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何を求めないかを決める

人生に何を求めないかを決めることは、
人生に 何を求めるかを決めることと
同じくらい大切である。
自分の幸せにつながらないことは、
今日からもうやらないと決めよう。

おかしなことだが、人はやらなくてもいいことを
ついついやってしまうものなのだ。


A.J.ゼリンスキー



寝そべる


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からっぽになろう

わーい1


あなたが中身をずべて空っぽにしたら、
~思考も、欲求も、記憶も、予測も、期待も~
全てが向こうに行ってしまったら
その時はじめて、あなたは自分自身を発見する。

なぜなら、あなたはもともと空っぽだから、
しかしそれは純粋な空間だ。
あなたの中の未開のスペースなのだ。

あらゆるものから開放された、
その空っぽの意識こそ、
あなたそのものなのだ!

それを見て、現実のものにすること、そこに自由がみつかる。
そこに本当の自由があり、喜びがあり、至福があるのだ。

Osho

"When you have emptied all the content ― thoughts, desires, memories, projections, hopes ― when all is gone, for the first time you find yourself, because you are nothing but that pure space, that virgin space within you.
Unburdened by anything, that contentless consciousness, that´s what you are! Seeing it, realizing it, one is free. One is freedom, one is joy, one is bliss." Osho

https://www.facebook.com/osho.international/posts/193015144116574


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でも、いつからにしたら?

☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆

私はいつでも
もっと良い人間になることができます。
でも、いつからにしたら
いいのでしょうか?

アシュレイ・ブリリアント

☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆

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翼が必要だ!


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古代中国ではタオイズムのことわざでこんなことが言われている。
完璧な弓の使い手なら、弓も矢も放り投げてしまうだろう。
完璧な音楽家は、楽器のことなど全て忘れてしまう。

そこには神秘的な世界がある。
~非論理的な心で、神秘の世界を理解するものにとっては論理を超えた世界が広がる。
それは私たちの周りに存在する。私たちは正しい認識を持ちさえすればいい。
知識から開放された澄んだ瞳で見てみることだ。
無垢であれ、重さを捨てるのだ。

私たちには翼が必要だ。それも愛の翼だ、論理ではなく。

論理は私たちを下に引っ張り下ろそうとする。それは重力に支配されているからだ。

愛はあなたを星のもとにつれていってくれる。

あなたの中の神秘さを解き放つのだ。
そうすればすべての価値あるものを発見するだろう。

OSHO



OSHO Online
‎"In ancient China a Taoist proverb says: "When the archer is perfect, he throws away his bow and his arrows. When the musician is perfect, he forgets all about his instruments."

There is a mysterious world -- illogical to the mind, supra-logical to those who understand the world of the mystic. It surrounds us; we just need the right perception, clear eyes unburdened with knowledge -- innocent, weightless.

We need wings -- wings of love, not of logic.

Logic pulls you downwards. It is under the rule of gravitation.

Love takes you towards the stars.

Allow the mystic in you, and you have found all that is worth finding." - OSHO

https://www.facebook.com/oshoonline/posts/325439167470723



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人生はゲームである。


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メリークリスマス!


人生はゲームである。
幸せなのはプレーヤー。
不幸せなのは観客。
あなたはどちらになりたいだろうか。

<ゼリンスキー>


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恐れからの自由Ⅱ

私たちの心理的な恐れは、ほとんどが社会的な存在としての自分を守ろうとするところから来ているようです。

世間的な体面を守るため、そのために成果を上げることで自分の価値を証明しようと必死になります。

あるいは、特定の人に対して自分への好意をなくさないかと心配で、そのためには自分自身であることも、簡単に犠牲にするかもしれません。

それとも、自分のアイデンティティを何かの思想や宗教やグルに委ねようとするかもしれません。
いざというときには、逃げ帰る場所を確保して、その安全をバックに生きていれば大丈夫と思うのでしょう。

しかしそれが何であろうと、依存する対象であることには変わりありません。
特定の人への依存を断ち切れても、かわりに依存する何かを確保しただけかもしれません。

そして、依存がある限り、恐怖はつきまといます。
恐れは、いまの幸せな状態が壊れることを思った瞬間に、よみがえってくるからです。

そういうものだからと、受け入れるのが最初のステップにはなるでしょう。
そして、その段階にとどまることが満足であれば、それを否定する権利は誰にもありません。

緊張と弛緩のように、幸せと恐怖はセットになるものです。
空腹を感じなければ、満腹感を味わう楽しみもありません。
片方だけ望まなければ、大きく間違うことはないでしょう。

しかし、少なくとも社会に振り回されて、その恐怖から自分自身であることを放棄してしまうこと。
これが、余りにもバカバカしいと感じるなら、そのあたりのバランスを見直してみることは、社会的な生き物である人間ならではの問いかけではないでしょうか。

社会的な地位や、財産や、仕事の成果や、他の人との望ましい関係を維持することなどによって、いまの自分の存在価値を量ろうとすることが、私たちの現状だと思います。

しかしどんな価値観を持とうと、目の前の成果に気をそらしていようと、やはり誰かにひとこと、あなたは大事な人だと言ってもらうことが、私たちの幸せや安心感を大きく左右します。

誰も何も言葉をかけてくれないこと、自分のことなど誰も気にかけていないと感じることが、何よりも怖いわけです。

ですから、そのことを突き詰めれば、「あなたはそのままで大丈夫です。いまのあなたのままで無条件に大切な存在なんですよ」と言ってもらうことを望んでいるのです。

どんなあなたに付属する評価よりも、あなたの存在自体を肯定してくれる言葉を望んでいるのです。

では、その究極の言葉を自分自身に向けては言えないものでしょうか?

