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迷子になるのは悪いこと?

動物とたわむれる


「私は人生の迷子になりました」と口にする人は、たいてい今の自分が何をやってもうまくいかないことを訴えているものです。

しかし、うまくいっていないこと、自分の行動が期待する結果を生まないことは、迷子なのでしょうか?

ここ使われている迷子という表現は、社会という1本の道があって、その道から外れないでいるのが、迷子にならない人だという意味なのでしょう。

ですから、迷子だと言っている人は、単に今の社会と自分の思いがずれていると言うことを訴えているわけです。

だとすれば、その人達はそんなに嘆くことは必要ありません。

社会という1本の道、いつも変わらない王道があるわけではないからです。
そういうものがあると思っているのは幻想に過ぎません。

実際、社会というものは、時代時代でいつも変化しているものであり、決して変わらない一本道などないからです。
突然変化してしまう社会など信じて、期待していても何も保証はしてくれません。

しかし、迷子だと言って、自分の人生を嘆いている人は、問題を抱えてはいるのです。
それは「うまくいかないと思っていること」が問題なのです。

一つの確実な道などないとすれば、その道からはずれたところで、別にかまわないのです。
ですが、外れることは問題だ、だから自分はうまくいっていないと思ってしまうのです。

自分なりの選択をしているのなら、それで問題はないわけですが、社会の流れと比較してそれがずれていることばかり気にするから、自分の選択を受け入れられない。それが悲劇なのです。

問題は、自分の選択に自信を持てないこと、つまりは自分自身を受け入れていないことに問題があるのです。

実は人生の決まった道などないことは明らかでしょう。
たとえあったとしても、それは誰にもわからないものだから、ないと言っても同じことです。

自分が切り開くのが、道であり、自分の通った後に道が出来るのです。

迷子という言葉が成り立つのは、あらかじめ道が決まっている場合です。
目的の場所に行き着くことがゴールだと決まっているときには、道を間違え、どちらに進めばゴールに近づくかわからないとき迷子だというのです。

ですから、ゴールの定かでない、道なき道を行く人生には、迷子などありません。
あるいは、いつでも迷子であるのが当たり前と言う状態なのです。

ゴールはありません。プロセスがすべてなのです。
焦点を当てるべきなのはプロセスだけです。

しかし、社会はいろんなゴールがあると訴えてきます。

それは、みんなが同じ方向を向いている方が都合がいいし、ある程度同じルールがなければ、社会というものが成り立たないからです。
ですから、社会の示すゴールには、適度に付き合っておけばそれでいいのです。

もちろん、中には人生にも決まった道はあるという人もいるでしょう。
そして、そういう人たちは、実は自分たちでゴールを決めてしまっているだけなのですが、それこそが唯一のゴールだと思っているから、即座に方向を教えてくれます。

「これが正しい道です」
「あなたは間違った道を進んでいる」
「君は迷子になっているから、こちらに進みなさい」

このように、確信を持って、間違いない道を教えてくれるのです。

ですが、それに従っても、行き着くところはその人達が決めたゴールであるだけです。
そして、そのような決めうちをする人は、プロセスなど犠牲にしてしまいます。

その人達が迷子にならないのは、決まったゴールから外れるプロセスは、即座に切り捨てるからです。

まっすぐな一本道から決して外れようとしません。
こちらに面白そうな脇道があるなどと感じても、即座に禁止して、見なかったことにしてしまうのです。

一本道を迷わず進む人は、迷うような道を切り捨て、今起きてくるプロセスを無視しているから迷わないだけです。

しかし、そういたった人たちも、いったん大前提であるゴールを疑問に思い出すと、一気に自信を失います。
ゴールを固定していたから、それ故の自信があっただけだと言うことに気がつくのです。
そして、同時に今まで捨ててきた脇道のことを思い出します。
リスクを冒して、脇道に踏み出さなかったことを後悔し始めるのです。


自信を持って進んだって、どうせあらかじめ決まっていたゴールにたどり着くだけで、そんなことは自分でも充分わかっていたのに、それを変えなかったことを後悔します。

途中の迷子のプロセスこそが、本当は王道と呼べるものであったことに気がつくのです。

あらかじめ予測出来ないプロセスだけが存在するのです。

決まった道があると信じて安心したい気持ちはわかりますが、ないものをねじ曲げてあると言い張るとき、自分自身でいることをやめてしまわないといけなくなるのです。

決まった道があると自信ありげに言う人を、信じられるでしょうか?
迷子になったことはないという人を、信じられるでしょうか?

