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エゴは欺く

エゴは非常に欺きやすいものです。
エゴは、自分が聞きたいと思う事だけを聞き続けます。
自分が解釈したいように解釈し続けます。
エゴは事実を見ようとしません。
さらには、エゴはそのままの事実があなたの前に現われないように偽装してしまいます。

エゴの中で暮らしている人々は、エゴのカーテンの裏側で生きています。
それらのカーテンはじっとしてはいません。それらは活発に働くカーテンです。
何であろうとカーテンを通してから、あなたはそれらを見せられるのです。
そこではカーテンは事実を書き換えてしまいます。

人々は自分の創り上げたマインドの世界に住み続けています。
エゴはそれらのの世界(偽りの世界、錯覚と幻想を生み出す世界とよばれるもの)の中心にいて、そのまわりに自分の世界を創り出し続けています。
それらは他の誰とも異なる世界であり、その世界に生きるものだけに存在するのです。

あなたがエゴを落とす場合、そのまわりに創られた全世界をも落とすことができます。
その時初めてあなたは真実をありのままに見ることになるでしょう。
ありのままに、それがそのようであって欲しいと思うようにではなくです。
また、あなたが人生の現実を見ることができるようになれば、真実を知ることもできるようになります。

人生をありのままに見ることが真実への第一歩です。
そしてエゴに頼っているかぎり、それは常に書き換えられてしまうのです。

-OSHO

鏡の中の女性


OSHO Online
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=310583512289622&set=a.166462883368353.37631.162907720390536&type=3

"The ego is very deceptive. It goes on hearing what it wants to hear. It goes on interpreting what it wants to interpret. It never sees the fact. It never allows the fact to reveal itself to you. People who live in the ego live behind curtains. And those curtains are not inactive - - they are active curtains. Whatsoever passes through the curtain, the curtain changes it.

People go on living in a mental world of their own creation. Ego is the center of their world, of the false world -- call it 'illusion', 'maya' -- and around the ego they go on creating a world... which is nobody else's world. Only they live in that world.

When you drop the ego, you drop a whole world that you have created around it. For the first time you are able to see things as they are -- not as you would like them to be. And when you are capable of knowing the facts of life, you become capable of knowing the truth.

The facility of life is the first step towards truth. And ego is the most falsifying agent." - OSHO

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非公開のコメントについては、個人的な内容など公開されたくないものがあるのは理解しておりますので、そのようなコメントについては非公開でメールで回答しております。

しかし現在、毎日大量のメールを処理しておりますので、実名でなくてもいいわけですから、公開して問題ないものは、通常の公開コメントでお願い致します。

その方が、ほかの方が読まれることで参考にもなると思いますので。

質問への回答はそれなりの時間を割いて回答しておりますので、できるだけこのブログの中で回答できるものについては、ご協力、ご理解いただけるようお願いします。

また、どちらにしましても、現在かなり多忙なため、回答を差し上げられない場合もあります。

このところ、非公開にする理由がはっきりしない質問、また公開してみなさまにも見ていただきたいと思う内容のご質問を、
続けていただいたので、この場をかりて、私の考えを書かせていただきました。

質問をいただくこと自体は歓迎ですので、よろしくご理解いただきますようお願い致します。

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責任を回避することのパラドクス

天使1


神様が人間に自由を与えた。

神:自分で自由に選択してもいいんだよ。素晴らしいことじゃないかね。

人:それは素晴らしいようでもあるし、やっかいなようでもあります。

神:自分で選択できることのどこがやっかいなのかね。

人:選択したことが間違っていたとき、後悔したり、自分を責めたりすることになるからです。

神:では自分で選択はしたくないというのかね。それなら社会や誰かの言葉を信じて、それに忠実に従っていればいい。失敗しても自分のせいでないと言い訳できる。

人:でもそれでは、誰かの奴隷になってしまいます。やはり自分で選ぶことも捨てがたいのです。

神:ではなぜ後から自分を責めるんだろうか?そこに問題の本質があるようだね。

人:自分で精一杯やったつもりでも、失敗することがあります。そして失敗した後で、もっとうまくやれば失敗しないでいられたかも知れないと思うと、後悔したり、うまくできなかった自分を責めてしまうのです。

神:それは自分の失敗を正面から認めたくないだけではないのかね。
本当はもっとうまくやれる人間であるという自分のイメージを崩したくないから、失敗してしまった自分のイメージを否定したくなる。
それを巧妙に隠す為に、今回は特別不運が重なったことにしたいだけだろう。

人:でも自分の失敗はやはり怖いです。好きこのんで誤魔化そうとしているわけではないのです。

神:失敗を恐れるのは、ほとんどは社会に生きるために身につけてきた教育によるものにすぎない。
失敗しても誰も何も言わないとしたら、怖がることもやめるだろう。
一方では、人間だから失敗もあると認めながら、いざ自分が失敗するとそれを受け入れられないのは矛盾している。
この後半の部分は、社会に刷り込まれたものに過ぎない。
失敗する存在として、私が君たちを創り上げた時点で、失敗を受け入れるしかないのだ。

人:しかし、犬や猫と違って、人間は社会の中に生きている以上、そんなに割り切っては生きられません。

神:たとえば犬は子どもの頃に誰がボスかを教えられたら、その後は素直にそれに従うようになる。
人間のように、いつか寝返ってやろうなどと考えない。
いったん誰がボスかを決めたら、そんな問題は忘れてしまっているから、くだらない問題に悩まされることはないのだ。
人間は勝手に自分が創り上げたイメージにあわないと、自分を責めるというやっかいな存在になってしまった。

人:犬だってボスに褒められたら喜ぶし、叱られたら悲しむでしょう。人間も社会の中に生きていてこその喜びがあるはずだ。

神:一言で一緒にしてしまうから混乱することになる。
誰かに褒められてうれしいと思ったら、いまそれを喜んで終わりにすればいいことだが、それをいつまでも取っておこうとするところから問題が始まる。
社会の一員になるのもいいが、過去に創り上げた関係にとらわれすぎないでいれば、それは快適なものになるだろう。

人:言葉を使いこなすようになった人間が、その能力を放棄する必要は無いでしょう。言葉を使うようになれば、過去のことも使いこなすようになるのは仕方がない。

神:人間は過去を使いこなせているだろうか?
それが不完全ないまの人間の限界なのだ。
過去に決めたことをいつまでも使い回ししようとするから、現在と合わないことが起きるたびに悩まされることになる。
いつでも、いまここに起きることに責任を取る気になれば、そんな悩みから解放されるだろう。
昨日食べた食事を今日も残っていないか探し回るようなことをしないことだ。今日の食事はいま新しく作るのが当たり前にしてしまえば、過去に使い回されることもなくなる。
毎瞬に責任を取ることを厭わなければ、責任のがれがもたらす被害を受けなくても済むようになる。ずぼらなことをしないことだ。