それができれば、本当の意味でそれがふに落ちれば、あなたは今のように他者からの評価を求めて奔走しなくても良くなるかもしれません。

あるいは誰かに対して、無条件に先程の言葉を言ってあげられる存在にもなれるでしょう。

他の人に言ってあげることは容易でも、自分に対する疑いがあるうちは、本当には伝わらないかもしれないからです。

遊ぶ女の子たち


しかし、それは依存する対象を抱えたままではできません。
何かあったら、逃げ込める安全地帯を確保したままでは、無条件の信頼は得られないでしょう。
どこまで行っても、表面的で言葉で唱えているだけに終わってしまうでしょう。

本当に無条件に自分を受け入れられるものかどうか、それに挑戦して見るには、あらゆる逃げ道を捨て去る決心とエネルギーが必要です。

ですが、それはやってみる価値のあることです。
きっとそれは究極の求めるものであるはずだからです。

そして無条件ということは、つまり恐れを生み出す原因についても、何もそこにはなくなるということです。
それこそが本当に意味での恐怖からの自由になるでしょう。

いろんな柵(しがらみ)を身に付けて大人になる前の、何も知らない赤ん坊が、何も教えられなくても生きようとする力とは何なのでしょうか。

そういうものがなければ、まわりの大人は、親は、教師や医師はなにもしてやることはできません。

もしそういうものがあるなら、社会や思考に一切とらわれない状態での、無条件の自己肯定があるはずだと思えないでしょうか。

結局は、無条件に自分にイエスを言えることを、あなたは望んでいるのではないですか。

抽象的な話をしてきましたが、今この場で、もう少し具体的なことを考えましょう。

たった今、あなたがどんな状況にあろうと、どれだけ差し迫ったことがあろうと、今はこれをしてみたいと何かを宣言して、全てを放り出してそれに取り組めるでしょうか。

そして、それができたとき、あなたは自分のエネルギーを感じないでしょうか。
何も怖いものなどないと思えるほどのパワーを感じないでしょうか。

あなたの思考は、すぐにそれができない理由を、山のように持ち出してきます。
それをやってはいけないと言い出す人たちの顔が、どんどん目の前に現れてきます。

それでも、そのかすかな根拠の自分の望みを、自分は今選択すると宣言できるでしょうか。

その小さな宣言が、あなたの無条件の肯定に向けての第一歩になるかもしれません。

無条件とは、どんな理屈も必要ありません、どんなに不合理でも、どんなに他人の受けが悪くても関係ありません。

ただ「わたし」が望むというそれだけが拠り所です。

どんなに安全に見える誘いも断って、自分の望みにかけてみる気はあるでしょうか。

かつてどこかで、誰かがゴーサインを出してくれないかと願ったことはないでしょうか。そうすれば自分は踏み出せるのにと。
それをいま自分でやってみるということです。


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恐れからの自由

恐れがあると私たちは自由に考えたり、感じたりすることができなくなります。

そして、目の前に危険なものがあれば逃げ出すような、肉体的な恐怖なら対処方法をとればいい場合もありますが、心理的な防衛から来る恐れはもっと事情が複雑です。

心理的な恐れの場合、その恐れの存在に気づいていなかったり、原因がなんであるか分かっていない場合が多いから厄介なのです。

恐怖感は、漠然と自分を不安にさせ、感受性を鈍らせたり、自由に考えることに無意識に抵抗して邪魔をします。

普通の状態なら、無難にこなせることがうまくできなかったり、あるいは恐れから嘘を言ってごまかそうとしたり、自暴自棄に陥らせたりするかもしれません。

しかしそれなら恐れを取り除いてしまおうということで、それが単独で存在して、それだけを取り除けるように思ってしまうとうまくいかないでしょう。


あたかも、外側から恐怖心だけを取り除けるような発想から行なう対処方法は、見当違いでごまかしのようなものになってしまいます。

そうではなく、恐れの感情は、自己全体の行動や思考の中から生まれてくるものだと考えたほうがいいでしょう。

たとえば、典型的なのは何か自分の好きなものや人に対して執着するとき、その執着する度合いに応じて、それを失うことへの恐怖が生まれてくるのです。

最初は、たまたま見かけたものや人に対して、何か惹かれるものを感じます。
そのうちそれは私のお気に入りになっていきます。

その私のお気に入りのものが、好きになり、所有し、いつもそばに置いておきたくなるにつれ、執着が生まれてきます。

その執着心が育つにつれて、それを手放すことへの恐怖が起こってくるのです。

このことからも、失うことが怖いのをなんとかしたいと思ったら、その怖さだけをなんとかしようとするのは、見当違いであることは明らかでしょう。

対象が好きでなくなれば、恐れも和らぐのかもしれませんが、それでは元も子もないわけですよね。

対象を求める心をごまかして、本当は好きじゃないと思い込もうとするのは、恐れの方だけなんとかしようという発想からの、反動的なごまかしにしかなりません。

ですから、私の行動や心の働きを全体で捉えて、この執着心と恐怖心の関係が生まれていることを理解することから始めなければなりません。

たとえば「私は対人関係に問題を抱えています。人と接するのが怖いんです。」
という訴えがある場合、根本的な解決を望むとすればどうすればいいでしょうか。

「人が怖いのは、引きこもって人と合わないからダメなんです。もっと積極的に人にあったり、声をかけたりできる人間になりましょう。」

このようなアドバイスでは、恐怖心の程度が大したことの無い場合は、効果が期待できるかもしれません。
行動を起こすことで、「やってみればそれほど怖くなかった」という体験が生まれて、徐々に恐れが解消され無事解決となる場合もあるでしょう。