自分自身を正直に振り返れば、それが嘘であることはすぐにわかるでしょう。

迷子になったことのない人ほど、道案内として不適当な人はいないのです。
道案内としてふさわしいのは、何度も道を間違えて、そこから元に戻すプロセスを豊富に経験している人なのです。

道なき道を進むのだと腹をくくってしまえば、後はその時その時のプロセスがあるだけです。

ゴールがすべてであるとき、人はリスクを恐れます。
絶えず道から外れないか心配で、リスクを冒すと思うだけで、とんでもない恐怖を感じる様になります。
ですから、プロセスを楽しむことなど問題外になってしまうのです。

ゴールではなくプロセスがすべてと思えたとき、リスクを楽しむ余裕も出てくるのです。
豊富なプロセスの蓄積こそが、最大の道案内であることがわかってきます。

そして、いままで冒険しなかったことを後悔することもなくなります。

私は家も妻も年金もない老人だが
真理を一つ知っている
思い切って行動しないと
後悔が残るということだ

映画『ラブリー・オールドメン』

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上手な生き方

いばるブルとおじぎ犬



『上手な生き方』というタイトルを見て、この文章を読んでいるあなたは、何を期待しているでしょうか。

どんなうまい方法があるのかしら?と思うでしょうか。

テレビやパソコン広告など、マスメディアはこれでもかというくらい、お得で、賢い生活の仕方が出来ると、あれやこれやと商品を紹介しています。

まさに、より賢く、上手な生活術を身につければ、あなたはもっと豊かで幸せになれるのですよ、と訴えているわけです。

しかし、はたしてそれは本当なのでしょうか?

そもそも、より上手な生き方とは、他人よりもうまく立ち回るということを意味しています。
競争に勝って、自分だけがもっといい物を手に入れれば、自分が優位に立てると言うことが、その根底にはあるのです。

いいかえれば、あなたの幸せは、より賢く立ち回って勝ちとるべきもの、負ければ惨めな生活になってしまいますよ、と威されていることになるのです。

そんな流れに乗っかっていていいのでしょうか?

たとえば、そんな誘いなど完全に無視して、「今日何が起きるか、起きてみないとわからないわ」という生活では困るのでしょうか?

不安をあおる社会に暮らしていれば、まさにそんなあてのない生活は、お先真っ暗の不安な生活に見えてきて、私はごめんだわと思っているのでしょうか。

あるいは、本当はそんな生活をしてみたい、だけど誰かがそれをやって、見本を見せてくれたら考えるわ、それまでは、私がそれをやって馬鹿を見たくないわ、と思っているのでしょうか。

ところで後の考え方にしても、それ自体ですでに他人任せに慣れきっていることを意味していないでしょうか。

私の生き方は私で決めるという考えは、どこに行ってしまったのでしょうか?

なぜそんな、より上手な選択を勝ちとらないといけないのか、その思い込みを徐々に徐々に刷り込まれているのだと思わないですか。

考えて見てください、「上手な生き方」という言葉は、競争など関係ないよという顔をしていますが、先ほど述べたように、その実体はより上手な生き方を選んだ人が徳をするということを訴え続けているのです。

本当に「上手な生き方」とは、そんな外のものに影響されないで、自分で決められるものではないでしょうか。

そうだとすれば、それが出来るのは自分次第です。
きっぱりと有象無象の誘いを切り捨てて、自分本来の生き方に戻ることです。

「この選択でよかったかしら?」「もっと上手な選択を誰かしていないかしら?」という不安に繋がる問いかけを持ち込まないことです。

自分が満足しないで、誰が決めてくれるというのでしょうか?

本当は「ただ自分で決めればいいだけ」なのです。

時々思っていませんか?「余計なお世話」をする人がいなければ、私は本当はこうしたいのよ、というように。

「誰かのせい」という言葉を捨てたとき、選択するのは自分なんだということが見えてきます。

そして、純粋に自分で決めたことは、少々不格好でも一番楽しい選択なのです。


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言葉にとらわれることの危険性

悩む男女


言葉は私たちを元気づけます。

そうかと思えば、ある言葉を聞いた途端に不安や怖れが襲ってきたりもします。

それくらい言葉はそれを使う私たち人間に、強力な影響を持つものです。

ですから、その扱いを誤らないということは、一般に思われている以上に大事なことです。

本題に入る前に、少し言葉とそのまわりの考え方を示しておきます。

まず、言葉というのは過去の経験から生まれたものであるということ。
言葉は道具に過ぎないこと。
言葉自体が力を持つわけではなく、言葉が自分の役に立つかどうかは、それを使う人次第であること。
経験から離れ、ひとり歩きする言葉には特に要注意であること。

私たち人間が言葉を使うようになったのは、どういういきさつからでしょうか。

たとえば、誰かがあるものを食べて、なにかこう幸せな気分になったとします。
そして「おいしい」という音を発声したのです。

それまでは、曖昧なままだったこの経験ですが、「おいしい」という音や、その口を動かす動作などと、その時の感情を結びつけることで、「おいしい」という感情表現を獲得したのです。

これ以来、おいしい食べ物を食べたとき、この経験は「おいしい」だと思い出します。そして過去の経験を再体験するのかも知れません。

「ことばにならないけれど、。。。」という、経験を表現する言葉が見つからないもどかしさを感じることがあります。
そして言葉で表現できたときの、ほっとしたようなカタルシスや満足感。

