見ないふりして、相手を許せと言うのか?

といったような疑問です。

そこで、「わたしの責任はどこまで?」ということを考えてみましょう。

もちろん、自分の心の状態が原因で、他の人を困らせたり、八つ当たりしたりする人はいるでしょう。

しかし、それはその人の問題であって、私たちが代わりにどうすることも出来ません。その人が自分で変わろうという気にならない限り、どんなにうまく扱っても、最後は相手次第だという事実を見なければなりません。

そして、相手がひどいことをするから、私は怒っている。
その人を何とかしないと、私は納得しないというのは、すでに私の側の問題になっているということを、理解する必要があります。

どんなに腹立たしくても、「許さないで復讐する」というのは、あなたの問題に属することです。

また相手に変わって欲しいのは、私の問題です。
私は、「相手が私が期待する人になって欲しい」と願っているのです。
しかし、それは巧みに「私の願いは、相手の問題を何とかしてあげようとしているのだ」ということにすり替わってしまうのです。

人を変えることは、簡単ではありません。
というよりも、相手が変わる気にならない限り、最後は他の人にはどうしようもない問題だということを認識しなければなりません。

ときには、人はあなたが何かを望めば、よろこんで簡単にやってくれるかもしれません。
しかし、それが起こるのは、相手が変わってもいいと思ったときです。
そして、あなたの望みを叶えることが、相手にとっても喜ばしいことに繋がるからです。

相手のために何かしてあげたいと思うのも、自然な感情だとおもいます。
相手がそう思うとき、あなたが「~してもらえたら、いいな」と感じることは、すなわち相手への依頼になり、それが「かなえてあげたい」という思いに変わるのです。

しかし、一方で人はとことん頑固なものです。
その人にとっての、特有の恐れが関係するとき、他の人から見ればなんでもない変化であっても頑なに拒むでしょう。

それをほぐすことは、簡単ではありません。
あなたが何を望むかなど、相手の問題の強力さには及ばないのです。

別にあなたを困らせることが本当の目的ではありません。
相手の恐れていることが解決しなければ、他人を気遣う余裕は持てないということです。

こじれた問題は、あなたがいくら相手を変えてあげたいと思っても、簡単にはいかないし、それが出来ないあなたを責めることは誰にも出来ません。
どこまで関与できるかを見極めなければ、あなた自身を責め続けることになります。

それは、ときには、専門家が何年もかけて取り組むような問題かもしれないのです。

ポイントや注意点をまとめましょう。

・あなたが実際に変えることができるのは、あなた自身だけだということ。

・相手を変えることができるのは、その人自身だけであるということ。

・あなたの願いを相手が受け入れることは、うれしいかもしれないけれど、あくまで相手次第であるということ。

・あなたが相手の態度を怨んで、許せないで自分自身を痛めつけるのは、もはやあなた自身の問題だということ。

・相手が悪いのだから、ドラマのように相手が罰せられないとゆるさないと思うとき、そこに、あなた自身の問題が隠れていないかを振り返ってみましょう。

・相手が変わらなくても、あなたは自分を喜ばせることは出来るのです。

・「相手が変わらない、だから私もこんなことをしてしまうのだ」というゲームは、非常にありふれたもので、時には社会も後押しするようにも錯覚します。
しかし、自分はそれに、はまってしまわないようにしましょう。
そこから先は、あくまであなた自身の問題なのです。

