« ホーム »

自分の感情は自分の責任

怒る主婦2



自分の感情は自分の責任であって、だれもあなたに無理矢理感じさせることはできません。

「そんなことはわかってます」と思ってはいますが、「聞いてよ、こんなひどい目にあったのよ。これが怒らずにいられる?」といった表現は、ごく当たり前に使われます。

そんなとき、焦点はいかに相手に問題があるか、どのくらいひどい人間であるかの競争です。時には「私の不幸自慢」に移行するかもしれません。

徹底して自分の感情の全責任を自分で取らないといけない、とまで信じる人は少ないでしょう。

誰の責任かを後で理解できるのなら、ちょっと勢いでいってみただけで、別に気にすることはないのかもしれません。

しかし自分の感情は、いつの間にか相手の問題にすり替わってしまうことがあります。

たとえば、あなたが普段ズボラで、自分でもこんないい加減ではいけないと罪悪感を感じているとします。

そんなとき、目の前に何事もきちんと生真面目すぎるほどこなす人が現れます。
「もう少しいい加減でもいいんじゃない」と言いたくなったりします。

それが自分の罪悪感に火をつけるようになれば、「そんなにきちんとやるのは、私への当てつけなの?」と皮肉を言いたくなったりします。

また、それとは正反対で、あなたは何事もまじめすぎるほどきちんとやる人だとします。
もう少し融通が利けばいいと思いながらも、いい加減なやり方が許せません。

誰かがいい加減なやり方をしていると、あなたに直接関係のないことでも、イライラしてきて、見ているのがいやになるのです。

なぜかあの人と一緒にいるとイライラするとか、疲れる、気分が悪くなるという、あなたの苦手な人がいます。

そんな人は、もしかすると、どこか自分自身の変えなければという思いをチクチク刺激する人なのかもしれません。

そんな思いが無意識なほど、悪いのは相手、自分が気分がよくないのは、あいつのせいだと感じるのです。

もちろん、中には本当に相手に問題がある場合もあるでしょう。
しかし、自分の感情が引き金になって、相手がいやな人間に変えられているということも、十分に考えなければなりません。

特に他のみんなとは仲良くやっている人なら、あなたの特定の思いは、あなたにその起源がある可能性が高いといえます。

いやな相手は、案外あなたの気づいていない葛藤に気づかせてくれるきっかけになるかもしれません。

避けないで、近づいてみると、あなたの武装した先入観の多くが、当たっていなかったことが発見できるかもしれないのです。

またこれは、何もあなたの側の、いやな感情ばかり反映されるわけではありません。

あなたが心穏やかであれば、他の人にとってはつまらないものが、とても癒される対象に見えてきたりもするわけです。

そんなときあなたは、無理しないで世界とつきあっているのでしょう。
それもまた、自分の選択なのです。


Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png



ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







防衛をやめれば楽になる

phm23_0608-s.jpg



「自分を守らないといけない」という思いが強いと、それだけで疲れてしまいます。

実は、防衛が強いほど攻撃の対象になりやすく、守るのをやめてオープンにしていれば逆に攻撃は避けられるのです。

ドッジボールでは、やたらと逃げ回っている子どもは、背中を見せて真っ先にあてられてしまいます。ゆったり身構えていれば、やたらと攻撃されないし、受け止める用意も出来るというものです。

あなたの守ろうとしている態度が、余計に攻撃者を呼び込んでしまうのです。

一方で、守るのをやめて自分をオープンに出来ていれば、隠す必要も無いのでゆったりと構えていられます。

実は、守らないといけないという思いは、内面に隠している痛みを感じないようにしようとする防衛なのです。

確かにそれを思い出すのは辛いのかも知れませんが、だからと言ってそれを『戸棚の骸骨』にしてしまっては、余計にやっかいなものを抱え込むことになってしまうのです。

過去の痛みをしまい込まずに、さらけ出してしまう気になれば、それは思っているほどやっかいなものではなかったことが、わかってくるでしょう。

どうしても隠さないといけない事など、そうそうあるものではないでしょう。
それよりも、隠そうとすること、防衛しようとすることが、それを元々の存在よりも巨大なものに変えてしまうのです。

しかしオープンにしたとしても、攻撃されるかも知れません。
その時は、それがもたらす痛みをしっかりと受け止めてみることです。

それは、過去の痛みを先延ばしにしていたからかも知れません。
しかし今それを受け止めることで、それは消え去ります。

この先も、ばれるのを怖がる必要のないものに変わってしまうのです。
そもそも、そんなに頑張って隠し続けてくる必要などなかったと感じるかも知れません。

隠すこと、防衛すること、逃げることが、怖さを作り出すのです。
誰かが怖がれと言ったとしても、あなた自身の感じ方を信頼しましょう。
対象をそのままの大きさで評価すれば、怖いものなどないのです。

怖がらずにオープンになれたとき、それがもたらすものは痛みなど遙かに凌駕するものだったと気がつくでしょう。


Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png



ACR WEBブログパーツ

テーマ : メンタルヘルス・心理学
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







自分には資格がない

うつむく男子



なんとなく「自分には資格がない」という思い。

それは、あなたが人生で欲しいと思いながら、手に入らない、自分には縁がないと思っているものと繋がっています。

「自分には資格がない」という思いは、別名「罪悪感」です。

この不足しているという思いは、自分で押し込めているので、「自分には資格がない」とか恐れ多いことだと思って正面から考えようとしません。

しかし、不足しているという思いは感じていますから、形を変えて表現されたりします。

多くの場合、あなたの家族やパートナーが、それを叶えてくれるべき人だと信じようとします。

「あの人がこうしてくれさえすればできるのに、私の思いは叶うはずなのに」と言ってその人を責め立てるのです。

わたしが望みを叶えられないのは、この人達が悪いんだと思って、矛先を変えているのです。


「自分には資格がない」と思うのは起源になる出来事があったのかも知れません。

子どもの頃は、充分な判断力がないので、たわいのないことで自分を責めるようになったかも知れません。

自分のせいで何かが失敗したりすると、それに関連したことを自分はもうやってはいけないのだと思い込んでしまうのです。

「もう絶対にやりません」とまわりに表明し、今もそれを続けようとしている自分がいるのです。

それに対して許可を与えてあげられるのは、あなた自身が一番であり、そして唯一の存在かも知れません。

子どもの頃の固い決意に対して、あのときは自分で出来なくても仕方なかった、自分には罪はないのだと言ってあげられるでしょうか。

わけもなく自分には関係ないと拒絶していること、自分に出来るわけがないと口にしていることに反論してみましょう。

それが本物なら、それに挑戦したがっている自分が顔を出してくるでしょう。
今なら、客観的に可能性を判断できる自分がいます。

資格など自分が与えれば誰でも持てるのだと思って見ましょう。
客観的に自分には無理なのか、単なる思い込みから諦めているのか、今なら自分で評価し直すことが出来ます。

それにくっついてくる嫌な思い=罪悪感に負けてしまわないで、コツコツとそれに挑んでみましょう。
本当に必要なものなら、それは必ず応えてくれるはずです。



Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png




ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







使い使われ

動物と仲良し



人間は道具を使います。
道具に使われてはならないと言われることもあります。

しかし常に使う側でなければならないのでしょうか?