言葉で表現できることは、このような快感があるので、それだけにその言葉に頼りたくなる面があります。

しかし、言葉はあくまで過去の経験を表現することで出来上がったものです。
そして私たちが実際に生きるのは、今この瞬間だけなのです。

過去は記憶と言葉の中にだけあります。
未来は、言葉として存在するだけです。

過去の経験では有用だったけれど、今はもう当てはまらなくなった経験というものがあります。

私たちが、今この瞬間に生きていることを忘れてしまうと、過去の経験を封じ込めた言葉を握りしめて、強引に今もそれが有効であると証明しようとしてしまいます。

その結果何が起こるいかと言えば、何度も何度も同じ失敗を繰り返してしまうという経験なのです。

言葉にとらわれないで、いま目の前のことを本気で見るようにすれば、そんな同じ間違いはしなかったはずなのにです。

さて、そのことに深入りする前に、言葉が道具であり、使いようによっては強力な働きをする例を考えて見ましょう。

それは、言葉はそれが成り立つ前提の管理の下で使えば、間違いなく有効だということです。

たとえば、コンピュータのプログラム言語というものがあります。

コンピュータの命令は、突き詰めればONかOFFの世界、2進法で表される世界なのです。

しかし、1と0の数字の並びでプログラムを書けと言われても人間には出来ません。
そこで考え出されたのが、FORTRANやC言語といった高級言語です。
※高級言語の高級とは機械語よりもより人間が理解しやすい表現だという意味です。

これらの言語は、普段私たちが使う言語(実際には英単語)に近いキーワードを使ってプログラムが書けます。
そして、その特別なキーワードは厳密に管理されていますから、1つの言葉は正確に1つの事を表現し、曖昧さがありません。

ですから、たとえ私が、別の単語の方が好きだからと言って書き換えてしまえば、プログラムは全く動かなくなるか、間違った動きをして暴走してしまうかも知れません。

このように、その有用さは管理された環境の元でだけ有効という条件があって役に立つものであり、その前提がある限り非常に有効に働いてくれるのです。

言葉には、いつまでもこの制限がつきまとう事を忘れてはなりません。

ところが、私たちが普段使う言葉は、どうでしょう。

非常に曖昧な言葉が多いのです。

具体的な物の名前なら、同じ言語を話す人の間では一致し問題はないかも知れませんが、それも抽象度が増すにつれて、前提は崩れていきます。

心の状態を表すような表現は、さらに微妙です。

誰かが最初にある言葉でそれを表現します。
最初に表現した人は、自分の経験に基づいてそれを素直に表現したかも知れません。
しかし、その時点でも、すでに言葉にあてはめたことで、そのまわりに渦巻いていた多くの曖昧な情報は切り捨てられてしまうと思った方がいいでしょう。

たとえば、「自分が他人からして欲しいと思う事を、他の人にもしてあげましょう」という黄金律があります。

どなたもこれは正しいことだと感じるでしょう。

しかし、それが正しいと言えるには、やはり前提は存在しているのです。

たとえば、ある人が自分でやらずに人に頼るくせがついて、何でも人に頼もうとしている状態だとすれば、あえて私は手助けしないで自分でやるように指導した方がいいかもしれません。

人の代わりになにかをやってあげることは、言葉で言うほど正しくもなく、単純ではないのです。

このようにすべての場合に当てはまる言葉などない、と考えておいた方が無難なのです。

「努力することはいつでも正しい」
「いつでも笑顔を忘れない」
「なにごともポジティブに考えよう」

こんな当たり前のように正しいと思っている言葉も、すべての場合にあてはめようとしたとき不具合は起こりうるのです。

ましてや、これが私の信条だからと、何が起きようと信念を貫くというのは、立派に見えてもあまり現実的とは言えないことも多いものです。

厳しい表現をすれば、現状認識を拒否しているだけだからです。

信念が強すぎる人というのは、時として付き合って行くには骨が折れます。
そういう人は、自分が迷惑を掛けていることに気がつきません。

さて、話を変えて言葉を握りしめることの危険な面をもう一つ考えたいと思います。

言葉の多くの部分は論理で成り立っています。

ここに「AであればBである」という論理があります。

たとえば「人間であれば動物である」といったことです。
これは、Aが成り立つとき、Bも必ず成り立つということです。

「猫であれば動物である」「犬であれば動物である」という表現も同様になり立ちます。

しかし、これを逆にするとおかしなことになるのです。
「動物であれば人間である」「動物であれば猫である」といってしまうとダメですね。
動物だからといって、特定の動物だけを指すことは出来ません。

ところで、これが人間の心などもっと抽象的なことを表現する言葉になると、その曖昧さから容易にこのような逆転を混同してしまうことがあります。

たとえば、「笑っている人は幸せである」。
これは断定とまで行かなくても、多くの場合真実を表しています。

しかし、これを逆にすると「幸せな人は笑っているものである」とか、さらにバリエーションを加えると、「君は笑わないから幸せになれないんだ。人はいつでも笑っていないといけない。」といった極端な話にもなりかねないのです。

これは、笑い話ではなく、私たちのまわりには、そこら中に飛び交っている現実にあるロジックのすり替えや混乱です。

前提と結果のすり替えや、どんな場合にも当てはまるという拡大解釈がこのような混乱を引き起こすのです。

実は人間の心理には重大な弱点があります。

自分が普段から信じたいと思っている事は、容易に信じてしまうということです。
それが正しいと言いきるような人が現れると、待ってましたとばかり飛びついてしまいます。

そこにいくら論理の飛躍やごまかしがあっても、「あなたは私の期待に応えてくれた。だから信じましょう!」と思ってしまうのです。

ですから、先ほどのような論理の飛躍があっても、それが自分が信じたい内容であれば、驚くほど容易に信じてしまいます。

たとえば「これを知ればあなたは幸せになれます」「これを実行すれば、あなたは成功間違いなしです」という言葉に抵抗できなくなるのです。

もし自分がいま現状に満足していない、不満だらけの状態にいたらなおさらですね。
そのためにも、言葉にたやすく反応してしまう自分を原点に引き戻すことを忘れないことです。