人:なるほど、昨日の人間関係を今日も期待するから、裏切られたときに悩むことになります。幻想の世界で生きようとするのは、いいときもありますが、やっかいごとも、すべてそこからやってきているような気がします。

神:人間はまだ過去を不完全にしか使いこなせていない。
そう思っていれば、信頼できるいまだけを大事にするようになる。
いま取るべき責任を回避しようとすると、つまり過去の遺産に頼ろうとすると、楽しようとしたつもりが、それ以上の問題を作り出すことになる。
いまに生きることが、本当の意味での勤勉さではないだろうか。


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本当の望みは今この瞬間に

希望という言葉から連想するのは、将来に向けての望みということではないでしょうか。

望みを抱くことは、どこかしら今すぐではなく、近いにせよ遠いにせよ未来を指しているのが当然のように思っています。

しかし、本当の望みというのは、ある瞬間に、過去も未来も飛び越えて抱くものではないでしょうか。

そもそも未来という時間を条件に入れた望みというのは、ほとんどが単なる計画に過ぎません。

どんな遠大な望みだろうと、3分後に出来上がるラーメンだろうと、未来を予測した計画的な準備を指しているだけです。

本当の望みは、何の前触れもなく自分に訴えてくるかも知れません。

それは未来への引き延ばしなど関係がありません。 それを認識できれば、おそらく過去の自分も違って見えて来るような、今までの自分を変えてしまうものかも知れません。

「そうだったのか。これが本当は望んでいることだった。そう思うと今まで自分がなぜこんな風に生きてきたのかがわかってきた。あれは無駄な経験ではなかったんだ!」

叱る母親


ところで、未来へ望みを引き延ばすことは、子どもの頃のしつけにその起源があるのでしょう。

もっともわかりやすい例は、母親から
「おやつ(ゲーム)は宿題が済んでからですよ」
と言われてきたことです。

確かに何でも今すぐ望みが叶わないと泣きわめくのでは困りますから、最低限のしつけは人間社会において必要であり、ペットでさえも要求されるわけです。

これによって望みとは未来への遅延を含むもの、いまの我慢との引き替えに将来もたらされるものという図式が出来上がってきたのです。

計画を立てて、準備期間は我慢をする期間だと思って納得するようになります。

時代によって言い方は変わっても、計画を立て、それが達成されるまでは不自由でもそれに従うことを言い聞かせる教えが存在し続けてきました。

いろいろな成功法則がアメリカなどから輸入されて、中には自分は人とは違う法則に沿って生きているんだと言い聞かせている人もいるかもしれません。

このような考え方では、計画が時間を要するものであるほど、遅延期間は長くなります。

ときどき、毎日同じことの繰り返しをしていることに嫌気がさしてきて、本当にこれでいいのだろうかと思ったりします。

しかし、そこは成功法則というもの、抜け目なくそういうときの対処法が考えられているはずです。

「見てごらん、思い浮かべてごらん。

この先に待っている豊饒の世界を!

それがあなたのものになるんだよ。」

そう思い起こして、弱音を吐いてはいけないと自分を戒め、文句を言う自分を恥ずかしく思い、そんな感情はしまい込んでしまうのです。

夢見る女性


時間がからんでくる望みは、過去の欠乏感を改善し、未来にそれが満たされるようになるというエゴの思考が描き上げたものに過ぎません。

それがどんなに社会的に好ましいことであろうと、名誉なことであろうと、なんであろうと実体は同じです。

それがたとえうまく実現したとしても、それによって満たされたと思うのは、エゴの縛りからの解放だけであり、あなたの望み自体は何もかなえられてはいないのです。

あなたが本当に望むこととは、今この瞬間にあり、直感的で将来とか過去は関係ありません。

それが見えて来るためには、自分の行動が今の自分を創りだしていることを本当に理解して、自分の望みが何かを本気で選択しなければなりません。

今までの成り行きで「これを望むしかないから」といった言い訳を一切やめましょう。

自分が望むと言ったからには、それに責任を持たなければなりません。

他の人が何を言ったとか、許可しないからとかといった理由は、単なる責任逃れでしかありません。

かつて子どもの時には従わざるを得なかったとしても、今は状況が違うのです。

自分で選べるし、選ばなければならないし、選んだことには自分で責任を持つしかないのです。

それを本気で認識できてこそ、

本当の望みが何かを、自分の言葉で言い切ることもできるわけだし、

それが今まで隠れていたとしても、徐々に姿を現してくるでしょう。

言い訳を続けて、先で後悔しないことです。

「こんなことなら、本当にやりたいことをやっておくんだった」というように。

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あらゆる苦しさの源には

あらゆる苦しさの源を探ってみると、

自分がなにものであるかを主張したがっている

「私」がそこにいるのを発見する。

そんな「私」とは、淡いつきあいでいよう。


「私」は、なにかが起こって自分の築き上げた観念の城が、崩されてしまわないかを恐れています。

誰かの意見が自分の信念に脅威を与えそうなら、攻撃するか無視するかが緊急の関心事となります。

自分の信じている世界が壊れることを恐れて、脅威にはなりふり構わず抵抗し、疑り深くなったり敵対的になってしまいます。

しかし、問題はこのような観念は観念に過ぎないことがわからなくなり、脅威を感じると自分そのものの価値への脅威と勘違いしてしまうことです。

自分のアイデンティティが、このような観念の固まりでできあがっていると信じているので、これを破壊しようとするものには、相手が誰であろうと真剣に戦おうとしてしまいます。

そうしないと「私」が破壊されてしまうと感じてしまうのです。

考える若者

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リラックスのパラドクス



OSHO Japanese

OSHO:リラックスしようとしてごらん、すると今までよりもっと緊張を感じることに気づくだろう。
懸命にやろうとすればするほど、もっともっと緊張を感じるだろう。
くつろぎは結果ではないし、何かの行為の果てにやって来るものではない。
それは理解の輝きだ。



「原因があって結果が得られる。だから、原因を作り出すのだ。」

こう考える時、私たちのやるべきことは原因を作り出す努力にあると考えてしまいます。

やがて「努力をしない人は結果を得られなくても仕方がない」と考えるようになります。

それは、自分に対しても跳ね返ってきますから、結果が出ないと自分の努力が足りないせいだと決めつけて、自分を責めることになります。


努力が伴う行動は緊張を生み出します。

努力なしにできることは、緊張を伴わずに自然にできます。

別の言い方をすれば、前者は「仕事」であり、後者は「遊び」だと言えるかも知れません。

小さな子どもは別としても、大人になるにつれて、私たちはこのいわゆる「仕事」をしていないと後ろめたく感じるようになります。

「仕事」だから嫌なことでもやっているのだと思うし、いい加減なやり方(つまり努力や緊張を伴わないやり方)は、それは「遊び」だといって状況によっては非難の対象になります。

