« ホーム »

サイレント・パワー

gum04_ph09007-s.jpg


感情というのは、なかなか手強いものです。

理性で抑えようと思っても、「その感情静まりなさい!」と言ったところで、すぐには変化しないことは何度も経験されているでしょう。

ですが、その人の感情に責任が持てるのはその本人しかないだろうというわけで、自分の感情を何とかしなさいと言われてしまう。

確かに理屈はそうですが、それじゃあといって簡単に収まってくれないのが感情ですから、責任はとらされるけれど、どうしていいかわからない。

とりあえず、大人としては自分の感情に責任を持ちましょうということで、何とかしないといけないものだと言い聞かせて生きていくことになります。

しかし根本的な解決はわからないままではないでしょうか。

強い感情や、混乱状態にあるとき、なんとかしようと思うのは、却ってマイナスである場合が多いのです。

「なんとかしなければ」と思ったとき、その感情についてあれこれ考え、わからない原因を考え出したりすると、それが引き金になって対処できない自分を責めたり、どうにもならない状態が突然起こることに無力さや恐れを感じ始めるかもしれません。

そうなると、何とかしろなんて言われたって、私にどうしろと言うんだと開き直ったり、当たり散らしたくなってくるのです。

あるいは、逆のやり方をとる人もいます。

先ほどの「その感情静まりなさい!」といえばぴたりと収まるかのように、感情など制御可能なものだと信じ込もうとするのです。
あるいは、「私はもうそんな感情は卒業した」だから私はそんなことを感じたりはしないと言い切ります。

ですが、このようなやり方は、ほとんどの場合、抑圧しているだけで、じわじわと自分の中にエネルギーをため込んでしまいます。

どこかで爆発するか、あるいは心身に徐々に影響を及ぼすかたちで、そのエネルギーを表に出そうという力が働いてくるのです。

そこで、なんとかしたいと焦って、大きく扱うのでもなく、過小評価するのでもない対処のしかたを考えましょう。

phm21_0049-s.jpg


感情や、混乱に対処するには、沈黙の力(サイレント・パワー)を適用しましょう。

サイレント・パワーとか言っても特別な意味があるわけではありません。
ですが、行為を起こす表現は色々あっても、何もしないことを能動的に表現する言葉はあまりありませんね。(老子の無為を為すというような)

どうしても力を表現したい人のためにこういった表現を使ってみたわけです。

ですから、サイレント・パワーはパワーと言っても力を入れないというパワーです。
なんでも能動的であればいいと思い込むのをストップさせるおまじないです。

感情や混乱が起きたとき、ただ沈黙してそれを見守ると言うことです。

先ほどあげたような、何かをしようとする計らいが、感情を大きくしたり、あるいは内に閉じ込めてしまうのです。

感情や混乱は、今あるそのままの大きさで、そのままでいさせることです。

否定も肯定もせずに、その存在を認めたまま、私自身は沈黙を保つとき、感情は自らの役目を終えたら自然に消え去っていきます。

早く消えさせようと思って、もう収まったことにしようとか焦っては、残り火が蓄積されてしまいます。

そんなことは感じていないと言い聞かせながら、何となくイライラするのはなぜだろうと訴えるのは、うまく処理されないままの感情の存在があるのでしょう。

それから、それらの感情について自分が責任を持てるとか、なんとか説明できるかのようなふりをしないことです。

社会的な責任の話をしているのではないのです。
わからないことは、わからないと認めることをしなければ、嘘で固めた説明書に囲まれて生きていくことになりませんか。

この間のあなたのイライラは、原因がわかりましたか?
この前おもわずカーとなったとき、それを止める方法をわかっていたでしょうか?

どうにかしようと思うことよりも、むしろ今自分がイライラしているとか、落ち着かないことを認めることの方が重要です。

そして、原因はわからなくても、その存在を認めた上で何もせずに黙っていましょう。

手をつけられないことに対しては、潔く沈黙していることです。
感情は感情自らにゆだねてしまいましょう。

何もしないこと自体は簡単です、ですが何もしないでいつづけるのが難しく感じるのです。

それでも何かしていると思いたい人は、サイレントパワーを使っているのだと言い聞かせましょう。

コップの中の濁った泥水をきれいにするには、何もしないで静かに置いておくのが、ベストであり、オンリーの方法なのです。

なんでも能動的で積極的でないと落ち着かないという偏りを正すのが、サイレント・パワーなのです。


Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png



ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と幸せ
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







付き合いたい人・逃げ出したい人、さて自分はどうだろう

ilm2007_02_0125-s.jpg

世の中には、一緒にいるとだんだん自分が調子を崩してしまうタイプの人がいるものです。

一方では、自分の潜在的な良さを見つけてくれたり、励ましてくれる人、自分が考えていることを黙って批判せずに見ていてくれる人などなど、自分が成長するのを助けてくれる人もいます。

それらは一見明らかなようでもありますが、気がつかないうちに影響を受けているという場合もあります。

私たちの心情からすれば、この人を信じたいと思えば、何もかも肯定したいかもしれませんが、やはりすべてが一致するわけではないし、誰かに依存することなく、自分を持っていることも必要でしょう。

好き嫌いだけで判断するのではなく、長期的に見て自分にとってプラスな面を持っているかどうか判断することも必要です。

もちろん、あなたにとってプラスだから、誰にでも合っているとは言えないし、あなたにとっては、あまりメリットはないけれど、他のタイプの人にはとても役に立つ存在であることも考えられるわけです。

ですが、最初に言ったように、「だんだん自分が調子を崩してしまうタイプ」というのは、ひとつの手がかりかもしれません。

私たちは、ずっと変化しないでいるわけではありません。
たえず、成長し、かつては理想だったことも、今は興味が無くなって、他の関心を追い求めているかもしれません。

その意味であまり固定した理想にこだわったり、自分を決めつけないことであり、またそれは同時に他人に対する姿勢でも気をつける必要があるでしょう。

かつてはあなたの助けが必要だった人も、これからは自分でやりますと言い出しているとき、あなたがまだ「私を必要なままでいて」と思ってはならない。
それは、寂しい面もありますが、一緒に喜んで送り出すべきです。

そうしないと、あなたは相手を依存させ続けるゲームに入ってしまい、あなた自身の共依存的な要素をふくらませてしまうことになります。
さきほど、好き嫌いだけで判断しないと言ったのは、そういう危険が潜んでいるからです。

人を助ける場合には、自分も絶えず成長し続けなければなりません。
時には昨日までのルールを捨てる必要も出てきます。
それが出来ないのに、他人に関わるとき、場合によっては自分の問題のために、他人を巻き込んでしまっている場合もあります。


ところで残念なことに、組織の中ではパワハラ、モラハラといった問題は厳然と存在し、犠牲になっている人も多いのが現実です。

問題が小さいうちは、一気に解決する方法もあったかもしれませんが、複雑に組織化した中では、それを壊すことは簡単ではないし、個人が立ち向かえることではないかもしれません。

個人に出来るのは、自分がそれに手を貸さないことであり、そうではない関係を自分たちが作り上げることだと思います。
組織や社会のために自分がいるわけではないのですから。

ilm2007_02_0086-s.jpg

他人をけなす、悪口を言う、誰かが弱っているときにこきおろして喜ぶ、自分より弱い存在がいることで自分を安心させようとする、他の人のいる前で部下を非難し暴言を浴びせる、いなくなった瞬間に陰口を言う・・・