苦しさを感じる人の多くは、自分の思い通りに使われてくれない相手が、その原因になっていないでしょうか?

あなたは自分の思ったとおりに動かない相手に出会い、いらつきます。
そのいらつきは、自分がすべてをコントロールできないことから来るのでしょう。

私はすべて自分でコントロール出来ないといけない。
そんなこともできない自分が情けない。

そんな思いは、しかしあなたの責任ではなくて、いままでずっとそう考えるように教えられてきたからです。

いわば、使う人になりなさい、使われるようではいけない、とでも言うように。

しかし、そうでないといけない理由はどこにあるのでしょう?
ちゃんと説明出来る人がいるでしょうか?

そもそも、私たちがアクションを起こせば、相手はリアクションで答えます。
そして、それに対して私はリアクションで返しているのです。

どうして常にアクターでないといけないのでしょうか?
いまはリアクターでいいと思えたとき、あなたのイライラは消えてしまうでしょう。

もちろん、実際には常に自分がコントロール出来ているわけではないのですが、そう思い込んでいる人は、何事も自分がコントロール出来ないと敗北だと感じてしまうのです。

そして自分を責めたり、裏返しで自分で主体的に動かない人を批判したくなります。

ですが、ものごとの半分は相手にまかせたっていいわけです。
自分が使われる側に回っていいわけです。

「何でも自分がコントロールできなければ」という思いを少しゆるめてやれば、ものごとは一気にスムースに展開するようになるでしょう。

そうしないと、あなたは「今日が雨なのも自分が悪い」と思い出すかも知れません。

使い使われ、今は動かされる方だと思ったら、少し相手にまかせてみたって、ちっともかまわないのです。

すべてをコントロールしたい人は、いつかすべてが叶う日が来ると夢見ているのかも知れませんが、いつまで待ってもそんな日は来ません。

常に新しいコントロール対象を自分で作り出し続けるからです。
つまり安らげるその日は永遠にやってきません。

コントロールしようとして、あなたが相手に何かを与えるとします。
しかし相手はそれに報いてくれるとは限りません。

そんなとき、悪いのは相手なのでしょうか?
相手の問題だと考えたとき、また一つあなたの悩みは増えるのです。

期待通りに反応しない相手という問題を作りだしたのは、他のだれでもないコントロールしようと働きかけた自分なのです。

同じことをするにしても、自分でコントロールできないといけないと思うだけで、いろんな問題を作り出します。

どうして自分でやっかいごとを背負い込む必要があるでしょう。

手に負えなくなってギブアップするくらいなら、必要も無いことまで自分で支配しようとしないことです。

「欲しいなんて言ってないよ」と頑固にならずに、喜んで受け取ろうとする気になりさえすれば、あなたのまわりには、差し出されているものであふれているのが見えてくるでしょう。


Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png



ACR WEBブログパーツ

テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







人はなかなか反省しないもの

お辞儀犬



「人はなかなか反省などしないもの」

特にそれが私の利害に関係していれば、余計にそう思えたりします(笑)。


それはともかく、他人から見れば、その人は意地でも認めないと思っている様に思えたりしますが、本人にとっては実際に気がついていないのかも知れません。


それが、辛い過去だった場合、無意識に自分でフタをしてしまうからです。

わざと認めないのではなく、認めたくない原因があるのでしょう。


たとえば、いまあなたが誰かと仲違いしているとします。

そのとき、相手の中にあるもの、あなたがそれについて反発を感じているものは、実はあなた自身の過去そのものなのかも知れません。

その自分の体験を思い起こすことが辛い、だからあなたはその人を見たくない、近づきたくないと思ってしまうのです。

思い出したくない過去がからんでいれば、「反省しろ」とか言われても、過去はぼんやりしていて何が原因か自分でもわからないのです。

仲違いは、お互いが自分を守るために起こしていること、相手のふるまいはあなたの過去の傷と同じ原因なのです。


言ってみれば、相手はあなたにいきなり関係のないゴタゴタを持ち込んでいるわけではなく、あなた自身がそれを作りだしているとも言えます。

そこまでたどり着けば、仲違いはあなたの解放をもたらしてくれる福音になるかも知れません。

反省しろと責められるより、自分で自由になってしまえばずっといいですからね。


Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png



ACR WEBブログパーツ

テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







正反対に見える人

キリギリス


表面的には正反対に見える人たち、一見水と油だと思ってしまいがちですが、その奥にある動機は同じものだったりすることがあります。

たとえば、「アリとキリギリス」という童話のように、倹約家と浪費家は正反対に見えます。

しかし、両者はどちらも現状への欠乏感や、それに対する怖れを抱えています。

今使ったら、将来大変なことになると恐れて、ストックしておこうと考えるか、欠乏感を埋め合わせるために浪費して、ちっとも不足などしていないと、ごまかそうとするかの違いです。

どちらも現状は不足していて、外から何かを集めないといけないと思うわけですが、今持っているもので満足しようという発想はあまりないのです。

今あるもので満足するというのは、一見倹約家と同じように見えますが、倹約家は今使えるものも使わずに済ませようとします。

倹約家には、今使えるものは今使ってこそ意味があると思うことや、使ったものはどこかで補われるという発想ができない。

浪費家も、常に根底には欠乏しているという危機感がつきまとっています。

浪費しているときでも、この後どうなってしまうのか怖がっていて、そのあと後悔しながら自分を責めてしまうのです。

表面的には正反対でも、案外共通の弱みを持っていたりするわけで、それを認識できれば水と油を混ぜ合わせることも考えられるようになります。

多弁な人と無口な人、必要なことを必要なだけ話す人と比べれば、両者とも何かを恐れて過剰に反応していることが見えて来るでしょう。

お節介を焼きたがる人と、意地悪な人、どちらも相手を自分の土俵に乗せてしまわないと交流のきっかけが作れないと思っているのです。

しかし自分の弱点というのは、表面に出されることを嫌がります。
それと直面するのは、恐いことと感じるか、怒りの感情を呼び起こしたりします。

「ほっといてくれ、そんなことはわかっている」と拒絶します。

自分で受け入れるには時間が必要かも知れませんが、自分が認めない限り変化は起こりません。

最初は、「余計なことを言い出すなよ」と相手を恨んだり、「自分がそんなわけないじゃないか」と否定したくなります。

しかし、自分の中にも、こんなこだわりは捨ててしまいたいという衝動が隠れています。
一時的な拒絶や怒りが納まってくれば、やがて自分の弱点だったものを笑い飛ばせるときが来ます。