しかし、自分の恐怖心がどこから来るのかも分からず、無意識の抵抗が強い場合には逆効果になるかもしれません。

さらに言えば「人から何を言われても平気になりなさい。毎日批判をうけるような状況を作って自分を鍛えればいいのです」といった過激なやり方は、危険を伴います。

自分の感情をさらに鈍麻させることで恐れに対抗しようとしてしまうかもしれませんし、あるいはすぐに戦闘的になって一時的に恐怖心をごまかそうとする習慣を作ってしまうかもしれません。

ですから「恐れだけを取り除いてください」と望むのは本質的な解決にはつながりません。

とりあえず、自分の恐れがどこから来るものかを知ることや、恐れのメカニズムを理解して、自分が望むことと恐れの感情が不可分の関係にあることを知ることなどがスタートになるでしょう。

まずは、「私はまわりの人から好かれたり大事に扱われる存在になりたい。人を怒らせたり嫌われたりすることを怖がっているのだ」といったことを認められるようになることです。

そんなことは、「誰もが感じていることで、自分もそう思っていても構わないのだ」と理解して、それを自分でも認められるようになることです。

そして、それが原因で少しでも批判めいた響きを感じたりすると、自分が嫌われてしまうと思ってパニックになってしまうというメカニズムを理解するのです。

「他の人なら少々冗談を言っても許されるけれど、私が何か言うと他の人を傷つけてしまうかもしれない」というような、根拠のないことを思い込んでいるかもしれません。

ですから「私の感じることを自由に話したりするのは危険だ。」という思いから自由に話せなくなったり、自分の好き嫌いを自由に認めることができなくなるのです。

ばい菌やウイルスのように「退治すれば治ります」というわけにはいきません。

表裏一体である自分そのものを全体で捉えないと、根本的な解決は生まれてはこないでしょう。

たとえば、食べ過ぎたら、そのあと何時間も苦しい思いをしてしまった。
だから、これからはほどほどにするようにしようと学習します。

胃袋をを鍛えて、いくらでも食べられる身体になればいいと思うのは、ちょっと限界があるわけです(笑)。

バランスを取ることが自然になれば、いちいち食べる度に気にすることもなくなるし、食べることを怖がったりもしなくなるわけです。

それは、無意識にバランスを取れるようになったからです。

人と接する場合も、誰であろうと他人の反応から来る恐怖に対して、完全に自由なれる人がいるわけではないでしょう。

誰もが、ときどき恐れを思い出しながらも、バランスをとってうまいポジションに自分を置くことをやっているわけです。

ですから超人的な人を目指すのではなく、変化しながら微妙なバランスで、偏りすぎて問題を起こすことを避けることが、生きるということだと理解すればいいのです。

全体として、動的にバランスをとる自分なりのやり方を見つけることです。

勘違いして、静的で絶対的な解決があるかのように探し求めるから、さまよって自分をどうしていいかわからなくなってしまうのです。

メンタル

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あれもこれも捨てがたい!

『選択とはすなわちこれ取捨の義なり』   法然

この法然の言葉は、「一つのものを選ぶとは、他のものを捨てるという選択なのだ」と言っているのです。

何かを欲しいと思ったとき、両方を同時に所有するわけにはいかないということもよくあります。

たとえば、最近はスマートフォンが普及してきて、従来の携帯電話をやめてスマートフォンに変更するという方も多いようです。
番号をいくつも持つ人ならわかりませんが、普通は使い慣れたケータイをやめて、スマホに切り替えるわけです。

新しいものを手に入れるために、古いものを捨てる選択をします。

「難しそうだなあ、使いこなせるだろうか?」と思う人も入れば、「電話さえできればいいんだ。そんなもの絶対に使わない」という人もいるでしょう。

それは物だけに限りません。

自分が、どの会社で働くか、どんな集団に属するかといったことや、あるいは自分の主義主張や宗教といったもの、私の仲間、私の友達、私の家族といったことも、また自分の所有物です。

私の国、私の好きなチーム、私の政党、私の宗教、私の出身地、私の住んでいる街、私の家、私の家族、私の兄弟、私の子供、私の好きな言葉、私の好きな本、作家、「私とはこういう人です」という訴え、などなど私の所有するものは、今の私を作り上げています。