そして、特定の言葉をお守り代わりにしないことです。
気持ちはわかりますが、いつまでもお守りではいられないし、その弊害も大きいと言うことを思い出しましょう。

さて、長くなったので、話をもどして、現実にどう対処すればいいのかを考えたいと思います。

まず「言葉は過去のもの」ということを忘れないことです。

それがどんな偉い人の言葉でも、いまここでの自分の現実に100%当てはまるわけではないということ。

そして、過去にどれだけそれが役に立ったとしても、今度も役立つとは限らないということを忘れないことです。

いま目の前の現実は、初めて起こっている経験だと思って対処することが、それを防ぎます。

そして、いつも新鮮に現実を見られるようになるのです。
毎日起こることがつまらないのは、言葉の世界に生きているからです。

確かに、過去においてうまくいったルールは魅力的で、不安を押さえてくれるかも知れませんが、出来るかぎり今起きていることを、真っさらな目で見ることが、今を生きるということだと思います。

実際、今起きていることに、本来なら自分は不満など感じていないのかもしれません。
しかし過去の言葉をもて遊んでいるから、今ありもしない余計な不満を持ってしまうということもあるのです。

それから特定の言葉を抱え込んだり、ひとり歩きさせないことです。

手垢にまみれるほど親しんで来た言葉ほど、自分を創ってきた収穫であり、いとおしい物かも知れません。

しかし、それでもその言葉が最初に実際の現実に触れていたときのことを思い出し、言葉を抱えるようになった前の状態に戻ることは必要です。

なぜその言葉を自分のものにしたくなったのか、常にそこに立ち戻ってみることです。
そして、現状に合わなくなったら、その言葉を手放してみる勇気が必要です。

言葉というのは、非常に強力です。
時として、言葉を批判されたことで、人を恨み攻撃してしまうのです。

その時、その言葉は、自分自身の自我の一部になっていて、言葉を批判されたことが自分の人格を否定されたことに思えてしまうのです。

別の言い方をすれば、言葉自体が現実だと同一化しているのです。
しかし言葉は地図であり、現地ではないのです。

特定の言葉で自分を失ってしまうようなら、まだまだ言葉にとらわれているのです。

それだけ、本来の自分から、たった一言で一瞬で飛んでいってしまう爆弾を抱えているということです。
言葉にとらわれて暴走した結果は、後悔しか残りません。

思考に生きるとき、起きてくるのは、安全なようでいて、またこれかといううんざりする同じ繰り返しです。
それを打ち破るためにも、言葉にとらわれている自分に気づくことです。

効率がいいからと、この言葉で生き続けることが、やがて行きづまりと新鮮さを感じない空しさに繋がっていくのです。

言葉はたかが道具です。しかし時にそれは「人の生き死に」にさえ力を持つ侮れない存在なのです。
いつでも手放して、言葉以前の状態に戻ること、それが言葉にとらわれないということです。


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積極的に頑張ってるのに解決できない-受動的な観察

私達はふだん何かを解決するには、積極的に解決方法を見つけて能動的に働きかける必要があると思っています。

この問題にはこの解決というように、用意された解決策を使って、対象に働きかけ、相手を変えてしまうことが解決だと思っているのです。

しかし、それにもかかわらず、いつまで経っても解決しない問題というものを抱えていないでしょうか?

そうです、繰り返し起こって来るのに、いつになっても改善しないような同じ問題が、何度も何度も周期的におそってくるのです。

さて能動的な働きかけをするというとき、私たちは具体的には何をしているのでしょう。

そのとき私たちは、先程言ったように、解決作、答を予め用意しているのです。
そして、問題の方が、この答えに合わせて変化すべきであると考えているのです。

もちろん解決策がわかれば、あとは自動的に結果が導かれるという問題もあるでしょう。
しかし、そういうものは、放っておいてもいつの間にか片付いているものであって、いつまでも続く問題と呼ばれるものにはならないのです。

それに対して、いつも期待した答えでは片付かない問題があります。
それはその人特有のものである場合が多いのです。
そして、それは何度も繰り替えされるのが普通です。

つまり、能動的な働きかけをいくらやっても解決しない問題があるという事です。
それは、つまり先に答えを用意するやり方ではだめだということではないでしょうか。

先にある答えとは、どこから来るのでしょうか。
それは過去の経験に基づく記憶からひき出してきた答えなのです。

そして、そのやり方はいつまでも功を奏さないのです。
なぜなら、過去においてもダメだったのに、いつまでもそれしかないと思って同じやり方を繰り返しているからです。
今回もダメだったという結果になるのは目に見えているのです。