そこまでくれば、二度と後戻りはしたくないと思うようになるでしょう。

「このわからずや!」と感じる人ほど、あなたの弱点を発見するのに役立ってくれる可能性が高いのです。

なぜその気に障る人が、放っておけばいいのに気になってしまうのか、そこに隠れているものを探ってみるのです。

嫌な作業ですが、見返りは大きなものがあるはずです。
あなたは後で大きな自由を獲得できるはずです。


Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png




ACR WEBブログパーツ

テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







競争をやめてあなたらしさを固持しよう

phm23_0608-s.jpg


自分らしくマイペースでやろうと思っていても、あなたが表現したことに対して、競争を挑んでくる人が現れるかも知れません。

あなたは、人は関係ないと言い聞かせようと思っても、いつのまにか競争心を刺激される可能性があります。

競争のない世界で育ってきた人などいないでしょう。

あなたの競争心が頭をもたげてくると、あなたは自分のペースを忘れて、挑戦に挑みたくなるでしょう。

しかし、たいていの場合、それに導かれた先は、あなたの本来の狙いではなく、競争のための競争に陥って後悔することになるのです。

相手にそういう気があろうと無かろうと、あなたが刺激されればあなた自身の問題に変わってしまいます。

エゴは暴走し、必要も無い競争に挑み、あなたはその結果自分のペースを崩してしまいます。

あなたらしさも影を潜めて、別人のようになってしまいます。

そもそも、いつでも相手に勝てると期待するのは、無理な話だと思い出すことです。

競争してペースを乱すよりも、本来の自分のペースに戻すことに固執した方がいいのです。

あなたが競争を入り込ませれば、たちまちあなたの楽しんでいた世界は、無理をして重苦しいものに変わってしまいます。

その結果、気軽に自分らしさを表現することも出来なくなってしまいます。

同じことをやるにも、気が重く、楽しくないものに変わってしまうのです。

競争した方がお互いが刺激されて発展できるという理屈は、穴だらけの怪しい伝説です。

競争したにもかかわらず、お互いが自分への認識を誤らずに頑張ったおかげで、いい結果が生まれたと考えた方が正しいでしょう。

あなたは自分にまで企業の管理者かなにかのように、競争を煽ったりハッパをかけるようなマネはしないことです。

心がすさんで、すきま風が吹くようになってしまいます。

そして、ちょっとしたことが思い通りにならないと、イライラし始めます。

しかしその場合の「思い通りにならない」とは、比較によって作りだした目標と一致しないことへの不満なのです。

それは本来相手にすべき対象ではなかったと知るべきでしょう。

そのような「思い通り」は、あなたを行きたくもない場所に連れて行くだけです。

常に基準をあなたらしい自然な状態に引き戻すのです。

そうすれば、たちまち世界はあなたの味方に変わります。

世界があなたに敵対するように見えるなら、それはあなたの「思い通り」が原因なのです。

あなたの方が世界に味方すれば、そんなことにはならないのです。

あなたが競争をやめた途端に、あなたに挑戦を挑んでくる人間も消え去るのです。

そんなことは、やってみればすぐにわかることです。

そして、ここまで読んできてこの文章が挑戦的に思えるなら、あなたの「思い通り」が刺激されたと言うことです。

それと向き合ってみるか、馬鹿げた話だと言い聞かせて今まで通りを続けるか、そんなことは私が関知することではありません。

Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png



ACR WEBブログパーツ

テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







全面的に依存する

phm23_0196-s.jpg


あなたは「依存する」という言葉を聞いてどう感じるでしょうか?

「即座に依存はダメ!」といって自立しろと言い聞かせたくなるでしょうか?
あるいはもっとおおらかに、「時には依存しちゃおう」と思うでしょうか?

単純に「依存」という言葉だけを取り上げて、良いとか悪いとか言っても仕方ありません。
人によって解釈は違うでしょうし、その指し示す範囲が広く、どういう文脈で使っているかで意味は違ってくるからです。

しかし、ここではそういう話をしようというのではありません。

「全面的に依存する」ということを取り上げたいのです。

頑張る人は、自立を目指す人かも知れません。

なにごとも、自分でコントロールして成し遂げてこそ意味があるんだと考えるのです。

ですから、偶然手に入れたものは、単にラッキーだっただけで、自分で意図して手に入れた事とは区別して考えます。

それはともかく、自立を叫ぶ人は、依存することなど思いも寄りません。
「全面的に依存する」とか、「お任せにする」ということが許せないのです。

しかし、そういう人でも、やることをやり尽くして、その先は自分ではどうしようもないという場面に出くわすでしょう。

そんなときは「人事を尽くして天命を待つ」といった言葉で、ようやく成り行きにまかせることを受け入れるのです。

やることはやったんだから、後は許すとばかり、ようやく依存することを受け入れます。

しかし、はたしてそのような条件をつけないと、何かに委ねてはいけないものでしょうか?

そのような正当な根拠はどこにもないでしょう。

準備不足でも、あるいは何もしていなくても、「ここは何かに委ねてみよう」「成り行きにまかせてみよう」「神様の言うとおり」と考えていけない理由はないように思います。

それがダメだと思うのは、ずぼらであることと混同してしまうからでしょう。
やることを途中で放り出して、自分でやるべきこともやらずに、成り行き任せにしてしまうのがずぼらというものです。

最初から、何も自分で出来ないことは、「全面的に委ねる」ということも必要であり、そうするのがいいときには積極的にそうすればいいのだと私は思います。

別の例を考えましょう。

あなたは仕事上の問題をいっぱい抱えているかも知れません。

あれもこれも、まだ途中で進行中です。
あれは遅れ気味だなあ、もっと時間を割かないといけないのに、でも他の事が忙しすぎる、。。。等々悩みは尽きません。

そして、夜寝ようと思っても、寝る前にいろいろ思い出して、つい確認せずにはいられません。

考え出すとなかなか眠れません。
さんざん抵抗しながらも、いつしか眠りに落ちるのです。

意識や精神が支配する状態から、眠りに支配を委ねるときが来るわけです。

どんなに抵抗しても、寝ないわけには生きません。
それで眠れなくなったとしたら、正常な状態とは言えません。

それならば、そこまで行く前に「委ねてしまおう」という選択をとれないものでしょうか?