それらは、私が私である証明でもあるわけです。

考える若者


「それらがないと、私とは誰だかわからない。」
「それを手放したら、今の自分がなくなってしまう。」

そんな無意識のおそれから、「私の○○」を手放すのは大変なことです。

実は「私とはなにものでもなかった」「私は無です」と考えることは恐ろしいのです。

ですから、何かを手放さねばならないと思うと、すかさず代わりになる「私」を用意しようとします。

空になってしまうのは怖いので、いつも何かにしがみつき、執着が生まれます。

もともとは、私が所有しようと能動的だったのかもしれません。

しかし、一旦私のものになったあとは、それを手放すことは、私を失うことにつながるので容易ではなくなります。

所有物がなくなることが怖くなってしまったとき、私はそれの所有者でもあるけれど、それに所有される存在になって依存が始まっているのです。

「私がいなければこの子はどうなってしまうかわからない。」
「この人は私がいないとやっていけない。」

一見、私は保護者の立場のようですが、その相手がいないと私が成り立たないなら、私はまた所有される存在になっています。

相手はあなたに依存しているかもしれないし(あなたはおそらくそう思っています)、そうでないかもしれないけれど、一方で相手がいなくては困るあなたも相手に依存しているのです。

さて問題は、あなたが全く新しいものを手に入れたくなる時です。

あなたは何らかの形で、いま持っている何かを手放す選択が必要になってきます。

はっきり意識している場合もありますが、あなたが依存し執着しているものは、手放すことに対して抵抗を示します。

一時的にせよ、あなたの存在を成り立たせているものを手放すのは不安になります。
うまく入れ替えができると確信できないと、新しいものに移行するのが怖くなります。

「今のままで十分だから、そんな怪しげなものには、手を出さないほうがいい」という声が聞こえてきます。

しかし、もともと自分は何ももたない存在だったことを認めるなら、全く違った見方で、やってくるものを受け入れるのではないでしょうか。

「私はいろいろ持っているようでも、そもそも無でしかないのだ」と受け入れることができるでしょうか。

そうなれば、「取捨の義」の「捨」は容易になるのです。
もともと持っていなかったと思えば、捨てるのに抵抗はありません。

選ぶ1


「そんなことはとても無理」と感じるでしょうか。

確かに簡単なことではありません。

しかし、今やっている「取捨」の取引もまた、非常に高度で難しい可能性が高いのです。

あなたのしがみついている度合い、手放すことへの恐れが強いほど、手放すことへの苦痛は大きく、身を引き裂かれるものになってしまいます。

うまく代わりのものを用意して、空白の期間を作らないようにしなければなりません。
手放すものへの未練を断ち切るだけの、新しい存在へのメリットで自分を納得させないとなりません。

そんな難しい自転車操業をやることを考えるなら、もともと自分は何も所有していないのだと認めてしまう方が楽ではないでしょうか。

それには、普段から自分の依存に気づくようにしておくことです。

私の一部分だからと思い込んでいるものは、手放せません。

自分が依存し、それがないと私がいなくなってしまうと感じている、その執着に気がつき認められることが、まずは必要になるのです。

しかしこれは一時的には苦痛のように見えても、手放すことができたときの、あなたの開放を考えるなら、十分に投資すべき試みです。

「あれもこれも捨てがたい」と思っているわたしは、それ自体が苦痛のコレクションなのです。

しかし「失うのは嫌だ、私はそれが悲しい」という思いは、苦痛ではあっても、実際にはそれを持ち続けようとしてしまう場合が多いのです。

つまり、手放すことの恐れを考えれば、今のままの苦痛を続ける方がまだいいと考えてしまうのです。

「せっかく使い慣れてきたのに、新しい機種をまた一から覚えたくないよ。なんのメリットがあるの?」

「昔からそうやってきたんだ。そんなうまい話には騙されないよ。何か怪しいことがあるに決まっている。」

「なんて恩知らずなことを言うの!私がいないとあなた一人ではやっていけないって言ってるじゃない。」

執着することも、ときには楽しいと感じるのかもしれません。
しかし、苦痛のコレクションでもあるのです。

これ以上コレクションを増やしたら、耐えられなくなると感じたら、根本的に考え直す時が来ているのかもしれません。


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あなた自身を受け入れて

プレゼント受け取る男性


おおいなる感謝を持ってあなた自身を受け入れてごらん。

それが何であれ、そうでしかありえない。
だから、それと闘ったりしないように。

事実が心理的な苦痛を創りだすということはけっしてない。
あなたに痛みをもたらすのはあなたの解釈だ。
痛みはあなたが創り出したものだ、
なぜなら、それはあなたの解釈だからだ。

解釈を変えるとそのまさに同じ事実が喜びとなる。

全ての解釈を落としてごらん、
事実はただ事実であり、
それは痛みでも喜びでもない。

選ばないで、より好みをしないで。

ただ注意深くあり、
受け入れ
そして油断なくあれば、
あなたは秘密の鍵を手に入れる。
OSHO

http://www.osho.com/main.cfm?Area=Magazine&Sub1Menu=AboutOI&Sub2Menu=Trademark&CFID=1074896&CFTOKEN=35787691


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遠くにある夢ではなく

遠くにある夢ばかり追いかけないで、今取り組んでいることと、それをやっている自分をもっと評価して楽しんでみたいものです。

今の自分は大したことがないように思えても、あんがい過去の自分が夢見ていたことを実現しつつある自分なのかもしれませんよ。

もっと自信や誇りをもってもいいのかもしれません。

以下は去年の暮れに書いた文章ですが、ふと読み返してみて、どうだっただろうかと考えました。

あまり遠くばかり見ていると、今を楽しむ余裕がなくなりますが、現実に自分が経験できるのは「このいま」しかないのですから。

もっといまを、今の自分をじっくりあじわってみましょう。

゚・*:.。. .。.:*・゜

新年を迎えるに当たって抱負を考える方もいらっしゃるでしょう。

しかしあまり背伸びをしてみても、結局なんにも変わらなかった自分に気がつかされることも多いのではないでしょうか。

やはり自分にふさわしいことに集中してみる方が、やりがいも感じるし、結果も出やすいものだと思います。

しかし、なぜか自分にすぐできることを実行するのは、進歩がないように感じて重要視しない人も多いように感じることがあります。

そこには「今のままの自分では不十分だ」と思っている自分が隠されているのかもしれません。
ですが、今の自分にできることこそ、最優先にやるべきことであり、それをあれこれ考えずに実行することが、新しい道を切り開いてくれるように思うのです。