しかし、努力や緊張が伴うことというのは、今の自分が自然にやっていたのではできないことをやろうとしているということです。

緊張感というのは、自分でも気づきやすい感情や身体の反応ですから、これになじんでいると、そこに社会の価値観が加わって「緊張が伴わない状態=結果を生み出さない状態」と考える様になります。

これが緊張感がないときは、だらけている、サボっている、怠けているという評価に繋がっていきます。

誰かに言われるまでもなく、自分で自分の状態を判断して、努力の伴わない状態に
あると考えたら自分を制御できるようになると、それが大人になったと呼ばれます。

しかし、その緊張や努力が本当に必要があるのかどうかは、余り顧みられないのではないでしょうか。

緊張が伴わない状態が悪いわけではないし、リラックスしないと生み出されないこともあるのですが、なにかと努力しない状態を続けることに後ろめたさを感じてしまうのです。

「休憩」という名前をつけないとそれが出来なくなってきます。

そして、何をするにも原因を作り出す努力が必要なのだと考えてしまいます。

その結果「リラックス」について取り組み出すとなると、リラックスするには「何をすればいいのか」を考える様になり、「リラックス法」を努力して身につけようとしたりします。

ですから、あえて「くつろぎは結果ではないし、何かの行為の果てにやって来るものではない。」といわれないと、リラックスするとはどういうことかがわからなくなってしまうのです。

何もかも「努力によって生み出される」と考え過ぎないようにする必要があります。

リラックスすると言うことが理解できなくなってきたら、原点に戻って、緊張が伴うのはそこに何があるのかを振り返って見るといいでしょう。

そうしないと、リラックスしようと努力することになります。

「リラックスしようとしてごらん、すると今までよりもっと緊張を感じることに気づくだろう。」

これがリラックスのパラドクスです。

「太陽が毎朝昇るのは、私が努力しているからだ」と考える人は余りいないでしょう。

そんな馬鹿なこと誰も考えないと言うでしょうが、何もかも自分の努力によって生み出されると信じ込むようになってくれば、あながち馬鹿なことでもなくなってきます。

時に「手放すこと」、「あずけてしまうこと」を許せるようにならないと、リラックスのパラドクスから逃れることができなくなります。

それは、常に緊張を強いる状態を続けることになり、身体が悲鳴をあげるまでそれを続けることになるでしょう。

努力が正当に評価されるのは、適度なスパンでそれを使うからであって、四六時中努力の人であるのは考えものです。

リラックス出来ないと感じる様になったら、何もかも努力によって解決しようとしていないかを振り返って見ることです。

あなたが努力しようがしまいが、太陽は明日も昇るのです。


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制限している自分を解放するには

思い切って飛び込めば、新しい世界が開けそうな気がする。

だけど実際には動こうとしない。

入り口まで入ってみるのだけれど、知らないことばかりで尻込みして帰ってくる。

自分に正直に振り返って見ればこういう言い方もできるのですが、実際にはもっといろんな理由をつけてやらないことを正当化していることが多いでしょう。

大人になるほど、正当化はうまくなるものですから。

私たちは、自分の知らない世界を怖がります。

その傾向は、知っていることが増えるほど怖がる対象が増えるものかもそれません。

なまじっか知らない方が、怖いもの知らずでいられるということもあるからです。

子どもは知らないことが多いから、こんなにいっぱい自分は覚えられるだろうかと謙虚に思いますが、大人になるにつれ、いつしか自分はもうすべてわかったと思うようになります。

それは1つの経験が類似のことにも流用できるということがあるため、ある程度経験を積めばもう大体わかったことにしてしまうからかもしれません。

例えば算数で鶴亀算を習って苦労していた子どもが、魔法のxを使う方程式を覚えると、もう○○算など必要ない、これですべて解けるじゃないかと喜びます。

しかし汎用的なやり方を身につけるほど、柔軟な思考力は失われる傾向にあります。

数学のように前提がハッキリして閉じた世界では問題なくても、一般の世界をルール化することはそう簡単にはいきません。

どう解釈するかはいくつも考え方が存在するわけですし、どれもこれさえわかればOKというわけにはいきません。

ですが、思考の方はそんなことは無視して、自分の知っていることですべてを理解してしまいたいと願います。

そして、いつまでも純粋に原理を考えたりしないで、現実の問題に対処することだけを考える様になってきます。

やがて、世界をどう解釈するかは自分の中で固定したやり方が固まってしまうのです。

方程式を覚えた子どもが○○算に戻ろうとしないように、自分のやり方で世界を理解して押し通そうとします。

ですが、実際に経験し確かめてことでなければ、自分では説明がつくと思っていても、いざやろうとすると怖いのです。

そうやって、頭ではわかってはいるけど実際に飛び込むのは怖いということが増えて来ます。

そこには、自分が強引にわかったつもりになりたくて作り上げてしまった世界観があります。

しかし、実際に経験したことのない作り上げた世界観は、現実とは一致しないかもしれないわけで、もしそういうことが起きると自分の積み上げてきた世界が崩れ去ってしまうと思って怖くなるのです。

背伸びをする女の子


そんな制約を持たない子どもは、もっと大胆に知らないことにも挑んでいきます。

世界を説明出来るものにしようと思うことは、科学を発展させ、便利な世界を作り上げましたが、一方で説明のつかないことへの恐れもその裏側にくっつけて進化してしまったのです。

未知のことへの恐れは、知っていると思っていることが多いほど、それが崩れることの恐れが加わって臆病になります。

長々と引っ張ってきましたが、こういった意味の恐れを軽減して、未知のものに挑戦することをもっと易しくするには、知っていると思うことを一度リセットしてしまうのが早道です。

自分はちっとも知ってはいないこと、世界はいたるところ未知のものだと認めてしまえば、純粋に最初の踏み出しの勇気だけあれば新しいことに挑戦できるようになります。

その時の痛みは、自分で世界を作り上げてしまっているほど強いものになるでしょう。

世界を自分のよく知っているものに変えたいという欲求も充分わかります。
しかし、それが行き過ぎれば、未知のことに対して、小さなことも挑戦するのが怖くなってしまうのです。

時にはドンキホーテのように勝算のないものにも立ち向かう勇気が必要です。

考えてもわからないことは、文字通り無駄な行為ですが、考えればいつかわかるという思いが捨てきれないのです。

何にでも自分で答えを出したいというのは執着であり傲慢な姿勢です。
目をつぶって、他のわかることに取り組もうと思えば、今日のような青空が拡がってくるでしょう。

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世界は私の投影だ

ひとたび世界はあなた自身の投影だと悟れば、あなたはそれから自由だ。

あなた自身の想像のなかにしか存在しない世界から自由になる必要はない!

