« ホーム »

たいせつなこと

大好きなことをし
それこそがたいせつだと感じるなら
それ以上に楽しいことは
どこにあるだろう


キャサリーン・グラハム


内緒話


.。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。.

大切なことは、他人に決めさせてはならない。
自分にとって本当に大切なら、
それ以上に大切なことなどない。


気に入っていただけたらワンクリック ⇒  人気ブログランキングへ

Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







『単純になることのメリットは計り知れない』

原因から結果を予測し導き出すすることは演繹法と呼ばれ、逆に結果から原因を探ることを帰納法といいます。

これらは論理的に正しく使われる時に効果を発揮しますが、残念なことに誤って使われることも多いようです。

たとえば、自分の信じる原因から予測した結果が、期待と違うからといって結果の方が間違っているととか、そうあるべきでないと嘆くような場合です。

また逆に、結果を見て自分がそうであって欲しい原因をこじつけてしまい、次もその原因が働くだろうと期待するのですが、結果はそうなってくれない。

私たちの不満の原因は、たいていこのような自分に都合のいい解釈を外界に期待することから発生します。

その解釈に執着するほど被害は大きくなり、現実が期待と違うと言って嘆くことになります。

そうとわかれば、このような無駄なことをやめればいいわけですね~。

つまり確実な理由や自信がなければ、原因と結果を無理に結びつけたり、解釈しようとしないことです。

そうすれば、ものごとは、しかるべき原因で、しかるべき結果をもたらすだけですから、心は穏やかなままでいられます。

なんでもかんでも、因果関係を知ろうとする必要などないのです。

それが「あるがまま」を受け入れるということです。

今朝起きてから今までに、何かイラついたことがあったでしょうか。

それは間違った期待がもたらしたものではなかったでしょうか。

認める気に成りさえすれば、私たちの不満とはそれほど単純なものに過ぎません。

単純なことを単純なまま認められること、それこそが求めるべき知性というものでしょう。

複雑にするのは馬鹿でも出来るとよく言われますが、それは馬鹿というよりも単純な事実を認めようとしない防衛規制からくる行動なのでしょう。

単純になることのメリットは計り知れない。

あれこれ考える前に、単純にあるがままを見直してみるべきでしょう。

「そんなに単純にはいかないんだよ」と言いたがるときは、何か認めたくない事実を抱えているから、という場合が多いのです。

誰かの複雑にして原因を曖昧にしようとするやり方に、自分まで巻き込まれないことです。

もちろん自分自身にも騙されないように。

ひらめいた男性

気に入っていただけたらワンクリック ⇒  人気ブログランキングへ

Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』



ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







いつから始めます?

『いつから始めます』

この言葉は、もっともらしく、積極的にさえ感じられます。

しかし、将来の計画とは、こういうことです。

(1)変化した結果である自分を思い描くこと

(2)それまでの期間に時間の経過を仮定すること

(3)その期間には努力して変わりつつある自分が存在するだろうと思うこと

実際に変われるのは、今しかありません。

今変われないなら、いつになろうと変われません。

そして実はそのことは薄々感じているのです。

時間も努力も、「今変わらない」ことへの代償になっています。

phm21_0023-s.jpg


変化することは「ありのままの自分」を直視することを避けては通れません。

実はそれこそが避けていることなのかもしれません。

今の「ありのままの自分」を見るよりは、未来に「あるべき自分」を仮定して、

今変化しない代わりにそれに向けて努力しますと言う方が楽なのです。

しかし(3)の「努力して変わりつつある自分が存在する」ということが成り立つためには、まさに今変わりつつある自分がその都度必要なのです。

将来なら変われる自分が現れる保証などありませんし、そもそも将来などこれらの思考の中にしか存在しない架空の存在です。

いつ変わるにしても、たった今変わる自分を避けては通れないのです。

実は「変われない」ということは、「変わりたくない」自分が存在しているということです。

そして、その「変わりたくない」理由が隠されているほど、変化は起こりにくくなります。


「なぜ変わりたい自分がいるのに変われないのか?」

それは、「変わりたくない自分」と向き合っていないからです。

そんな自分はいないと言い聞かせているからです。


あるいは、「私はそんなに変わりたいと思わないから。。。」と思っているかもしれません。

「なんでそんなに変わらないといけないの?ほっといて」と思うかもしれません。

しかし、いつも「変わる必要などない」と言い聞かせていることがあるなら、それこそが「変わりたい」と思っていることなのかもしれません。


こんなことを考えていると、変わるということがひどく難しく聞こえてしまうかもしれません。

ですが、

ただ変わるのを避けている自分がいることに気づきさえすれば、

それを理解しただけで、なんの努力もなく即座に人は変わってしまいます。

難しくしているのは、「ありのままの自分」を見ることを避けているからに他ならないのです。


気に入っていただけたらワンクリック ⇒  人気ブログランキングへ

Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







人間にあってよいもの

人間にあってよいものといえば、
若い感情と老いたる思想のみ。

ジュウベール



この逆をやってはいけない。

つまり、古ぼけた感情をいつまでも引きずったり、
思いつきで、あれこれその場しのぎの説明をつけようとすることだ。


お茶を飲む老夫婦

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







なぜ私ばかりこんな目に会うのだろう? 道元『正法眼蔵』

辛いことが続くと感じてくると、「なぜ私ばかりこんな目に会うのだろう?」と嘆きたくなってくるかもしれませんね。

そんな時は、まわりの人たちは楽々と生きているのに、自分のまわりにばかり難題が降り注いでくるような気になります。

その結果、誰かのせいにしてみたくなったり、あるいは自分のやり方に何か重大な欠陥があるのではないかと悩んでみたり、誰かにすがりたくなったりします。

この困難な状況、どう考えたらいいのでしょう。

cst108-s.jpg


道元禅師の『正法眼蔵』にこんな一節があります。

「これ自己の強為(ごうい)にあらず、威儀(いいぎ)の云為(うんい)なり」

どういう文脈で出てくる言葉かは、興味がある方は原典を見ていただくことにして、ここではこの部分だけ取り上げて解釈を書いてみます。

もちろん、道元禅師の言葉ですから、そこには仏法の前提があります。

この世の中は、厳然とした秩序があって動いている。

その秩序に従って行くことが仏道というものなんだということですね。

自分がこんなに困難さを感じているのに、いつまでも何かを強制的にやらされている。

あるいは自分がそうせずにいられないけれど、もういい加減疲れてしまった。

もうこんな状態はいやだ、なんとかならないのか!