とれない理由はありません。
あなたがそれを許すかどうかだけなのです。

どうせ寝る前にあれこれ蒸し返しても、何かが変わるわけではありません。
今日はここまでと決めて、あとは成り行きにまかせましょう。

どちらがいい結果を生むかなど誰にもわかりません。
ただひとつ言えるのは、あなたの抵抗が度を超せば、心身共に問題を起こすだろうと言うことです。

「ゆだねる」という選択を持つことは必要だし、重要だし、さらにはトータルでよりよい成果を生み出すことにも繋がるでしょう。

なんとしてでも自分の力で困難から抜け出そうとして、限界を感じているなら、そのたびに自分で邪魔するのをやめて、自分を通して物事が為されていくことに身を委ねてみましょう。

起きてくることを「信頼する」のです。

自分で行動するだけがすべてではありません。
まかせることは、逃避でも手抜きでもありません。
そういった言葉は、頑張る人の価値観が生み出す尺度に過ぎません。

ときには、あなたはまかせて、ただ存在するだけというときも必要なのです。

それをうまく見分けられれば、あなたのエネルギーは何倍も生き生きとよみ返ってくるでしょう。

もちろん、精神の穏やかさにも、もっともっと出逢えるのです。

今日はひとつ何かをまかせて、自分は存在するだけでいてみましょう。
恐れているようなことは起こりません。


Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png



ACR WEBブログパーツ

テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







求めているのは満足ですか?幸せですか?

phm20_0239-s.jpg


私たちは幸せを求めていますね。

頑固者でなければYESと言うのではないでしょうか?(笑)

しかし「幸せ」というものは求めても正体が見えないものではないでしょうか?

そのつもりで求めているものの実体は、実は「満足」という具体性を持ったものであることがほとんどなのではないでしょうか

「満足」とは、あなたの望むあるものを手に入れる事です。

それは、目に見える物、身の回りのものから、衣服や家具や家や財産、あるいはお金かも知れません。

また、目に見えないけれど特定できる、社会的な評価や賞賛、地位や名誉、あるいは特定の誰かが自分を気に掛けてくれることかも知れません。

それらは、自分の外部にあるか、あると思っているものです。
そして、満足する主体はエゴです。

つまり一般的には、「満足を求める」とはエゴが自分を維持するために必要だと思っているものを、外部に探し求め手に入れようとすることです。

「幸せ」を求めているつもりでも、実体は「満足」を追いかけていることがほとんどなのかも知れません。なぜなら具体的な行動を生み出せるのが後者だからです。

しかし、たとえ満足を満たしても、それで幸せを感じるかどうかの保証はありません。
両者は根本的に違うものだからです。

満足は普通満たされると、次のものを、さらに上を、もっと多くを求めていくことになります。それが幸せとの違いです。それ自体の達成では完了できないのが満足というものです。

幸せとは、その実体はよく見えませんが、「満足」で置き換えられるものでもないし、外部を探しても見つかるものではないでしょう。

たとえば、あなたのより根源的な「わたしを見て」という欲求は、人との関係で創り上げた具体的な約束ごとで安心できるでしょうか?

「家族」や「夫婦」や「恋人」といった関係を持ったとしても、その言葉だけ安心するのは一時で、やがて本当にこれで安心していられるのか不安になってきます。

自分の想定していた「満足」とは勝手が違うことが見えて来るのです。

満足で完全に満たされることがないので、エゴはすぐに新しい満足を求めてさまよい出します。

外側になにかが見つかるという探求は、終わりのない失望とごまかしの連続になってしまいます。

本当の満足は、内側の自分と一体になれたとき、その姿を垣間見せてくれるものでしょう。誰かでも何かでもないところにあるものが。

あなたは「満足」を手に入れるために、本当の自分の望みを代償にしなければならないかも知れません。

最初は、一時的な駆け引きのつもりで自分を売り渡しても、いつしか「満足」を手放せなくなってしまう自分が作られていきます。

あなたは、誰かの権力を批判します。
「何だあんなやつ、いばりくさって」と自分とは別世界の人間だと言い聞かせています。
しかし、あなたはその相手を前にすると、権威にへつらう自分を見つけるのです。

それは、あなたの中にも権力を求める自分がいるからです。
だから権力にへつらう自分も作られてしまうのです。

あなたは、目先の満足を犠牲にしてでも、満足のために自分を売らない決心をしない限り、「持つもの」と「ねだるもの」の間の奴隷のような関係に巻き込まれてしまいます。

それが浮き世の現実だと言い聞かせて、自分を納得させようとします。
どこまでも目の前の満足にすがり、優先し、これしか方法がないと思い込むのです。

満足を求めること自体は、排除すべきことでも、恥ずべきことでもないでしょう。
それなしには、現実にやっていけない世界がそこにはあるからです。

しかし「満足」を求めている自分と「幸せ」を望んでいる自分は別のことであると知っておくことは重要です。

「満足」はやむを得ない手段ではあっても、本来の目的ではないことを忘れてはなりません。
さらには、「満足」することが自分の本当の目的だと錯覚しないようにすることです。

言葉は私たちを騙します。いとも簡単に騙されます。
しかし、どんな言葉で誤魔化そうとも、偽物の満足は私たちに望んだものがかなえられたという感覚をもたらしてはくれないので、違いは見破ることが出来ます。

社会的な「満足」、2次的、3次的に派生した高度な「満足」に入り込みすぎない方がいいでしょう。
いつしか、自分が何を本当に望んでいるのかわからなくなります。

いつでも「満足」を捨てられると思えるとき、初めて「満足」を失う事の怖れから解放されるのです。

『この人さえいてくれたら、これさえ手に入れたら、その時私は幸せになれる。』
『だからそれまでは我慢するしかない。』

それは本当でしょうか?

そしてどうしていまここでの幸せを感じてはいけないのでしょう?

「条件が叶えば、そのときこそ。。。」という脚本はいつになっても、その時は来ないのです。
条件は、いつまでも次の条件が表れるのです。

どこかで、ストップを掛けないと、いまここを楽しむ機会は永遠に失われるのです。

あなたが今抱えている制約に対して、「もしそれがなかったら自分はどうなるだろう?」と問いかけてみることです。

それは本当に、それがないとやっていけないものなのでしょうか?