それでは過去のやり方から答えを用意する、能動的な働きかけではダメだとすれば、どうすればいいのでしょうか。

それは今までとは全く反対に、問題に働きかけるのでではなく、問題そのものが語りかけてくるものを受動的に観察することです。

受動的な姿勢では解決しないと思い込んで、いつまでも積極的に答えを探しだしていたからだめだったのです。

受動的に見つめるときに肝心なことは、対象を決して批判的に見ないということです。

批判的に見るということは、「問題はこれであり、こうして解決しよう」と答えをすでに出している見方ではないでしょうか。

自分なりの答えがすでにあるから、批判が出来るわけです。
ですから、批判的な見方とは、ありのままに対象を見ていない、受動的ではない見方なのです。

受動的な観察とは、批判しないで、解釈を加えないで、だだありのままを、対象が見せてくれるまま見ていようという姿勢で見ることです。

問題というのは、いつまでも解決しないで残っているもののことです。
解決策がわかっていて、すぐに結果が出ることであれば、後に残らずに終わってしまうはずですね。

そして、そのような解決できない問題は、受動的に対象を見つめてみる必要があるのです。

問題とは、対象になるのは、出来事や他人、そして自分自身の抱える観念的なものです。

解決に向けての行動がすぐに出来れば、そもそも問題にはならないのです。
それができないのはなぜかを、過去の説明にあてはめないで、批判しないで、ありのままに見る必要があります。

たとえば「何で私ばかり動かないといけないの?」と不満なのかも知れません。
しかし、そういうとき私たちは、問題をすり替えてしまいがちです。

つまり「私ばかりやらされているように感じている」のが問題の核心なのに、「まわりの誰かが動いてくれないのが問題なんだ」と考えるのです。

他の人の行動の仕方、「人はこうあるべき」なのにその通りに動かない他人に問題があると考えます。

そして「あなたはこうあるべきだ」と主張し、相手が「その通りでした。ごめんなさい。」といってくれることを期待するのです。

もっとすり替えを続ければ、「人はこうあるべきだ」という倫理的、道徳的な規範の問題だと考え、私がやるべきことはその主張をみんなに納得させなければならないと思ったりします。

外側に問題があるとして、自分の内部の本当の問題を隠し、すり替えを続ける限り問題は解決しないのです。

外側への働きかけにエネルギーを使うことで、一時的に「すくなくとも自分は努力している」と思って納得するかも知れません。

しかし、時間が経てば、自分の問題はいっこうに解決していないことを感じ始めるのです。

あなたの問題は、
「なんでみんな動かないの!」
「私だけに責任を押しつけるな!」
「私がどれだけ頑張っているのか、もっと評価して!」
「あなたがいないと困るの、いつもありがとうと言って欲しい」
と思っていることにあるのかもしれません。

そして、そのことを自分で認められたとき初めて「自分の努力」と「他人の努力」を公平に評価する余裕が出てきます。

自分ばかりやらされているという思いがあると、自分も少し偏っていたかも知れないという発想もでてきません。私の本当の問題を認められる段階にならなければ、それはわからないのです。

このように、積極的に働きかけているのに、いっこうに問題が解決しないというとき、そこでやっているのは本当の問題ではなく、見当違いの働きであり、過去に失敗していることをただ繰り返しているだけという場合が多いのです。

自分の本当の本当の欲求を認めることに後ろめたさがあるとき、人はありのままを見ないで、社会的に受け入れられやすい欲求にすり替えてしまうのです。

そして、すり替えた欲求が自分の本当の欲求だと思い続けているかぎり、問題は根本的に解決しないのです。

ですから、受動的に観察するには、このような社会的な望ましさや、批判が入り込まないように、動きを止めてありのままの自分が浮き上がってくるのを待つということが必要なのです。


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持つことと怖れについて

悪い目覚め


何不自由なく暮らしているお金持ちでも、いつも何か悩んでいたりする人もいます。
そうかと思うと、お金もなくて、かろうじて生活している状態なのに、いつも晴れ晴れとした表情で元気良く暮らしている人もいるものです。
そした人の笑顔には、本物を感じたりしないでしょうか。

ではその違いをもたらしているものは、はたして何なのでしょうか。

この両者の例から想像できるように、ものを持つことが満足な生活をもたらしてくれるとは限らない、ということがわかります。

そしてさらに言えば、積み重ねてきた財産が、かえって重みになっているのではないかということも覗えないでしょうか。

実は、「もっと豊かになれば今より幸せになれるのに」と考えるのは、まだ持っていない時なのです。

その時、今の状態とほしいものを手に入れた状態を比較して、当然手に入れた後の方が幸せになれるだろうと考えるわけです。
それは、手に入れることがもたらす、いい方の面だけを見ていることになります。

しかし、欲しいと思っていたものも、次々と手に入れていくうち、喜びはつかの間に過ぎないことに気がつきます。
そればかりか、ものを持つに連れて、それを抱えていることに苦痛を感じ始めることはないでしょうか?