・どんなにひどいと思っても、相手を許しましょうという考え方があるのは、あなたが相手の問題に汚染されて、自分の問題にまでしてしまわないようにと言っているのです。

・本当に人を変えようと思うのなら、それだけのパワーをあなたが持っていなければなりません。本当にそこまで関わる腹づもりがあるかどうか確認してからにしましょう。

あなたは、『わざわざ』、わからず屋さんに悩まされる必要はありません。
そんなに暇ではないはずです。それでなくても、あなた自身の問題があるのですから。

ですから、自分が本当にやりたいことに時間を使いましょう。

そして、自分がやりたいことをやっている人こそ、他の人を気遣う余裕も持てます。

また、自分のことも満足させられないのに、相手の問題など理解することも出来ないでしょう。

あなたが自分の要求を素直に表現できるほど、あいての望みを聞くことも自然に出来るようになります。

そのようなことを踏まえた上で、次のように宣言するのです。

 *.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*

ゲシュタルトの祈り

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

私は私。あなたはあなた。

でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

 *.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*

「相手が変わらない、だから私もこんなことをしてしまうのだ」というゲームは、ごく自然でたわいのないことに思えるかもしれません。

そこから発展すれば、第三者に「どんなにひどいか聞いてよ」というゲームになり、悪人のプレーヤーの存在が必要不可欠なものに変わっていくのです。

それが、あなたの許容範囲に止まっていれば、たわいない愚痴話に終わるでしょうが、あなたの中にスッキリしない何かを育て続けてしまうのです。

テレビドラマの主題を探してみれば、そういったゲームで成り立っているのを発見するでしょう。普通なら、敢えて一歩を踏み出さないようなことを、主人公はやってしまう。ゲームが深刻さを増すことが、ハラハラを作り出す。

「ひどい話」であるほど、解決したときの感動が大きいと錯覚する。
「最初から大きくしなければいいだけじゃない」などというのは、御法度になる世界が出来てしまう。

「これと比べれば、私の場合は問題じゃないわ」と思って慰めるのが、カタルシスだと思ってしまう。

ですが、たわいないと思えても、相手を許さないことは、やがて自分自身にも許せない部分を作り出します。
それが、あなたの人間性をも作り上げていくのです。

「許さない」を「許せない」にすり替えないことです。

かくして、社会には、許したい人、許されたい人があふれています。

ヘミングウェイの短編。

゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜

不幸な出来事が重なって、親子は仲違いして少年は父親を置いて家を飛び出す。

息子を捜し続ける父親は、最後に新聞の尋ね人欄に広告を出します。

愛するパコ。
明日の正午、マドリードの新聞社の前で会おう。
すべてを許す。愛している。

翌日の正午、新聞社の前には
許しを求めて800人のパコが国中から集まった。

゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜

参考
幸福セラピー グレン・ヴァン・エカレン
ディスカヴァー・トゥエンティワン / 2005-12-06 /


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知足知止の勧め~どんな状況でも安全

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まあちょっと腹が立つと仮定する。
腹が立ったところをすぐ十七字にする。
十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。
腹を立ったり、俳句を作ったり、そう一人が同時に働けるものではない。

ちょっと涙をこぼす。
この涙を十七字にする。
するや否やうれしくなる。
涙を十七字に纏めた時には、苦しみの涙は自分から遊離して、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉しさだけの自分になる。

草枕 夏目漱石

~~~~~ ◇ ~~~~~

文字にする前の自分は、わけのわからない混沌である。
それが文字に変わったとき、自分の一部が明らかになる。

明らかになったとき、ただそれが見えるようになっただけではなく、見える形にすることで自分を切り取ったことに気がつく。

切り取るとは、それが全てではないけれど、それが自分を代表していると宣言することになる。

わたしは、それを言い切れないで苦しい思いをしていたのだ。

私は赤でも青でもあると、ぐずぐず言い逃れしていたことから、脱出できた。
それは、他の選択を切り捨てることでもある。

言い換えれば、あれもこれもが、私を悩ましていたのだ。

私は赤ですと言い切ったとき、青を捨て去りその未練を断ち切る。
しかし、それで解決だろうか。
やがて青は消えていなかったことが明らかになる。

はっきりさせないと、スッキリしない。
はっきりさせても、納得しない自分が現れる。

~~~~~ ◇ ~~~~~

まあこんなことを書いていてもきりがないですが、私たちは社会的な存在にならなければいけない一方で、社会的存在だけでもいられないのです。

片方だけで答えが出るという意見は、正しそうに思えてもオールマイティにはなりません。

それでは、どうしようもないじゃないか。

草枕流に言えば、どうしようもないと感じたとき、詩が生まれ画ができるのかもしれません。

芸術に道を見いだせないなら、他に方法はないのだろうか。

そこで登場するのが、老子の語る『知足、知止』という教えです。

私たちが、いま親しんでいるこの社会は、より多く、より大きく、より強く成り続けることを推奨します。

私たちも、それに答えることが、自分の幸せに繋がり、また実際のところ部分的にはそれが成り立つ様に思えます。

しかし、どんなことであろうと、いつまでも右肩上がりのままではいられません。
会社しかり、国家しかり、そして私たちひとりひとりもまた、いつまでも同じ状態で居つづけることは出来ません。