そんな人たちには、付き合う必要はないし、断固拒否する方法を探し求める必要があります。
もちろん簡単ではないでしょうが、それでもそんな人たちの影響を受け続ければ、やがて自分がダメになっていきます。
そうなってからでは、ダメージは大きすぎるのです。

考え方は人それぞれですから、それ以上のことは言えませんが、たかが会社のために自分を犠牲にするなんてばかばかしいことだと思わないでしょうか。

対抗するには、それだけの犠牲を払う必要があるか判断することです。
それよりも、大事なのは、自分が本当はどうありたいのかと言うことです。

犠牲になっているうちに、自分の望むことを書き換えてしまっているかもしれません。
ですが、犠牲者になり続けることは出来ません。
最初は同情されても、あなたがいつも犠牲者の言葉を発し続ければ、あなたは別の形でやっかいな存在になってしまいます。

どこかで脱出することは、自分の責任であることを辛くても認めなければなりません。

加害者にも犠牲者にもならないこと、それが普通であると認識することは、当たり前なはずだけど、残念な現状があることも事実なのです。

少なくとも私はどちらでいよう、それは明らかですよね。


Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png



ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







やりたくないことは思い切ってやめてみよう

phm20_0290-s.jpg



「やりたくないことは思い切ってやめてみよう」

ちっともうまくいってないけど、でもやらないといけないからと思ってやっている。
やるたびに、あとでため息をついている。

そんな覚えはないでしょうか?

もしかすると、やるのも地獄、やめるのも地獄という罠に陥っているかもしれません。

そんなことにならないためには、本当にやる必要があるのかどうか、今一度公平な目で見て検討し直してみましょう。

そのとき、冷静に見られなくしてしまうのは、次のような考えです。

「いやなことでも、やるしかないことはあるものだ」
「好きなことだけやっているわけにはいかないものだ」
「いままでこれで何とかやってきた」
「これをやめてしまったら、大変なことになるぞ」


本当に必要な理由が見つかるなら、いやなことでもやらないといけないかもしれません。
ですが、多くの場合、「これをやめてしまったら、大変なことになるぞ」という恐れから手を出せなくなっていたり、変えることで今の安全が崩れてしまうのを怖れているのです。

私たちの行動の原因になるのは、「やりたくてやる」場合と「やらないのが怖い」からやっている場合があります。

そして、恐れから行動していることは、いずれ無理が生じてダメになります。
もちろん、やりたくてやっている方がずっといいと誰でも思っていますが、現実には恐れから逃れるために、強迫的にやっていることの方が根強く、影響力を持つことが多いのです。


「仕事の成果の8割は、費やした時間全体のうちの2割の時間で生み出している。」

これは80対20の法則と呼ばれるもので、ものごとは均等には起こっていないことを思い起こすのに役立つかもしれません。

嫌々やっていることは、苦痛を感じるのはもちろんですが、実際どれだけ役立っているかや、その効率は疑わしいものです。

思い切ってやめてしまえば、それがもたらすマイナスはわずかなものであることが多いのです。

むしろ、そこに費やしていたエネルギーと時間を、もっと気乗りのするやり方に切り替えた方が全体としては大きくプラスになるでしょう。

それが出来ないままズルズルと同じやり方を続けているのは、ほとんどの場合、変わるのが怖いからです。

「少なくとも今は何とかやっていけている。変えてしまったら今よりひどいことになるかもしれない。そんな危険を冒すよりは、なんとか我慢しよう。」
と思ってしまうのです。

そして、一旦そう決めると今の自分を指示する理由を探し求めます。
それが前述のこんな考え方です。

「いやなことでも、やるしかないことはあるものだ」
「好きなことだけやっているわけにはいかないものだ」
「いままでこれで何とかやってきた」
「これをやめてしまったら、大変なことになるぞ」

しかし、理由というのは逆の方向から見れば全く違って見えるものです。

「いやなことでも、やるしかないことはあるものだ」

でもどうせやるなら、もっと苦痛の少ない方法はあってもいいはずだと思って、探してみる価値はあります。本当にそれをやるしかないのでしょうか?それともそれしかないと思い込んでいたり、他の方法を試すリスクを怖れてはいないでしょうか?

「好きなことだけやっているわけにはいかないものだ」

確かにそうかもしれませんが、やってもいいときまで、好きなことをすることに後ろめたさを感じていないでしょうか。
中には自分は好きなことをやってはいけないと、自分に禁止をかけている人もいます。『私が楽しくて騒いでいたら、お父さんはいつも機嫌が悪くなった。』といった子どもの頃の経験から、『笑うな』『楽しむな』と言い聞かせる人もいます。

「いままでこれで何とかやってきた」

だから同じことを続けるのが一番安全なんだというわけですが、まわりの世界もどんどん変化するし、自分自身も絶えず変化しているものだということを忘れていないでしょうか?
多くの場合、同じやり方を続けるのは不自然であるし、それ自体が問題の原因になるかもしれません。

生きることは絶え間ない書き換えの連続だとも言えます。

新しいことに挑戦しましょう。
行動しようとするのをストップさせるもの、思いつくことはないでしょうか?

「思いつきでしゃべらずに、話す前に考えなさい」
「いい加減なことをして後悔するのは自分だからね」
「本当にそれで大丈夫なの?」
「何事も慎重に準備してからやりなさい」
「あわてる乞食はもらいが少ない」
「どんなときも気を許しちゃダメだよ」
「本当に必要なときだけ実行しなさい」
「調子に乗ってるんじゃないよ」


そのうちやるときが来ると言って先延ばしにしていると、やりたくてもやれない状況になってしまうものです。

「やり方を変えたら、大変なことになるぞ」という予言があるのなら、「今やらないと、大変なことになるぞ」というのもあっていいではないですか。

心配しなくても、あなたがやってみようと思いつくことは、可能性がすでにあるから思いつくわけです。

やらずに後悔するよりも、「大して失敗しなかったぜ」と笑ってみましょう。
そうしないと本当に自分がしぼんでしまいますよ。


そして、われわれは自分たちの生活を安全にしようとする
われわれは妥協しはじめる
どんどんと安心、安全を固めだす
その恐怖のためだ
われわれは麻痺してしまう
なぜならば
安心になればなるほど、安全になればなるほど
それだけあなたは生気を失ってしまうだろうから
生は挑戦の中にある
生は危機の中にある
生は不安定を必要とする
それは不安定という土壌の中で成長するものなのだ
いつであれ、あなたが不安定であるようなとき
あなたは自分自身がより生き生きとして
より醒めているのを見出すだろう
裕福な人たちが鈍くなるのはそのためだ
一種の愚かしさが
そして、一種の昏睡状態が彼らを取り巻く
彼らはあまりにも安全で、そこには何の挑戦もない

バグワン・シュリ・ラジニーシ
『般若心経 色即是空を語る』より




Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png




ACR WEBブログパーツ

テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







私とは実際誰なんでしょう?

phm21_0018-s.jpg



『私とは実際誰なんでしょう?』

あるとき私はとても機嫌が良くて、誰でもいらっしゃいという笑顔の人です。
そのとき、「これが本当の私よ」と私は思います。

あるとき私はとても機嫌が悪くて、「どうして世の中こんな人間ばかりいるんだ!」と怒り狂っています。
そのとき、「こうやって憤りを感じるのは当然だ」と私は思います。

あるとき私は自分の行動に矛盾を感じて、罪悪感と怒りを感じます。
「何でこんなことをしたんだ。あいつがいたからこうなったんだ。」と感じていますが、そのときもこれが私だと言います。