それを持つことを維持していくことが苦痛であったり、それがなくなってしまったらどうしようと思うことへの怖れであったりするのです。

持つということは、ものとは限りません。

それは社会的な地位だったり、さらに一般的にいえば、他の人が自分をどう見ているかを、そのまま維持することだったりします。

「私」に属しているもの、私とは何かを形作っていると信じているものを、そのまま維持していたいと思うのです。
まわりの人が「この人はこう言う人で、こういうことができる」と信じている期待に応えないといけないと感じ、それがない状態になってしまうのを恐れるのです。

そのための持ち物は、有形であろうと無形であろうと、すべて失うのが怖いと感じます。
そして、怖れとは、いま持っているものをそのまま維持できなくなることに原因があるのです。

「未知のものへの恐怖」と表現することがあります。
この言い方だと、自分がまだ知らないものが恐怖を掻き立てるというニュアンスになります。

しかし、はたして私たちは知りもしないものに恐怖を感じるものでしょうか。
そもそも知らないものは、思い浮かぶはずもないのですから、それが突然形をとって恐怖の対象になったりはしないのです。

これは、もう一度見直してみるなら、今自分が持っていて、そのまま維持していきたい状態が、突然知らないものによって壊されることを恐れているということではないでしょうか。

つまり、怖れの原因は、やはり既知のものからやってきているのです。
今までに手に入れてきた物を失う事が、怖れの原因なのです。

何かを手に入れて、自分の一部にしてしまうという行為の中に、手に入れる事への楽しみと共に、それを失う事への恐れを同時に抱え込んでしまうのです。

何かを初めて手に入れたときは、喜びの方が大きいのかも知れません。
しかし、同じようなものをいくつも手に入れ続ける時、その喜びはだんだん薄れていき、それよりも多くの物を持ち、それを維持していくことに苦痛を感じる方が強くなっていきます。

物を持つこと、自分の一部にしてしまうことが、それを失う事への恐怖を蓄積していくのです。

それでは、「何も持たないほど幸せなんだろうか?」ということになります。
おそらく突き詰めればそういうことになるでしょうが、しかしなにもギリシャの哲人のように何も持たずに樽の中で生活するのがいいかどうかはわかりません。

肝心なことは、持ち物を増やして自分を大きくしていくこと自体が、怖れの元凶を育てていることを認識しておくことです。

利益だけをもたらす取得はあり得ないと言うことです。

そして、その認識があれば、不用意にものを持とうということに、自然とブレーキがかかるでしょう。

そして、この悪影響の最たるものは、持てば持つほど手に入れた喜びは薄れ、その結果さらに新しいものを手に入れなければならなくなります。しかもそれに伴って苦しさをもたらす元凶ばかりが増えていくということです。

こんなに手に入れたのに、なぜちっともうれしくないのか、それどころかうんざりすることばかり増えるような気がすると思うなら、唯一の解決は「増やさないこと、持たないこと、手放すこと」という方向にあるのでしょう。

持てば持つほど、それを守るためのエネルギーが必要になります。
それがさらに失う事への恐怖を強化するのです。

逆に身軽になればなるほど、余計な気苦労はなくなります。
文字通り身軽なほど、精神的にも気持ちは軽くなります。
何をするにも、予期しない場合への対処を考えようとするくせがなくなります。

先に失ってしまえば、失う心配はなくなるのです。
万一に備えて。。。という売り込みにも、私は必要ありませんと言いきることが出来ます。

わざわざ煩わしいものにエネルギーを吸い取られる必要はありません。
そのためには、なにが怖れの原因かを、いま持っている物を考慮しない、真っさらな気持ちで振り返って見ることです。

ここまで来たのだから、今さら引き返せない。
現状を維持するしかないと思うことは、たいていの場合最悪の選択になるでしょう。
そこまで手放したいと訴えている自分がいるのですから、決断の時なのです。
コストばかりかかるガラクタを手放せないのは、ある方がないよりましという大して根拠のない思い込みがあるからです。
手放すことで一時的に空いた手には、きっともっと必要なものが納まるようになっているものです。


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今のあなたの背丈にあったもの

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『私は自分の持っていないものを数えて、自分を不幸だと思っていた。
人は私の持っているものを見て、私を幸せな人だと思っていた。』

単純なことだけれど、これから言えることは、
自分の持っているものを確認すればいいということです。

どうせ自分の持っているものなど、大したものではないと、
みんなで思って不幸ゴッコをしているのです。

欲しいものは外から獲得しないと手に入らないという思い込みが、
自分の宝物を見えなくしてしまう。

かけずり回って、やっと手に入れたと思ったものは、
前から持っていたものだと気づくことはないでしょうか?

すでに持っているなんて、そんなうまい話があるはずないと
信じようとしないだけの話である。

あなたを満足させるものは、目新しいものなんかではないのです。
持っていることすら忘れかけている、あなたの財産を
今日ひとつ掘り起こしてみましょう。

それは古ぼけたものではなくて、常に今のあなたの背丈にあったものに変わっているはずです。


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積極的に頑張ってるのに解決できない-受動的な観察

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私達はふだん何かを解決するには、積極的に解決方法を見つけて能動的に働きかける必要があると思っています。

この問題にはこの解決というように、用意された解決策を使って、対象に働きかけ、相手を変えてしまうことが解決だと思っているのです。

しかし、それにもかかわらず、いつまで経っても解決しない問題というものを抱えていないでしょうか?