「知止」とは、どこで止まるかを知ること。

これを知る人は、どんな状況にいても、安全でいられます。
いつまでも続かないことを知っているから、どんな状況が現れても、うろたえることはありません。

また、強大になりすぎることの危険を熟知しています。
それは、行きすぎれば、やがてリセットされて、逆サイドに戻ることを意味しているのを知っているからです。

「知足」は、皆さんおなじみの、満足することを知るということです。

それの意味を本当に知れば、あなたが今どんな状況にいようと、たった今、豊かになることが出来ます。

今自分が持っているものが、いかに豊かであるかを知るからです。

よくこのような話題では、「あなたよりもっと貧しい生活を強いられている人がいるんですよ」と比較を持ち出す方がいらっしゃいますが、比較していたのでは、「知足」には導かれません。

そのような、状況に依存するのではない理解が、絶対的な知足をもたらすのです。

もともと、私たちは知足も知止も自然に受け入れていたはずなのです。
自分ひとりなら、もう一つ欲しくても、一つも持っていない人が現れれば考えは変わるのが自然なのです。

もちろん社会に関わっていても、それが出来ないはずはありません。
そして、華やかさにあこがれて、求め続けるゲームなど、本当は求めていないし、そうしなくても満足できることを知っています。

比較することばかりに時間を使うから、そのような単純な解決すら見えなくなるのです。

本当の豊かさは、いつでも目の前にあります。
それは社会から提供されつづける、本当はつまらないサービスに惑わされていては、いつまでも見えてこないのです。

険し道、訪ね歩いて、広き道

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内面の成長を遂げるには

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自分の内面が、あなたの世界を作り上げています。

「いや、外の世界があるからこそ、自分は喜んだり、悲しい目に遭うんだ。」
というのも、一面では真実かもしれませんが、やはりその外の世界を見せているのは、自分の内面の反映なのです。

「世界が先にあってその中に自分がいる、いくら内面だけ追求してもどうにもならない」と、主張するのはかまいませんが、実際に自分の内面を調べてみれば、外の世界が変わってくることはすぐに確認できるでしょう。

最初は、「そういう面もあるかな」だとしても、やがてだんだんと「そういうことだったのか」という確信に変わってくるでしょう。

そのためには、内面と外側の世界を行き来して、どっちのせいだと揺れ動くのではなく、じっくりと自分の内側を追求してみることです。

どう思っていようと、自分のまわりには、そのような思いを打ち砕くような堅物が存在すると思っているでしょうか。

しかし、そのような人が、よりによってあなたの前に現れるのは、本当にあなたに関係が無いと言えるでしょうか?