あるとき私は相手の行動に矛盾を感じて、罪悪感と怒りを感じます。
「何で君は昨日言ったことを覚えていないんだ。矛盾してるじゃないか」と感じていて、一貫している方が私だと思っています。

どのようなときも、これは別の人がやっているとは思わず、これが私だと表明しているし、さらにはそんな自分を一貫したものだと信じて疑いません。

あれもこれも私だ。そして矛盾しているように思えても、それにはちゃんと理由があるんだと言い訳します。

後から説明をつけるのは、なんとでも出来ます。
ですが、そんな苦しい説明をするくらいなら、私の矛盾した状態を受け入れればいいのですが、それをやったら「私」がいなくなると怖れるのです。

私は一貫していると主張したいために、あるいはそうしないと自分がどこに行くかわからないと怖れているために、どれだけの犠牲を払っているでしょう。

私の本当にしたいことは、「これが私だ」と考えているものに自分を合わせることでしょうか?
ありのままの自分を先行させるわけにはいかないのでしょうか。

☆~⌒☆

たとえばあなたは「みんなから受け入れられたい。人気者になりたい。尊敬される人になりたい。私が何か言えば信じてもらえる人になりたい。私が頼めばみんなそれに応えてくれる人になりたい。いつも私のまわりに人が集まる。みんなの注目は私のものだ。」といったことを夢見るのです。

そしてどうやったら、そういう人間になれるのか、探し求める旅に出ます。

時には向上している自分を感じます。
しかし、ときおり、こんな自分を本当にみんな好きになってくれているのだろうか?
影では、みんなでバカにしているというのが本当じゃないだろうか?と気分が落ち込むときがあります。

あなたが本気で自分を受け入れてもらいたいと認めるなら、その気持ちを正直に持ち続けるなら、やがてあなたは自分の背中にたどり着くでしょう。

前へ前へ進んでいたのが、とうとう一周回って、自分の後ろ姿に行き着きます。

その後ろ姿に見つけたものは、「頼むから私の方を向いて」と懇願している自分の姿です。
それを見て何を思うでしょう?

みんなが受け入れてくれる立派な自分になるのが望みではない。
私はただ今目の前のあなたにうなずいて欲しいだけだと。

あなたが見せかける自分を目指すのをやめたとき、目の前の人もまた自分と同じ望みを持っていること。それを待ち焦がれている人ばかりであることが見えるようになります。

あなたが自然に目の前の相手に応えるとき、相手もまた自然に応えてくれるのを見るでしょう。

やがて受け入れられないかもしれないという恐れは、徐々に小さなものに変わってきます。
それとともに、いつも誰かが自分を求めに来ることや、みんなが自分のまわりに集まることを期待することも薄れていくでしょう。

それは、私の恐れから作り出した無理な理想に過ぎなかったことが見えてきます。
そして、ひとりっきりで自分とともにいることも、同じように大事な時間になっていくでしょう。

相手の賛成を欲しいがために、自分を犠牲にする必要など無かったことがわかってきます。そんなことで安売りするような価値のない自分ではないと思えるとき、自分への信頼が生まれ、自身が沸いてきます。

そうすれば、何か問いかけをしたいとき、誰かの権威者を捜さずに、自分自身に問いかければいいことだと気がつきます。

依存する人を作り出さないとき、あなたは本当の自由を感じます。
自分で自由に選べることの、本当の意味を知ります。

もちろん様々な価値観も変わってくるでしょう。
今までずっと無駄なものにしがみついてきたことに気づき、何が本当に必要なものかがわかります。

『私とは実際誰なんでしょう?』という問いかけの答えは、相変わらず簡単ではありません。

しかし、今までよりもずっと「誰かではない」ことは見えてくるのではないでしょうか。



Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png



ACR WEBブログパーツ

テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







あなたはあなたのままで完璧だ

phm20_0302-s.jpg

あなたはあなたのままで完璧だ
いまのままで、
なにひとつ足さなくてもいいし、
なにひとつ除去するものもない。

それ以上になる必要もない。
それ以上とは単なる言葉、思考が作り出したものに過ぎない。

ためしに、「それ以上を実行して見せなさい」と言われたら何をするだろう?

せいぜい、あなたが普段足りないと思っている自分を、もっと良くなれるはずだと責め立ててみじめな思いを味わうだけである。

だから何もすることはない。
あなたは何をする人にもならなくていい。
そのままじっとしていれば、やるべきことは為される。

いつものように、次は何をすべきかと思い煩うことも必要なくなったのだ。
すべては内発的に、瞬間瞬間で起きてくる。
あなたは抵抗しないで受け入れるだけでいい。

これで、あなたの悩みはすべて消え去った。
あなたはただ存在するだけでいいのだ。

・・・・・・・・・・・・

「しかし」
しばらくすると、あなたの中の誰かが語り出す。
「これでいいはずはない。馬鹿な考えはやめるんだ。そんなことに耳を貸してはいけない」

その内容とはなんだろうか?

それこそがあなたの普段の重荷を作り出している正体だ。

洋の東西を問わず、また時代を振り返っても、勤労を勧め、やがてそれが強制力を持つようになる。

「働かざる者食うべからず。」
「怠け者は社会から追放されて誰も相手にしなくなるだろう」
「おまえが働けば怠け者たちは、やがておまえをうらやむようになり、名誉と栄光はおまえのものだ。」
「常に自己を磨け。自己を向上させるのだ。」
「勤勉こそが人道の発露。修養の道である」
「無心の努力こそが尊いのだ」

しかし、誰も働くなと言っていない。
今のあなたが完璧であると認めると、働かなくなるだろうと思っているのだろうか?

完璧であるあなたは、強制などされなくても、やるべきことは自然にやっていくだろう。
そこになぜ強制が必要だろう。

「無心の努力こそが尊いのだ」
そう、完璧なあなたは、いつも結果など気にせず無心に取り組む。
「無心の努力」かどうか気になるのは、いつも結果を気にしている人間である。

完璧なあなたは、不要に怠けようなどと思わない。
怠けるという発想は、強制された労働の中から生まれてくるのだ。

それから、さりげなく埋め込まれているが、「怠け者は社会から追放されて誰も相手にしなくなるだろう」という脅迫の言葉である。

仲間はずれになっては大変だ。
そんなことは小さな子どもの頃から思い知らされている。

これは非常な恐怖だ。
これを持ち出されると、怠けてなんかいられない。
しかし恐怖が原動力の行動は、かならず行き詰まり破綻する。

いくら怖くても、それだけで走り続けられる人などいないからだ。
もちろんそんな状態を望む人などいないだろう。

完璧なあなたは、仲間はずれなどになったりしない。
仲間はずれを怖がるのは、自分に対する信頼のなさの裏返しから来ている。

「こんな私は、そのままでは受け入れられるはずがない。」という思いから、あなたはある程度仲間から歓迎されだすと、自分からそれを拒絶しそこから逃げ出してしまう。

自分を罰しないといけないと思ってしまうのだ。
「こんな私がこれほど受け入れられるはずがない。化けの皮がはがれないうちに自分から離れておこう。」

自分を受け入れられないことも、自己評価の低さも、すべては自分を勘違いしているに過ぎない。
どこかで拾ってきた自己イメージを後生大事に持ち続けることをやめることだ。