そうです、繰り返し起こって来るのに、いつになっても改善しないような同じ問題が、何度も何度も周期的におそってくるのです。

さて能動的な働きかけをするというとき、私たちは具体的には何をしているのでしょう。

そのとき私たちは、先程言ったように、解決作、答を予め用意しているのです。
そして、問題の方が、この答えに合わせて変化すべきであると考えているのです。

もちろん解決策がわかれば、あとは自動的に結果が導かれるという問題もあるでしょう。
しかし、そういうものは、放っておいてもいつの間にか片付いているものであって、いつまでも続く問題と呼ばれるものにはならないのです。

それに対して、いつも期待した答えでは片付かない問題があります。
それはその人特有のものである場合が多いのです。
そして、それは何度も繰り替えされるのが普通です。

つまり、能動的な働きかけをいくらやっても解決しない問題があるという事です。
それは、つまり先に答えを用意するやり方ではだめだということではないでしょうか。

先にある答えとは、どこから来るのでしょうか。
それは過去の経験に基づく記憶からひき出してきた答えなのです。

そして、そのやり方はいつまでも功を奏さないのです。
なぜなら、過去においてもダメだったのに、いつまでもそれしかないと思って同じやり方を繰り返しているからです。
今回もダメだったという結果になるのは目に見えているのです。

それでは過去のやり方から答えを用意する、能動的な働きかけではダメだとすれば、どうすればいいのでしょうか。

それは今までとは全く反対に、問題に働きかけるのでではなく、問題そのものが語りかけてくるものを受動的に観察することです。

受動的な姿勢では解決しないと思い込んで、いつまでも積極的に答えを探しだしていたからだめだったのです。

受動的に見つめるときに肝心なことは、対象を決して批判的に見ないということです。

批判的に見るということは、「問題はこれであり、こうして解決しよう」と答えをすでに出している見方ではないでしょうか。

自分なりの答えがすでにあるから、批判が出来るわけです。
ですから、批判的な見方とは、ありのままに対象を見ていない、受動的ではない見方なのです。

受動的な観察とは、批判しないで、解釈を加えないで、だだありのままを、対象が見せてくれるまま見ていようという姿勢で見ることです。

問題というのは、いつまでも解決しないで残っているもののことです。
解決策がわかっていて、すぐに結果が出ることであれば、後に残らずに終わってしまうはずですね。

そして、そのような解決できない問題は、受動的に対象を見つめてみる必要があるのです。

問題とは、対象になるのは、出来事や他人、そして自分自身の抱える観念的なものです。

解決に向けての行動がすぐに出来れば、そもそも問題にはならないのです。
それができないのはなぜかを、過去の説明にあてはめないで、批判しないで、ありのままに見る必要があります。

たとえば「何で私ばかり動かないといけないの?」と不満なのかも知れません。
しかし、そういうとき私たちは、問題をすり替えてしまいがちです。

つまり「私ばかりやらされているように感じている」のが問題の核心なのに、「まわりの誰かが動いてくれないのが問題なんだ」と考えるのです。

他の人の行動の仕方、「人はこうあるべき」なのにその通りに動かない他人に問題があると考えます。

そして「あなたはこうあるべきだ」と主張し、相手が「その通りでした。ごめんなさい。」といってくれることを期待するのです。

もっとすり替えを続ければ、「人はこうあるべきだ」という倫理的、道徳的な規範の問題だと考え、私がやるべきことはその主張をみんなに納得させなければならないと思ったりします。

外側に問題があるとして、自分の内部の本当の問題を隠し、すり替えを続ける限り問題は解決しないのです。

外側への働きかけにエネルギーを使うことで、一時的に「すくなくとも自分は努力している」と思って納得するかも知れません。

しかし、時間が経てば、自分の問題はいっこうに解決していないことを感じ始めるのです。

あなたの問題は、
「なんでみんな動かないの!」
「私だけに責任を押しつけるな!」
「私がどれだけ頑張っているのか、もっと評価して!」
「あなたがいないと困るの、いつもありがとうと言って欲しい」
と思っていることにあるのかもしれません。

そして、そのことを自分で認められたとき初めて「自分の努力」と「他人の努力」を公平に評価する余裕が出てきます。

自分ばかりやらされているという思いがあると、自分も少し偏っていたかも知れないという発想もでてきません。私の本当の問題を認められる段階にならなければ、それはわからないのです。

このように、積極的に働きかけているのに、いっこうに問題が解決しないというとき、そこでやっているのは本当の問題ではなく、見当違いの働きであり、過去に失敗していることをただ繰り返しているだけという場合が多いのです。

自分の本当の本当の欲求を認めることに後ろめたさがあるとき、人はありのままを見ないで、社会的に受け入れられやすい欲求にすり替えてしまうのです。

そして、すり替えた欲求が自分の本当の欲求だと思い続けているかぎり、問題は根本的に解決しないのです。

ですから、受動的に観察するには、このような社会的な望ましさや、批判が入り込まないように、動きを止めてありのままの自分が浮き上がってくるのを待つということが必要なのです。