あなたの内面の迷いや葛藤の片割れが、目の前の人に現れてくるのです。

ですから、あなたの迷いを断ち切って、信じる方の自分をそのまま成長させましょう。

◆なぜこの人はこんなに強情なんだ思っても、相手の機嫌をとらずに、自分の信じることをやり続けるのです。

うまくいかないのを、外の世界のせいにするのは簡単です。

理屈などまわりを探せば、いくらでも見つかるでしょう。

ですが、それでは自分が隠そうとしていることに、向き合うことが出来ません。

◆自分は「なぜこんなにかわいそうなんだ」と思うことを、きっぱりやめることです。

世間が評価していることに同調することで自分を安心させていると、だんだん自分の望みが何であるかがわからなくなります。

それは世間から批判もされないけれど、誰の記憶にも残らない誰でもない人でしかありません。

あなたはそんなことは望んでいないはずです。

反対する人が多いと、すぐに「自分の意見など価値がなさそうだ」と自分を偽らないことです。

◆人の評価で自分の行動を変えない勇気を持つのです。

時には自分を偽ってまわりに流されることもあるかもしれませんが、それが後々やっかいなことを引き連れてきます。

また、そのことが自分自身を信じることの邪魔をして、確信を持った行動が取れなくなってしまうのです。

中途半端にならないこと。

◆徹底的に自分に正直になる。妥協したり自分を納得させようとしないことです。

ときには、長い間付き合ってきた自分に、決別することが必要かもしれません。

今までこれでやってきたじゃないか、考え直すんだと、引き戻す力も働くでしょうが、それが自分の成長になると確信できるなら、思い切って手放す勇気が必要です。

◆慣れ親しんだ自分であっても、一歩離れてみることを断行するのです。

あなたの内面がはっきりしてくるほど、まわりの世界はあなたにとって行動しやすい世界に変わってきます。

何が起こるかわからないとビクビクする世界ではなく、親しみと、そして新しい挑戦に満ちた世界に変わるのです。

たった1つの、これくらいいいだろうという妥協が、確信をだいなしにしてしまいます。

ちょっと怖いから「また今度」が、せっかくのチャンスを消し去ってしまうのです。

問題と付き合っていても、いつまでも問題は残り続けます。

なぜ問題が起きたのかわからなくても、解決策がわかるなら解決と付き合えばいい。

しかしなぜか私たちは、いつまでも「問題だ、問題だ」と唱え続けたがるのです。


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もし~してくれたら 期待がなければ

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私たちの悩みのほとんどは、人間関係から生じているように思えます。

そして、それらの原因のほとんどが、私たちの側の勝手な期待から生じてはいないでしょうか?

つまり、相手の行動を見て、いらだったり期待はずれに感じるのは、「もし~してくれたらいい人、そうでないと私は機嫌が悪くなる」という一方的なあなたの決まりがその根底にあるのです。

誰かとの関係とは、「その人が私の期待に応えてくれるかどうかである」という「条件付き」のつきあいだと決め込んでいて、無条件の関係など期待できないと思うのが習慣になっているのです。

ですから、その原理に従うなら、人間関係とは、もしかすると私の期待と違う結果が生じる可能性があるから、私を傷つけたり、痛めつけるかもしれない怖いものになってくるのです。

しかし、本来人と人との関係とは、前提として条件がつけられているわけではありません。

あなたと違う考えを持つ人がいても、それが間違っているとか、そんなやり方をすると悪いことがあると、あなたの側で思わなければ、本来ニュートラルな関係に過ぎません。

相手の行動があなたに直接的な被害をもたらすなら、それを拒絶するとか、関係を絶つ必要も生じるでしょう。

しかし、あなたは多くの場合、なにも起きていないうちから、かってに警戒し、そのような警戒を引き起こすのは相手のせいだと思い込んでいるのです。

「相手がいなければ、私は平和なのに・・・」と。
しかしそれは本当でしょうか?

たとえば、あなたが全く知らない人と出会ったします。

最初はその関係は真っ白でニュートラルです。

会話を交わす前の相手の容貌などから、すでに過去の記憶が先入観を引き起こすかもしれません。

そして、あなたは早い段階で、相手がどういう人か見極めたいと思うので、その構えから、相手の特定の言葉に過剰に反応するのです。

それらのキーワードから、あなたは相手の人物像を早々と完成させてしまいます。

たしかに、全く先入観なしに相手と接することは無理かもしれません。

しかし、だから「100でなければ0です」と諦めないで、いつも50%の期待感をもつのなら、10%に抑えたらどうなるだろうと考えてみてください。

もしかすると、あなたはいつも90%も期待しているので、本来の50/50の可能性に戻すだけで、画期的に違って見えてくるかもしれません。

また、人間関係とは「何が期待できるか」だけで成り立っているのではないことに、気づくことです。条件を抜きにした関係がなにも無いとしたら、それ自体さびしいではないですか。