完璧なあなたは、これまた完璧な相手から受け入れられないはずがない。
受け入れてくれないのなら、相手も自分を受け入れられない人間だからである。

一生懸命だれかを仲間はずれにしたがる人間とは、自分を受け入れられていないから、いつか自分が標的にされるのを怖がっているのだ。

そんな人から受け入れてもらわなくても、気にすることはない。
完璧なあなたは、完璧な誰かがそのままで受け入れてくれるからだ。

ついでに付け加えると、「名誉と栄光はおまえのものだ」は完璧なあなたにとっては、そのままで受け入れればいいことだ。
もっとも、完璧なあなたには、そんなものを持ち出して自分の価値を計る必要などそもそも感じないはずだが。

「何かをしたなら~」と言う条件は必要ない。
完璧な自分を受け入れられない人は、「何かをしたなら~」と条件をつけることで、かろうじて受け入れられる自分を作り出せると考えるのだ。
「どうだこの成果を見ろ!すごいだろう。だから私を認めてくれ!」という悲痛な叫びなのだ。そして叫び声コンテストを開いて慰め合うのだ。

完璧なあなたには、そんな条件は必要ない。

「でも私は完璧なんかじゃない」とあなたは言いたいだろうか?

そこには勘違いがある。

あなたが完璧なのは、あなたの力で獲得したものではない。
あなたが何をしようと、しまいと、もともと完璧だということ。
むしろ、あなたが余計なことを考えなければ、そのままで完璧なのだ。

生まれたときにはあなたは自分を完璧だと思っていた。
疑いもしなかった。

やがてあなたは自分をはかる「道具」をどこからか拾ってきた。
それを使うと、なんと自分は完璧ではないと示しているではないか。

しかし比較する道具など、完璧なあなたを測定することは出来ないのだ。
そんなものは無視すればいいだけだ。

完璧さを知る人は、比較など使わずにあなたの完璧さを読み取ってくれる。


あなたはあなたのままで完璧だ
いまのままで、
なにひとつ足さなくてもいいし、
なにひとつ除去するものもない。
それ以上になる必要もない。




Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png



ACR WEBブログパーツ

テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







判断力の限界~人は信じたいものを信じる

gum11_ph01040-s.jpg



「人は信じたいものを信じる」というのは、残念ながら人間の心理の弱点のようです。

どんなに冷静に考える人でも、今の自分が信じたいものが目の前に現れると、どんなにそれが飛躍していても論理を飛び越えてそれに飛びつきたくなるのです。

私は何年もこのような文章を書いていて、実にはっきりとそれが現れるのを見てきました。ブログの時代にも傾向は読み取れましたが、Facebookのインサイトなどを調べると、よりいっそうその傾向は、はっきりと見えてきます。

私たちが、読みたいと思う文章とは、こういうものです。

・私が信じていることを自分の代わりに表現してくれるもの。
・それに加えて、少しばかりその延長で新しいことを見せてくれるもの。

つまり、やっぱり私は間違っていないと確認させ確信させてくれるものに出会えば、公平な判断よりも、これこそ正しいと思いたくなるのです。

そして読むのを避けたがるのはこういうことです。

・今の私の信念が揺らぐようなことが書かれているもの。
・密かに否認して見たくないと思っている自分を思い起こさせるもの。

また、これに加えて好まれるのは、自分にも夢が持てると信じさせてくれるものです。ネットの時代になってより顕著になってきたと感じるのは、たとえばこういうことです。

・あなたにも出来ます。この方法を実行すれば。
・もっと大きな夢を持ちなさい。あなたに限界はありません。なぜなら~だから。
・あなたの望みを叶える、誰も知らなかった秘密。

これらもそれが実際に有効であれば意味がありますが、残念ながら、先ほどの「信じたいものを信じる」という弱点を刺激するだけのものも多いように感じます。

どこに問題があるかと言えば、どこかで大きく飛躍した論理が含まれているからです。
ポジティブ思考とか、引き寄せの法則のたぐいは、一見役に立つように思えます。

実際ある範囲では、有効なこともあるでしょう。
自分自身でコントロールできることなら、向上が見込まれる方法かもしれません。

ですが、それと一緒に自分ではコントロールできないことまで好転していく、というように飛躍させてしまうと、どこにそんな根拠があるのかわからないことになるのです。

しかし無理があっても、それらを織り交ぜて語られると、ただでさえ信じたいことだから、少々飛躍があっても「私は信じます」と言ってしまうことになりかねません。

信じたい文章ばかり目に入ってしまうのです。
あるいはいくつか信じられる部分があると、全体も正しいと思いたくなります。

「今の私の信念が揺らぐ」ことを怖れるのは、誰でもそうです。
そこで判断がぶれてしまうのを、恥じる必要はないでしょう。
しかし、だからといって放置すれば、抜き差しならない状態に陥ってしまう可能性もあります。

私たちは、どこかで自分でも「これも考えた方がいいとは思うけど」と感じているのですが、いま目の前にある状況を変えずに済むのなら、いまの信念をそのまま持ち続けたいのです。

あるいは、もうひとつは、何かの恐れを抱えているので、今のやり方を変えるわけにいかないと、しがみついている場合もあります。むしろ、こちらの方が強い抵抗を感じるかもしれません。

抵抗は「この人何を言っているのかわからない」という形で現れることもあります。
信じたくないことは、否認してしまうのです。

ですが、信じたい、そうなって欲しいから信じるという理由で構築した信念は、少しのほころびであっという間に崩れてしまいます。

本来自分自身でもどこか疑いながら無理に信じていなかったことですから、どこかでやっぱり嘘だった、自分でも自分に嘘を言い続けてきたことを認めないといけなくなってしまうのです。

もともと無理なく信じられることについては、信念などと言った言葉で言い聞かせなくても、自然に出来るはずなのです。

ですが、自分でも無理だと思いながら、でも信じたいと言う思いが強いと、「無理が通れば、道理は引っ込む」になってしまう。

もちろん中には、無理を通して力ずくで実現する人もいるでしょうが、その裏で犠牲にしてしまった自分の影の部分は、後から逆襲を始めることになるでしょう。

夢を持つなと言うことではありません。
ですが、自分を騙して何かを信じてしまうことは、必ず破綻します。
自分を騙しきれる人などいないからです。

「良薬は口に苦し」と言う言葉がありますが、自分にとって耳障りの良くない言葉こそ、自分を成長させてくれるものです。
「耳障りの良くない言葉」とは、今の自分にしがみつきたいという抵抗を反映していることだからです。

そのことはわかっていいると言いながら、自分のこととなると判断が甘くなり、もう1つの基準を作ってしまい、頭でわかっていることと、実際の振る舞いにダブルスタンダードを持つことになるのです。

「判断を誤らないためのチェック項目」

◆その信念は本当に正しいと信じられるだろうか?
◆その信念を持っていることで、自分は他の人に対してどのように振る舞っているだろうか?無理に信じさせようとしたり、それを否定する人に過剰に反応していないだろうか?
◆その信念を持っていることで、自分自身に何を言い聞かせようとしているだろうか?「忘れたら大変だぞ」と言っているだろうか?しかし本物ならなぜ忘れたりする?あるいは何か怖れていることと結びついてはいないだろうか?
◆その信念を思い浮かべているとき、身体はどのように反応しているだろうか?重々しく感じている?負担なく軽々としていられる?
◆その信念を使って、自分を何かから守ろうとしているだろうか?たとえばそれを言い聞かせていないと、自分には価値がないと思い始めるとか、はないだろうか?
◆もしその信念を捨てたら、自分はどのように感じるだろうか?またどんな自分になってしまうだろうか?それは望ましくない自分だろうか、あるいはもともとの自分に戻ってしまうだけだろうか?
◆その信念を持つことで、自分の中で犠牲になっているものがいないだろうか?「おまえはおとなしくしていろ」といって押さえつけている自分はいないだろうか?