いくら高尚なことを考えても、人間性という枠を抜け出すことは難しいものです。
むしろ、人間的であることをもっと評価し、今の自分の持っているものを見直してみる方が、ずっと有意義です。

ひらめきOL


人間性は未熟なものと見なさずに、一緒に歩いていく友だと思って付き合っていく方がいいのです。

気がつかないうちに、自分の人間的な面が表に出てくるものです。
自分らしさをダメなものと思わず、積極的に採用してあげましょう。

アインシュタインは、このように述べています。

「人間性について絶望してはいけません。なぜなら、私たちは人間なのですから。」

もっと人間的でありましょう。

いまの自分を責めてみても、何もいいことはありません。

いまの自分こそが、他にはない正真正銘の唯一の実存なのですから。

それでも、自分を責めたくなりますか?

同じくアインシュタインが、このような言葉を残しています。

「どうして、自分を責めるんですか?他人がちゃんと必要なときに責めてくれるんだから、いいじゃないですか。」


【引用】『アインシュタイン150の言葉』
ディスカヴァー・トゥエンティワン / 1997-03-31 /




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サンタクロースはいるの?

サンタクロース写真



クリスマスが近づくと思い出すのがこの逸話です。

『サンタクロースはいるの?は、1897年9月21日、ニューヨークのサン紙に掲載された記事である。
8歳のバージニア・オハンロン(Virginia O'Hanlon)は、サンタクロースの実在性についてニューヨークのサン紙に手紙を送り、それに対する素早い返答が、1897年9月21日に無署名の社説として掲載された。これはベテラン記者フランシス・ファルケルス・チャーチ(Francis Pharcellus Church)の執筆になるもので、多数の言語において一部または全部が書籍・映画その他の編集物、ポスター、切手に使われるという形で、歴史上最も多く複製された記事となった。』


サンタクロースはいるの?

以下のようなコミュニケーションに、直ちに、しかもこのようにすばらしい形でお答えすることをうれしく思う。同時に、誠実な書き手がサン紙の友人の中にいるということは、わたしたちの大きな満足でもあることも表明したい。

ろんせついいんさま。わたしは8さいです。
わたしのお友だちのなかには、サンタクロースはいないという子がいます。
パパは「サンしんぶんにきいてごらん。サンしんぶんのいうとおりだよ」っていいました。
どうかほんとうのことをおしえてください。サンタクロースはいるんですか?
バージニア・オハンロン。
にし95ばんがい115ばんち。

バージニアさん、あなたのお友だちはまちがっています。今はうたがいぶかい時代で、なんでもうたがってみせるという考えかたにえいきょうされているのです。そういう人たちは、目に見えるものしか、しんじようとしません。じぶんたちの小さな頭でわからないものは、ありえないのだと考えてしまいます。バージニアさん、おとなでも子どもでも、どんな人の頭も小さなものです。わたしたちのこの大きなうちゅうの中で、このかぎりのないせかいとくらべれば、あるいは、ほんとうのことやちしきをすべてわかることのできるような知性からくらべれば、人がものごとを正しく知る力というものは、ほんの小さな虫けらやアリのようなものでしかありません。

はい、バージニアさん、サンタクロースはいます。サンタクロースは、「あい」や「思いやり」や「おいのりする心」があるのと同じように、たしかにいるのです。そして、そういったものはたくさんあって、バージニアさんの人生をさいこうにうつくしく、たのしいものにしてくれるのです。ああ ! もしサンタクロースがいなかったら、このせかいはなんとさびしいものになることでしょう。バージニアさんがいなくなるのとおなじくらい、さびしいものになるでしょう。そして、子どもらしい信じるきもちも、詩も、わくわくするおはなしも、なくなってしまうでしょう。手でさわれるもの、目で見えるものにしか、よろこびを感じることができなくなるでしょう。子どもの時代に世界にあふれている、えいえんの光も、きえてしまうでしょう。

以下省略、全文はこちら

http://www.kotono8.com/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%AF%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%AE%EF%BC%9F


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***

バージニアは成長して教職に就き、病院で長く入院生活を送る子供たちのための
学校の副校長まで勤め上げた。

そして、1971年に彼女が81歳で亡くなった時には、
米国の新聞社は<サンタの友達バージニア>という見出しで、追悼文をささげた。

<バージニア。サンタクロースがいるというのは、決して嘘ではありません。
この世の中に、愛や人への思いやりやまごころがあるのと同じように、
サンタクロースもたしかにいるのです。>