いかにその絵が美しくとも、あるいは醜くとも、それはあなたが描いたものであり、あなたはそれに束縛されないのだ。

誰もあなたにそれを押しつけてはいないということを悟りなさい。

それは想像を現実と見なす習慣によるものなのだ。

想像を想像として見なさい。そして恐れから自由になるがいい。

アイ・アム・ザット 私は在る―ニサルガダッタ・マハラジとの対話
ナチュラルスピリット / 2005-06 /


このようなマハラジの言葉がある一方で、あまり突き詰めて考えないかも知れませんが、私たちが常識的に思い浮かべてのはこんな世界ではないでしょうか。

世界はあなたとは関係なく存在し、あなたはその中に放り込まれた一員に過ぎない。
世界は他の人にも全く同じように存在し、同じように見えていて、だからあなたが見たものは、隣の人にも全く同じに見えている。
あなたの存在とは関係なく、世界は独立して存在する。
あなたがどう思おうと世界は変わらない。



しかし、これが正しいのはあなたの作った世界の中にいる限りにおいてです。

いいかえれば、この世界はあなた自身なのです。

隣の人があなたと同じように世界を見ていると信じるのも、あなたがそういう世界を作りだしているからです。

あなた自身は、実は常に新しく世界を創造し続けているのです。

その都度見方は変化しているのだけれど、昨日と同じ一貫した世界を望んでいるから、今日は違う私が存在することは認めようとしない。

一貫した世界を望むから、隣の人はあなたの思い描いた世界の筋書き通りの人でいてくれることを期待します。

その人が昨日と違う事を言えば怒りだすのです。

あるいは今日のあなたは変化していて、相手が昨日と同じことを言っていたら気に入らないかも知れない。

あなたが世界は怖いところだと信じていれば、まさにそのように世界は怖い存在に見えるし、やがてそれに合うような世界をあなたは創りだしてしまう。

想像するものを現実だと思うのは、長い習慣が作りあげたものにすぎないと本当に気がつけば、自分が作りだした世界に脅えたり束縛されることはなくなるでしょう。

そのかわりに、毎瞬、毎瞬、想像でない目で世界を見てみれば、あなたが思っていたのと違って、世界は何もあなたを束縛しては来ない。

世界はあなたの想像ほど酷くはないし、あなたの想像ほどあなたの理想通りでもない。

肝心なのは、あなたが創り上げた世界で生きるなら、常に理想と現実の食い違いが起こり続けてトラブルに見舞われるということです。

そして、本来の自分自身でないものを捨て去る決心をすれば、それだけ自由になれるし、期待した世界のように突然食い違いが起きてくる恐れもなくなります。

鏡の中の女性


宝くじを買ったとします。

当選発表までは、もしかしてという期待感を味わいワクワク、ウキウキするかもしれない。

そして、ほとんどは期待はずれです。

期待はずれはわかっていても、それでもやはり失望を感じているのです。

しかしあなたは「宝くじだから外れは覚悟していたよ」と納得したようなことを言いながら、その裏では失望を隠そうとする。

考えずにこのようなことを続けていれば、ある日腹を立てている自分を発見します。

いくら確率だと言っても、「たまには当たってもいいはずだろう、こんな世界は間違っている」と。

そして、いままでの失望を蓄積を一気に嘆き、発散したくなるのです。

ついでに他の不満も蘇って来て、世界はままならぬものだと確信を強めます。

もともと宝くじなどないつもりで生きていれば、こんなことは起こらないわけです。

宝くじは、世界がこうあって欲しいというあなたの期待が創りだした想像の世界です。

しかし、いつのまにか「これがこの世界そのものだ」と思うようにすり替わっていくのです。

そう思っていても、なにもない世界では退屈だと決め込んだり、予想できない世界は怖いからと先手を打って世界を創りだしてしまうから、その「あなた特有の世界」にあなたは入り込んで悩み苦しむことになります。

自分で創り出しておいては、その問題を解決するのが現実というものだと思っているので、それ以外の、「ありのままのいまを生きる」ことなど思いもよらないものになってしまうのです。

「あなた特有の世界」を壊して手放してしまえば、その分あなたは自由になります。

いつもの気苦労もなくなり、何も束縛されない自由に戸惑いながらも、その時初めて「いま」を純粋に味わうという余裕も出てくるでしょう。

それは、いつか問題がすべてなくなったらやりたいと思っていた生き方ではないでしょうか。


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もし落ち込んでいるのなら...