はたして、それは「自己の強為(じこのごうい)」なのだろうか?

つまり、人間が人為的に強制してやろうとしていることなのか?を考えてみるのです。

この言葉では、それは「威儀の云為(いいぎのうんい)」なんだよと言っています。

つまり人間の意図的な努力によって、無理にやるということではなしに、本来の仏様の教えに従っていくなら、自然とこういう動作が生まれて来るんだよと言っているのです。

ですから、自分では主観的には「やらされている」とか「自分にばかり困難が舞い込んでくる」ように思っていますが、それにはちゃんと意味があるんだよということです。

言い換えれば、いずれ自分の役に立ってくることが起きているのだから、黙って付き合っていけばいいのだよ、と言っているのです。

ところで、「強制的にやらされている」のと「自分でどうしてもやらないといけないと感じる」のとでは意味が違うだろうと言われるかもしれませんが、心理的には同じことの裏返しです。

自分でそう感じないことは、たとえ誰かに強制されてもなんとも思わないのですから。

その役に立ち方は、今は簡単にはわからないかもしれませんが、大きくいえば2通りあるのかもしれません。

ひとつは、その困難が実を結んで、一回り大きくなった自分が完成することです。

こちらの方が、自然に思い浮かびますね。

もう一つは、やがて「その困難さは自分が無理に作り出している」ことに気がついて、「これこそがやるべきこと、あるべき姿」だと思っていたことを放棄する決心がつくという場合です。

こちらは、一見マイナスが大きいように見えますが、いったんそのことに気がつけば、開放される自分のもたらすものは、ずっと大きいかもしれません。

強情な自我がそれを手放す決心がつくまで、ひたすら「これでも気づかないか?」と試練を与え続けてくれたということなのです。

どちらにしても、一時的でなく、何度も自分に巡ってくる困難というものがあるなら、それは「強為」ではなく「云為」なのだと思えばいいでしょう。

そう思えば、困難さを嘆くというやり方でなく、その「云為」とは何をもたらしてくれるのだろうと気持ちを切り替えることができますね。


気に入っていただけたらワンクリック ⇒  人気ブログランキングへ

Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







より良い人なんてもういらない

今の社会により上手く適応する人がいくら現れても、何も変わる気がしない。
今の社会をよりよくするという人がいくら現れても、何も変わる気がしない。
必要なのは、根本的に変えてくれる人、
むしろ今の社会を壊してくれる人のような気がしてきます。

「前よりも5%改善したんだよ」と言われても、今の仕組みが破綻していれば、
そんなものは何の役にも立たない。
それを評価する人たちがいて、それを維持する人たちがいることは、
考えようによっては、余計に未来の希望をなくしていることになりかねません。

゚・*:.。. .。.:*・゜

より良い人なんて必要ない、欲しいのは新しい人類だ。何世紀にもわたって、私たちは改善を続けてきたけれど、何一つ変わりはしなかった。
もうよりよい人など必要ない。そんなものは十分すぎるほど溢れているのだから。
今必要なのは、過去を断ち切ってしまうような、根本的に新しい人類だ。
もう一度アダムとイブから始めよう。
エデンの園を追放された時のままからだ。


変人男性3人


"We don´t need a better man, we need a new man. Betterment has gone on for centuries and nothing has happened. Now we don´t need any better man ― enough is enough! Now we want a totally new man, discontinuous with the past. We want to begin again as if we are Adam and Eve,
just now expelled from the Garden of Eden." Osho

https://www.facebook.com/osho.international/posts/287080431344152

気に入っていただけたらワンクリック ⇒  人気ブログランキングへ

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







ただ在ることができるのなら

もし、ただ在ることができるのなら、ただ在りなさい。
もし、そうでないなら、元気を出して他人の仕事に首を突っ込み、
自分が脱落するまで他人にちょっかいを出せばい

E.E.カミングス


花には人間のようなかけひきがないからいい ただ咲いてただ散ってゆくからいい ただになれない人間のわたし 
みつを

DSC_0050.jpg


ただいるだけで あなたがそこにただいるだけでその場の空気があかるくなる あなたがそこにただいるだけでみんなのこころがやすらぐ そんなあなたにわたしもなりたい 
みつを

一生燃焼 一生感動 一生不悟
みつを


気に入っていただけたらワンクリック ⇒  人気ブログランキングへ


ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







ニール・ドナルド・ウォルシュ~「神さまよりしあわせ♪♪♪」



気に入っていただけたらワンクリック ⇒  人気ブログランキングへ

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







感覚と美の関係

すべての美は内面に宿る。
内面とはプライバシーのことだ。

ある日何かをやり終えてバスルームに向かう。
明かりをつけてそして消してみる。
暗闇にあるとき、水の流れる音はよりはっきり聞こえ、音はよりシャープに聞こえるが、明かりがついているとシャープでなくなる。
暗闇では何が起きているのか?

暗闇では何も見えないので、全てが姿を消す。
ただあなたと音だけがそこにあるのだ。
品のいいレストランでは明かりを避けるのはそれが理由だ。
そこではキャンドルがつけられている。
キャンドルの明かりのレストランでは、味わいが深くなる。
より美味しくいい味に感じられる。芳香があなたを包み込む。
明るいライトで照らされていては、その味わいは感じられない。
見ることで全てが公衆に晒されてしまうからだ。

アリストテレスは彼の「形而上学」の最初の文章で、見えることが人間の最も優位な感覚であると言っている。しかしそうではないのだ。
事実見えることは支配的になりすぎた。それが独占的になりすぎたために、ほかの感覚が壊されてしまったのだ。
彼の師であるプラトンは、感覚には階層があり、見えることはそのトップにあり。触る感覚はその最下位だと言う。
彼は全く間違っいる、そこには階層などないのだ。

すべての感覚は同じレベルにあり、そこに階層などないのだ。
しかしあなたたちは普段から視覚で生きているために、その80%はまず視覚ありきになってしまっている。
そうあるべきではない、バランスを取り戻すべきだ。
あなたは触ることもしなければならない。それは目では得られないものを与えてくれるから。
試してみなさい。あなたの愛する女性か男性を明るさの中で触ってみる。そして今度は暗闇の中で。
暗闇では、体は自分自身を取り戻す。明かりの下では隠れていたものを。