あなたが今日いらだった時を思いだしてみましょう。

そこには、必ずといっていいほど、あなたの期待や条件付けが存在しているでしょう。

「相手はこういう人でなければならない」と期待しなければ、そもそも、いらだつこともないし、相手のせいで自分は被害を受けたと思うこともないのです。

そして、相手には相手のしたいことをする権利があります。

反射的に、期待を思い浮かべたり、「相手のせいでこうなった」と結論づけることをやめてみましょう。

何も考えずに、相手への期待なしに、ただ自分のやり方で自分の思うとおりに行動してみるのです。

相手はあなたの期待にかかわらず、あなたに賛同するかもしれないし、反対するかもしれません。

それが、本来の反応なのです。

そうやって、あなたが色づけしなければ、ありのままの相手が見えてくるでしょう。

いらつくのは、相手のせいではなく、ただあなたが独り相撲をとっていただけだと気がつくでしょう。

そしてそこから、あなたが普段から、どんな期待を勝手に作り上げているかが見えてくるでしょう。

相手の顔を見る前から、反応を決めつけているあなたが見えてこないでしょうか。

それに気がつけば、いいニュースがそこにあります。

それが単なる習慣だとわかれば、あなたの側だけで、たった今からそれをやめることも出来るのです。その結果、いらだちも消え去るのです。


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怒れる自分を研究してみよう

怒る女の子不機嫌・怒る怒り


『怒りは身体によくない』
たとえば「怒って頭に血がのぼって、血圧があがって、・・・」というようなイメージから、そのようなことを想像できますね。
調べてみれば「怒りは身体によくない」というデータも多く見つかるかもしれません。

『怒っている人は手に負えない』
まわりがいくらなだめても、聞く耳を持たない。怒りのあまり何をしでかすかわからない。
冷静になって、こちらの話を聞けるようになるまでは、どう扱っていいかわからない怪物になってしまいます。

『すぐに怒る人は底が浅い人間なんだ』
逆に言えば、少々のことでは怒らない人の方が、余裕がある信頼できる人であると思われます。

さて、他にもまだまだあるかもしれませんが、怒りという感情は、どちらかと言えば、やっかいな悪い感情という評価に傾きがちなようです。

そこで私たちは、自分を怒らない人にしようと努力します。

怒るという反応自体を消せないまでも、怒りを大きくさせないでいるとか、持続させないようにしようと考えていれば、表面的にはある程度コントロールできるようになるでしょう。