もし今あなたが落ち込んでいるのなら、何かで怒っていないかを確かめてみましょう。

怒りは、外に向けられないと内側に向けるしかないのです。

内側に向けられた怒りは、何もできないあなた自身を責めて鬱にさせます。

外に発散できないあなたの無力さを責め、かといって自分を責めることにも納得できない。

進むことも退くこともできない罠に陥った状態があなたを鬱に向かわせるのです。

「何を怒っているのだろう」

「誰を怒っているのだろう」

もし当てはまるなら、正直にそれを表に引っ張り出して確認しましょう。

無意識のまま積み重ねていては、外側をどう変えても元気にはなれません。

意識して「私は○○を怒っている」ことを認めることです。

うつむく男子


「私なんかが責めてはいけない人」に感じている怒りはないでしょうか。

相手が誰であろうと、あなたに怒りを感じるのを禁じる権利はありません。

相手が誰であろうと、あなたは怒りを感じることを自分に許してもいいのです。

もしできないと思っているなら、なにがそうさせるのか、誰がやってはいけないと言っているのか、それを追跡してみましょう。

あなたには負い目があって、怒りを抱いてはいけないと思っている。

あるいは、あなたは自分の怒りを認めたら、とんでもないことが起きてしまうと思って、それを認めるのを怖がっているのかも知れません。

「誰かが怒ると怖いことが起きる」と子どもの頃に感じ、怒りの感情を封印しようとしたかも知れません。

あなたは、内面で怒りながら、怒ることは良くないことだと言い聞かせ、引きつった笑いを浮かべます。

怒りを感じた自分に気がつくと、わけがわからなくなって混乱する人もいます。

混乱してしまうことで、怒りを認めないでもいいようにです。

おこる男の子


「私は本当は怒っていたのだ!」と気がつくだけで、あなたの鬱は消え去っていきます。

「自分を閉じ込めていたのは、認められない怒りにあった。」

そのことがわかれば、あとは正当なやりかたでそれを表現するだけです。

表現するといっても、面と向かって言えないとか、相手がもう存在しないかも知れません。

それでもイメージの中でそれを表現するだけでも効果はあります。

怒りを表現するのは、相手を責めることとは違います。
相手はその人が思うことをしているだけ、あなたはそれに怒りを感じた。

それ以上でもそれ以下でもないはずです。

自分を怒らせた相手を責めていること自体が、自分が怒りを表現するのを禁じることに繋がりかねません。

相手はそのようなことを言ったりしてはいけなかった。

そう強く思うあなたは、自分の行動も相手を怒らせてはいけないと思うわけです。

肝心なのは、自分が怒りを感じていたことを認め、その怒りを自分が表現するのを見ることです。

誰か第三者に自分の感じていることを聞いてもらうだけで、きっかけが掴めるかも知れません。

頭ではなく、身体全体で怒りを感じている自分を感じられればいいのです。

もしあなたが、いつも自分の行動に説明が必要だと思っているなら、それが足かせになっているのかも知れません。

自分に責任を持つとは、すべての行動を説明出来ることだと信じていると、説明出来ない自分を許すことができません。

「うまく言えないけれど、私は怒っているのだ、悪いか?誰にも文句は言わせない!」と言ってみましょう。

それを意識してやることが、いままでとは違う結果をもたらすのです。

そうしないと、あなたは無意識のうちに、いままで通りの同じことをやってしまいます。

そちらの方は、いわゆる「切れた」状態に陥ってしまうという現象です。

ため込んだ怒りのあまり「切れて」それを誰かに当たり散らしても、うまく治まることは期待できません。

それどころか、まわりから怒りだすと手がつけられない人に見られてしまいます。

そして、あとからそんな自分を余計に責めることになるという後始末が待っているのです。

怒りを無理やり消すことは出来ません。

意識してそれを自分のコントロールのもとで発散する手段を見つけるのです。

怒りは正当に扱えば、破壊的な感情でもないし、禁止すべき感情でもないのです。

それは、うまく付き合っていく必要があるし、あなたに恩恵をもたらす感情でもあります。

それには、曖昧なままで「怒り」を扱っていていては、うまくいきません。

怖がらずに自分の怒りの源を探り当て、それをハッキリ認識して受け入れて、さらには、それを表現する権利を自分が持っていると認識した上で表現するのです。


ちょっと気分が滅入ったら、何が起きたのかを探ってみましょう。

鬱の多くは「誰かを怒っていますか?」という問いかけに、正直にこたえるだけでも改善できるのです。

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現実とあなた自身のずれがなくなるほど、あなたは無理している自分を発見できるでしょう・・・
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傷つけられた私の怒りと復讐

あなたは誰かがちょっと触れただけで、傷つけられたと感じてしまう可能性があります。

それは、あなた(エゴ)が他の人はあなたを傷つけるものだと思い込んでいるから。

あなた(エゴ)は自分の傷を持ち歩いて、誰かを待ち構えています。
あなたにちょっと触ったら、
あなたに何気なく声をかけただけなのに、
誰かがあなたの傷にさわったと感じてしまう。

しかしあなたにはそう見えても、誰もあなたを傷つけようと思ったりしていません。
それどころか、誰もが自分の傷を守るのに忙しい。
人を傷つけている暇なんかありません。
ひたすら自分の傷を守るのに忙しいのです。

「あなたの傷の扱いに注意しなさい。
それを大きくするようなことをしてはいけない。
それにさわらないで癒されるにまかせるのです。
あなたが根源に向かっていれば傷は癒されます。
あなたが頭(エゴ)で考えなければ、それだけ傷は癒されます。
あなたが頭を空っぽにすれば、そこには傷は何も存在しない。
頭を使わずに生きなさい。
トータルな存在として生きて、物事をそのまま受け入れるのです。」

怒っているハート


「一日だけ、24時間だけすべてを受け入れることにして、なにが起きるか確かめてみましょう。

侮辱されてもただ受け入れて、それに反発しないでいる。
すると何が起きるでしょう?
あなたは突然、いままで感じた事のないような、エネルギーが復活してくるのを感じるでしょう。」

誰かがあなたを侮辱する。
あなたは惨めに感じ、混乱させられて、どうやって相手に復讐してやろうかと画策を始めてしまう。

昼も夜もそのことばかり考え出す。
1ヶ月、1年と復讐を考えて、よく眠れず、夢でもそれが登場してうなされる。

あなたの貴重な人生は、この復讐のために台無しになる。
あなたは、いまを生きてはいない。
あなたは、復讐劇の中に生きていて、現実の生活はおまけに過ぎない。
復讐することが生きることの代わりをしてしまう。

楽しんでなんていられない。
いまを生きてなんていられない。
そんなことをしたら復讐の手がゆるんでしまう。
復讐こそが、我が人生なのだ。

それもこれも、誰かがあなたを侮辱したことが始まり。
あなたのエゴがかってに戦いを始めてしまった。

そこでただ聞き流して、受け入れて、何も反発しなければ何も起こらなかった。
そうすれば、得られたはずの膨大なエネルギーが、あなたが頭を捨てれば蘇ってくる。

エゴの復讐劇に乗っかるのをやめるだけでいい。

もともとそこには、何もない。
あなたを侮辱した人は、何か理由が有ったのかどうかもわからない。
本人すら、何でそんなことを言ったりしたのか、覚えているかどうかも怪しいものだ。
もちろん、あなたを苦しめてやろうなどと思っていることはまずなかっただろう。
そんなことよりも、自分の傷を心配する方がよっぽど気になっているのだから。

人が傷つくようなことを言ってしまうのは、自分の傷が刺激を受けてしまったからに過ぎない。
自分の傷を触られそうだと感じるとき、慌ててしまう。
それを守ろうととっさに身構え、なりふり構わず必要なら相手を攻撃する。

なにが逆鱗になるかは、ひとりひとり違っている。
しかし、何も知らずに相手の逆鱗に触れてしまえば、あなたは反撃を受けてしまう。
それが今度は、あなたの逆鱗と結びついてしまう。
げきりんは、一時的にあなたを無敵モードにしてしてしまう。

そうやって、あなたはそれに立ち向かってしまった。
エゴにそそのかされて。
「こんな侮辱は許されてはならない。正義を守らねばならない!」

あなたは、全体として生きることを捨ててしまう。
あなたの関心は復讐にある。「この私の傷を見てみろ!どれだけ傷ついたと思っているんだ」
傷に障るたびに、怒りが生々しく蘇ってくる。

おそらく、相手も、そして誰も忘れてしまった出来事のために、
あなたは自分の他の生き方を捨ててしまった。
エゴと復讐に生きることに、いまを生きることを捨ててしまうのだ。

復讐劇をやめてみる。
誰かが侮辱しても、あなたを押し倒してきても、今日は何もしないでうちに帰ろう。そして、いつものように思い出したり、何かしてやろうと考えるのをやめてしまう。
そうすれば、何も起こってはいなかった。
あなたが傷をいじり回すのをやめたら、傷は自然に消えていく。
観察日記をつける必要も無い。
あなたは傷のことなんか忘れてしまう。
そして、あるときふと気がつく。
たしかここに傷があったような気がしたけど、いまはなにもない。
勘違いだったのかな。