112年前の新聞の社説に掲載された思いは、映像があふれかえる今も
みずみずしく感動を伴って、読む者の心にぬくもりを灯してくれる。

確かに、本当に大切なモノは、視覚で感じるものではない!ということを・・・。

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☆~怒りを感じたら枕を相手にしよう⌒☆

怒りというのは、心の吐き気のようなものだ。
あなたの中になにかよくないものが生じて、心がそれを外に放り出したくなっているのだ。しかしそれは、誰か他の人に放り投げる必要はない。

怒りは他の人に向ける必要などない。トイレに行くとか散歩でもしてみることだ。
つまり、あなたの心のなかに動きまわりたい衝動のようなものが生じて、それが解放されたがっているということだ。
ちょとジョギングでもしてみれば開放できるだろう。
あるいは枕を手に取り、殴りつけたり噛み付いたりして枕と戦ってみよう。
あなたの手や歯がもう充分と感じるまでやってみる。
ほんの5分もやればカタルシスが得られるだろう。
そして誰かに怒りを向ける必要などなかった事に気がつく。そんな事をするのは愚かだと。

変容が起きるのにまず必要だったのは、怒りを表現することだけだった。
それも誰か他の人に向ける必要などなにもない。
誰かに怒りを向けたところで、あなたはトータルな満足はえられない。
相手を殺したくなるがそんなことはできない。噛み付きたくなるがそれもできない。枕が相手ならそれができる。

枕というものはすでに悟りを開いている。それは悟った仏陀である。
枕は、何も反応しないし、法廷に行こうとも言わない。
あなたに敵意も抱かないし、なにも仕掛けては来ない。
枕はただハッピーで、あなたに微笑みかけてくれるのだ。
-和尚

OSHO Online ウォールの写真より
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関係性の中の鏡

「わたしは~な人間です」

こんな風に自分のことを表現することってありますね。

「いや私はそんな事考えもしない」と言われる方もいらっしゃるかもしれませんが、あえて考えなくても、人はいくつもの自分に対するイメージを抱えているものです。

しかし、このような固定したかたちで表現される自分とは、実はありのままの自分とは、かなり隔たりがあると思っておいた方がいいでしょう。

固定したと表現したのは、ありのままの自分とは、本来他者との関係性の中で現れてくる動的なものであるということです。

あらかじめ準備された自己の描写とは違って、相手によって、あるいは時と場所によって変化する動的な自分を捉えなければ、ありのままの自分は捕まえられないでしょう。

一瞬一瞬変化するのがあなた自身なのですから、それを捉えるのは、人との関係の中で見なければなりません。

ですから、関係性こそがあなたを映し出す鏡です。

鏡の中の女性


たとえば、あなたが誰かと会って話をするために、いろいろ会話を予想して想定した流れを思い浮かべておくとします。

しかし、実際にその人とあって話を始めてみたら、ぜんぜん想定した流れにはならず、まったく思っていなかったやりとりになってしまうかもしれません。

こんなとき、準備した話が出来なかったことを、どのように捉えるでしょうか?

多くの場合、「相手が予想外の人だった」と考えるか「準備していたことをうまく表現出来なかった」というように考えます。

相手の問題か、自分の問題かは別れるにしても、本当は想定した会話ができたはずだったと考えがちなのです。

予想通りできたかどうかは置いておくとしても、想定していた表現をする自分が、本来の自分だと思っている点に注目してください。

しかし、だとすると実際にかわされた会話とはいったい何だったのでしょう?

実は、こちらこそがありのままの自分ではないのでしょうか。

思うように表現出来なかったけれど、その相手との出会いでは、起きたように行動するのが、ありのままの自分だったと認めなければなりません。

そのような自分は、たまたま現れた仮の自分にすぎないと思っていたのでは、いつまでたっても「ありのままの自分」など見いだせないでしょう。

関係性の中で現れてくる鏡に映し出されたものこそが、本来の自分だと受け入れた時にこそ、自我が創り上げた幻想の世界から抜けだして、条件付けられていない自己を発見する可能性が出てきます。

関係性の中に現れた自分は、思いもしないものだったり、受け入れたくない自分だったり、自分だと認めたくない行動を取る自分だったりするかもしれません。

それを振り返れば、自我がどのような自分を期待し想定しているのかが見えてきます。

よく知っている世界に住む自分のままで落ち着きたいと思うのが普通です。

あえて関係性の中で現れたありのままの自分をとらえようとしなければ、また昨日までと同じ世界が待っていてくれます。

しかし期待している自分を自分だと思っている限り、条件付けられた世界から抜け出すことはできないのです。

それで満足できているのならいいのですが、置き去りにされた「ありのままの自分」は、決していつまでもおとなしいままではいてくれません。

ですから何か自分を生きている気がしないと思う気持ちが、いつまでも解決できないのです。

ありのままの自分を捉えることは、ことば遊びではありません。

作られた自分に合わせようとして、自分の言動を常にチェックし、バレないようにビクビクしながら生きていくという、エネルギーの無駄遣いをやめる唯一の方法です。

ストレスを発散したくなって、様々なお金と時間を費やす必要がなくなる、嘘のような方法でもあるのです。

関係性の中で鏡に映し出される本当の自分を、もういちど見なおしてみたいものです。


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疑心暗鬼を生ず

疑心暗鬼という言葉はよく使われるのでみなさんご存じでしょう。

何かを疑わしいと思い出すと、その先入観から何もかも怪しく見えだしてしまうわけです。

そこでは、冷静で客観的な判断力は失われ、偏った見方にとりつかれてしまいます。
それが「暗鬼が生じる」ということです。

不安


この言葉の元になった寓話とはこんな話のようです(列子「説符篇」)。

ある人がオノを無くしてしまったことに気がつきました。
とっさにこれは誰かに盗られたに違いないと思います。
そう思うと、どうも隣の家の息子が怪しい。
このごろ、自分と出合った時の挙動がどうもあやしい。
目を合わすと、こそこそ逃げ出しそうな様子だし、目をそらしたり、言葉つきもおどおどしているように見えて来る。
こうしたことから、オノを盗んだのはてっきりこの男に違いないと思うようになります。