あなたはルノアールの描く女性を見たことがあるだろうか?
それらは奇跡のような何かを持っている。
多くの画家が女性の身体を描いたが、ルノアールとは比較にならない。
その違いとはなんだろう?
ほかの画家は全て、女性の身体を目に見えるように描いた。
しかしルノアールはそれを手の感触として描いているから、その絵画は暖かく、身近に感じ、生きていると感じさせるのだ。

あなたがものを触る時、それは非常に近くに感じられる。あなたが見る時それはずっと遠くにある。
暗闇の中、あなただけの秘密の場所、プライバシーの保たれる環境では、世間のオープンな環境では見せなかった感覚を取り戻す。
誰かに見られ、観察されているところでは、あなたの中の深くにある何かが萎縮してしまう。それは開花できない。
それはみんなの目にさらされた状態で、地面の上に種を置くようなものだ。
それらは決して芽を出さないできないだろう。
それらは地中の奥深い子宮の内部に置かれないとならない。誰の目にも見えないところにだ。そこならそれらは芽を出しはじめ、立派な木にまで成長できるだろう。

フィジー6


気に入っていただけたらワンクリック ⇒  人気ブログランキングへ

Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』


Senses And Beauty. An Osho Quote
Posted on November 20, 2011 by admin

Touch Has Something That Eyes Cannot Give.

All that is beautiful is inner, and the inner means privacy.

Do one thing one day: run the bath and then switch on and off the light. When there is darkness you will hear the water falling more clearly, the sound will be sharp. When the light is on, the sound will be not so sharp. What happens in darkness?

In darkness, everything else disappears because you cannot see. Only you and the sound are there. That’s why, in all good restaurants, light is avoided; sharp light is avoided. They are candle-lit. Whenever a restaurant is candle-lit, taste is deeper: you eat well and you taste more. The fragrance surrounds you. If there is very bright light the taste is no longer there. The eyes make everything public.

In the very first sentence of his Metaphysics, Aristotle says that sight is the highest sense of man. It is not. In fact, sight has become too domineering. It has monopolized the whole self and it has destroyed all the other senses. His master ― Aristotle’s master, Plato ― says that there is a hierarchy in the senses: sight at the top, touch at the bottom. He is absolutely wrong. There is no hierarchy.

All senses are on the same level and there should not be any hierarchy. But you live through the eyes: eighty percent of your life is eye-oriented. This should not be so; a balance has to be restored. You should touch also, because touch has something which eyes cannot give. But try: try to touch the woman you love or the man you love in bright light and then touch in darkness. In darkness, the body reveals itself; in bright light, it hides.

Have you seen Renoir’s paintings of feminine bodies? They have something miraculous in them. Many painters have painted the feminine body, but there is no comparison with Renoir. What is the difference? All other painters have painted the feminine body as it looks to the eyes. Renoir has painted it as it feels to the hands, so the painting has a warmth and a closeness, an aliveness.

When you touch, something happens very close. When you see, something is far away. In darkness, in secrecy, in privacy, something is revealed which cannot be revealed in openness, in the marketplace. Others are seeing and observing; something deep within you shrinks, it cannot flower. It is just as if you put seeds down on the open ground, for everybody to look at. They will never sprout. They need to be thrown deep in the womb of the earth, in deep darkness where nobody can see them. There they start sprouting and a great tree is born.

Excerpted from Come Follw To You, Vol 1/courtesy Osho International Foundation/


http://www.osho.com/online-library-outer-inner-beauty-body-627e94f8-fb7.aspx


ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







人間関係における私の共謀

人間関係のトラブルでは、通常誰かが自分に害を与えるから自分は悩んでいる、という図式が多いかと思います。

そんな時、大抵はその誰かのせいで自分が迷惑している、私の側には責任はないのに、と考えているのではないでしょうか。

つまり、言ってみれば、突然外から自分に危害を与える存在が出現したのだと思っているわけです。

しかし、そこに自分の側の責任はないのだろうか、ということを今回は考えてみたいと思います。

そこから「私の側からの共謀」はないのかという意味で今回のタイトルになっています。

喧嘩夫婦


例えば、職場や学校で自分の悪口を言う人がいるとします。

私は「なんでこの私が悪口を言われないといけないのだ!」という感じで、とっさに防御体制に入り、悪口を言う相手を悪人に仕立てあげようとします。

ここでもし、冷静に相手の悪口を言うに至った状況を確認できるのなら、そもそも相手の悪口にいつまでも悩まされることはないのでしょうが、なかなか現実はそうでなく動いてしまうようです。