本当に自分にとってふさわしいことなら、どんな自分も犠牲にしないでいられるはずです。目の前の利益のために売り渡した自分は、必ずつけを払い出すことになってしまいます。張りぼての信念は必ず破綻してしまうのです。



Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png




ACR WEBブログパーツ

テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







「何でこんなに苦しいんだろう?」と感じたら

phm23_0553-s.jpg



「何でこんなに苦しいんだろう?」と感じたら、その苦しさを生み出していると思っている誰かや何かを探してはなりません。

そのかわりに、自分がその苦しさを作り出していると認めることです。

「そんな馬鹿な話はない!」と感じるのは、あなたがその原因が外にある、はっきり見えているあれやこれにあると、疑いもなく信じているからです。

ですが、どう感じていようと、選択は後者を選んだ方がいい。

理由は実に明白です。
前者は苦しさをよりひどくさせるだけなのに対して、後者は解決が待っているからです。

たとえばあなたが何かを批判したくなる。

しかしあなたは自分が批判的であることを認めたくない。
だから、あなたの内面からわき起こったその感情を自分のものだと認めようとしないのです。

そこでまわりを見渡すと、どういう訳か、その批判の原因を作り出しそうな人が目にとまります。

あなたの自分自身の批判的な感情は、その誰かのせいで起こってきたのであり、その人に批判的になることで自分の敵意をごまかします。

これが『投射』と呼ばれる心理規制です。

誰かへの怒りがより複雑にねじ曲げられると、それは「恨み」に変わります。

怒りや恨みに満ちた世界ばかりが、あなたの目の前にあると感じられてくると、それは「地獄」と呼ばれる世界になります。

こんな単純な原理が、なぜわからないまま繰り返されるのでしょう?

それは先ほど言ったように、「投射」してしまえば、あなたは夢にもその原因が自分の中から出てきたものだと思わなくなるからです。

それは「あのひどい人間」が起こしたものであり、自分を疑おうと思うと、そんな馬鹿なことがあってたまるかと、わめき立てる激怒した自分に圧倒されてしまうのです。

いま目の前に存在する特定の誰かに対する感情を、あまりまともに信じないことです。

特に怒りや恨みなどの感情は、今この場で起きているものというより、あなたの生涯にわたってくすぶらせてきた感情が、その火種になっていることが多いからです。

感情は、邪魔しないで、せき止めたりしないで、思う存分やりたいようにやらせましょう。
ただし、誰かに向けてではなく、その本来の姿のまま扱うことです。
今はいない人への怒りを、別の人に向けては問題が生じます。

誰かのせいだと考えずに、自分で責任を持ってその感情に向き合う気になれば、そのエネルギーは破壊的にならずに発散でき、やがてそんなに怒りまくっていた自分がおかしくなるときが来るでしょう。

「○○君が悪いんだから、絶対許さない」と意固地になるようなことをしなければ、誰かが悪いからと思っていたことは、自分の中にその源泉があったことに気がついてくるものです。

ドラマでは、誰かに恨みを晴らしたところで話は終わります。その後どうなったかには触れないのが普通です。

それは、そのあとハッピーエンドにはならないからです。

ただ見ている人の怒りの解消になるところまでが期待されることだからです。
当事者でなければ、恨みを晴らした後スッキリしたと感じて終わりに出来ます。

しかし現実の自分でそれを実行して、地獄を作り出すようなことはやめましょう。
恨みのリストは直ちに破り捨てることです。

そして投射を見破って、本来の感情の流れを元に戻してやることです。

その結果、解放された隙間に、本来自分が望んでいた欲求を割り当ててその時間を使うことに切り替えましょう。
「誰かのせいで自分の好きなことが出来ない」と言い訳しないために。

好きなことを自由にしている人は、あなたがどう思おうと関係なく、ただ自分の好きなことをしているだけです。

「誰かのせいで自分の好きなことが出来ない」と言う人は、勝手に他人を巻き込んで、自分で自分を制限していると認めなければならない。

いいわけを考えるよりも、ひとつでもやりたいことをやってみましょう。
そうすれば、だれも制限などしていないことがわかるでしょう。



Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png



ACR WEBブログパーツ

テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







私は私のためにここにいる。ほんとに?

phm20_0151-s.jpg



『私は私のためにここにいる。あなたのためじゃない。』
これを言い切る気になれた人はいいのですが、こう聞いても、「別の人には出来るだろうけど、私には無理だよ。」と感じる方も結構いらっしゃるかもしれません。

日本では、まわりに依存することが習慣であったり、文化になっていることもあるので、簡単には割り切れないかもしれません。

しかしどのように言おうと、「誰か他の人が私の代わりに生きてくれるわけではない」と言うことも明白な事実です。

そして、いつまでも「誰かのせいで私はこうなった」というゲームをしていては、自分が本当に満足できる生き方はおぼつかない。

ひとつ自分で決める生き方に切り替えてみようと思うなら、今までの生き方を維持したり、もとに引き戻す原因になる習慣をチェックする必要があります。

まず、しばらくは、いわゆる仲良しグループに入らないことです。

つまり「だめでも私が助けてあげる。だから私を頼りなさい」と言う人と一緒にいたのでは自分で決めようという気にはならないでしょう?ということ。

また、今までと違うやり方をするなら、当然自分自身の中からの抵抗を覚悟しなければなりません。

すぐに自分の痛みを誰かに打ち明けたいという気持ちを、少しの間我慢して、自分の変化を、たとえそれが痛みであっても自分自身で感じることが必要です。

これでいいのだろうかと思ったとき、すぐに誰かに聞かないで、自分自身に問いかけることが必要です。

今までやってきたことは、誰かに答えを求めるやり方だったから、自分で決める力があることを忘れてしまったのです。

据え膳、上げ膳で、なんでも検索一発、答えを出してくれるやり方に頼るのをやめてみること。

今までどれだけ本気で、自分自身に問いかけることをしてきたかを、振り返ってみましょう。

自分に決める力がないと感じるのは、答えを出すのは他の人だと信じ込んできたからです。

しばらく、権威に頼るのをやめてみましょう。
そもそも、あなた自身の生き方の権威とはあなた以外にはいないのです。

「どうやれば決断力が身につくか」を教えてあげますと言われても聞いてはいけない。

それを聞くこと自体が、自分で決める力がないという信念を、強めていることになるのです。

誰がなんと言おうと、自分のことを決めるのは自分しかいないのです。
そうわかってしまえば、ことは単純です。
外を探さなくても、あなたが決めればいいだけだからです。

「この決断でいいの?」と思ったら、自分自身に聞けばいいだけです。
いままでのように、すかさず探しに行かなくていいのです。

自分で決めると言うことは、責任をとるのも自分自身です。
腹を据えて決めてしまえばいいだけです。

自分が本気で決めたことは、いい訳するものがないから、自分で責任をとるということも当たり前のように受け入れられるものです。

「誰かの意見で決めさせられている」といういい訳を抱えている限り、責任をとることも分散させようという甘えが生じるのです。

しかし厳しさばかりではありません。自分で責任を持つと言い切ったとき、はじめて自分を生きている実感が持てるでしょう。

本当に自分を生きていない感じがつきまとっていたのは、自分で決めず、責任もとろうとしなかったからだとわかってくるでしょう。

永遠に生き続けるわけではありません。
ここらで、他の人を生きていると感じていたことを、自分自身の人生に切り替えてしまいましょう。

「私は私のために生きる」と言い切れないのは、自分勝手なことばかり出来ないと思うからではありません。
そう思わせるのは、依存することを教えられてきたからに他なりません。