ところが後になって無くしたはずのオノは自分が谷間に置き忘れていたことがわかりました。そこを掘りかえしているうちに、偶然見つかったのです。
そういえば忘れたかも知れないなと思いながら、家に帰って来ます。
さて、それから隣の家の息子を見てみると、あんなに怪しく見えた挙動やふるまいには、何も不自然さは見えなくなってしまいました。

このように、いったん何かを信じたいと思い出すと、私たち人間の判断力は途端にあてにならないものになってしまうのです。

この話の場合は、疑いがスタートになっているわけですが、その逆に特定のことをどうしても信じたいと思うことがスタートになる場合もあります。

スタートが逆だと別の話にも思えますが、そこにあるのは何かを信じたいという欲求が潜んでいるという点では同じことなのです。

何かを信じたいと思う時には、それと逆の考えは間違っていると信じようとすることに繋がっています。

このオノの話の場合、最初に隣の息子を怪しいと思い出したきっかけは何だったのでしょうか。

彼が誰が見ても怪しいふるまいをしていたのか、それともどこか怪しいと自分の方から思うような理由があったのか、その真相は何ともいえません。

しかし、後で見方が180度変わったということは、先に自分の方で疑いたい気持ちがあったと考えた方が近いのでしょう。

その原因は何かというのは、これまた余計にわからないことですが、たまたまこの息子の中に、自分の過去の経験の嫌な印象を呼び起こすものがあったのかも知れません。

先にこの人は嫌いだとか怪しいと思ってしまうと、現実のふるまいがどうであるかより、疑わしい理由を見つけ出す方に認知が働き出してしまうのです。

嫌いな人間だと思っていると、自分と同じ考えをもっているはずがないと思ったり、さらには嫌な人間であって欲しいと思ってしまうかも知れません。

一方でこの人こそは、私の救世主だと思いたくなる人が現れると、今度は信じたくない事柄には目をつぶって見えなくなってしまいます。
あばたもえくぼじゃないですが、欠点すら魅力的なものに映ってしまうのです。

このような人間の心理の罠にはまらないためには、強い思い入れが生じたら疑ってみた方がいいと言えるでしょう。

「なぜそんなにムキになって信じたいと思い出したのか」、そのあたりを疑う余裕が持てれば、何かにのめり込んで失敗してしまうこともなくなるでしょう。

もっとも、入れ込んでしまうと自分では気がつけなくなるのが、人間の心理の弱いところでもあるのですが。

「なぜそんなにムキになるの?」と時々振り返って見ましょう。
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老荘思想のコラム連載(23)

『COCORiLA (ココリラ) ~癒しのポータルサイト~』様にて老荘思想のコラムを連載中です。

【今月のコラム】

「現代社会と老荘思想(23)」 [2011/11/05] ◇タオイズムの本質『論理でなく知恵』◇

現代社会と老荘思想



◇タオイズムの本質『論理でなく知恵』◇

『論理でなく知恵』をあてにして生きるということを考えましょう。

そうはいっても、私たちもいろんなタイプがいて、普段から論理的に考え、話す人もいれば、感覚的、情動的にまかせるのが自然な人もいますね。

それでも人間社会に生きる私たちは、社会の中での存在として要求される期待に添って生きざるを得ないでしょう。

それらは端的に言えば、言葉で表現された「こうあるべき」という基準です。

あるいは、「私はこういう人間だから(そのように扱ってください)」と自分で意識的、無意識的に外に対して訴えているものです。

自分を論理的だと思う人も、感情的に動くと思っている人も、自分を規定する言葉で無意識に縛り付けながら生きているものです。

ところで「私はすごく論理的です。すべて信念に沿って行動しています。」という人でも、どれだけ一貫して動いているかというと、そんなにあてになるものではないでしょう。

コンピュータのプログラムを書いたことがある方なら、論理的であるとはどういうことかがわかると思いますが、仮に私たち人間の思考をプログラムのコードに落としてパソコンなどで動かしてみれば、一瞬のうちにエラーだらけになって止まってしまうでしょう。

私たちが、論理的だと思っていても、ちょっとしたことで非常に偏った、特定の考えにとらわれた思考になってしまうものです。
ですが自分では、なかなかそれに気fがつきません。
・・・・・・・

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以下のサイトで連載しています

癒しのポータルサイト:COCORiLA (ココリラ)