いま手放せないと抱えこんでしがみついている「満足」こそが、幾重にもあなたをがんじがらめに縛っています。

もっとシンプルに生きられたらと、時折よぎる思いに「でもこれだけは別だ」と思って例外扱いしていないでしょうか。

「もしそれがなかったら」、それでシンプルになれたら、その時の自分こそが、あなたが探し求めていたものではないでしょうか。

私たちは知っています。
本当の解放感などもはや手に入らないだろうと薄々気づいているのです。

本当の解放感を味わうには、今しがみついている「満足」を捨ててしまうしかないとわかっているのです。

それでも人はその道は選ぼうとはしません。

あいかわらず、「満足」を探し求めて、それへの準備に邁進し、それが失敗した時の対策を考え、失敗に終わった時を思い浮かべて怖れを抱き、作られたレールに乗って誤魔化していることへの不快感を嘆き、愚痴を言い、ありとあらゆることに忙しいのです。

そして、ただ一つ、正面から自分の本当の望みに対面することだけは避けているのです。まるで見てはいけない事のように。

☆~⌒☆

時々、すぐに手に入りそうになっている満足を受け取らないで見ましょう。

もったいないなどと思わずに。

あるいはもったいないと思うものほど効果的かも知れません。

そしてそれを手に入れなかったことが、あなたから何を失わせ、何をもたらしてくれるかを見てみることです。

手放すことはマイナスではありません。

きっと、あなたがよりシンプルになれるきっかけを生み出し、必要も無かったものを求めていたことに気づかせてくれるでしょう。

いったいどれだけのものをあなたは抱え込もうとしていたか、教えてくれるでしょう。

「大人の考え」「現実的」などと言った言葉で、素直なあなたの望みを押し込めてしまわないことです。もう子どものような素直で自由なことは考えられないと諦めてしまわないことです。

Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png




ACR WEBブログパーツ

テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







怒りや悲しみは消え去るのでしょうか?#2

phm21_0023-s.jpg


前回は「頑張れば頑張っただけ向上する」的な思考にはまらないこと、自然な自分の感情を素直に見つめることが必要なことなど、大まかな指針をお話ししました。

今回はそれの続きで、もう少し補足的な話をしたいと思います。

ところで「頑張れば頑張っただけ向上する」的な思考は、その親戚みたいなものですが、「頑張れば何事も叶う」という発想に繋がっていくのは成り行きでしょう。

そして、自由の国、誰でもが望みを叶えられる可能性があることをスローガンに建国したのがアメリカという国でした。

「アメリカン・ドリーム」とは「誰でも頑張れば可能性があり、何事でも叶えられる」ということです。

それの裏付けとして、成功哲学というものも生まれてきました。
やがてそれは、その人がどれだけ望むかが成功の目安であるかのように考えられていきます。

そして、大胆な目標を立て、それに一直性に向かうことが、すべての困難を排除してくれる魔法の杖のごとく考える様になります。

この考え方の批判をすることは、ここでの本題ではないので、関係がありそうな点だけを取り上げます。

まず、すべてのことが、このルールで片付くわけではないこと(右肩上がりの成長曲線が該当することは一部に過ぎません)。

それからもうひとつ、この哲学では、今の自分を新しい自分に変えるという色彩が強いという点です。

今の自分が満足出来ないから、目指す自分に変わればいいではないかという発想になるわけです。

ですが、今の自分を捨てられるわけはありません。

また、目指す理想の自分とは、現在自分がそうだと見えている自分への、反動やアンチテーゼのようなものに過ぎないということです。

反動は、もとになるものを超えることはありません。
敵対するものを作ることで、その反対を自分だと認識するようなものだからです。

それに今の状態に不満な自分がひねり出した理想など、今の自分を超えるものではないわけで、たどり着くところはやはり今のままの自分なのです。

この発想をきっぱり捨ててみましょう。

そして、新しい自分を創り上げるのではなく、本来の自分を取り戻すという、見方によっては正反対の方向を考えて見ましょう。

本来の自分は、いまは様々なしがらみで見えなくなっています。
そのまま見えている自分など、ほんの一部だと考えた方がいいでしょう。

社会の一員として、様々な関係の中で成長してくる中で、本来の自分を隠して社会的に望ましい自分を創り上げてきました。

そんなガラクタの中から、自分でも見えなくなっている自分を表に出すことが、実はあなたの本当の望みではないでしょうか。

本当に不満を言っているのは、素直に表に登場できない自分なのです。

先ほどの理想の新しい自分像の中に表れていたのは、きっとこれら虐げられてきた自分への復活の思いが反映していたはずです。

人は全く新しい今の自分に縁のない自分に変わりたいわけではないのです。

本来の自分を取り戻す試みは、まず今までに出てきた、変えたいと思っている自分を手がかりにすればいいでしょう。

その望みを、新しい自分を創り上げるという発想ではなく、そこに表れている表に出たがっている本来の自分を見つける手がかりにするのです。

たとえば、今あなたが、普段沈みがちで暗い自分を、活発で明るい自分に変えたいと望んでいるとしましょう。

この発想は、実は先ほどの新しい自分に変えてしまおうという発想から来るものです。
そしてそこには、暗いより明るい方がいいというような社会的な意味での価値観が含まれているでしょう。

今説明のために、一方の端に悲しみ、反対の端に陽気さを置いた尺度を表す直線を想定してみましょう。

さて、実は、社会的な価値観を含めなければ、悲しみを感じることも必要だし、陽気な自分になれることも必要なのは明らかです。

そして、人はこの直線上を絶えず揺れ動いているものでしょう。
なにかのイベントが発生して、一気にどちらかに大きく移動することもあるでしょう。
ですが、自分で無理やりひきとめない限り、どこか一ヶ所にとどまり続けるのは不自然な状態です。

明るい自分になりたいと思っているあなたは、自分が悲しみの端の方にいつも寄っていると思っているのですが、実際には他の人と同じように絶えず揺れ動いているのです。

そして、たとえとどまることの多い位置が、悲しみ近かったとしても、それは他の人と比較したり、他人からとやかく言われる筋合いのものではなく、その人らしさ、その人の個性のようなものなのです。

ですが、あなたはそれでも今の自分が不満なのです。

そこには何があるのでしょうか。

あなたは、実は過去の出来事での悲しみを、解決しないまま抱えているのではないでしょうか。

あなたは、その悲しみを何とかしようと思って、すぐ近くにまで行くのですが、自分がいざその悲しみそのものになると思うと、反射的に飛び退いてしまうのです。

悲しみと一体になった自分を想像して怖れを作り上げてしまっているのです。

ですから、悲しみの近くに絶えず近づいては、いざとなると離れると言うことを繰り返します。

また、その悲しみを解決していないという思いから、心から陽気になることを禁止しているのです。
あの悲しみを解決するまでは、私は心から楽しんではいけないと、無意識に自分を制限してしまいます。