つまり、最初から相手が悪く、悪口を言う相手が不当なものにされてしまうのです。

相手が自分の悪口を言うような、ひどい人間だということになれば、その悪口を「私」は正面から見なくてもいいわけです。

そんなひどい人間の言うことなど、間違っているに決まっているからです。

これは、あえて悪口をねじ曲げたというよりも、とっさに習慣で自分を守ろうとするやり方であり、多かれ少なかれ誰でもやってしまうことです。

この状態が進行すると、次に起こってくるのが「私の共謀」なのです。

あの人はひどい人だと確定してしまったので、実際にその人が何をしているかを客観的に見ることができなくなります。

たとえその人が、自分のために何かをしてくれようとしても、素直に受け取れません。

何か裏があると考えるか、あるいはそんな行動を見ても、そんなものは見えなかったり、無視したりします。

逆に、ちょっとでも悪口を感じさせる言葉が出てこないかどうか、そちらにばかり敏感になるのです。

その結果、その人は自分に害を与える人であるかのように予測し、行動してしまいます。

そう思い込んで(実際は自分を守るために)、相手を悪人に仕立てるという行為に、自分の方からも加担してしまうわけです。

立ち話1


やっていることを客観的に見るなら、これは奇妙な行動ですが、そのような人間性を理解するなら、自我を守るために仕方なくとっている行動だといえなくもないわけです。

ただ誰でもやってしまうから、放っておけばいいということでもなくて、できればそこに問題の火種を作り出さないほうがいいことは確かです。

それには、別に難しく考えなくても、悪口を言われたら、それをふさわしい形で受け入れればいいわけです。

誰でもちょっとしたミスで、迷惑をかけるような失敗をしてしまうものです。

自分には失敗はないなどと繕っていないで、失敗は失敗で認めて、それが相手を怒らせたなら、それなりの悪口も受け止めるしかないでしょう。

先程の話に戻ると、相手が自分の悪口ばかり言ってくると感じる場合にも、2通りあります。

ひとつは、その言葉通り、不当に悪口を言ってくる相手がいる場合であり、もう一つは自分を守るために作り上げた上記のような歪んだ解釈によるものです。

後者の場合は、相手の悪口は別に不当な悪意があるわけではなく、従って受け取る側(私)が素直に聞いて事が治まれば、いつまでも尾を引くようなものにはならないでしょう。

しかし、一方で前者のように不当に嫌がらせのような悪口を言ってくる人がいることも確かでしょう。

それは、実は先ほどの自分が解釈を歪めたのと同じように、その人が自分を守るためにとっている行動だと解釈すればいいでしょう。

本来、意味も無く人の悪口を言いふらして楽しい人などいないはずです。

そこには、自分を守るための、その人にとっては必死の防衛規制が働いているわけです。

その場合は、先程の自分が気づかずに解釈を歪めている時と同じように、相手に対して不当であると非難したところで、そんなはずはないと防御を強くしてしまうばかりです。

ですから、そこで取れる選択は、相手との関わりをやめるか、それともあえて相手のあり方に関与していく覚悟があるかを決めなければなりません。

関わるとすれば、相手の怖がっている原因をうまく取り除くなどの、こちら側にはそれだけの余裕が必要です。

相手の問題なのに、こちらが非難を受ける可能性も強いですし、相手がそれで変わってくれるかどうかはわかりません。

話せばわかるということは、いつでも成り立つとは限らないもの、ダメな場合は自分の許容範囲を超えたら手を引かないと、新たな敵を作り出すことにもなりかねません。

それほど人を変えるのは難しいし、覚悟や自分の側のエネルギーに余裕がなければできません。

もちろん自分の面倒も余裕をもってみられるようになっている必要があります。

そうでなければミイラ取りがミイラになってしまいます。

ともかく、どちら側の問題にせよ、言葉じりを捉えたり、理屈を押し通すのではなく、人間性を理解して我を通すのを辞めるのが第一です。

少なくとも、自分からこのような負の連鎖を作り出すことをやめれば、自分が被害に遭わないだけでなく、加害者になったり連鎖を拡大することをストップできるはずです。

なんで自分の側が折れないといけないのだ、と思うような場合もあるかもしれませんが、最終的に自分がどういう人間関係を築きたいのかということを優先すべきなのです。


それができれば、あなたのまわりは、悪口を言う人も近寄らなくなり、自然と居心地のいい環境になっていくでしょう。

内緒話

気に入っていただけたらワンクリック ⇒  人気ブログランキングへ

Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』


ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







友達は第二の自己である

195851_211533032194895_171693992845466_953567_502465_n.jpg

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。

友達は第二の自己である。

アリストテレス

,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆


気に入っていただけたらワンクリック ⇒  人気ブログランキングへ

Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』


ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







老荘思想のコラム連載(最終回)

『COCORiLA (ココリラ) ~癒しのポータルサイト~』様にて老荘思想のコラムを連載中です。

【今月のコラム】

「現代社会と老荘思想(最終回)」 [2012/01/15] ◇『老子のことば』◇

現代社会と老荘思想



◇最終回『老子のことば』◇

この連載も最後になりましたので、いままで登場したものも含めて、老子のことばを振り返ってみたいと思います。

◇ 上善は水の如し。水は善く万物を利して争わず。

りっぱな善(人)というのは、水のようなものだ。
水は全てのものをよく生かして助けるが、決して争うことはない。

◇ 困難なことも、それがまだ易しいうちに始めておけば大丈夫。

偉大なことを成し遂げたいなら、それがまだ小さなうちから始めること。
世界中の困難な問題だって、最初は易しかったに違いない。
世紀の偉業も、もともと取るに足らない小さなことだったに違いない。
千里の行程も、まずは足下から始まるのだ。
・・・・・・・

気に入っていただけたらワンクリック ⇒  人気ブログランキングへ



以下のサイトで連載しています

癒しのポータルサイト:COCORiLA (ココリラ)

【今までの連載記事】

「現代社会と老荘思想(1)」 「老子の三宝」
「現代社会と老荘思想(2)」 『道の道とすべきは、常の道に非ず。』
「現代社会と老荘思想(3)」 「すべては、もとはひとつ」
「現代社会と老荘思想(4)」 「無為(wu-wei)」
「現代社会と老荘思想(5)」 「上善若水」
「現代社会と老荘思想(6)」 「柔らかいものが堅いものに勝つ」
「現代社会と老荘思想(7)」 「無為によって全てを成し遂げる」
「現代社会と老荘思想(8)」 「自然な調和を取り戻す」
「現代社会と老荘思想(9)」 「天網恢々、疎にして而も失わず」
「現代社会と老荘思想(10)」 「自然はたえず変化する」
「現代社会と老荘思想(11)」 「役に立たない生き方」
「現代社会と老荘思想(12)」 「冬の川を渡るがごとく」
「現代社会と老荘思想(13)」 「私の本質は波ではない」
「現代社会と老荘思想(14)」 「和光同塵」
「現代社会と老荘思想(15)」「余 地」
「現代社会と老荘思想(16)」「我を張らない生き方」
「現代社会と老荘思想(17)」「聖人は腹をこさえる」
「現代社会と老荘思想(18)」「小魚を煮るように」
「現代社会と老荘思想(19)」「道のまん中が王道なのだ」
「現代社会と老荘思想(20)」「タオイズムの本質とは何だろう」
「現代社会と老荘思想(21)」「タオイズムの本質『シンプルに生きる』」
「現代社会と老荘思想(22)」「タオイズムの本質『自分でやらずに成し遂げる』」
「現代社会と老荘思想(23)」「タオイズムの本質『論理でなく知恵』」




ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







『ウサギとカメの話』

ウサギとカメの童話。

こんな歩みののろいカメに、私ウサギが負けるわけがない。

慢心したウサギは、「カメのやつ、まだあんなところを歩いているぜ」と途中で昼寝をしてしまいまいます。

目が覚めたとき、カメは既にゴール寸前、慌てて追いかけたウサギは無残にも負けてしまいます。

ウサギとカメのゴルフ


有名なこの童話は、慢心することを戒めた教訓のお話なのでしょう。

しかしここでは、この展開を別の見方で取り上げてみたいと思います。

ウサギは、もともとスピードが違うのに意地になって争いを挑んでくるカメに対し、無駄なことに時間を使う虚しさを教えてやろうと思いました。

ウサギは余裕で途中の景色を眺めながら、一走りしたところで、このあたりで昼寝をしようと思いました。

綺麗な花が咲いているし、ちょうど寝心地の良さそうな草むらがありました。

それが今の自分にとって自然な要求だと感じたからです。

レースなど、どちらが勝とうとなんの意味もないことは、ウサギはとっくに気がついていましたから。

カメは、未来だけを見つめていました。

ゴールだけが重要なのだ、それ以外のことには目をつぶるのだ。

あそこに見えるゴールこそが、自分の生きる証だ。

そこにたどり着いたとき、やっと自分は自分を生き始めることができるはずなのだ。

カメはレースに勝ちました。

しかし、これで自分は幸せになれると思っていたのに、喜びは「勝った!」と叫んだ一瞬で終わってしまいました。

ウサギに勝つことで、そのことが自分を変えてくれると信じて、我慢を重ねて途中の景色に目もくれずにひたすら歩いてきたのに、終わってしまえば何も変わった気がしません。

ウサギはというと「やあ負けてしまったよ!よくそんなに休まずに頑張れるね~」と余裕があるようです。

しっかり昼寝をして元気いっぱいのウサギは、鬱陶しい争いが終わってくれてせいせいしています。

カメもこれでもう無理な競争を挑んではこないだろう。

カメは虚しさを感じ始めました。

レースに勝つことは素晴らしいことだったはずなのに。

こんなに我慢して、今を犠牲にして生きてきたのに。

どうして何も楽しくないのだろう。

ついにプライドを捨てて、カメはウサギに訪ねました。

―どうして私が勝ったのに嬉しくないのでしょう?

ウサギは答えました。

―カメ君、君は当てにならない未来を信じて「いま」を犠牲にしてしまった。

生きるとは「いま」以外にないことを思い出すんだ。

それに、兎の走る速さと亀の歩く速さはどう考えても差があるんだ。

まともに競争して勝てるわけがない。

無駄なことに全力を尽くそうとするものは、最大の失敗者だ。

どうして僕に勝つことで幸せになれるなんて思ったのだろうか?

それはどこかで聞きかじったデマカセを信じてしまったに過ぎない。

亀が兎に勝ったことは、一時的にセンセーションを巻き起こしても、そんなものは自分にとってはなんの役にも立たない。

自分は亀だということをあまり信じ込まないことだ。

亀だと思うから兎に勝つことがすごいことのように思ってしまったのだ。

しかし、亀が兎より速く歩いたところで、そこに何の意味があるというのか。

カメ君は、周りの言うことなどに惑わされずに、自分に合った生き方を見直して、それに集中することだ。

本当に自分のやりたいことを、正直に見つけることの方が大切なんだと思わないかい。

それを見つけるためには、「いま」を生きることを取り戻さないといけない。

「いま」に存在していれば、本当に自分に必要なことしか起きてこない。

余計なことが見えてくるのは、今から離れて空想に迷い込んでしまうからだ。

もちろん、誰かに惑わされて「未来」や「ゴール」という言葉に自分の生きがいを見つけようとする愚かな失敗をしなくなる。

「ゴール」に見えている理想は、今の自分の一時的な望みでしかないんだ。

そんなものは、毎舜変化するものなんだ。

変化に対応できるためには、「いま」に存在し続けることしかない。

ときどきなら未来の幻想に惑わされて、夢を見てもいいが、今に戻ってくることを忘れてはならない。

今回のレースは短い時間だから、被害は大きくはない。

一生の目標などというものに惑わされていたら、もっと大変なことになっていただろう。

やがて歳をとってきて気がつくんだ。

このままでいいのだろうかって。

ゴールを信じ込んで、せっせと楽しくもないルールを守り、あるいは守らせる役も果たしてきたけれど、そこに到達しても何も約束などないことが分かってくる。

いったい今まで何をしてきたのだろう。

こんなことなら好きなことを、もっとやってくればよかった。

しかし文句を言うにも相手は誰だかわからない。

いるとすれば、自分しかいないことに気がつけば、まだいいのだが、

それを認めることは、「針の穴をラクダが通る」くらいに難しい。

せっせと未来に生きてきて、今は過去を嘆いている。

これらはすべて、存在しない未来や過去に迷い込んだことで起こった問題である。

今現在には問題など何も存在しない。

昼寝をするなら、そう思った今しかできない。

これが終わってからと思っていると、すぐに夜になってしまう。

いつか自由に昼寝できるときが来るのを夢見て、いまそれをやらないでいるからだ。

しかし、そんな未来は、いつになってもやって来ないことに気がつくことになる。

この話を読んで「カメ君が昼寝しなかったからって、何が悪いというのだ」と言われるかもしれない。

そう、誰も悪いとは言わないけれど、よかったとも言ってくれない。

しかし、自分自身はそれを後悔していることが問題なのだ。

気に入っていただけたらワンクリック ⇒  人気ブログランキングへ

Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







『この観察こそが黄金の鍵』

暗闇に隠されてきたものを、見守る人であり続けましょう。

それらは来ては去っていきます。

実際問題、このように定義できるでしょう。

あなたが見守るうち、

見ていることで消え去っていくなら、
それは何かが間違っているということ。

見ていることで、よりはっきりして近づいて来るなら、
それこそは吸収すべきものなのです。

これ以外に良いことか悪いことかを判断する基準などないのです。

この決定が下されていくのを見守ること、これこそが基準です。


罪とは何でしょう? 
美徳とは何でしょう?

消えていくものは罪です。

より近づいてきて、はっきり見えてくるもの、
あなたの一部になろうとしてくるもの、
それこそが美徳です。

この観察こそがあなたの精神世界への黄金の鍵になるのです。

OSHO

kitten1163_04_キキ


"Be continuously a..."
https://www.facebook.com/oshoonline/posts/328661280481845

"Be continuously a watchman of all dark moments. They will pass away. In fact, that is the definition: anything you watch, if it disappears by watching that means it was something wrong. If by watching it becomes more clear, closer, that means it was something to be absorbed.

There is no other definition of good and bad.

It is watching that decides -- the only criterion. What is sin and what is virtue? That which disappears is sin, and that which comes closer, becomes clearer, wants to become part of you, is virtue.