そうではなくて、どこかで「私の思ったとおり生きられていない」と感じているからできないのです。
他の人の意志で動かされているといういい訳がある限り、「私は私のために生きる」と言い切ることも出来ないということです。

人に頼ることをしばらくやめてみましょう。
それはまず、自分で決められるようになってからでも遅くはない。

それに自分で出来ないから依存するのではなく、本当に誰かにものを頼めるようになるには、自分のことは自分で出来るという自信があってこそ出来ることです。

「かわりに私が考えてあげます」という声には、耳を傾けないこと。
権威を振りかざしてくる人が言いたいのはこういうことです。

「あなたのことなら私がすべて知っています。私はもう結論を出しているからです。それ以外のあなたなどあり得ません。だから私の言うとおりにしなさい。」

しかしそれはその人の経験から、過去の記憶で組み立てた結論に過ぎません。
それが正しいこともあるでしょう。
しかしそれがすべてなんてことは誰にも言えない。

あなたが自分の人生を生きたいのなら、他の人の結論ではなく、自分でどうなるかわからないこれからを作り出すことです。
それ以外にないという結論も権威もどこにもないのですから。


そしてまた、「自分で決めるなんて!ほんとに大丈夫?」とささやく声にぐらついてはなりません。
自分で決断して失敗したこともあるでしょうが、失敗は失敗でもあなたの人生を形作ってきたかけがえのないものです。

「失敗」と言う言葉をお化けのように怖がってはなりません。
それは単なる一面からの価値判断に過ぎません。

いままで、特にどんな「失敗」を怖れてきたかを振り返れば、自分が何を封印し、避けようとしてきたかに気がつくでしょう。
それがまさに、いままで生きるのをストップさせていた自分がいる場所です。

こういった脅しに負けずに「いいえ、私が考えて決めます」と言い続けるのです。

そうすれば、自分にも決める力がもともとあったことを思い出します。

何でもっと早くから自分で決めなかったんだろうと悔やむことのないように、さっさと自分の人生に自分自身で関わることです。

決断する特別な方法や秘密があるわけではありません。
決断とは、単に自分が決めるということ。それ以上でもそれ以下でもありません。




Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png



ACR WEBブログパーツ

テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







私は私のためにここにいる。あなたのためじゃない。

alpaca.jpg



『私は私のためにここにいる。あなたのためじゃない。』

別に自分勝手ではありません。

これなしで相手のためだけに生きることは出来ません。

もし、相手のためだけに生きているように振る舞うなら、あなたは自分も相手も巻き込んで困った状態に陥ります。

かりに相手があなたに依存したり依存されるのを許すなら、あなたも相手も独立した自己でいられない。

そして自分の欲求と相手の欲求が区別つかなくなる。

また、相手がそれを拒否する人なら、今のあなたの相手をすることは出来ないですから、あなたの前から去っていくでしょう。

この場合、相手が正常な反応を示したのだから、半分は危険は回避された。

あとはあなた自身の問題だけが残ります。

たとえば、あなたは誰も自分の相手をしてくれないと感じている。

だから、「わたしはあなたのために生きる」から、一緒にいて欲しいと願うのかもしれない。

しかしそれは相手にとって重荷でしかない。

あなたのように振る舞われたら、あいては自分のために存在する自由を無くしてしまうと感じるからです。

あなたが「私のためにここにいる」と宣言できるとき、あいても安心して自分自身でいる時間を持つことができる。

そして、その前提があってこそ、時には相手に頼りたいと思うことも自由に出来るようになるわけです。

ですから、あなたのスタンスも、これ以上でもこれ以下でもない状態にあるべきなのです。

『私は私のためにここにいる。あなたのためじゃない。』


ゲシュタルトの祈り

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

私は私。あなたはあなた。

でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。




Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png



ACR WEBブログパーツ

テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







後悔しないための考察

phm20_0400-s.jpg



後悔とは、2つ以上の選択肢があるとき、後から自分の選んだ選択よりもいいものがあったと思うことです。

後悔することは、単にやり方を間違えたこととは違います。
間違えたことはやり直せますが、後悔にはやり直しがきかないという思いが含まれているように思えますね。

ところで、私たちは後悔したときに何をするでしょうか。

自分の選択が間違っていたことを責めること、あるいは状況によっては、その選択に影響を与えた誰かを責めたり怨んだりすること。

これがほとんど主体になってしまうようです。

「だって他になにができる?」

この時の私たちがやっていることを振り返ってみると、選択を間違えたことや自分を責めるばかりで、どうしてその選択の間違いが起きたのか考えることをあまりしていないのではないでしょうか。

選択についてもっと考えることはないでしょうか?

では、そのときどのように決めているかを考えてみましょう。

そのときの自分が持っている情報や、その時点での自分の信念が、決定の要因になっています。
つまり、たまたまそのときに持っていた材料だけに頼っているのです。
極端に言えば、そのときの気分に左右されて決断しているかもしれません。

このちょっとギャンブルがかった決断を、もっと後悔しないものにするに、こういうことは考えられないでしょうか?

『どうなれば自分は後悔しないか』という基準になるものをあらかじめ決めておくということです。

そのときの気分で決断するやり方は、どうしても長期的に見たときの判断とずれが生じてしまいます。

ですから、ある程度長期的に自分の人生を見通して、その視点から、『どうなれば自分は後悔しないか』という基準を考えておくのです。

さてここまでたどり着いても、まだ難しさは残っています。

それは、『どうなれば自分は後悔しないか』を正確に知るには、出来る限り自分に正直になる必要があるということです。

特にいまの私が社会的な望ましさや、他人の考えに頼ることが多いほど、自分の正直な望みを見いだすのが難しくなります。

そして、そういった基準で判断すれば、後悔することも当然多くなってしまうのです。

さらには、他人の考えに従ったという意識があると、その後悔を他人のせいにして自分の決断の責任を回避しようとする傾向も出てくるでしょう。

目の前の利益がいくら魅力的でも、何かに依存した選択は、いずれ後悔することになります。基準自体が移り変わってしまうからです。

移り変わることのない基準は、自分の中にしかありません。

言い換えれば、出来る限り自分にコミットして、正直な自分の決定を行うほど、後悔することは少なくなっていくということです。

これはひとつのオプションではありますが、「自分が正直に決断したことは後悔しない」と決めてしまえばいいのです。

そのやり方なら、必ずしも強がりではなく、本当の意味で後悔しないでいられる可能性は高いでしょう。

自分で選択するということは、自分が生きるということそのものです。

人生の末期に人が後悔することとしてよく言われることは、こういうことです。

「もっとまわりの人と一緒に過ごせば良かった」
「働きすぎずに、自分のやりたいことに時間を使えば良かった」
「自分の本当の気持ちをもっと大事にして生きれば良かった」