そして「君は大人だね」とか言われることで、自分を少々のことでは怒らない人間に作り上げようとします。

しかし、怒りを無視することで、そんなものはないかのように振る舞ってみても、長続きしなかったり、根本的な解決には繋がらないでしょう。


それでは、どうやって怒りとつきあっていけばいいのでしょうか。

まずは、「怒る自分」を受け入れることから始めてみましょう。

最初はいろんな種類の怒りを区別できないかもしれませんが、とりあえず「怒り」に分類される感情を、排除せずにその存在を認めてみることから始めるのです。

自分が怒りを感じたら、いいとか悪いとかすぐに判断を下さないで、その感情を自分のものだと認めてみることです。

しかしそれで終わりではありません。それがスタートです。

少なくともコントロールなしに自分の怒りの感情を見られるようになれば、いいスタートだと言えます。

しかし、人によっては、これは難しい場合があります。

そんな自分は自分じゃないと自己イメージを作り上げている人は、それを自分の感情だと認められなかったり、即座に別のすり替えを行って曖昧にしてしまうからです。

それでも諦めないでください。この先を読めば気が変わってくるでしょう。

さてスタートが切れたら、しばらく自分のいろんな怒りと付き合ってみましょう。

そうすると、純粋な(比較的に)怒りと、作られた怒りを区別できるようになるでしょう。

「作られた怒り」と分類したのは、本来の怒るべき原因が存在したのではなく、反射的に自分を守ろうとして起きてくる怒りのことです。

人は自己イメージを守ろうとして、起きたことに対して、その存在を否定したり、それがうまくいかないと、自分以外にその原因があるというすり替えを行ったりします。

たとえば自己イメージからして「そのような自分がいるなどと認められない」と思っているとします。

そんなとき、私たちは誰かにそのことを指摘されると、素直に認める代わりに、それを言った相手に怒りをぶつけます。

「何を馬鹿なことを!そんなわけない!」

そして、相手の言葉を信頼できないものにおとしめることで、本来の自分と向き合うことから逃げようとします。

ですが、そのような防衛反応からは、誰であろうと完全に自由ではないものです。
まずは逃げないで、それを明るみに出すことが重要なのです。

そのために、先ほど言ったようにまずは、どんな怒りであろうと、それが自分の感情であると認めることから始めるのです。

やがて本物の怒りと、偽物の作られた怒り、つまりは自分の防衛が区別できるようになります。

そして、それを認めてしまうことが、思っていたほど恐ろしいものではないとわかってくれば、受け入れることへの抵抗がどんどん軽くなってくるでしょう。

そこまで来れば、自分が怒りを感じたら、即座にそれを認められるし、正当な怒りなら自分に怒ってもいいよと言えるようになるでしょう。

また、作られた怒りの原因をつかむことも容易になります。

自分のやっているごまかしや、すり替えを正直に認めることも出来るようになり、自分が何から逃げようとして「怒り」を使おうとしたのかがわかってきます。

「怒りは外に向けられた恐れ」といわれることがありますが、まさにその「恐れ」を突き止めることができるのです。

繕って怒りを隠していても何も変わりません。
最初は戸惑いや、苦痛があるかもしれませんが、ありのままの感情を認め受け入れることです。

これが怒りであれ、他の感情であれ、その正体を突き止め、隠そうとしていた自分を排除しないで、完全な自分を取り戻す公式となるでしょう。

もちろん、自分の感情をより理解できる様になるにつれ、他人の感情もよく見えるようになってきます。

相手の感情に対して、付き合うべき時なのか、かわしたり拒否すべき時なのかも判断出来るようになるでしょう。

怒りの感情も、訳もなく存在するわけではないでしょう。
その理由をわかってこそ、自分を取り戻すことも出来ます。

そして、その感情が望ましいかどうかは、社会的な尺度であって、自分を理解することとは別のことだと理解しておくことです。


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人よりうまく生きようとしない

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人と比較することが、苦しさの原因になることを知っていながら、それでも比較をやめられない。

それは、かろうじてそれで自尊心を取り戻そうとしているからなのでしょう。

しかし、「人よりうまく生きよう」という思いが苦しさを作り出す元凶であることに気がついていない。

のどの渇きを癒そうとして、海水を飲むようなもの。

直接比較しないでいても、自分が優位になれると思えるものには、ついセンサーが働いてしまうのです。

たとえば、「これが他の人と差をつける○○な秘訣です」、「誰も気づかなかったこんな秘密」、「これであなたは人の何倍も○○できる」、などという言葉に目がとまる。

自己啓発や向上のためと言い聞かせて、人よりも優位な自分にあこがれてしまいます。

ですが、このような秘訣を手に入れようとすると、そのこと自体が自分を苦しめることになります。

自分の方が勝たなければ、その方法は意味がなくなるわけで、途中で人を蹴落とすことになっても、それをやめるわけにいかなくなるのです。

勝つ方法ばかり追求していると、いい加減、何のためにそうしているのか、むなしくなってきます。

自分だけ勝つ方法は、それ自体に苦痛を含んでいるのです。

魅力的に見えた必勝法も、いつの間にか、罠にはまってしまったように感じて、ふりほどいて逃げ出したくなります。

競争も状況によっては必要でしょうし、若いうちから競争を避けていては、負ける悔しさも、負けた人の苦痛も感じられなくなります。

そんな状態で苦労せずに勝つ側にたってしまえば、人を搾取することに何のためらいもなくなってしまうでしょう。

ですが、いつまでも競争ばかりやっていられない。

競争自体が目的になってしまっては、自分の中心からずれたままになってきて、本来何のために生きているのかがわからなくなる。

勝ち続けなければならない状況に身を置いてしまうと、いつになってもそこから解放されず、また何のために勝とうとしているのかも、わからなくなってしまいます。

よくWinWinの関係だといって、自分だけ勝つのではないと言い聞かせる人もいますが、そのような関係が成り立つためには、自分も相手も勝ち続けないといけないのです。

そんな風に、永遠に右肩上がりに勝ち進めると思い込むのは、どこかおかしいとに気がつかないといけません。

自分にしろ、相手にしろ勝てなくなったら、その関係はどうなるというのでしょう?