Watching is certainly the golden key of spiritual life. - OSHO


気に入っていただけたらワンクリック ⇒  人気ブログランキングへ

Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







まわりの人が変わってしまった?(2)相手が描くままに

前回は、自分の側のフィルター(構え)で、まわりの人が変わってしまったように感じるという話をしました。

しかし、いくらこちら側が公平な見方をしていたとしても、自分と相性のよくない人はやはり存在するものです。

「人はみな同じではない」という単純な事実を認めるしかありません。

会う人ごとに自分と同じ考え方になって欲しいと願うのは、間違いです。
それはとうてい無理であることを忘れないことです。

人を変えるというのは、ほとんどの場合、徒労に終わります。

「頑張って、頑張って、これだけ説得したからやっとわかってくれた。」
そう思っても、次の日には、相手はまた自分の考えで行動し始めるものです。

それほど、変わることが難しいことは、自分に置き換えれば分かることです。
自分自身でさえ、変えたいように変わるのは非常に困難なものであることは、なんども経験されているのではないでしょうか?

また、人を自分と同じ考えに引き込もうというのは、傲慢な考えです。

相手には相手なりの理由があって、そのように行動しているのです。
あなた自身が自由にしたいのと同じで、相手にも自由に考え行動する自由を認めなければなりません。

悩む2人

しかし「人はみな同じではない」のも事実ですが、その一方で人が考えることは、大きく見れば共通しているとも言えるわけです。

相手と共有できる部分は楽しみ、相容れないことはお互いに相手の自由を許すこと。これが一番ではないでしょうか。

ところが、私たちはついつい相手と共通な部分を感じてうれしくなり、あれもこれも「私と同じになって」と期待してしまった挙句に、問題を作り出してしまうのです。

ですから、相手の受け入れやすい部分も、とても自分には受け入れられないという部分も、同じように平等に受け取って、そのまま受け流すことを考えてはどうでしょうか。

受け流すという意味は、必要以上に自分と同じになれと期待しないで起こるに任せるということです。

私たちは、気の合う相手だと、さらに共有を強めようとし、その結果相手の自分と違う部分も受け入れて、無理に同じになろうとしますが、それが行き過ぎると依存関係を作り出す可能性もあるわけです。

その一方で、自分が受け入れがたい考えの相手には、自分と同じ考えに引き込もうとしたり、それがうまくいかないと、今度は相手を非難することを始めてしまいます。

まるで「自分と同じ考えをもたない人間は排除しないといけない」とでも言うように行動する人も時々見かけます。

しかし、相手が自分と同じに考えないと困るのは、自分の側の確信が揺らぐのが怖いからです。
自分の考えが正しいと安心していたいのに、それを揺るがすようなことを言う人間がいるのが許せないのです。

どちらにしても、相手の自由な考え方をそのまま受け流すこと、そして必要以上に、同じになることを自分にも相手にも要求しないことです。

そうしなければ、いくら仲良くやっていると信じていた関係も、ちょっとでも食い違いを見つけると許せなくなり、同じであることを強要しだしたり、さらには今まで騙されていたように感じる人もいます。

そのまま受け取って、そのまま自然に起こることを起こらせるようにしていれば、問題など何も起こらないはずです。

とても自分は付き合っていけない人とは、ただその人がやりたいようにさせてあげて、自分は自分のやりたいことをやればいいのです。

わざわざ、相手に挑戦を挑んで、どっちが正しいかはっきりさせようとしないことです。
また、逆に相手が同じ考えになれと言ってきても、「私は自分の思うとおりにします」とはっきり断言して、接触を絶てばいいのです。

また、勘違いしやすいのは、相手が自分に受け入れやすく、同じ部分が多いからといって、全部自分と同じにして欲しいと願ってしまうことです。

それは、自分の傲慢であり、相手への強要です。
そして共依存の関係を作り出す元でもあります。

間違わないためには、相手を自由に行動させて、相手が描くままを受け取り、自分と同じ部分も、そうでない部分も、平等に扱うことです。
自分でかってに操作せずに、相手の自由を認めて、ありのままに受け入れることです。

「こんなに親しくなったのだから、これも受け入れて」と思うことが悲劇の始まりにもなるのです。
それに満足できない裏には、自分自身への確信のなさが隠れているのかもしれません。

相手の違いを受け入れられる人とは、それ以前に自分自身を自分で受け入れられている人でもあるのです。
それに問題を感じるなら、相手のことではなく、自分自身と向き合うことがまずは必要なのです。

気に入っていただけたらワンクリック ⇒  人気ブログランキングへ

Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 幸せになる考え方
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







成功とは

mount-rushmore-wallpaper.jpg



私たちは、
私たちがいついちばんよく成功したのか
ということを、
けっして知りえない

ウナムノ


ほかの人は成功しているように見えても、自分のことはよく見えていないものですね。

ほかの人はあなたの成功に憧れているのかもしれません。

あるいは逆にあなたの誇らしく思っていることは、ほかの人にとっては、なんとも思わないことかもしれません。



気に入っていただけたらワンクリック ⇒  人気ブログランキングへ

Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 幸せになる考え方
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







まわりの人が変わってしまった?(1)フィルターは適切に

こんな話を聞いたり、あるいは自分で経験したことはないでしょうか。

『ある人と喧嘩してしまった。
今までずっと仲良くしてきたつもりなのに。

自分の側にも問題があったのかもしれない。
一応誤解は解けたのだけれど、それ以来なんとなくスッキリしない。

そう思っていると、他の友達との関係も、少しおかしいような気がする。
いままで、長く仲良く付き合ってきた仲間のはずなのに。。。

だけど、ほんとに今まで仲良く出来ていたのだろうか。
ひょっとしたら、私がかってに友達のつもりでいただけかもしれない。

喧嘩したのは一人だけなのに、
みんなの自分への見方が変わってしまったような気がしてくる。

私の知らないところで、私のことを笑っているのかもしれない。
ほんとは、私のことなんて誰も気にかけていないのかもしれない。
私の独りよがりで、仲良くしているつもりだけだったのだろうか?』

ちょっとしたきっかけで、今まで上手くいっていたつもりの人間関係に、疑いを持ったり不安になったりし始めてしまうのです。

そんなことを考えていると、だんだんと誰も自分のことなんて気にかけてくれていないような気がしてきて、孤独を感じたり、憂鬱になってきてしまうというケースです。

このようなケースについて、2回にわたって別の視点から考えてみたいと思います。

まず今回は、「私」の側に焦点を当ててみましょう。

起きたことは、私がある一人の友達と喧嘩してしまったことと、そのあと友達がみんな違って見えるようになったことです。

それでは、私がひとりと喧嘩してしまったことで、まわりの人がみんな変わってしまったのでしょうか?