ここから見えてくる『どうなれば自分は後悔しないか』の基準にすることとは、どれだけ自分に正直に選択を行うかということではないでしょうか。

どれだけ自分に本当にコミットして、大切に選択するかです。

未来に飛んでしまわないで、今日のこの日の選択にもっと注意を払い、惰性で物事を決めてしまわないことです。

後悔が多いと感じる人は、どのような基準で選択しているかを振り返ってみることです。

本当に後悔するようなことは、滅多にあるものではないし、自分に正直に生きた結果であれば、それはいつまでも続くことはないのです。




Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png



ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







元気と自信を取り戻すには

phm23_0373-s.jpg


元気と自信を取り戻すというと、すぐに華々しい成果を上げるようなことを思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、そんなことはそうそう起こるものでもありません。

また成果ばかりで判断する習慣が、そういう発想を生んでしまうのです。

それよりも、普段から徐々に自分のやる気やパワーを押さえ込んで、蝕んでしまう原因を考えてみましょう。
キーワードは自分の本当にやりたいことです。

私たちが毎日やっていることは、次第にマンネリ化し変化のないものになりがちです。

それに仕事や義務が絡んでくると、ほとんど普段やっていることは、絶対いやとは言えないまでも、あまり気乗りのしないことや、色あせて少々うんざりしそうなことばかりになってしまいます。

でもそうは言っても、仕事をやらないわけにいかないし、仕方がないけどやるしかないと言い聞かせているわけです。

もちろんそういったことが、急にやらなくてもいいようになるわけではありません。

ですが、そんな中にひとつでも「自分の本当にやりたいこと」を挟み込んでみることが重要なのです。

仕方なくやっていることばかりになると、そんなに急激な苦痛は感じないまでも、徐々に新鮮さは薄れてしまい、「自分は毎日こんなことばかりやらされて、これで本当にいいんだろうか?」と疑問に思い始めます。

さらにもう一つこれと関連した問題があります。

それは、その退屈な作業を評価するには、他人と比較するしかないということです。

そんなに好きでやっているわけではないので、仕事そのものに満足感を大して感じません。

生活のためにやっている仕事は、たまに気晴らしに出来るのは、いつもより成果が上がって他の人よりも上位に立てたと感じるとき、くらいになってしまうのです。

しかし、それは裏を返せば、比較した結果が悪ければ、逆に自分を落ち込ませる原因にもなります。

仕事自体がそれほど満足感を与えてくれないので、せめて他人との比較や他人からの評価で自分の価値を満足させるしかなくなってしまうのです。

ところが「自分の本当にやりたいこと」をひとつでも持っている人は、他のことがうまくいかないときでも、自分の支えになるものを持っているように感じられるのです。


すこしの失敗や他人から非難も「次はうまくやろう」で、うまく受け流すことも出来ます。

そして、本当にやりたいことなら、それをやっていること自体が自分に満足感を与えてくれます。

「何かが出来るかどうか」で自分の価値を決めるような考えは、それにはまり込んでしまうと問題です。

しかし、そうはいってもいろんな時があります。元気をなくしているときには、ひとつでも自分の支えになるものがあるだけで、本来の自分の存在価値を取り戻す補助になってくれるでしょう。

ひとつでもいいから、「本当に自分のやりたいこと」を持ち、少しでもいいから毎日それに時間を割いてみることです。

しかし、私は自分のやりたいことがよくわからないと言う方も結構いらっしゃるでしょう。

そう思う人でも、「いままでそういうものに全く巡り会わなかった」という人はほとんどいないはずです。

そうではなくて、どこかで何らかの理由で、それを諦めてしまったために、自分の心の奥に隠されてはいるけれど、それを表に出してはいけないと思い込んでしまったのです。


ですから、まず、それが何であったか探ってみましょう。

手がかりがわからなければ、インターネットだとか大きな本屋さんに行っていろいろ眺めてみましょう。

全く知らないものを探すのではないので、すぐに「これかな?」と思うものが浮かび上がってくるでしょう。
それと平行して、自分がなぜそれを没にしたり、封印してしまったのかを考えてみるのです。


現実的でない、生活の糧にならない、そんな夢みたいなことを考えると笑われてしまう、などなどです。

しかし、今すぐそれを中心に据えなくてもいいのです。

「少し時間を使ってみるくらいならいいかもしれない」と思えてこないでしょうか。

あるいは、理由がはっきりしないけれど抵抗を感じるときには、許しが必要なのかもしれません。

自分にはそんなことをする資格がないとか、それは手を出してはいけないことだと意味もなく思っているのかもしれません。

しかし、あなたは最初にそれを夢見たときからずっと成長しているのです。

いろんな経験を積んで、がんばってきたあなたなら、今ならそれを自分に許す資格があるはずだと思いませんか?

勝算など無くてもかまいません。

いきなり成果を上げなくてもいいのです。

最初は趣味程度に始めるのでもいいから、手が出せるところからその中に飛び込んでみましょう。

それは、もともとあなたがやりたかったことです。

すぐに、それをやっている自分が元気になっているのを感じるでしょう。

それは魔法のように、ちょっとした時間でもあなたを生き返らせてくれます。

何で今までやらずにいたのだろうと感じるでしょう。

社会的な評価とか、結果についてあまり気にせずに、ただ自分を取り戻すためにしばらくそれを続けてみましょう。

それが自分にとってメインのターゲットになるかどうかは、後で考えればいいのです。

それよりも、意味がないと思ってきたその取り組みが、自分を元気にさせ、生き甲斐を取り戻し、自分の支えになっていくことを確認してみましょう。

自分の生きがいを、緩慢に葬り去ってしまうような今までの退屈な生活から脱出するのです。

忙しくても、是非今すぐに取りかかることをおすすめします。

心理的な時間というのは、足し算引き算のようには、均一には進みません。

やり方次第で魔法のようにひねり出せるものです。

どうせ退屈な時間なら、少々削ったって何とかなりますよね(笑)。




Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png




ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







自分から動いてみる

phm19_0023-s.jpg


自分からアクションを起こすことは、ただそれだけで大きな意味を持つことがあります。

しかし、たいていの場合その意味はわかっていても、でも今回は別にいいやと思って人まかせにしてしまうことが多いのです。

実はこの「今回はいいや」と思うことの裏側には、それ以上の意味が含まれています。

「今回はいいや」は「今回もいいや」、誰かが代わりにやってくれるだろうと決めつけています。

「何も私がやらなくても」と思うかもしれませんが、「私がやること」があなたの生きた証です。

結果がどうなるかも大事ではありますが、私のあずかり知らぬことで世の中が進んでいくばかりでは、「私は一体何をしてるんだ?」とか「私なんかいてもいなくても同じ」という考えに繋がっていくのです。