話題を戻しましょう。

人よりうまく生きなければという思いが、日々の楽しみを台なしにしてしまいます。

社会的な存在としての自分は、人より優位に立つ方がいい時もあるでしょうが、私たちは、いつでも社会的な自分でいるわけではありません。

比較の世界から逃れて、ひとり安らかさに身をゆだねる時間を持ちたくなる。
そのバランスをとることを忘れてしまうと、おかしくなってしまいます。

そのどちらが大切だとも言えない。昼と夜とどちらが大事かというようなもの。

社会的な存在だけで生きていれば、いつのまにか、表の自分だけを自分だと思ってしまいがちです。


うまく生きようと思わなければ、どれだけ気が楽だろう。
結果を気にしなくてもいいなら、どれだけ楽しく大胆になれるだろう。

そして、それもこれも、もとをたどれば競争に勝とうとすることが理由なら、そんなものは切り替えてしまう時間を持つのだ。

自分の中から訴えてくるものがない間は、とりあえず目の前のことに身を任せ、うんざりしてきたら、勝ち負けを忘れて好きなことに身を任せてしまう。

どれもこれもうまくやれなんて、誰が決めたのか?
思いっきり「へた」をやってみよう。

いつでもうまくやる人が相手では、他の人も疲れてしまう。
たまには、相手を休ませてあげよう。

自分でもうまくやらないことを楽しもう。
へたをやってハンデを作っておかないと、うまく切り抜ける楽しみもなくなってしまうだろう。

正しいと思うことをやってみよう。
しかし、それが正しく働くかどうかは、気にする必要はない。

どこまでうまくやれば「楽しいままでいられるか」、それを見極めよう。
それ以上は、私の関知しないことだと思って、結果に預けてしまおう。

最初を間違えなければ、間違いが大きくなることもない。
後のことは、放っておてもなるようになっていく。

気にせずに結果を楽しもう。
悪い結果であっても、それは次のイベントへの原因でしかないのだから。

人よりうまく生きることなど、たまたまの結果であって目的ではない。
それが出来ないときがあっても、大したことではないし、それを求めることで苦痛を感じることはばかばかしい。

そのことに気がつけば、世界は楽しみに満ちてくる。
裏の世界ももう一つの表の世界になるのだ。


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許すことは不公平なもの

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人を許すこと、あるいは自分に被害をもたらした出来事を忘れること、これらは簡単に納得できるものばかりではありません。

多くの場合、私たちは相手を怨み、復讐しないと納得がいかないと思ったり、自分に起こった理不尽な出来事を忘れるには、受け入れがたい怒りをどうすればいいのかと叫びたくなるでしょう。