ひとりと喧嘩したから、その余波でまわりの人がみんな、私を嫌いになり始めたとでも言うのでしょうか。

客観的に見るなら、そのようなことは考えにくいですね。

悪く考えて、喧嘩した友だちと近しい人に多少影響が及んだとしても、大部分の人はあなたが喧嘩したことなど知りもしないのではないでしょうか。

ですから、まわりのひとが変わったと思うのは、私の見方が変わってしまっただけと考えるのが一番妥当だと思えますね。

私たちは、自分が期待することに合うように、ものごとを偏って見てしまう傾向があります。

つまり、私が信じたいことが起きている証拠を探し求め、信じたくないことは見ても見ぬふりをしてしまおうとするのです。

もちろん、多くの場合には客観的に起きていることを観察しています。
しかし、自分が影響を受けやすい弱い部分に刺激を受けると、それまですごく客観的に判断できていたのに、急に偏った見方を始めてしまいます。

それは、もともと自分の中に、それを信じたいという要因があったということなのでしょう。

たとえば「人は自分を嫌っている」ということを自分が信じたがっているというのは、奇妙に思えるかもしれませんが、ごく普通にあることなのです。

いままで生きてくる中で、いろんな人と喧嘩したり、人を恨んだり、憎んだり、あるいはその反動で自分がやったことに対して罪悪感を抱いたり、といったことを経験しているのが普通です。

そして、たとえ相手の方が悪かったとしても、他人を自分が変えてしまうことはできません。

その結果そこに残るのは、何かあったら仕返ししてやろうという思いと、その反動で自分自身を責めたり、罪悪感を感じる部分だけなのです。

ですから、誰かと喧嘩したりすると、それが引き金になって、それをやってしまった自分を責めるような思いが発動し始めるわけです。

誰しもスネに傷持つ身ですから、ちょっとしたきっかけで、自分のいけない部分が原因で、困ったことがまわりで起き始めてしまったと考えてしまうのです。

ですから、自分の後ろめたさが、まわりの人のちょっとしたしぐさを敏感に感じ取りすぎて、やっぱりこの人も私を良く思っていないのかもしれないと思い出してしまいます。

phm04_0043-s_カメラ


私はカメラはあまり詳しくないのですが、カメラにはフィルターというレンズにかぶせる部品があります。

撮影する場面に合わせて、色合いや、光の量を調整したり、様々な効果を狙うのに使用するようです。
たとえば、遠景をとるかマクロ撮影をするかとか、夜景を撮影するのか、暗めの室内を撮るのか、光の強い屋外の撮影をするのかでも変わってきます。

その場合に、たとえば暗い室内を取るのに光を抑えるフィルターを使ったのでは逆効果ですね。

ですが、屋外の撮影が終わって、今度は室内を取ろうと思ったのに、前のフィルターをつけっぱなしにしてしまうと、効果がないどころか期待はずれの結果になってしまいますね。

喧嘩をしたことで、私は「喧嘩用」のフィルターを取り付けてしまったのです。

それは、相手の悪い点を見つけようと目を凝らしたり、私の側の問題はせっせと言い訳する理由を探すのが得意なフィルターなのです。

そしてまた、自分の罪悪感を刺激する光にも弱い面を持っています。
「あれは今まで気がつかなかったけれど、きっと私をバカにしている表れだったんだわ。」というように。

喧嘩フィルターを取り付けたあなたは、それを外し忘れたまま他の人と接しているかもしれません。

「そうするとどうなるか」はもうお分かりですね。

あなたの方で変化があったことなど何も知らない他の人たちは、実は何も変化していないのですが、あなたの側の見方だけが変化していて、いままでと違うものを見るようになっているのです。

喧嘩してしまうと、いつもより傷ついているでしょう。
無防備のレンズをさらすのがためらわれるなら、レンズ保護用のフィルターに変えておきましょう。
こちらのフィルターは、何も映像を加工しないで、ありのままを通しながら、レンズを保護してくれるのです。

肝心なのは、余計なフィルターを、ちゃんと忘れずに取り外しておくことです。
そうすれば、突然まわりの世界が変わってしまったと慌てることもなくなるでしょう。

しかし、たとえニュートラルなフィルターを付けていたとしても、それで何もかもうまくいくほど人間関係は単純ではありませんね。

そのあたりを次回に。

気に入っていただけたらワンクリック ⇒  人気ブログランキングへ

Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

ACR WEBブログパーツ

テーマ : メンタルヘルス・心理学
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







『あなたの生命を生かしなさい』

あなたの生命を生かしなさい。

あなたが生きることにうんざりしているのはなぜなのかを突き止めるのです。
そして変えてしまうのです。

(そうしなければ)それはほんのちっぽけな命でしかない。

リスクを犯すのです。ギャンブラーになりなさい。
そうしたからって何を失うというのです?

私たちは何も持たずにこの世界にやってきて、
何も持たないまま帰っていくのです。

そこに失うものなど何もありません。

楽しんだり、綺麗な歌を歌うのに使える時間はほんのわずかしかありません。
そして時間は去ってしまいます。

すべての瞬間がとても貴重です。

あなたが騒ぐのをやめ、創造的になり、愛し、美に対して敏感になれるなら、
そしてこの広大な宇宙に感謝するなら、....

そこには何百万という星々があります。
しかしそれらは死んでしまっている。そしてあなたはほんのちっぽけな存在だ。

しかしあなたはその現存の中に最も貴重なものを持っている、それが生命です。

それは単なる命ではない。
自分が意識そのものになって、そして悟りを開く可能性を秘めている。
未だかつて死が入り込んだことのない空間に、踏み込んでいく可能性を秘めているのです。

- OSHO

wxrne-560.jpg


Make your life...

Find out why you are feeling bored. Change.

It is such a small life.

Take risks, be a gambler -- what can you lose?

We come with empty hands, we go with empty hands. There is nothing to lose. Just a little time to be playful, to sing a beautiful song, and the time is gone.

Each moment is so precious.