そんなことよりも、復讐をやめて蘇ったあなたのエネルギーで、いまを生きることの方が忙しくなっているのだ。
復讐しようとしていた時を振り返って見れば、いかにあなたが馬鹿なことをしていたのかに気がつくだろう。

「だれもあなたを破壊することはできない、ただあなたを除けば。
 だれもあなたを救うことはできない、ただあなたを除けば。
 あなた自身がユダであり、あなた自身がイエスなのだ。」


Angry All The Time? Try Osho's Anger Management.OSHOtimes』より

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『暗闇が太陽をストーカーだと訴えた』

心理的な問題を作り出すから怖れは存在する。それは現実に存在するのではない。
最初に理解すべきなのは、心理的な苦痛を溶かすこと、そうすれば問題は消えてしまう。
たとえば、老いを考え出すと年を取るのが怖くなるけれど、実際に年老いた人は現実に脅威を感じてはいない。現実にその場に直面すれば、それをあれこれ考えている間に作りだした恐怖や痛みは消えてしまう。
・・・・
古い寓話があります。

暗闇は神様のところに来て「もう我慢できません!」と訴えた。
あなたの太陽が私をいつも追いかけてきます。
休もうとするとそこに彼(太陽)がやってくるから、私はすぐに逃げ出さないとなりません。
私は休む暇がないのです。
私は彼に何も悪いことなどしていないのに、こんな不当な仕打ちは許されません。
正義の裁きを下してください。

神様は太陽を呼び出して、なぜ彼女(暗闇)を追い回すのかと尋ねた。
彼女が何をしたというのだ。
太陽は答えます。「わたしは彼女を知りません。見たこともありません。」
見知らぬ彼女に何かをすることなどできません。
彼女を呼び出して、私の前に連れてきてください。そうすれば彼女と話すこともできます。
彼女の存在などいま初めて聞いたのですから。

しかし、この会見は実現しないままである。
かれらは同時に同じ場所に存在できないから。
暗闇は、太陽が存在するときにはそこにいることができないし、
暗闇が存在するときには太陽はそこにいることができない。

まさにこの関係が、心と現実の間にも存在する。
心の持ち方に問題があるのであって、現実には問題は存在しない。
あなたが心の問題を解かしてしまえば、それはその中心に存在するエゴも溶かしてしまう。
あなたが実存から自分を切り離さなければ、朝露が太陽が昇るにつれて消えていくように、問題は蒸発して跡形なく消えてしまう。

つまり、現実という太陽が存在しないあいだだけ、心の問題(暗闇)は存在できるのだ。

夕陽4

・・・・
『和尚が、痛みを心理的側面と物理的側面から説明する』より
Osho Explains Psychological & Physical Aspects Of Pain. | | OSHOtimesOSHOtimes
http://oshotimes.blog.osho.com/2010/11/osho-explains-psychological-physical-aspects-of-pain/

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『過去からくる感情』

いま感じていると思っていても、そこに説明やお話がくっついているとしたら、それは過去から来た感情です。

きっかけは目の前の出来事かも知れませんが、過去のストーリーが入り込んでくると、目の前のこと、今起きていることは脇に押しやられて、ストーリーが今を占拠してしまいます。

そうなると、今そのことが起きているかのように、ストーリーの中に入り込んでしまっている自分を発見するのです。

しかし、そのストーリーは今とは関係ありません。

いま起きていることではありません。

このことをしっかり目を開いて確かめることです。

今起きていることではないにもかかわらず、ストーリーは今を横取りし、その結果いま目の前にある体験が失われてしまいます。

過去のストーリーは、楽しいことよりも、怖れや過去の不満の蒸し返しであることの方が多いでしょう。

それに入り込めば、いまとの接触は失われます。
ですから後で振り返ると、その時間何をやっていたのか思い出せません。

目に入ってくるもの、聞こえていたもの、何を食べていたのかとか、ちっとも覚えていないのです。

ただ多くの場合、何となく嫌な気分になってしまっているのに気がつくのです。

いまを生きたいのなら、過去のストーリーを含む感情には注意しましょう。
それは、ハイジャッカーだからです。

ためいき2


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変容がなければ成長しない

「しまった!やってしまった。」そう思ったとき、私たちの取る態度は2通りあるでしょう。

たいていは、今の自分を何とか守ろうとします。
要するに仕方がなかったんだという理由を探し求めて、今までの自分を弁護しようとするのです。

もう一つの道は、その失敗を試練と受け止めて、今までの自分から変容するきっかけにするというやり方です。

複雑に見える人間の心理も、突き詰めて考えればこういった小さな選択の繰り返しに過ぎないのです。

さっさと負けを認めて、次々起こってくる新しい出来事を受け止めることに、エネルギーを使おうと決めれば、無駄などうどう巡りで貴重な時間を潰さなくても済むでしょう。

無駄などうどう巡りとは、こういうことです。

雛壇に座る女の子


とげがささっちゃった!

ライナス:
 イテッ!
ライナス:
 とげがささっちゃった!
ルーシー:
 どうかしたの?
ライナス:
 指にとげがささっちゃった...
ルーシー:
 あらそう!それは何かの罰があたったのよ!
ルーシー:
 最近どんな悪いことしたの?
ライナス:
 悪いことなんて何もしてないよ!
ルーシー:
 とげがささってるんでしょ?
 それが不幸の兆候なのよ。そうでしょ?
 悪いコだったから罰せられて不幸になるのよ!
チャーリー・ブラウン:
 ちょっと待ってよ...
ルーシー:
 あんたに何がわかるのチャーリー・ブラウン?
 これは兆候よ!ハッキリとした天罰の兆候なのよ!
 ライナスはとっても悪いことをしたんだわ。
 それで彼は不幸な目にあうのよ!
ルーシー:
 私、こういうことはよく知ってるのよ!
 私は何でも...
ライナス:
 あっ、抜けた!
 とげがたった今抜けちゃったよ!
ライナス:
 かくて今日の神学の講義は終わりね。




とげが刺さったらその痛みを感じ、
とげが抜けたら素直に喜ぶとき、
そこには説明はいらないのです。

参考
いいことから始めよう―スヌーピーと仲間たちからの生きるヒント
エイブラハム・J. ツワルスキー 新潮社 / 1995-02



ルーシーは何とかこのとげが刺さったという出来事で、今の自分を権威づけたり役に立つ存在として自分を見せようとします。

しかし、「あっ、抜けた!」という一言で、もろくもその企みは崩れ去り、何も言えなくなってしまいます。

ライナスは幸い「とげ」を大事にしようとは考えていません。

ただとげが刺さったという出来事が起こり、やがてそれが抜けて事件?は何事もなかったように過ぎ去っていきます。

とげが刺さって大さわぎを続け、同情を求めたり、「悪いコだったから罰せられる」ゲームに参加することもできます。

しかしライナスはとげは抜いてしまえばそれで終わり、そんなことよりも他の楽しいことに出会うことを選んだわけです。

ルーシーは起きたことに必要以上に意味を持たせて、時間をストップし、その中に生きようとしたのです。

今自分が持っている才能を発揮するのは重要なことです。
ルーシーがとげの抜き方を教えようとしたのなら、それは有用なことであり、とげを終わりにして変容へ向かう成長の可能性があります。