ですから、充分に悲しむことも出来ず、また心から楽しむことも出来ない状態を繰り返すのです。

そう考えるなら、あなたが行きたい場所は、明るさではなく、置き去りにしてきた悲しみとの対面なのです。

自然な感情というものは、あなたを傷つけたりしないものです。
有害な影響を及ぼす感情とは、作為的に作られ、歪められ、繰り返し強化されたような不自然な感情なのです。

あなたの残したままの感情がどんなものかはわかりませんが、元々の感情は怖がるようなものではなく、それ以上でもそれ以下でもない、そのままの大きさの、あるひとつの悲しい出来事なのでしょう。

それと向き合わずに避けてきたために、いつのまにか巨大で恐い存在に創り上げられてしまったのです。

自然にその悲しみの中に入っていけば、その時は辛い思いを伴うかも知れませんが、いつまでも続くものではありません。

そして自然にその納まるところへ納まったら、それ以上あなたを悩ませることはなくなるでしょう。

あなたはもう解決したのです。

そして、不自然に悲しみの端に近づくことも自然となくなるでしょう。
もはやそんな必要がなくなったからです。

陽気な方に自由に飛んでいくことも出来ます。
もちろん反対に悲しみに沈むことも制限しないで出来るようになるのです。

あなたの望みは、特定の陽気さの位置にとどまることではなかったと気がつくでしょう。
自分の望みは、自由に悲しみと陽気さを行き来できる、本来の自分を取り返すことにあったのだと確信することでしょう。

Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png



ACR WEBブログパーツ

テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







怒りや悲しみは消え去るのでしょうか?

怒る主婦2



私は怒りっぽい性格をなんとかしたいと思っている人もいるでしょう。
その人は、怒りとの対比で、いつも穏やかな人に憧れるかも知れません。

あるいは私は悲しく沈んでいることが多くていつも陰気に見られる、もっと陽気で明るい性格になりたいと思う人もいるでしょう。
そこでもやはり、悲しみの対極にある明るさ、陽気さに憧れているのです。

そして、自分を変えようとして、自分の理想の状態を増やしていこうと考えます。

その時、そこに時間という概念を登場させて、穏やかでいられる時間を増やしたり、陽気でいられる時間を増やせば、自分の理想像に近づけると考えます。

そうやって時間のトリックに騙されてしまいます。

どういうことかといいますと、「穏やかでいられる時間」と考えたとき、そこにあるのが、「穏やかさ」だけを持った自分が存在する時間を仮定しているのです。
そこには、同時には怒りは存在しないと思っています。

つまり、「穏やかなだけの時間」と「怒りだけの時間」の2つが存在し、「穏やかなだけの時間」の方を増やしていけば、やがて怒りは消えていくだろうというように錯覚するのです。

ですが、実際には、「穏やかなだけの時間」や「怒りだけの時間」など存在しないのです。
それは頭の中で創り上げたモデルに過ぎません。
怒りがあるから、それとの対比で平和なときが存在し、悲しみがあるから、陽気さも存在するのです。

実際には、「怒り」と「穏やかさ」は常に共存します。
別々の時間など存在しないのです。
単に、片方がもう一方よりも目立っている状態があるだけだと考える方が現実的でしょう。

ですから、「穏やかな時間を増やそう」作戦は、失敗に終わります。
そもそものモデルが間違っているからです。

ですが、努力や訓練によって、自分が望む方向に自分を変えるというのは正しいように思えます。

実はそのように思う背景には、学習曲線というモデルがあるのです。

心理学などで学習の効果を表現するのに、「学習曲線」という概念を使います。

例えば、ネズミが迷路を通って入り口から出口までたどり着く時間を測定し、それと訓練の度合い(試行回数など)との関係をグラフに描いたのが学習曲線です。

ご想像の通り、「学習曲線」は右肩上がりになります。

単純な比例関係ではないにしても、努力の度合いが増えれば、成果も向上するという関係がそこに表れます。

一般的な言葉で言えば、頑張れば頑張っただけの成果が現れると言うモデルです。

先ほどの「穏やかな時間を増やそう」作戦もこのモデルをあてはめて考えているわけです。

ですが、なんでも学習曲線型のカーブを描くわけではありません。
つまり、何でもかんでも「頑張れば頑張っただけの成果が現れる」というものではありません。

そもそも、今相手にしている対象が、そのような関係が見込めるものかどうか、その見極めを最初に行うことが肝心なのです。

それを無視して、乱暴に何にでも「頑張れば頑張っただけの成果が現れる」と考えるやり方は要注意なのです。

そのようなモデルで、「怒り」をゼロにしたり、「悲しみ」をゼロに出来た人がはたしているでしょうか?

あるいは、今までにそのような努力をした経験のある方も、少なくないと思います。

しかし、それは失敗に終わったはずです。
あてはめるモデルが間違っているからです。

さて本題に戻って、それでは、「怒り」や「悲しみ」やあるいは、「嫉妬深さ」や「頑固さ」といったやっかいな対象にどのように対処すればいいのでしょうか。

それらは、個別に考える必要はありません。

例えば、「悲しみの時間」と「陽気な時間」のような間違ったモデルを使うのをやめて、それらが同居する自分をありのままに、作為なしに見つめることです。

自分の中の「怒り」の感情を否定せず、また一瞬後には「穏やか」な自分に変化している様子を受動的に見つめることです。

たとえば、いったん怒りだしてしまうと、その後怒りが納まっても、それを引きずって素直に穏やかな自分に戻れなかったりします。

しかし、そのような時には何らかの作為が入り込んでいます。

受動的に、ありのままの自分を観察するとき、そこに他者を意識したりせず素直に変化しつつある自分を感じることができます。

頭で考えた「理想の自分」に近づける様な努力を一切やめて、ありのままの自分にあくまで従うやり方を取ったとき、その時初めて「自分が怒りの虜になってしまう」などの問題や怖れから解放される可能性が生まれるのです。