【今までの連載記事】

「現代社会と老荘思想(1)」 「老子の三宝」
「現代社会と老荘思想(2)」 『道の道とすべきは、常の道に非ず。』
「現代社会と老荘思想(3)」 「すべては、もとはひとつ」
「現代社会と老荘思想(4)」 「無為(wu-wei)」
「現代社会と老荘思想(5)」 「上善若水」
「現代社会と老荘思想(6)」 「柔らかいものが堅いものに勝つ」
「現代社会と老荘思想(7)」 「無為によって全てを成し遂げる」
「現代社会と老荘思想(8)」 「自然な調和を取り戻す」
「現代社会と老荘思想(9)」 「天網恢々、疎にして而も失わず」
「現代社会と老荘思想(10)」 「自然はたえず変化する」
「現代社会と老荘思想(11)」 「役に立たない生き方」
「現代社会と老荘思想(12)」 「冬の川を渡るがごとく」
「現代社会と老荘思想(13)」 「私の本質は波ではない」
「現代社会と老荘思想(14)」 「和光同塵」
「現代社会と老荘思想(15)」「余 地」
「現代社会と老荘思想(16)」「我を張らない生き方」
「現代社会と老荘思想(17)」「聖人は腹をこさえる」
「現代社会と老荘思想(18)」「小魚を煮るように」
「現代社会と老荘思想(19)」「道のまん中が王道なのだ」
「現代社会と老荘思想(20)」「タオイズムの本質とは何だろう」
「現代社会と老荘思想(21)」「タオイズムの本質『シンプルに生きる』」
「現代社会と老荘思想(22)」「タオイズムの本質『自分でやらずに成し遂げる』」




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今日はわがままになってもいい日

今日はわがままを言ってみよう。

◆いつも我慢していることを、もう一つだけ許しちゃおう。

内緒話

◇いい人に見せかけている自分を、「嘘だぴょーん」と告白してみよう。

◆今日は「頑張る」という言葉を禁止してみよう。

◇うまく説明がつかない自分の声を、今日は辛抱強く聞いてあげよう。


不機嫌・怒る


◆ 怒っていることや憎んでいる人がいるのを、素直に認めてみよう。

◇怖いと思って隠していることを、ちょっと覗いてみよう。

虫眼鏡のサラリーマン

◆まわりから人気がないけど自分は好きだということをやってみよう。

◇そんなの問題外だといつも言っていることを、「それは本当?」と問い直してみよう。

◆今日は意地悪な自分がいるのを認めて、許してあげよう。


今日はわがままになってもいい日。

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目的を持つのって。。。

通り道に「○○小学校のマラソンコース」という張り紙がしてあった。
先生や父兄が道沿いに待機しているみたいである。

マラソンの目的とはなんだろう。
ゴールするのが目的なのか、ただ走ることが目的なのか?
それとも目的などないのだろうか。

最後までゴールできたら、「よくやった」と褒めてもらえる可能性が高い。
目的などと大げさに言っても、その起源はこの一言が欲しいだけかも知れない。

かけっこ2


そもそも目的など何も考えずに、気がついたらやっていたということもあるはずだ。

それは、実はすごく楽しいことが多い。

しかし「目的は何だったのですか?」とか聞かれた途端に、色あせたつまらないものに成り下がってしまうような気がする。

社会は「人間の行動は何事も目的を持って為されている」と言う前提で動いているかのようである。
何かにつけて理由を尋ねようとしてくる。よけいなお世話だと思う。

そのように思って見ると、目的を持って行動することは、実はみんな好きじゃないのかも知れない。

目的を重要視するのは、たとえば会社の上司が部下に期待するように、先生が生徒に期待するように、管理する側が管理される側に期待する時にみられる行動だろう。

目的が次々に叶っている間は、目的を持つことが楽しく見えるかも知れないが、本来目的に縛られて動くのは、そんなに楽しいことだとは思えない。

「よくできました」と言ってもらえることに味を占めてやっているだけかも知れない。

せっかく楽しんでやっていたことも、それが仕事になってしまうと急につまらないものになってしまう。

目的や、目標設定、期限、スケジュール、成果の検証などが入り込んできてしまうからだろう。

別に目的を意識して行動することを否定するわけではないし、それが非常に有効な場合も多いのは認めるのだけれど、それでも人は目的などない方が楽しめるのではないだろうかと思う。

この話、結論としては大して面白くない話だけれど、しかしその効果は思っている以上に大きなものがあると思う。

今度何かをやっているときに、目的を外してみる。
あるいは目的を曖昧なままにして、やりたいと思うことをやってみよう。

そうすると目的がなければ、成果を気にしなくていいので実にのびのびと作業が出来るようになる。

予期しなかった寄り道に気がついても、自由に踏み込むことができる。

結果を心配する必要がなくなれば、実にのびのびと晴れやかに行動できるようになる。たちまち鬱は消えてしまうだろう。

目的が入り込んでくるのを阻止するのだ。
そんなものに毒されて、楽しみを台無しにされてたまるかと思って。

目的も、人づきあいの、なにごとも、付き合うときと、拒絶するときを使い分ければもっと楽しいものにできるはずだと思うのです。


ALICE23A.png


「おねがい、教えてちょうだい、あたしはここからどっちへいったらいいのかしら」

「それはかなり、あんたがどこへいきたいかによるなあ」とねこ。

「どこでもいいんですけど――」とアリス。

「ならどっちへいってもかんけいないじゃん」とねこ。

「でもどっかへはつきたいんです」とアリスは、説明するようにつけくわえました。

「ああ、そりゃどっかへはつくよ、まちがいなく。たっぷり歩けばね」

【引用文献】
Alice's Adventures in Wonderland: Japanese
http://www.genpaku.org/alice01/alice01j.html#ch5


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