If you are silent, if you are creative, if you are loving, if you are sensitive to beauty, if you are grateful to this vast universe...
There are millions of stars, which are dead -- and you are so small, yet you have the most precious thing in existence... LIFE. And not only life, but the possibility of becoming a consciousness, of becoming enlightened, of coming to a space where death has never entered.
- OSHO

気に入っていただけたらワンクリック ⇒  人気ブログランキングへ

Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







犯人を作り出さない~わたしの中の怒り


不機嫌・怒る


一般にだれかが間違っていると思うとき、

わたしの中には、いろんな思いが渦巻いています。

少なくとも犯人捜しをしたがるときには、「怒り」があります。

その原因が、だれにあるのか、

わたしにあるのか、相手にあるのか、それとも他のだれかや社会にあるのか、

ほとんどの場合、だれかひとりの責任ということはないし、

わたしの中にも、責任の一端があることはうすうす気づいています。

自分の責任を認めたくなくて、相手のせいにしたがるのが「投射」という防衛機制です。

これが働くとき、わたしの方にはいろんな事情がありますが、相手に対しては、そうは思いません。

相手は、単純で、一つの考え方しかできない存在だと見てしまうのです。

いろんな感情を持つ人としてみないで、単なる1つの反応をする1つの対象になってしまいます。

「あいつは、そういう考え方しかしないやつなんだ」

怒る主婦1


そんなとき、わたしは、

「あいつがきらい」

だと感じます。

その人が言っていることは

「まったく理解できない」

と感じます。

「どうしてそんな考え方が出来るの?」

「どうして『わたしが』考えるように思えないのだろう?」

そこでは『わたし』が考える基準が厳然と存在するのです。

ですから、もしわたしが『わたし』が考える基準に違反したら、同じように厳しく非難することになります。

わたしの中に、それを許さない自分がいるのです。

そして、それを相手にも適用します。

わたしが自分に許さないのと同じように、相手もそのようであってはならないのです。

わたしが「ダメだと思ってやっていないことを、平気でやってしまう」相手が許せない。

しかし、わたしの考えが、もしかしたら絶対ではないと思えるときが来たら、

わたしが、わたしに厳しく禁止していることに気がついたら、

実は、わたしの中にも彼のように自由に振る舞いたいと感じている自分がいることに気がついたら、

そのとき、わたしはその束縛から解放されます。

そして、わたしが自分を束縛しなくなれば、

相手を批判する自分もいなくなります。

相手の行動を許せるし、わたしが同じことをするのも許せるようになります。

女の子腕組み


自然災害のような、誰にも怒りを向けられないものに直面したとき、やり場のない怒りを、誰かに向けたくなるのです。

そんなとき、標的をさがすのは、わたしの中のうまく制御できないでいる自分なのです。

わたしの中で、普段から葛藤を起こしている部分、

「こんなことではダメだ!」と叱る自分と、

「そんなこと知るか!」と言いたいけれど押さえつけられている自分が

葛藤を起こしています。

怒りを爆発させている時は、この葛藤を無視して暴走します。

このときとばかり、自分以外の人に怒りをぶつけたくなるのです。

まずは、自分を許すこと。

それによって、まわりの人を犯人にしようとしたがる自分も消えていきます。

それでも、あまりにも理不尽な出来事による怒りは、許すことを拒絶します。

ですから、ものによっては時間がかかるかもしれません。

しかし、

いつかは、

自分を許さないと、

永遠に犯人を作り続けなければなりません。

犯人を持ち続けるということは、おそらくその相手には何も影響を与えないけれど、自分自身に対しては攻撃の手を緩めません。

胃潰瘍になったり、血圧を上げたくなければ、犯人を作らないことです。

相手を攻撃する絵を思い浮かべる時、実は自分自身の身体にもダメージを与えているのです。

それを終わらせたければ、いつかは怒り続けるわたしに「さよなら」を言わないといけないのです。

そして「犯人を作らなくなったわたし」には、青空が戻ってきます。


ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







明けましておめでとうございます

nti070-s.jpg
OMM05_C0413.png




向こう見ずは天才であり、
魔法であり、
力です。
さあ、今すぐ、始めなさい。

ゲーテ


気に入っていただけたらワンクリック ⇒  人気ブログランキングへ

Facebookページ:→ 『人生を変える「いいね!」セッション』

ACR WEBブログパーツ

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ


現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
思考と感情からの解放~そして現実のみを信じる3ステップ|ヒーリング・スピリチュアル | ココナラ

スポンサード リンク







sidetitle最新記事sidetitle
《最近7日間の人気順位》
~ランキング全体をみる~
~ランキング全体をみる~

sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle全記事表示リンクsidetitle
過去の記事はこちらから↓

全ての記事を表示する

sidetitleブログ紹介sidetitle
☆~新刊⌒☆
☆ちゃん見るシリーズ☆


好評発売中


アルファポリス
第2回エッセイ・ブログ大賞
特別賞『タオに生きる』 pao
WebコンテンツPickUP!タオに生きる
【 エッセイ・日記・blog > blog 】
老子の教えに学ぶ
老子のいう「タオに生きる」ということはどういうことなのか。さまざまなアプローチから、自らの考えや学んだこと、思ったことが綴られています。心をやすめ、身体をやすめ、穏やかで落ち着いた生活をしたい……そう願う人たちにとって、ヒントに溢れたブログです。


ez-HTML





PRR
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカレンダーsidetitle
12 | 2012/01 | 02
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
sidetitleにほんブログ村sidetitle
sidetitleスポンサード リンクsidetitle
sidetitleメール心理相談sidetitle
メールを利用して1,000円/週で心理相談を受け付けています。
詳しくは下記から「どういう内容か知りたい。」旨のメッセージをお送りください。





アクセスカウンター
アクセスカウンター
アクセスカウンター
ブランド買取優良店***word-2******word-3******word-4******word-5******word-6******word-7******word-8******word-9***


このエントリーをはてなブックマークに追加

sidetitleジャンル・ランキングsidetitle
[ジャンルランキング]
心と身体
89位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
スピリチュアル
24位
アクセスランキングを見る>>

sidetitle検索フォームsidetitle


もう一つの「タオに生きる」カテゴリー別
Screen Shot_30p ※徐々に更新しています
タオに生きる(人間関係)
タオに生きる(アドバイタ関連)
タオに生きる(YouTube#1)
タオに生きる(YouTube#2)


[上位タグ20]
感情、莊子、思考、怒り、罪悪感、老子、いまここ、人間関係、バイロン・ケイティ、交流分析、タオ、エックハルト・トール、ありのまま、許す、YouTube、老荘思想のコラム連載、不安、過去、無為、OSHO

sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleアクセスランキングsidetitle
訪問いただいているサイト
(週間 木曜日リセット)
※こちらでタイトルを入れさせてもらっていますが、出したくないとか変更したいという方はご連絡下さい。

sidetitleカテゴリsidetitle
カテゴリーを追加し整理しました。 バイロン・ケイティ、エックハルト・トール、ガンガジ、ムージ、OSHO
sidetitleQRコードsidetitle
QRコード
FX