そこで必要なものは、努力や訓練ではありません。
理想に向かわせようという作為的な働きをやめるという、反努力、ありのままを受動的に見つめる姿勢だけが必要なのです。

押さえつけた穏やかさや、陽気さなど付け焼き刃にしかなりません。
学習曲線のモデルに騙されて、無駄な努力はやめましょう。

またそのような作られた無理なふるまいは、他の人から見て不自然で作為的であることがすぐにわかってしまいます。
一緒にいて疲れる人、窮屈な人になってしまいます。

またそのような訓練をしてあげましょう的な誘いに乗ってはなりません。
努力すれば向上するのなら、だれかに助けてもらう必要などありません。

そして、自分が相手にしているのが、そのようなモデルに当てはまるかどうかを見極めることを忘れてはなりません。

間違った方向での成功は、成功すればするほど、それだけ大きな失敗を意味しているのです。

そして、努力したほど、今までが失敗だったことを認めるのが難しくなるという、やっかいなオマケまでつきまといます。

以上、今回はそれ以上の話は省略して、その方向性ということだけを書いて終わりにします。


ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







かけがえのない存在

phm20_0151-s.jpg


『あなたは、あなたであるだけで存在価値がある。』

このような言葉を聞かれたことがあるかも知れません。

しかし、それが正しいかどうかを証明することは難しいでしょう。
おそらく誰かがそれを証明してくれることはないでしょう。

それよりも、もっと現実的な意味を持つのは、あなたがそれを自分で納得できるかどうかではないでしょうか。

自分でそれを心から信じられたら、感じながら生きられたら、素晴らしいことだと思わないでしょうか?

先に進むその前にこんな話題から、
やがて蚊に悩まされる季節がやってきます。
この小さな虫、外を飛んでいて雨に打たれたらどうなるのでしょう。

考えたことはありますか?

雨粒とは言っても、蚊のような小さな個体、きわめて質量の小さいものにとっては、とんでもない重量を持っている存在です。

人間の場合でいえば、自動車の下敷きになってしまうようなものです。
そんな衝撃を受けて、どうやって生き延びているのでしょうか?

実は最近までこのような仕組みは、充分に科学で説明出来ていなかったようです。

ごく簡単に言えば、『雨粒の質量に対して、昆虫の質量が極度に小さいこと』が、小さな虫が雨粒に潰されてしまわない理由だということです。

つまり、質量の小さな蚊は、雨に打たれても逆らわずに雨粒と一緒に落下します。
これによって、雨粒が蚊に与える衝撃がきわめてゼロに近くなるのです。

雨を跳ね返すほどの重量を持たない生き物だから、平気でいられるのです。

ところで、こんなことくらい科学は説明出来ていると思っていなかったでしょうか。

もちろん正当な科学者なら、わかってもいないことを偽造したりはしません。
正直なところ、ごく簡単なことでも、分かっていないことは多いのです。

話を進めましょう。

蚊はなぜ自分が雨に当たっても平気でいられるのか、知っているわけではありません。
また人間はこういったことについて説明がそれに追いついているかどうか、怪しいものです。

しかし、現に蚊は生きています。平気で活動できるのです。

いま、ここで存在できていることは、様々な説明など出来ていない奇跡の塊なのです。

いま現に存在できるのは、それに叶う条件を持ち合わせたからでしょう。
それに適合できたものだけが、今ここで存在しているわけです。

しかし、その条件が何であったのか、何と何が必要だったのか、そんなことはわかりようがありません。
その意味で、いま存在できていること自体、奇跡の集まりなのです。

飛躍しているように聞こえますか?

科学や人間の知識が多くのことを解明するかも知れません。
しかし、その「多く」という言葉が、全体のどれだけを締めているかは、いつまでもわからないままでしょう。

なぜなら、わかっていないことがどれだけあるかは、わかっていないのだから知りようがないのです。

「世界は、ほとんどわからないことで成り立っている」と信じるのと、
「科学はやがてほとんどのことを解明するだろう」と信じることと、
両者は同じ先ほどの理由から、正しいかどうか証明しようがありません。

わからないことがどれだけあるのか、それはわからないことだから知りようがないのです。

そして、科学が説明出来ていないのと同じように、あなたもあなた自身のことをわかってはいません。
あなたが説明出来ない、あなたが知りもしないことで、あなた自身は出来上がっていると信じた方が当たっているでしょう。

「自分のことはわかっている」と思うことの無謀さ、尊大さを認識できるほど、あなたは自分の中にある奇跡を信じられるようになり、あなた自身もそしてまわりの人も、もっと大切に扱おうと思うようになるでしょう。

話を本題に戻しましょう。

「世界は、ほとんどわからないことで成り立っている」という前提を信じるなら、そして、そう信じる方がずっと理にかなっていると私は思いますが、私たちのユニークさは奇跡の集まりです。

説明のつかないことだらけだけれど、それでもひとつひとつが意味あって存在しているのです。

ですから、説明出来ることだけで生きようと思うことには、疑問を呈しましょう。

あるいは、私はすべて自分でわかって行動していると信じ込むことに、待ったをかけてみましょう。

これはごく現実的な話をしています。

あなたが、自分とはこういう人間だと説明し、それに沿ってだけ生きようとすることが、あなたにどれほど無理を強いているのかを知ろうと思うことです。

あなたは、簡単に「自分はこういう人間だから」といって自分を説明し、それに沿った行動をしていると信じ込んでいますが、それは自分の中のほんの一部に過ぎません。

説明出来ないこと、あるいはその存在すらわかっていない原理で、自分では知らずに動かされています。

過去を振り返ってみれば、その時その時で、自分はこういう人間だ、これから先もその延長で生きているだろうと考えていたでしょう。

しかし、それはどれだけ一貫していたでしょうか。

いやわたしは、過去も未来も一貫していると言いきる人もいるでしょう。
しかし、その一貫性の指すものにもよりますが、その人はかなり自分を縛り付けて生きているはずです。

普通は、これこそが自分の望みだと信じていたものは、時と共に移り変わるものです。

テレビやマスコミで知られるようになった著名人は有名税を払わなければなりません。

自分が有名になりたいと思って、自分の一面を売り出し、それがヒットして有名になれることもあるでしょう。

しかし、そのある一面だけがその人であると世間から見られ続けることは、その当人にとって、やがて苦痛に変わってきます。

それ以外の自分を犠牲にしてきたことが、だんだん自分をいじめるようになるのです。
有名になればなるほど、その負担は増してきて、最後は悲惨な結末を迎えることも少なくないでしょう。

「私はこういう人間です」それだけで生きていくことは、無謀な賭けです。
長続きしませんし、自分を安売りしているようなものです。

自分自身にも知られていない自分が集まっている。

そんな中の一部だけ知っている自分が、今知っている自分であるだけなのです。

今自分が現にやっていることですら、その本当の意味はよくわかっていないのです。

しかし、それだからこそ、
『あなたは、あなたであるだけで存在価値がある。』
という言葉が生きてくるのです。

無理やり信じ込まなくても、わかっていない自分が、自らその存在を表現し続けています。

意識してやっていることなど、表面的なことだけなのです。

その自然の流れを滞らせないことです。

そのためには、頭で説明できることばかりに頼らないことです。
むしろ、なぜかはわからないけれど、本心からこうしたいと思うことに従うことです。
そして一方で「~すべき」だからと無理やりやっていることから解放され続ける必要があります。
その両者を見分ける自分を育てていきましょう。

なぜか説明出来ないけれど、これは大切にしたいと思うことにもっと市民権を与えるのです。

それはわがままではありません。
わがままとは、無理な締め付けの反動で起きる不自然な行動なのです。

自然で、本心から大切だと感じることは、社会の常識とあっていようと、ずれていようと大事なのです。
社会の常識など、時間と共に変わるあてにならないものです。

こんな奇妙で、役に立たないこと考えてはいけないと思っていることはありませんか?