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持つことと怖れについて

悪い目覚め


何不自由なく暮らしているお金持ちでも、いつも何か悩んでいたりする人もいます。
そうかと思うと、お金もなくて、かろうじて生活している状態なのに、いつも晴れ晴れとした表情で元気良く暮らしている人もいるものです。
そした人の笑顔には、本物を感じたりしないでしょうか。

ではその違いをもたらしているものは、はたして何なのでしょうか。

この両者の例から想像できるように、ものを持つことが満足な生活をもたらしてくれるとは限らない、ということがわかります。

そしてさらに言えば、積み重ねてきた財産が、かえって重みになっているのではないかということも覗えないでしょうか。

実は、「もっと豊かになれば今より幸せになれるのに」と考えるのは、まだ持っていない時なのです。

その時、今の状態とほしいものを手に入れた状態を比較して、当然手に入れた後の方が幸せになれるだろうと考えるわけです。
それは、手に入れることがもたらす、いい方の面だけを見ていることになります。

しかし、欲しいと思っていたものも、次々と手に入れていくうち、喜びはつかの間に過ぎないことに気がつきます。
そればかりか、ものを持つに連れて、それを抱えていることに苦痛を感じ始めることはないでしょうか?

それを持つことを維持していくことが苦痛であったり、それがなくなってしまったらどうしようと思うことへの怖れであったりするのです。

持つということは、ものとは限りません。

それは社会的な地位だったり、さらに一般的にいえば、他の人が自分をどう見ているかを、そのまま維持することだったりします。

「私」に属しているもの、私とは何かを形作っていると信じているものを、そのまま維持していたいと思うのです。
まわりの人が「この人はこう言う人で、こういうことができる」と信じている期待に応えないといけないと感じ、それがない状態になってしまうのを恐れるのです。

そのための持ち物は、有形であろうと無形であろうと、すべて失うのが怖いと感じます。
そして、怖れとは、いま持っているものをそのまま維持できなくなることに原因があるのです。

「未知のものへの恐怖」と表現することがあります。
この言い方だと、自分がまだ知らないものが恐怖を掻き立てるというニュアンスになります。

しかし、はたして私たちは知りもしないものに恐怖を感じるものでしょうか。
そもそも知らないものは、思い浮かぶはずもないのですから、それが突然形をとって恐怖の対象になったりはしないのです。

これは、もう一度見直してみるなら、今自分が持っていて、そのまま維持していきたい状態が、突然知らないものによって壊されることを恐れているということではないでしょうか。

つまり、怖れの原因は、やはり既知のものからやってきているのです。
今までに手に入れてきた物を失う事が、怖れの原因なのです。

何かを手に入れて、自分の一部にしてしまうという行為の中に、手に入れる事への楽しみと共に、それを失う事への恐れを同時に抱え込んでしまうのです。

何かを初めて手に入れたときは、喜びの方が大きいのかも知れません。
しかし、同じようなものをいくつも手に入れ続ける時、その喜びはだんだん薄れていき、それよりも多くの物を持ち、それを維持していくことに苦痛を感じる方が強くなっていきます。

物を持つこと、自分の一部にしてしまうことが、それを失う事への恐怖を蓄積していくのです。

それでは、「何も持たないほど幸せなんだろうか?」ということになります。
おそらく突き詰めればそういうことになるでしょうが、しかしなにもギリシャの哲人のように何も持たずに樽の中で生活するのがいいかどうかはわかりません。

肝心なことは、持ち物を増やして自分を大きくしていくこと自体が、怖れの元凶を育てていることを認識しておくことです。

利益だけをもたらす取得はあり得ないと言うことです。

そして、その認識があれば、不用意にものを持とうということに、自然とブレーキがかかるでしょう。

そして、この悪影響の最たるものは、持てば持つほど手に入れた喜びは薄れ、その結果さらに新しいものを手に入れなければならなくなります。しかもそれに伴って苦しさをもたらす元凶ばかりが増えていくということです。

こんなに手に入れたのに、なぜちっともうれしくないのか、それどころかうんざりすることばかり増えるような気がすると思うなら、唯一の解決は「増やさないこと、持たないこと、手放すこと」という方向にあるのでしょう。

持てば持つほど、それを守るためのエネルギーが必要になります。
それがさらに失う事への恐怖を強化するのです。

逆に身軽になればなるほど、余計な気苦労はなくなります。
文字通り身軽なほど、精神的にも気持ちは軽くなります。
何をするにも、予期しない場合への対処を考えようとするくせがなくなります。

先に失ってしまえば、失う心配はなくなるのです。
万一に備えて。。。という売り込みにも、私は必要ありませんと言いきることが出来ます。

わざわざ煩わしいものにエネルギーを吸い取られる必要はありません。
そのためには、なにが怖れの原因かを、いま持っている物を考慮しない、真っさらな気持ちで振り返って見ることです。

ここまで来たのだから、今さら引き返せない。
現状を維持するしかないと思うことは、たいていの場合最悪の選択になるでしょう。
そこまで手放したいと訴えている自分がいるのですから、決断の時なのです。
コストばかりかかるガラクタを手放せないのは、ある方がないよりましという大して根拠のない思い込みがあるからです。
手放すことで一時的に空いた手には、きっともっと必要なものが納まるようになっているものです。

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