しかしルーシーの言葉は、もっともらしく見えても、いまの自分にとどまり変化を受け入れない巧妙な罠になりかねません。

ルーシーの「神学講義」にどれほどの意味があるのかはわかりませんが、未来を保証する予言に生きるのは、常に現実を先取りして失敗を怖がりながら生きることに繋がります。

それは同時に依存する対象を持ち続けると言うことです。
つまり、誰かを、何かを信じてしがみつく必要があるのです。

それを外れてしまうことを怖れ、そのような気配を感じると、そんな自分は無視して否認しなければなりません。

喜ぶ子ども


「お先真っ暗」という言葉がありますが、先は誰にも見えないものです。

先のことを明るく見せかけようとする工作が、変容を拒否し、いまのありのままの自分すら受け入れられなくしてしまいます。

無理やり明るく見せかけなくても、暗くても明るくても、未来は未知のものだと受け入れてしまえば、新しい挑戦でしかないのです。

未来を予言したいのは、今の自分で押し通したいからであり、逆に今の自分にしがみつくことが、未来を予測可能にするしかないという悪循環に陥っているのです。

そもそも、自分の言ったことは二度と訂正できない生き方なんて、窮屈で仕方ないでしょう。

とげがささったら、とりあえず抜くことに集中して、それを終わらせてしまいましょう。


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老荘思想のコラム連載(22)

『COCORiLA (ココリラ) ~癒しのポータルサイト~』様にて老荘思想のコラムを連載中です。

【今月のコラム】

「現代社会と老荘思想(22)」 [2011/11/05] ◇タオイズムの本質『自分でやらずに成し遂げる』◇

現代社会と老荘思想



◇タオイズムの本質『自分でやらずに成し遂げる』◇

自分の力でやったと思い込んでいると、やがて本来の力を素直に発揮することを離れて、いかに他人にアピールするかに気を取られるようになります。

そのため本来持っている能力以上に、自分の力を見せようと背伸びして無理をするようになります。

そしてそのことがやがて自滅をまねくことになるのです。
 
・・・・・・・

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以下のサイトで連載しています

癒しのポータルサイト:COCORiLA (ココリラ)

【今までの連載記事】

「現代社会と老荘思想(1)」 「老子の三宝」
「現代社会と老荘思想(2)」 『道の道とすべきは、常の道に非ず。』
「現代社会と老荘思想(3)」 「すべては、もとはひとつ」
「現代社会と老荘思想(4)」 「無為(wu-wei)」
「現代社会と老荘思想(5)」 「上善若水」
「現代社会と老荘思想(6)」 「柔らかいものが堅いものに勝つ」
「現代社会と老荘思想(7)」 「無為によって全てを成し遂げる」
「現代社会と老荘思想(8)」 「自然な調和を取り戻す」
「現代社会と老荘思想(9)」 「天網恢々、疎にして而も失わず」
「現代社会と老荘思想(10)」 「自然はたえず変化する」
「現代社会と老荘思想(11)」 「役に立たない生き方」
「現代社会と老荘思想(12)」 「冬の川を渡るがごとく」
「現代社会と老荘思想(13)」 「私の本質は波ではない」
「現代社会と老荘思想(14)」 「和光同塵」
「現代社会と老荘思想(15)」「余 地」
「現代社会と老荘思想(16)」「我を張らない生き方」
「現代社会と老荘思想(17)」「聖人は腹をこさえる」
「現代社会と老荘思想(18)」「小魚を煮るように」
「現代社会と老荘思想(19)」「道のまん中が王道なのだ」
「現代社会と老荘思想(20)」「タオイズムの本質とは何だろう」
「現代社会と老荘思想(21)」「タオイズムの本質『シンプルに生きる』」




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喜びは光だ

☆~⌒☆

喜びを素直に受け入れない時がありますね。

そういうときには、必ず怖れが隠れています。

エゴは喜んでいる場合ではない理由を並べ立てます。

それがまさに自分の怖れの対象を象徴しています。

もっともらしい理由を信じなければ、その正体が見えてきます。

゚・*:.。. .。.:*・゜.。.:*・゜゚・*:.。.

OSHO:
喜びは光だ。喜びというのは、最後には神を見つけ出すことになる、
大いなる巡礼の始まりなのだ。だから、怖れることなく歩き続けなさい、
存在は信頼する 者達を常に守ってくれるのだから。
ゆったりと構えて、あなた自身を存在にゆだね、
喜びがあなたを打ちのめすのに任せなさい。
星々に届くことができるよう に、喜びをあなたの翼としなさい。 
喜びに満ちた心というのは、星々のとても近くにある。

2011年10月28日 OSHO Japaneseさん
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.298847576794600.83012.177517668927592&type=3



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確かさに依存しない

「天気予報が100%当たるようになったら信じよう。それまでは信じない。」

こんなことを思う人は余りいないでしょう。

それなりの確率があれば、有用なものだと思って利用するのが普通ですね。
そして「100%なんてどだい無理だよ」と思うのにも抵抗はありません。

もしかすると実現するかも知れませんが、それには膨大なコストがかかりそうですし、そこまでする必要があるかどうかを考えるでしょう。

しかしそう思っている人が、意外なことで100%信じられないと困るという罠にはまっているのです。


私たちは確かなものをほしくて、正しくありたいと思い、安定した地位に就きたくて、いつも何かを探し求めています。

そういうものを手に入れたら安泰だと信じているからです。

そのことは容易に、今自分の持っているもの、今自分が所属しているグループ、今自分が信じている観念が絶対正しい、と信じたい欲求を作り出します。

人は客観的な真実よりも、自分が信じたいことを信じるものです。

「信じたいことを信じる」というのは、一見自由に選んでいるように見えますが、その実体は、確かなものを手に入れて、安心したいという気持ちから来ています。

言い換えれば、確かなものが見えないことが不安でたまらないという恐れがもとになっている選択であるわけです。

その根底に恐れがあるかどうかは、容易にわかります。

うわさ話


その考えが正しくないという脅威にさらされるとき、つまり他人の異なる意見や批判を耳にしたときなどに、自分がどう反応するかを見てみればいいのです。

本当に信じていることなら、それと異なる考えを聞いても平然として、不安な気持ちや自分への脅威を感じたりはしないはずでしょう。

ちょっとでも批判じみた声を聞いた途端に、不安が表れ動揺したり、憂鬱な気分になるというのは、自分が必死で「その考えが正しくあって欲しい」としがみついているからです。