このような依存的な姿勢というのは、人まかせにして自分は責任を負いたくないという考えのように見えます。

しかし、その表面的な理由の裏には、自分にはそれをやる資格がないとか、自分はそこには参加してはいけないという思いが隠されているのかもしれません。

今までに、特に子どもの頃などに痛い失敗をして、それ以来自分はそれに近づかないようにしようと無意識に思うようになったのかもしれません。

ですが、自分も参加できたらと言う思いは人一倍あるのです。

「これをあの人がやってくれればいいのになあ」(本当は私がやってみたいのに)

「なんでみんな○○しないんだろう?」(みんながやったら私も参加するのに)

それが発展すると、「なんで世の中こんな人間ばかりになったんだ」と嘆くことになりますが、それなら「私が先頭を切ってやってみよう」には繋がらないのです。

「誰か私を求めて頼んで来ないだろうか?」(頼まれたのならやるしかないからね)

☆~⌒☆

小さなことでもいいから、「私が」やってみようと思って動いてみることです。

結果とか、誰かが評価してくれるかとかはどっちだっていいのです。

自分から動いたことは、私の無価値観を消し去り、そんなことには代えがたい自信を与えてくれます。

誰にもわからなくても、私自身はそれを知っているのです。

その積み重ねの結果、いままで自分からやろうなんて思いもしなかったことが、自分にも関わりがある対象に見えるようになってきます。

「誰かがやってくれればいいのに」から「私がやるとしたらここからだね」に変わっていきます。

「私なんかなんの価値もない」から「私がやらなくて誰がやる」に変わっていきます。

もはや世界は押し流されるばかりの場所ではなく、私が参加し作っていくものという意識に変わるのです。



Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png




ACR WEBブログパーツ

テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







いつも前向きに考えないとダメですか?

悩む王様



「前向きに考えよう」
そうすれば、すべてうまくいくという考え方があります。

もちろん問題から逃げるのであれば、前向きに動こうとする方がいいし、それが功を奏するということも多いでしょう。

しかし言葉というのは、すぐに私たちを混乱させます。

「すべてうまくいく」と決めてしまうと、そうはいかないことに出会ったときも、無理をしてでも何とかするしかないと追い詰められてしまいます。

自分がうまくいくと決めたとしても、ものごとには自分だけの力量ではどうにもならないことがあるわけです。
そんなときは前向きを固持することが、却ってあなたを追い込んでしまうのです。

たとえば相手がどう考えるかわからないような問題は、いくらあなたがやきもきしても、代わりに決めることは出来ません。

むりやり相手を自分の考えに賛成させようとしたり、あるいは私がそう思っているのだから、相手も賛成するに違いないと決めつけたりするのは、すでに現実を歪めていることになります。

また「前向きならすべてうまくいく」信仰にはまりすぎると、自分の一部が「これは無理だやめた方がいい」と訴えていても、常に前向きな方向に行動できないとそんな自分を許せなくなります。

そして「何か出来るはずだ、何でもいいから動き回れ!」という無茶なあがきは、事態を悪化させることにもなりかねません。

「あの時は大変で、考えても考えても何も出来なくて、眠れない夜を過ごしたけれど、結局なるようにしかならなかった。」
「しかし、今思うとそれはいいいい思い出になったよ。」

「何でもかんでも自分の力だけでやろうとするのは、ものによっては悪あがきでしかない。あの時は何とか出来るはずだと思って動いたけれど、いまの結果を導いてくれたのは、自分とは関係ないことだった。むしろ自分の余計な行動にも関わらず、起きてきたことの方でいい結果を出してくれた。」

「自分の力で環境の方を征服する」ことだけが意味があるわけではありません。結果に自分勝手に価値をつけたところで、すべてがあなた次第で変わるわけではない。

その流れの中で、自分が主役の時もあれば、主流から外れて色を添えているだけの存在かもしれないし、流れからすれば邪魔をしている存在かもしれない。

その時々で自分の役回りは変わるものだと思えば、無理に自分をごり押ししたり、役に立たない自分を責めることもなくなるというものです。

むきになって何かを主張する人を見たら、その人が何をしようとしているか見てみることです。

多くの場合、それが実現しないことへの恐れから必死でもがいている様子が見えてくるでしょう。

自分も同じことをしていないでしょうか。

余裕をなくし、イライラしていつもなら言わないようなきついことを相手にぶつけてしまう。
自分でも何かおかしいと思いながら、でもそれは立ちはだかる障害のせいであり、自分は前向きで正しいことをしていると信じています。

それは思い上がりとも言えますが、「なんとしてもそれを乗り越えないと、大変なことになる」という恐れこそが、無理な行動の原因なのです。

恐れから来る行動は、どんな場合も結局うまくいきません。
相手も自分も喜べる行動は何かと考えられるとき、それはいい結果を生み出します。

前向きに見えたり、何も出来ずにいるように見えたりするのも、ただ自分のルールにこだわっているに過ぎないのです。
本質的なことはそんなこととは関係なく進んでいくのです。



Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png




ACR WEBブログパーツ

テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







sidetitle最新記事sidetitle
《最近7日間の人気順位》
~ランキング全体をみる~
~ランキング全体をみる~

sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle全記事表示リンクsidetitle
過去の記事はこちらから↓

全ての記事を表示する

sidetitleブログ紹介sidetitle
☆~新刊⌒☆
☆ちゃん見るシリーズ☆


好評発売中


アルファポリス
第2回エッセイ・ブログ大賞
特別賞『タオに生きる』 pao
WebコンテンツPickUP!タオに生きる
【 エッセイ・日記・blog > blog 】
老子の教えに学ぶ
老子のいう「タオに生きる」ということはどういうことなのか。さまざまなアプローチから、自らの考えや学んだこと、思ったことが綴られています。心をやすめ、身体をやすめ、穏やかで落ち着いた生活をしたい……そう願う人たちにとって、ヒントに溢れたブログです。


ez-HTML





PRR
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカレンダーsidetitle
11 | 2012/12 | 01
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
sidetitleにほんブログ村sidetitle
sidetitleお世話になってますsidetitle
※FC2ブログのリンクですが、なるべくblogpeopleのリンクをお願いしています(右サイドのお友達リンク)
このブログをリンクに追加する
sidetitleスポンサード リンクsidetitle
sidetitleアクセス情報sidetitle
sidetitleジャンル・ランキングsidetitle
[ジャンルランキング]
心と身体
47位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
スピリチュアル
14位
アクセスランキングを見る>>

sidetitle検索フォームsidetitle


もう一つの「タオに生きる」カテゴリー別
Screen Shot_30p ※徐々に更新しています
タオに生きる(人間関係)
タオに生きる(アドバイタ関連)
タオに生きる(YouTube#1)
タオに生きる(YouTube#2)


[上位タグ20]
感情、莊子、思考、怒り、罪悪感、老子、いまここ、人間関係、バイロン・ケイティ、交流分析、タオ、エックハルト・トール、ありのまま、許す、YouTube、老荘思想のコラム連載、不安、過去、無為、OSHO

sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleアクセスランキングsidetitle
訪問いただいているサイト
(週間 木曜日リセット)
※こちらでタイトルを入れさせてもらっていますが、出したくないとか変更したいという方はご連絡下さい。

sidetitleカテゴリsidetitle
カテゴリーを追加し整理しました。 バイロン・ケイティ、エックハルト・トール、ガンガジ、ムージ、OSHO
sidetitleQRコードsidetitle
QRコード
sidetitleお友達リンクsidetitle
FX