それこそが、あなたがあなたであるだけで価値を持たせているものかも知れません。

あなたが社会の常識から外れているという理由で、考えることをやめてしまったタブーがあなたを蘇らせるかも知れないのです。

ただし、他の人に自分を説明するときには最低限の説明が必要でしょう。
ですから、むやみに自分を限定するような説明を安売りしないことです。

一つの説明が、あなたをそれに沿って限定することになるからです。
最初は単なる説明のための説明だとおもっていても、やがてあなた自身が信じて、あなたを規定してしまう束縛になるかも知れません。

あなたは一つの言葉で説明出来るほど、単純でも一貫してもいない筈です。
一瞬一瞬、矛盾する自分が登場してくるかも知れません。
ある程度のモデル化は行っても、いつでもそのモデルを壊せる勇気を持つことです。


あなたが自分の存在の価値を無理しないで信じられるには、あなたの存在がきわめて貴重な奇跡で成り立っていることを信じるようになることです。

自分で説明出来ている自分など、表面的なことに過ぎないこと、その裏に拡がる大きな知らない自分の存在を認めることです。

それは、あなたが意識しようがしまいが、それがあるから今の自分が存在できているもとになるものだからです。

人に説明出来る様な自分などたかが知れています。

そんなものをあてにして生きるから、すぐに矛盾する自分と問題に出くわして行き詰まってしまうのです。

『あなたは、あなたであるだけで存在価値がある』ことを信じられるようになるには、あなたが知っている自分を一度リセットしてみることです。

「自分とはこういう人間だ」と説明づけて、それで安心していたいと思うのをやめてみることです。

いままで身につけたものも、ようやく手に入れたのにと言ってしがみつくのをやめてみることです。

一時的に失ったように思えても、それは想像しないくらい大きなものになって自分に帰ってきます。

なにかにしがみついていれば、それによって制限された範囲でしか、あなたは生きられません。
それでは、存在自体の価値などわかりようがないのです。


Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png




ACR WEBブログパーツ

テーマ : うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







がんばる人

2つの感情


「がんばる」という言葉はどこか重苦しいですね。

それは「手を抜いてはいけない」、「休んではいけない」、「いいかげんではいけない」、「へらへらしていてはいけない」。。。

そんな圧力を感じるから?

しかし、そんなことは表面的なことです。
人生のどこかで拾ってきた条件反射に過ぎない。

肝心なのは、あなたが真摯な態度で向き合っているかではないでしょうか?

その姿勢さえあれば、後はあなたのペースでやればいいのです。

休みたいと思ったら手を休めればいいし、

途中で他の事に気がそれたっていいわけだし、

トータルで、向き合う姿勢を忘れなければいい。

ましてや、他の人が「もっと早くやれ!」と言ったって、ペースを乱されることはない。それはブレーキにしかならない。

自分のペースを守るのが、最善のペースメーカーだと信じればいい。

実際、少々急いだって、大きく見れば結果は変わりはしないのは、十分知っているはずです。

「頑張る人」は無駄が多い。

真剣であることと、圧力に従うことは全く別のこと。

アメとムチは自分でコントロールすることです。

そうすれば、同じことをやるにしても、驚くほど無駄な気遣いがなくなります。

その結果、もっといい仕事が出来るというものです。


Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

PDFでいつでも読めます:↓ ↓
lifehint30.png



ACR WEBブログパーツ

テーマ : 幸せになる考え方
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







sidetitle最新記事sidetitle
《最近7日間の人気順位》
~ランキング全体をみる~
~ランキング全体をみる~

sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle全記事表示リンクsidetitle
過去の記事はこちらから↓

全ての記事を表示する

sidetitleブログ紹介sidetitle
☆~新刊⌒☆
☆ちゃん見るシリーズ☆


好評発売中


アルファポリス
第2回エッセイ・ブログ大賞
特別賞『タオに生きる』 pao
WebコンテンツPickUP!タオに生きる
【 エッセイ・日記・blog > blog 】
老子の教えに学ぶ
老子のいう「タオに生きる」ということはどういうことなのか。さまざまなアプローチから、自らの考えや学んだこと、思ったことが綴られています。心をやすめ、身体をやすめ、穏やかで落ち着いた生活をしたい……そう願う人たちにとって、ヒントに溢れたブログです。


ez-HTML





PRR
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカレンダーsidetitle
06 | 2012/07 | 08
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
sidetitleにほんブログ村sidetitle
sidetitleお世話になってますsidetitle
※FC2ブログのリンクですが、なるべくblogpeopleのリンクをお願いしています(右サイドのお友達リンク)
このブログをリンクに追加する
sidetitleスポンサード リンクsidetitle
sidetitleアクセス情報sidetitle
sidetitleジャンル・ランキングsidetitle
[ジャンルランキング]
心と身体
30位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
スピリチュアル
8位
アクセスランキングを見る>>

sidetitle検索フォームsidetitle


もう一つの「タオに生きる」カテゴリー別
Screen Shot_30p ※徐々に更新しています
タオに生きる(人間関係)
タオに生きる(アドバイタ関連)
タオに生きる(YouTube#1)
タオに生きる(YouTube#2)


[上位タグ20]
感情、莊子、思考、怒り、罪悪感、老子、いまここ、人間関係、バイロン・ケイティ、交流分析、タオ、エックハルト・トール、ありのまま、許す、YouTube、老荘思想のコラム連載、不安、過去、無為、OSHO

sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleアクセスランキングsidetitle
訪問いただいているサイト
(週間 木曜日リセット)
※こちらでタイトルを入れさせてもらっていますが、出したくないとか変更したいという方はご連絡下さい。

sidetitleカテゴリsidetitle
カテゴリーを追加し整理しました。 バイロン・ケイティ、エックハルト・トール、ガンガジ、ムージ、OSHO
sidetitleQRコードsidetitle
QRコード
sidetitleお友達リンクsidetitle
FX