しかしいくら納得がいかなくても、復讐しないといられないからと言って、恨みを持ち続ければ、相手よりも自分が先に倒れてしまうでしょう。

それは心の内面だけでなく、文字通り自分の身体をも滅ぼしかねません。

となれば、「納得できるまで諦めない」ではなく、納得できないままでもそれと付き合っていく方法、方向転換する知恵を持たなければならないでしょう。

納得できる解決が見つかってこそ解決だ、それ以外に決着はないと言い張ることは簡単です。
しかし簡単ではあっても、いつまでも答えは出ない。

理不尽なことを飲み込んでも自分を生かす方法を見つけることこそ、知恵というものではないでしょうか。

許すこと、そのまま受け入れることは、多くの場合不公平なものです。

私は人を裏切ってはならないが、私を裏切った人は許してしまわないとならない。

私は借りたものを確実に返すべきだが、返さない相手には目をつむってそれを許さなければならない。

そういうこともあるわけです。

そして、それを受け入れることで、初めて次の段階に進めるのだと気がつかなければなりません。

しかし、理不尽な事態をどう受け取るかには、非常に個人差があります。

その違いを生み出すのは、どのように事態に対処するかという点で大きく変わります。

まず、最初に起きたことを受け入れるという段階があります。

この段階では、あまりにも受け入れがたいからと言って、受け入れることを拒否する場合もありますが、いつまでも現実を見ないままではいられない。

見ないままでいたいとしがみつけば、それに伴った多くの自分を犠牲にしなければなりません。
いろんな面で無感動、無感覚になった自分を抱えることになるわけです。

恨み続けることが全てに優先になってしまい、他の人生を放棄することになりかねません。


次に、起きたことを受け入れた上で、それをどう解釈するかという点があげられます。

この段階では、人によって非常に差が生まれてしまいます。

それはあるべきではなかった。
起きたことを許すべきではない。
だから誰かが責任をとらなければならない。
責任をとれる人がいないことなら、天を恨み、神を疑い、自分は世界を受け入れないと言い続けなければならない。

こういった考えを、どれだけ強く持ってしまうかということが、大きな違いを生み出すのです。

「起きたことは仕方がない。もう忘れてしまった。」と即座に言ってしまう人から、「この恨みは一生かけても晴らさないわけに行かない。それを私の生きる糧とする。」と思い続ける人まで、大きな開きがあるのです。

誰もが納得するような答えはありません。
そこには、答えなどなく、ただ何を受け入れるかがあるだけです。

誰のせいでもないと思える人には、責任をとるべき人も、恨みを抱く人も最初から存在しません。

そこまで行かなくても、無理は感じるけれど、何とか自分を納得させて、どうにもならないことを受け入れようと決心することも出来ます。

そして、その決心が次のステージに自分を導いてくれることを、見通す知恵を持てるかどうかが重要なのです。

現実は不公平なものだし、理不尽なことも起こりうる。
それを怨んで生きるか、忘れて次に進む道を選ぶか。

どちらを選ぶかは、他の誰でもなく、自分が選ぶことであり、自分の責任なのです。

そして、その差は天と地ほど違うものになるでしょう。

許すことは、優しさの表れではなく、いつまでも不満を言う自分を断ち切る克己心や、やると決めたことを徹底してに遂行する持続力も必要になります。

心情は揺れ動くもの、一度変われば元に戻らないというわけにいきません。
ですから、許すことにはそれが全てではないにしても、心情に流されない変わらない自分を維持することが必要なのです。

一生許さないでいるか、一生許し続けるか、
そういうことかもしれませんね。


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まわってきたものを楽しもう

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覚えておきたまえ
人生においては、
宴会に出ているようにふるまわねばならない
何かがきみのところにまわされてきたら
手をのばして
一部を行儀よくとりなさい
そして、滞留させずに次にまわすこと
でないと二度とまわってこなくなる
あれがほしいとはっきり言明せず
それがきみの前にまわってくるのを待て
そのように子供にも
妻にも
役人にも
富に対しても行え

エピクテタス



わたしたちは、まわってきたものを楽しもうとせず、自分が欲しいのは他にあると言って、宴会場をきょろきょろ探し回ります。

「もっといいものがどこかにあるはずだ」

まわされてきたものは、探そうとしているものと同じか、それよりいいものかもしれない。

しかし、一目見て「これじゃない!」と判断してしまうのです。

なぜそのような癖がついたのかはわかりませんが、何もせずにいいものは受け取れないと信じているのでしょう。

そのおかげで、せっかくのご馳走は味わうことなく、他にまわされていきます。

気がついて欲しくなっても、もう売り切れてしまうのです。

他を探したがるのは、未来への希望と似通っています。
いまここで楽しむことをしないで、先にはもっといいものがあると期待するのです。

未来が巡ってきても、そのときには、やはり「いまここ」でしかなくなっていることに気がつきません。

代償を支払えば、ようやく受け取る資格が出来ると思い、『ただ、さしだされたものを受け取る』ということを許さなくなってしまう。

なぜそうなったかを追求しても仕方がない。
たった今から、巡ってきたものを、余計な判断を加えずに受け取る習慣を取り戻しましょう。

喜んで、一部を、行儀よく、うけとるのです。
全部とろうとしたり、これしかないのかと言いながら受け取っては、せっかくのご馳走が台なしです。

そうすれば、自分の世界も捨てたものじゃないと思い直すでしょう。

宝物は、たった今も目の前に存在して、あなたに受け取られることを待っているのです。



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