しかし、それでは本当に信じられるものを見つければいいのか、というとそういうわけにもいきません。

なぜなら、ものごとは常に変化するもの、自分自身だって常に揺れ動いている存在です。

そのことから考えれば、固定した絶対と言える正しさは存在できないということになります。

どんなに権威があろうと、時代や国が違えば全くのたわごとになってしまうかも知れません。

つまり、「どうやっても揺るがない確かさを手に入れることは不可能である」と認めてしまうのが正解でしょう。

確かなものにしがみつきたいという恐れからの行動を続けていれば、いつになっても不安から逃れることはできません。

それは、本来不可能なことを「これだけは間違いない」と信じたくて信じているということです。

「これが正しくなくては、自分はどうしていいのかわからない。だから信じるしかない。」というのがその実体なのです。

そして、本来根拠のないことを信じようとしているわけですから、いつか自分を騙して信じていることに気がついて、安心感はもろくも崩れ去っていきます。

1つの確信が揺らいでくると、すかさず他の権威を探して、またしばらく空しい安心感の時期を過ごそうとします。

そして、しがみつく度合い、恐れの強さがあるほど反対するものへの反発は大きくなり、他者を攻撃したくなるのです。

実際に人にあって話を聞かなくても、ネットの様々な考えを目にしているみなさんなら、自分と同じ考え、違う考えを目にしたときに、自分がどのように無意識的に、意識的に反応しているかを考えれば、以上のことはお分かりになると思います。

さて、何かを信じたいと思ってもダメで、しかし無条件に信じられるものなどないと言われたら、お先真っ暗ではないかと思われるでしょうか。

そう思うことが、まさに何かの権威にしがみつきたいという心理そのものがもたらす怖れであり、失望感なのです。

ですから「確かなものに依存したい」という衝動を理解して、その存在を表に引っ張り出してしまえば、「確かなものがないと生きられない」という思い込みから解放されます。

実は自分を怖がらせている原因は、怖さへの防止策と思って取っている行動にこそその源があったと言うことです。

確かさを求めたい気持ちを理解して、それを超えることを考えるなら、何かにしがみつこうとするときの怖れが見えるようになってくるでしょう。

こんな伝統や慣習になぜ縛られなくてはいけないのかと感じることがあると思います。
それでも、それから自由になれないのはなぜかを追求していけば、自分の中の怖れが発見できるでしょう。

「この権威があるから自分は安心だ」と信じたい気持ちこそが、延々と続く不安定な権威への渡り歩きをもたらすのです。

「確かさなどなくても平気」と思えたとき、無条件の自由が得られます。

何かにしがみついていることで得られる偽物の安心感は、常に「これであっているだろうか」という問いかけや確認を自分に強いてくるのです。

この安心感は、どこから来るのかと考えなくてもすむものこそが、本当の安心だといえるでしょう。

それは皮肉にも、確かなものを求めるのをやめることで得られるのです。

何かの信念をたえず言い聞かせていることも、多くの場合同様の恐れからの行動です。
そのとき必要な投資だと思っている不安との戦いも、実はなくてもいいもののはずなのです。

不安というのは何かしら必要があって備わっている感情でしょうから、それを根絶やしにしようと言うことではありません。

しかし、逆にそれに様々なもっともらしい名前をつけて自分を駆り立てるモチベーションにしようとするやり方は、長続きするとは思えません。

そして、そのようなやり方の裏には、その報償としての「権威」や「確かなものを保証する」というごまかしが隠れているのです。

威勢が良かった人も、守りに入ってしまうと途端に弱くなります。

それは、何かにしがみつこうとし始めてしまうからです。
それまでは、不安定ながらも特定のものに依存しない強さがあったのです。
その時起きた変化に、怖れの正体を探る秘密が隠されているでしょう。

猫1


期待しないものは最強です。
どんな誘惑も、権威も歯が立ちません。


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いまを振り返る季節

暑い夏、毎年暑さは厳しくなっているかのようです。

異常気象という言葉が毎年言われると、何が正常なのかわからなくなります。

夏が終わり寒い冬が来るその中間に、過ごしやすい季節である秋があります。

秋は、夏や冬と比べて、暑くもなく寒くもなく、そういう意味では余り個性を主張しない。

そのせいか何となく過ごしているうちに、冬が来てやっと季節を感じるという鈍感さ。

そんなぼんやりした季節は、夏や冬がどこか戦いを感じさせるのに対して、何もない平凡な日々をイメージします。

林の中の川


ハレの日とケの日という言葉があります。

ハレ(晴れ)の日は、晴れ着という言葉があるように、非日常のお祝いやお祭りの日の意味で、ケの日はなにもない平凡な日常のことです。

一生に一度のお祝い事や、年に一度のお祭りなど、ハレの日はハッキリしたイベントであり、強烈な主張があります。

年に一度のお祭りごとを生きがいに、その他の日々はその準備のように暮らすとまでいう行事もあるようです。

しかし、それではハレの日だけあれば良いかというとそういうものではありません。

毎日がハレの日では、それはケの日に過ぎなくなってしまうでしょう。

また、忘れてはいけないのは、私たちが実際に過ごすのは、ほとんどがケの日だと言うことです。

つまりケの日をいかに充実して過ごすかが重要であり、ハレの日はその区切りとして存在してこそ意味を持つでしょう。

ところが派手さのない、平凡で個性を主張しないケの日は、現代のような刺激の多い社会に生きていると、つまらないどうでもいい日であったり、ハレの日の準備のための捨て駒のように扱われてしまいます。

その結果、毎日をハレの日にしたくなり、平凡さを嫌って戦いを日常に持ち込みたくなる。

何かの目標を立てて、それに突き進む日々こそ生きがいだと言いたくなるわけです。

しかしケの日をハレの日のように仕立てようとすると、根っこを失ってしまいます。

何もない日こそが、私たちが実際にほとんどを過ごしている日々なのです。

そこに目標のために生きることを持ち込めば、いまここを生きることが失われます。

生きがいは、未来のために生きることになり、今起きていることは無視して、過去の自分の蓄積だけで生きようとします。

自分が生きたと感じられるのは、将来の目標に到達するときであり、それまでは生きることをやめてしまう。

いまを感じることはどこかに隠れてしまって、未来に生かすために過去を振り返るだけの日々になってしまうのです。

対立


戦いは刺激的でエキサイティングで、その高揚感だけで生きがいを感じると勘違いするけれど、いまに結びついていない自分をいくら生きても、どこか根無し草である感じをぬぐえないのです。

毎日がハレの日であることはありえない。
そうわかっていても、ケの日がつまらないから刺激を求める。

そうではなく、この一見平凡な日をいかに自分のものにできるかこそが重要であるのは明らかなのです。

春や秋が厳しい夏と冬に備える為だけの日であっていいのだろうか。

そんなことを思いながら、気持ちのいい青空のこの秋の日を過ごしてみたいと思うのでした。

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